ドラゴンは滅びない




原初の海 中




 いざ、記憶の海へ。


「少し、古い話をしよう」

 いつになく穏やかに、黒竜は述べた。

「フィフィリアンヌ。君は事の真相を知っているが、彼はあまり知らないようだからね。彼とも長い付き合いだったのだから、このまま何も知らずに死なせてしまうのはさすがに悪い気がするのだよ。天上に召されれば、グレイス・ルーらと会う機会もあるだろう。だから、その際に彼らに伝えて欲しいのだよ。私が何を願い、何を考え、何を思って君達を謀ったのか、ということね」

 ギルディオスは顔を動かし、湿った土のこびり付いたヘルムを上げた。至近距離なのに、視界が霞んでいる。
ファイドの姿は朝靄に包まれているかのように薄く、輪郭が溶けている。姿形は解るが、細部までは見えない。
ファイドの両脇を固めるように、巨体と化したヴィンセントと血塗れたレイピアを持つジョセフィーヌが立っている。
二人の視線は冷たい。ヴィンセントも愛嬌のあるネコの表情ではなく、眼差しには獣の荒々しさが垣間見える。
ジョセフィーヌは、フィフィリアンヌの真新しい血が伝うレイピアを見下ろしていたが、ふとギルディオスに向いた。
その顔に貼り付いているのは、女としての悦びに目覚めた快感と己の欲望に溺れ切っている薄汚い笑みだった。

「そう、あれは一千年以上前の話だ」

 ファイドは遠い過去を懐かしみ、目を細めた。

「ヴァトラ・ヴァトラスと邂逅を果たしたのは」




 およそ一千年前。
 生物の頂点に竜族が君臨し、地上には強大な魔物が跋扈し、人の社会も日々進歩しつつある時代だった。
人々は国を造り、領土を広げるためや物資を手に入れるために戦争を繰り返していたが、魔法の力はなかった。
肉体と魂に宿る魔性なる力を自覚している者はおらず、また、その力を操る術を知っている者は数少なかった。
いたとしても、制御されていない荒々しい力を操り切ることが出来ず、自らの命を落としてしまう者ばかりだった。
だが、それを高みから見下ろす竜族は魔性の力を操れていた。独自の文明も持ち、文字も言葉も持っていた。
人の入れないような森の奥深くに存在する、大地の抉れとも言うべき山脈に囲まれた平地に、都も築いていた。
しかし、竜は人と関わることを禁じられていた。また、人も竜を恐れているために絶対に関わろうとしなかった。
竜は独自の文明を高めてきたために誇り高いが閉鎖的なため、他種族の人と関わったら破滅すると思っていた。
対する人は、本能的に竜を恐れた。並外れた巨体と卓越した知能を持つ者に、恐怖心を覚えない者などいない。
故に、竜と人は交わらずに生きてきた。どちらもどちらが害悪だと考えて、どちらもどちらが恐怖の対象だった。
 竜王都では絶対王政が敷かれ、銀竜族の長の竜王が絶大な権力を振るい、竜族を規律正しくまとめていた。
古くから伝えられている竜女神を信仰し、人の世と似ているが細部が違う社会を築き、一つの国を成していた。
 ファイドが生まれたのは、そんな時代の最中だった。黒竜族の中流である血筋に生まれ、三番目の子だった。
生まれは竜王都ではなく、現在で言うところの共和国国土内の北部にある山脈で栄えた黒竜族の集落だった。
長男ではなかったので比較的自由に育てられていたが、幼い頃からそれほど奔放ではなく、勉強が好きだった。
特に興味を示したのは、医術だった。体の内側に入っている内臓や骨の構造が、面白く、不思議に思えたのだ。
たまに山から下りて魔物を殺し、解剖の真似事をしてみたのだが、それで大した知識を得られるわけもなかった。
その少々変わった趣味が災いしたらしく、いつのまにか同年代の友人達からは距離を置かれてしまっていた。
家に帰っても、両親や兄弟からは変な顔をされることが多くなってしまい、誰一人として理解してくれなかった。
 同族からも家族からも仲間外れにされるのは、とても寂しかったが、否定され続けたために意固地になった。
誰も理解してくれなくてもいい、と、自己流の医術にのめり込んで、そのせいでますます皆との距離が広がった。
気付くと、ファイドは誰からも孤立していた。その頃になると、ファイドは一人でいることを好むようになっていた。
というより、そう思うしかなかった。爪弾きにされているのではない、自分から一人になっているのだと思い込んだ。
 その頃は、愚かな子供だったからだ。


