ドラゴンは滅びない




家庭内小戦争



 その日から、二人の間で戦いが始まった。
 だが、それは直接的な戦闘ではなく、互いの立場を削り合って精神的な負担を掛けていく、地味で嫌な戦いだ。
先手を打ったのは、ルージュだった。仕事がないことを責められないような状況を作ることは、攻撃であり防御だ。
家庭を守っていると自負しているジョセフィーヌの自尊心を削るには、その家庭の中心に近付くのが最も有効だ。
そこでルージュは、書庫の整理をすると進言した。フィフィリアンヌの下にいたのでよく解っている、と付け加えて。
事実、ルージュはフィフィリアンヌに頼まれて書庫の整理をする際に、フィフィリアンヌと伯爵から色々と教えられた。
魔法や魔導書の分類だけでなく、魔法の構造と歴史や著者の経歴、ひいては魔物族の分布と変移と滅亡までも。
三ヶ月の眠りから目覚めたばかりで頭の中が真っ新だったおかげで、ルージュの中にそれらの知識は浸透した。
フィフィリアンヌや伯爵には到底及ばないものの、それでもラミアンと充分渡り合えるほどの量の知識を得ていた。
そして、ルージュはラミアンと共に書庫の整理を行った。大分話し込み、吸血鬼同士でしか解り得ない話もした。
 書庫の整理を終えた頃には、日が暮れていた。虫干ししていた本を回収して、読めなくなった本は箱に入れた。
フィフィリアンヌの書庫には劣るがラミアンの蔵書もなかなかのもので、魔導兵器二人掛かりでも一日仕事だった。
ラミアンが不要と判断した魔導書や書籍を詰めた木箱を抱えたルージュは、ラミアンと共に廊下を歩いていた。
階段に差し掛かると、乾いた洗濯物を詰めたカゴを抱えたジョセフィーヌが上ってきたが、朗らかな笑顔を見せた。

「ご苦労様、ルージュ」

 うちの人を丸め込んだぐらいで調子に乗るんじゃないわよ、とジョセフィーヌは刺々しい思念を叩き付けた。

「書庫の整理は慣れているからな。滞りなく終わった」

 外堀ではなく一気に内堀から崩してやる、異能者如きが私を侮るな、とルージュもすかさず鋭い思念を返した。

「これは焚き付けにでも使ってくれ。こうも虫食いが多くては、読むことはおろか開くことすら危ういのでな」

 ラミアンが木箱を叩くと、ジョセフィーヌは頷いた。

「ありがたく使わせて頂くわ、ラミアン」

「では、私は先に下へと降りるとしよう」

 ラミアンは二人に礼をしてから、先に階段を下りていった。その足音が聞こえなくなってから、二人は向き直った。
目を合わせるだけで、双方の敵意が電流のように伝わってくる。ルージュは木箱を右に抱え、腰に左手を当てた。

「せいぜい焦るがいい。所詮、お前はこの程度なんだ」

「誰も焦ってなんかいないわよ。あなたの方こそ、あまり無駄なことをしないで下さる? 下手に屋敷の中を引っ掻き回されて、物を壊されたりしたら困るもの」

「そんなに低俗なことはしない。次に落とすべき対象は、既に見定めてある。あの小娘だ」

「あら、今度はどんな作戦を展開するつもりかしらねぇ。どうせ、下らないことなんでしょうけど?」

「台所はお前の縄張りだが、そこを攻め崩す楽しみは最後に残しておいてやる」

 ジョセフィーヌの隣を通り過ぎたルージュは、得意げに言った。

「どんなことになるか楽しみだな」

 ルージュの硬い足音が階段を下り、推進翼の生えた後ろ姿が見えなくなる。ジョセフィーヌは、歯噛みしていた。
となれば、こちらも先手を打つべきだ。ヴィクトリアの尊大で我が侭だが幼い性格は、こちらの方がよく解っている。
ヴィクトリアは性格こそ我が侭で尊大だが、まだまだ子供だ。その子供の部分に働きかければ、味方に出来る。
ならば、準備をしなければ。ヴィクトリアを陥落させるのに最も有効かつ簡単な手段は、甘い菓子を与えることだ。
それも、砂糖をたっぷり使ったひたすらに甘いものだ。喉が渇くほど甘くなければ、ヴィクトリアは満足してくれない。
大事な砂糖の蓄えが減ってしまうのは惜しかったが、背に腹は代えられない。手段など選んでいる余裕などない。
 あんな女に、負けてなるものか。




