横濱怪獣哀歌




流レニ伴ワレヨ



 愛歌から渡された服を着たら、警備員が出来上がった。
 狭間はサイズが微妙に合わない紺色のジャケットの襟を正し、学生帽とは形が違う紺色の帽子を被り、ネクタイ と白手袋を付けてから、鏡に映る自分の姿を眺めた。あまりにも馴染みがない服装なので違和感しかなく、似合う 似合わない以前の問題だった。半笑いになりながら、狭間は帽子を外す。

「愛歌さん、なんですかこれ」

「見ての通りよ」

 化粧を整え直した愛歌は、スーツのジャケットに袖を通した。

「これから警備員の仕事をしてもらうからよ、狭間君に」

「俺、バイトから上がってきたばっかりなんですけど。で、夕飯食べ終えて、これから銭湯行って寝ようっていう気分 になっていたところなんですけど」

「日当十万。即日払い」

「やりますやらせて下さい御姉様」

 ただでさえ少ない給料が底を突いてしまっていたので、渡りに船どころか豪華客船である。だが、これまでの経験 からして、おいしい話には裏がある。ないわけがない。即答した直後で断るべきだったと後悔した狭間が、恐る恐る 愛歌を窺うと、愛歌はにんまりと赤い口紅を引いた唇を弓形に曲げる。

「言ったわね? やるって言ったわね、言質は取ったからね、あとで書類にもサインしてもらうからね?」

「ネ?」

 勝ち誇る愛歌と苦い顔をした狭間を見比べ、ツブラが不思議そうに首を傾げる。

「それで、俺は何をすればいいんですか?」

「なあに、簡単なことよ。怪獣を懐柔してもらいたいの」

「それって……」

 冗談にしては下手すぎます、と言いたかったが言えず、狭間は愛歌に促されるままに支度を整えた。ツブラの 支度も整えてやってから、愛歌のオレンジのシビックに乗り、いずこへと運ばれた。だから、愛歌さんは今日に 限って晩酌しなかったわけだ、と納得しつつも、狭間は愛歌と目の前の現金に逆らいきれない自分を恥じた。それも これも貧乏が悪いのだと開き直った狭間は、後部座席でツブラを構ってやりつつ、現場への到着を待った。
 発電怪獣のいない横浜の夜景は控えめだった。




 三浦半島、城ケ島。
 愛歌のシビックは城ケ島公園の駐車場で停まったが、その駐車場には消防車両や警察車両がびっしりと停まって いた。官民が入り乱れているらしく、警察官かと思いきや狭間と同じく警備員の格好をした人間が多かった。公園の 一角にある公衆電話には行列が出来ていて、入れ代わり立ち代わり、どこかに電話を掛けている。愛歌はそんな 彼らを尻目に、足早に歩いていく。愛歌に手招きされたので、狭間はツブラの手を引いて人の群れを摺り抜けていく。 見知らぬ人間が紛れ込んだことで騒ぎになりやしないかと冷や冷やしながら、愛歌を見失うまいと追いかけた。
 公園の遊歩道の終着点である広場に至ると、愛歌の足が止まった。そこで、狭間は愛歌が自分に何をさせるため に連れてきたのかを一目で理解した。中型と大型の中間程度の規模の怪獣が、三浦半島と房総半島の間にある 浦賀水道の入り口でとぐろを巻いていた。ムラクモに似た形状の龍型怪獣で、前足には爪が五本生えている。龍型 怪獣の上空ではヘリコプターが行き来していて、複数の小型船舶が龍型怪獣を取り囲んでいる。

「あの怪獣……動かないんですか?」

 狭間が龍型怪獣を示すと、愛歌は腕を組む。 

「動かないというか、動けなくなったというか。立ち往生しちゃったのよ、急に」

「そりゃまたどうして」

「それを聞き出してもらいたいから、狭間君を連れてきたんじゃないの」

 愛歌はローヒールのパンプスのままで歩きづらそうな岩場に降りていったので、狭間はそれに続いた。外見通り に足腰が弱いツブラが転んでは大変なので、ツブラは肩車してやった。愛歌は意外とバランス感覚が良いらしく、 狭間の心配を他所に暗闇の岩場を軽く歩いていく。対する狭間は何度か転びそうになり、ツブラの触手の助けを 受けながら、やっとのことで愛歌に追いついた。
 白い灯台が立っている岩場の先端に辿り着くと、先客がいた。狭間はぎくりとしたが、灯台の光によって相手の顔 が解ると緊張が緩んだ。二人連れの正体は、ありとあらゆる悪感情を隠そうともしていない羽生鏡護と、それとは 対照的に感情というものを一切顔に出していない鮫淵仁平だった。どちらも国立怪獣生態研究所から出てきたまま の恰好なのだろう、夜の海には場違いな白衣を着ている。

「やっと来たね。この崇高にして聡明であり壮麗な僕を待たせるとは、万死に値するね」

「あ、えと、気にしないで下さい。光永さんも御仕事があったし、狭間君も御仕事があったから、来るのが遅れた のは無理もないっていうか。羽生君も解っているけど、なんか、もう、こういう病気なんで」

