ドラゴンは眠らない




波乱の家宅捜索



グレイスは、浮かれていた。


逮捕状を眺めるその横顔は、とても楽しそうだった。膝の上には、開けたばかりの封筒が乗せてある。
宛名はグレイス・ルー、差出人は国家警察本庁とあった。その中身は、グレイスへの逮捕状と捜査令状である。
寝室のベッドに腰掛けたグレイスの隣で、ロザリアは拳銃に弾丸を込めていた。弾倉を、じゃきりと銃身に戻す。

「何がそんなに楽しいの?」

「サツで遊ぶのが」

子供のような笑顔で、グレイスは逮捕状を振ってみせる。

「だぁってさー、勝てっこないのに突っ込んでくるんだぜー? それで遊ぶのが面白くないわけがないだろー?」

「けど、国家警察はあなたを追うのをやめたんじゃなかったかしら?」

「うん、やめられちゃってた。資金と人員の無駄だー、とかなんとか国家警察の人間が言ってた気がする。だけど、ちょっとオレの気配を匂わせてみたらこれだぜ、これ。表向きだけだったみたいだな。それでなくても共和国議会の先生方や軍部のお偉方とは深いお付き合いがあるから、目ぇ付けられて当然だよな。ま、それが楽しいからこんな仕事してんだけどなー」

「だけど、当局も無謀になったものね。この城に家宅捜索をしようだなんて、無謀もいいところだわ」

拳銃の銃身を指先でなぞっていたロザリアは、傍らの夫に目を向ける。

「後ろ盾でも付いたのかしら」

「うん。そんな感じ。ほれ、ここんとこ見てみ」

グレイスは捜査令状を出し、いくつか並んでいる担当者の名前のうちの一つを指した。ロザリアは、それを見る。

「リチャード・ヴァトラス? ああ、レオナルドの兄ね。魔導師の」

「そのリチャードが、今回の陣頭指揮を執るみてぇなんだ。つまり、マジでオレを潰しに掛かるってことさぁ」

グレイスはにやけながら、ロザリアに寄り掛かった。妻を腕の中に納め、彼女の黒髪に頬を当てる。

「一緒に遊ぶか、うん?」

あ、とグレイスは思い出したように妻を見下ろした。少しだけ申し訳なさそうに、眉を下げた。

「けど、連中はお前の同僚だったっけなぁ。二年前まで」

「あら、優しいのね。気にしてくれるのね」

肩を抱いている夫の手に己の手を重ねたロザリアは、上目に背後のグレイスを見上げ、微笑んだ。

「でも、それはそれよ。私は望んであなたの手に堕ちたんだから、もうあっちの世界には未練なんてないわ」

「そっか。なら、手伝ってくれるな?」

ロザリアの腰に手を回したグレイスは、愛おしげな声を出した。ロザリアは手を伸ばし、夫の頬に触れる。

「ええ。せっかくだから、白い服でも用意してくれないかしら。返り血で染めてみたいのよね」

「じゃ、綺麗な真っ白いドレスでもあつらえてやるかな。色々と面白い仕掛けも仕込んでやるぜ」

「お願いね」

彼の腕の中でロザリアは力を抜き、グレイスに身を任せた。グレイスもロザリアを引き寄せ、唇を深く重ねた。
心地良さそうに目を閉じる妻に、グレイスは満足していた。やはり、彼女は愛おしい。この残虐さが、たまらない。
警察官だった過去や地位など全て切り捨てて、乱射の快楽に浸る道を選んだほどなのだから、相当なものだ。
今度の家宅捜索で、彼女は美しく殺戮を行うだろう。だが、敵勢にリチャードがいるのが、どうにも気に掛かった。
妻の唇と舌を味わいながら、グレイスは思考に耽った。リチャードとは接点がなかったため、真意が読めない。
家宅捜索という名の襲撃だけで、事が終わるとは思えなかった。そのついでに罠にでも填めてやるか、と思った。
これから、どれだけの血がこの城で流れるか、想像しただけでぞくぞくする。どれだけの絶望と恐怖があるだろう。
グレイスは気分良く笑みながら、妻を押し倒した。彼女の首筋を舐め、滑らかな太股の内側に手を這わせていく。
策謀の快感は、情交の悦楽に似ていた。




