横濱怪獣哀歌




埠頭トイウ名ノ荒野



 だが、しかし。

〈あのバイクの子、あなたが持ち主だって叫んでいたわよ!〉

〈あいつが走り回っているせいで同型の俺まで疑われて迷惑してるんだ、なんとかしろ!〉

〈早く捕まえてあげないと、そのうち人間にぶつかって大変なことになるぞ!〉

〈自我が剥き出しってことは、あのバイク野郎は未洗礼の違法製造なのか? 最低だな〉

〈どうしてそんなバイクに乗っていた人の子が、天の子を守っているんだ?〉

〈お前みたいな無責任ではした金を惜しむ奴がいるから、洗礼を受けた怪獣が割を食うんだ〉

〈幅寄せされたら幅寄せし返して、海に落としてやろうかなっ〉

〈いや、俺はあいつと市街地でレースをしてみたい。人間を乗せていないからだろうが、走りにキレがある〉

〈これだから車に入れられた怪獣って嫌い、野蛮なんだもの〉

〈自由だなあ……。タイヤがある機械は羨ましいなあ……〉

〈それにしても、あのステッカーはダサいわ〉

〈銀のタンクは綺麗だけど、赤のフレームはちょっと下品〉

 という具合に、怪獣達が言いたい放題言ってくれた。横浜市内の怪獣達の間では狭間の立ち位置と素姓と能力が すっかり知れ渡っているため、街に出て少し歩いただけで文句の嵐を浴びせられた。その際に怪獣達がエンストを 起こしたり、過熱しすぎて調理中の食材を焦がしたり、風呂を煮え立たせたり、変なタイミングで信号を点滅させて しまったりしたので、人間達が迷惑を被っていた。
 そのせいで、横浜市内はお化けバイク騒ぎだけでなく、お化けバイクが引き起こしたとされている超常現象に よって軽いパニックに陥っていた。そのせいか、街中で見かけるバイクの台数が減り、代わりに怪獣エンジンを 使わずに済む自転車の台数が増えていた。そうなると、今度は持ち主に見限られたのではないかと絶望した怪獣達 がバイクのエンジンを震わせて泣き叫ぶので、騒がしいことこの上なかった。
 いつになく数が多い怪獣達の声と、お化けバイクの持ち主が自分なのではないかという不安で、狭間はストレス 由来の頭痛に苛まれていた。仕事をしている最中は気が張っていて、顔を作っていられたのだが、バックヤード に引っ込んだ途端に頭痛がぶり返してきた。狭間は賄いのチキンライスを口にしたが、頭痛のせいか、いつもよりも 味覚が鈍っていた。だが、食べなければ持たないので胃に詰め込み、野菜コンソメスープも流し込んだ。

「そうは言うがな、俺にどうしろってんだよ」

 じゃれてきたツブラをあしらいながら、狭間は嘆いた。

「バイクを止めるにしても、そもそも止める方法がないだろ。昼間は見かけないってことは、その間はどこかに身を 潜めているんだろうが、どこにいるのかも解らないし、仕事があるから昼間は外に出られないし、人間の行動範囲と バイクの行動範囲は違いすぎるし、見つけたとしてもあいつを大人しくさせる方法なんてないだろ」

「ナイナイナーイ」

「ツブラを使おうにも、相手が悪すぎる。こいつの触手は便利だけど、万能ってわけでもないし」

「バンノー、チガウ」

「だよなぁ……」

 せめて、あのバイクが何の目的で走り回っているのかが解れば、手の打ちようがあるのだろうが。誰かその辺の 事情を知っている奴がいないかな、とちらりと考えたが、そんなに都合よく物事が運ぶわけがない。怪獣達が言う 通り、このままお化けバイクを放ったらかしにしておけば、暴走族と電柱とガードレール以外にも被害が及ぶことは 間違いない。狭間は食べ終えた器を洗い流してから、サングラスを掛けたツブラと目を合わせた。
 
