横濱怪獣哀歌




トラ・トラ・トラ



 空中庭園怪獣ブリガドーンは、印部島の南方に着水した。
 本土に近付くと、大騒ぎになりかねないからだ。海老塚甲治を帝国陸軍や政府に引き渡すとまた一悶着ありそう なので、勝手知ったる特務小隊に身柄を預けておこう、とも思ったからでもある。ブリガドーンの能力で重力を操り、 軟着水させた後、怪獣電波を用いて印部島近海に身を隠していた波七型潜水艦を呼び出した。狭間兄弟と綾繁悲、 そして海老塚甲治を印部島まで運んでもらった。
 港は前回の一件で壊れていたので、波号に無理を言って浅瀬に上がってもらってから、真琴を鳳凰仮面三号に 変身させて海老塚と悲を運んでもらい、それから狭間も運んでもらった。ツブラがいれば触手を借りられたのだが。 鳳凰仮面三号に波号を海中に押し戻してもらったが、散々重労働をさせられた鳳凰仮面三号、もとい、狭間真琴は 不満と愚痴を盛大に零しながら上陸した。もっとも、超人的な力の源である縫製怪獣グルムは楽しそうだったが。
 我ながら厚かましいとは思いつつも帝国海軍基地に向かうと、特務小隊の面々が待ち構えていたが、狭間の姿を見る と心の底から納得した顔をした。怪獣人間ではない一般の兵士達は自動小銃を携えていたが、鳳凰仮面三号の背に 担がれている魔法使いの姿を見た途端、身を引いた。

「どうも、お久し振りです」

 なんて白々しい挨拶だ、とは思ったが、これ以外に思い付かなかったのだから仕方ない。狭間が愛想笑いを 浮かべると、赤木進太郎軍曹は驚きを隠し切れない様子でブリガドーンを指した。

「君があれを下ろしたというのか? どうやって?」

「ブリガドーンの存在については知っていたけど、実物を目にするのはこれが初めてだよ。ああっ、上陸したい!  どの辺の地表を切り裂けば血管と神経が出てくるかな? 脳はどこにあるんだろう? 重力操作能力を使っていた ようだけど、どの部位の内臓が重力を制御する物質を分泌するんだろう? あぁ、わくわくするなぁ!」

 子供のようにはしゃいでいるのは、辰沼京滋技術少尉である。

「で、そちらは……」

 脳以外は全て怪獣で出来ている怪獣人間、藪木丈治伍長が鳳凰仮面三号と綾繁悲を恐る恐る窺う。

「奇妙」

 赤い髪と赤い瞳に白い肌の少女、田室秋奈上等兵が藪木の影に隠れながら警戒する。

「あなた方には言われたくない気がしますけど」

 鳳凰仮面三号は覆面を取り、素顔を曝した。悲は下半身の闇を束ね、広げ、ドレスの裾に似た形に変える。

「全くだわ」

「赤木さん、田室中佐とは連絡が取れましたか?」

 狭間が赤木に問うと、帝国軍人は脱帽して髪を後方に撫で付ける。

「無論だ。そうでなければ、君達を好意的に出迎えたりはせん。一昨日、自動車整備工場に身を隠している中佐から 電話があってな。大体のことは把握している。魔法使いの行方が知れなくなったことも、氷川丸が空の彼方へと ぶっ飛んでいったこともだ。我らは魔法使いの目論見に一枚噛んでいた逆賊ではあるが、中佐が逆賊の逆賊になる と判断した以上、我らはそれに従う。軍人だからな。狭間君がライキリを帯刀している経緯についても知っては いるが、事が済んだら返してもらうぞ。でなければ、また面倒なことになる」

「あ、それはもちろん。それで、魔法使い――マスターのことなんですけど、預かってもらえませんか?」

 狭間は弟の背から老紳士を下ろさせると、すかさず藪木が回収しに来た。

「魔法使いの旦那、よく寝ているっすねー。なんすか、昏睡でもしたんすか?」

「まあ、そんなところです。説明するのはちょっと難しいんですけど、今、マスターは人生最高の一週間と人生最悪の 一週間を交互に過ごし続けるという悪夢を味わっているんです。懐に赤い砂時計が入っていますけど、それ、絶対に なくさないで下さいね。その砂時計が傍にある限り、マスターの悪夢は終わらないようになっているので」

