ドラゴンは滅びない




辺境の楽園



 リリは、浮かれていた。


 空は、澄み渡っている。それだけでも気分が晴れやかになるが、今日は遊びに出掛けるので尚更高揚する。
昨日から居ても立ってもいられず、わくわくしていた。勝手に頬が緩んでしまい、気付いたら笑顔になっている。
居間の窓から身を乗り出し、青空を仰ぐ。春先の柔らかな匂いを胸一杯に吸い込んでから、ゆっくり吐き出した。
 背後のテーブルでは、母親が種の選定をしている。去年収穫したカボチャから取り出して、乾燥させたものだ。
布を引いた上に種を広げ、大振りなものを選んで取り分けている。母親は、瞳孔が縦長の青い目を娘に向けた。

「そんなことをしちゃ危ないですよ、リリ」

 種を選ぶ手を止め、フィリオラは眉を下げた。窓枠にぶら下がっている幼女の足元は浮いていて、危なっかしい。
薄茶の髪を肩まで伸ばして朱色のエプロンドレスに身を包み、頭には刺繍が施されたネッカチーフを被っている。
布に覆い隠されている丸い頭の両端は、僅かに飛び出ている。その下には、かなり短いツノが生えているからだ。
フィリオラもまた、頭にツノが生えている。顎の辺りで切り揃えた黒に近い緑髪の下から、竜のツノが生えている。
大人の指ほどの長さしかないのでそれほど大きいものではないが、縦長の瞳孔と同じく、人でない者の証だった。

「こら」

 立ち上がったフィリオラは、リリを抱えて床に下ろした。

「この間、窓から落っこちて膝を擦り剥いたのは誰でしたか?」

「今度は平気だもん!」

 根拠のない自信に胸を張ったリリに、フィリオラはちょっと困りつつも笑った。

「ブラッドさんが向かえに来るのが楽しみなのは解りますけど、もうすぐですからいい子にしてましょうね」

「はあい」

 準備してくる、とリリは軽い足音を立てながら居間を出ていった。フィリオラは、居間から顔を出す。

「念力封じの魔導鉱石を忘れちゃダメですからねー!」

 わかってるうー、との舌っ足らずな答えが返ってきた。娘の小さな背は、手狭な子供部屋の中に消えていった。
フィリオラは居間に体を戻して椅子に腰掛けたが、子供部屋の様子が気になってしまうので、そちらに顔を向けた。

「本当に忘れませんかねぇ。あの子ってば、口はしっかりしてるのに他はまだまだですから」

「人のことが言えるか」

 庭に面した窓から、夫、レオナルドが顔を出した。フィリオラはすぐさま腰を上げ、窓に近寄る。

「あ、レオさん。そっちのお仕事は終わりましたか?」

「まぁな。種芋は全部植え終わった。フィリオラ、そっちはどうだ」

 レオナルドはフィリオラの肩越しに、テーブルの上に散らばるカボチャの種を見やった。

「全然進んでないみたいだな。相変わらずとろくさいな、お前は」

「いいじゃないですか、ちゃんと選んだ方がきちんとしたものが出来るんですから!」

 フィリオラは腰に手を当て、レオナルドに顔を突き出した。レオナルドは、泥汚れの残る手で妻を指す。

「昼飯までには間に合わせろよ。テーブルが片付かん」

「解ってますよーだ」

 フィリオラはむっとしつつ、テーブルに戻ろうとしたが引き留められた。そのまま腕を引かれ、引き寄せられる。
土の匂いのする手に顎を持ち上げられ、唇を重ねられた。レオナルドから解放されたフィリオラは、頬を染めた。

「今更、なんだ」

 レオナルドは平然としているが、フィリオラは真っ赤になった頬を押さえた。

「だって、いきなりでしたから…」

 恥じらってしまったフィリオラは、顔を伏せる。いくつになっても少女のような妻の姿に、レオナルドはにやけた。
両手で覆った頬だけでなく、先が尖り気味の耳まで赤く染めている。出会った頃から、彼女はほとんど変わらない。
竜の血の発現者なので魔力が高く、老化が遅いので一向に老けないこともその原因だが、性格の面が大きい。
心優しく穏やかなのだが、その反面気が弱く臆病で少し抜けている。とてもじゃないが、二十八歳には見えない。
レオナルドが年相応の外見と性格になっていったが、彼女は昔のままだ。嬉しいような、だが少し面倒なような。

