ドラゴンは滅びない




大決戦 中



 戦いは、続いている。


 戦況は良くなかった。
 足元に描いた障壁魔法の魔法陣の外周からはうっすらと煙が立ち上り、戦塵に混じり合いながら広がっていた。
握り締めている魔導金属製の杖は手袋がなければ触られないほど熱し、杖自身の限界が近いことを教えていた。
魔法で魔力中枢の限界を緩め、出力を引き上げたと言ってもそれは魔導師だけで、武装まで手が回らなかった。
戦闘を始める前に調整をしておくんだったな、と内心で後悔しつつ、リチャードは熱した杖を魔法陣に突き立てた。
 これまで、防戦一方だった。魔法で障壁を張り、連合軍の艦隊から撃ち込まれる砲弾を防ぐことに専念していた。
ギルディオスの言っていた通り、こちらで戦闘を開始したと同時に攻撃目標にされてしまい、集中砲火を受けた。
一対一で戦闘を行っている者達の元へは落ちないように気を遣い、障壁を斜めにし、砲弾を海へと落としていた。
だが、いつまでも障壁が持つわけではない。このまま砲撃を防ぎ続けていれば、いずれ劣化して破られてしまう。
そろそろ攻撃に転じなければ、やられてしまう。リチャードは呼吸を整えて目線を上げ、海上の障壁を見上げた。
炸裂音と風を切る音が聞こえたかと思うと、ほのかに光る魔力で成した壁の端に砲弾が激突し、空気が揺れた。
その衝撃に顔を歪めたリチャードは、隣の同じ魔法陣の中心で膝を付いている戦闘服の男、レオナルドを見た。

「そっちはどう、レオ?」

「正直言って、限界だ」

 レオナルドは、足元の障壁魔法の魔法陣を見下ろした。こちらの魔法陣も、外周から薄く煙が立ち上っている。
長時間過剰な魔力を注がれ続けたため、魔法自体も疲労している。そしてその術者も、魔力の消耗が激しい。
魔力中枢の限界出力をどれだけ引き上げたとしても、肉体と魂に潜在している魔力の絶対量は全く変わらない。
所詮、付け焼き刃の強化に過ぎない。そんな状態で、魔力を消耗する障壁を長時間張り続ければ疲れて当然だ。
二人掛かりの防御でも、艦隊には敵わない。このままではいずれ、障壁が破られて砲弾を喰らってしまうだろう。
状況を見極めるのは、早い方がいい。リチャードは熱した杖を両手で掴んで構えてから、レオナルドに言った。

「レオ。作戦変更だ」

「攻撃に転じるのか」

 レオナルドは、明らかに不愉快げだった。リチャードは、軽く肩を竦める。

「仕方ないでしょ。非常時なんだから。障壁、ちょっとの間だけ持たせてくれるかな」

「何をするつもりだ、兄貴」

「まあ、見ていてよ」

 リチャードは口の中で呪文を紡ぎ、杖を横に振った。

「一閃!」

 その声に従って解き放たれた魔力が、平面状に広がった。巨大な光の円盤は、勢い良く大きさを増していった。
海岸線を遥かに超え、海上へと到達した円盤の縁は連合軍の軍艦に触れたが、衝撃などは一切起こらなかった。
リチャードは、立ち上がったレオナルドに目を向けた。レオナルドが魔法陣から出ると、障壁がふっと掻き消えた。

「じゃ、炎をよろしくね。とにかくでかいのを一つ、先頭の軍艦に向けて撃ってくれないかな」

「気は進まないが、仕方ない」

 レオナルドはリチャードの前に踏み出ると、右手を銃を持つ形に握り、目を細めた。指の先には、軍艦がある。

「照準はこれでいい。行くぞ、兄貴」

「じゃ、どかんと派手に行ってみようか」

 リチャードは、レオナルドの指す方向に杖を向けた。

「頼れる身内がいるってのは、ありがたいことだねぇ」

「ああ、全くだ」

 皮肉混じりに呟いたレオナルドは、目を見開き、炎の力を一直線に放った。突然、虚空に炎の柱が現れた。
赤々と燃えるそれは真っ直ぐに伸び、空中を走って軍艦へ向かう。だが、距離があり、到底届くとは思えない。
リチャードの杖が振られると、炎の勢いが増した。小型の船程度の大きさまで膨らみ、矢のように先を尖らせる。
己の熱で加速しながら飛んでくる炎に軍艦からの砲撃が注がれたが、砲弾が当たるよりも前に沸騰し、溶けた。
どろどろに歪んだ鉛の固まりが海に落下し、そのたびに海面が爆発する。二人は、炎の行く先を強く見据えた。