 狭間が海老塚の軍服の胸元を指すと、藪木は爪先でそれを小突いた。ぴん、とガラスが硬い音を立てる。

「それって、死ぬよりずっと辛いことじゃないっすか?」

「俺には、この人を裁く理由もなければ権利もないんです。だけど、手出しせずにいるとマスターはどんどん深みに 填まっていってしまうんです。ブリガドーンが横浜に落とされることはなんとか防げましたけど、次もまた凌げるとは 思えないんです。犠牲が出なかったのは運が良かったからであって、決して俺の力なんかじゃありません。怪獣達も、 マスターのやり方には疑問を抱いています。かといって、この人を失うのはあまりにも惜しいんです。矛盾した考え だとは解っていますけど、でも……」

 正しいことが良いこととは限らない。狭間が言葉を濁すと、秋奈が歩み出てきた。

「共感」

「マスターの場合、慈悲と無慈悲の境目がないからね。誰かが彼を裁ける時が来るまでは、眠らせておくべきだ」

 そう思うだろう、隊長代理、と辰沼が赤木に意見を求めると、赤木は少し考えた後に言った。

「解った。我らが印部島に駐留している間、魔法使いの身柄は預かろう。中佐にも指示を仰ぐ」

「ありがとうございます。それで、羽生さんはどちらに」

 狭間が首を伸ばして半壊した基地を眺めると、赤木は基地をぶち破ったままの伊四〇八型潜水艦を示した。

〈おーす。人の子、まだ死んでなかったのかよ〉

 伊号が蓮っ葉な言葉が頭に飛び込んできて、狭間は苦笑する。

「何度か死にそうにはなったけどな。伊号も元気そうで何よりだ」

〈乾涸びちまいそうだけどな。水圧に悩まされないのは楽だけど、潮風で船体が日に日に錆びちまうのが嫌だな。 たまに整備士の連中が油を塗ってくれるけど、節約しているから大した量は塗ってくれねーし〉

「なんだ、本土からの補給がないのか?」

〈は? 馬鹿か? お前らが横浜界隈でゴタゴタしてっから、印部島どころじゃねーんだよ! 補給の船を出そう にも、航路には光の巨人が毎日のように出やがるし! 空路も似たようなもんだし! なんとかしやがれ!〉

「無茶苦茶言うな。俺だってな、ここまで来るのにどんなに苦労をしたか」

〈ブリガドーンから伝え聞いたけど、人の子、お前ってどうかしてんじゃねーの? 怪獣聖母にケンカ売るとか正気 か? マジかよ? ヤベェし〉

〈最高にロックじゃないか〉

 伊号との会話に割り込んできたのは、呂三九型潜水艦だった。港の沖合でごぼりと泡が立ち、浮上する。

〈怪獣聖母は全ての怪獣の母たる怪獣であり、神話怪獣でもあるが、怪獣の間でも神聖視されているが故にその実態を 知る者は少ないんだ。だが、南極の地下深くに身を潜めている怪獣聖母が地球のコアに直結していることは、怪獣 の間では周知の事実だ。怪獣聖母が荒ぶり、コアの磁場が狂い、マントルが波打てば、地球全土に及ぶ被害は光の 巨人の非ではない。しかし、人の子はそれも厭わずに怪獣聖母に触れようとしている。ロックだな!〉

〈怪獣としては人の子を止めるべきなんだろうけど、天の子との恋路を邪魔したくないしぃ……〉

 ううん悩んじゃう、と漏らしたのは波号だ。呂号の後方に沈んでいるが、潜望鏡を意味もなく上下させている。

「まあ、気が済むようにやってくれ。邪魔しない限り、俺も反撃はしない」

 潜水艦三人娘をあしらってから、狭間は赤木が示した方向に向かった。念のため、弟と悲も同行させた。田室 はともかくとして、特務小隊を信用しきっているわけではないからだ。兵隊達が規律正しく瓦礫を片付けてくれた のだろう、伊号へと繋がる一本道が出来ていた。潜水艦を間近で見るのは初めてなので、弟は鳳凰仮面三号の覆面 を脱ぎ、巨大な鉄のクジラを興味深げに眺め回していた。船首に至ると、羽生鏡護技術少尉がタバコを銜えていた。 その隣では、左腕をなくした男、須藤邦彦がぼんやりと海を望んでいた。

