ドラゴンは滅びない




瓦礫に満たされた街



 伯爵は、傍観していた。


 蒸気自動車のボンネットにフラスコを据え、内側から外を見ていた。先日出来たヒビのせいで、少々視界が悪い。
砂埃が立ち上り、がらがらと崩れる音がする。耳障りな轟音の合間から、ええいくそ、と悪態が漏れ聞こえてくる。
 ヴィクトリアも、ボンネットに座っていた。編み上げブーツを履いた足をきちんと揃え、寝乱れた髪を整えている。
先日着ていた灰色のワンピースではなく黒のワンピースを着、胸元には赤い魔導鉱石のブローチを付けている。
黒い革製の編み上げブーツはまだ新しいのか、つま先の部分はほとんど土に汚れておらず、底も減っていない。
服もまた真新しく、彼女の育ちの良さが窺えた。ヴィクトリアは愛おしげな手付きで、長い黒髪を櫛で梳いている。

「この野郎…」

 ギルディオスは瓦礫を掻き分けていた手を止め、吐き捨てた。

「ちったぁ、手伝いやがれってんだよ」

「嫌なのだわ」

 ヴィクトリアは櫛を動かす手を止めて、ちらりとギルディオスを見たが、またすぐに髪を整える作業に戻った。
瓦礫の中心に立つギルディオスは肩を上下させていて、その動きに合わせて背のバスタードソードが揺れた。
 ギルディオスはヴィクトリアを忌々しく思いながら、瓦礫を蹴り飛ばした。石壁なので、一つ一つが厚く重い。
これをヴィクトリアの手で動かせというのは無理な話だが、彼女には魔法があるのだから、それを使えばいい。
そもそも、言い出したのはヴィクトリアだ。確かに彼女を保護するとは言ったが、こき使われる覚えはなかった。
こき使われるのは毎度のことだが、好きなわけがない。ギルディオスはヘルムの汚れを拭い、ため息を吐いた。
 ギルディオスに伯爵、そしてヴィクトリアを加えた三人で旧王都を出発したのが今から三日前の出来事である。
三日間蒸気自動車で走り通して辿り着いた最初の街も、戦火でやられていて、人間も生き残っていなかった。
建物も崩れ落ちていたので、野営地にも向かないと後にしようとしたが、魔導師協会の支部を発見したのだ。
 そこでヴィクトリアは、ギルディオスに命じた。書庫を探して、と。彼女の目的は、禁書の入手であるからだ。
だが、いきなり探せと言われて探せるものでもない。第一、魔導師協会の支部の建物は全壊してしまっている。
壊れる前の姿を知っていれば探しようもあるかもしれないが、この街の魔導師協会支部には来たこともない。
だから探そうにもどこから探せばいいのか解らない、と、ギルディオスは言ったがヴィクトリアは聞かなかった。
なんでもいいから探せ、と強い口調で命じられたギルディオスは、渋々だったがヴィクトリアに従うことにした。
正直、禁書に興味はないのでそれほどやる気は出ないのだが、癇癪を起こされてまた撃たれてはたまらない。
なのでギルディオスは、とりあえずヴィクトリアの気が済むまで瓦礫を掘り起こすことにしたが、大仕事だった。
早朝から始めたが、既に昼を過ぎた。なのに、ヴィクトリアは気が済まないらしく、じっとギルディオスを見ている。
いい加減にしやがれ、とギルディオスは内心で悪態を吐いた。子供は好きだが、我が侭が過ぎると腹が立つ。
 上半身を起こし、前を仰ぐ。砲撃の直撃を受けながらも崩壊していない壁には、巨大な魔法陣が描かれていた。
六芒星を二重の円で囲み、その間に魔法文字が刻み込んである。よく見ると、線の一本一本が魔法文字だった。
ギルディオスには、これがどんな魔法を扱うための魔法陣かは解らないが、魔法文字ぐらいは辛うじて読める。
フィフィリアンヌの城で暇を持て余していた十年間に、退屈凌ぎを兼ねて勉強の真似事をしていたおかげだった。

「竜女神の力を継ぎし、小さき者よ」

 ギルディオスは、二重の円の外側の円を成している魔法文字を共和国語に訳し、読み上げた。

「魔導を信じ、魔導を欲し、魔導を深め、魔導を望み、魔導を生かし、魔導と生きよ」

「竜族の操る魔法における常套文句である」

 ギルディオスの呟きに、伯爵が返した。フラスコの中で、ごぼ、と気泡を吐き出して破裂させた。

「そのくどい言い回しは約千五百年前に使用されていた魔法なのであるからして、そこに書かれている呪文の一部はかなり古いものであると判断出来るのである」

「言い回しは古いけど、魔法の形式としては新しい部類に入るのだわ。文字の並び順がそうだもの」

 ヴィクトリアは櫛を止めて、顔を上げた。灰色の瞳が、石壁に刻まれた魔法文字を舐め回す。

「竜女神の恩恵を受けし豊穣なる大地に生まれ落ち、竜女神の寵愛を受けし涼やかなる風を浴び、竜女神の慈悲を受けし魔性の力を魂に満たせし万物よ、その身は我が手に、その力は我が魂に、その流れは我が膝下に」