「で、リリはどうした?」

「あ、はい。今日はお勉強がお休みの日なので、ブラッドさんが外に遊びに連れて行ってくれるんですよ」

「そうか」

 レオナルドは窓枠にもたれかかると、薄茶の瞳でフィリオラを見上げた。

「オレも体が空いていたら一緒に行くんだが、今日は無理だからな」

「植え付けは、お天気の良い日に終わらせてしまいたいですからね」

 フィリオラは窓枠に両手を付いて、空を仰ぎ見た。清々しい快晴だ。

「私もたまにはどこかに出掛けたいですけど、ブラッドさんのお話によれば連合軍の方々はまだ元気みたいですし、迂闊に外へ出られませんね。ラミアンさんや皆さんが頑張って下さっているんですから、無下にしちゃいけません」

「連合軍の連中がここまで来たら、その時はオレが戦うさ。それがオレの役割だ」

「ありがとうございます、レオさん」

 フィリオラは身を屈め、彼の太い二の腕にしがみ付いた。

「だから、レオさんって好きです」

 居たたまれなくなり、レオナルドは顔を逸らした。抱き付かれるのは嬉しいのだが、照れくさくて仕方なかった。
結婚して十年も経つのだから、自分でもどうにかしたいとは思うが、こればかりは性格なのでなかなか治らない。
妻はだらしなく笑いながら、レオナルドにぴったりと貼り付いている。仕事があるのだから、引き剥がすべきだ。
だが、あまりにも幸せそうなので気が引けてしまう。レオナルドが迷っていると、廊下から娘が顔を覗かせていた。
リリの妻に似た青い瞳は、じっとこちらを見つめている。気を遣っているのか、何も言わずににやにやしている。
フィリオラ手製の可愛らしいポシェットを肩から提げたリリは、込み上がる笑いを噛み殺しつつ、玄関に向かった。

「お父さん、お母さん、お幸せにぃー! いってきまーす!」

 その声でリリの存在を思い出したフィリオラは、慌ててレオナルドから離れ、玄関に向けて声を上げた。

「え、あ、いってらっしゃあーい! お昼になったら帰ってくるんですよー!」

 可笑しげな幼女の笑い声が、ブラドール家の屋敷に向かって遠ざかっていった。フィリオラは、また赤面する。

「あの、私、そんなにデレデレしてましたか?」

「かなりな」

 レオナルドが苦笑いすると、フィリオラは倒れ込むように窓枠に突っ伏した。

「リリがいるならいるって言って下さいよ、レオさあん!」

「全くだ。子供に気を遣わせてどうするんだ、オレ達は」

 レオナルドは呆れながらも、少女のように恥じらっている妻を見下ろした。照れるあまり、変な声を漏らしている。
だが、気が緩んでいたのはレオナルドも同じだ。ゼレイブで暮らし始めてからというもの、毎日がとても穏やかだ。
敗戦の影響は、ゼレイブまで届かない。辺境の田舎町だからというのもあるが、魔法で防御しているからである。
生前は吸血鬼であった銀色の骸骨のような人造魔導兵器、ラミアン・ブラドールの成した幻惑の魔法のおかげだ。
 ラミアンの魔法は、ゼレイブ全体を巨大な魔法陣で覆い、魔法陣の核である六芒星を己に刻むというものだ。
六芒星自体を体に刻んだのではなく、緑色の魔導鉱石に収めた魂に刻み付けたのでそう簡単には解除されない。
魔法は、ゼレイブを包む魔法陣の周囲の空間を魔力で僅かに歪め、近付く者を道に迷わせるという魔法である。
 言うならば、魔力の蜃気楼だ。ゼレイブの上空にも適応されているので、複葉機に見つかる危険性も少ない。
フィリオラやレオナルドのように高い魔力を持つ者は魔力の蜃気楼を見破れるが、力のない者には見破れない。
魔導結界でもあるので無理に侵入しようとすれば弾き飛ばされてしまうが、住人であれば自由に出入り出来る。
フィリオラによれば、高度な魔法を集積して造り上げた魔法で保つのも大変なのだそうだが、ラミアンは平静だ。
魂を削るような形で常時魔力を放っているのにもかかわらず、態度も様子も普段と変わらずに生活を続けている。
それは、ラミアンが人でないから出来ることだ。ただの人間であったなら、どれほど魔力が高くとも二日と持たない。 しかしラミアンは、この魔法を十年近くも継続させている。純血の吸血鬼の魂も、竜族に負けず劣らず凄まじい。
 だが、ゼレイブの平和を保っているのはラミアンの力だけではなく、ブラッドやレオナルドも防御に尽力している。
どれだけ魔法で惑わそうとも、近付いてくる人間は存在する。二人は、そういった者達を見つけ次第排除している。
ゼレイブに近付いてきた人間を捕まえて、魔法で記憶を操作してから空間移動魔法で遠方に飛ばしてしまうのだ。
 そういった徹底的な防御のおかげで、ゼレイブは戦火からも連合軍の手からも逃れ、平和な時間を保っている。
それはひとえに、当たり前の幸せを守るためだ。当たり前で何気ない日常こそ、二人が求めていた幸せだからだ。
フィリオラは頬をほんのりと赤らめていたが、レオナルドに身を寄せると、彼の肩に頭を預けて腕を絡めてきた。
 そして、どちらともなく、唇を重ねた。




