横濱怪獣哀歌




地球ノ緑ノ丘



 照和五十七年、五月。
 大学二年生となった真琴は、変わり続ける世間を横目に学生生活を謳歌していた。横浜駅を含めた桜木町一帯 の復旧工事は進んでいて、瓦礫は全て撤去されて新たな区画が整備されつつある。それにより、人間の出入りも 激しくなり、一時は閑散としていた街中も賑わいを取り戻した。ドヤ街である寿町で寝起きする労働者達は仕事が あることを喜んでいて、彼らが飲み食いすることで飲食店街も潤ってきた。仮駅舎の横浜駅と桜木町駅を繋ぐ線路 も復旧し、本数は少なめだが電車が行き来するようになったので、交通の便も良くなってきた。桜木町から避難 していた住民達も少しずつ帰ってきていて、ヲルドビスの常連客もちらほらと戻ってきた。
 その一方、宇宙怪獣戦艦となるべく改修工事を続けられている浮遊怪獣アマノウキフネはといえば、印部島沖で 大人しくしていた。枢が頻繁に印部島を訪れては、祝詞を歌って聞かせているおかげだ。それ以外にも、流行りの 歌謡曲や童謡や真日奔帝国軍歌といった歌を歌っているのだそうだ。怪獣使いが怪獣使い足り得ているのは、その 声にあるのだと羽生から教えてもらった。兄が生まれながらにして怪獣電波を送受信出来たように、怪獣使いは 生まれながらにして怪獣の精神を揺さぶる音階の声を備えている。だから、その血を途絶えさせるということは、 その声を滅ぼすという意味でもある、とも。
 大学で怪獣使いの歴史を学んでいくと、真日奔という国の成り立ちと共にある綾繁家の歴史と、その血筋の重み を知るようになった。色々あって綾繁家の本家の人間は枢だけとなり、世継ぎを産めるのも彼女だけだ。分家の者 は何人かいるようだが、皆、直系ではなかった。故に、枢は何が何でも子供を産まなければならない。だが、綾繁家 の女性は生まれ付き体が弱く、枢は特に弱い。生きながらにして死ぬための措置を施されていたから、というのも あるが、どう見積もっても三十歳までは生きられないだろう。となれば、まだ体力があるうちに子作りをする必要 があるが、枢の場合は二次性徴が始まって間もない頃に事に及ばなければならないだろう。だが、綾繁家の血筋に 釣り合うような男がいるのだろうか。いや、いない。いたとしても、それは自分ではない。
 悶々と思い悩み続けても埒が明かないので、真琴は気晴らしをすべく、小次郎を誘ってツーリングに出掛けた。 横須賀から観音崎へと海岸沿いに走っていると清々しい気分になったが、バイクを止めて休憩するとすぐに悩みが 蘇ってくる。浦賀水道を一望出来る展望台にて、真琴はぼんやりしていた。

「で、まこちゃん。僕に何か話でもあるのか?」

 小次郎は良く冷えたウーロン茶の缶を手にしていて、それを真琴にも渡してきた。

「なんでそう思うんだよ」

 真琴は小次郎に代金を手渡しつつウーロン茶を受け取ると、喉に流し込んだ。バイクの振動の余韻が体の芯に 残っていて、それがいやに熱い。小次郎はコンクリート製のベンチに腰掛け、ライダースーツの襟元を緩める。