「お久し振りです、羽生さん、須藤さん」

 狭間が二人に声を掛けると、羽生はタバコを足元に捨て、軍靴の底で踏み躙って火を消した。

「元気そうで何よりだよ」

「しぶとい奴だな、お前は。後ろのは、確か……」

 須藤は狭間の背後の二人を見やり、言葉を詰まらせた。狭間真琴と光永愛歌だとは解っているようだが、どちらも 以前の姿からは懸け離れた格好をしているからか、困惑した。羽生もどう言ったものかと思っているらしく、彼に しては口数が少なかった。狭間は二人がこうなった経緯を簡単に説明してから、潜水艦を示した。

「この前と同じく、波号を使って本土に戻ろうと思っているんですが、よろしければ御一緒にどうですか」

「ヘビ男はともかく、俺もか? 俺を連れ帰って九頭竜会に恩を売ろうって腹か?」

 須藤が半笑いになると、狭間は左腕が存在していた空間に目をやった。ライキリが、独りでに鯉口を切る。

〈それもないわけじゃないんだが、魔法使いの弟子を止められるのはお前ぐらいなもんさ。須藤〉

「御名斗さんは誰の味方でもなくなりましたが、誰の敵にもなります。横浜駅の地下にある怪獣使いの本拠地に潜入 した際、御名斗さんは自分の姿に化けさせたトリクラディーダで枢さんを襲いましたが、麻里子さんも襲いました からね。あの人は怪獣使いの血を引く魔法使いの弟子で、恐らくは政府の手駒ですが、須藤さんの愛人です。俺が 知る限り、須藤さんの他に御名斗さんを止められる人はいません。だから、手を貸してもらえませんか。もちろん、 無理にとは言いませんけど」

 狭間はライキリを鞘に戻し、須藤と向き合う。長らく寝込んでいたからだろう、顔色も悪く、無精ヒゲが生え、筋肉質 だった体付きは衰えていたが、理性と狂気を等しく孕んだ目の輝きは変わっていなかった。須藤は左腕の根元に右手 を添え、しばらく考え込んでいたが、凶悪な眼差しで狭間を見返してきた。

「それはつまり、俺に御名斗を殺せというんだな? 魔法使いの目論見を続けさせないためにも、政府側の動きを封じる ためにも、怪獣使いに害を及ばせないためにも。――バイト坊主の分際で俺に命令するとは、いい度胸だ」

「その辺りについては、須藤さんにお任せします。でも、シニスター……タヂカラオを取り戻すのは難しいでしょう」

「なあに、それは御嬢様にでも掛け合ってなんとかする。俺だって怪獣人間の端くれだ、怪獣義肢を癒着させること ぐらい、自力で出来なくてどうする。それにしても、随分と怪獣使いに肩入れするな。あの娘に銜え込まれたか?」

「そんなんじゃありませんよ。怪獣使いが住処にしていた怪獣を利用させてもらうには、怪獣使いにも恩を売っておく べきだと思っただけです。出来れば、九頭竜会にも」

「言うようになったじゃねぇか」

 須藤は苦々しげに頬を歪める。羽生は警官上がりのヤクザを一瞥してから、新たなタバコを銜える。

「なるほどねぇ。ということは、狭間君は横浜駅の地下に埋もれているバベルの塔の破片をどうにかしたいというわけか。 そうだねぇ、この僕もバベルの塔は興味が尽きないね。あればっかりは怪獣使いも政府も調べさせてくれなかったから、 どういう性質の怪獣なのか知ろうにも知れなかったんだよ。だが、それは怪生研が健在だった頃の話であって、怪獣使い と政府の忠犬に成り下がったこの僕は立ち入れないこともないわけだ。サメ男に先を越されているかもしれないけど、 そんなことはこの際どうでもいい。サメ男が得意な分野とこの僕が得意な分野は違うからね。そういうわけだ、狭間君。 本土に帰るというなら、喜んで付き合うよ。この僕がね」