 森の中の小道は、薄暗いが温かかった。
 リリは首から提げた魔導鉱石のペンダントを気にしつつも、地面から突き出た木の根を飛び越えながら歩いた。
すぐ後ろでは、黒い上着を肩に引っ掛けているブラッドが歩いている。外に出る時は、何がなんでも礼装している。
それが、野原であろうとも人のいない街であろうとも山の中であろうとも全く同じ黒装束なので、かなり妙だった。
きっちりと礼装することは父親のラミアンから強制されていることなので、ブラッドはあまり面白くなさそうだった。
仕立ても生地も良い白いシャツの袖もぞんざいに捲り上げ、固い筋肉の張り詰めた骨格の太い腕を曝している。
リリはエプロンドレスの裾を持ち上げて水溜まりを飛び越え、振り返った。ブラッドは、終始気のない顔をしている。

「どうしたの、ブラッド兄ちゃん」

「あー、いや、別に」

 ブラッドの答えは、やけに歯切れが悪い。リリはブラッドの元まで駆け戻った。

「お腹空いたの? それとも、眠いの? そうじゃなかったら、どこか痛いの?」

「そうじゃねぇよ。本当に大したことじゃねぇんだ」

 ブラッドは膝を曲げてリリと目線を合わせると、上着を持っていない方の手でリリの頭を撫でた。

「心配してくれてありがとな、リリ」

「大丈夫なら大丈夫だよね! じゃ、早く行こう!」

 リリはブラッドの手を掴み、引っ張った。ブラッドは上着の袖を腰に巻いて結ぶと、リリを肩車した。

「よっしゃ、行くかあ!」

「おー!」

 リリが小さな拳を突き上げると、ブラッドは軽快な足取りで駆け出した。通り慣れた道なので、勝手は解っている。
苔生した倒木を飛び越え、ぬかるんだ水溜まりを避け、突き出ている枝の間を擦り抜けて、ブラッドは駆け抜けた。
森の木々の密度が薄くなり、日差しが目を刺してくる。それでも躊躇うことなく走り抜けると、開けた場所に出た。
 澄んだ水を湛えた池が、木々に囲まれている。その周囲の草原には、小さくとも色鮮やかな花々が咲いている。
ブラッドは池の畔でリリを下ろすと、リリはぴんと背筋を伸ばして立った。ブラッドに振り返り、小さな手を挙げる。

