ドラゴンは滅びない




天空の住人達



 ルージュは、体を休めていた。


 魔導鉱石のレンガを敷き詰めて造られた寝台に背中を預け、両腕を魔導鉱石製の台座の上に横たえていた。
関節の各部に差し込まれた魔導金属糸から高出力の魔力が流し込まれ、痛んだ人造魔力中枢を癒やしている。
魔導鉱石のレンガで造られた半球体の天井には、巨大な五芒星の魔法陣が印され、魔力の均衡を保っている。
あれがなければ、この場は一時も持たずに崩れてしまうだろう。高すぎる魔力は、火薬よりも遥かに危険なのだ。
 だから、この体も手入れを怠ればどうなるか解ったものではない。魔導金属製といえど、決して無敵ではない。
外部からの攻撃に対しては恐ろしく強く出来ているが、内側から壊れてしまえば簡単に吹き飛んでしまうだろう。
 人造魔力中枢は、名前こそ魔力中枢だがその実は動力機関に酷似しており、機械と表現するのが相応しい。
人造魔力中枢を構成する魔導金属は丈夫で、生じる魔力出力も大きいが、反面、構造が繊細で劣化も激しい。
 右腕の主砲を上げると、ぎ、と鈍く軋んだ。内部が再生しているのが感覚に伝わるが、破損部分は残っている。
先日のゼレイブ襲撃の最中に、最大出力で砲撃を放ってしまった。その時、力の配分が狂い、砲身が歪んだ。
いつもであればそんなことはないのだが、頭に血が上ってしまった末に制御が乱れ、力が揺らいでしまったのだ。
おかげで、主砲のみならず人造魔力中枢まで制御が乱れてしまい、歯車と主軸に小さなヒビが入ってしまった。
そのままの状態で動けば、いずれ人造魔力中枢が壊れてしまうだろう。そうなれば、二度と動けなくなってしまう。
そうならないためにも、いつにも増して再生に時間を掛けた。次の戦いが、激しくなることが予想出来たからだ。
 目線を動かすと、同じ状態で体を休めているラオフーとフリューゲルの姿が見えた。二人も、再生を行っている。
ラオフーは金剛鉄槌を傍らに置いて俯き、目の光を消している。眠っているのか、それとも考え事をしているのか。
一方、フリューゲルはだらしなく手足を投げ出して熟睡しており、胸を大きく上下させ、軽くいびきすら掻いている。
だが、リリのネッカチーフをきつく結び付けてある右手だけは腹部に載せてあり、かなり大事にしているようだった。
 軽い足音が、聴覚を掠めた。ルージュが頭を起こそうとすると、いいよ、と幼女の声がして足音が近付いてきた。