 翌日。ジョセフィーヌは、ヴィクトリアの部屋を訪れていた。
 午前中は男達が仕事で出払っているために屋敷の中はひっそりと静まっており、扉を叩く音が廊下に響いた。
間を置いてから、石盤を叩く音が返ってきた。ジョセフィーヌは左右を素早く窺ってから、そっと厚い扉を開いた。
ヴィクトリアは窓際に置いた机に向かっていたが、上半身を捻り、訝しげな顔でジョセフィーヌを見上げていた。
ジョセフィーヌは愛想の良い笑みを浮かべてから、手にしていた盆をテーブルに置き、少女の元へと近付いた。

「勉強、捗っている?」

『そこそこなのだわ』

 手早く返事を書いたヴィクトリアは、細い眉を曲げてジョセフィーヌを見据えた。

『あなた、何をしに来たの?』

 ジョセフィーヌは机の片隅に転がされていた折れた白墨を取ると、ヴィクトリアの石盤に手早く書いた。

『少し、話があるの』

 ジョセフィーヌの唐突な行動を訝りながらも、ヴィクトリアは書いて返した。

『それは人には聞かれたくない話なのね? あなたの白々しい笑顔を見ればすぐに解ってよ』

『だったら、話は早いわ』

 ジョセフィーヌは机に腰掛けて、手早く文字を連ねた。ヴィクトリアのやや幼い字の上に、整った字が並ぶ。

『ルージュが接触してきても、拒否してくれる? どんなことであろうとも、あの女と関わらないでほしいの』

『あらまあ』

 ヴィクトリアはそう書いてから、呆れ果てたと言わんばかりの目でジョセフィーヌを見上げた。

『昨日から様子が妙だと思っていたけれど、そんなことだったのね。なんて馬鹿らしいのかしら』

『馬鹿らしい? これのどこが馬鹿らしいのよ。あの女は秩序を乱す存在よ、排除して何が悪いのよ』

『なんて低俗なのかしら、ああ呆れたわ。そんなことに、この私が付き合うと思って?』 

 ジョセフィーヌは更に言い返そうとしたが、石盤は二人の書いた文字に埋め尽くされていたのでひっくり返した。
そして、また書き始めた。胸の内に滾るルージュに対する憎しみに似た感情を押さえながら、言葉を並べていく。

『付き合ってもらわなければ困るの、ヴィクトリア。あの女は、私が長い時間を掛けて積み上げてきたものを横からかっさらっていくのよ。ブラッドだけでも辛いのに、あの女はラミアンにまで近付いたわ。私のいた場所に、あの女が入り込んでいくのをこのまま見ているだけなんて耐えられないのよ』

 ジョセフィーヌが余程必死な顔をしていたのだろう、ヴィクトリアはじっとジョセフィーヌを見つめていた。

『私に行動してほしいのであれば、それ相応の対価を頂くわ』

 その言葉に、ジョセフィーヌは笑った。少しでも興味を示されたなら、あとはこっちのものだ。

「ええ、ちゃんと用意してあるわ」

 ジョセフィーヌはテーブルに戻り、皿の上に被せていた器を取った。その下から、立派なケーキが姿を現した。
たっぷりと蒸留酒が染み込んだ厚いケーキ生地の間には、こちらもまた分厚く塗られたクリームが挟まれていた。
新雪のように柔らかいクリームの上には春先に作り置きしておいたイチゴのジャムが塗られ、溢れるほどだった。
ケーキの表面には薄い桃色の花びらの砂糖漬けが品良く散らされ、ジャムの赤とクリームの白を引き立ている。
 ジョセフィーヌはいくらなんでも甘すぎるだろうと思いながら仕上げたケーキだったが、彼女に効果は覿面だった。
ヴィクトリアは、頬をほんのりと紅潮させながらケーキを凝視していた。気取った表情の失せた、子供らしい顔だ。
今すぐにでも食べたいのか、ちらちらとジョセフィーヌとケーキを見比べているが、両手を握り締めて我慢している。

「あなたが私に付いてくれるなら、すぐにでも差し上げるわ」

 ジョセフィーヌがケーキの皿をテーブルに置くと、ヴィクトリアは赤らんだ顔を背け、石盤に書いた。

『卑怯だわ。賄賂なんて、そんな』

「いいえ、違うわ。これはヴィクトリアへの差し入れであって、そんなものではないわ」

 ジョセフィーヌが柔らかく微笑むと、ヴィクトリアは迷いながらも白墨を動かした。

『けれど、ああ、どうしましょう』

「迷うことはないわ。だってこれは、あなたのものだもの」

 ジョセフィーヌは皿を持ち、さあ、と差し出した。ヴィクトリアはことりと白墨を机に置くと、しきりに手を拭った。
何度も何度も拭って白墨の粉も本の埃も僅かに滲んだ汗も拭き取ってから、恐る恐る、人差し指を伸ばした。
ヴィクトリアは満面の笑みを浮かべて待ち受けているジョセフィーヌを見ていたが、視線をケーキへと落とした。
血色は薄いが艶の良い唇を曲げてきっと眉を吊り上げていたが、伸ばした人差し指がジャムに触れると崩れた。
煮詰められたジャムを指にたっぷりと掬い取り、垂れる前に舐め尽くしたヴィクトリアは、だらしなく頬を緩めた。
 この瞬間、ヴィクトリアは陥落した。




