横濱怪獣哀歌




流レニ伴ワレヨ



 ツブラに体力を喰わせ、レインコートと靴を脱がし、さあ巨大化だというところで。
 大柄な体格に見合わぬ敏捷さで駆け出した鮫淵がツブラを取り押さえ、巨大化を阻止した。何のつもりだと狭間 が駆け寄ろうとすると、羽生は狭間の肩を掴んで引き止めた。愛歌に助けを乞おうとするが、愛歌もまた羽生に 制止された。小さな体が膨張しようとする寸前で抑え込まれたツブラはひどく苛立ち、触手を繰り出して鮫淵を排除 しようとしたが、鮫淵には命中しなかった。それどころか、摺り抜けている。

「ああ、うん、大体解ったかも」

 鮫淵は触手の束を脳天に叩き付けられたが、摺り抜ける。だが、その体の下の岩場には当たって跳ね返る。

「ナニガ!」

 いきり立つツブラが喚くと、小さな体は淡く発光し、触手が縦横無尽に暴れ回る。

「質量保存の法則って知っているだろ、狭間君」

 鮫淵は牙を剥いて唸るツブラを尻目に問い掛けてきたので、狭間は言い返す。

「それとこれとはどういう関係があるんですか! ツブラを自由にしてやって下さいよ!」

「大いに関係がある。普通に考えれば非常識だと解るだろう、シャンブロウが巨大化するだなんて」

 愛歌と狭間の間に立ちはだかった羽生は、意味ありげに懐に手を入れる。

「怪獣は肉体を構成している分子の密度が人間のそれとは違って、炭素生物というよりも珪素生物に近いんだよ。 だけど、分子はれっきとした炭素なんだ。要するに、恐ろしく頑丈な石炭が怪獣の形になってこの僕達の目の前の 現れている、と言えばまあ多少は解りやすい。細部は違うけどね。それに、シャンブロウは巨大化する必要のない 生態系の生き物だ。他の生命体の体力を捕食して生きるのであれば、人間に近付きやすい人型を取るのは道理では あるけど、その形のままで巨大化する必要は全くない。むしろ、せっかく捕食した体力を浪費してしまう。実際、 狭間君はぶっ倒れるほど体力を吸われているしね。故に、この僕と根暗サメ男はこう考えた。巨大化しているのは シャンブロウではなく、シャンブロウが異空間から呼び出している同型の巨大怪獣なんじゃないか、ってね」

「意味が解りません」

 狭間がたじろぐと、羽生は狭間を一瞥する。

「異空間の存在については、既に実証されているじゃないか。マルス計画で宇宙怪獣戦艦が火星に到達出来たのは、 その異空間を通って航路をショートカットしていたからだ。月面行きの列車もそうだ。あれは異空間と通常空間 の隙間を滑り抜けて、大気摩擦を軽減して列車と乗客への負担を軽減している。だが、異空間と通常空間を行き来 するためには宇宙怪獣戦艦が持ち合わせた空間跳躍能力だけでなく、異空間にその宇宙怪獣戦艦が通れるほどの 空間を開けなければならない。要は注射器と同じだ、入れるためには中身を出さなきゃならない。その逆もまた 然りだ。この僕と根暗サメ男はシャンブロウが異空間から同型の巨大怪獣を呼び出しているという仮説を一旦は 切り捨てたんだが、シャンブロウが巨大化した前と後で横浜港の海底に変化がなかったとの報告があって、その 仮説を再検討してみることにしたんだよ」

「つまり、巨大化したシャンブロウが何度も踏んだはずの横浜港の海底には、シャンブロウの足跡も触手の痕跡も なかったっていうかで。タテエボシの足跡はしっかり残っていたんだけどね」

 鮫淵はやや語気を強め、赤い目を吊り上げて敵対心を滲み出しているツブラを眺める。

「そこで、僕は先程の仮説にもう一つ仮説を加えた。シャンブロウは光の巨人と対抗するために巨大化しているよう に見えるが、実際は同型の巨大怪獣を呼び出しているのであり、その巨大怪獣は光の巨人と同じ物質で構成されて いるのではないか、と。まあ、光の巨人も巨大化したシャンブロウも標本がないから、検証しようがないけど、そこ に行き着いちゃったっていうかで。で、その、巨大化する一歩手前のシャンブロウは質量がなくなっているというか、 こちら側に物理的接触を加えられない状態にあるようだし」

