横濱怪獣哀歌




或ル愛ノ歌



 翌日。横浜港で連絡船に乗り、印部島へと向かった。
 件の木箱は貨物室に積み込まれ、真琴は一等客室に入った。東京駅から発車する怪獣列車に乗って宇宙に出る 場合もあるが、船旅を経て印部島近海の宇宙港から飛び立つこともある。どちらも出張のお決まりのルートで、 怪獣監督省に入省して間もない頃から何度となく通ってきたが、宇宙へと出る瞬間は何度経験しても胸が高鳴る。 税金を使ってこんなに楽しい思いをしていいのか、と気後れさえするほどだ。
 南海の離島、印部島に隣接している真日奔国立宇宙港はアトランティスの破片によって出来ている。地球に到着した 後、彼が火星から呼び付けたもので、海底に触腕を繋げているが根付かせてはいないので浮島だ。地球と火星の間を 行き来するようになったアマノウキフネが稼働出来ない場合は、宇宙港本体が浮上して火星と行き来するということに なっているが、今のところはそれが必要になるような事態は起きていない。
 印部島は今も尚帝国海軍基地なので、民間人はおいそれとは立ち入れない。真琴は国家公務員である上、玉璽 近衛隊とも密接な関係を持っているので自由に出入りが出来る。枢が口利きしてくれたおかげでもある。なので、 輸送船が宇宙港に到着して間もなく印部島に向かう連絡船に乗り、移動した。待合室代わりの食堂で真琴の到着 を待ち侘びていたのは、鮫淵仁平とサーフボード型の怪獣のウハウハザブーン、アプスー・マリナーだった。

「やあ、まこちゃん」

 怪獣の調査と研究のために世界中を行脚している鮫淵は、表情の柔らかさこそ変わらなかったが、服の上から でも解るほど屈強な体躯になっていた。対するアプスーは、地球にやってきたばかりの頃は線の細い少年だった のだが、鮫淵に負けず劣らず立派な体付きの男になっている。彫りの深い顔付きは精悍で、程良く付いた筋肉が ジャケットとジーンズを膨らませており、アウトドアブーツの靴底は擦り減っていた。

「どうも、お久し振りです」

 真琴が一礼すると、鮫淵は窓越しに宇宙港の傍に着水しているアマノウキフネを窺った。

「あ、その、また月に行くの?」

「月経由で火星に。去年は四度、今年は何度行かされるやら」

 真琴は二人の傍の席に腰掛けてから、アマノウキフネを一望する。円盤状の怪獣で、居住臓器はないので外骨格 に別の怪獣の居住臓器を付け、それを改造してコクピットと客席にしている。といっても、アマノウキフネが自力 状況を確認して浮き上がっていくので、操縦する必要はほとんどないのだが。

「それだけマコトが頼りにされている証拠だよ」

 アプスーは淀みのない日本語で喋り、手元のスケッチブックにアマノウキフネを描いていた。写真のように緻密 だが、彼が怪獣電波を通じて感じ取った怪獣の特徴も注釈で事細かに記されていくので、場合によっては写真よりも 資料性が高い。時折、手元を見ずに線を引いていくので、目で見たものを描き起こしているのではなく、綴のように 受信した怪獣電波から得た情報を直接描写しているのだ。
 アプスー・マリナーは、狭間真人と同等の体質を持って生まれた。だが、彼は怪獣達と通じ合いすぎたがために 人間同士のコミュニケーションが不得手になり、人間の言葉を喋ることはおろか聞き取ることすらも出来なかった。 狭間と出会ってからは少しずつ改善され、鮫淵と共に旅をするようになってからは地球の環境にも馴染み、体質に 頼り切ることもなくなった。絵を描くのが得意なので、その才覚を生かし、鮫淵の怪獣観察の手記と一緒に出版社に 売り込んでは収入を得ている。そして、それを元手にまた世界中を回るのだ。鮫淵は怪獣生態研究所を退職したが、 今も科学者として在り続けているので、大学や企業の怪獣関連の研究施設と関わりを持っている。

「んー……。アマノウキフネの右側の外骨格がちょっと減っているから……大気圏再突入の時の姿勢がほんの少し 曲がっているのかもしれない。だから、その辺を重点的に整備してやらないとダメかも」

