手の中の戦争




第十二話 北斗七星



私には、好きな人がいる。


厳密に言えば、生まれて初めて、いわゆる恋愛感情というものを抱いてしまった相手が存在する、ということだ。
体ばかりがでかくて、戦えば強いけど、馬鹿で子供そのもので、どうしようもないくらい、私に好意を示してくる。
好きになるはずがないし、好きになる理由が見当たらないし、好きになったところで、結末は最初から解っている。
世間一般に言うところの幸せからは程遠いし、いつか必ずどちらかが戦死するだろうし、結ばれることはない。
一時の気の迷いかもしれないし、すぐに冷めるかもしれないし、私がどうにかなってしまったのかもしれない。
でも。本当に、好きなんだ。




夜勤。夜間勤務の略称である。
それは、自衛隊にも存在している。緊急事態が起きた時に備えて、自衛隊には人間が常駐している必要がある。
特殊機動部隊も、例外ではない。けれど、我が部隊は人員が少なすぎるので、基本的にはない仕事だった。
少数精鋭、と言えば聞こえがいいが、要は人員不足だ。なので、ローテーションを組もうにも人間が足りない。
有事の際に消耗していたら役に立たない、ということで、普段は特殊機動部隊は夜勤を行うことはなかった。
その代わりに、駐屯地にいる他の部隊の自衛官がやってくれていて、何かあったら連絡してくれる手筈なのだ。
だけど、今日は違っていた。グラント・Gを駐屯地に輸送するとかで、誰かが詰めていなければならなかった。
そういう時に限って、朱鷺田隊長と神田隊員は他の部隊と一緒に演習をしているし、すばる隊員は生理痛だ。
南斗はグラント・Gの輸送の警護に行くとかで、人型兵器研究所に戻っている。となると、残るは私と北斗だ。
というわけで、強制的というか半ば必然的というかなんというかで、私と北斗が夜勤をする羽目となったのだ。
十八歳以下を夜に働かせるのは労働基準法違反では、と思ったが、今更そんなことを言ってもどうにもならない。
そもそも、ただの中学生を自衛官に仕立て上げていることからして労働基準法違反で、無茶苦茶なのだから。
私は、特殊機動部隊営舎の事務室にいた。自分の机に、学校の帰りがけに買った本を積み重ね、読んでいた。
どれもこれも古本なので、そこかしこに傷やら汚れやらがあるのだが、読めればそれでいいので気にしない。
たまに活字から目を上げると、隣の席で北斗が電話番をしている。頬杖を付いて、じっと電話を睨んでいる。
その状態で、かれこれ二時間になる。ちょっとは動け、と思いながらも、私は佳境に入ったストーリーを追った。