「光の巨人が現れていると、その辺のことを調べる余裕も何もないからね。偶然というものは実に素晴らしいねえ、 この素晴らしき僕が言うんだから間違いない」

 羽生が懐から出したのは、小型の無線機だった。

「まさか……それでバンリュウを?」

 愛歌が青ざめると、羽生は口角を上げる。薄い唇の間から、牙のような八重歯が覗く。

「大したことはしていないよ。発電怪獣なら必ず持ち合わせている電波受信器官に干渉する周波数で、少しばかり 刺激を与えてやっただけさ。もっとも、ここまで事が大きくなるとは思ってもいなかったけどね」

「あ、えと、検証したかったのは発電怪獣同士の互換性だったんですよ。イナヅマが消失した時に、東京湾内の発電怪獣 が一斉に電圧を変化させたので、発電怪獣同士は何かしらのネットワークを持っているとみて間違いないので、それを 今一度実証してみようってことで、その、バンリュウに刺激を与えてみたんです。そしたら、その、愛歌さんが狭間君と ツブラを連れてきたものだから、じゃあシャンブロウの方も……ってことで、はい」

 悪びれずに言い切った羽生と鮫淵に、狭間は狼狽する。

「愛歌さん、この人達こそ逮捕しないとダメですよ! もっととんでもないことをしますよ絶対に!」

「でも……必要なことではあるのよねぇ……。シャンブロウについてきちんと調べておかないと、いざという時に困る のは私達の方だもの。それに、二人が失職すると怪獣監督省の仕事も滞るし……。どうしようかなぁ」

 愛歌はこめかみを押さえて悩んでいたが、目を上げた。

「ま、いいか。見逃しても」

「何がいいんですか!」  

「よくないけど、広い目で見たらいいことなのよ。だから、はい、聞かなかったことにしちゃいましょ」

「だから何がですか!」

「お気遣いどうも、光永さん」

「あ、えと、どうも」

「どうもじゃないでしょうが、あなた方も!」

 変な流れに引き摺られてはいけないと狭間は食い下がるが、三人は狭間から目を逸らした。愛歌は本当に二人の 科学者がしでかしたことを見逃すつもりであり、二人の科学者もまた見逃されるつもりでいる。これでいいのか、 いやよくない、と狭間は妙な正義感に駆られたが、うだうだと話している間にもバンリュウはガニガニからお仕置き されていた。怪獣と怪獣のぶつかり合いは凄まじく、荒れ狂う大波が幾度も灯台に衝突しては弾ける。鬩ぎ合う両者 から漏れた電流が海面を青白く光らせ、二体の怪獣の姿をくっきりと浮かび上がらせる。

〈大人しく連れていかれなさーい!〉

〈いたいっ、いたっ、やだあああ〉

〈人の子とあんまり話し込んじゃいけません、変なことを教えられるから!〉

〈そんなことないもん、ぼくのはなしをきいてくれたんだもん〉

〈怪獣は怪獣同士でお話しするのが一番なんだよ、人の子は怪獣じゃないでしょ!〉

〈かいじゅうどうしでおはなししても、つまんないんだもん。むかしのことばっかりで〉

〈怪獣はとっても古いイキモノだし、怪獣は昔の話が好きなんだから仕方ないでしょ!〉

〈がにがにはきょうこうはだから、きらいっ〉

〈違うよ、僕はれっきとした穏健派だよ! だからこうして、バンリュウを迎えに来たんじゃないか!〉

〈だったら、ぶたないでよぉ〉

〈バンリュウが動かないから、こうするしかないんじゃないか!〉

〈いたくてもっとうごけなくなるよぉ〉

〈あーもう面倒臭ーい!〉

 聞いている方が面倒臭い。ガニガニの嘆きを聞き、狭間はうんざりした。バンリュウは押されれば押されるほど 腰が引けるタイプなのだから、力任せに引き摺っていこうとしたら逆効果なのだが、ガニガニはその逆効果の中でも 最も強烈な手段に打って出ている。ここに巨大化したツブラを介入させたら、余計に拗れるだろう。

