ドラゴンは滅びない




形無き者




 ジョセフィーヌは、頭痛を感じていた。


 発熱で顔が火照る。鉛を詰め込まれたような鈍痛が脳に満ち、併発した倦怠感が手足から力を抜き去っていく。
その場に立っていられなくなり、座り込んだ。吐き気こそなかったが、これが起きるとしばらく動けなくなってしまう。
これが収まる頃には、どうなっていることか。近頃は、どんなに些細なことでも簡単に切り替わるようになっていた。
今の自分が前面に出てきたばかりの頃は、滅多に切り替わらなかったが、最近では彼女も要領を得てきていた。
肉体を支配する力は、彼女の方が遙かに強い。所詮、自分は肉体の主ではないのだということを思い知らされる。
母親の異変に気付いて、食堂で準備をしていたブラッドが台所にやってきた。息子は、不安げに覗き込んでくる。

「母ちゃん、大丈夫なん?」

 大丈夫、と答えようとしたが、喉から出た声は変わっていた。

「うん、へいきだよ」

 ブラッドは一瞬面食らったが、すぐに笑った。

「じゃあ、大丈夫だな。だけど、あんまり無理はすんなよ、母ちゃん」

「うん」

 幼い笑みで息子に頷いてみせる自分を、ジョセフィーヌは遠くから見ていた。次第に、意識が遠のいていった。
手に触れていた壁の感触も息子の声も体温も遠ざかり、今にも沸き立ちそうな湯から立ち上る熱気すら遠のいた。
つい先程まで感じていたものが薄膜に覆われ、いつしか分厚い壁に阻まれて、何一つとして感じられなくなった。
ジョセフィーヌはもう一人の自分への怒りを燻らせながら、意識の底に落ちた。泥のように重く、冷たい眠りだった。
 墓場の土中に埋もれていくように。




 生体魔導兵器との凄絶な戦闘から、一週間が過ぎた。
 ゼレイブには平穏が戻り、戦いの最中に抉れた地面や三日三晩焼き尽くした平原を直す作業が始まっていた。
アレクセイとエカテリーナは無限にも等しい再生能力を有しており、僅かな体組織からでも再生することが出来た。
だが、消し炭になるまで焼き尽くせば体組織の修復も難しくなるのではと思い、戦闘では燃やすことに専念した。
幸いなことに、その目論見は当たった。念力発火能力者であるレオナルドが善戦したおかげで、勝機が訪れた。
 二人の核である魔導鉱石も粉々に破壊し、念のためにその魔導鉱石の粉は広範囲に散布し、ばらばらにした。
変化に変化を重ねて異形と化した二人の肉体も、リリとフリューゲルの放った炎で三日三晩に渡って焼き続けた。
更に、戦場と化した場所を魔法で調べ、何者の魂もなく肉片もないことを確かめてから、封印の魔法を施した。
そこまで徹底しなければ、皆、安心しなかった。特にヴィクトリアがぴりぴりしていて、いつになく機嫌が悪かった。
最後の最後で気を抜いてしまったために、ブリガドーンの戦いの二の舞になってしまうことを誰よりも恐れていた。
目の前で両親を殺されたことが、余程堪えたのだろう。不機嫌に振る舞っていたのは、不安の裏返しだったのだ。
だが、戦闘後からずっと気を張っていたせいで心身共に疲労が溜まり、三日前、ヴィクトリアは発熱してしまった。
ファイドの処方した魔法薬が効いたおかげと、丸一日以上長々と眠り込んだために、今朝になると全快していた。
疲れていたのは、何もヴィクトリアだけではなかった。ゼレイブに住まう者達は皆、安堵と共に疲労も感じていた。
 なので今日は、皆を労うためのお茶会を開いた。今日だけは仕事も全て休みにして、心身を休めることにした。
ブラドール家の屋敷の食堂に住人達を全員招き、ジョセフィーヌだけでなくフィリオラの作ったお菓子も持ち寄った。
当然、魔導兵器達も呼んだ。彼らは紅茶も飲めなければお菓子も食べられないが、立派なゼレイブの住人だ。
 食堂に集まった人ならざる者達は、思い思いに語らっていた。ジョセフィーヌ、もとい、ジョーは終始上機嫌だ。
自分の作ったお菓子で喜んでもらえるのは、嬉しい。砂糖は貴重なのだが、今日ばかりは際限なく使って作った。
傍らに座る夫、ラミアンは魔導兵器の体故に何も飲食出来ないものの、会話に混ざっては笑い声を零していた。
彼もまたアレクセイとの戦闘で傷を負い、神経の役割をしている魔導金属糸が切れるという重大な損傷を受けた。
だが、ルージュとピーターによって千切れた魔導金属糸は繋ぎ直され、他の細かな損傷部分も丹念に修理された。
そのおかげで、すっかり元通りになった。外装も綺麗に磨かれたので色艶が良く、仮面は鏡のように輝いている。