「発破!」

 二人が揃って叫んだ瞬間、炎の固まりが爆ぜた。無数の矢と化した炎は軍艦に降り注ぎ、船体に激突した。
先頭の三隻だけでなく、後続や最後尾の軍艦にまで到達する。運良く炎を免れた軍艦もいたが、動けなかった。
焼け落ちた軍艦に阻まれていないはずの軍艦も、まるで海面が凍り付いてしまったかのように、びくともしない。
それは、リチャードが先程放った広範囲の魔力波が、海面近くの空間を一時的に凝結させているからであった。
そうして立ち往生している間に、近くで崩壊した軍艦の支柱や煙突が甲板に倒れ、激しい音を立てて破損した。
海へと逃げ延びようとする兵士の姿が見えたが、崩れゆく軍艦の下敷きになり、悲鳴が波間に飲み込まれた。

「近頃の船って、結構ダメだねぇ」

 弟の放った炎に顔を赤く照らされながら、リチャードは呼吸を整えた。

「対魔法武装がちっともされていないじゃないか。僕の放った魔力波が弾かれた様子もないし、レオの炎が弱まった気配もない。ただ、船腹を鉄板で覆って大砲をごてごて付けて煙突を立てただけじゃないか。そんなちゃちな武装で、よくブリガドーンに戦いを挑もうと思ったよねぇ」

「何人、死んだだろうな」

「一隻に最低でも五百と考えて、これまで沈めた軍艦の数は今のを含めて十隻だから、あー、考えるのはよそう」

「出来れば、殺したくないんだが」

 レオナルドが苦々しげに漏らすと、リチャードは苦笑した。

「だけど、殺さなきゃ殺されるじゃない。それに、僕はこういうことにはもう慣れちゃったから」

「慣れてもらっちゃ困るがな」

 レオナルドは、横目に兄を窺った。リチャードは杖を下ろし、燃え盛る艦隊を見つめた。

「そりゃ、最初は僕だって躊躇したさ。だけど、もう同じなんだよ。誰をどれだけ殺したって、なんとも思わない」

「堕ちるところまで堕ちやがって」

 レオナルドが頬を歪めると、リチャードは口元を上向けた。

「こんなことを言うのは実に僕らしくないとは思うけど、僕達のしていることは本当に正しくないって思うよ。利己的で自己中心的で、なりふり構わずってのがぴったりだ。でも、なんでだろうねぇ。迷えないんだよ」

 リチャードは手袋を填めた左手の親指で薬指の根本をなぞり、結婚指輪を確かめた。

「つくづく、僕は罪深い人間だよ」

「あの船に乗っている奴らにも子供はいるだろうし、好きな女もいるだろうし、帰るべき場所も守るべき家族もいるんだろう。そうは思うが、どうにも収まらない。そこに、リリがいると思うと」

 レオナルドは目を上げ、本島側からの砲撃を受けるたびに岩盤が砕かれていくブリガドーンを見上げた。

「オレも、人のことは言えんな」

「で、そっちはどう?」

 リチャードは、ダニエルに顔を向けた。ダニエルは海に近い砂地に描いた魔法陣の上に立ち、空を睨んでいる。
当然、視線の先にはブリガドーンがある。だが、ダニエルの視線は一点には定まっておらず、忙しなく揺れていた。
魔法陣はリチャードの描いたもので、感覚を飛躍的に強化するものだ。ダニエルはその力を借りて、視ている。
ブリガドーン全体を包み込むように渦巻いている激しい魔力の流れを見定め、飛び込む間合いを見計らっている。
どういうわけかは知らないが、ブリガドーンの空間の歪みは綺麗さっぱり消えたのだが、魔力はそのままだった。
うっかり高圧の魔力の中に飛び込んでしまっては、力の奔流に魂と魔力中枢を掻き乱され、死ぬ可能性が高い。
そうなってしまっては、元も子もない。だが、魔力の薄い部分を見つけても、すぐに濃い魔力が流れ込んでくる。
飛び込もうにも、あまりにも時間が足りない。地上からブリガドーンに到達するまでには、少々時間が掛かるのだ。
常に浮いていれば接近するまでの時間が稼げるのだが、魔法陣から出てしまうと感覚は平常時に戻ってしまう。
そうなれば、魔力の濃度が見分けられなくなる。それに、あまり無駄に魔力を浪費したくない、とも思っていた。
ブリガドーンに突入したとしても、脱出出来なければ何の意味もない。脱するだけの余力を、残しておきたかった。