翌日。ギルディオスは、やる気が失せていた。
バスタードソードを肩に担いではいたが、戦う気など起きない。最初から、勝ち目がないと解っているからだ。
仰々しいまでに集められた警官隊が、びっしりと後ろを固めていた。本庁からの応援にしては、凄まじかった。
応援というよりもむしろ本隊で、旧王都領内の警官隊の方が圧倒的に少なかった。正直、やりすぎだと思う。
だが、気持ちは解らないでもない。普通の人間はグレイスの相手に慣れていないのだから、当然かもしれない。
ギルディオスは小さくため息を吐いてから、夜空を背負った灰色の城を見上げた。夜明けと共に、奇襲を掛ける。
まばらに星が見える薄紫の空には、千切れた雲が流れていた。正面の堀には跳ね橋はなく、上げられている。
ギルディオスは、隣に立つレオナルドに向いた。レオナルドは少々眠たげな目をしていたが、顔をしかめた。

「夜明けに突入とは、オレ達は革命軍か」

「似たようなもんだろ」

ギルディオスは、がしゃりと肩を竦めた。レオナルドは苦々しげに口元を歪める。

「しかし、真っ向から突っ込むなんて馬鹿正直過ぎやしませんかね」

「解っているじゃない、レオ。そうさ、君達は前座に過ぎない」

レオナルドのすぐ手前で、リチャードはにこにこと笑っていた。魔導師の衣装を着ていて、長い杖も抱えている。

「君達当局が戦っている間に、僕はこの城にある魔法封じを解除する。そうしなきゃ、僕もレオも役立たずだから」

「人の戦意を削ぐようなことを言わないでくれ」

レオナルドがぼやくと、リチャードは楽しげにする。

「レオには、大人しくしていてほしいんだけどね。いざって時に、魔導師がいるといないじゃ相当違うから」

「ダシに使うのには打って付けだからな」

「解っているじゃない」

レオナルドの嫌そうな答えに、リチャードはうんうんと頷いた。ギルディオスは二人のやり取りに、苦笑していた。
面白いほど、二人は反りが合わない。リチャードはそれを楽しんでいるようだが、レオナルドはやりづらそうだ。
こんなんじゃ戦いにくいよな、と思いつつ、ギルディオスは跳ね橋を見上げた。まだ、橋が動く気配はない。
リチャードは藍色のマントを風になびかせながら、腕を組んだ。剣を担いでいる甲冑に目を向け、言った。

「城の中は、あなたの書いた見取り図通りだと思ってはいけませんね」

「グレイスの野郎に掛かりゃ、いくらでもいじくれるからな。何があっても、まず最初は疑え」

ギルディオスは、背後に振り返った。盾と警棒で武装している警官隊を見下ろし、声を張る。

「いいか! ここから先は、お前らの知らない世界だ! むやみやたらに突っ込めば、そこにあるのは死だ!」

警官隊は表情を固め、甲冑の言葉を聞いている。ギルディオスは、高々と剣を突き上げた。

「とにかく、生きて帰ってこい!」

男達の咆哮が、辺り一帯に轟いた。甲冑の掲げている剣に空から光が注がれ、朝日が撥ねてちかりと輝いた。
それを見ていたリチャードは、戦争じゃあるまいし、と呆れたように小さく呟いた。レオナルドは、兄から目を外した。
生きて帰らなければならないのは、こちらも同じだ。昨夜、出掛ける際にフィリオラと約束してしまったのだから。
その時の彼女は、まるで戦争に出征する人間を見送るような顔をしていた。心配しすぎだ、と内心で毒づいた。
だが、正直なところは嬉しかった。彼女に帰りを待ち侘びていてもらえると思うだけで、あの胸の痛みが疼いた。
レオナルドはそれに意識を向けないようにしながら、灰色の城を見上げた。すると、巨大な門の上に、影があった。
白い影が、揺らめいている。花嫁衣装にも似た純白の礼装に身を纏った女が、銃口でこちらを見据えていた。
それが誰か、レオナルドが察する前に、彼女は発砲した。たん、と破裂音が響くと、警官の一人が吹き飛んだ。
内側から発破されたかのように血をぶちまけ、破れた服ごと散らばった。砕けた頭が、ごろりと地面に転がる。
その血の海の中に、弾丸が沈んでいた。輝きを帯びた白い魔導鉱石の鉱石弾が、肉塊の中にめり込んでいる。
リチャードはマントで鼻と口を押さえていたが、やれやれ、と漏らした。戦意を失い掛けた警官隊に、背を向ける。
城を取り囲む塀の上に立つ女性は、黒く長い髪をなびかせていた。恍惚とした表情で、魔導拳銃を掲げている。