 少女の言葉を受け、分厚い壁が震えた。くすんだ灰色の石壁にびしりとヒビが走り、細かな破片が飛び散る。

「その身に下されし契約に、来たるべきは終焉である。フィフィーナリリアンヌ・ロバート・アンジェリーナ・ドラグーン・ストレインの名の下に、戒められし土の眷属よ、いざ往かん原初の海へ!」

 ヴィクトリアは立ち上がると、右手を振り翳した。直後、ギルディオスの足元が撓むように揺れ、壁が歪んだ。
水面のように表面を波打たせた壁は、先程走ったヒビを広げ、石壁を成している石をばらばらと落とし始めた。
ギルディオスは飛び退き、壁の前から遠ざかった。蒸気自動車の前までやってくると、波打っている壁を見上げた。
大量の石が落下し、瓦礫を打ち砕いていく。瓦礫が砕けるたびに砂埃が舞い上がり、視界が白に覆い隠された。
風に揺られる木々にも似た動きで揺れていたが、動きが弱まり始めた。次第に鈍くなっていき、そして止まった。
ずずずず、と重たい動きで体を起こした壁は元の位置に戻ると、固まった。しばらく待ってみても、動かなかった。
どうやら、終わったらしい。ギルディオスがヴィクトリアを見上げると、ヴィクトリアは少しばかり得意げな顔をした。

「簡単な仕掛けなのだわ。ただ、契約者の名前が解らなければ、解除出来ない魔法ではあるけれど」

「うむ。この手の魔法は、術者の本名を知らなければ解除出来ぬのである」

 伯爵の言葉に、ギルディオスは腕を組んだ。

「ま、こんなところにこんな魔法を仕掛けるような奴は、フィルぐらいしかいねぇよな。なんたって、魔導師協会の会長様であらせられたんだからな」

 フィフィーナリリアンヌ・ロバート・アンジェリーナ・ドラグーン・ストレイン。それは、フィフィリアンヌの本名である。
ストレイン、というのは夫の名字だ。だが、こちらの名は長々しい上に面倒なので彼女は滅多に使おうとしない。
フィフィリアンヌは魔導師協会会長ではあるが、関係者には姿を隠し、名前もステファン・ヴォルグと偽っていた。
その理由はギルディオスには解りかねるところだが、フィフィリアンヌには様々な事情があるのでその関係だろう。
彼女の本来の仕事は魔法薬学の研究だが調薬や調毒も請け負っていて、その毒で暗殺された要人は少なくない。
調毒のためなら後ろ暗い金も受け取っていたし、叩けば嫌になるほど埃が出てくるので、特に不自然ではない。
そんな女を魔導師協会の会長職に据えた魔導師協会もどうかと思うが、壊滅した今となってはどうでもいいことだ。
急に、あ、とヴィクトリアが背伸びをした。ギルディオスはその視線の先を辿っていき、魔法陣の中心を見やった。
 崩れた石壁の隙間から、四角いものが覗いていた。