「ジョー。何がそんなに嬉しいんだい?」

 ラミアンは、笑顔の妻に尋ねた。ジョーは、元気良く答える。

「んーとね、ぜんぶが!」

「そうか、全部か」

「うん。だって、みんなみんな、しななかったんだもん」

 ジョーは幼児のような仕草で、両足をぶらぶらと揺らす。

「だってね、ずっとずっとまえにジョーがみたゆめじゃ、みーんなみーんなしんじゃってたんだもん」

 無邪気ながらも重たい言葉に、皆は言葉を止めた。ジョーは、だらしなく頬を緩める。

「あのね、ブリガドーンでもね、ほんとうはもっともっとしぬはずだったの。かえってこないひとは、もっといたの。でもね、ちょっとずつかわったんだあ。だから、かえってくるひとのほうがふえたの」

「終わったことだとは解っちゃいるんだけど、そういうのってあんまり聞きたくねぇなぁ…」

 湯気の失せた紅茶を啜り、ブラッドが呟いた。レオナルドも、渋い顔をする。

「気持ちは解るな」

「ごめんね。でも、たたかいにいくまえにいっちゃったら、みんなもこまっちゃうでしょ? ジョーだってそんなのしりたくなかったけど、みえちゃうんだもん。みえちゃうけど、どうにもできないんだもん。でもね、おねえちゃんがきてくれたから、なんとかなったの! おねえちゃんはジョーよりすごいから!」

「お姉ちゃん、って、ああ、ジョセフィーヌのことか」

 ギルディオスが察すると、ジョーは頷く。

「うん、おねえちゃん! おねえちゃんとおはなししたことはないけど、おねえちゃんがいろんなことをするのはよちでみえるんだ! ねえ、たいちょーさん、おねえちゃんってどんなひと?」

「ジョセフィーヌは、ジョーとは正反対だぜ。性格もそうだが、色々とな」

「せいはんたい?」

「そうだ。言うことはきついし、やることも手堅いし、おまけに嫉妬深くて気位が高いときたもんだ。だが、慣れてくりゃ平気さ。あれもお前の一部だって思えるし、お前そのものだとも思える。まあ、絶対に会えないだろうが、会ったら仲良くするんだぞ。もっとも、ジョセフィーヌはお前と仲良くする気はねぇらしいが」

「なんで? なんでおねえちゃんはジョーとなかよくしてくれないの?」

 ジョーが興味深げに見つめてきたので、ギルディオスは返した。

「あいつもあいつで複雑なんだよ。だから、無理強いはするんじゃねぇぞ。オレにも片割れがいたから、その気持ちはちったぁ解るがな。近すぎるから気に食わない、っつうか、近いからこそ自分にはないものがくっきり見えちまって腹が立つ、っつうかでよ。ジョーとジョセフィーヌは、言っちまえば双子みたいなもんだからな」

「正確に言えばそうではないが、まあ、表現としてはそれほど遠いわけではないな。ジョーはジョセフィーヌとは記憶を共有していないが、ジョセフィーヌはジョーと記憶を共有している。また、ジョーは近未来ではなく遠未来の予知を得意とするが、ジョセフィーヌは遠未来よりも近未来の予知が得意だ。そして、決定的に違うのが人格だな。ジョーは見ての通りの幼子だが、ジョセフィーヌはジョーが成長出来なかった分の成長を果たしている。ジョセフィーヌは、ジョーを補う役割もあるのだろうな」

 ファイドはティーカップを傾け、冷めた紅茶を飲み干した。

「あの、まだイマイチ解らないんですけど」

 おずおずと、リリが挙手した。その背後に立つフリューゲルが、ぐりっと首を捻る。

「リリが解らないんだったら、オレ様も解らないんだぞこの野郎」

 リリはブラドール夫妻を横目に見つつ、ファイドに質問した。

「ファイド先生。ジョー小母さんとジョセフィーヌ小母さんって、ラミアン小父さんとアルゼンタム小父さんとは違うんですか? 私には、どっちも同じようにしか思えないんだけど…」