 鮫淵のフォローにすらならないフォローに、羽生は顔をしかめる。

「じゃあ構わないでくれる? この絢爛たる才能の権化である僕を」

「はあ、どうも、こんばんは」

 二人に若干気圧された狭間が曖昧に挨拶すると、羽生は狭間に詰め寄ってきた。

「一から十まで説明するだけ手間と時間とこの僕の脳細胞の無駄遣いだから、結論から述べようか。あの怪獣は、 イナヅマ亡き後の横浜で発電怪獣として働くために輸送されていたんだが、その途中で急に止まってしまったんだ。 怪獣使いは次の予定があるからと言ってすぐ引き上げてしまったし、その上、こちらからでは怪獣使いに連絡の取り ようがないんだ。怪獣使いと綾繁一族を管理、維持しているのは、怪獣監督省じゃないからね。だが、我々には、 あの怪獣を動かす手立てがない。牽引用の大型怪獣船舶も手配出来ないし、出来たとしても、東京湾の外側から 来たら手の打ちようがない。中に引っ張り込まないことには、どうにもならないからね。だから、君にはあの怪獣 を動かしてもらいたい」

「無理です!」

 狭間が力一杯即答すると、鮫淵は少し表情を変えたが、笑みなのか苛立ちなのか判別しづらいものだった。

「出来なくても、してもらわないと困るっていうか。場所が最悪なんですよ、あの位置」

「浦賀水道の入り口に陣取られちゃったから、タンカーや客船が出入り出来なくなっているのよ。実際、あの怪獣の 牽引が滞っているせいで、この辺の海域には東京湾内に入る予定だった輸送船が溜まりつつあるのよ。その船が 到着しないと物資が搬入出来ず、搬入出来なければ物流が鈍り、店に商品が行き渡らなくなり、当然ながら個人にも 行き渡らなくなり、さあ大変。大損害よ!」

 愛歌に迫られ、狭間は仰け反り、たたらを踏む。

「そんな大事を一般人に任せようとしないで下さいよ!」

「マー」

 ツブラは狭間の足にしがみつき、龍型怪獣をじっと見つめる。

「まあ、それが当然の反応といえば反応だけど、その、僕の私見ではあるんだけど」

 大柄な体格に見合わない気弱な仕草で、鮫淵は背を丸める。

「綾繁一族は、狭間君を試すつもりでいるんじゃないだろうか、っていうか。狭間君の存在を把握しているわけでは ないかもしれないけど、怪獣使いの他にも怪獣を操れる人間がいるってことは感付いているようだから……」

「……はい?」

 狭間は呆気に取られたが、羽生は同僚の意見に同意する。

「ああ、そうだねぇ。この僕も似たようなことを考えてはいたよ、不名誉極まりないことではあるけどね。綾繁一族は 狭間君の能力までは把握していないだろうが、タテエボシの一件でシャンブロウの傍に人間がいることを察知して いる可能性が高い。この僕だけでなく、根暗サメ男までもが呼び出されたのがその証拠だ。根暗サメ男は上手い具合 に焦点をぼかして、光の巨人とタテエボシが接近したことを書きはしたが、シャンブロウがどこから出てきたのか までは書かなかった。だが、それが逆に相手に確信を与えてしまったのだろうさ。隠蔽されている事実があること をね。この僕達はシャンブロウと光の巨人を研究対象にしているのに、そのシャンブロウについての報告が少ない のはいくらなんでも怪しすぎた。この僕が一度目を通しておくべきだったよ、根暗サメ男の報告書を」

「あ、まあ、うん、その、だけど、羽生君も良い機会だって思っているのも事実っていうか。口頭で信じたと言っても、 狭間君の能力については半信半疑っていうかで。僕もだけど。あの夜の出来事にしても、偶然の域を出ないというか。 だから、目の前で実証してもらいたいんだよ。君が本当に怪獣と通じ合えるのか」

 鮫淵の眠たげな瞼が上がり、狭間を強く見据えてきた。羽生はそれを否定しようともしなかった。

「それもあるにはあるけどね。何にしたって研究の一環には変わりないよ」

「そうですか。解りましたよ、やるだけやってみます」

「意外と反応は穏やかね、狭間君。結構ひどいことを言われたのに」

「自分がどういうものなのか解っているから、開き直っているだけですよ」

 狭間は苦笑いし、やり過ごした。そう思えるようになったのは、高校生の頃、一ヶ谷市内の映画館で三ヶ月遅れで 上映されたアメリカンコミックスのヒーロー映画を見たおかげである。その当時、狭間は怪獣の声が聞こえるだけ でしかない自分の力を疎ましく思う一方で、自分は他の人間とは違う、という下らない選民意識を抱いていた。思春期で あることも相まって、誰にも自分のことなんて解りはしない、解ってもらうものか、と妙なプライドも出来上がりつつ あった。が、友人に付き合って見たヒーロー映画では、特殊能力を生まれ持った主人公はヒーローとして活動する 一方で能力の大きさに苦悩し、科学者にはモルモット扱いされ、人助けをしても化け物だと恐れられ、世界を救って も誰にも認められず、能力で傷付けてはいけないと友人と恋人からも遠ざかり、孤独に生きる道を選んだ。
 その切ない結末が、思春期特有の肥大した自尊心と、能力を疎むくせに能力のない他人を見下していた、狭間の 心を真っ二つに切り裂いた。カルチャーショックですらあった。それからは、狭間は自分の能力を程々に認めると 共に偉ぶった気持ちを切り捨て、普通であることに努めた。その結果、まともではないが普通にはなれた。

