ドラゴンは滅びない




告別



 後部座席に横たわる少女は、死体のようだった。
 毛布を掛けられて仰向けに横たえられ、顔色は青く、胸元が上下していなければ生きているようには見えない。
長い黒髪は乱れたままで、目元には涙が残っている。頬に触れてみると、その温度は驚くほど冷え切っていた。
これなら、半吸血鬼の自分の方が体温が高い。ブラッドはヴィクトリアの頬から手を外し、助手席に座り直した。
 ルージュを殺した余韻は、まだ残っていた。初めて好きになった相手が初めて殺した相手になるとは、皮肉だ。
これから先は、誰も好きにならない。好きになったりしたら、自分はおろか相手の女性まで苦しめてしまうだろう。
ルージュを殺した罪は、一生消えない。決して償えなければ、許されるはずもない。だから、受け止めるしかない。
ブラッドは握り締めていた左手を広げ、ルージュの魂を納めていた魔導鉱石の破片を見、唇が切れるほど噛んだ。

「よう」

 急に声を掛けられ、ブラッドはぎょっとして顔を上げた。運転席側に、ギルディオスが立っていた。

「ラッド。ヴィクトリアはどうだ?」

「変わりはねぇよ。眠り姫のままだ」

 ブラッドが返すと、ギルディオスは運転席の扉を開けて運転席に座り、ハンドルの両脇に足を投げ出した。

「ラミアンはどうした?」

「見張りだってよ。連合軍は、グレイスさん達が殺された後にすぐに撤退したみたいだけど、念のためだって」

 と、ブラッドは海側を示した。ギルディオスは、頭の後ろで手を組む。

「ラミアンらしいな」

「なあ、おっちゃん」

 ブラッドはルージュの破片をきつく握り締め、その拳の上に涙を落とした。

「オレ、すっげぇ格好悪いよ。好きな女も守れねぇくせして、粋がって、殺しちまった」

 ブラッドは、その拳を己の太股に叩き付けた。

「オレは強くなったつもりだったんだ。色んな魔法を覚えて、徒手格闘を教えてもらって、体力も魔力も鍛えて、自分じゃ結構立派になったって思っていたんだ。でも、そんなことなかったんだ。オレは昔のままの、ただのガキでしかなかったんだ。強くなったなんて思い上がりだったんだ。本当に強かったら、ルージュを殺さなくて済んだのに」

 翼が生えたままの背を丸め、ブラッドは喉の奥から言葉を絞り出す。

「強くなりたい。おっちゃんみたいな、本当に強い男になりてぇよ」

「オレは強くなんてねぇさ。ただ、ちょいと人より腕力があるだけだ」

 ギルディオスは、ヘルムを半吸血鬼の青年へ向ける。

「ラッド。戦うってのは、こういうことなんだ。傷付かない奴なんていねぇんだ。所詮、ただの殺し合いだからよ」

 項垂れたまま、ブラッドは頷いた。ギルディオスは続ける。

「最初から、戦いに格好良いことなんて一つもねぇんだよ。オレが戦う理由も、オレが居心地の良い場所を守りたいだけなんだ。そのためだけに、オレはうんざりするほど人を殺した。傭兵稼業も、言っちまえば人を殺して金を稼ぐ仕事なんだ。軍人だって、そんなもんだ。お前がしたのは、それと同じことなんだ。格好悪くて、当たり前だ」

「でも…」

「でももだってもねぇよ。そういう世界だ。こんな思いをしたくないんだったら、二度と戦うな」

 ギルディオスは、一際語気を強めた。

「誰も傷付けないためには、自分が傷付かないためには、それが一番なんだよ、ラッド。だが、現実はそうはさせてくれねぇ。いつだって厄介な敵がいるし、大事な家族や友達もいるし、なくしたくねぇものだってある。オレは人並みに我が侭なんだ、だから戦うんだ。その大事な連中の手を血で汚させるぐらいなら、自分の手が汚れた方が余程マシだからな。少なくとも、オレはそう思う」