「仕方ねぇ。夜の散歩に行くぞ、ツブラ。そう思えばまだ気は楽だ、ちびっとだけな」

「オモウ!」

 ツブラはその場でぴょんと飛び跳ねたが、その拍子に黒髪のカツラがずれて赤い触手が零れ出してしまい、泡が 付いたままの手でレインコートのフードとカツラを押さえた。黄色いビニールと人工毛髪の下に触手が戻っていき、 隠れたところで厨房の海老塚から声を掛けられた。

「御休憩中申し訳ありませんが、狭間君。私は今手が離せませんので、五番テーブルを片付けて頂けませんか」

「はい、すぐに」

 狭間はツブラの触手が完全に隠れたことを再度確かめてからエプロンを付け直し、店内に戻った。ツブラは名残 惜しそうだったが、お気に入りのかぐや姫の絵本を抱き締め、子供用の小さな椅子に腰掛けた。いつもは休憩時間が 終わる頃合いにツブラの用足しを手伝ってやるという名目でツブラを連れてトイレに行き、その中で喉の奥に触手を 突っ込ませて体力を捕食させてやるのだが、この分では少し時間が押してしまいそうだ。
 それまで大人しくしていてくれよ、と願いつつ、狭間は仕事に勤しんだ。




 夜行性の動物は日中は何もしていないから、夜中に活動出来るのだ。
 だから、一日働き通した狭間が眠たいのは自然の摂理であり、立ち仕事の疲れが手足にずしりと溜まっている のも当たり前なのであり、本音を言えば今すぐ帰って布団に潜り込んで眠りたかった。しかし、そうやって異変を 黙殺しようとしても出来ないし、目を逸らし続けていると、そんな自分にも嫌気が差してくるので、行動に出た方が 余程有益だ。とはいえ、やはり眠いものは眠く、狭間は欠伸を何度も飲み下した。
 溜まりに溜まった新聞をひっくり返し、ここ最近暴走族が事故を起こした現場を調べ上げ、そこに向かった。犯人 は犯行現場に戻ってくる、という刑事ドラマの御約束が怪獣にも通じるとは思えないが、他に手がかりらしいものは 思い当たらなかったからだ。ついでに言えば、フォートレス大神の徒歩圏内だったからでもある。
 夜の街に興味津々のツブラと手を繋いで歩いていき、事故現場の電柱に至った。コンクリート製の太い柱には、 バイクが激突した際に擦り付けられた塗料が生々しく残っていて、黒ずんだ筋はタイヤの痕だろう。電柱の足元には 虹色に光るオイルの染みがあり、石油の匂いがかすかに漂っていた。光源が街灯だけだと心許ないので、持参した 懐中電灯で事故現場を舐めるように照らしていると、ツブラが振り返った。

「ヌ」

「ぬ?」

 釣られて狭間も振り返ると、真夜中の住宅街に似つかわしくない爆音が轟いた。同時に車のヘッドライトと思しき 白い光線が入り乱れ、パッシングも相次いだ。急加速急発進を繰り返しているのか、排気音とブレーキ音がほぼ同時 に響き渡る。この狭い道で何をやってんだか、と狭間は呆れつつも、素人判断の現場検証を続行しようと電柱に 向き直った直後、排気ガスを伴った暴風が吹き荒れて狭間の髪を乱した。

〈見ぃ〉

 擦れ違い様に聞こえてきた怪獣の声には、嫌というほど聞き覚えがあった。

「まさか……」

 恐る恐る振り返ると、路地を一周してきた高速移動物体はまたも狭間の背後に接近し、通り過ぎる。

〈つぅ〉

 ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ、と悲鳴じみたスキール音を立てながらほとんど真横に車体を倒した物体は、更にもう 一度路地を一周してきて狭間の背後に迫り、またも通り過ぎていく。

