ドラゴンは滅びない




穢されし過去



 それから、更に長い月日が経った。
 その日のアルフォンスは、いやに荒れていた。普段の過剰な余裕や自信を失い、ルージュを荒々しく虐げた。
いつもの杖ではなく、使い古した斧を使っていた。それでルージュの肩や手足は切り落とされ、呆気なく外れた。
その頃になると、ルージュも魔力中枢の底に残った魔力で痛みを感じないようにしていたが、きついものはきつい。
アルフォンスは苦しまないルージュが腹立たしいのか、ルージュの目の前で切り落とした手足をめった打ちにした。
斧が振り下ろされるたびに肉片が飛び散り、血飛沫が放たれる。肉の間から覗いた骨も粉々に砕かれ、散った。
ルージュの手足を醜悪な肉塊に変えたアルフォンスは、髪を振り乱して肩で息をしながら、ルージュに振り向いた。
アルフォンスの瞳からは、正気が失せていた。目はルージュに向いていたが、そこにルージュは映っていない。

「これは何かの間違いだ、そうだ、きっと誤りだ!」

 アルフォンスはルージュに近寄ると、汚れた斧を振り上げた。

「間違っているのは、あいつらの方だ!」

 ぶぅん、と唸りを上げ、重たい刃がルージュの胸部を叩き割った。乳房の間から砕けた骨が落ち、血が零れる。

「どいつもこいつも、私が手を掛けてやった恩を忘れおって! あんなトカゲに、何が出来るというのだ!」

 乳房が切り裂かれて黄色い脂肪が飛び散り、斧の端に引っ掛かった皮がべろりと剥がれる。

「下らんトカゲの分際で、この私を脅かすとは! この手で身の程を思い知らせてやる!」

 剥がれた皮を貼り付けたままの斧がルージュの腹部を割り、零れ出た内臓が千切られる。

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!」

 返り血に濡れた手を下ろし、アルフォンスは口元を歪ませた。ルージュの乱れた髪を鷲掴みにし、持ち上げる。

「お前もあのトカゲ女と同類だ。そうだろう。いくら叩いても死なぬし、物言いも似ている。この世で最も穢らわしい血に満たされた、醜い肉塊だ。お前達のような世界の汚物は、私のような聖者の手に掛からねば浄化されんのだ。私はお前の汚いだけの血と肉を洗ってやっているのだ! トカゲ女もいずれこの手で浄めてくれるわ! 私の地位を奪った報いだ!」

 アルフォンスの斧が真横から迫り、ルージュの首に埋まった。どっ、と重たい衝撃の後、頸椎が外れて壊れた。
分厚い刃が深く刺さった部分からは血が迸り、ルージュの頭は頸椎という支えを失ったためにぐらぐらしていた。
斧が外されると、頭の重みで半分以上を断ち切られた首の皮がめりめりと裂けていき、頭は右肩に倒れ込んだ。
視界の隅には、血を噴き出している自分の首と胴体が見えた。アルフォンスは、それを更にめった打ちにした。
斧が心臓に到達したのか、魔力中枢に鋭い衝撃が走り、最早頭だけの感覚しかないルージュは目を見開いた。
また一撃が加えられると、心臓が破裂した。更なる一撃で魔力中枢と魂が砕かれて、より強い衝撃が駆け抜けた。
肩に乗っていた頭も外れ、どん、と床に落ちた。アルフォンスの足元に転がったため、蹴り飛ばされてしまった。
 くるくると回転しながら地面を移動したルージュの頭は、青い水の流れる側溝に填って、熱い傷口が冷やされた。
だが、それは水ではなかった。触れてみて初めて解ったことだが、粘り気と重みがあり、膨大な魔力を含んでいた。
この部屋を支えている魔法はかなり強力だ、強化のために魔導鉱石を使っていたとしてもなんら不思議ではない。
顎の外れた口から零れた舌が、液体魔導鉱石に触れた。久々に感じた血以外の味は、魔力と石の苦みだった。
 そして、ルージュはやっと死ぬことが出来た。