「目が覚めた、ルージュ姉ちゃん?」

 朱色のエプロンドレスを着た幼女、リリは小走りにルージュに駆け寄ってきた。

「何の用だ」

 ルージュは頭を戻し、目線だけ動かしてリリに向けた。リリは、ルージュ越しにフリューゲルを見やる。

「フリューゲルが起きたかなって思って来てみたんだけど、ちょっと早かったみたいだね」

「ならば、起こしてやる」

 ルージュが左腕の副砲を上げてフリューゲルに向けると、リリはぎょっとした。

「撃っちゃダメだよ、ルージュ姉ちゃん! そんなことしたら、フリューゲルが可哀想だよ!」

「用があるんじゃないのか」

 リリの悲鳴のような叫びに辟易し、ルージュは副砲を下げた。リリは、丸っこい頬を張ってむくれる。

「起きてたら一緒に遊ぼうかなって思っていただけだもん! 無理矢理起こすほどのことじゃないもん!」

「リリ」

「なあに、ルージュ姉ちゃん?」

「その、姉ちゃんと呼ぶのはやめてくれないか」

「え、でも。ブラッド兄ちゃんは本当の兄ちゃんじゃないけど、兄ちゃんって呼んでもなんにも言わないよ?」

「それはお前とあの男が親しいからこそ通用する呼び方であって、お前と私は特に親しいわけではない」

「だけど…」

 不満げなリリに、ルージュは口調を強めた。

「用がなければ近付くな。あの馬鹿鳥はともかく、私は馴れ合うのは好きではない」

 リリは俯き、肩を縮めた。

「ごめんなさい…」

「早く出ていけ」

「うん。また、後でね」

 リリはこくんと頷くと、ぱたぱたと軽い足音を立てて離れていった。一度立ち止まり、名残惜しげに振り返った。
だが、ルージュと目が合うとまたすぐに駆け出した。リリの向かう先には、木製の飴色の扉が待ち構えていた。
しかし、その扉は壁に埋まっていない。枠組みと扉本体が床に直立しているだけでしかない、異様なものだった。
扉には竜の横顔の浮き彫りの細工が施されており、天井と同じ五芒星の魔法陣が中心に刻み込まれていた。
 リリは精一杯背伸びをして、扉の取っ手に手を掛けた。扉を開けると、その先に茶色く無骨な岩肌が現れた。
扉の後ろにあるはずの魔導鉱石のレンガではない、全く別の光景だった。そこからは、風さえも吹き込んでくる。
リリは更にもう一度ルージュを見やってから、扉を通り抜けた。その瞬間、幼女の後ろ姿がほんの少し歪んだ。
幼女の姿が遠のくと、扉は軋みを立てながら勝手に閉まって錠も掛かり、がしゃり、と金属が擦れ合う音がした。
 これで落ち着ける。ルージュが目を閉じるようなつもりで瞳の光を弱めると、不意にラオフーが上体を起こした。
重たげな軋みを発しながら顔を上げたラオフーは、首を曲げて何度か関節を鳴らし、ルージュに目を向けてきた。

「何をカリカリしとるんじゃ、ルージュ」

「やかましい」

 ルージュはラオフーに目も向けず、言い返した。ラオフーは腰を曲げ、頬杖を付く。

「あの半吸血鬼の若人が、そんなに気になるのかのう?」

「そんなことではない」

 ルージュは上体を起こし、右腕に繋がっている魔導金属糸を左手で掴むと、引き抜いた。

「なぜ、事を掻き混ぜた。子供など攫わず、禁書だけを奪い取っていれば良かったものを」

「そいつぁ決まっちょる。その方が面白くなるからじゃ」

「面白い?」

「そうじゃ。弱いモンを爪先に引っ掛けて嬲るのは、たまらなく面白いとは思わんか」

「妙な娯楽だな」

「強者の悦楽というやつじゃ。まあ、おぬしには解らんじゃろうがのう、ルージュ」

 ラオフーの視線が、ルージュを射抜かんばかりに強くなる。

「おぬしは喰らう側のモンのくせに、喰らわれちょった女じゃからのう」

「黙れ、ラオフー」

 ルージュは憤りを辛うじて押さえたが、声の乱れは隠せなかった。ラオフーは、機嫌良く笑う。

「ほれ、そういちいち怒るでない。せっかく体が元通りに回復したんじゃ、仲間同士で小競り合いなどしとうないわい。そんなに気に入らぬのであれば、おぬしは手を引くが良い。あの竜の女はおぬしのようにちぃと気難しい女じゃが、話は解るはずじゃろうて」

「手を引くだと? 馬鹿なことを言うな」

 ルージュは左腕を強引に伸ばし、砲身と関節に繋げられていた魔導金属糸を引き抜くと、立ち上がった。

「あの連中は気に食わない。それを殺す楽しみを、お前にばかり奪われてたまるものか」

「豪儀じゃのう」

 ラオフーは、よっこいせ、と掛け声を出しながら立ち上がると、各関節から全ての魔導金属糸を引き抜いた。
ルージュは左手を使って各関節に差し込まれている魔導金属糸を引き抜くと、放り投げ、ラオフーに向き直った。