「マー?」

 ツブラがちょっと心配そうに狭間を見上げてきたので、狭間はツブラを撫でる。

「良い子にしていろよ。あいつと話をするだけだ」

「マー、アレ、ヨウス、ヘン」

「変だから、俺が話を付けるんだよ」

 狭間は警備員の帽子を脱いでツブラに被せてから、龍型怪獣に向き直る。サーチライトで丸く照らされた海面 には、とぐろを巻いた長い体が没している。

「あの怪獣は洗礼済みですよね?」

「小笠原諸島の海底火山で孵化させられた直後に洗礼を与えられて、それ以降は印部島近海で養育されていたから、 それについてはまず問題はないわ。大型怪獣の卵ともなると、火山地帯から採掘された時点では中身が成熟 していないから、採掘された卵を海底火山に投下して孵化させて、人間と慣れさせながら大きくなるまで育て、 洗礼を与え、発電怪獣にするために本土に連れてくるわけだけど」

「聞きたいこととかあります?」

 狭間が三人に問うと、真っ先に発言したのは鮫淵だった。

「あ、えっと、その。自分の立場を知っているかどうか、というのを。あ、それと、あの龍型怪獣の名前はバンリュウに 決まったと報告があったんで、それを本獣に」

「了解です」

 狭間は一度深呼吸してから、感覚を研ぎ澄ませた。ヘリコプター、海上保安庁の小型船舶、駐車場に停まっている 警察車両と消防車両、その他諸々の動力源の怪獣達の声がざわざわと聞こえてくる。さざ波よりも大きく、それぞれの 意志と感情が宿った、無遠慮な思念が狭間の意識を掻き乱してくる。その中からバンリュウと名付けられた龍型怪獣の声を 探し出したが、それは最も小さく弱い声で、風前の灯火のように儚かった。

「お前がバンリュウだな」

〈……ぅ、うん。そんな名前になった〉

「なんでそんなところにいるんだ。お前、自分が何のために連れてこられたのか、解っているのか?」

〈わかってる、よぉ〉

「じゃ、なんで動かないんだ。動けないわけじゃないだろ?」

〈でも、やだ〉

「何が嫌なんだ」

〈だ……だってぇ……〉

「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ。でないと、俺でも解らん。ある程度ならお前達怪獣の感情も解る が、そっちの方は大したことないんだ。明言してくれないことには」

〈こわい〉

「怖いって、何が? 光の巨人だったら、今のところは出てきていないぞ」

〈きょうこうはが……いるぅ……〉

「強硬派って、ああ、あれか。九頭竜会のカムロとその手下の怪獣義肢共みたいな連中のことか」

〈こわい、こわいっ、ほんどはちあんがわるいからぁああああああっ!〉

 ぎゃおおおお、ぐぉおおおおお、ごぉああああ、とバンリュウは吼え始めた。ついでに暴れ出した。

「狭間君、バンリュウはなんて言っているの?」

 バンリュウの咆哮に耐えかねた愛歌は耳を塞ぎ、狭間に問うてきた。狭間は肩を竦める。

「要するに、おのぼりさんってやつです。本土は治安が悪くて怖いから行くのは嫌だ、って言ってます」

「強硬派って何だい」

 ああ凄まじかった、と顔をしかめる羽生に問われ、狭間は答える。

「この前、怪獣義肢になった怪獣とやり合っている時に知ったんですけど、怪獣にも思想があるんですよ。穏健派と 強硬派が主流だそうですけど、その二つの中でも更に細かく区分された思想があるとかで。で、バンリュウ。お前は その穏健派の方なのか?」

〈ぅ、うん。たぶん、そう、だとおもう〉

「だが、本土にいる怪獣が全部強硬派ってわけじゃないだろ? そこまでビビらなくても」

〈でも、やっぱりこわい、こわいこわいこわぁいいいいい!〉

 怯え切ったバンリュウがびたんばたんと尻尾を振り回すと、その度に大波が発生して小型船舶が水面に落ちた枯葉 のように揺り動かされた。このままでは船が転覆してしまいかねないし、ヘリコプターも墜落するかもしれないので、 狭間はバンリュウを宥めた。だが、パニックに陥ったバンリュウは狭間の声を聞こうとせずに暴れ続けた。思い切り 怒鳴り付けてやりたくなったが、迂闊に刺激すると被害が拡大するだけなので、狭間は我慢した。
 図体の大きい子供ほど、厄介なものはない。





 


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