横濱怪獣哀歌




一獣当千



 怪獣の目を通じて、綾繁枢の無事を確認した。
 雑に着物を着ただけで髪もまともに乾かしていなかったが、素肌は曝していなかった。枢は防寒着を被せられて ヒツギに抱えられ、怪獣達に囲まれながら、横浜駅の地下から脱した。それと入れ違う形で、帝国陸軍の歩兵部隊 が横浜駅構内と地下へと雪崩れ込んでいく。兵士達がバベルの塔の破片にまで辿り着けるとは思えないが、万が一 ということもあるので、狭間は横浜駅の至る所に潜んでいる怪獣達を操った。
 それは、障壁怪獣イタオニと隔壁怪獣ノブスマである。駅長室の床で蓋をしていたイタオニだけなく、怪獣使いが 横浜駅の構内を見張るために設置したイタオニ達と、いざという時に居住臓器に繋がる通路を塞ぐために配備して おいたノブスマ達を、本来の用途で使わせてもらった。イタオニはタテヨコ一メートル弱の板状の怪獣で、ノブスマ はタテ二メートルヨコ一メートル半程度の板状の怪獣だ。狭間はイタオニとノブスマの目を通じ、状況を把握した。 手始めに改札口にノブスマを連ねて塞ぎ、ホームの階段も塞いでやった。侵入を許してしまった兵隊達は、通路の 前後にノブスマを立たせ、進路も退路も塞いだ。簡単に破られてしまいそうな窓にはイタオニを重ねて配置して やり、怪獣であることを示すために赤い目を見開かせた。こうしておけば、強行突破はされないだろう。
 帝国陸軍の動きが完全に止まったことを確かめてから、狭間達は下水道を通り、横浜駅へと潜入した。それも これも、羽生が地下に潜んでいた頃に桜木町の下水道の地図を作っておいてくれたからである。なんでそんなこと をしたのかと尋ねてみると、単純に暇だったし、何かしていなければ落ち着かなかったからだよ、と羽生はやや 自慢げに答えてくれた。ライキリの力でマンホールの蓋を開け、駅構内に入った。
 兵隊の姿がないことを確かめてから、狭間は鮫淵を見やった。鮫淵は泥とヘドロにまみれた作業着を気にも留めずに、 今し方起きた出来事をノートに書き付けている。羽生はその熱心さが煩わしいようだったが、記録は無駄には ならないからね、と言って止めはしなかった。

「御名玉璽でバベルの塔の破片を活性化させる、ねぇ」

 羽生は軍靴の底に溜まった泥を落としてから、狭間の財布に目をやった。

「光永さん……じゃなくて、今は悲様か。悲様の言うことを鵜呑みにするべきではないような気もするけど、この僕 もそれが正しいという前提に基づいて狭間君と行動を共にしているんだ。君の財布の中で肥やしになっていたマガタマ が、バベルの塔の神経細胞であることを祈るよ」

「で、その、えと、御名玉璽の使い方っていうのは解るのかい、狭間君」

 鮫淵に興味津々で迫られ、狭間はちょっと身を引いた。

「ええ、まあ、なんとか。怪獣使いは祝詞をあげてバベルの塔の破片と通じ合っていましたけど、俺は祝詞は一切 知らないんで、俺が知るやり方で通じ合うしかないんですけどね」

「あ、だから、僕を誘ったわけか……。でも、その、今の僕は持っていないんだけど。あの、歌のテープは」

 鮫淵が納得しつつも訝ると、狭間はスカジャンのポケットから小次郎謹製のミックステープを出した。

「あれは別のところに隠してありますが、こいつでどうにかなります」

「まあ、うん、さすがにこの程度のことでシャンブロウの歌を使うのは、ちょっとねえ」

 でも、その中身って何、と鮫淵は狭間の手元を覗き込んできた。

「ステイツのメタルですよ」

 狭間はミックステープをポケットに戻してから、放送室を目指した。駅の構内となれば、スピーカーがホームやら 何やらに配置されている。その全てから曲が流れるようにしてしまえば、御名玉璽だけでなく、バベルの塔の破片を 揺さぶれるだろう。放送室を探すべく、歩き出したが、鮫淵は思い悩んでいるようでその場に立っていた。

「うん、まあ、うん、そう、そういうことだろうとは思っていたけど……」

 メガネを押さえて俯いた元同僚に、羽生は眉根を寄せる。

「サメ男。君のことだ、あまり器用なことは出来まい。誰に何を仕込まれたのか、白状した方がいい。大体、サメ男と あろうものが軍人の経歴なんて把握しているか? しているわけがないだろう。怪獣にだけ興味を示すような男が、 帝国軍人の戦歴など調べたりするものか。更に言えば、調べられるような状況じゃない。――入れ知恵したのは、 田室中佐だね?」