 痛くはないけどむず痒いって言っている、とアプスーがアマノウキフネの言葉を明言すると、鮫淵はアプスーの 絵とアマノウキフネの本体を見比べた。

「ん、その、外から見ただけじゃよく解らないけど」

「外骨格の摩耗は一センチにも満たないからだよ。でも、それが気になって姿勢を崩したら大変だから。人間で言う ところの、爪の切り損ないみたいなものだよ。気付くまでは気にならないけど、いざ気付いてしまうと据わりが悪く てどうしようもない、みたいな」

「うん、解った。あとでアマノウキフネの整備部隊に伝えておく。それと、その絵も」

 鮫淵が頷くと、アプスーはアマノウキフネを注視した。怪獣電波で何事かを伝えたのだろう、アマノウキフネから 唸りが聞こえてきた。それに伴い、食堂の隅で横たわっていたウハウハザブーンががたついた。

「俺も描けって? 散々描いてやったじゃないか、我が侭だなぁ」

 そうは言いつつも、アプスーはウハウハザブーンの絵を描き始めた。

「仲が良いですね」

 真琴が笑うと、鮫淵は分厚いメガネ越しに目を細める。

「うん、まあ、その、今となってはね。狭間君からアプスーを預けられた時はどうしようかと思ったけど、まあ、時間を 掛ければなんとかなるから。僕が怪獣の観察に集中している間、彼はああやって絵を描いている。僕が考え事を している間、アプスーは怪獣達と通じ合っている。僕が一人でいたい時、彼もまた一人でいたいみたいで、ふらっと 姿を消してしまう。まあ、時間が経つと戻ってくるんだけど。だから、まあ、そんな具合に」

「アプスーの絵をまとめた本、また出版されるんですよね」

「ああ、うん、出版してもらうと国会図書館で保管されるからね。怪生研の資料室は絵で溢れ返っているし、僕の家も ほとんど倉庫みたいなもんだけど、さすがに許容量に限界があるというかで」

 真琴の言葉に、鮫淵は曖昧な笑みを浮かべる。

「鮫淵さんとアプスーも、月を経由して火星に行くんですか?」

「あ、うん。僕は行けるけど、アプスーはね。まあ……色々とあったからね」

「だから、今回も月止まりなんだよ。でも、それでもいいんだ。マヒトのコーヒーが飲める」

 それから絵も見てもらうんだ、とアプスーは得意げに笑った。

「うん、まあ、レムリアの観察もしたいしね」

 鮫淵は窓越しに真昼の白い月を見上げたので、真琴もそれに倣う。

「レムリア、怪獣中毒患者と変異型感染症罹患者の保養地になっちゃいましたね」

「どちらも確信的な治療方法が確立されていないから、隔離して療養してもらうしかないからね。まあ、でも、うん、 羽生さんのお姉さんとウワバミのおかげで変異型感染症と怪獣中毒の関連性が立証されたし、マスターのコーヒーと いうか魔法使いの妙薬というかなんというか、中和剤の作り方も解明されたしね。材料が希少だし配合が絶妙で 加工が難しいから、大量生産にはまだ至っていないけど。そのマスターがどこにいるのか解らないというのは、 懸念材料ではあるけどね。化石を掘りに行くといって出掛けてから、半年以上音沙汰がないもんだから」

 鮫淵が不安を零すと、アプスーは月を窺う。

「コウジは元気にしている、って怪獣達は口を揃えて言っている。それから、南極の方に行ったから、当分は真日奔 には戻ってこられないだろう、とも言っているよ」

「怪獣がそう言うんだったら、大丈夫なんでしょう」

「それと、その、ちょっと思ったんだけどね。もしかして、ヤロールは怪獣だったんじゃないかって。あ、でも、僕の 推論でしかないんだけどね。だから、彼の墓もどこにもないんじゃないかと思ったというか。うん、だけど、その根拠 はないし、ただの思い付きでしかないから、それを立証するためにもまだまだ調査しないとならないというか。うん。 だから、マスターの気持ちもよく解る。じっとしているのが惜しいんだ。知りたいことが山ほどあるから、同じ場所に 留まっていると時間が勿体なくて仕方なくなるんだ」