 そんなある日、ヴァトラ・ヴァトラスと出会った。
 その日も、ファイドは飽きもせずに魔物を解剖していた。その頃には、解剖する腕は多少は上がっていた。
だが、慣れたのは魔物の骨や筋を切り離したり、内臓を綺麗に除去したり、血抜きを行うことばかりだった。
肝心な医術は全く覚えられず、書物を読んでも実践出来なかった。何しろ、それを行う相手すらいないのだ。
解剖するために捕らえた魔物を敢えて傷付け、治療してから放ってみたが、次の日には死体と化していた。
縫合も上手くいったと思っていたが、逃がす時に散々暴れたので傷口が開いたらしく、血溜まりで果てていた。
怪しげな薬を作って飲ませてみても、ひどく苦しんだ末に死んでしまうことが多く、何一つ上手くいかなかった。
 失敗を重ねたために苛立っていたファイドは、荒っぽく解剖していた。刃物は使わずに、爪で皮を裂いていた。
筋肉を切り分けて腕の筋も切り、関節を繋げている筋も切ったが、魔物の太い腕はすんなり外れてくれなかった。
それがやけに癪に障ったが、力任せにやるわけにもいかなかった。ファイドは息を詰めて、筋を切っていった。
生臭い血で爪先が滑り、見当外れの方向に突き刺さった。太い爪先は、筋どころか骨までもを切ってしまった。
こんなことでは、解剖したことにならない。ファイドは腹立ち紛れに、骨が切れてしまった魔物の腕を放り投げた。
 乱暴に投げた腕は、草むらに飛び込んだ。ざっ、と草が分かれて血生臭い匂いが広がり、斜面に転がった。
その腕が転げた先に、人影が現れた。ファイドが顔を上げて振り向くと、その人影は魔物の腕を拾い上げた。
長い外套を着込んでいたが、肩の線は丸く、魔物の腕を拾った手は華奢だった。匂いからして、人間だった。

「狩りにしては、ぞんざいだな」

 硬い口調の割に、声色は柔らかかった。

「殺した魔物を喰いもせずに投げ散らしていたのは、お前か?」

 それは女だった。ファイドは血塗れた手を下げて長い首を挙げ、赤い瞳でぎょろりと女を睨み付けてやった。
苛立ちも相まって、ファイドは腹が立ってきた。人間如きに文句を言われたくない、と怒りが煮え滾ってきた。

「少しは痛みを思い知れ」

 女の血の滴る指が、真っ直ぐ挙げられた。ファイドは身構えて魔力を高めるも、腹部に激痛が駆け抜けた。
爪先で切り裂かれるような鋭い痛みと共に、内臓を直接握り潰されているような苦痛が起き、息が詰まってくる。
右腕も皮が切られるような感覚と痛みが貫かれ、あまりの痛みに声も出せなくなって、血溜まりに崩れ落ちた。
膝を折って倒れ込んでも、痛みは収まらない。それどころか、右上腕から先の感覚が失せ、動かせなくなった。
痺れているのかと思ったが、そんなものではない。右腕の神経が断ち切られてしまったような、妙な感覚だった。
動かせる左腕で右腕に触れるも、固いウロコの肌に触れた感触はぞっとするほど冷ややかで死体のようだった。

「この…人間め!」

 ファイドは屈辱と憤怒から言葉を搾り出したが、女は動じるどころかファイドに近寄ってきた。

「お前が何をしたいのかは知らないが、無駄に命を狩るな」

「黙れ、蛮族が」

「その蛮族に簡単にやられているのは、どこの誰だ。お前達のような種族は、私にとっては扱いやすいがな」

 女はファイドが今し方まで解剖していた魔物の死体の前に膝を付くと、右手を翳した。

「魔性なる力より戒められし肉の器よ、我が言霊に従い、灰燼と帰せ」

 女の手に張り付いていた血が水分を失い、白っぽい粉に変化した。それが零れ落ちると、死体も崩れ出した。
切り裂かれて捲られていた皮が砕け、血を吸って黒ずんでいた体毛が白くなり、切られた骨と筋も乾いていく。
女が振り翳した手を横へ振りぬくと、色を失った死体が崩壊した。女の手に従って、ゆるやかに舞い上がった。
気付けば、死体の転がっていた場所には灰の山が出来ていた。大きな血溜まりも、乾いた白い池になっていた。