「ん……まあ、そう、だね。うん」

 いつも以上に歯切れが悪くなった鮫淵は、ノートを広げかけたが、閉じてしまった。

「まあ、ええと、その、ついこの前までは猿島に閉じ込められていた僕が羽生さんと狭間君とすんなり合流出来たのは、 まあ、うん、田室中佐のおかげだから。田室中佐は、その、なんというか、目的がはっきりしているから。国家と 国民の味方であって、怪獣の味方じゃないんだよ。それはまあ、人間という種としては真っ当な思考であり、宮様に 命を捧げた帝国軍人としても真っ当で、うん、筋が通っている。ついでに言えば、僕に恩を売っておきながら、僕を 脅そうというのだから、とても効率的だよ。無駄がない。でないと、佐官になんてなれるわけがない」

「まどろっこしいね。本題から言ってくれたまえ」

 羽生が急かすと、鮫淵はメガネの奥で視線を彷徨わせていたが、深くため息を吐いた。

「田室中佐が僕に命じたのは、狭間君の行動を把握すること。羽生さんの動向も探ること。それと、狭間君を国外には 出させないこと。ブリガドーンの一件はね、狭間君が思っているよりも、ずっとずっと事が大きいんだ。今、地上は 光の巨人の出現頻度が恐ろしく上がっている。だけど、ブリガドーンはその被害を一切受けなかった。印部島付近に 着水したブリガドーンは、氷川丸が突っ込んだせいで地面がズタズタになっているけど、どこも消されていない。 つまり、成層圏付近まで上昇すれば光の巨人の被害を受けずに済む、と立証されてしまったんだ」

「要するに、世界各国の要人やら権力者やらがブリガドーンを狙っていると?」

 ブリガドーンの上に築かれた遺跡の数々と、その住人達の末路が脳裏に過ぎる。狭間の言葉に、鮫淵は頷く。

「あと、狭間君の身柄。えと、これは印部島からの連絡を受けた田室中佐が言っていたんだけど、ブリガドーンを空に 押し返し、枢軸国の中でも特に優れた魔法使いであった海老塚さんをも退け、怪獣使いだけじゃなく神話怪獣にも 臆さないどころか対等に渡り合える人間を、世の中が放っておくわけがない。ただでさえ、横浜は移民だらけで、 他国からのスパイも掃いて捨てるほどいるから、狭間君の存在と才能は既に世界中に知らしめられてしまっている。 でも、戦時中ではないから、帝国陸軍の力が及ぶのは真日奔の領土の中だけだ。知っての通り、怪獣使いの血筋は 煮詰まり過ぎていて、家系としては成り立っていない。怪獣使いに準ずる魔法使いを育成しようにも、それに 必要な教育機関は存在していないし、そもそも真日奔は魔法使いを良しとしていない。枢様を祭り上げようとして いる一派もあるけど、定様……というか、哀様が亡くなられた影響でその一派は及び腰になっている。だから、今、 怪獣監督省を始めとした政府機関は、狭間君を新たな怪獣使いにしてしまおうと目論んでいるってわけ。だけど、 狭間君はそれを受け入れるはずがない。それは、僕もそうだけど、田室中佐もよく解っている」

 長々と語った鮫淵は、胸のつかえが取れたと言わんばかりに肩の力を抜いた。

「だから、その、僕は狭間君を止めに来たわけでもないし、邪魔をしに来たわけでもないし、填めようとしているわけ でもない。むしろ、うん、あれだよ。逃げてほしいと思っている。田室中佐もだけど、僕もね」

 メガネの位置を整えた鮫淵は、狭間を真っ直ぐに見据えてきた。てっきり、狭間を止めるために送り込まれたのだ とばかり思っていたので、狭間は驚いた。羽生もそう思っていたらしく、面食らっている。

「僕は、狭間君が持って生まれた体質を羨んでしまったことがあるよ。でも、少し考えて、すぐに気付いた。自分の 意思を無視されて、拒絶しても求められることが、いかに苦しいのかって。僕は狭間君ではないし、怪獣でもない から、狭間君の事情は全ては理解出来ないけど、でも、それぐらいは解る」

 先に進もう、と鮫淵は急かしてきた。狭間はライキリの柄を握り、爪を立てたが、顔に貼り付いていた半端な表情を 剥がせなかった。解ったようなことを言わないでくれ、俺が火星に行きたいのはそれだけじゃない、俺はツブラに 会いたいだけなんだ、と言おうとしたが、言えなかった。羽生は狭間の肩を叩いて促してきたので、鮫淵と羽生の 背を追って歩き出した。誰にも解ってもらわなくてもよかった。気を遣われなくてもよかった。なのに、なぜ、温情 を掛けてくる。世界を敵に回しても恋と愛を貫こうとする馬鹿な若造でいられれば、楽だったのに。
 放送室に至り、全てのスピーカーからメタルを流すと、その音はいつになく骨身に染みた。