 マスターも気が済んだら帰ってくるよ、と付け加えてから、鮫淵は給仕係に出してもらったコーヒーを啜った。 真琴も同じものを飲んだが、酸味がきついばかりで今一つだった。これなら俺が淹れた方が余程旨い、と思いつつ、 宇宙港と接岸しているアマノウキフネを眺めた。円盤状の肉体を覆っている外骨格が開き、赤い目が見開き、焦点 が定められた。アマノウキフネは真琴とその首筋に巻き付いているグルムを捉えると、目を瞬かせ、グルムはそれに 怪獣電波で応えていた。二人の会話を又聞きしたアプスーが笑い出したので、余程下らないことを言い合ったの だろう。出港時間が近付いたので、三人と怪獣達はアマノウキフネへと搭乗し、三十分後に離水した。
 アマノウキフネは宇宙衛星基地シスイを経由して月面基地に停泊し、月面怪獣達が放つ青い光線――――光子力 航路を通じて火星へと向かった。理屈としては光の巨人に近いが、羽生によれば全く別の物理法則に基づいている ものなのだそうだ。青い光の柱に飲み込まれる瞬間は、何度体験しても奇妙だった。
 光が途切れて視界が開けると、火星が現れた。




 アトランティスの破片を寄せ集めた居住区は、訪れるたびに栄えていた。
 光の巨人が地球から奪い取ってきた物資を掻き集め、怪獣達の力を借りて加工し、新たな街を作るための材料 として活用しているので、マリネリス大渓谷に溢れんばかりに詰め込まれていた瓦礫の山は少しずつではあるが 片付いていった。火星に留まっている人々と地球怪獣達、そして火星怪獣達は程良い均衡を保っており、貴重な 地下水も平等に分配していた。地球に電話を掛けられる電波発信基地の利用者は途絶えず、地球と火星の情報を 交換し合っていた。下らないことで諍いを起こさないために、発展途上の火星の社会を豊かにするために、皆、 やるべきことを果たしていた。氷室千代もその一人で、ムラクモと共に火星に点在する居住区を回り、安定した 水量を供給出来るように地下水脈を発掘し続けている。
 真日奔帝国陸軍火星駐留基地にて、真琴は羽生鏡護技術少尉と合流した。怪生研の研究員として復職したが、 軍人としての肩書があると動きやすいから、ということで軍属のままだ。但し、軍服ではなくスーツ姿だ。襟元には 階級章はあるが、それだけでしかない。アトランティスの三十二番目の破片、第十七居住臓器の内部に作られた 基地では、羽生は例によってダンヒルを銜えていた。内装は必要最低限で、岩石を積み重ねて作った建物の中 に怪獣の骨に皮を張った家具が据えられていて、真琴が座っているソファーもやはり怪獣の産物だった。

「五年以内に他の惑星との光子力航路を確立しろだって? この僕に対して随分と舐めたことを言うね」

 真琴が持ってきた政府からの書類に目を通してから、羽生は煙を吐き出した。その手首には針金怪獣ジャコツが 絡み付いていて、綺麗に削られた鉛筆の傍らには刃物怪獣ヒゴノカミが控えていた。

「そんなこと、この叡智の結晶が人間の形をして歩いていると称すべき僕が出来ないわけがないじゃないか。 但し、怪獣達との連携が取れているのが大前提だ」

 羽生は窓を開けて煙を逃がしてから、居住臓器の内側に映し出された火星の薄い空を仰ぐ。

「となると、また人の子に手助けしてもらわなければならないだろうね。賄賂は何がいいかな。狭間君の腸の 切れ端は宮様に贈呈してしまったから、怪獣を焚き付ける術はない。となれば、狭間君を懐柔するしかないね」