「うけけけけけけけけけけけけけけけけけっ!」

 何の前触れもなく、ラミアンが甲高く裏返った笑い声を放ったので、リリだけでなく食堂にいる全員が驚いた。
ラミアンは皆の視線を集めたまま、銀色の長い爪を曲げて胸部の魔導鉱石に添えて、穏やかな口調で話した。

「私とアルゼンタムは、ジョーとジョセフィーヌのそれとは根本的に違うのだよ。アルゼンタムとは、旧王都で非道の限りを尽くし、無意味な凶行を繰り返していた私なのだ。グレイスどのの呪いとキースの魔法により、理性を失って荒ぶる本能に魂を掻き乱された私は抗いがたい飢えに襲われ、血を喰らい人を切り裂くことでしか心の平穏を保てなかったのだ。吸血鬼族も、元を辿れば獣に過ぎない。先程の声は笑い声と良く似ているが、突き詰めれば鳴き声なのだよ。標的を怯ませるための声でもあり、また威嚇のための声でもある。だが、昨今の吸血鬼族は常日頃から人に酷似した姿に変化して獣の姿を隠すようになったために、鳴き声もほとんど使わなくなってしまったがね。理性を失って銀色の獣と化した際は、別だがね。詰まるところ、アルゼンタムとは銀色の獣と化した私なのだよ。故に、アルゼンタムは私であり、私はアルゼンタムなのだよ。解ったかね、リリ」

「うーん…」

 リリは納得しかねていたが、向かい側に並んで座っているブラッドとルージュに向いた。

「じゃ、ブラッド兄ちゃんとルージュ姉ちゃんもケモノになるとラミアン小父さんみたいになっちゃうの?」

「ならないとは言い切れないが、ラミアンのあれは特に極端な例だから、あれが標準だとは思わないでくれ」

 ルージュが苦笑いすると、ブラッドは何度も頷いた。

「そうそう! あんなに違うのは父ちゃんぐらいなもんだって!」

「ですけど、ブラッドさんが獣に変化した時はひどかったですよねぇ」

 私とフローレンスさんは普通に死にかけましたもん、とフィリオラが首筋を押さえると、ブラッドは目線を逸らした。

「えっと、うん、あれは、もう忘れてくんね? マジ人生の汚点だし」

「あんなに派手な事件を、忘れられるわけがないだろう。人の女を二人も喰いやがった上に、オレとダニーに本気で攻撃してきたんだからな。あの時はお前もガキだったから多少手加減したが、次はないぞ」

 レオナルドからきつく睨まれてしまい、ブラッドがたまらずに俯くと、ルージュがやや苛立った視線を向けてきた。

「そうなのか、ブラッド?」

「ルージュ、喰うの意味を取り違えてんじゃね?」

 ブラッドはばつが悪かったが、目を上げた。ルージュは一瞬間を置いてから、返した。

「そんなわけがないだろう」

「じゃ、なんでそんなに睨むんだよ? ていうか、オレが初めてぶっ飛んじゃった時ってまだ十歳だぜ? 勘繰ろうにも勘繰れないんじゃね?」

「ど、どちらにせよ、良くないんだ、暴走だけは!」

 ルージュはブラッドの言葉を打ち消すように、声色を強めた。ブラッドは、ルージュの肩装甲を叩く。

「解った、解ったから。オレも大分自制が利くし、飢餓感だってそんなでもねぇから安心しろって。それに、この辺にはオレがまともに喰えるような女はいねぇんだから」

「あら、心外なのだわ」

 それまで静かに紅茶を傾けていたヴィクトリアが、口を開いた。灰色の瞳が動き、ブラッドに定まる。

「あなたと二人で語らった夜のことを、私は忘れていなくってよ」

「収まり掛けたんだから、いちいち混ぜっ返すなよ」

「あら、別に嘘ではないのだわ」

「…そうなのか?」

 ルージュは、途端に不安げになった。ブラッドは、慌てて手を横に振る。

「ありゃ本当に額面通りだから! おっちゃんがいなくなって暇だからって、ヴィクトリアがオレの部屋に来て夜通し話し込んだことがあるってだけだから! 大体、十二歳はオレの射程には入らねぇし! 八つも下なんだぜ?」