「まあ……なんとなく」

 小次郎は霞んだ水平線の向こうに見える房総半島を望み、真琴の背を見やる。

「まこちゃん、彼女出来た?」

「なんだよそれ」

 小次郎らしくもない質問に、真琴は失笑する。

「頭の回転が速いまこちゃんが思い詰めるようなことといったら、それぐらいかと思って」

「大学生だからって、別に女受けが良くなるわけじゃない。それに、俺の周りには野郎しかいないんだから」

「悲さんのこと、忘れられない?」

「いや……そうでもない。というか、俺はあの人のことが本気で好きだったわけじゃないみたいだ」

「ただの憧れ?」

「憧れと呼べるほど、出来上がった感情じゃなかった。ガキだったんだよ」

「詩みたいな言葉をしれっと言える辺り、まこちゃんは気障だな」

「コジを相手に格好付けてどうするんだよ」

 真琴は肩を竦めてから、ウーロン茶を呷る。苦みと渋みが喉を刺すが、冷たさも相まって心地良い刺激だ。

「つぐみから聞いたけど、まこちゃんって枢様と電話でお喋りするんだって?」

 と、小次郎が唐突に言ったので、真琴は噎せ返った。ひとしきり咳き込んでから、ずれたメガネを直す。

「な、なんでつぐみちゃんがそんなことを知っているんだ……?」

「否定はしないのか」

「いや、それよりも俺の質問に答えてくれよ!」

「つぐみと枢様は友達なんだよ。女の子同士だから、そりゃあお喋りするだろ?」

「そこで、枢さんは俺の話をしていたと?」

 真琴が面食らうと、小次郎は頷く。

「で、まこちゃんの話をしている時の枢様はきゃっきゃしていて非常に可愛らしかった、との報告を受けた」

「……なんだその擬音は」

「つぐみがそう表現していたから、そのまま言ったまでだけど」

 随分仲がいいんだな、と小次郎に微笑ましがられたが、真琴は別の感情を抱いた。確かに枢との電話は習慣に になっているが、それは話題にするほどの一大事だったというのか。閉鎖的で排他的な生活を送っていた枢には 刺激的であるというだけであって、枢が真琴を特別な存在だと意識している証拠ではない。そうとも、きっとそう に違いない。手前勝手な想像をして喜んでんじゃねぇ、変な期待をするだけ無駄だ、と真琴は必死に自制した。

「まこちゃんがそんな顔をするとは意外だ」

 小次郎に指摘され、真琴は困惑する。

「何がだ!?」

「なんというか、喜びたいけど喜べない、みたいな。――――ああ、そうか。枢様なのか」

 何かを察した小次郎に、真琴は全力で否定する。こんなものを肯定したら、自分はダメになる。

「変なことを邪推するなよ! それはコジの想像であって俺の本心じゃない!」

「大丈夫、僕はそういうのは気にしないから。というより、僕も似たようなものだし」

 つぐみは今年で十四歳、僕は今年で二十一だ、と小次郎は指折り数える。

「あと二年、いや六年かな」

「何が」

「つぐみに触れるようになるまでの年数。最初に会った時は僕が十六で、つぐみは九つ。佐々本モータースに就職 するか実家の工場に入るかを決めかねていたから、何度も佐々本モータースに顔を出しては社長とよく話し合って いたんだけど、つぐみがお茶を出してきたり、僕が帰る時は駅まで送ってくれたり、そのついでに寄り道してパン屋 で三角シベリアを買って一緒に食べたり、うららさんに頼まれて映画を見に連れていってやったり、とまあ色んなこと をしていたんだけど、ある日気付いたんだ。――――つぐみが僕を見る目と、僕がつぐみを見る目が同じだと」

 ヘルメットのバイザーに自分の顔を写し、青年は口角を緩める。

「就職するにあたって、僕は社長にその辺のことを全部話した。つぐみも話してくれた。自分達ではどうしたらいい のか解らなかったからだ。お互いにはっきりと好きだと言えるし、小さい頃のつぐみも中学生になったつぐみも女性 として意識している。下世話なことを言うけど、僕が初めて自分を慰めたのはつぐみと手を繋いだ後だった。それまで は車にしか興味がなかったんだ。本当にね。好きになった相手がまだ小さかった、それだけのことなんだ」

「社長さんはどうしたんだよ? そんな話を聞かされたのに、コジを雇ったっていうのか?」

 真琴が驚嘆すると、小次郎はヘルメットを抱えて頬杖を突く。

「あれは僕も意外だったけど、下手に引き離して間違いが起きたら困る、と思ったんだろうね。社長の懐の深さに 報いなければ、つぐみが大人になったら正面切って求婚出来るように腕のいい職人にならなければ、っていう覚悟を 否が応でも決めるしかなかった。だって、好きな子の前では格好付けたくなるものじゃないか」