「ご苦労様でありましたっ!」

「リリ、またちょっと重くなったな」

 ブラッドがリリを見下ろすと、リリはむっとする。

「年頃の女の子に向かって、そんなことを言わないでくれる?」

「あー、悪い悪い」

 ブラッドは半笑いになったので、リリはその態度を少し不満に思ったが、身を翻して花畑に近寄った。

「綺麗に咲いたね。お母さんとラミアン小父さんのお花は不気味だから、私はこっちの方が好きだな」

「父ちゃんとフィオさんのは魔法植物だからなぁ。綺麗じゃねぇよ、そりゃ」

 ブラッドは、自邸の裏庭の様相を思い出した。魔法植物が育てられている畑は、雰囲気も光景も異様だった。
極彩色のツタや葉が茂っていて、おかしな形状の実が成り、その一角だけ禍々しい魔性の雰囲気が漂っている。
役に立つ魔法薬の材料となる魔法植物であっても、魔法薬に加工する前は劇毒を持っている場合が多いからだ。
 リリは野草の花畑に入ると、早速気に入った花を摘み始めている。彼女は、花輪を作って遊ぶのが好きなのだ。
ゼレイブは守られている場所だが、同時に閉鎖されている場所でもある。なので、幼いリリの娯楽も限られている。
ブラッドと外出する場所は常に決まっていて、このこぢんまりとした池か、少し離れた場所にある湖ぐらいなものだ。
リリは外の世界を知らないので、それ以外の場所に行きたいという我が侭は言わないが、それが不憫でもある。
ブラッドは十歳の頃にゼレイブを出て旧王都に向かう冒険をした覚えのあるので、余計にそう思ってしまうのだ。
だが、それもリリのためだ。両親の力を継いだリリは、竜族特有の自己再生能力と念力発火能力を有している。
再生能力自体は本人にしか適応されないが、念力発火能力は制御がほとんど出来ない上に出力だけが大きい。
だから、リリの能力は本人にとっても他人にとっても爆弾に等しく、今は魔法を用いて力を押さえ込んでいるのだ。
 リリが首から提げている青い魔導鉱石のペンダントは、フィリオラが持っていた魔導鉱石に手を加えたものだ。
石の裏は魔法陣が刻み込んであり、リリの発するひどく荒削りな念力と炎の力を吸収する魔法が施されている。
それがなければ、リリは自身の発する熱に負けてしまうだろう。幼い彼女には、己の炎は単なる凶器でしかない。

「ねえ、ブラッド兄ちゃん」

 リリは半分ほど編んだ花輪をエプロンの上に置き、青い瞳を瞬かせた。

「この間どこかにお出掛けしてたみたいだけど、あの浮かんだ山まで行ってきたの?」

「オレはそんなに高くは飛べねぇよ。ブリガドーンが浮かんでいる場所は、どう見積もってもこの大陸じゃねぇし」

 柔らかな草の上に寝転がっていたブラッドは、上半身を起こした。

「海の向こう、っつーか、首都の近くだな。やろうと思えばそこまで行けるかもしれねぇけど、オレはそんなに高度のある場所は飛べないから近付いたところで行けるわけがねぇよ。まあ、ちょっとは行ってみたい気もするけどな」

「ふうん」

 リリは小さな指を器用に動かし、花と花を繋げていく。

「シュトって遠いの?」

「大分な。機関車と船を乗り継いでも、二日も掛かったしな」

「どんな場所なの?」

「昔は共和国軍が囲ってたけど、あの戦争で壊滅したって話だからなぁ。今は本島も大半が廃墟じゃねぇのかな」

「キューオートも遠いよね?」

「まぁな」

 ブラッドの答えに、リリは花輪を編む手を止めた。

「ねえ、もっとお話を聞かせてよ、ブラッド兄ちゃん。ゼレイブのお外にはどんな人がいるの?」

「どんなって、そりゃ…」

 ブラッドは口を開き掛けたが、閉じた。共和国の現状は劣悪で、連合軍の統治という名の征服が始まっている。
虐殺。飢餓。廃墟。紛争。略奪。捕縛。占領。そんな単語が頭の中を駆け巡ったが、口に出せるものではない。
いずれリリが現実を知る時は来るだろうが、前置きもなしに実直な現実を話してしまうわけにはいかないだろう。
ゼレイブで皆に守られているリリに、いきなりそんなことを話したとしても現実として受け止められるとは思えない。
ブラッドはしばらく口籠もっていたが、ギルディオスのことを思い出した。彼のことであれば、話してもいいだろう。