「助けが必要なら早く言ってくれ、ダニー」

 レオナルドがダニエルに声を掛けたが、ダニエルはレオナルドを見もせずに返した。

「いや、いい。お前達は、まだ戦わなければならないだろう」

「やだねぇ、意地っ張りって」

 リチャードが口元をひん曲げると、なぜかレオナルドがむっとした。

「今言わなくてもいいだろう、そんなことは!」

「僕には君達みたいな人種が理解出来ないなぁ。なんで、せっかくの人の好意を足蹴にするんだか」

 僕なら十二分に利用する、とリチャードが頷いていると、ダニエルは面倒そうにリチャードに目を向けた。

「足蹴にしているわけではない。だが、私とお前達の役割は違うのだ。それぞれの任務に専念するべきだ」

「専念しすぎるのも、どうかと思うけどね」

 リチャードはちらりと軍艦の様子を窺ってから、ダニエルに向き直った。

「あちらさんは当分動けそうにないから、少しは話が出来そうだ」

「何を話す気だ」

 レオナルドが渋い顔をすると、リチャードは杖を抱いて腕を組んだ。

「まあ、興味がなければ聞き流してくれればいいよ。ダニーさんも知っているとは思うけど、僕は魔導師協会の役員だった。何の仕事をしていたのかは今となってはどうでもいいから省いちゃうけど、僕はその地位のおかげで結構な情報を手に入れることが出来た。今回の出来事の発端である禁書の情報も、少しだけど知っていたよ。ついでに、当初は協力関係にあったが、隊長であるギルディオス・ヴァトラス少佐と魔導師協会であるステファン・ヴォルグことフィフィリアンヌ・ドラグーン会長どのの価値観の行き違いによって事実上の敵対関係となった異能部隊の歴史も、その存在理由もね」

 ダニエルの目が動き、リチャードを凝視した。

「なぜ、それを」

「あ、出所は聞かないでね。軍事機密だってことは重々承知しているから」

 リチャードは片手を上げ、ダニエルを制した。レオナルドは、やや戸惑いながらも兄に言った。

「異能部隊が設立された理由は、異能者の能力を活用して戦うために決まっているだろうが」

「表向きはね。でも、それだけのことだったら、わざわざ異能者なんかを集める必要はない。兵士の中から魔導師の素質がある人間を掻き集めて、集中的に授業を付けて立派な魔導師に仕立て上げた方が余程効率的だ。共和国の各地から異能者を拾い集める方が、余程金も掛かるし手間も掛かる。なのに、敢えて異能者を選び出し、部隊とする理由があるとすればただ一つ。人智を越えた敵と戦うには、人智を越えた力を持つ者が必要だと軍のお偉方が考えたからさ。その、敵というのは」

 リチャードの紺色のマントが潮風を孕み、一瞬、彼の影が膨らんだ。

「ルーロン・ルーだ」

 ダニエルの目線が、僅かに震える。リチャードは、得意げににやける。

「ほら、図星だ。恐らく、ダニーさんはそのルーロンを倒すために、この間まで戦いに明け暮れていたというわけだ。情報源がどういうものなのかは知らないけど、追い続けていたんだろう。僕みたいな人間からすればその執念の源は解らないけど、はっきり言って無駄だ。そんなことをしたって、一体何になるっていうんだい。ルーロンを倒したら国が元通りになって死んだ者は皆生き返り世界が永遠に平和になるんならともかく、そんな過去の亡霊と戦ってもどうにもならないよ。レオもブラッドもそうだけど、あなたも随分ギルディオス・ヴァトラスに毒されている気がするよ。あの人はとてもいい人で強くて頼り甲斐はあるけど、ちょっと視野が狭いからね。いい加減、現実ってのを」