「見たところ、解体の真似事か? せめて、火で炙った刃物を使わないか。お前の爪では、切れ味が悪すぎるぞ」

 女は手を払って灰を落としてから、倒れ伏しているファイドに近付いた。

「まさかとは思うが、お前達は刃物を使わないのか?」

「そんなものはいらない。爪と牙さえあれば充分だからだ」

「全く。どちらが蛮族だ」

 やれやれ、とぼやきながら、女は身動き出来ないファイドの傍らに腰を下ろした。

「私は山のふもとで暮らしているのだが、ここ最近、異様な状態で殺された魔物の死体を見つけることが増えてな。良からぬことが起きているのだとすれば対処する他はない、と思い、この近辺を捜索していたのだ。そこで、魔物を切り刻んでいるお前を見つけたというわけだ」

 女はまた右手を挙げ、指を弾いた。乾いた破裂音がファイドの感覚を揺さぶると、痛みが一気に吹き飛んだ。
反射的に起き上がったが、今度は頭がふらついてしまい、立ち上がれない。女は胡座を掻いて、背を丸めた。

「その形状からすると、お前は竜族だな。しばらく観察をさせてもらう」

「なんだと?」

 ファイドは首だけ起こし、女を見上げた。女は外套の下から木箱を取り出すと、煙管を出し、先に葉を詰めた。

「私はお前ほど野蛮ではない。それに、退屈だからな」

 女は煙管の先に手を翳し、小さく呪文を唱えて火を灯すと、煙を深く吸い込んだ。

「最低限の礼儀として、名乗っておこう。私の名はヴァトラ・ヴァトラス、言うならば魔導師だな」

 ヴァトラと名乗った女は、心地良さそうに煙を吸っていた。ファイドはその横顔を、力の限り睨み付けていた。
だが、ヴァトラは目線も向けなかった。観察をする、と言っていたわりに淡白な態度が少しばかり引っ掛かった。
しかし、それを言及出来るほどの余裕はなく、ファイドは貧血に似た症状が収まるまで地面に横たわっていた。
体を横たえていると、いつしか苛立ちが遠のいていた。いつまでも腹を立てていても仕方ない、と思ったのだ。
そのうちに日が暮れてきたが、ヴァトラは飽きもせずに煙管を蒸かしていた。その煙は、不思議と柔らかかった。
 そして、夜も更けた頃、ファイドは体調が元に戻った。ファイドが罵倒しようとも、ヴァトラは一切動じなかった。
別れ際に、また会いたければ同じ場所に来い、とヴァトラは言い残したが、ファイドはそれを振り切って飛んだ。
だが、ヴァトラのことは妙に気に掛かってしまった。忘れようと思えば思うほど、彼女が思い出されてしまった。
これまで、ファイドはまともに人間と接したことはなかった。遠巻きに見ても、すぐさま距離を取っていたからだ。
関わり合いになりたくないし、接したいと思わなかった。ツノもなければ牙もない種族になど、興味がなかった。
だから、あの妙な女と会うのはこれきりだ。二度と会いたくもない。一刻も早く忘れてしまうべきだと思っていた。
 しかし、翌日、ファイドは彼女と会った場所を再度訪れていた。会うためではなく、彼女を殺すつもりで赴いた。
昨日は不意を突かれたが、真っ向から立ち向かえば竜に負けはない。妙なことをされなければ、確実に殺せる。
ファイドはそう思って待っていたが、ヴァトラは牙を剥いているファイドを見ても、昨日と同じく飄々と笑っていた。
その笑顔に、ファイドは毒気を抜かれてしまった。ヴァトラに促されるまま、彼女と並んで草むらに腰を下ろした。
ヴァトラは昨日と同じく煙管をゆったりと蒸かしながら、またお前に会えて嬉しいよ、とファイドに語り掛けてきた。
ここ久しく、そんな言葉を掛けられることはなかった。ファイドはヴァトラへの敵意を忘れて、小さく頷き返した。
 その日から、二人は顔を合わせるようになった。