「なぜだ」

不意に、北斗が呟いた。

「疑問には思わんかね、礼子君」

「何が」

私は読んでいた部分に指を入れて文庫本を閉じ、北斗に向いた。北斗は、電話から視線を外さない。

「グラント・Gの輸送任務から、自分が外されたことが腑に落ちん」

「そう?」

「だって、そうではないか。南斗だけでなく自分もそちらに向かった方が、安全性は増すというものだ」

「護衛してるのは南斗だけじゃないよ。他の部隊もいるんだから、大丈夫だと思うよ」

「油断してはならん! いついかなる時に何があるか解らんのだから、厳重な警護を行うべきなのだ!」

だん、とスチール机に両手を付き、北斗は立ち上がる。私は、カバーの返しをページに挟んで栞代わりにした。

「やかましい」

「いいではないか、ここには礼子君しかおらんのだから! 咎められはせん!」

「咎めてるじゃん、私が」

「別に破壊活動を行ったわけではないのだ、これといった害もあるまい」

「ある」

「具体的に申してみたまえ、礼子君」

「うるさい。邪魔。集中出来ない。ガラスが揺れる。机に傷が付く。あんたが机を殴るとこっちの机もずれる」

「…いつにも増して能弁であるな」

北斗は苦々しげにしていたが、椅子に座り直した。私は、再び文庫本を開いた。

「それでよろしい」

北斗は、また黙った。今度はやけに偉そうな態度で腕を組んでいるが、やることは変わらず、電話番の続きだ。
グラント・Gは、一旦特殊機動部隊のある駐屯地に輸送されてくる。ここを中継して、別の研究所に向かうのだ。
高宮重工の人型兵器研究所は、鈴音さんがいる場所だけではない。日本国内に、同じようなのが複数存在する。
グラント・Gは、その中でも機械部品製造開発に長けた研究員のいる、九州方面の研究所に向かうのだという。
なんでも、新開発の部品を使ってエンジン性能を上げるとかで、キャタピラのモーターも交換するという話だ。
ソフト面は鈴音さん達が終えたので、今度はハード面、ボディに取り掛かっている段階だ。グラント・Gも大変だ。
理由はどうあれ、体をいじくり回されていることには変わりないのだから。それなりに、気苦労もあるはずだ。
私は活字を追っていたが、北斗に目をやった。唇を引き締めている横顔は精悍で、黙っていれば恰好良い。
北斗を眺めていると、読書に集中することで忘れられていたあの感覚が起きてきた。ああ、ダメだ、もうダメだ。
二人だけになるとどうしても意識してしまうから、と思って本を買い込んできたけど、その半分も読めなかった。
四冊買って、そのうちの二冊目の四分の三しか読めていない。私にしては、かなり集中力が欠けている状態だ。
調子が良ければ、分厚くて文字がぎっしりで話がややこしい京極堂シリーズを、二時間強で読み倒せるのだ。
だが、今はダメだ。頭に情景が浮かんでこないし、所々読み飛ばして、ストーリーが読み込めないでいる。
このままだと、じきに何も頭に入らなくなる。そうなってしまうと、嫌でも北斗の存在を意識してしまうだろう。
どうしよう。ここから離れてしまおうか、でも、離れたら離れたでまた変な感じになってしまうんだよなぁ。
近くにいたいような、でも照れくさいからいたくないような、だけどちょっとでも離れているのは嫌、みたいな。
我ながら、滅茶苦茶だ。でも、どれも嘘じゃないから困る。私はまた本に目を戻したが、もう読めなかった。
仕方ない、諦めよう。また今度、落ち着いている時にじっくり読めばいい。そう思い、私は文庫本を閉じた。
すると、北斗がこちらに振り向いた。反射的な反応なのだろうけど、私はそれだけでぎくっとしてしまった。

「何」

「礼子君こそ、何なのだ。途中までしか読んでおらんのに閉じてしまうとは、礼子君らしからぬ行動だぞ」

北斗が、訝しんできた。私は、文庫本の山の上に、今まで読んでいた文庫本を載せた。

「別に」

なんでもない、と続けようとして飲み込んだ。北斗に言われて気付いたが、私はなんでもないという時は嘘なのだ。
本当はなんでもなくなくて、実のところは戸惑っていたりしているのだけど、ついそう言って誤魔化してしまう。
ああ、なんて天の邪鬼。それはひとえに、私の性格が捻くれているせいなのだけど、ここまで来ると自分でも嫌だ。
ちょっとしたことなんだから誤魔化そうとしない方が楽なはずなのに、誤魔化してしまうから、やりづらくなる。
素直になってしまった方が楽だとは解ってはいるけど、どうにもならなくて、そしてまた誤魔化してしまうのだ。
それが、エンドレスなのだから困ってしまう。ハムスターの回し車だ、メビウスリングだ、ウロボロスの蛇だ。
いつかどこかでぶった切らないと、終わらない。でも、そのタイミングを失ってばかりいて、また困ってしまう。
どうしよう。私は本を載せた手を下げて、目線を落とした。ジャングルブーツを履いた、自分の足が目に入る。
掛け時計が秒を刻む音が、やけにうるさく響いた。営舎の周囲は何もないので、静かで、虫の音しか聞こえない。
沈黙が、事務室に広がっていく。蛍光灯の青白い光が、ただでさえ無機質な室内を更に冷ややかにさせていた。
前だったら、こんなことはなかった。自分の感情にこんなに振り回されたり、困らされたりなんてしなかった。
それに、北斗を意識したりもしなかった。いつからだろう、とは思ったが、明確な時期は思い当たらなかった。
気付いたら、こうなってしまっていた。押さえよう、忘れよう、消してしまおう、と何度も何度も考えていた。
でも、そう思えば思うほど、どうにもならなくなっていた。目を逸らしても、確実に、胸の奥は痛いのだから。

「礼子君は」

北斗が、唐突に言った。

「死兆星を見たことはあるか」

「…は?」

何を言い出すかと思えば、この世紀末馬鹿め。私が声を裏返すと、北斗は真顔で言い放った。

「自分には、ある!」

「一年以内に死ぬー、とか騒がないでね」

私が冷淡に突っ込むと、北斗はむっとした。

「それぐらい、解っておる。自分が最初に死兆星を見たのは、人型兵器研究所であり、稼働したばかりの頃であったのだから、既に五年以上は過ぎておるのだ。だから、あれはただの迷信であるということは知っておるのだが、見たことはあるのだ!」