 後部座席からは、細い寝息が聞こえていた。
 魔導師協会支部であった瓦礫の山に近い場所に、壁は壊れているが屋根は残っている建物が辛うじてあった。
ギルディオスはその中に蒸気自動車を入れ、ヴィクトリアを寝かせた。子供であれば、充分横になれる広さなのだ。
助手席に置いた鉱石ランプからは青白い光が放たれ、その傍にある分厚い本と、ヒビのあるフラスコを照らした。
 本の背表紙には魔法陣が描かれていて、題名は魔法文字だった。ギルディオスはその本を取り、開いてみた。
ぱらぱらとページを送って、裏表紙を開けて遊び紙を広げた。そこには、禁持出、との判がべったり押してあった。
そして、魔導師協会会長承認、と中心に書かれた魔法陣の判もあり、いずれもインクは鮮やかな朱色だった。
ヴィクトリアによれば、それが禁書の証だという。通常の禁持出の場合は、どちらの判も青インクなのだそうだ。
なぜそんなことを知っているか、と尋ねてみると、どちらも城の書庫にあったから、とヴィクトリアは平然と答えた。
それはつまり、彼女の父親であるグレイスが魔導師協会から禁持出の魔導書を強奪していた、ということである。
大方そうなのだろうと察しは付いていたが、改めて聞くと不愉快な気持ちになる。程度は違えど、悪事は悪事だ。
本はかなり状態が良く、あの分厚い石壁に封じ込められていたとは思えないほど紙も新しく印刷も綺麗だった。
砂埃にまみれていたが、払えば問題はなかった。本自体にも、物質を保持する魔法が掛けられているのだろう。
 ヴィクトリアは禁書を熱心に読み耽っていたが、眠たい、と言って横になってから何分もしないうちに熟睡した。
彼女もそれなりに疲れていたのだろう。トランクから取り出した自前の毛布にくるまって、厚い服を枕にしている。
背を丸めて身を縮めて、拳銃を仕込んだクマのぬいぐるみを抱いて眠っているヴィクトリアの寝顔は安らかだった。
 昼間も大人しけりゃいいが、とギルディオスは頭の片隅で思ったが、彼女を連れるのに同意したのは自分だ。
これからもこういうことはあるだろう。だから、いちいち苛立っても仕方ない。ギルディオスは、魔導書を広げた。
著者名はない。だが、題名の下に不自然な空白があるので、恐らくは魔法で消されたのだろう。よくあることだ。
ページをめくって目次と本文の間のページを開き、そこに印された魔法文字で書かれた短い文章に目を留めた。

「汝、呪わるることなかれ、か」

 ギルディオスの小さな言葉に、助手席にいた伯爵が蠢いた。

「それは呪術絡みの本である。魂を呪詛の根源とした呪いの方法が書いてあるので、危険と言えば危険やもしれぬが、グレイスやフィフィリアンヌの蔵書である魔導書を粗方読み漁ってしまったヴィクトリアにとっては大したものではなかろう。どちらの城にも、この程度の魔導書などごろごろしていたのである」

「なあ、伯爵。禁書ってのは、フィルの奴が決めたんだろ? どういう基準で決めたんだ?」

 ギルディオスの問いに、伯爵はぐにゅりと柔らかな身を捩った。

「我が輩に聞かれても困るのである。あの女の考えていることなど、理解出来ぬのである。我が輩から見ても人の手には余る魔法を印した魔導書もあれば、どこからどう見ても危険とは思えぬ書物までも禁書扱いになっておるのである。その中には、貴君の兄君の日記も含まれておるのである」

「イノの?」

 伯爵の言葉に、ギルディオスは内心で目を丸くした。

「そうか、イノのも禁書なのか…。まあ、そりゃ、王国と帝国にとっては都合の悪い事実とかが日記の中に残ってるけど、魔導師協会が禁書扱いするほどのもんなのか?」

「だから、我が輩に聞くでない。鬱陶しいのである」

 伯爵に一蹴され、ギルディオスはちょっと首を縮めた。元より、伯爵との会話でまともな答えなど期待していない。
イノ、とは、今から五百二十年ほど前に自殺したギルディオスの双子の兄で、ギルディオスとは正反対の男だった。
生まれつき魔力を持たないギルディオスとは逆に高魔力を有し、優れた才で国王付き魔導師にまでのし上がった。
その一方で、実の妹であるジュリアへの恋情とギルディオスへの嫉妬に苛まれ、ギルディオスを填めて殺害した。
兄に殺害されてから五年後にギルディオスは甲冑の体を得るのだが、弟が蘇ったと知ると兄の憎しみは再燃した。
そして紆余曲折の末、妹の心が自分に向かないことと双子の弟を殺した罪を自責して、イノセンタスは自害した。
イノセンタスが命を絶つために腹に突き立てた剣は、ギルディオスが愛用している巨大なバスタードソードだった。
ギルディオスがこの剣を使い続けるのは、思い入れがあるからというだけではなく、兄の命を背負う意味もある。
 そのイノセンタスの日記には、確かに世間に公表するべきではない歴史の暗部が隠れているが、それぐらいだ。
中世時代の魔導師協会役員の摩擦や、ドラゴン・スレイヤーの名簿の一部や、殺した竜族の死体の利用法など。
ごく一部だけを上げているから妙な気がするだけで、広義に見てみれば、別に変なことではないのかもしれない。
これから禁書を集めていけば、少しはまとまりが見えるだろう。ギルディオスは顔を上げ、崩れた壁の先を見た。
 廃墟は、聴覚がじんとするほど静まっている。物音らしい物音はせず、時折風が瓦礫を抜けていく音がする。
鉱石ランプに照らされている甲冑の横顔を、伯爵は見上げていた。彼が黙り込んでいるので、伯爵も黙っていた。