〈けぇたああああああああああ!〉

「何をだよ」

 排気ガスと粉塵にまみれた狭間がぼそっと呟くと、またも一周した後に高速移動物体は叫ぶ。

〈俺はお前のバイクであって伝言を仰せつかったからこうして直に接して伝えようとしているのだがあああああああ〉

 またも一周。そして絶叫。

〈一ヶ谷から横浜に向かう道中で山越えした時にぃいいいいいいいいいいい〉

 またも一周、そして絶叫。

〈ブレーキが壊れたあああああああああああああああ……〉

 馬鹿か、お前は。狭間はそう言いかけたが、ぐっと堪えた。お化けバイクが早々に見つかったのは呆気なさすぎると 思わないでもなかったが、バイク自身も狭間を探していたようなので、見つけ合うのは当然と言えば当然だ。しかし、 このままではろくに話も出来ないので、狭間は対向車がないことを確かめてから、ツブラを反対側の歩道に行かせて 触手を伸ばさせた。それを引っ張ってバイクのハンドルの高さに張り、バイクが一周してくるのを待った。
 十数秒後、狭間の目論見は成功し、ライダーのいないお化けバイクは赤い触手に引っ掛かってつんのめり、宙を 舞った。大きく弧を描いたバイクはアスファルトに叩き付けられたが、それでも速度が落ちきらず、オイルと火花を 幾筋も引き摺りながら十数メートル移動した後に止まった。狭間はツブラの触手の丈夫さに感心し、ツブラを褒めて やってから、バイクに慎重に近付いた。見るも無残な姿に成り果てたホンダ・DREAM・CB750FOUR・K2は 前輪をからからと空転させていたが、後輪は力強く回転し続けていた。

「で、伝言って誰から頼まれたんだ。ムラクモの爺様か?」

 バイクの傍に屈み、狭間が問いかけると、バイクはぶおんとマフラーを震わせる。

〈あー……やっと落ち着いた……。体中ギシギシ痛いけど……。伝言の主はムラクモの爺様じゃないぞ。ムラクモの爺様 は何かごちゃごちゃと言っていたが、それは本題とは関係ないし、俺もあんなのはいちいち覚えちゃいない〉

「じゃあ誰だ。横浜に行ってイナヅマから話を聞け、とムラクモの爺様から言われたが、当のイナヅマは光の巨人に やられちまったから、話が聞きようがないんだよ。今回もそうなっちまったら困るから、さっさと言ってくれ。あと、 伝言の主が誰だったのかも聞いておくよ。でないと、情報の出所も解らなくなっちまう」

〈うん、そうだな。俺もそんなに賢い方じゃないから、伝言を覚えておくだけで精いっぱいだった〉

「だから、さっさと教えてくれ」

〈ノースウェスト・スミスに会え〉

「ノースウェスト・スミス?」

「シミス?」

 聞いたことがあるような、ないような。狭間が同じ言葉を繰り返すと、ツブラも舌足らずに言った。

〈そうだ、そいつに会えばぁああああああっ!?〉

「どおしたぁっ!?」

 突如大声を上げたバイクは後輪を恐ろしい速度で回転させ、シャフトから煙を上げる。狭間はびくついて後退ると、 ツブラを背にして下がろうとしたが、先程住宅街の向こう側で暴れていた爆音の群れがこの道に突っ込んでくるや 否や、一直線に迫ってきた。ハイビームとパッシングの嵐が、狭間の足を釘付けにしてしまった。
 あ、俺、死ぬ。恐怖よりも先に死を確信した狭間が仰け反ると、先頭を走っていた車が急ブレーキを掛けて減速 し、寸でのところで停止した。機械油とゴムが焼ける匂いと排気ガスが混ざり合った熱い空気がぶわっと押し寄せ、 通り過ぎると、狭間は死が目前に迫った恐怖が目から脳に至り、脳から全身に浸透した後、絶叫した。

「おうおおあああああっ!」

 なんだこれなんだこれなんでこうなるんだよ。心臓が暴れ狂い、全身から冷汗が噴き出し、目眩すら起こしそうに なりながらも、狭間はツブラに支えられて踏ん張った。狭間の一メートル手前、いや、十数センチ手前で停止した 車はマツダのサバンナRX−7で、ボディカラーは赤だった。ワックスをたっぷり塗り込んであるのか、艶がいい。