「…それで?」

 ルージュを抱き寄せ、ブラッドは呟いた。ルージュは、恋人の肩に顔を埋めた。

「だが、私は本当に死ねたわけではなかった。魔導球体内部に満たされていた魔力濃度が高すぎたためと、意識を失う寸前に魔導鉱石に触れてしまったために、私の魂は意識こそ失ったが補強されてしまい、アルフォンスが訪れなくなった後も随分と長らえた。その間は、ずっと眠っていた。外にも出られず、死すことも出来なかったから、それしか逃げ道がなかったんだ。そうしたら、フィフィリアンヌに見つけられてな。あの人はアルフォンスの手から魔導師協会の実権を奪った後、アルフォンスの行っていた裏工作や悪行を洗っては処分を下していたんだが、その最中に私が閉じ込められていた魔導球体を見つけたんだそうだ。入り口は魔導師協会の会長室にある本棚の裏に隠されていた扉で、空間転移魔法によって魔導球体に繋がれていたんだ。もちろん、アルフォンスは自分しか入れないように細工はしてあったらしいが、そんなものでフィフィリアンヌを阻めるわけがない。そして、あの人に見つけられた私は、新たな魔導鉱石に魂を封じられ、連合軍に送られて人造魔導兵器に造り替えられ、ブリガドーンで調整された後に魔導兵器三人衆の一人として禁書奪還のために外へ放たれた、というわけだ」

 ルージュはブラッドの寝間着の裾を握り締め、声を震わせた。

「別に、起きてくれなくても良かったんだぞ。本当に、つまらない話じゃないか」

「オレはそうは思わねぇよ」

 ブラッドは左手でルージュの頭を押さえ、頬を寄せた。彼女は声を殺していたが、冷却水の涙は隠せなかった。
ルージュの話が始まった時は、ブラッドは本当に眠っていた。だが、ルージュの声が気になり、目を覚ましたのだ。
眠ったふりをしながら聞いていたが、その内容は聞き流すわけにはいかなかった。あまりにもひどかったからだ。
ブラッド自身は、愛情深い両親や友人達のおかげで魔物族と言えどもそれほど苦しい思いをしたことはなかった。
彼らの話す辛い話は他人事ではなかったが、自分自身に降りかかったことがなかったので現実味は薄かった。
そんなこともあるのだろう、という程度にしか捉えられなかった。だが、ルージュの話ばかりはそうもいかなかった。
 命懸けで守ると決めた女の過去は、予想以上に凄惨だった。ブラッドが巡らせた想像など、陳腐に見えてくる。
ブラッドがルージュの頬に唇を付けると、ルージュは殺していた泣き声を小さく漏らし、ブラッドに縋り付いてきた。

「すまない…」

「謝るなよ。ルージュはどこも悪くねぇんだから」

「私は、汚れている」

 ルージュはブラッドの胸に頭を押し当て、嗚咽混じりに呻いた。

「どこも、綺麗ではない。だが、お前は私を綺麗だと言う。しかし、それは見た目だけだ。本当は、とても」

「それ以上言うな」

「だが、私は」

「すっげぇ、悔しいよ」

 ブラッドは唇を噛み、項垂れた。

「なんで、オレ、ルージュが生きていた頃に生まれなかったんだろう。どうしてこんなに遅くに惚れちまったんだろう。もっと早くに会えていたら、絶対に助けに行った。魔導師協会の連中もルージュを攫った奴もフィルさんだって蹴散らして、必ず助けた! なのに、なのに、さぁ…」