「兄貴の注文はいつも同じですよ。ゴールデンバットのボックスを二カートン」

「またかい。アレの生産が中止されてから久しいんだけどな」

「普通のやつなら、まだ販売しているんですけどね」

「ボックスのやつと普通のやつはね、タールとニコチンの量が違うんだよ。その辺がネックなんだ」

「生産中止になったってことは伝えてあるんですけどね。もしかして、引き受けるつもりはないってことですかね」

 真琴がぼやくと、羽生はフィルターを噛み締めながら腕を組む。

「さあて、どうだろうね。それを僕達が調達出来なくても、彼らが調達するんじゃないのかな」 

「ああ、なるほど」

 羽生の隣から身を乗り出すと、怪獣達のざわめきが聞こえてきた。真琴の首に巻き付いているグルムも反応し、 目をぎょろつかせている。怪獣達を駆り立てて止まないものは、最早死への渇望でもなければ、停滞しきった命 に対する苛立ちでもなければ、承認欲求でもない。

「好奇心」

 グルムとジャコツを通じて真琴の思考を掠め取ったのか、羽生は言った。姉がそうであるように、彼もまた 怪獣と通じ合える体質を持ち合わせていた。エ・テメン・アン・キの一件がなければ、彼自身も知る由もない 事実だった。だが、姉の久美ほどは冴え渡っていないので、なんとなく感じ取れる程度だそうだ。

「アトランティスが地球に戻れた動機も、アマノウキフネが地球と火星を行き来出来ているのも、そのために必要な 惑星間航行光子力超空間――――要は護国怪獣の光線と同じものなんだが――――をモノリスが開いてくれるのも、 知らないことを知りたいという欲求があるからだ。金星のムー、木星のパシフィカ、土星のメガラニアと黄金時代 より以前に地球から旅立った大陸怪獣達がアトランティスに応えてくれるようになったのも、モノリスが彼らの存在 を認知して座標を特定出来るようになったのも、何かを知りたいという衝動に突き動かされているからだ。この僕も 真琴君も例外ではないだろう。前に進みたいと思うのは、見たことのない景色が見たいからだ。心惹かれる相手に 触れてみたいと思うのも、その相手を知りたいが故だ。彼らもまた、そうなんだ。それだけのことだよ」

 羽生は身を翻すと、灰皿にタバコを押し付けて火を消した。

「仕事の話はまた後だ、真琴君。ひとまずは長旅の疲れを癒しに行こうじゃないか、真横浜に」

「妙にデカいビルと観覧車があるところですか」

「そう、それ。満月と螢が火星に来た時に連れていってやろうかと思っているんだけど」

「観覧車には付き合いませんからね、ビルの足元の中華街は行きますけど」

「この僕にもそんな趣味はないよ。大体、火星の景色なんてどこも代わり映えしないじゃないか。オリュンポス山と マリネリス大渓谷、あとは広大なる火星の大地。それだけだ」

「あのビルも最上階が展望台なんですよね」

「そうなんだよ。中身は商業施設とホテルでね、火星の楼閣怪獣が張り切って成長しすぎた結果があれなんだよ。 七十階建てで全長296.33メートル、三〇〇メートルにあと一歩至らないところは光の巨人に対する畏怖が 抜け切っていない証拠だ。だが、時間が経って畏怖が薄れれば、更に成長するだろう」

「ランドマークとか言う名前でしたっけ、あいつ」

「見たままの名前だけど、解りやすくていいじゃないか。何より、バベルの塔ほど悪趣味じゃない」

「それは言えています」

「あの歌は、こっちの横浜でもよく耳にするよ。狭間君がツブラの歌と地球の緑の丘を合成した歌と、ツブラが地球の 緑の丘の歌詞に怪獣言語を交えて狭間君へのラブソングにしてしまった歌を、怪獣達なりに歌っているという、 ややこしいこと極まりない歌だけどね」

 さあ行こうじゃないか、と羽生は真琴を基地から連れ出した。火星怪獣を動力源とした車に乗り込み、火星怪獣達 が這いずって整地してくれた道を走っていく。アトランティスの破片は火星の至るところに散らばっていて、居住臓器 がある破片の中には街が出来上がりつつつあり、最も大きいのが三番目の破片の中にはアトランティス本体のそれに 準じる大きさの居住臓器があった。それが真横浜である。そこは氷室千代を始めとした火星残留者が住まう場所 であり、望郷の念よりも重たいものを抱いた人々が穏やかに過ごしている。彼らが見い出した生き方を阻むもの はなく、人間に寄り添って生きると決めた怪獣達を妨げるものもなく、神話に戒められた怪獣もいない。
 新たな時代の幕は上がり切っている。