 ダニエルは、急に振り向いた。その視線がリチャードの杖に向かった瞬間、杖が見えない力に弾き飛ばされた。

「あら、怒った?」

 杖を飛ばされたリチャードは、その杖とダニエルを見比べた。レオナルドは兄の肩を掴み、揺さぶる。

「そうだとしても、それは今話すことじゃないだろう、兄貴!」

「じゃあ、いつ話せっていうのさ? 僕はね、倒れた政府の下らない機密を墓場に持っていくほど律儀じゃないよ」

 リチャードはレオナルドの手を払うと、杖を拾い上げ、ダニエルに向けた。

「もう一度言う。そんなことにこだわったって、いいことなんて何一つない。そうだろう、ダニーさん?」

 リチャードはダニエルに杖を向けたまま、弟に目を向ける。

「レオもレオだ。友達だからダニーさんの肩を持ちたいのは解るけど、レオも充分解っているはずだよ。解っているから、フィオちゃんと一緒にゼレイブに駆け落ちしてきたんだろう? 異能部隊基地を焼きに焼いて、逃げ出したんだろう? 戦乱に紛れて今までのことを全て放り出して、家族三人で仲良く暮らしているんだろう?」

「それは、そうかもしれないが」

 レオナルドは、言葉を濁した。ダニエルの気持ちも解るが、リチャードの言っていることも至極尤もだったからだ。
リチャードはまたダニエルに向き直ると、淀みなく言葉を連ねた。背後で軍艦から爆音が聞こえても、動じない。

「僕は十年間逃げ回って、罪を償う方法は見つけ出せなかったけど結論は出した。僕達のような時代錯誤で面倒な連中が生き延びるためには、逃げるか戦うしかない。でも、戦ったところで勝ち目はない。敵は今のところは連合軍だけど、それが国際政府連盟に変わるのは時間の問題だ。どちらにせよ、強大で厄介な相手だ。だから、結局は逃げるしかない。でも、誇りとか自尊心ってやつがその邪魔をする。僕も、最初の頃はそうだったよ。立派な地位の魔導師だったっていう自負がなかなか抜けなくて、諦めが付けられなかった。でも、一旦踏ん切りを付けてしまえば楽になる。何がどうなろうと、どうでもよくなる。それこそ、どれだけの数の人間を殺しても何も感じなくなるみたいに。でもその代わり、命懸けで守ってきたものに対しての執着は恐ろしく強くなる。僕の場合は、キャロルとウィータだ」

「ウィータ?」

 怪訝な顔でレオナルドに聞き返され、ああ、とリチャードは返した。

「子供の名前だよ」

「気が早すぎないか」

「いいじゃないの、いいのが思い付いたんだから」

 リチャードはレオナルドと言い合ってから、またダニエルに向いた。

「ダニーさん。あなたはその執着がないかのように振る舞ってはいるが、その実は誰より執着しているはずだ。そうじゃなかったら、ロイズを守るはずがないし、ましてや助けに来るわけなんてない。任務に固執する理由も、きっと」

「そこから先は」

 ダニエルは、重々しく口を開いた。軍帽を被り直してから、ブリガドーンを見据える。

「私の口から、あの子に話す。だからそれ以上、言わないでくれ」

「あら、そう? だったら、さっきの質問の返事を聞かせてくれないと、僕達もやりようがないんだけど」

 ねえ、とリチャードに話を振られ、レオナルドは頷いた。

「ブリガドーンを包んでいる魔力をどうにかする方法がないわけじゃない。だが、それは少し荒っぽくてな」

 ダニエルは、背格好だけは似ているが顔付きはあまり似ていない兄弟を見、僅かに笑った。

「そこまで言われては、仕方ない。援護を頼む」

「どうして素直に助けてって言えないのかねぇ、ダニーさんもレオも」

 あーやだやだ、とリチャードはぼやきながらも、杖の先でブリガドーンを示した。

「さて、ここで簡単な実験をしよう。魔力は、空気中に含まれている酸素ってやつにちょっと似た性質を持っている。もちろんどちらも似ても似つかないものだけど、大気中や水中、或いは地中の魔力濃度が高ければ高いほど魔法の効力が上がる現象は、酸素の濃い場所では炎が良く燃える現象に近いものがある。僕は物理学者じゃないからその辺のことを筋道立てて説明しないけど、理解しておいてほしいのはその前述の一点のみ。そして、愚弟の能力と僕の持ち得る魔法の中でも特に強い攻撃魔法を組み合わせて、ブリガドーンに放てば、さてどうなるでしょうか」