「だけど、それは」

「そう、僕の場合であってまこちゃんの場合じゃない。まこちゃんは枢様とどうなりたいのさ」

 小次郎に真っ直ぐ見据えられて、真琴は目を伏せた。何を、どうやって。枢に触れたことなどあるものか、たとえ 触れることがあろうとも、あの小さな手を握るのは自分ではない。彼女の血筋に釣り合う身分の高い男が、希少な 声を絶やさぬため、旧い家系を長らえるため、彼女に触れて貫いて子を宿させる。そして、彼女は短い生を費やして 歌い続ける。怪獣のため、怪獣に生活を支えられている人々のため、綾繁家のために。俗世間の穢れなど知らずに、 あの広い屋敷で一人きりで暮らし、従順な怪獣達に囲まれ、玉璽近衛隊に守られ、政府に頼られ、決して届かぬ 高みに在り続けてこそ綾繁家の女だ。――――だから、真琴が触れていいはずがない。

「まこちゃん、今度はえらく怖い顔になったよ」

 小次郎に再度指摘されたが、真琴は否定する気も起きなかった。

「コジ、俺はどうしたらいい?」

「僕から言えることがあるとすれば、一つしかないよ。後悔しないように行動してほしい」

 小次郎はウーロン茶を飲み干してからゴミ箱に入れ、展望台から身を乗り出して上空を仰ぎ見た。

「だって、こんな御時世だからね」

 浦賀水道から見える空に、巨大な異物が横たわっていた。それは、艤装を装備されて居住臓器を整備された末に 地球の周回軌道へと打ち上げられた、宇宙怪獣戦艦アマノウキフネだった。

「僕はアトランティスが帰ってくることを信じているし、地球に影響が出ないように周回軌道に入れることも信じて いるし、何よりもまーさんを信じている。だけど、他の人達はまーさんの体質も存在も知らないから、アトランティスが 地球に落ちてくるんじゃないかと戦々恐々としている。終末論なんて飛び出す始末だ。明日をも知れない身なのは、 いつどこにいようとも変わらないのに。やっとのことで光の巨人が消えたのに、その傍から怖いものを欲しがるなんて、 つくづく人間はどうしようもないよ。アマノウキフネと地上を繋ぐための怪獣列車の運行も決定したし、そのための駅 も造られ始めているんだから、アマノウキフネの安定性は解り切っているはずだろうに。そりゃ確かに彼らは生き物で はあるけど、人間ほど不安定じゃないよ」

「兄貴がしていることに比べれば、俺の悩みなんて小さすぎて馬鹿みたいだ」

「そうでもない。まこちゃんからすれば、世界がひっくり返るようなことだから。実際、つぐみと出会ってからは、僕の 世界は一変したからね。問題は、どういうふうに変えていくかだ。その点、まーさんはとんでもない男だよ。怪獣と 添い遂げたいがために、怪獣と人間の在り方を変えてしまったんだから」

 だから、僕も自分の世界は自分で変える。そう言った小次郎の面差しは、いつになく精悍だった。

「……俺は」

 自分の世界を変えられるのだろうか。真琴は口籠り、空き缶を握り締めたが潰れはしなかった。首に巻いていた 赤いスカーフ、グルムがしゅるりと伸びて呆気なく握り潰し、ゴミ箱に放り込んでくれた。褒めてほしそうなグルムを 撫でてやりながら、真琴はポケットの中の小銭を確かめた。それから辺りを見回し、電話ボックスを見つけたので、 赤電話に十円玉を入れてダイヤルを回した。玉璽近衛隊以外は決して知らない、彼女の自室の番号だ。
 受話器が上がると、怪獣を鎮める声が聞こえてきた。




