ドラゴンは滅びない




罪過



 ブラドールの屋敷に戻ったダニエルは、ポールを見舞った。
 ベッド脇のテーブルに置かれた鉱石ランプに照らされた彼の姿は、昼間に見るよりも一層弱ったように感じた。
食事も満足に摂れないので頬は痩けて眼窩は窪み、肌の張りは失せて乾いている。顔色も悪く、土気色だった。
戦場で何度も見た、死に往く者の顔だった。ダニエルは胸中に苦みが広がったが押し殺して、彼の傍に座った。
椅子を引く音で気付いたのか、ポールは薄く目を開いた。その瞳の色は濁っていて、視線も定まっていなかった。

「少佐、ですか」

 ダニエルが返事をするよりも先に、ポールは弱々しく言葉を吐き出した。

「せっかくまた少佐に会えたのに、こんな様で。最近じゃ、目もよく見えなっちまって」

 その口調は畏まっていて、ダニエルに向けたものではなかった。ポールは、肉の落ちた手で頭を押さえる。

「少佐。聞き流してくれていいんですが、ちょっとだけ、オレの話を聞いてくれませんか」

 ポールは、ダニエルのことをギルディオスだと勘違いしているようだった。ダニエルは、敢えて黙っていた。

「オレ、ダニーに、謝っとかなきゃならないんですよ」

 ポールは眉根を歪めて、言葉を切った。頭痛に遮られたのだろう。間を置いてから、ポールは続けた。

「オレは、ダニーの奴を殺そうと思った時があるんです」

 その言葉にダニエルは息を呑みかけたが、堪えた。

「今から思うと、馬鹿だなって思うんですけどね」

 ポールは淀んだ目を半目にし、どこかに視線を投げた。

「フローレンスを守れなかったのはダニーもオレも同じだってのに、フローレンスを一人にしたダニーが悪いなんて思っちまって。フローレンスがあんまり笑わなくなったのも、フローレンスがたまに泣いていたのも、フローレンスが寂しそうなのも、全部あいつが悪いんだとかそんなことも考えるようになっちまっていたんです。全部が全部、そうだとは限らないのに、一度そうだと思い込んじまうとなかなか変えられないもんでして」

 馬鹿だな、と自嘲してから、ポールは呟いた。

「だから、ダニーに、腹が立って腹が立って仕方なかったんです。三十年も一緒に戦ってきた仲間だっていうのに、憎らしくてどうしようもなかった。隙を見てどこかに飛ばしてやろうとか、土の中に埋めてやろうとか、色々と考えましたよ。叩きのめしてやりたいと思ったのは、一度や二度じゃないですよ。一番腹が立ったのは、十年前に旧王都でフィルさんの城で目が覚めた時ですかね。頭にねじ込まれていた魔導金属を摘出されて能力強化兵から元に戻って、意識も自我も記憶も元に戻って、状況が理解出来た時です。オレが特務部隊に木偶人形にされていた間に何があったのかは知らないが、フローレンスがダニーの傍に立っていやがった。その時のフローレンスの顔は、一生忘れられませんよ。前から綺麗な女だとは思っていたが、その時が一番綺麗でしたからね。ついでに、物凄く幸せそうだったんですよ。寝ている間に好きな女が他の野郎に取られていたんだから、腹が立たないわけがない」

 ポールの口元が、苦々しげに歪む。

「しかもその相手が、異能部隊最強の異能者、ダニエル・ファイガー大尉だと来たもんだ」

 何も言わずに立ち去った方がいい。ダニエルは複雑に入り乱れる心を宥めようとしたが、彼の言葉が重すぎた。
心が読めずとも、ポールの心中は掴める。彼との付き合いは長い。だから、その心境が解るのが少し嫌だった。
彼は異能力を誇りに思い、また責任感も強かった。生まれながらに授かった力を、真っ当に使うべく生きていた。
改造を施されて能力強化兵となり、キース・ドラグーンの道具となってしまった時は激しく悔しがっていたほどだ。
自分自身が操られたことではなく、力を悪用されかかっていたことに腹を立てたのだ。それほど、力を誇っていた。
 だからこそ、異能部隊隊員としての士気も高く、経験が長いことも相まって部隊の規律を壊さぬようにしていた。
不用意な瞬間移動は行わず、力を溜めてここぞという時に使う。ダニエルが隊長となってからは、忠実に従った。
二人とも幼い頃からの付き合いなので関係こそ友人同士のようだったが、その間には上下官の壁を作っていた。
 そのポールが、フローレンスに思いを抱いていたとは知らなかった。だがそれは、無理からぬことかもしれない。
フローレンスは、異能部隊にただ一人の女性隊員だった。顔立ちも美しく体型も良く、豊かな金髪を持っていた。
魅力的な外見とは裏腹に性格はあっけらかんとしていて、女臭さのない、男所帯に馴染みやすい性分だった。
ダニエルでさえも彼女に心を奪われたのだから、他の者が奪われていてもおかしくない。いや、ない方が変だ。
 ポールは、歪めていた口元を力なく上向けた。乾ききった唇が曲がり、青白く血の気の失せた頬が引きつる。