「答えろと?」

 ダニエルが若干困惑すると、リチャードはにんまりした。

「出来れば」

「その理屈で行けば、レオの炎とリチャードの魔法で高ぶった魔力が連鎖的に…」

 と、そこまで口に出して、ダニエルはぎょっとした。

「おい、お前達、何をするつもりだ!」

「どうせだから、島側の砲撃部隊も一掃しちゃおうと思ってね。目障りだしね。ちょっと爆風が来るかもしれないけど、魔法で軽減させるから大丈夫だよ。たぶん」

 しれっと言い放ったリチャードに、レオナルドはとてつもなく渋い顔をした。

「よくもまぁ、こんなにあくどい作戦を思い付くもんだな。本音を言えば、指の一本も貸したくないんだが」

「あ、そう。でも、早くやっちゃわないと、もっと面倒なことになるよ」

 じゃあやろうか、とリチャードに急かされたレオナルドは、しばらく目を伏せていたが、腹を決めた。

「ここまで来てしまったんだ。もう、躊躇う余地はない」

「毒を食らわばなんとやら、ってね」

 リチャードは白い手袋を引き抜くと、それを足元に放り捨て、その手の甲に刺繍された魔法陣に杖を突き立てた。
レオナルドは杖を持っていないので、その代わりとして右手の二本の指を立てると、魔力を高ぶらせていった。
二人の周囲の空気が、熱する。リチャードの紺色のマントがふわりと広がり、レオナルドの戦闘服の襟が揺れる。

「星の下、空の中、地の上に流れし数多の煌めきよ。我が言霊を聞き、愚かなる祈りを天の神へ届け、いざ、その願いを叶えたまわん。深淵を貫き、天を破りし神の怒りよ」

 リチャードはいつになく力を込めた声で、呪文を紡いだ。

「我が身に宿りし力を借り、いざ、天へと迸れ!」

 レオナルドが炎の力を解放したのと、リチャードが魔法を発動させたのは同時だった。

「発動!」

 唐突に、雷鳴が轟いた。雲もない空中から駆け抜けてきた恐ろしく太い稲光が、ブリガドーンの真上に落下した。
だが、それは一本ではなかった。東西南北の四方からも飛んでくると、ブリガドーンの岩盤を貫く勢いで刺さった。
強烈な圧の魔力を注がれたブリガドーンは上下と四方が大きく抉られてしまい、見るも無惨な姿となってしまった。
その稲光に、紅が絡み付いた。ヘビのようにうねりながら稲光を辿って進んだ巨大な炎は、抉れに突っ込んだ。
炎の光が強まり、稲光の輝きが増した直後、空全体が発光した。再び朝が訪れたと錯覚するほどの、光だった。
すかさず、リチャードが防御のために障壁を張った。港全体を、巨大な半球体の障壁がすっぽりと覆い尽くした。
 それから先は解らなかった。光が強すぎて視界を奪われ、爆音が強烈すぎて耳は役に立たず、感覚は痺れた。
砕け散った稲光の閃光が空気中に満ちていた魔力に広がり、炸裂させる。激しい炎の火の粉が、魔力を熱する。
数えるのもうんざりするほどの爆音が、繰り返された。どんなに優れた近代兵器でも、ここまでは出来ないだろう。
爆風が落ち着くと、煙が辺り一面に漂った。リチャードは障壁を消してから杖を一振りし、風を起こして煙を払った。

「…これは」

 あまりの光景に、ダニエルは思わず息を飲んだ。今まで見てきたどの戦場よりも、ひどい有様になっていた。
リチャードの障壁に包まれていた場所以外は、全てが焼き尽くされていた。港町の廃墟が、消え失せている。
つい先程までそこにあったはずの倉庫街や、石畳で作られた港や桟橋、海中にあった岩石までもが消えている。
あらゆるものが灰と化し、粉々に砕け、焼け焦げている。正に、この世の地獄と称するに相応しい光景であった。