「ん?」

 ふと、ギルディオスが顔を上げた。すかさず、足の間に置いていたバスタードソードに手を掛ける。

「どうかしたのかね」

 伯爵が尋ねるとギルディオスは横を向き、割れた窓から暗がりを見つめていたが、肩から力を抜いた。

「いや、大したことねぇ。なんかの気配があったが、魔力もそんなに感じねぇから、たぶん動物だ」

「解るのであるか?」

「なんとなくな。つっても、はっきりと言い切れるわけじゃねぇけど」

 ギルディオスはバスタードソードの柄に手を掛け、引き寄せた。

「昼間、ヴィクトリアがあの壁の魔法を解除したからかもしんねぇし、久々に外に出てきたからかもしんねぇけど神経が冴えちまっててよ。まあ、不寝番をするにはその方がいいけどな」

 伯爵も感覚を引き上げ、周囲の気配を感知した。確かにギルディオスの言う通り、生き物らしき気配があった。
だが、魔力はそれほど高くない。足音も体重が軽い上にあまり音がしていないので、人間ではないようだった。
その者の気配を感じ取っていると、じっとこちらを視られているような雰囲気がある。その視線は、鋭さがある。
ただの動物にしては、どこか妙だ。伯爵は、次第にその者に対して関心が湧いてきた。暇潰しにはなりそうだ。

「ギルディオスよ」

 伯爵はフラスコの内側から触手を伸ばし、甲冑を指した。

「我が輩は少し出歩いてくるのである。せいぜい、この忌々しい小娘の子守をしておるが良いぞ」

「迷子になるなよ。ならねぇだろうけどな」

 ギルディオスは、力のない仕草で手を振った。伯爵は、嘲笑する。

「はっはっはっはっはっはっはっは。全てに置いて優れておる我が輩に何を申すか、このニワトリ頭め」

「言ってろ」

 ギルディオスはハンドルの両脇に足を投げ出して運転席に身を沈め、バスタードソードを抱いて腕を組んだ。

「朝までには戻ってこねぇと、置いていくからな。この変態生物」

「はっはっはっはっはっは。貴君の罵倒は、雨晒しにして泥を塗り込んだ剣のように切れ味が悪いのであるぞ」

 伯爵は高笑いを放ってから、魔力を高めた。五百七十年以上も長らえたおかげで、それなりに魔法は扱える。
中でも、自力で長距離の移動が出来る空間転移魔法は使用頻度が高いので、伯爵が最も得意とする魔法だ。
といっても、スライムの魔力などタカが知れているので空間をねじ曲げられる距離は短く、長距離は移動出来ない。
それでも、地べたを這いつくばりながら移動していた時と比較して考えれば、かなり効率が良くなったのは事実だ。
 伯爵は半壊した建物の外に、空間軸を定めた。その一点を睨むように魔力を尖らせて、魔法を成し上げる。
絞った魔力をそちらに向けて解放すると、フラスコとその周囲の空間がほんの一瞬だけ魔力によって変質した。
 伯爵の視界から鉱石ランプの青白い光が消え、ギルディオスの姿も消え、蒸気自動車の座席の感触も消えた。
直後、ごとり、とフラスコの底が硬いものと衝突した。頭上には藍色の夜空が広がり、砂粒がガラスに当たる。
伯爵は高めた魔力を静め、辺りを見渡した。無事に外へ出られたようだ。二人のいる建物は、背後に見える。
思っていた以上に勢いが出てしまったようで、割れた窓や壁の穴から零れてくる青白い光が遠ざかっている。
だが、何の問題もない。伯爵はどこかの建物の壁であったと思しきレンガの固まりの上から、ごとっと動いた。
 視点を反転させて前方に向けると、白いものが目に入った。弱々しい月明かりを浴びた、何かがそこにいる。
大きさはそれほどでもないが、伯爵よりは大きかった。じっとそちらに視点を据えていると、不意に声が響いた。

「いい夜でごぜぇやすねぇ」

 その声は、中年の男の声に良く似ていた。しかし、それらしき声を発した人間の姿はどこにも見当たらない。
伯爵が様子を窺っていると、白いものはぐいっと首を持ち上げた。二つの尖った耳が、己の正体を主張していた。
丸まった背、逆三角形の小さな鼻、その両脇から伸びたヒゲ、小振りな頭、揃えられた前足、しなやかな長い尾。
廃墟の世界にあまり似つかわしくない、真っ白なネコだった。ネコは宝石のような青い瞳を瞬かせ、尾を振った。
 そして、うにゃあ、と一声鳴いた。







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