「本当は、墓の下に全部持って行くつもりだったんですけどね。その方が、ダニーもオレも平和ですから」

 ですけど、とポールは目元にうっすらと涙を滲ませた。

「ここんとこ、なんだか思い出しちまうんですよ。異能部隊が健在だった頃の前の思い出とか、竜の姫君に基地島を壊された後のこととか、その後にキースなんかに改造されちまったこととか、フローレンスがダニーと結婚しやがったこととか、ロイズが産まれた時のこととか。思い出す度に思うんです、あの時ああしていればフローレンスはオレを見てくれたのかな、とか、呆れるぐらい女々しいことを考えちまうんです。その度に感じちまうんですよ、やっぱりオレはあの女が好きだったんだ、って」

 ポールは、力の入らない手で目元を押さえる。

「悪い、ダニー。本当に、悪い」

 ダニエルは、膝の上で拳を固めていた。何も言うまい、と思っていたはずなのに、勝手に口が開いた。

「フローレンスは、そのことを知っていたのか」

 ポールの声よりも覇気のない、掠れた言葉が零れた。ダニエルの声だと気付き、ポールは浅く息を吸い込んだ。
しばらく、間があった。ダニエルが己の足元を射抜くように見据えていると、ポールは言葉を選びながら答えた。

「たぶんな。知らない方がおかしい。だって、あいつは精神感応能力者なんだからな」

 ポールは目元から手を外して視線を彷徨わせたが、ダニエルに定まらなかった。

「ダニー。なんで、途中で出ていかなかったんだ?」

「お前こそ、こんな時にそういうことを話すんじゃない」

 ダニエルは態度を取り繕おうとしたが、声が僅かに震えてしまった。

「そういうことは、任務が終わった後に酒でも飲みながら話すものだ」

「ああ、オレもそう思う。けどな、解るんだ。オレは、任務を全う出来ない」

「じきに治る、だから妙なことを言うな」

「気休めは止してくれ。お前に優しくされると、妙な気がする。オレも異能者の端くれだぜ、常人よりはちょっとは勘が鋭いつもりだ。だから、解るんだ。ジョーさんも、そう言っているだろう?」

「…予知はしているようだが、聞いてはいない。聞きたく、ないからだ」

 ダニエルは肩を怒らせ、拳に更に力を込めた。爪が手のひらの厚い皮に食い込み、骨を軋ませる。

「アンソニーの奴にも、聞いてみるといい。あいつはオレにべたべた触っていきやがったから、きっとオレの体がどうなっているか知っているはずだ。知らないわけがない」

 ポールは、無理矢理口調を明るくしていた。

「なあ、ダニー。死ぬのは怖いぜ。散々目の前で人が死ぬのを見てきたが、自分のこととなると恐ろしくて仕方ない。今はまだ痛みがあるから生きているんだと解るが、それがなくなった時が死ぬ時なんだと思うとぞっとするよ。一度死んだ少佐に色々と聞いてみたい気もするが、安心するどころかもっと恐ろしくなりそうだからやめておくよ。ああ、本当に、死にたくねぇ。死にたくねぇよ、ダニー」

 ポールの痛々しいほど痩せた手が、シーツをきつく握り締めた。

「オレはまだ、生きていたい」

 ダニエルはシーツを握るポールの手に、手を重ねた。固かったはずの手は、ここ数日ですっかり肉が落ちた。
皮は厚いが、その中の筋肉が弱っている。以前は痛いほど強く握り返してきてくれた手が、恐怖に震えている。
彼は兵士でもなんでもない、一人の男に戻っていた。異能者であるが故に、孤独な人生を歩んできた男だった。
 ポールもまた、他の隊員達と同じようにその力故に遠ざけられ、捨て子も同然の状態で共和国軍に拾われた。
彼の口から、過去を聞いたことはない。話したがらない話を無理矢理聞き出そうと思うほど、無遠慮ではない。
少しは聞いておくべきだったかもしれない、と残念に思う傍らで、聞かないままで良かったのだろう、とも思った。
知らないままでいた方が、悲しみは浅くて済む。罪悪感を覚えたが、いつものことだとダニエルは思い直した。
 仲間が死ぬのも、任務を全うするために犠牲にするのも、兵士であるが故に戦いにしか生きられないことも。
今更、何を思うのだ。ダニエルはまるで死体のように冷たくなっているポールの手を握り締めながら、目を伏せた。
 死にたくねぇ、とポールは繰り返していた。