 だが、ルージュは一筋縄ではいかなかった。
 ヴィクトリアを陥落したことで心の余裕を得たジョセフィーヌは、居間で鼻歌を歌いながら洗濯物を畳んでいた。
この屋敷にいる者の三人は服を着ずに生活しているとはいえ、他の者達は普通に服を着ているので量はある。
最初こそ少し面倒に思ったが、今ではすっかり慣れてしまった。汚れ切った作業着も丁寧に畳み、分けていく。
これを運ぶのは夕食前でいいだろう、と思いながらジョセフィーヌが立ち上がると、正面玄関が開く音が聞こえた。
そろそろブラッドが帰ってくる頃だったので、ジョセフィーヌはどうせなら息子を出迎えてやろうと正面玄関に行った。
 だが、扉を開けたのは息子ではなかった。大事な家庭を脅かす忌まわしい機械仕掛けの女、ルージュであった。
ルージュと顔を合わせた瞬間、ジョセフィーヌは顔に浮かびかけていた笑顔が歪んだが、寸での所で取り繕った。

「あら、お帰りなさい」

 別に帰ってこなくてもいいのよ、あなただけは。ジョセフィーヌは、穏やかな言葉の裏に辛辣な思念を加えた。

「ただいま」

 お前に私を追い返せるものか、身の程を知れ、この年増が。ルージュも笑んだが、凶悪な思念が返ってきた。

「あ、ジョーさん。ただいま帰りました」

 ルージュの背後から、機械油に汚れた作業着に身を包んだピーターが顔を出した。

「お帰りなさい、ピート」

 ピーターに感付かれてはまずいと即座に思ったジョセフィーヌは思念を切ってから、ピーターを出迎えた。

「けれど、珍しい取り合わせね。何かあったのかしら?」

 思念は使えずとも、言葉に含みは持たせられる。ジョセフィーヌの言葉は、遠回しながら引っ掛かりがあった。

「それがですね、ルージュさんって凄いんですよ!」

 だが、ピーターはその言い回しには反応せず、妙に晴れやかな顔でルージュを示した。

「オレがどれだけいじっても全然動かなかった駆動部分の問題点を一発で見つけ出してくれた上に、色々と修正してくれまして! おかげでヴェイパーの左腕部の機能が元に戻りますよ! 左腕上腕部の鎖の可動部分は単純そうに見えて複雑ですから、オレの腕じゃどうしても直し切れなかったんですけど、これで作業も捗ります!」

「それは良かったわね」

 ジョセフィーヌは笑みが引きつりそうになったが、堪えた。ルージュは、にやりと目を細める。

「何、簡単なことだ。魔導兵器の構造など、どれも大差がないからな」

「じゃ、オレは手を洗ってきますんで!」

 敬礼したピーターは、かなり嬉しそうな足取りで立ち去った。ジョセフィーヌは、彼に軽く手を振って見送った。
ピーターの姿が見えなくなると、ジョセフィーヌは笑顔を消した。先程の柔らかな表情から一転し、敵意を現した。

「あれが内堀? それにしては、随分外側だこと。失敗もいいところだわ」

 ジョセフィーヌの押し殺した呟きに、ルージュも小声で返した。玄関先なので、誰に聞かれるか解らないからだ。

「確実な部分から着実に攻めていく、それが私のやり方だ。誰が何を望んでいるかを把握しておくのは当然だ」

「そんなことでは、いつまでたっても進まないんじゃなくて?」

「だが、お前が単純で安心した。私の言葉にああも簡単に引っ掛かってくれるとは、愉快でたまらない」

「ヴィクトリアのことね」

 苦々しげにジョセフィーヌが漏らすと、ルージュは声を殺して笑った。

「本当の狙いとは全く別の方向を示してから行動するのは、戦略の常套だ。それに、ピーター・ウィルソンはあれでいてブラッドと近しい存在だ。歳が近いからなのだろうが、頻繁に交流しているのだとブラッドから聞いた。だから、決して遠回りなどではない。むしろ、近付いたぐらいだ」