「ようこそ」

女性は赤い紅を載せた唇を広げ、にたりと笑った。

「ルーの城へ」

「手荒な歓迎、どうもありがとう」

リチャードが眉間をしかめると、女性は拳銃をもう一挺抜いた。がちり、と弾倉を回転させる。

「私は、あの人の妻ですの。せめてものお持て成しを、と思いまして」

引き金が絞られる直前、リチャードは右手を前に突き出した。声を張り上げ、魔力を高まらせた。

「大いなる大地よ、我が御子となりて我が意のままに!」

途端に、リチャードの前の土が迫り上がった。ずぶずぶと伸びた固い土壁が、ギルディオスらの視界を塞ぐ。
びしっ、と着弾と思しき破裂音が壁の向こうで爆ぜた。リチャードは杖を掲げていたが、ん、と眉を曲げた。
弱い風が抜けた。白い影が舞い降りてくると、白い靴のつま先が土の壁の頂上に触れ、とん、と足が置かれる。
女性は土壁の上に立ち、リチャードの額に銃口を向けた。リチャードが身を引いた途端、弾丸が通り過ぎる。
身軽に飛び降りた彼女は、ふわりと白いスカートを翻した。彼女の銃口が上がる前に、レオナルドは叫んだ。

「先輩!」

その声に、彼女は少し反応した。楽しげな笑みを崩さぬまま、女性は銃口をレオナルドに向けた。

「あら、久しいわね、レオナルド」

「…ロザリア先輩」

レオナルドは魔力を高めてはいたが、力を放つのに躊躇した。女性、ロザリアは警官隊をぐるりと見回す。

「見慣れない顔が多いわね、本庁の差し金かしら」

レオナルドは、こちらを見つめるロザリアと目を合わせた。彼女は、二年前まで直属の上司の警部補だった。
正義感に溢れ、職務に忠実で、グレイス・ルーに関わる事件の捜査に余念がない彼女に、尊敬すら抱いていた。
それが、二年前、灰色の城に単身乗り込んでから、ロザリアは一変した。灰色の呪術師の世界に、堕ちたのだ。
レオナルドにとってはそれすらも衝撃だったのだが、ギルディオスから又聞きした話で更に衝撃を受けた。
彼女は、事もあろうに追い続けていた犯罪者、グレイスと結婚した。しかも、子供まで設けているというのだ。
レオナルドは、ロザリアの瞳を見据えていた。以前にはなかった女らしい色を帯び、張り詰めた美しさがあった。

「先輩」

何かを言わなくては、と思ったが、何も言えなかった。レオナルドが言葉に詰まると、ロザリアは笑む。

「あら、嬉しいわ。私を焼こうとはしないのね?」

「焼けるわけ」

ないじゃないですか、と言おうとしたが言えなかった。ロザリアは拳銃の引き金を容易く引き、弾丸を放った。
それが、レオナルドの左腕を貫いた。熱い衝撃と痛みが体を揺さぶり、骨の砕けた感覚と血が吹き出る熱がある。
撃たれた、と思うまで間があった。レオナルドは強烈な激痛でよろけたが、左腕の傷口を手で押さえて立ち直った。
顔を上げると、ロザリアは笑っていた。グレイスのそれに似た、とても気分の良さそうな美しい笑みだった。

「昔のよしみよ、一発じゃ逝かせないわ。次は脳天だけどね」

レオナルドは脂汗を滲ませながら、力を強めた。ロザリアの白い衣装には、返り血の飛沫がいくつか飛んでいた。
それを、睨んだ。力一杯の憎しみと怒りを込めて、炎の力を放射した。だが、燃えることはなく、熱だけが出た。
足元に落ちた血が蒸発し、湯気が細く昇る。レオナルドが舌打ちすると、リチャードがすいっと前に出てきた。

「やれやれ。レオも甘いなぁ。いくらこの人が、君の昔の仲間だったからって」

リチャードは薄紫の魔導鉱石が填った杖を、かっ、と地面に突き立てた。

「手加減しちゃいけないな!」

土壁が、唐突に膨れ上がった。無数の土槍を生やした球体に変化し、ごろりと転がってロザリアに向かった。
ロザリアは表情を強張らせたリチャードを一笑すると、棘の球体に魔導拳銃を向け、引き金を逆に引いた。