 弟から、注文した品と共に手紙が届いた。
 穀物と香辛料と調味料と生活用品と店の経営に欠かせない品々と、それからプロレス雑誌のバックナンバーだ。 月面基地で手に入る品物もあるのだが、輸送費やら何やらで値段が跳ね上がっているので、ただでさえ乏しい店の 売り上げが綺麗さっぱり吹っ飛んでしまう。なので、真琴に送金して代わりに買い付けてもらい、月まで送って もらうのだが、どうしても手に入らないものもある。ゴールデンバットのボックス、二カートンだ。
 となると、当分は別の銘柄のタバコでやり過ごすしかない。狭間真人は木箱十箱分の荷物を整理していたが、 肩越しに伸びてきた赤い触手が手早く選り分けていったので、作業は早々に終わった。振り返ると、得意げな笑みを 浮かべているツブラが薄い胸を張っていた。アイロンの効いた白いワイシャツと短いエプロンを付けていて、青白い 肌を布地で覆っている。狭間が撫でてやると、ツブラはしゅるりと触手を波打たせ、狭い店内を巡る。

「マヒト、マタ御仕事?」

「真琴も大概だな、政府と軍の命令は突っぱねるからってわざわざ私用の手紙に紛れ込ませて送ってきやがった。 仕事熱心なのは結構だが、ちったぁ手段を選んでくれ」

「マヒト、御仕事、ドンナノ?」

「五年以内に木星と土星との間に光子力航路を確立させるために怪獣共の御機嫌を取れ、だとさ。金星のムーに ちょっかいを出したら、えらい目に遭わされたことをもう忘れたのかよ。金星人類と金星怪獣達は俺達の事情を 解ってくれたが、ムーはそうじゃなかったからな。向こう五百年はそっとしておいてくれ、と言われたしな」

「金星、ダメ、ダカラ、木星?」

「たぶんな。木星はガス玉だから手出ししようがないが、デカい衛星があるから、そいつをどうにかするつもり なんだろう。といっても、そこにもまた怪獣がいるだろうしなぁ。そいつらが俺の話を聞いてくれるとは限らないし、 ムーみたいに気難しかったら木星まで行くだけ無駄だし」

「ウン。木星、凄ク、遠イ」

「というわけだから、引き受ける気はない。報酬は七桁だが、それでも割に合わない。真日奔と国連から月の定住権と、 レムリアから空気と水を供給される権利をもらうために手当たり次第に政府と軍の仕事を請け負ってきたが、それも 全部済んだことだしな。その報酬を使って税金も五十年分は先払いしておいたし。そっとしておいてほしいから、 辺鄙なところに住んでいるっていうのになぁ」

 狭間は弟からの手紙を折り畳み、エプロンのポケットに入れた。古代喫茶・ヲルドビスのウェイターの制服と大差 のない格好で、黒いベストにスラックスに丈の短いエプロンを付けている。髪は一度短くしたのだが、レムリアに髪 を与えたことを切っ掛けに、怪獣達が狭間の説得に応じる代わりに髪を欲しがるようになった。なので、今も半端な 長さに伸ばしている。ついでに言えば、長い方が好きだ、とツブラに言われたからでもある。

「しかし、さっきから怪獣共がうるさいな」

 木星と通じ合えることは、怪獣にも大事なのだろうか。

〈ハザママヒト、木星には是非行くべきだわ〉

 レムリアである。それから、ウワバミも語り掛けてきた。

〈俺も同感だ。ハザママヒト、モノリスの同族が木星にいるみたいでな。この間から、木星から怪獣電波がびしばし 飛んでくるんだ。モノリス共は俺達を観察しているだけで満足しているから問題はないんだが、モノリス同士の会話 の頻度が上がったから、パシフィカの気が立っているんだ〉

〈自分の頭越しに会話をされているようなものなのよ〉

〈しかも、それが聞き取れないと来たもんだ。意味が解るならまだマシだが、解らないとなると余計に苛々する〉

〈パシフィカは大人しい性分の大陸怪獣ではあるけど、まかり間違ってモノリスに突っかかったら……〉

〈モノリスも物静かな怪獣だが、だからこそ末恐ろしいからな〉

 レムリアとウワバミの語気こそ穏やかだったが、要するに脅しだった。今、お前が動かなければまた大変なことに なるぞ、それでもいいのか、と。人の良心に付け込んでくるのだから、つくづく怪獣はタチが悪い。狭間が渋い顔 をしていると、ツブラが寄り添ってきた。