「ブラッド・ブラドールを殺すのは私だ。誰にも邪魔はさせん」

「さあて、おぬしに殺せるのかのう」

 にやにやしたラオフーに、ルージュは苛立ちを感じた。

「舐めるな。私とて、伊達に戦ってきたわけではない。あんな子供も同然の半吸血鬼など、最初から敵ではない」

「その敵ではない男に撃ち落とされて、腹の中まで水浸しになって帰ってきたのはどこの誰じゃったかな」

「おっ、思い出させるな! あの時は、少し油断してしまったんだ!」

 急に声を裏返したルージュは反射的にラオフーに主砲を向け、後退った。ラオフーは、上体を反らして笑う。

「なんじゃ、その声は! ああ可笑しいのう、可笑しいのう!」

「付き合っていられるか」

 ルージュは居たたまれなくなり、ラオフーに背を向けた。早くこの部屋を出よう、と歩き出すと、笑い声が増えた。

「くけけけけけけけけけけけけけけけ!」

 バネ仕掛けのようにびょんと飛び起きたフリューゲルは、魔導金属糸を繋げたままの腕でルージュを指した。

「やーいやーいやーい! 吸血鬼女が変だー、変だ変だ変だってんだぞこの野郎ー!」

「うむ、変じゃのう」

 ラオフーまでもがルージュをからかったので、フリューゲルは調子に乗ってげらげらと笑い転げる。

「くけけけけけけけけけけけけけ! 吸血鬼女のくせにコイなんかしやがってよー! ずるいぞこの野郎ー!」

「おぬし、意味が解って言っちょるんか?」

 ラオフーが少し呆れると、フリューゲルは更に笑った。

「んー、イマイチ! でも、オレ様には別にどうでもいいんだけどな! くけけけけけけけけけけけ!」

 フリューゲルのけたたましい笑い声は半球体に反響して何倍にもなり、鋭敏な聴覚にわんわんと響いている。
ルージュは頭痛にも似た感覚に苛まれ、二人に背を向けた。これ以上この場にいると、余計にからかわれそうだ。
フリューゲルはともかく、ラオフーまでもからかってくるとは。子供染みているが、だからこそ余計に腹が立ってくる。
少し頭を冷やさなくては、治ったばかりの人造魔力中枢がまた痛んでしまう。そう思い、ルージュは扉に向かった。
 二人は、まだ笑い転げていた。




 心地良い冷たさで、目を覚ました。
 額に載せられた濡れた布から溢れ出した水滴が耳元まで流れ落ち、頭の下に置かれた枕を少し湿らせている。
頭が痛い、と思ったが、痛いのは頭の中ではなく皮膚だ。額に出来た傷がずきずきと痛み、顔をしかめてしまう。
目を動かすと、見慣れない景色が目に飛び込んだ。年季の入った木の天井、壁を埋め尽くす本棚、石造りの壁。
上下式の窓はブラドール家の屋敷のそれに似ているが、雰囲気が異なり、こちらの方が年代が遥かに古そうだ。
 この部屋は一階をぶち抜いたものらしく、太い柱は何本もあるが壁はなく、階段は剥き出しの状態になっていた。
階段の前には、大人一人が横になれそうなほど大きな机と、怪しげな実験器具の載った作業台が置かれていた。
机の上や周囲には、本棚に入りきらなかったであろう本がうずたかく積み上げられていて、白い埃を被っている。
 言葉を発しようと口を開いたが、舌が口中に貼り付いてしまった。喉も渇いていて、全身に重たい倦怠感がある。
これは、長々と眠っていた証拠だ。早く起きなければ。起きて、戦わなければ。皆が、皆が、皆が。死んでしまう。

「いやだっ」

 ロイズは起き上がった拍子に叫んだが、喉が渇いていたために咳き込んだ。すると、硬い足音が近付いてきた。
誰だ、と目だけを動かすと、細い足が視界に入った。革製の長靴を履き、闇色の長い服をベルトで縛っている。
そのスカートの両脇には深い切れ目が入っていて、その隙間からは、色白で柔らかそうな太股が垣間見えた。
 女の子だ、とロイズが顔を上げると、少女が立っていた。作り物じみた、美しい顔がこちらを見下ろしている。
吊り上がった目は赤く、瞳孔は縦長。人では有り得ない深緑の髪を一括りに結び、二本のツノが生えている。
両耳も長く尖っていて、背中からは小振りながらも立派な爬虫類の翼が生えていた。ということは、この少女は。

「ドラゴン…?」

「ほう、賢明だな」

 ツノの生えた緑髪の少女は外見に見合った幼い声を発したが、その口調は高慢で男臭かった。

「貴様の顔を見るのはこれが初めてだが、なるほど、両親によく似ておるわ」

「え…」

 ロイズが戸惑うと、少女はロイズと目線を合わせてきた。

「どれ、少し見てやる。動くな」

 ひやりとしたものが、顎に触れた。ロイズは驚くほど冷たい温度にびくっとしたが、身動ぐ前に引き寄せられた。
柔らかくしっとりしたものが、口を塞いでくる。鼻先には少女の匂いが掠めたが、リリのものとどことなく似ていた。
目の前には驚くほど長い睫毛の目元と腺病質に思えるほど白い頬があり、口の中に湿ったものが差し込まれた。
それは緩やかにロイズの口中を舐め回していたが、粘着質な水音を立てながら引き抜かれ、少女の顔が離れた。
何が起きたのか、さっぱり理解出来なかった。ロイズが呆然としていると、少女は口元を拭いながら立ち上がった。

「魔力中枢に異常はない、魂の変動も見られない、体温は正常、消耗はしているが問題はないな」

「あの、えっと」

 ロイズが恐る恐る口を開くと、少女の背後から見慣れた顔が現れた。リリだった。

「ロイ、起きた?」

 リリはかなり照れくさそうに目線を逸らしていたが、ロイズに向いた。その頬は、火の傍にいるかのように赤い。
リリの表情とツノの生えた少女の仕草で、ようやくロイズは何をされたのか理解し、その途端に真っ赤になった。

「あ、う…」

 あれは恐らく、いや間違いなく、大人の男と女がするものであって、母親が生きていた頃には両親も時折は。
そこまで考えたが、それ以上は考えられなくなってロイズは俯いた。子供同士で、こんなことをしていいのか。