「だが、本土に生きて帰れる保証はあるのか?」

 海路も空路も光の巨人に塞がれちまっているだろう、と須藤が不安がると、羽生は嘲笑する。

「九頭竜会の幹部ともあろう男が口にすべき言葉ではないね。光の巨人の出現頻度が目に見えて上がったからと 言って、確実に襲われるわけでもないじゃないか。実際、印部島は島の端すら消されていない。それとも何か、 君は自分が惚れた相手の尻を追いかけられないほど根性がないのかい? 腕と一緒にタマも持っていかれたとでも いうのかい? トカゲ男から全部聞いたが、君はアレを手に入れるために地位も左腕も何もかも投げ打ったそうじゃ ないか。それなのに、手に入れてそれっきりとでも? 使い勝手のいい鉄砲玉として九頭竜会で飼っていたくせに、 その銃口が自分に向くと腰が引けてしまうのかい? いいかい、恋だの愛だのというのはだね、肉欲に溺れるための 口実ではないんだ。――――ねえ、満月」

 姿の見えない妻に羽生が目をやった瞬間、須藤の右の拳が羽生の頬を抉った。軍帽が落ち、タバコが飛ぶ。

「知ったふうな口を聞きやがって、ヘビ野郎が!」

「ああそうさ、知っているさ。知っているとも。命なんてものはだね、崇高なる目的のために使い切るべきもの なんだよ。人間なんて、蛋白質で出来た固形燃料に過ぎないんだ。それに価値を与えるのは、愛という名の肯定 だけなんだよ。この僕は満月に肯定された。だから、この僕も満月を肯定する。君もそうだろう」

 物怖じもせず、羽生は須藤を睨み返す。須藤は右の拳を緩めずに唸っていたが、舌打ちした。

「今のところはそれだけで済ませておいてやるが、本土に戻ったらお前の首を刎ねる。覚悟しておけ」

「いいね、それも悪くない。怪獣人間になる口実が出来る。そうと決まれば、支度をしてこよう」

 羽生は殴られた頬を手の甲で拭ってから、基地へと向かっていった。須藤は忌々しげに地面を蹴り付けていたが、 羽生の背を追う形で基地に戻っていった。

「それじゃ、俺達も」

 波号を呼び寄せて、と狭間が元来た道を引き返そうとすると、草むらから粘液が飛び出した。ぐにゅりと波打って 膨れ上がり、捻じれ、形を整え、一条御名斗に酷似した外見を成した。それこそが、粘液怪獣トリクラディーダで あった。だが、服に当たる外皮までは作らなかったので、男でも女でもない肢体が露わになっていた。狭間は一度 見たのであまり動じずに済んだが、悲と真琴はそうもいかなかった。胸はあれど穴はなく、竿はあれどもタマはない というどっちつかずの肉体は、奇妙であるからこそ惹き付けられるものがある。

〈人の子、元気してたー?〉

 トリクラディーダは粘液で出来た髪をそれらしい形に整え、色を変えてから、にんまりした。

「トリクラディーダ、お前はそれでいいのか? 御名斗さんを止めに行かないのか? あの人自身もだが、怪銃の ボニー&クライドを放っておいたら、人間だけじゃなく怪獣も攻撃しちまうぞ」

 狭間が問うと、トリクラディーダは御名斗のそれよりも幼い表情を浮かべる。

〈んー? 俺なんかがボニクラを止められるわけないじゃーん。それに、面白い方がいいかなーって思ってさ〉

「自分勝手だな、怪獣のくせに」

〈怪獣だからだよー、何言ってんの。で、結局、人の子は怪獣聖母にケンカを売る方法を知ったの?〉

「いや。魔法使いから聞き出そうとしたんだが、その前に戦う羽目になっちまってさ」

 羽生のタバコの残り香が欲望を呼び覚ましそうになり、狭間はぐっと堪えた。辞めると決めたのだから。

〈でも、ある程度見当は付いているんでしょ? でしょお?〉

 トリクラディーダは狭間に顔を寄せ、目を輝かせる。水晶体のない、粘液で出来た透明の球体だ。

「神話怪獣をどうにかするためには、神話に倣うのが一番だと思ってな」

 それが成功するとは限らないが、行動に移さないよりは余程マシだ。狭間は北に向き、風に乗って流れてくる怪獣 電波に含まれているざわめきを感じ取り、眉根を寄せた。良くないことが起きているらしく、皆が皆、ひどく動揺して いる。グルムはそれに影響されたのか、七色のスカーフに赤い目を見開いた。伊号、呂号、波号、そして芙蓉と電影も 例外ではない。ブリガドーンは己を律し、その上に取り残されている氷川丸は黙している。
 また、遥か彼方の海面が光り、海水と海底の怪獣が火星に攫われた。





 


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