 ヴァトラ・ヴァトラスという女は、奇妙だった。
 竜族から見ても浮世離れした言動をしており、態度も芯があるようでいて柔軟で、女というより男っぽかった。
ファイドが他の者達から聞いた人間の生態とは、明らかに違っていた。牙を剥いても爪を向けても、怯まない。
それどころか、妙に楽しそうだった。ファイドが苛立とうとも怒ろうとも、へらへらと笑って受け流すだけだった。
たまに口を滑らせて同族の話をしてしまったりすると、ヴァトラは身を乗り出すほどの勢いで話を聞いてきた。
その流れで医術を覚えたいとの話をすると、ヴァトラは馬鹿にすることも笑うこともせずに真面目に聞いてくれた。
だが、手当たり次第に魔物を殺すな、解体するなときつく諭された。その点は、さすがにファイドも反省していた。
時折ヴァトラが与えてくれる知識のおかげで、細切れで中途半端だった医術の知識も補われたので解ってきた。
解剖するだけでは、医術は学べない。薬の調合も、効果があるとされる魔法植物を混ぜるだけでは出来ない。
ヴァトラが教えてくれる医術の知識は竜族のものとは違っていたが、独学に比べれば遥かに役立つ知識だった。
 ヴァトラと関わるようになってから、呆気なく時間が過ぎていった。一年や二年ではなく、十年二十年と経過した。
けれど、ヴァトラの外見は一切変わらなかった。最初に会った時と同じ、十代と二十代の間ほどの外見だった。
薄茶の髪の長さは変わっていたが、それぐらいで、肌に弛みもなければ瞳も瑞々しいままで全く衰えなかった。
それは魔法か、と聞いたことがあったが、ヴァトラは何もしていないと答えた。むしろ衰えてみたい、とも言った。
 ヴァトラと過ごす時間は、有益だった。他の竜族達とは違った会話が出来、また身のある内容ばかりだった。
それらが全て身に付いたわけではなく、その全てを理解出来たわけではなかったが、少なくとも栄養にはなった。
 ヴァトラ・ヴァトラスという女は、昼よりも夜を好んでいた。ファイドもまた、必然的に彼女に付き合うようになった。
特に好きなのは、晴れ渡った夜空だった。空を埋め尽くさんばかりに散らばる無数の星を、何時間も眺めていた。
その日も、ヴァトラは草むらに寝そべって夜空を仰ぎ見ていた。珍しく煙管を吸わずに、星だけを味わっていた。

「いい星だ。そう思わんか、ファイド」

 感嘆するヴァトラの傍らで、ファイドも夜空を見上げていた。

「私は、もう見飽きた」

「この世界に、飽きることなどないさ。星の輝きも、日が変わるたびに違うのだから」

「どこが違うんだ? この前と同じではないか」

「竜の割に目が悪いな」

 ファイドは少し不満げに唇を歪め、体を横にして頬杖を付いた。

「飽きはせん。あれらは同じに見えるが、常に変動している。長らく星を見ていると、おのずと解ってくるものだ」

「嘘を吐け」

「嘘ではないさ、解るとも。お前が昨日までのお前とは違うように、風の運びも星の輝きも昨日までとは違うのだよ」

 ヴァトラは再び仰向けになると、腕を組んだ。

「私も、さすがに変わってきたらしい。頃合を見計らって、また海へと旅立つ気でいたが、その気になれん」

「旅か。似合っているな」

「そうだ。とても長い旅だ」

 ヴァトラは、遠い目をする。

「元々、私は旅をする存在なのだよ。海から海へと渡り、あらゆる景色とあらゆる生物を見るためにこの世に生きている。この地を訪れたのは、まあ、ただの気紛れだったんだが、思いの外居心地が良くてな。お前がいたからというのもあるのだが、馬鹿に私を慕う輩が私の家に住み着いてしまってな。それがどうも気掛かりで、目を離せんのだ。旅を終えるのは少し物足りないが、もういいかもしれんとも思ったのだ。大地に足を付けるのも、なかなか悪くない。だが、問題があるとすれば、死ねぬことだろう」