「木星、行クノ?」

「あっちから来てくれたら手間が省けるんだがなぁ。でもって、店に来てくれて売り上げに貢献してほしい」

「怪獣、オ茶シナイ」

「だから、怪獣と一緒に人間が来てくれたらいいんだよ。ただの道楽じゃない、俺は真面目に仕事をしているんだ」

「マヒト、退屈、ダカラ」

「それもあるけどな」

 狭間は狭い店内を横切り、窓から月の空を見上げた。ツブラもその隣で窓に貼り付き、月から離脱していく怪獣列車 に合わせて目線を動かしていく。アマノウキフネが火星から戻ってくるまでの間は、地球と月を繋ぐ交通手段は怪獣 列車だけとなる。その乗客は、月面基地の管理維持を行う兵士を覗けば百人足らずであり、純喫茶・ハザマの存在を 知る者はほんの一握りだ。となれば、当分の間、店は閑古鳥が泣き喚くことだろう。
 純喫茶・ハザマの客の入りが悪い理由は、山ほどある。いかんせん運賃が高すぎて月を訪れる人間の絶対数が少ない ことと、最寄りの大陸怪獣レムリアは怪獣中毒患者と変異型感染症患者の保養地と化しているため、まともに飲食 出来る状態の人間はほとんどいないからだ。それでも店を開き続けているのは、症状が緩解した元患者達が やってきては狭間の淹れるコーヒーや料理を心底喜んで食べてくれるからだ。レムリアに定住している砂井久美 とウワバミも月に二三度は顔を出してくれて、話をしていってくれる。それから、真琴も出張で月を訪れた時に 顔を出してくれる。羽生や玉璽近衛隊の面々も様子を見に来てくれる。そして、海老塚甲治もいつか店に来ると 約束してくれた。だから、店を閉めたいと思うはずがない。
 十年前、二十四歳の頃、人の子にしてソロモン王たる狭間真人は月に居を据えた。レムリアに作ってもらった居住区 をツブラや怪獣達と共に開拓し、雑に作られた家をまともに住めるように造り直し、畑を耕して作物を実らせ、水と 空気が循環するように整備し、住み心地が良くなるようにとひたすら働き続けた。その甲斐あって生活は安定し、 狭間とツブラの夫婦生活も順調なのだが、それだけでは物足りなくなった。だから、古代喫茶・ヲルドビスを真似て 純喫茶・ハザマを始めたというわけだ。もっとも、ヲルドビスほどメニューは豊富ではないが。
 手狭なカウンターの奥には台所を少しばかり拡張した厨房があり、月の石を切り分けて研磨して造ったテーブルと 椅子が並び、年代物のテレビとラジオが隅に据えられ、本棚には十年分のプロレス雑誌のバックナンバー、鮫淵と アプスーの怪獣観察記、光の巨人に関する出来事を記した本、鳳凰仮面の漫画本、メソポタミア神話に関する 本、そしてシャンブロウ。神話時代は終わったが、その時代が在ったという事実までは消せない。だから、敢えて それを知ることにした。全てが終わった今ならば、神話時代に負の感情を抱かずに済むからだ。
 その棚の最上段には、写真立てがずらりと並んでいる。十三年前、南極に旅立つ前に撮った記念写真、ツブラとの 結婚写真、純喫茶・ハザマの開店記念写真、毎年の結婚記念日ごとに撮った夫婦の写真。狭間は年月と共に確かな 年齢を重ねているが、ツブラの外見は全く変わっていなかった。