「それはオレに対する皮肉か、ブラッド?」

 レオナルドはさも不愉快げに、ブラッドを睨んだ。ヴィクトリアは悲しげに目を伏せ、ため息を零す。

「あら、悲しいわ。私は女になったのに、まだ子供扱いするなんて。あなた、吸血鬼なのに失礼なのだわ」

「アレが来たってだけだろうが! ていうかレオさんも何言うんだよ!」

 ブラッドが言い返すも、レオナルドはブラッドの慌てようを見て笑っていた。どうも、からかわれてしまったらしい。
確かに十年前の事件は全面的にブラッドが悪いので、言い返すこともやり返すことも出来ず、言葉を飲み込んだ。
 ブラッドはヴィクトリアのしたり顔を睨んでいたが、ルージュに視線を戻した。すると、彼女は湯気を噴いていた。
自分の先走った言動が恥ずかしくて仕方ないらしく、俯いて表情を隠しているのだが、体には出てしまっていた。
このままでは食堂から飛び出してしまいそうなので、ブラッドはルージュを逃がさないために肩を抱いてやった。
 これといって事が荒立たなかったので、ヴィクトリアはつまらなかった。その黒髪は、肩上よりも短くなっていた。
アレクセイとエカテリーナとの戦闘の最中に、エカテリーナに髪を掴まれたため、ピーターが念動力で切ったのだ。
ざんばらだったのでフィリオラに後ろ髪を切り揃えてもらったのだが、きちんとされすぎてしまい、真っ直ぐになった。
前髪はそのままなので、後ろだけ真っ直ぐだと違和感がある。だが、前髪まで一直線にされるよりはまだマシだ。

「なんだかなぁ」

 一連のやり取りを見ていたロイズが漏らすと、少年の背後に立つヴェイパーは身を屈めて顔を近寄せてきた。

「ところで、ロイズはアレって何だと思う?」

「僕に聞かないでよ。僕も知らないんだから」

「じゃ、ピートは解る?」

 ロイズの答えが素っ気なかったので、ヴェイパーはピーターに話を振った。

「解ることには解るけど、オレの口からじゃ話せねぇや」

 ピーターがはぐらかすと、ヴェイパーはその態度でアレが何かを察した。

「ああ、アレってあれかぁ」

 ヴェイパーは、勝手に自己完結してしまった。ロイズはアレが何か気になったが、敢えて聞き出さないことにした。
ヴィクトリア絡みのことは、深入りすると面倒だ。下手に機嫌を損ねて、首を絞められたらたまったものではない。
彼女に首を絞められたのは随分と前だが、あの時の恐怖と息苦しさは頭に焼き付いているので忘れられない。
あの怖さは、戦闘とはまた違ったものだった。ヴィクトリアは忘れているようだが、やられた方はそうもいかない。
ロイズはヴィクトリアの様子を見張る意味で彼女を眺めていたが、不意に、ヴィクトリアはロイズへと振り向いた。
目が合いそうになったので、反射的に目を逸らしてしまった。視界の端で、途端に不満げな顔になるのが見えた。
やはり、未だに上手く距離が測れなかった。ヴィクトリアもそうらしく、リリが間に挟まっていなければ無理だろう。
今後の展開に若干の不安を抱きつつも、ロイズは皿に山盛りになっている焼き菓子に気を戻し、手を伸ばした。

「君も大変だねぇ、ロイズ」

 皆の会話を聞き流していたリチャードは、ロイズに話し掛けてきた。ロイズは焼き菓子を囓り、生返事をする。

「あ、まぁ」

「でも、これからは少しは落ち着くだろうから、気も休まると思うよ」

 リチャードはそう言ってから、居間の方へ顔を向けた。キャロルとフィリオラは、ウィータを居間に連れていった。
屋敷に連れてきてすぐに泣き出してしまったので、ひとまず落ち着かせて寝かし付けるために場所を移したのだ。
ウィータはひとしきり泣き喚いていたが、そのうちに泣き疲れたらしく、次第に泣き声が弱まっていつしか収まった。
居間からは、娘を寝かし付けているキャロルの子守歌が漏れ聞こえてくる。リチャードは、自然と頬を緩めていた。