「まぁ、実在のものだしね、北斗七星の傍の星って。見える見えないは視力の関係だよ」

「うむ。自分は常人の五十倍の視力を有しているのであるからして、数キロ先のものでも見えるのだ」

「私は見えないと思うよ。裸眼で右が0.7で左が0.65だから」

私は、事務室の壁にあるポスターを見た。その図柄はなんとなく解るのだけど、細かい文字までは見えなかった。
趣味が読書なのだから、これから先ますます悪化することだろう。今は、近視用のメガネで事足りているけど。
でも、そのうちコンタクトでも作った方がいいかもしれない。その方が、正確な射撃を行えるような気がする。
だけど、戦闘中にずれちゃったら致命的だな、と考え直した。日常では便利でも、戦闘では不便だな、きっと。

「それで、だな」

北斗は一瞬躊躇ったようだったが、私に向き直った。

「探してみようとは思わんかね、礼子君!」

「死兆星を?」

私が返すと、北斗は深く頷いた。

「うむ!」

「嫌」

私が即座に否定すると、北斗は仰け反ってから喚いた。

「それはどうしてだね、礼子君! 理由を述べたまえ、理由を!」

「だって、見たら一年以内に死ぬもん」

こういう商売をしているのだから、出来ればそういうものは見たくない。私が言い返すと、北斗は更に喚く。

「死なないのだ! あれは漫画なのであるからして、見たところで死ぬわけがないのだ!」

「でも、ラオウもトキもレイも死んだじゃん。世紀末覇者の拳王様だって死んじゃうだもん、だから嫌」

「マミヤは死ななかったではないか!」

むきになって、北斗は詰め寄ってきた。私は椅子を転がして、北斗との間隔を空けた。

「あれは例外でしょ。レイが身代わりになったみたいなものだから」

「お願いであるから、そう屁理屈こねないでくれたまえ…。どうしてこう、君という女性は…」

北斗は項垂れると、ゴーグルの目元を押さえた。私は調子に乗りすぎてしまった、と思い、謝った。

「ごめん」

「解ってくれれば良いのだ」

北斗はころりと機嫌を戻すと、私に近寄ってきた。

「というわけであるからして、礼子君! 死兆星を探すため、高い場所に赴こうではないか!」

「要するに、屋上に行かせたいわけね。でも、ここ、屋上に通じる階段なんてないよ?」

そもそも、屋上を使う理由がないのだから、屋上は設置されていない。私が変な顔をすると、北斗は胸を張る。

「飛べば良いではないか。飛行ユニット一式の使用許可は、既に下りておる」

「でも、そういうのって私用しちゃいけないんじゃないの?」

私が突っ込むと、北斗はにっと笑った。

「乱用しなければ良いのだ。無闇に高度を上げたり速度を出したりしなければ、問題はないとのことだ」

「…だけど」

高いところは、好きじゃない。私が渋ると、北斗は表情を和らげた。

「礼子君。自分がいるのだ、怖いことなど何もない。何かあったら、自分が礼子君の盾となり武器となろう」

目の前に、北斗の手が差し出された。なんだ、それは。不意打ちじゃないか、ゲリラ戦法だ、地雷も同然だ。
いきなり、そんなに恰好良いこと言わないでくれ。私は先程よりも遥かに強い動揺が起き、身を固くした。
意識しなくても、勝手に照れてしまって、頬どころか体の内が熱くなる。風邪を引いた時に、良く似ている。
でも、風邪とは明らかに違うのは、鼓動が痛いことだ。私は目線を彷徨わせていたが、電話が目に入った。

「電話、待ってなくていいの?」

「考えてみたら、自分には無線があるのだ。南斗も、恐らくそちらの方に連絡を入れてくるだろうと思ってな」

今更気付いたのだ、と北斗は自分の側頭部を指した。そういえばそうだ、私もすっかりそれを忘れていた。
おかげで、行かない理由がなくなってしまった。いや、本心としては、行きたいような気がしないでもない。
今日は晴れていたから夜空が見えるだろうし、街は遠いから、屋上に上るだけでも充分に星が見えるだろう。
夜風は冷たいかもしれないけど、戦闘服なんか着込んでいるから平気だろうし、それに。それに、それに。