「あなたこそ」

かちっ、と軽い金属音と共に、生温い風が起きた。棘の生えた土塊は硬さを失い、ぼとぼとと崩れ落ち始めた。
リチャードは杖に注ぐ魔力を高めたが、もう無理だった。実にあっけなく崩壊した土を見上げ、苦笑する。
ロザリアは膝を曲げながらも辛うじて立っているレオナルドの隣を通り過ぎ、妖しく微笑みながら囁いた。

「踊りが終わったら、あなたと遊んであげるわ」

レオナルドが引き留めるより先に、ロザリアは軽い足取りで駆け出した。地面を蹴ると、ふわりと飛び上がった。
白い影が、宙を舞う。警官隊の真上をゆらりゆらりと踊るように動きながら、ひっきりなしに銃声を響かせる。
撃てぇ、と警官隊から声が上がるが、それを叫んだ者の脳天が吹き飛んだ。魔導拳銃と拳銃を、交互に撃った。
身動きの取れない者達を鉛の弾で貫き、死体の中に呆然と立つ者達を風の刃で切り裂いた上を、白が舞い踊る。
宙を舞う白が、次第に赤くなる。大量の返り血を浴びて服を染めたロザリアは、警官隊の後方に、ふわりと下りた。
警官隊は、もう機能していなかった。ほんの一時の間に、数十人の者が撃ち抜かれるか砕かれるかしていた。
ロザリアは、髪と顔を汚した血を手の甲で拭った。血の海の向こうから振り返り、レオナルドに笑いかけた。

「さあ、次は」

レオナルドは、ロザリアの手中を力一杯睨んだ。どしゅっ、と溢れた炎が拳銃を焦がし、吹き飛ばした。
小さく叫んで腕を下げたロザリアは、後方に転がった拳銃に目をやった。黒い鉄がでろりと溶け、焼けている。
レオナルドは口の中で呪文を紡ぎ、左上腕に空いた穴を塞いだ。大分血が流れ出たせいで、視界が霞んでいた。

「残念です、先輩」

喘ぎながら、レオナルドは表情を歪めた。無惨に死に絶えた警官隊の向こうに立つロザリアは、少し悔しげだ。
だが、楽しそうだった。捜査一課にいた時には見たこともない表情で、言葉で、身動きで、殺戮を行っている。
まるで、別人の所業だった。捜査一課での彼女の姿を思い出してみるが、何一つとして現在に繋がらない。
ならば、別人として見るべきだ。レオナルドは貧血と負傷の痛みでふらつく頭を堪え、炎の力を込み上げた。
燃えろ。燃えてしまえ。そう強く念じながら、ロザリアの持つもう一方の拳銃、魔導拳銃を思い切り睨んだ。
だが、炎は起きなかった。代わりに魔力を吸い出される嫌な感覚が湧き、足元から熱い空気が舞い上がった。
レオナルドよりも先に、リチャードはその風の行く末を見上げた。冴え冴えとした朝日を浴び、何かがいた。
城門の塀から、ぎちぎちと金属の噛み合う音が聞こえてきた。跳ね橋が徐々に下りていき、城の口が開く。
その、こちらへ下りてくる跳ね橋の丁度真上、門の真正面の上に灰色の上下を着た男がふんぞり返っていた。


「愛してるぜぇー、ギルディオス・ヴァトラスぅー!」


手にしている金色のペンダントを掲げ、丸メガネを掛けた三つ編みの男は照れくさそうに叫んだ。

「だからお前も愛してるって言えー!」

「誰が言うかぁ!」

バスタードソードの剣先を突き出し、ギルディオスは反射的に叫んだ。レオナルドはそちらを見、呆気に取られた。
グレイス・ルーだった。見なくとも解ってはいるが、この状況でそういう態度を取れることが信じられなかった。
妻が警官隊に突っ込んだ後なのだから、普通であれば彼女の身を案じるのが筋ではないのだろうか、と思った。
なのに、事もあろうに愛の告白だ。レオナルドは貧血以外のことで頭痛を感じながら、甲冑に目を向けた。
ギルディオスは言い返しはしたが、これといって動揺した気配はない。やはりこれも、いつものことなのだろう。
ふと、グレイスの目がレオナルドに向いた。レオナルドが嫌な予感を覚えるよりも先に、グレイスはまた叫んだ。