「ウィータ、眠ってくれたみたいだね。まあ、いきなりこんなに騒がしいところに連れてこられちゃ、ぐずっちゃうよね。もうしばらくしたら、僕はキャロルと交代するかな。キャロルも皆と話し込みたいだろうしね」

「ウィータ、ちょっとの間に随分大きくなりましたね」

 ロイズが言うと、リチャードは我が子の身長を示すように手を広げた。

「今はこのくらいだね。日に日に大きくなっていくから、見ていて飽きないよ。だんだん表情も増えてきているしね」

「だったら、どうして」

 ロイズは顔を曇らせたが、リチャードは表情を変えなかった。

「だから、だよ」

 ロイズは、生体魔導兵器との戦闘後にリチャードが話した自身の今後のことを思い出し、顔を伏せてしまった。
生体魔導兵器が倒されたことで、ゼレイブに住まう皆や妻子を脅かすものはいなくなったとリチャードは判断した。
なので、連合軍に出頭する、と言った。これまでに犯した罪やブリガドーンでの戦いの罪を、全て背負うためだと。
前々から考えていたことであり、キャロルも同意しているとも言った。当然、レオナルドやフィリオラは動揺した。
リチャードは少し寂しげではあったが、いつもと変わらぬ態度で話した。これが一番の結末であり、答えなのだと。
誰かが罪を背負わなければ、いずれまた危機が訪れる。その犠牲として最も相応しいのは、自分だとも言った。
更にリチャードは、皆の罪も全て引き受けると言った。グレイスのいない今、それが出来るのは自分だけだとも。
皆は口々に異論を唱えたが、リチャードは譲らなかった。最後ぐらいは潔くいきたい、と珍しく硬い態度で話した。
その話をしている間、ウィータを抱くキャロルは表情を変えなかった。悲しげだったが、揺らぎは見えなかった。
きっと、これはリチャードなりの我が子への愛情の示し方なのだ。かなり不器用な上に、いびつな愛情だったが。
 リチャードの笑顔に、ロイズは無理矢理笑みを作って返した。なぜか急に、ダニエルのことを思い出してしまった。
リチャードの妻子への愛とダニエルのそれは根本的に違っているし、顔形も性格も違うのに、記憶が溢れてくる。
彼の笑顔から垣間見える父親らしい姿と、あまり器用ではない我が子の愛し方が、ダニエルと重なったのだろう。
 長らく押さえ込んでいた両親と別離した寂しさが込み上がってきたが、ロイズは唇を噛み締めて寂寥を堪えた。
ここで泣いてはいけない。悲しいことなんて何もない。皆が皆、自分自身が選んだ道を進んでいるだけなのだから。
リチャードはロイズの異変に気付いたが、敢えて声を掛けなかった。その代わり、小さな背を撫で下ろしてやった。
ロイズはリチャードの手の感触に戸惑ったが、特に何も言わずに、気持ちが落ち着くまでされるがままになった。
 お茶会の様子を、ジョセフィーヌはじっと見つめていた。ジョーの目と耳を通して、皆の姿と会話を感じていた。
ジョーはジョセフィーヌの口を使い、好き勝手に話す。愛しいラミアンとじゃれ合っては、声を上げて笑っている。
大事な息子と、新たな家族であるその恋人とも言葉を交わし、子供達や他の者達とも実に仲良く接し合っていた。
何もかも、ジョセフィーヌである時とは段違いだ。こんなにも暖かく、優しく、楽しく、皆と触れ合ったことはない。
なぜだろう。ジョーが幼いからか。それとも、付き合いが長いからか。或いは、馴れ合いやすいからだろうか。
 ラミアンも嬉しそうだ。幸せそうだ。彼はジョーを愛しているから、ジョセフィーヌのことは愛してくれないのだ。
愛してくれると言ったのは嘘だったのだ。ジョセフィーヌの時は、こんなに優しい声で話しかけてくれなかった。
話しかけても、こんなに熱心に聞いてくれなかった。笑いかけても、こんなに楽しそうな声を上げてくれなかった。
他の皆もそうだ。ジョセフィーヌではなく、ジョーを好いている。だから、ジョセフィーヌは誰からも好かれていない。
同じ体なのに、同じ魂なのに、同じ顔なのに、同じ声なのに、同じ心なのに、全てが同じもので出来ているのに。
 生ける世界は、天と地ほどに違う。







07 11/6