 昭和五十七年、十一月。
 箱根の奥地の別荘にて、真琴は余暇を過ごしていた。真琴を呼び付けたのは、他でもない綾繁枢だった。木々に 囲まれていて外からは窺えず、森の至るところに枢の怪獣行列の怪獣達が配備されていて、玉璽近衛隊も離れた 位置から警護していた。別荘には温泉が引かれていて、それに入るのが楽しみだと枢は何度も言った。使用人は 田室秋奈上等兵ただ一人で、他の者達は顔すらも見せなかった。ヒツギでさえも。ということは、つまり。
 夕餉を終えた後に温泉に入った枢は、頬を上気させていた。浴衣の上に外套を羽織り、火を入れられた暖炉の 前のソファーに座っている。レンガ造りの西欧風の家なので、床は板張りで畳の部屋はない。ヴォルケンシュタイン 卿の持ち家だったのですが売りに出されたので思い切って買い上げてしまいました、とにこにこしながら語る枢に、 真琴は金銭感覚の違いを思い知らされた。人形の家ではないのだから、気軽に言わないでほしい。

「あれから、私なりに色々と考えてみましたの」

 ぱちりと爆ぜる薪を見つめ、枢は膝の上に揃えた手を握り締める。

「私がしようとしていることは、真琴さんや真琴さんをお慕いする方々を苦しめるのではないか、と」

 枢から少し離れた位置に腰掛けている真琴は、黙っていた。暖炉の中で燃え盛る炎だけを見ていた。

「そして、私はとても贅沢なことをしているのではないか、とも」

 前の持ち主が遺していった仰々しい調度品から伸びる影は、炎の揺らめきに伴って上下する。

「遅かれ早かれ、私は世継ぎを産まなければなりません。月の障りはまだ訪れておりませんが、その時が来たら、 殿方が宛がわれることでしょう。政府の方々は、ずっと前から私の身分に相応しい御相手をお探しになっています。 公務を命じられて赴いた先で、怪獣ではなく殿方とお会いさせられたことは一度や二度ではありません。私の弟と妹 は綾繁家の務めを果たすことを放棄し、普通の人間として生きる道を選びました。それはそれでよろしいのです、 彼らが見い出したことなのですから。今でこそ、私は子供でいられます。けれど、明日にはどうなっているでしょうか。 来週には、来月には、来年には、私は女になっているかもしれません。そうなったら、私は遠からず母となるでしょう。 私の姉様方がそうされてきたように、私もそうせざるを得ないのです。嫌だと言って逃げ出したところで、何が解決 するでしょうか。綾繁家の血筋が途絶え、怪獣使いの名を継ぐ者もいなくなり、怪獣達を鎮める歌を歌う女もいなくなる だけです。そうなれば、宮様の御声を国民に伝えられる者もいなくなりますし、そうなれば人々は宮様を蔑ろにするよう になるかもしれません。もしもそんなことが起きれば、この国は沈みます。真日奔の国土は、大陸怪獣オオヤシマノクニ なのですから」

 枢の手は、力を入れ過ぎて白んでいる。

「生きている限り、私は歌わねばなりません。産まねばなりません。ですが、真琴さんも御存知の通り、私は身も心も 弱いのです。姉様方のようには生きられませんし、死ねません。ですから、どうか私に人間としての幸福を与えて 頂けませんか。今、この時だけでいいのです。どうか、どうか」

 丸めた背を震わせ、肩からは髪が滑り落ち、横顔を覆い隠した。髪の隙間から垣間見えた耳朶の薄さと、首筋と 同じぐらいに火照り具合を目にし、真琴は得も言われぬものを感じた。ああ、もうダメだ。