「ヴァトラは死なないのか?」

「死ぬといえば死ぬが、死なないといえば死なないのだよ」

 ヴァトラは、しみじみと語った。 

「おかげで、色々なものを見ることが出来た。世界は広大であるが故に事象も膨大なために、私の手狭な記憶の器からは零れ落ちてしまった記憶もあるのが残念でならんよ。この地もまた、他の地と同じように発展を始めている。人は技能を覚え、獣は力を得、国は育ち、世間は乱れつつある。どこも同じだ。発展の形こそ違うが、進化の過程はどの世でも似ている。この先に訪れるであろうこともまた、同じなのだろうな」

「同じなのか?」

「恐らくは。それが残念でならん」

 ヴァトラは上体を起こすと、胡座を掻いて頬杖を付いた。

「お前達竜族は、着々と力を得つつある。それは人もまた同じだが、方向性が違っている。お前達の得ている力は極端であり、また無節操だ。いずれ朽ちよう。身に余る力を得た者が辿る末路は、いつの世でも変わらぬ。お前達という種族は、それなりに優れた進化を果たした、いわば成功例だ。だが、進化と発展の速度が速すぎる。人は身の丈に合った速度で発展を続けているが、お前達は先を急ぎすぎたとしか思えん。このままでは、いずれ滅ぶぞ」

「滅ぶだと!?」

 それは竜族に対する侮辱だ。反射的にファイドが立ち上がり、牙を剥くと、ヴァトラは片手を挙げて黒竜を制した。

「まあ、荒れるな。そればかりは逃れられんのだ」

「馬鹿を言うな、ヴァトラ! この世で最も優れた我が血族が、滅ぶことなど在り得ない!」

「皆、そう言うものだよ」

 ヴァトラはファイドの怒りを、事も無げに受け流した。

「滅びたくなければ、力を求めねばいいのだよ。力を求めすぎたが故に心身が歪み、その末に果てた者達の姿を私は何度も見てきた。出来れば、私はお前達にはそのような醜悪な末路を辿って欲しくない。この地は、今までに見てきたどの地よりも素晴らしいのでな。気候の均衡が良く、生態系も安定し、空も海も良い色をしている。お前達のような変異種も安定性には欠けるが発展を遂げ、他種族と複雑に絡み合いながら進化している。だが、力を求めるのは進化の必然であり、生物の性でもある。いかなるものであろうとも、それを抑え付けることは出来ん」

「人が滅びようと、竜が滅ぶことはない」

「そう思うのなら、いずれお前自身の手で試してみたまえ。それで全ての答えが出よう」

 ヴァトラは口調を変えぬまま、話題を一変させた。

「ああ、忘れるところだった。明日から、私はお前には会えなくなる。この地から離れて、都市部へ向かおうと思っておるのだ。私をやたらと慕う者が、私を伴侶にしたいと申してきたのだ。せっかくだからそれを受けようと思っておるのだ。あの愚か者はひどく私に執心しているから、撥ね付けてしまうのがなんだか哀れに思えてしまってな。それに、私はこれまで繁殖行為とは無縁だったのだ。だから、興味があるのだ」

「お前から子が生まれるところなど想像も付かないが」

 急に話を変えられたせいで、ファイドは勢いを失った。ヴァトラは、照れ笑いを零した。

「ああ、私もだ。だが、生殖と繁殖は有機生命体の神秘であり奇跡だ。これを感じずに去れるわけがない」

 ヴァトラの明るい笑顔を見たのは、これが初めてだった。それを邪魔するのは憚られたので、ファイドは黙った。
この妙な人間に対しては疎ましさばかりを感じていたが、明日からいなくなってしまうと思うと空虚ささえ覚えた。
無駄なようでいて有益な会話もなくなり、掴み所があるようでない彼女と関わることもなくなってしまうのだろう。
竜族である手前、人間になど興味を持っていないと思い込もうとしていたが、底知れぬヴァトラに魅力を感じた。
医術に関する知識を得たい、というのは半分建前だ。だが、それを認めてしまうのは癪なので、黙り込んでいた。
 若さ故に、心を開くのが気恥ずかしかった。





 


07 11/4