 その夜。ダニエルは、自室に部下達を呼んだ。
 ロイズとヴェイパーは含めず、ピーターとアンソニーを招集した。それなりに広さのある、客間の一室だった。
鉱石ランプを部屋の中央のテーブルに置き、その周囲に座らせた。ピーターは、椅子に逆向きに座っている。
アンソニーはそれを咎めるような目をしたが、何も言わなかった。ダニエルが忠告しないから、言わないのだ。
 ピーターはざんばらに切っただけの前髪を上げるためなのか、額に赤い布を巻き付けて後頭部で結んでいた。
アンソニーは戦闘服の上半身を脱いで腰に袖を結び付けており、アンソニーなりに気を緩めているようだった。
ダニエルは窓際に立ち、二人を見渡していた。背にしている窓の外では、様々な虫の鳴き声が響き渡っていた。

「アンソニー。ポールの死期は、いつ頃だ」

「長くて一週間、短くて三日、というところでしょう。頭の中に血の固まりが出来ていて、それが脳を圧迫しているために頭痛が起きているんですが、その血の固まりがいつ破裂してもおかしくないんです。血の固まりが出来た原因は、十中八九これでしょうがね」

 アンソニーは、自身の側頭部を指した。弾丸の直径ほどの大きさの古い傷跡があり、そこだけ皮膚の色が違う。

「恐らく、キース・ドラグーンがオレ達に施した能力強化手術の後遺症ってやつでしょう。ファイド先生の手術は完璧でしたが、さすがの竜の先生も脳の中まではいじくれなかったんでしょうね。オレもピートも、いつポールのようになるか解りません。調べてみたら、二人とも脳髄の中に傷がありましたから」

「そうか」

 ダニエルは、顎に手を添える。

「ラミアンさんの書庫は調べたか?」

「視てみましたが、あの人は手強いですね。やばい魔導書には、ちゃんと透視封じの魔法が掛けてありましたよ」

 おかげで何度も痺れました、とアンソニーは辟易したように手を振った。ピーターは、両手を上向ける。

「フィオさんの書庫も同じでして、成果はイマイチ。あ、それと、苦くない魔法薬の作り方を教えてもらいましたよ」

「そうか、それは良かった。お前の作る薬は気が遠くなるほど苦いからな。少しは改善されるといいが」

 ダニエルが眉根を曲げると、ピーターは少しむっとする。

「そんなに苦くしちゃいませんよ」

「いや、苦い。苦いったら苦い」

 アンソニーも顔をしかめたので、ピーターは顔を逸らした。

「なんだよ、二人して。そんなにオレが嫌いか」

「それはそれとして、情報が足りないな。ゼレイブならば、ラミアンさんとフィリオラがいるから少しは魔法絡みの情報があると思って来たが、ただでは見せてくれないか。まぁ、予想はしていたが。だが、これでは情報が致命的に足りない。アンソニーが視たものだけでは、不十分だ」

 ダニエルは腕を組み、顔を上げた。

「我々も残り少ない。貴重な戦力を欠かないためにも、充分に作戦を練って動かなくては」

「ですけど、隊長。少佐だったら任務内容を把握しているんですから、協力してくれるんじゃないでしょうか?」

 ピーターの言葉に、アンソニーは首を横に振った。

「さあ、どうだかな。あの人は傭兵であって、軍人じゃない。価値観は近いが、根本は大きく違っている」

「そうかなぁ…。少佐はオレ達の隊長だったんだから、オレ達の味方だと思うんだけどなぁ」

 ピーターは、理解しかねている。ダニエルは僅かに目を細め、ピーターを見下ろす。

「味方と仲間は違うぞ、ピート。上下関係が失せた今、あの人と我々は全く別の存在なのだ。すなわち、少佐は完全な部外者だ。それをちゃんと理解しろ」

「了解」

 仕方なさそうに、ピーターは敬礼した。ダニエルは次の言葉を発するべく口を開いたが、ふと、視線を感じた。
振り返ると、窓枠に白いものがぶら下がっていた。鉱石ランプの青白い光が、白い毛並みを輝かせている。
 ダニエルは念動力を放ち、すぐさま上下式の窓を引き上げて開けた。白いものは驚いたのか、目を丸めた。
窓枠に引っかけていた前足を離すと、器用に身を捻って窓枠に降り立った。二本の尾を、ゆらりと振っている。