「ひゃうっ!?」

 枢が悲鳴を上げて、真琴は自分が何をしたのかを気付いた。その耳に触れていたのだ。

「あ、あのぉ、真琴さん……」

 泣きそうになりながら見上げてきた枢に、真琴は顔を背ける。情けないほど、頬が熱い。

「そこまで知っているなら、なんで肝心なことが解らないんですかね」

「は、い?」

「若い男と、山奥で、二人きりで、密室で、でもって枢さんは湯上り! どうしてくれるんだ!」

「あ、あの、それは……は、ハーレクイン小説を参考にしてみたのですが……不備がありましたか……?」

 おずおずと訊ねてきた枢に、真琴はため息を吐く。落ち着け、落ち着け、落ち着け。

「こんなのは据え膳どころかフルコースじゃないですか。皿どころか膳まで平らげさせるつもりですか」

「あう」

 首を縮めた枢に、真琴は顔を覆う。きっと、猛烈にだらしない顔をしている。

「でも、えっと、まあ……悪い気は、しません」

「本当ですか!? 真琴さんは私のことなど気に掛けて下さらないとばかり……」

 ちゃんとした言葉を言ったわけでもないのに、枢は目を潤ませて頬を緩ませている。

「だけど、まだダメだ。本当に、今は無理だ。なんていうか、物理的な意味で」

 真琴は深いため息を吐き、高ぶりを収める努力をした。すると、枢はぽかんとする。

「ですけど……」

「だから、触るだけ。触るだけでいい」

 ゆっくりと深呼吸すると、枢の髪に塗り込まれた香油の香りが鼻腔に染み込み、背筋が逆立つ思いがした。

「十二歳でしたよね?」

 真琴は枢に向き直ると、枢は小さく頷く。

「はい」

「六年……いや、四年後かな」

「何がですか?」

 枢に聞き返され、真琴は身を乗り出す。

「そんなこと、俺に言われるまでもなく知っていますよね? カマトトぶりたいのか耳年増ぶりたいのか、どっちか にしてもらえませんか? でないと、俺も困るんですよね」

「すみません、そんなつもりでは」

 枢は身を引きかけたので、真琴は肩を掴んで引き留める。布越しでも、その骨の細さは感じ取れた。

「――――あっ」

 真琴の手の感触に、枢は更に赤面する。とろんとした目で見上げ、薄い胸が上下し、香油とは異なる甘ったるい 匂いで噎せ返りそうになる。暖炉の炎よりも体の方が熱く、木々のざわめきも遠のき、心臓が痛む。淡い吐息を零す 唇が引き締められ、そっと首を傾けて真琴の手の甲に頬を寄せてくる。かすかに震える手で手首を掴み、万感の 思いを込めたため息を漏らす。ほんの少し触れ合っただけなのに、枢は幸福に酔いしれていた。

「全部、触るから」

 彼女が他の誰かを知る前に、自分を教え込んでしまいたい。

「……はい」

 彼が他の誰かを知る前に、自分を刻み付けてしまいたい。

「だけど、その前にはっきり言った方がいい、とは俺は思う」

 真琴は怪獣電波は使えないし、たとえ使えたとしても使う気はない。説得力に欠けるからだ。襟元を巻き付いて いたグルムを引き抜いて放り投げると、状況を理解したのか、ひらひらと漂いながら他の部屋へと移動していった。 空気が読める怪獣だ。枢はグルムを目で追っていたが、真琴に視線を戻し、顔を強張らせる。

「でしたら、私から申し上げた方がよろしいでしょうか?」

「いや、俺が言う。でないと、いくらなんでも情けなさすぎる。ここまで御膳立てされておいたのに、最後まで 枢さん任せにしたら男が廃るなんてもんじゃない」

 全てを認めることは、己の業の深さを飲み下すことでもある。だが、そんなことを恐れていては、目の前の少女に から寄せられた感情を受け止められない。何も変えられやしない。

「ごめん、気の効いたセリフなんて思い付かない。枢さん、君が好きだ」

 真琴が親指の先で枢の唇をなぞると、花が綻ぶように浅く開いた。頬を手で包んで顔を寄せ、自らの口でその口を 塞いでしまう。ソファーの掛布を握っていた小さな手を取り、握ってやると、枢は唇を離して俯いた。枢も知識はあって も経験が一切ないので、緊張しきっていた。それでも、どちらも触れたい場所は知っていた。今頃になって、ジンフーと 麻里子の営みの記憶が役に立った。人生、何がどうなるか解らないものだ。
 その夜、真琴の世界は一変した。





 


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