「うぉあ……」

 あの人が超日奔プロレスを旗揚げしたのか、おおすげぇ、なんてエグい技だ、などと独り言を漏らしながら、狭間は 三ヶ月分のプロレス雑誌を読み耽った。怪獣達が電波を拾ってくれるので、地球で放映されているテレビ番組を 月面でも見ることは出来るが、紙面には映像よりも遥かに濃密な情報が詰まっている。月でも興行してくれない かな、それはさすがに無理かな、と思いつつ、狭間は常人達のプロレスと怪獣人間達のプロレスを味わった。最近は 怪獣同士の取っ組み合いもプロレスにカテゴライズされているらしく、怪獣プロレスと銘打たれた特集が組まれて いた。トップを飾るのはガニガニとバンリュウで、電流を撒き散らしながらぶつかり合っていた。

「マヒト」

 狭間が読み終わった頃合いに、ツブラが寄り添ってきた。

「ん」

 肩越しにツブラの頬に頬を摺り寄せ、狭間はその触手に指を絡める。

「オ届ケモノ」

 ツブラが店の玄関を指し示すと、サンダーチャイルドがのっそりと入り込んできた。月面基地とレムリアの間を行き来 して荷物を運んでいる怪獣である。彼は丸く膨らんだ頭部を開き、中に詰め込んでいた荷物を吐き出すと、触腕を 振ってから早々に出ていった。レムリアにも届け物があるのだそうだ。

「ちったぁゆっくりしていってもいいんだぞ?」

 ドア越しに狭間が話しかけると、怪獣電波が返ってきた。

〈ありがとう、ハザママヒト、次は一休みしていくよ。それを受け取るかどうかはハザママヒト次第だけどね〉

「真面目だなぁ、お前は。それで、今度はなんなんだ」

 サンダーチャイルドの粘液が少し絡んでいるビニールを剥がして細長い箱を開き、狭間はにやけた。

「ツブラ、ちょっと遠出するぞ」

「マヒト、現金」

 ツブラが唇を尖らせたので、狭間はそれを人差し指で塞いでやる。

「怪獣共が欲しいものを寄越してくれたんだ、応えてやらなきゃな。最初からそうしてくれたらいいんだよ」

「ムゥ」

「パシフィカに話を付けたら、すぐに戻ってくる。そしたら、飴湯を作ってやるから」

「ソレダケ?」

「俺も喰わせてやるから」

「モット」

「それ以上、言わせる気か?」

 ここから先は、怪獣電波も言葉もいらない。狭間はゴールデンバットのカートンをテーブルに放ると、永遠に幼い 妻を抱き寄せて唇を塞ぐ。ツブラは触手を波打たせたがすぐに鎮め、自分の体を浮かせるだけに留めた。触手と粘膜、 舌と粘膜を合わせてから身を離すと、ツブラはちょっと気恥ずかしげに目を伏せる。

「さあて、俺は何をすればいい?」

 太陽系にあまねく怪獣達へ、そして目の前の愛すべき伴侶へと問い掛ける。すぐに四方八方から答えが返ってきた ので、大陸怪獣パシフィカの怪獣電波だけを得るために、カウンターの奥の戸棚からメーを取る。それをタバコ 代わりに銜えてから、狭間はエプロンを外して背中にかぐや姫が刺繍されたスカジャンに袖を通した。ドアの看板 をひっくり返し、《本日休業》にしてから、シビックに乗り込んだ。彼もまた御多分に漏れず怪獣由来の金属で 出来ているので、狭間とツブラと生活を共にする間に成長し、小型の居住臓器とでも言うべき生命維持装置となる 器官が備わったばかりかドアの気密性が格段に上がった。要するに宇宙に適応したのだ。だから、月面を移動する 際には足として重宝しているし、今回のように宇宙へと出かける用事がある時は不可欠だ。
 シャツとエプロンを脱いだツブラはボンネットに入って蓋を締め、内部の隙間を通じて運転席へと触手を伸ばして きた。純喫茶・ハザマの前に並んだ怪獣達が青い光を放ち、遥か彼方へと繋がる扉を開く。新品のゴールデンバット の封を切ると、狭間はタバコを銜えてからイグニッションキーを回してギアを切り替え、アクセルを踏んだ。
 闇が開けた先には、木星が浮かんでいた。




 声が聞こえる。
 そして、歌が聞こえる。
 となれば、まずはこちらの話を聞いてもらわねばなるまい。


 怪獣共よ。話を聞いてほしければ、まずは人の話を聞け。






THE END.....




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あとがき