「れーおちゃーん!」

「…あれと友達なの、レオ?」

半笑いのリチャードに尋ねられ、レオナルドは首を横に振るしかなかった。グレイスは、なおも喚く。

「今日もレオちゃんは可ぁ愛いぞぉーう!」

「じゃかぁしい!」

途端に、レオナルドは苛立ってしまった。フィリオラに言われたことでも、この男に言われると嫌なだけだった。
まるで、彼女に言われたことを穢されたかのようで腹が立ってきた。じりじりとした魔力の熱が、内側に起こる。
絶対に燃やしてやる。レオナルドはいきなり強烈に湧いてきた戦闘意欲を感じながら、グレイスを睨み上げた。
リチャードはいきり立っている弟から目を外し、ロザリアに向けた。だが、彼女はいつのまにか姿を消していた。
その姿を探すと、いつのまにかグレイスの隣に立っていた。空間転移魔法を使ったな、とリチャードは察した。
大方、ロザリアの着ている服には様々な細工が施してあるのだろう。でなければ、空を飛ぶなど出来はしない。
彼女自身に飛び抜けた魔法の才があるとは思えないので、グレイスの手によることだというのは間違いない。
厄介だな、と思いながらも、リチャードは表情に出さないようにした。それでなくても、警官隊は乱れている。
生き残った警官隊の第二、第三隊からは弱気な態度が伝わってくる。そんな中で、指揮官が折れてはいけない。
魔法に疎い現代の人間達がこの状況で頼れ、支えにしているのは、魔法に通じている人間、魔導師の存在だ。
だが、その片方のレオナルドは撃たれてしまった。命に別状はないようだが、あの傷では全力で戦えはしない。
となれば、彼らが頼れるのはリチャードのみだからだ。リチャードは背中に無数の視線を感じ、笑った。
そうして、信用していればいい。信用されたならされただけ動かしやすくなるし、なによりその方が楽だ。
どんな行動をしようとも疑問を持たないだろうし、適当な言い訳をすれば、簡単に聞き入れてくれることだろう。
リチャードは、またギルディオスに愛の言葉を叫んでいるグレイスを見上げ、僅かばかり表情を変えて笑った。
不意に、がしゃん、と激しい音がした。見ると、跳ね橋が下りきっていて、橋を支える太い鎖が僅かに揺れていた。
跳ね橋の向こう、門の先には小さな子供が立っていた。紺色のスカートと白いエプロンの、メイド服を着ていた。
それを見てリチャードは、ふと、キャロルのことを思い出した。彼女に着させているメイド服は、黒なのだ。
紺色も悪くないなぁ、と思ったが、黒も似合っていないわけではない。それに、今更変えるのもキャロルに悪い。
リチャードは、そんなことを一瞬の間に悩んだ。メイド姿の幼女は、素っ頓狂な色の髪と髪型をしていた。
濃い桃色の髪が、頭の両脇でくるくるとバネのように巻いてある。一見して、生身の人間でないと解る様相だ。
だが、警官隊の気は緩んでしまったようだった。自分達の半分以下ほどしかない体格の者だと、畏怖も薄れる。
幼女はとことこと歩いてくると、警官隊に向けてぺこりと頭を下げた。巻かれた髪が、ぽよんと上下する。

「本日はー、御主人様を逮捕しに来て頂いてー、本当に御苦労様ですー」

間延びした舌足らずな口調で、幼女は言う。にっこりと、愛らしい笑みを浮かべる。

「御主人様の奥様、ロザリアさんのお持て成しはいかがだったでしょうかー?」

「ああ。最高だったぜ、レベッカ」

皮肉として、ギルディオスは吐き捨てた。幼女、レベッカはにこにこしている。

「それではー、これからー、私があなた方をお相手しますー」

どうぞー、とレベッカは跳ね橋の奧を示した。城の手前の広い庭には、手入れされた植木や花々がある。
警官隊達は、身動いでいるようだった。リチャードはギルディオスに顔を向けてから、城門の奧を指す。

「突っ込みますか?」

「オレがな」

それが筋だろ、と付け加えてから、ギルディオスは踏み出した。甲冑が、がしゃがしゃと跳ね橋を歩いていく。
止まることなく橋を渡り切ったギルディオスは、門の出口で待ち構えていたレベッカと真正面から向き合った。
レベッカは、屈託なく笑っている。ギルディオスはバスタードソードを下ろし、幼女の首筋に刃を押し当てる。