「んあ?」

 サバンナRX−7の運転席から顔を出したのは、テラサキと呼ばれていたヤクザだった。

〈やあっとあのお化けバイクを追い詰めたかと思ったが、そいつの持ち主はお前だったのか、人の子〉

 サバンナがうぉんと威圧的に排気し、ヘッドライトを瞬かせる。

「あ、あの、いや、そのこれはなんていやもうなんともにんともかんとも」

 この状況で言い訳したところで、言い訳にすらならない。狭間は次第に語気を弱め、目を伏せた。

「兄貴、御知り合いですか?」

 ゴテゴテに改造された後続車から出てきた若い男がテラサキに尋ねると、テラサキは運転席から降りた。

「ちょっとだけな」

 次々に後続車から男達が吐き出されたが、どいつもこいつもろくでもない格好だった。剃り込み、パンチパーマは 当たり前、金髪にリーゼントにモヒカンにウルフカットと不良のオンパレードだ。服装もその筋のものばかり で、狭間が着ているスカジャンは見劣りした。浮いてはいなかったが。
 お化けバイクに煽られて事故を起こした暴走族の仲間と思しき男が狭間に殴り掛かろうとしたが、テラサキが手を 上げて制するとすぐに引き下がった。他の暴走族達も狭間への敵意と攻撃衝動を剥き出しにしていたが、テラサキが 一瞥しただけで黙り込んだ。だが、そこに善意は微塵も感じられなかった。テラサキは軽い足取りで狭間に近付いて くると、不躾に顔を寄せてきた。狭間よりも頭一つ分背が高いので、見下ろされる格好になる。

「ぃよお、バイト坊主」

「……どうも、こんばんは」

「そのバイク、お前のだったのか。だったら、早く言ってほしかったぜ」

「すいません、俺、あの」

「御嬢様にはああは言ったが、俺はこいつらとつるんで走り回るのが好きでねえ」

「あの、俺、もう」

「どうオトシマエ付けてくれんだよぉ、ぁああっ!?」

 テラサキは狭間の頭を掴んで押さえつけ、耳元で怒鳴る。怪獣の声も聞こえなくなるほどに。

「事故った連中はなぁ、この俺が目を掛けて可愛がってやってんだ! 若衆に引き入れるつもりだった奴もいたん だよ! それをだぁ、お前の屑なクソバイクが台無しにしやがってよぉおおお! どうしてくれんだぁ!」

 どうしろと言われても、どうにもこうにも。首の痛みと爪を立てられている後頭部の痛みと鼓膜の震えで更に 恐怖が煽られたが、その一方で変なところが冷静だった。狭間の足にしがみついているツブラは小刻みに震えて いて、レインコートの裾から触手が零れ落ちている。諸悪の根源であるバイクは後輪を空転させ続けている。

〈よっちゃん! 俺、この馬鹿バイクとレースしてぇ!〉

 鋭くも野太いエンジン音が高ぶり、誰も乗っていないサバンナがヘッドライトを点滅させた。すると、テラサキの手 が緩み、狭間は解放された。熱したボンネットを軽く叩いたテラサキは、唐突に笑い出した。

「そうか、お前はこいつが気に入りやがったのか! げひゃははははははははは!」

〈走りてぇんだよ、俺は! 俺の相手になれる奴はほとんど潰しちまったが、そいつはまだだ!〉

「よぉし、埠頭でレースすっぞ。無論、俺が勝つんだけどな」

〈え? 峠道じゃないのか? 俺は峠道の方が燃えるんだけどなぁ〉

「こいつも埠頭が気に入っていやがるからな。で、そこで、あのバイト坊主に落とし前を付けさせる」

 テラサキが狭間を指すと、暴走族達はわあっと沸き立って派手な改造車に乗り込んでいった。テラサキも怪獣の声が 聞こえるのかと思ったが、すぐにそうではないと気付いた。テラサキは当てずっぽうでいい加減なことを言って いるだけだ。安堵と落胆の両方を一度に感じたが、それを上回る恐怖に駆られた狭間は、出来れば逃げ出したくて たまらなかったが、バイクがそうはさせてくれなかった。独りでに起き上がり、狭間とツブラを乗せて走り出して しまったからだ。なんとかハンドルを掴んだが、握力が乏しく、何度も振り落とされそうになった。
 急加速と急発進の連続で気を失いかけた頃、山下埠頭に到着した。





 


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