「気に病むな。これは貴様の身体異常の有無を調べるための行為だ、貴様などに情愛を感じたわけではない。それと、私を外見通りの年代だと思い込むな。この姿は利便性を重視した結果であり、それ以上でもそれ以下でもない。貴様の認識の通り、私は竜族だ。故に、貴様らなど足元にも及ばぬ魔力と知能を備えている。よって、人を模した姿になることなど造作もないことなのだ」

 平坦な口調に含まれる言い回しは、八歳のロイズにとっては難解な部分が多く、理解しきれるものではなかった。

「要約すれば、さっきの口付けは単なる身体検査で、そこの人は見た目通りの歳ではないと言うことだわ」

 聞き慣れた少女の声が聞こえ、ロイズは振り返った。部屋の中央のソファーに、黒髪の少女が腰掛けている。
やはりエプロンドレス姿のヴィクトリアだった。ヴィクトリアは面倒そうに目を上げて、灰色の瞳をロイズに向けた。

「あなた、起きるのが遅いんじゃなくて?」

 すぐに、ヴィクトリアの視線はロイズから外された。ロイズは状況がまるで掴めず、目線を彷徨わせてしまった。
まず最初に、ここはどこだろう。なぜリリがいるのだろう。なぜヴィクトリアがいるのだろう。この少女は誰だろう。
どうして、こういうことになっているのだろう。寝起きでぼんやりしている頭を働かせていると、記憶が蘇ってきた。
 夜明け前の悪夢。前触れのない襲撃。無遠慮な破壊。一方的な戦闘。竜人の翼が切り落とされた残酷な情景。
魔導兵器三人衆。このままでは皆が殺されてしまう。死体になる。母親のように。母親のように。母親のように。
フィリオラの錯乱した絶叫が、耳にべったりとこびり付いている。ロイズは思い出すほどに、息苦しさを感じた。
 だが、思い出さなくては。なんとか息苦しさを堪えて記憶を掘り返していると、ラオフーの姿と言葉が浮かんだ。
狩りには、餌が入り用じゃのう。ロイズは浅く息を吸い込んで立ち上がろうとしたが、白い手が翳され、制された。

「急に動くな。貴様は状態こそ正常だが、まだこの場に慣れてはおらん。リリ、グラスに入っている薬を」

 少女がもう一方の手をリリに差し出すと、リリは作業台まで駆け寄り、ワイングラスを手にして戻ってきた。

「はい、フィル婆ちゃん」

 リリは可愛らしく答え、少女にワイングラスを手渡した。少女は目元を和らげ、いい子だ、とリリに返した。

「飲め。魔力鎮静剤の効力を強めたものだ。飲まなければ、いずれ魔力中枢が潰れてしまうからな」

 少女は、ロイズに薬液の入ったワイングラスを渡した。ロイズは、青い薬液を見下ろした。

「これ、苦くないの?」

「ううん、甘くておいしいよ。ちょっとスカッとするけど」

 リリがにこにこと笑っている。ヴィクトリアも、伏せていた目を上げる。

「ハッカ味だとでも思えば、問題はなくってよ」

「早く飲まんか」

 少女に急かされ、ロイズは渋々ワイングラスに口を付けた。薬液は、夏場の高い空のような澄み切った青色だ。
魔力鎮静剤が、こんなに綺麗なはずがない。そんなにおいしいわけがない。半信半疑で、ロイズは口に含んだ。
すると、予想したような青臭い苦味も喉が痛くなるほどの渋みも吐き出したくなるほどのまずさも訪れなかった。
二人の言っていた通りに、甘く爽やかな味がする。甘みもしつこいものではなく、喉を潤すのに丁度良い具合だ。
飲み下すと、ハッカに似た香りが鼻を抜けていく。喉の渇きも手伝って、ロイズは薬液を一気に飲んでしまった。
 胃の中がじわりと熱くなるが、不快ではない。全身の魔力が宥められ、穏やかに落ち着いていくのがよく解った。
これは、本当に魔力鎮静剤だったのだ。それも、とんでもなく味のいい薬だ。ロイズは、心底感心してしまった。

「飲んだのであれば、話でも始めることとしよう。少々長くなるが、最後まで聞かぬと困るのは貴様だからな。全く、面倒なことになったものだ。ラオフーの独断さえなければ、もう少し事は荒立たずに済んだものを」

 少女はロイズの手から空になったワイングラスを取ると、作業台に置いてから、大きな机の前に立った。

「まず、私の名を教えてやろう。フィフィリアンヌ・ドラグーン、魔法薬学者だ」

 少女は身軽に机に腰掛けると、華奢な足を組んだ。



「そして、魔導兵器三人衆の主だ」







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