 ギルディオスは頭の後ろで組んでいた手を外すと、ブラッドの肩に手を載せた。

「ラッド。無理だけはするんじゃねぇぞ。お前にはまだ逃げる先がある、逃げたくなったら逃げちまえよ」

「逃げたりしたら、ルージュに悪いよ。だから、オレは逃げちゃいけない」

「そうか」

「うん」

 ブラッドは前のめりになると、ボンネットに腕を置いて寄り掛かる。

「ルージュも、ゼレイブに連れて帰ってやっていいかな。墓、作ってやりたいんだ」

「きっと喜ぶぜ」

 ギルディオスは、ブラッドの金に近い銀髪をぐしゃりと乱した。ブラッドは、僅かに表情を緩めた。

「だと、いいんだけどな」

 ブラッドは、再び黙った。手のひらほどの長さがあるルージュの魔導鉱石の破片は、ブラッドの血に汚れている。
ゼレイブに戻ったら、見晴らしの良い高台に墓を作ってやろう。毎日綺麗な花を供えて、墓参りに行ってあげよう。
彼女と敵対しなければ出来たかもしれない、当たり前でごく普通の会話をしよう。返事が、返ってこないとしても。
今になって、色々な考えが浮かんでくる。夜に湖で会った時に、意地を張らずに好きだと言っていれば良かった。
そうすれば、未来は変わっただろう。それに、どうせ命を懸けるなら、命懸けで彼女を守り通せば良かったのだ。
戦う相手は彼女ではなく、両親や友人達になるだろう。それもまた辛い戦いになるだろうが、その道もあったのだ。
戦線を離脱して、駆け落ちでもすれば良かったかもしれない。二人とも空を飛べるのだから、どこへでも行ける。
ルージュが垣間見せていた女らしい素顔を引き出してやれば、ゼレイブに住まう皆と仲良く出来たかもしれない。
 後悔は、いくらでも出来る。だが、どれほど後悔したところで罪は消えず、ルージュが生き返ることもないのだ。
家族や友人達の命と、彼女の命を天秤に掛けた時点で間違えてしまったのだ。どちらも、等しく重いというのに。
 ブラッドは、ルージュの魔導鉱石の破片に唇を寄せた。ブラッドの体温を吸収していたので、温くなっていた。
彼女の唇の方が、余程温度が低かった。だが、機械の体の内側には、恋心を押し殺していた哀れな女がいた。
爆砕する直前に見せてくれたブラッドへの愛おしさと切なさが溢れていた笑顔が瞼に焼き付いて、忘れらない。
 やはり、彼女は美しかった。



 夜明けと同時に、ヴァトラス小隊は出発した。
 黒塗りの蒸気自動車の乗員は増減した。伯爵とダニエルの姿は失せ、代わりに子供達と魔導兵器が加わった。
蒸気自動車の後部に連結している荷車には、両腕を破損したヴェイパーと負傷したフリューゲルが乗せられた。
火葬跡から掘り出したダニエルの骨はリチャードのマントにくるまれて、蒸気自動車の後部座席に置かれている。
ロイズは、骨となった父親の傍に座っていた。リリはフリューゲルの隣に座り、ヴィクトリアは未だ眠り続けていた。
 走るに連れて、戦場が離れていく。リチャードの魔法や連合軍の空爆で破壊された場所が、後ろへ流れていく。
連合軍の兵士が大量に戦死したため、辺りに立ち込めていた胸の悪くなる腐臭も遠のき、空気が少々軽くなった。
ブリガドーンが消滅したために、ブリガドーンから発せられていた強烈な魔力も失われて空間も正常に戻っている。
ヴィクトリアの容態も心配なので、ある程度戦場から離れたら空間転移魔法を使って帰ろう、ということになった。
ヴァトラス小隊の面々はかなり消耗していたが、数日間休めば魔力中枢も元に戻り、減った魔力も多少回復する。
一人の魔力で空間転移魔法を行うのは無謀極まりないが、全員の魔力を掻き集めて魔法も調整すれば可能だ。
但し、海峡とゼレイブは距離が離れすぎており、一気に飛べる距離ではないので数回に分けて飛ぶ作戦を取った。

「悪いな、リチャード。あんなにでかい魔法を撃った後なのに、帰りのことまで任せちまってよ」

 ギルディオスは、助手席に座るリチャードを見やった。リチャードは、地図から顔を上げる。

「仕方ありませんよ、こればっかりは。魔法の細かい調整と計算は、僕しか出来ませんからね。でも、せめて三日は休ませて下さいね。そうでもしないと、魔力中枢が魂ごと焼き切れちゃいそうですよ」

「連合軍に見つからないように気を付けて、のんびり走るとするさ。目的は完遂したんだ、もう急ぐことはねぇ」

 ギルディオスは、内心で目を細めた。蒸気自動車の真上に影が滑り降り、ラミアンが接近してきた。

「ですが、気は抜けません。今回のことで、我々は連合軍に大分嫌われてしまったでしょうから」

「あれだけ大規模な戦闘を起こしちまったからな。嫌われない方がおかしい。だが、今回の戦いは表沙汰にはならないだろう。あれだけの大部隊をこれっぽっちの人数に全滅させられちまったんだ、そんな事実を公表したら連合軍の立場はなくなっちまうからな。だが、連合軍がこのまま引き下がるとは到底思えない。あの化け物二人を逃がしちまったのは痛いが、過ぎたことを悔いてもどうにもならん。また奴らが現れる可能性は高い、だから対策を立てておいた方がいいかもしれん」