「次は少佐? それともファイド先生?」

 焦りを隠しながら、ジョセフィーヌは口元を上向けた。ルージュは、涼しい顔をしている。

「さあ、どちらだろうな。それと、お前に言っておくことがある。昼の内に、リリ・ヴァトラスとフリューゲルは落とした」

「そんなこと、別に驚くほどのことではないわ。あの二人は簡単ですもの」

「あの鳥の価値観の全ては、リリ・ヴァトラスだ。そのリリに好かれれば、後はどうということはない」

 だが、とルージュは腕を組んだ。

「一度徹底的に好かれてしまえば、それが揺らぐことはない。飽きさせなければ、いくらでも付いてきてくれる」

「だからどうだって言うのよ」

「子に好かれれば、その親にも認められる。レオナルド・ヴァトラスは面倒だが、まあ、どうにかなるだろう」

 ルージュは硬い足音を立てながら、ジョセフィーヌの脇を通り過ぎた。

「せいぜい手を掛けて夕食を作ることだな。夜が更けるのが楽しみだ」

 ジョセフィーヌはルージュの後ろ姿を睨んでいたが、小さく舌打ちし、歩き出した。確かに、料理は手を抜けない。
ブラッドと共に部屋にしけ込んでしまえば、そこから先は完全にルージュが主導権を握ることになってしまうだろう。
なんとかして阻みたかったが、下手なことをすれば肝心の息子から疎ましがられることは火を見るより明らかだ。
息子の心を惹き付けておくために有効なのは、やはり食事だ。食糧を浪費しない程度に、精一杯腕を振るおう。
 ジョセフィーヌが玄関の扉を閉め、その足音が遠ざかるまで、ロイズとヴェイパーはがちがちに硬直していた。
また見てしまった。見たくないと思っているはずなのに、どういうわけだかその場面に遭遇してしまうようだった。
ブラドール家の斜向かいに建つ物置小屋の影に身を隠したロイズは、ぎこちない動きで傍らの相棒を見上げた。
こちらからはブラドール家の玄関が見えるが、ブラドール家の玄関からは見えない死角なので気付かれなかった。

「えっと、あの…」

 かなり困惑しながら、ヴェイパーはロイズを見下ろした。ロイズは腹の底から息を吐き、全身の緊張を緩めた。

「僕に聞かないでくれる? 僕だって、どうしたらいいか解らないんだから」

「僕達って、運が悪いんだね」

 ヴェイパーが、苦し紛れに呟いた。ロイズはげんなりしながら、小屋の粗末な壁に寄り掛かった。

「昨日も今日も、通りかかっただけなのになぁ…」

「誰かに言いたい気もするけど、ルージュはともかくとしてジョーさんのことは信じてくれなさそうだし」

 どうしよう、とヴェイパーは肩を落として俯いた。ロイズは、ぐしゃりと髪を乱す。

「かといって、このまま黙っているのもどうかと思うし。本当、どうすりゃいいんだか」

「全くだぜ」

 急に他の声がしたので、二人は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。すると、小屋の扉が軋みながら開いた。
その中から現れたのは、藁屑を装甲と頭飾りにくっつけているたギルディオスだったので、二人は心底安堵した。

「なんだ、少佐でしたか」

 ヴェイパーが半笑いになると、ギルディオスは装甲を撫で、トサカによく似た頭飾りを揺らし、藁屑を払った。

「悪ぃな、驚かせちまってよ。だが、ここで張っておいて良かったぜ。昨日から様子がおかしいと思っていたが、こういうことだったとはな。てぇことは、あれは今回が初めてじゃないんだな?」

「あ、はい。昨日は庭のところで言い合ってました」

 父さんよりも怖かったです、とロイズが小声で付け加えると、ギルディオスはロイズの頭を荒く撫でた。

「可哀想になぁ、この歳で女の汚ぇところなんか見ちまうなんてなぁ。そういうのはさっさと忘れちまうのが一番だ」

「当分忘れられそうにないですけど」

 ロイズが顔をしかめると、ヴェイパーも俯いた。

「女の人があんなに怖いなんて…」

「後のことはオレに任せておけ、このままじゃ居心地が悪くて敵わねぇからな」

 ギルディオスはひらひらと手を振りながら、ブラドール家の屋敷に向かった。二人は、その大きな背を見送った。
ギルディオスがそう言うんだから絶対に大丈夫だろう、と根拠のない確信をしたロイズとヴェイパーは頷き合った。
というより、そうでも思わなければ落ち着かなかった。ロイズはヴェイパーの手を引き、ヴァトラス家へと向かった。
今日ばかりは、兄をブラドール家の屋敷に帰す気にはなれなかった。どんなことが起きるのか解らないからだ。
それに、これ以上女性の嫌な面を見たくない。ロイズとヴェイパーは早足で歩いていたが、たまらずに駆け出した。
 一刻も早く、この場から逃げ出したかった。





 


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