「ギルのおっちゃんのことなら、いくらだって話してやれるぜ」

「お父さんとお母さんも、その人のお話はよくするよ。本当に、空っぽの鎧を動かしているの?」

 興味深げに、リリは身を乗り出してきた。ブラッドは頷く。

「ああ、本当だ。リリも赤ん坊の時に会ったことがあるんだけど、覚えちゃいねぇよな」

「うん。全然覚えてないよ」

 リリが少し残念がると、ブラッドはリリを持ち上げて膝の上に座らせた。

「おっちゃんはな、凄ぇんだぞ! リリの背丈よりもでっかい剣振り回して、どんな奴だって倒すんだぜ!」

「えー、信じらんないー」

「マジもマジだって。でな、うちの父ちゃんよりもレオさんよりも強ぇんだ!」

「えー。お父さんだって強いよー。色んなものを燃やせるもん。でっかい丸太だって一発でどかーんなんだよ」

「おっちゃんの強さはそういうのとは違うんだ、リリ。なんつーかなー、こー、痺れるんだ!」

「何が?」

「だから、なんつーか、これこそ力、これこそ戦士、ギルディオス・ヴァトラスここにあり、っつー感じでさあー!」

「意味が解らないよ、ブラッド兄ちゃん」

 ブラッドの膝の上に乗ったリリは、彼の熱弁を聞き流していた。表現が抽象的すぎるので、想像が付かない。
フィリオラが眠る前に聞かせてくれる話やレオナルドがたまにしてくれる話の方が、余程面白くて解りやすい。
そのうち、ブラッドは自分の語りに入り込んでしまい、リリが再び花輪を編み始めてもまるで気付かなかった。
ブラッドがギルディオスなる人物を敬愛しているのはよく解るが、そればかりなので、話の内容は皆無だった。
 ブラッドの語りは、なかなか終わらなかった。


 昼頃に、二人は森から家へと帰った。
 リリはブラッドが語っている間に作った三つの花輪を腕に掛けて、ブラッドと手を繋ぎ、細い道を歩いていった。
この森はゼレイブの南側に面した山の一角なので、薪を作るために切り倒した木の切り株がいくつも見つかる。
街中に近付くに連れて、その切り株が増えてきた。繋いでいるブラッドの手は大きく、少しだけひんやりしていた。
 字が読めるようになってきたので母親の本を借りて読んだのだが、その中では吸血鬼は悪者だとされていた。
人を襲い、家畜を喰らい、闇に生きる魔性の者。だが、ブラッドやラミアンを見ているとそうだとは思えなかった。
ブラッドもラミアンも、リリには優しい。ラミアンは外見こそ不気味だが、リリのことを一人前の女性に扱ってくれる。
本の中では母親の祖先である竜族のことも書かれていたが、それもまた、竜族を邪悪な存在として書いていた。
昔に栄えた国と戦争を起こし、竜族の都を壊滅させる切っ掛けを作った黒竜の話は、泣きそうなほど怖かった。
 リリも、なんとなくだが解っている。ゼレイブの外には広大な世界があり、その世界は混沌としているのだと。
ブラッドが口籠もったのも、あれが初めてではない。両親に同じような質問をすると、やはり言葉を濁してしまう。
子供であろうとも、雰囲気は感じ取る。彼らが何かを隠していることも、隠したいものがどういうものなのかも。
知りたい気持ちはあるが、隠すほどのことなのだから知らない方がいいのかもしれない、とも思わないでもない。
だから、踏み込まないでいる。それに、ブラッドや両親が必死になっているのだから無下にするのは良くない。

「ブラッド兄ちゃん」

 リリはブラッドの手を握り締め、見上げた。

「私、ギル小父さんに会いたいな」

「そのうち、来てくれると思うぜ」

 ブラッドは、少年のような快活な笑みを返してきた。リリは笑う。

「そのうちっていつかな、楽しみだな!」

 リリは先程までの思考を払拭し、軽い足取りで歩いた。あまり物事を深く考えると、毎日が楽しくなくなってしまう。
花輪をお母さんとジョー小母さんにあげよう、今日のお昼ご飯は何だろう、明日の勉強は大変かな、などと考えた。
これからも、両親やブラドール家の皆と笑い合って過ごしていきたい。毎日が、こんなふうに続いていけばいい。
そのためにも、余計なことは考えない方がいい。リリはゼレイブに向かって歩きながら、そんなことを思っていた。
 自宅の煙突からは、湯気の混じった白い煙が吐き出されていた。




 作り上げられた平和の内に、生まれし者。
 現実と幻想の狭間に身を置く彼女は、幼い瞳に全てを映す。
 周囲の者達による気遣いは愛情であると同時に、優しい嘘でもある。

 だが、どれだけ優しくとも、嘘は嘘なのである。






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