 後部座席に座っているレオナルドは、人形のように眠っているヴィクトリアを支えていた。

「そうだねぇ。生体魔導兵器は相手にしたことがないから策の練りようがないけど、考えないよりはマシだよね」

 レオにしちゃ真っ当な意見だ、とリチャードが頷いたので、レオナルドは少々癪に障ったが堪えて後ろに向いた。

「お前ら、酔わないか? 荷車はこっちよりもかなり揺れるだろうに」

「うん。大丈夫」

 荷車の後ろ側に座っているリリは父親に振り向き、返した。一番後ろに座っているブラッドも、手を振る。

「まあ、なんとか」

「くけけけけけけけけけけけけ。オレ様は、リリの魔力のおかげで魂だけは超絶好調なんだからなこの野郎ー!」

 あまり動かない手を挙げながら笑い転げたフリューゲルを、レオナルドは睨め付けた。

「お前には聞いていない」

「それ、ちょっとひどいかも…」

 荷車の前半分に座っているヴェイパーは、苦笑した。リリはちょっと眉を下げたが、フリューゲルに向き直った。
ヴェイパーと互い違いになって座っているフリューゲルは、足の長さが荷車の幅を越えているので足を曲げている。
大きな両翼も折り畳んでいるので、窮屈そうだった。リリはフリューゲルの隣に座ると、彼の骨のような足に縋った。

「狭くない?」

「どうせ体が動かねぇんだ、そんなのはどうでもいいんだよ。それより、リリ」

 フリューゲルは動きの悪い左手で、破損した右手首を指した。リリのネッカチーフは、汚れ、焦げている。

「これ、汚れた。どうすりゃいいんだ?」

「あとで洗ってあげるね。上手く出来るか解らないけど、復元の魔法も使ってみる」

「フクゲン?」

「壊れたものを元通りに直す魔法だよ」

「そっか。そんなのがあるのか、すげぇなこの野郎!」

「でも、魔法でも直せないものもあるんだよね」

 リリは、後部座席に乗せられているダニエルの骨を包んだマントを見、涙ぐんだ。

「うん。解る。オレ様も、やっと解った。あの女の言っていたことって、こういうことだったんだな」

 フリューゲルは、かつてブリガドーンが浮かんでいた空を仰ぎ見た。

「吸血鬼女が、死せば無だ、って言っていたんだ。死んだら、全部なくなっちまうってことだったんだな」

 ブラッドは、目だけを動かしてフリューゲルを見た。フリューゲルは、まだ光の鈍い赤い瞳に藍色の空を映した。

「オレ様には、なんにもなかった。本当になんにもなかった。でも、リリがトモダチになってくれたのがすっげぇ嬉しかったんだ。だから、死ぬのが怖いってことが解ったんだ。死んだら、もうリリと遊べなくなっちまうからな」

「この世に、死なない奴は一人だっていねぇんだ」

 ギルディオスはハンドルを操りながら、呟いた。

「だから、意地汚くなっちまうんだ」

「少佐」

 後部座席に父親と共に座っているロイズは、ギルディオスに声を掛けた。

「あとで、父さんと母さんのこと、教えて下さい。父さんから聞こうと思っていたんだけど、もう聞けないから」

「おう」

 ギルディオスは、強く頷いた。

「うんざりするぐらい教えてやるよ、ロイズ新隊長どの」

「ありがとうございます」

 ロイズはぐいっと目元を拭うと、ヴェイパーに振り返った。

「ヴェイパーも、なんでもいいから教えてね。僕は、それを全部覚える」

「了解」

 ヴェイパーは、敬礼する代わりに頷いた。ロイズは、膝に乗せていたダニエルの軍帽を見下ろす。

「僕は父さんや少佐みたいな強い隊長にはなれないけど、頑張るよ。父さん」

 夜の気配が残る藍色の空に朝日が差し込み、朝焼けが広がりつつあった。東の果てから、白い光が訪れる。
それは荒れた道を走る蒸気自動車の濃い影を作り、戦いの終わった地を照らし出し、改めて現実を知らしめた。
ギルディオスは速度を緩め、停車した。ブリガドーンの沈んだ海に命を散らした、悪しき友人に思いを馳せた。
他の者達も、それぞれに複雑な思いを抱えて戦場を見つめた。苛烈で残酷な激戦は、今、終焉を迎えたのだ。

「さあ、帰るぞ」

 ギルディオスは蒸気自動車を加速させると、発進した。

「お前らには、帰る家があるんだからな」

 だが、自分にはないのだ。ギルディオスは前だけを見据えて速度を上げ、ゼレイブへ向けて車を走らせ続けた。
帰る家は滅ぼされ、守るべき家族も死んだ。掛け替えのない友人とは噛み合えず、思いが行き違ってばかりいる。
それでも、戦わなければならない。そこに愛おしいものがある限り、この魂は過熱し、鋼の相棒は戦いを求める。
そして、戦いの中で朽ちていく。ギルディオスは朝日の煌めきに体を焼かれながら、ハンドルをきつく握り締めた。
 握力は、明らかに落ちていた。




 星は巡り、夜は明け、再び暁が訪れる。
 死した者達は永遠の夜に消え、生き延びた者達は朝を迎える。
 それでも、終わりなき日々は続き、日常は連なっていく。

 日常と非日常は、常に隣り合っているのである。







07 7/12