「ツブラ」

「ウー」

 狭間がツブラに近付くと、ツブラは低く唸って触手をざわめかせる。その触手を押さえようとするが、狭間の手も やはり摺り抜けてしまう。腰を落として目線を合わせると、ツブラは怒りに任せて触手を狭間に巻き付けようとする ものの、これも手応えがない。中途半端な状態に陥ったせいで、ツブラの苛立ちに拍車が掛かっているようだ。

「いいから落ち着け。巨大化はなしだ」

「ナンデ!」

「巨大化したツブラは目立ちすぎるし、これ以上あの二人にちょっかいを出されたら困るし、後で面倒なことになるの は間違いない。だから、今はバンリュウとガニガニをどうにかする方法を考えなきゃならん」

「ダカラ、バンリュウ、ガニガニ、ナントカスル!」

「そうだ。でも、ツブラは大人しくしておいてくれ。ちょっと思い付いたことがあるんだ」

 狭間は横浜の方向を見定めると、暴れ続ける二匹の怪獣の騒音と声に負けない声で叫んだ。

「氷川丸! 聞こえるか!」

 遠く離れているが、聞こえるはずだ。以前、アパートの中から氷川丸と会話出来たのだから、きっと。そう信じて いたが、十秒、三十秒と間が空くと不安になってきた。呼びかけてから一分が経過しようかという時、応答があった。

〈……聞こえているわ、人の子の言葉も、その子達の騒ぎも〉

 狭間に届いた氷川丸の声色は、いつもよりも重たかった。怒りを抑えているからだ。

「船舶無線は使えるか?」

〈昔に付けられたものは取り外されてしまったけど、同じことは出来るわ。発電怪獣には劣るけど、私も結構な出力 のエネルギーを生み出せるから、それを電波に変換すればいいのよ。人の子が私にしてほしいことは解るわ、その子 達を横浜湾に誘導してほしいのね? ええそうするわ、言われなくてもそうするわ、大迷惑だから!〉

「すまん、手間を掛けさせて」

〈いいのよ。これ以上暴れられたら、怪獣の品位が落ちてしまうもの。……きついのをお見舞いしてやるわ〉

 ほほほほほほ、と氷川丸の魔女じみた笑い声が聞こえてきた後、灯台が点滅した。年代物の灯台は怪獣由来の 発光器官を使っているから、氷川丸が発した電波の影響を受けたのだろう。それは城ケ島だけではなく、浦賀水道 の対岸の灯台も点滅し、東京湾内の灯台も同様だった。波紋が広がるかのように光の輪が広がり切ると、今度は 太く長い汽笛が響いてきた。氷川丸のものだが、そこにいつものような穏やかさはなかった。

〈ぎゃっ〉

〈ひぃんっ〉

 バンリュウとガニガニは汽笛を聞くや否や、悲鳴を発して硬直した。バンリュウはガニガニに絡み付けていた体を 解き、ガニガニはバンリュウの尻尾を挟んでいた鋏足を緩め、離れた。二匹は顔を突き合わせて小声で話し合って いたが、再度汽笛が響くと、叱られた子供のように背筋を伸ばした。それから、二匹は半泣きになりながら横浜湾 に向かっていった。氷川丸の発した電波と汽笛の内容は、さすがに狭間でも聞き取れなかったが、宣言した通りに 余程きついことを言ったに違いない。来なくても叱るが、来なければもっと叱る、という具合のことを。

「仕事、終わりました」

 よろめきながら横浜湾を目指していく二匹の怪獣を指し、狭間は三人の公務員に向いた。

「ムゥ」

 巨大化しろと言われたのに巨大化出来ず終いで消化不良なのだろう、ツブラは頬を膨らませている。

「あらまあ」

 愛歌は喜ぶかと思いきや、困り顔になった。

「なんですか、その反応。言われた仕事をやっただけなんですけど」

 狭間がむっとすると、羽生と鮫淵は深刻な面持ちで相談し始めた。

「君、いくらまでなら出せる? この僕は細君に財布を握られているから、これが限界で」

「あ、えと、僕も色々と支払った後なんでこの程度しか……。いや、まあ、信じてはいたけど、まさか本当に出来るとは 思ってもいなかったから、その、準備不足で」

 日当十万の出所は二人の科学者の財布だったようだ。公務員がそんなことをしていいのか、とは思ったが、狭間はそれ を口に出しはしなかった。迂闊なことを言って、報酬をフイにしたくなかったからだ。