 ルージュの膝に、ブラッドの目元から溢れた熱い涙がぼたぼたと落ちる。

「ごめん…」

 泣き言しか言えない自分が情けなくなってきて、ブラッドは肩を震わせた。ルージュは、ブラッドを覗き込む。

「助けてくれるのか? 私なんかを?」

「助けないわけがねぇだろうが!」 

 ブラッドは力任せに涙を拭い、ルージュと向き直った。

「今、そんなことを言ったって遅いけどな。でも、オレにはそれぐらいしか言えねぇんだ。悪い。もっと気の利いたこととか言いたいけど、全然思い付かないんだ。ルージュが可哀想で可哀想で…」

 身を乗り出したブラッドは、ルージュに詰め寄った。愛しさと共に、苦い悔しさが込み上がる。

「お願いだから、もっと泣いてくれよ。自分を大事にしてやれよ。ルージュはどこも汚くなんてないし、悪くもねぇ。悪いのはアルフォンスとかいう野郎で、ルージュはちっとも悪くない。だから、自分を責めないでくれ」

「私には、綺麗な部分など一欠片も残されていない」

 ルージュが顔を背けると、ブラッドはルージュの頬を両手で挟み、引き寄せた。

「ごめん、ルージュ」

「なぜ謝る?」

「ルージュを助けてやれなくて、今まで解ってやれなくて」

「もういい。その気持ちだけで充分だ」

「いや、足りねぇよ、こんなんじゃ全然足りねぇよ! 悔しいんだよ、頭おかしくなりそうなくらい、悔しくて悲しくてむかついてどうしようもねぇんだよ!」

 ブラッドは声を荒げ、ルージュに迫る。

「ブラッド…」

「ルージュが綺麗だってこと、オレが確かめてやる!」

 ブラッドはルージュの両肩を押し、強引に倒した。いきなり覆い被さられ、ルージュは戸惑った。

「だ、だが、この姿では」

「ルージュはルージュだ」

 ブラッドの言葉はいやに強く、逆らいがたかった。銀色の眼差しにも力が込められ、ルージュを射竦めてきた。
力一杯口付けられながら、ルージュは体の力を抜いていた。これでは、人の姿に変化している余裕などない。
ブラッドの指先や唇はルージュの金属製の肌を探り、人の女にするのとまるで変わらぬ仕草で愛してきてくれた。
どうせなら、生きている頃にこうされたかった。全身にブラッドの体温を感じながら、ルージュは声を殺して泣いた。
ブラッドはその涙すらも舐め、機械の女を懸命に温めた。絶え間なく注がれる愛情が、古い傷を癒やしてくれた。
 嬉しくて、悲しい夜だった。




 翌朝。先に目を覚ましたのは、ルージュだった。
 こちらはされているだけでほとんど何もしていないも同然だったから、当然だ。傍らで、ブラッドが熟睡していた。
ルージュが人の姿に変化することを頑なに拒んだので、最後までは至れなかったが、それでもやれるだけやった。
触れられても何も感じないとばかり思っていた部分も彼を感じ、体の芯が疼いた。そんなことは、初めてだった。
痛みしか感じない場所だと思っていたのに、別の感覚が起きた。本当の体でないことが、物凄く残念でならない。
子供のような寝顔で眠りこけるブラッドに口付けてから、ルージュは身を起こした。夜は、まだ明け切っていない。
カーテンの隙間から見える空は東の果てから藍色から薄らぎ始めていて、白い朝焼けが空を支配しつつあった。

「私の方が生殺しだ」

 あれだけ高ぶらせておいて変化させないとは、かなり酷だ。そのくせ、ブラッドの方はしっかり満足してしまった。
次にする時はちゃんと手順を踏んでしなくては、と思いながら、ルージュはベッドから降りてカーテンを全開にした。
その物音で、ブラッドは少し眉根をひそめた。ルージュがブラッドの傍に腰掛けると、ブラッドは薄く目を開いた。