 枢が整備してくれた血管を通り、居住臓器に至った。
 雪がちらつき、冷え切った冬の空気が詰め込まれている空間で待ち受けていたのは、綾繁家の誰でもなく、怪獣 行列の一員でもなかった。金色の衣装に覆面とサングラス、七色のスカーフ、骨も肉も薄めの腰には鳳凰の羽根を模した 飾りが翻る。だが、その中身は野々村不二三ではない。鳳凰仮面三号、すなわち狭間真琴だ。狭間はライキリに手を 掛けたが、柄を握れなかった。複雑な感情が胸中で荒れ狂い、狭間は歯噛みする。

「兄貴」

 主のいなくなった綾繁家の本家の門を塞ぐように、鳳凰仮面三号は立ちはだかる。

「何をしに来たのか、大体解っている」

「あ、えと」

 鮫淵が戸惑うと、羽生は訝しんだ後に察した。

「その声と体格からして、君は狭間君の弟さんだね?」

「でも、なんで鳳凰仮面に……あ、そうか、うん、解った。縫製怪獣グルムだ。一時、鳳凰仮面に似た格好だけど、 別物の動きをする鳳凰仮面が暴れていた時があって、その中身が狭間君だってこと、氏家大尉から教えてもらった んだよ。だけど、まさか、狭間君の弟さんまで鳳凰仮面になるだなんて。なんか、こう」

 凄く面白い、と言いかけたのだろうが、鮫淵は寸でのところで口を噤んだ。度のきついサングラスの奥で、真琴の 目が据わっていることに気付いたからだ。鳳凰仮面三号は、いつになく鋭い眼差しを兄に注いでいる。反抗心か、 いや、違う。家族としての義務、そして弟としての矜持が、真琴を突き動かしている。

「カナさんはどうした、一緒じゃないのか」

 平静を装おうとしたが出来るはずもなく、狭間は声が僅かに震えた。実家にいた頃は疎まれていると思っていた、 弟が思春期を迎えてからは尚更だった。だが、それは思い違いだったのだと、横浜に来てから思い知った。真琴は、 感情表現が遠回しで下手くそなのと、思春期故の照れがあるせいで、態度が冷ややかになっていただけだった。実の ところはそうではなく、何かと危なっかしく、怪獣に振り回されているばかりいる兄を案じていた。神経質で面倒臭い 性格だが、それ故に可愛い弟だ。
 その、弟が尖った敵意を向けてきている。縫製怪獣グルムという戦う力を手に入れたからだろう。それがなかった としたら、文句を言うだけで済ませたに違いない。それはそれで辛いが、拳を向けられるよりは余程マシだ。真琴、 いや、鳳凰仮面三号は金色のグローブに覆われた拳を固め、身構えた。あれほど流行っていたプロレスにも 興味を持たず、他の格闘技にも触れたことは一度もなかったはずだが、様になっているのは、グルムのおかげだ。

〈よく解ったな、さすがは人の子だ!〉

 虹色のスカーフに赤い目が現れ、瞬く。

「真琴がそのつもりなら、俺はライキリを抜く。それでもいいのか」

 狭間が斬撃怪獣に手を掛けると、ライキリは独りでにぱちんと鍔を上げる。

〈総司郎や正大ならともかく、人の子の腕前じゃ手加減なんて出来ねぇぞ? 下手すると、グルムごと〉

「馬鹿言え、それをどうにかするのがお前の仕事だろう、ライキリ。俺を止めたいんだろう、俺をどこにも行かせたく ないんだろう。そう思うんだったら、兄弟ゲンカの一つや二つ、こなしてみせろ!」

 躊躇いを振り払って柄を握り締め、一息に鞘から引き抜いた。白刃には、狼狽を隠そうと顔を強張らせている兄と、 覆面とサングラスの下に素顔を隠した弟が映る。

「兄貴は火星には行かせない、行かせちゃならない!」

 鳳凰仮面三号は、グローブが軋むほど強く拳を握る。

「我が侭ぶっこいてんじゃねぇ! 惚れた女の尻ぐらい、追いかけさせろ!」

 今更、格好付ける意味もなければ理由もない。思い出してみれば、真琴と真っ向からぶつかってケンカをしたことは 数えるほどしかない。真琴が大人しいのと、狭間はケンカ自体が苦手だったからだ。火星に行ってしまえば、二度と こんなことは出来なくなる。丁度いい置き土産になる。狭間はライキリを構え、刀越しに弟と目を合わせた。
 駆け出したのは、どちらが先だったか。





 


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