「一括じゃなくてもいいですよ」

 いくら公務員であろうとも、今すぐ十万を払うのは厳しいだろう。狭間が苦笑いすると、二人は再度顔を見合わせ、 それぞれの語彙で感謝を示してきた。羽生が口約束だけでは不確かだと言い、手帳から千切ったページに金額と期日 を書いてくれた。その紙切れと二人の財布に入っていただけの金額を受け取った狭間は、愛歌に向いた。

「帰りましょうか、愛歌さん」

「ええ、そうね、そうしましょう」

 歯切れの悪い返事をした愛歌は、荒波が落ち着いてきた浦賀水道に入ってきたタンカーを見やる。これで、明日は 滞りなく物資が流通するだろう。愛歌も狭間のことを信じているようで信じていなかったのだな、と察したが、それを 問い質しても関係がぎくしゃくするだけなので、狭間は何も言わずに元来た道を辿っていった。科学者二人は岩場に 留まり、専門用語を行き交わせて議論を交わしていて、その場から動こうともしなかった。二人にも帰った方がいいと 促したが、動き出す気配がなかったので、それ以上は構わなかった。どちらもいい大人なのだから、自力でどうにか するだろうと判断したからだ。
 帰りの車中、不機嫌極まりないツブラに触手を絡み付けられたが、狭間はツブラの好きにさせておいた。羽生と 鮫淵が言っていたことがどこまで正しいのかはまだ解らないが、ツブラが巨大化する理屈が解明されたらいい、とは 思った。そうなれば、謎だらけのツブラと少しは解り合えるような気がするからだ。
 ツブラもそう思っていてくれたら、嬉しいのだが。




 後日。
 山下公園で会った鮫淵に未払い分の日当をもらった後、狭間は氷川丸の元に向かった。もちろんツブラを連れて いった。入場料を払って中に入ろうかと考えたが、氷川丸と面と向かって話したかったので、氷川丸が係留されて いる埠頭の片隅に行くことにした。新たな発電怪獣として横浜湾に係留されたバンリュウは、体の至る所に送電線を 結び付けられていて、大人しくしている。ガニガニも横須賀に戻り、発電怪獣としての仕事を全うしている。

「よお、氷川丸」

 古い客船の船首を見上げた狭間が声を掛けると、ツブラもそれを真似た。

「ヒカワマル!」

〈あら、今日はどうしたの?〉

「この間の礼を言おうと思ってさ」

〈気を遣ってくれなくてもいいのよ、人の子。あれは怪獣の問題でもあったのだから。他に用事でもあるのかしら?〉

「バンリュウと似たようなもんだ。氷川丸に俺の話を聞いてもらいたいんだ」

〈いいわよ。何のお話しかしら〉

「大したことじゃない。決意表明みたいなもんさ」

 埠頭にあるベンチにツブラと並んで腰掛けた狭間は、九頭竜会、その裏にあるヴォルケンシュタイン家、その両者 と関わりの深い海老塚甲治、そして怪獣の派閥、という懸念材料についての不安を徹底的に吐露した。出すだけ出す と、少しは気分が晴れて開き直れるからだ。狭間の与り知らぬところで腹黒い人々と攻撃的な怪獣達が蠢いていて、 それらの思惑が狭間に襲い掛かる日はそう遠くないだろう。だが、自分のやることさえはっきりしていれば、どんな 流れに呑まれようともやり過ごせるはずだ。自分ほど信じられないものはないが、砂の一粒程度は信じられるように なりたいから、氷川丸に向けて言葉を発しながらも自分自身と話し込んだ。
 たまには、自分の声も聞かなければ。





 


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