「…うん」

私は、目の前に差し出されている北斗の手を取った。

「そこまで、言うなら」

北斗が一緒なら、平気だ。稼働している間はエンジンが熱を起こしているから、近くにいれば寒くはない。
私の手を握り返してくる北斗の手には、それほど力が入っていなかった。大事そうに、指を曲げて包んでくる。
それだけで、どれだけ北斗が私を好きなのか、痛感した。ロボットなのに、金属なのに、本当に優しいのだ。
こちらが意識してしまうと、今までは解らなかったことが次々に解る。知らなかったことを、知る羽目になる。
私は北斗に手を引かれる形で、椅子から立ち上がった。から、と椅子が少し転がって、私から離れていった。
これ、見ようによってはエスコートだ。でも、二人とも戦闘服だし事務室なので、まるで様になっていない。
北斗は私の手を引いて、窓まで連れてきた。北斗は窓を開けると、そこから身を出して、ふわりと浮き上がった。
反重力装置だけを作動させているのか、排気音はしない。北斗はおもむろに上着を脱ぐと、私に放り投げた。

「中に置いておいてくれたまえ」

「あ、うん」

投げられた戦闘服を受け取った私は、北斗の席の椅子に羽織らせた。窓に戻ろうとすると、もう一枚投げられた。
それは、やたらと大きなサイズの黒のタンクトップだった。そりゃ、破いちゃまずいけどさ、でも、だからって。
私は戸惑いながらも、北斗に目をやった。逞しい上半身を晒した北斗は、にやけながら、私を手招いている。

「早く来たまえ、礼子君」

私は窓枠に手を掛けて乗り越えようとすると、体が簡単に持ち上がった。腕の力だけで、足元が浮いていく。
北斗が生み出した反重力領域は、窓の周囲まで届いているようだった。水中に似た浮遊感が、体中に広がる。
今回はスカートじゃないから、下を押さえる必要はない。私は窓枠に両手を掛けて、懸垂の要領で上昇した。
が、その勢いが強すぎて、窓から飛び出してしまった。そうだ、忘れていた、重力が弱いと力は強くなるんだ。
真正面には、事務室からの窓明かりが落ちているが、真っ暗な地面がある。反重力領域から出たら、落ちる。
私が慌てていると、体が引き戻された。そのまま引っ張られて、北斗の腕の中に、抱え込まれてしまった。
北斗は、重力を弱めた中でのパワー配分に慣れているので、私を自分にぶつけてしまうようなことはなかった。
私は北斗から落ちてしまわないように、腕を伸ばして首に回した。彼の首の後ろで、両手をしっかり握った。
肩越しに、背部から飛び出した二つのジェットポッドと一対の方向指示翼が見える。ボディと同じ、銀色だ。
北斗は私の肩と膝の裏に手を回し、軽そうに抱え上げた。私もそれに合わせて体をずらしたが、気付いた。
これ、お姫様抱っこだ。さっきといい今といい、なんだこの状況は。恥ずかしい、というか、やりづらい。
北斗の顔がすぐ傍にあるし、距離なんてないに等しいし、ああもうどうしよう。私は、たまらずに顔を伏せた。

「やはり、柔らかいな」

北斗の手が、私の肩を軽く握る。胸に押し当てるように、慎重に引き寄せた。

「本当に、よくこんな体で自分達と共に戦おうなどと思えるものだ」

「悪い?」

今更、何を言うんだ。私がちょっとむくれると、北斗は心外そうにする。

「なぜそこで怒るのだ。自分は褒めておるのだぞ? 礼子君の勇気と心意気をだな」

「行くんなら、さっさと行ってよ!」

私はやりづらい上に気恥ずかしくなって、北斗から顔を逸らした。いきなり褒めるなんて、それもまた不意打ちだ。
北斗は、褒めたのに文句を言われたのが不可解なのか首をかしげたが、背部のジェットポッドから炎を出した。
それほど出力を出していないので、熱い空気がゆらゆらと立ち上ってくる程度だが、上昇するには充分だった。
吹き付けてくる風は冷たく、髪が頬を叩く。でも、自分の内から沸き上がってくる熱さで、あまり感じなかった。
北斗は私に気を遣い、急上昇することはなく、ゆっくりと昇っていった。徐々に、藍色の星空が近付いてくる。
屋上までの距離はそれほどあるわけでもないのに、妙に長く感じた。宇宙まで、飛んで行けるような気がした。
北斗七星が、北の夜空に浮かんでいた。





 


06 8/1