「ああ、ちょっとやりすぎたかも」

 事も無げに、リチャードは呟いた。レオナルドは、血の気が引いた顔を上げた。

「ルーロンなんかよりも、兄貴の方が余程恐ろしくないか?」

「でも、ほら」

 リチャードは杖を上げ、向こう岸を示した。本島側にいたはずの連合軍の地上部隊が、そっくり消え失せていた。
ずらりと並んでいた高射砲は失せ、兵士達の姿も一切なくなり、あるのはこちらと同じく灰の山と煙だけであった。
これでは、ブリガドーンもただでは済まないだろう。そう思った三人が空を仰ぐと、そこにはおかしなものがあった。

「何だろ、これ」

 リチャードは、至極素直な感想を漏らした。ブリガドーンがあったはずの場所には、異様な球体が浮いていた。
ブリガドーンに比べれば大分小さく、距離が遠いためにあまり大きく感じないが、かなり大きな物体のようだった。
半球を上下に組み合わせているのか、真横に線が走っている。外見は、レンガを隙間なく積み重ねたかのようだ。
だが、見るからに普通のレンガではなかった。恐らく、魔導鉱石製のレンガによって造られている球体に違いない。
入り口は見当たらないが、表面には五芒星の魔法陣が描かれている。レオナルドは更に青ざめて、兄に叫んだ。

「お、おい、まさか、リリまで吹っ飛ばしたんじゃないだろうな、兄貴ぃ!」

「えーと…」

 答えを返せず、リチャードは言葉を濁した。ダニエルは、今にも兄を殴り付けそうなレオナルドを制した。

「とにかく、少しどころか物凄くというかおぞましいほど荒っぽかったが、魔力の乱れは消えた。私が行く」

「ああ、うん、お願い」

 リチャードは杖でいきり立つ弟を牽制しつつ、ダニエルに手を振った。ダニエルは、念動力を解放する。

「無事でいると思いたいが」

 ダニエルは空中を踏み切り、浮上した。レオナルドはリチャードの襟首を掴んで激しく揺さぶり、喚いている。
その文句は聞くに堪えないほど乱暴だったので、ダニエルはあまり聞かないようにするために上昇していった。
ブリガドーンだと思しきものに接近していくと、上空から巨体が降ってきた。それは、球体の頂点に落下した。
途端に球体がぐらぐらと揺れ、レンガの破片が零れ落ちた。球体の上で立ち上がったのは、ラオフーだった。
ラオフーは、太い指の間に挟んでいた四冊の禁書を手のひらの中に落とすと、その手を拳に固めて振り上げた。

「ぬぅあっ!」

 猛々しい掛け声と共に、拳が球体に振り下ろされた。球体のレンガは砕け散り、破片がダニエルにまで届いた。
球体の頂点に腕をめり込ませたラオフーは、しばらく中に手を入れていたが、ずっ、と引き抜いて立ち上がった。
ぱらぱらと細かな石の破片を落としながら、ラオフーは背を向けた。そこで、彼の尾が失われていることが解った。
尾が生えていた部分は無惨にも引き千切られ、接続部品が露出しているが、まるで気にしている様子はなかった。

「これで良かろう、竜の女よ。儂の仕事はこれで終わりじゃ、おぬしとの約束をちゃあんと果たしてやったぞい」

 ラオフーは首を曲げて、ごぎ、と関節を鳴らした。

「ああ、やれやれ。負け戦になんぞ付き合っとられんわい」

 ラオフーはもう一度首を回してから、球体を蹴り、飛び去った。

「なん、なんだ…」

 ダニエルは、状況が上手く掴めなかった。だが、禁書が奪われた、と言うことは、仲間達が負けたのだろうか。
はっとして焼き尽くされた港町を見下ろしたが、リチャードの障壁で円形に守られた中には、皆の姿があった。
泣き伏せるブラッド。息子に寄り添うラミアン。両腕を破損したヴェイパー。グレイスと戦い続けるギルディオス。
彼らの戦場から離れた場所には、黒塗りの蒸気自動車が止まっている。どうやら、伯爵も安全圏にいたようだ。
ダニエルは少しばかり安堵してから、球体に向き直った。入り口は、ラオフーの作ったあの大穴でいいだろう。
きっと、あの中に息子がいる。ダニエルは戦闘に対する緊張感とは違った緊張感に、胸中を締め付けられた。
 息子と向き合う。そのために来た。だから、二の足を踏んでいる暇はない。すぐにでも、助けに行かなければ。
ダニエルは両手の手袋を填め直してから、きつく握り締めて念動力を高め、己の体を球体へ向けて飛ばした。
 躊躇うことなど、ない。





 


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