「こいつぁ何の会合ですかい、異能の旦那方」

「何の用だ、ヴィンセント」

 ダニエルは、白いネコの姿をした魔物を見据えた。ネコは好きだが、このネコはどうしても好きになれなかった。
魔性の者である以前に、素性が見えない。魔導兵器三人衆と共にいたのだから、ただの魔物ではないだろう。
彼の素性が解るまで、警戒するに越したことはない。ダニエルに睨み付けられても、ヴィンセントは笑っていた。

「旦那方のお考えが良からぬことでねぇんでやしたら、堂々とやりゃあいいじゃないでございやせんか。ですが、こうしてわざわざ隠れて話すっちゅうことは、それだけ後ろめたいっちゅうことでしょうや。それに、そこの隊長の旦那は自分の子を捨ててその任務とやらに行こうとなさっちょる。任務っちゅうもんは、そこまでしてやるほどのもんなんでしょうかねぇ。軍人の換えはいくらでも利きやすが、身内の換えばっかりは利きやせんぜ。あっしでさえそう思うんでやんすから、隊長の旦那はそうは思わないんで?」

「知っていたのか?」

 ダニエルが念動力を放とうと右手を挙げると、おおっと、とヴィンセントは前足を翳した。

「あっしは暇潰しにそこら中を彷徨いとるんでさぁ、聞いちまったのは不可抗力ですぜ。そう怒らないでおくんなせぇ」

「嘘臭ぇ」

 ピーターが毒突くと、ヴィンセントはにぃっと目を細めた。

「あっしを信じるか信じないかは、旦那方のご自由でさぁ。そのついでに、旦那方が欲しがっちょる情報をお教えしてやりやしょう。なあに、お代は結構でさぁ」

「お前に我々の任務内容を教えた覚えはないが?」

 ダニエルが返すと、ヴィンセントは舌先でちろりと鼻を舐めた。

「旦那方が教えた覚えはなくっても、あっしはちゃんと知っちょるんですぜ」

「遠慮しておく。出所の解らない情報など、まともに受け止めても意味はない」

 ダニエルが一蹴すると、あんれまぁ、とヴィンセントは残念がった。

「そいつぁ惜しいことをなさいやすねぇ、隊長の旦那。ですが、あっしは逃げも隠れもしやせん。御用とあらば、いつでもお呼び立て下せぇ」

「一つ、聞いておきたい」

 窓枠から降りようとしているヴィンセントに、ダニエルは声を掛けた。

「お前は、魔導兵器三人衆の味方ではないのか? なぜ、我々に情報を与えようとする?」

「そいつぁさっき、隊長の旦那がお言いになりやしたでしょうや」

 ヴィンセントは横顔だけ向けると、目を糸のように細めた。だが、笑っていなかった。

「味方と仲間は違いやす。あっしは誰の味方でもなく、誰の敵でもございやせん。しがねぇネコマタでやんす」

 ヴィンセントはぽんと軽く窓枠を蹴り、空中に飛び出した。丸まった白い背は暗闇の中に沈み、見えなくなった。

「隊長」

 アンソニーに呼ばれ、ダニエルは振り返った。

「なんだ」

「ロイズをゼレイブに置いていくというのは、本当なのですか?」

「当然だ。任務のためだ」

「それは、なぜ」

 アンソニーの問いに、ダニエルは自嘲した。

「妻も守れない男が、子を守れると思うか?」

 守れないのなら、手放せばいい。それが、ゼレイブに至るまでの道でダニエルが下した決断であり結論だった。
戦うための力を持ちながら、愛する者を守れないのは罪だ。愛していながら、その矛先を間違えるのは過ちだ。
 ロイズは大事な息子だ、愛していないわけがない。だが、愛するが故に、強さを求めてしまって虐げてしまう。
ロイズには責任はない。責任は、他人の愛し方をあまり知らない父親にある。だから、せめて生かしてやりたい。
 ゼレイブで暮らせば、ロイズは生きられる。過酷な戦場や荒廃した世界の中では、幼い彼は生き延びられない。
だが、ゼレイブには彼を満たすものがある。豊かな水と食料、穏やかな日常、同年代の友人、温かな愛情だ。
ダニエルがロイズに与えてやれないものを、全て与えてくれる場所だ。そこから引き離す理由など、どこにもない。
増して、再び戦場に引き摺り出して戦わせたところで、待ち受けるのは死のみだ。息子だけは、死なせたくない。
我が子を手放すのは罪であり過ちだ。だが、死なせるよりは余程いい。ダニエルは、自分に何度も言い聞かせた。
 しかし、心は鉛を詰めたように重苦しかった。




 罪はひたすらに重たく、過ちは心に傷を作る。
 我が子への愛は深くとも、その深さ故に形を変えてしまう。
 子を失うことを恐れるあまりに下した決断は、寂しいものだった。

 だが、父親は、息子を誰よりも愛しているのである。







07 5/14