「ん…」

 ブラッドは非常に眠たげな目でルージュを見上げていたが、目を擦った。

「もう、朝?」

「もう少しで朝だ」

 ルージュが窓の外を示すと、ブラッドは寝返りを打った。

「悪い」

「ああ、悪いな。お前だけ満足してしまうとは」

 ルージュが拗ねてみせると、ブラッドは寝乱れた髪を掻き乱した。

「いや…だってよ…」

「だが、嬉しかった」

 ルージュはブラッドの乱れた髪を、そっと撫で付けた。

「私を肯定してくれて」

 朝日が昇り、銀色の肌を照らして輪郭を縁取った。金色の光を半身に帯びた彼女は、幻想のように美しかった。
肩から零れ落ちた銀色の髪は星の運河のように煌めき、赤い瞳は光を受けて和らぎ、冷たい肌が眩しく輝いた。
ブラッドは寝起きの呆けた頭だったということもあり、しばらくそれに見取れていたが、彼女の硬い手を取った。

「そんなに嬉しいんだったら、これからいくらだってしてやるよ」

 彼女の手の甲にわざと水音を立てて口付けてやると、ルージュはびくっと肩を跳ねた。

「あ、わ」

「可愛いなぁー、もう」

 ブラッドがにやけながら起き上がると、ルージュは少しずつ身をずらしていった。

「いきなり、そういうのは、ないだろう」

「でも、朝っぱらでも案外出来るもんなんだぜ」

「じゃ、じゃあ、これから、するのか?」

「されたい?」

 ブラッドが顔を緩めながらルージュに詰め寄ると、ルージュはぎゅっとシーツを握り締めた。

「う…」

「冗談だよ。昨日の今日で、そこまでしちまうわけにはいかねぇもんな」

 ブラッドはルージュの顎を持ち上げると、深く口付けた。たっぷりと時間を掛けて、ルージュの唇を味わった。
慰めるように優しい感触に、ルージュはブラッドの背に手を回した。触れ合っているだけで、傷口が埋まっていく。
丁寧にルージュの舌と己の舌を絡ませていたブラッドは、名残惜しかったが舌を引き抜いてルージュから離れた。

「好きだ、ルージュ」

 ブラッドは、愛おしげにルージュを見つめた。

「もう、汚いとか死ぬとか言うなよ。ルージュはどこも汚れてねぇし、少なくともオレはルージュに生きていてほしい。ついでに、もっともっと笑ってほしい。泣きたくなったら、オレの傍で泣いてくれ。じゃないと、慰めてやれねぇだろ? お前のこと、守らせてくれよ。絶対、一人になんてさせねぇ」

「ならば、私もお前を守ろう。お前の命が危うい時には、私はお前の刃となり、盾ともなろう」

 ルージュが言うと、ブラッドはルージュの額に当たる装甲と自分の額を付き合わせ、笑った。

「それこそオレの仕事だっての」

「さて、どうだかな」

 ルージュは笑い返し、少し身を乗り出してブラッドと唇を重ねた。出来ることなら、このままずっとこうしていたい。
背中に感じる朝日の温もりは増しており、視界の隅を掠めている光量も徐々に膨らんで幅も広がりつつあった。
昨夜思い起こした記憶が脳裏に蘇る瞬間もあったが、ブラッドと寄り添っていれば恐ろしいとは感じなくなった。
ブラッドの指と唇で徹底的に確かめられて愛された体は、何度なく綺麗だと言われたので、少しだけ楽になった。
 だが、過去が消えたわけではない。魂に刻まれた無数の傷口も治りきったわけではなく、涙も枯れていない。
けれど、話すことが出来た。受け止めてもらえた。慰められ、愛してもらえた。また、彼と笑い合うことが出来た。
それだけで、涙が出てしまいそうなほど幸せだった。ルージュはブラッドの胸に頬を擦り寄せ、歓喜の声を零した。
 ああ。愛されている。




 僅かな願いすらも踏み躙られた、孤独で苛烈な過去。
 どす黒く底のない絶望と死への渇望だけが、彼女の心に満ちていた。
 それは鋼鉄の体を得ても変わることはなく、死こそが解放だと長らく信じていた。

 だが、その心は、迷いのない愛によって真の解放を得たのである。







07 10/5