「珍しいな。斬り掛かってこねぇのか」

「今日はー、わたしがあなた方のお相手をするわけじゃありませんー」

襟元を銀色の刃に歪められながらも、レベッカは平然としている。ギルディオスは剣を下ろし、前庭を見据えた。

「てぇ、ことは」

「はいー」

レベッカは、ぱちん、と指を弾いた。急激な魔力の波を背に感じたギルディオスは、慌てて後方に振り向いた。
跳ね橋の上を、泥の固まりがうねっている。それには、巻き込まれたものと思しき警官隊が埋まっている。
ヘビにも似た動きで、土塊は勢い良く橋を渡る。泥の固まりは、咲き乱れていた花を散らして滑り込んできた。
ギルディオスのすぐ脇を通り過ぎたそれは、ずじゃっ、と城の手前で動きを止めた。レベッカは、再度指を弾く。
途端に、泥の固まりは動きを止めた。水のようにとろけて崩壊した泥から、中から警官隊がこぼれ落ちてきた。
生存者も死体も、ごちゃごちゃに混ざって散らばっていた。誰一人として立ち上がらず、戦えそうになかった。
レベッカは、泥の通った痕跡の残る地面を歩いていき、崩れた泥の中に踏み込むと、湿った地面に手を当てる。

「はいっ!」

幼い掛け声の直後、地面の至る場所から土が噴き上がった。噴水のように勢い良く迸り、溢れ出してくる。
それが警官隊達を取り囲み、形を成し始めた。湿った土が硬くなり、表面を強張らせ、次第に形状を変えていく。
頭が出来、手足が出来、大きな手が出来上がる。骨のような細い手足の先には、やけに大きな爪が付いている。
土色の仮面は目が吊り上がり口元も吊り上がり、気味の悪い笑顔を見せていた。それが、数十体も並んでいた。
マントは羽織っていなかったが、あの高笑いは聞こえてこなかったが、それでもこれは、アルゼンタムだった。
遠目に見ただけでも、おぞましい光景だった。大量のアルゼンタムに囲まれた警官達は、すっかり乱れていた。
我先に逃げ出そうとするが、泥に足を取られて上手く走れない上に、仲間の死体を踏んで転んでしまっている。
絶叫と悲鳴が、城壁の中にこだましている。平静を失った彼らは、警察官であるということを忘れているようだ。
その光景を城門越しに見ていたレオナルドは、思い切り表情を歪めた。恐らく、恐怖を煽りに煽って殺すのだろう。
だが、下手に突っ込めば魔法封じで何も出来ない。灰色の城の正面の扉には、魔法封じの魔法陣があった。
あれを破壊するか無効化かするかしなければ、身動きなど取れやしない。レオナルドは、次第に苛立ってきた。
隣の兄を窺うと、リチャードは平然としていた。背筋を逆立てるほどの悲鳴が響いていても、顔色一つ変えない。

「あの魔法封じ、有効範囲が結構でかいなぁ。城の全域どころか、堀の中もそうだ」

リチャードは、普段通りの穏やかな口調だった。

「魔法封じが適応されていない場所から魔法封じを封じようと思っていたけど、ちょっと当てが外れたね。直接壊すのが一番確実かな。なぁ、レオ」

「オレは手伝わん」

レオナルドは痛みの残る腕を押さえ、跳ね橋に向かっていった。

「一人でやれ!」

「冷たいなぁ、レオ」

寂しげなリチャードに、レオナルドは振り向き、叫んだ。

「それはお前の方だろう、兄貴! 兄貴は、他の奴らのことをどうとも思わないのか!」

銃創から流れた血に汚れた左手を、レオナルドは固く握り締めた。リチャードは間を置いてから、答えた。



「思わないよ」



「それが、たとえ、自分の教え子でもか」

レオナルドが声を震わせると、リチャードはにまりとする。

「ああ。現に僕は、レオが撃たれても欠片も動揺しなかっただろう。それが、証拠だよ」

リチャードは藍色のマントを広げながら、弟の隣にやってきた。擦れ違う手前で立ち止まり、囁いた。

「それぐらいの覚悟がなきゃ、魔導師なんてやっていけないんだよ」

リチャードはレオナルドの隣を過ぎ、確かな足取りで歩いていった。夜空に似た藍色が、弟の目の前を抜ける。
レオナルドは灰色の城へと向かっていく兄の背を、怒りと苛立ちを持って見据えていたが、空しくもなっていた。
そして、この家宅捜索という名の襲撃の真意は、本当の狙いはどこにある。それが、全く見えてこなかった。
それを確かめなければならない。兄を、追わなければならない。レオナルドは義務感に駆られ、走り出した。
左腕を伝う己の血が、熱かった。







05 12/14