手の中の戦争




第四話 コンバット・ブルース



土曜日。私は、自衛隊の大型ヘリに揺さぶられていた。
何度乗っても、ちっとも慣れない。おまけに朝っぱらに引っ張り出されたものだから、中途半端に眠かった。
乗り物酔いと寝不足でぐったりしてしまい、あまり柔らかくないシートに体を埋めた。ヘリなんて、嫌いだ。
窓から差し込んでくる朝日が、徐々に強くなっている。ポケットの中から携帯電話を出し、フリップを開く。
時刻は、午前五時十五分。自衛隊的に言えば、○五一五。家を出たのは○四○○なので、一時間以上過ぎた。
神田隊員が運転する黒のジープラングラーに乗せられた時は、まだ日も昇っていない夜の真っ直中だった。
なので、起床時間も必然的に早くなり、私は○三二○に起床し、身支度を整えなければならなかったのだ。
お母さんは、私よりも早くに起きて朝ご飯を作ってくれていたけど、別にそんなことをしなくても良いと思う。
私が家族の誰よりも早く起きて、特殊演習に向かうのはいつものことだし、朝ご飯も演習場でなんとか出来る。
けれど、そう言ったら気を遣ってくれているお母さんに悪いと思ったので、今まで一度も言ったことはない。
大型ヘリの丸い窓の向こうから、眩しい朝日が差してきた。私はそれが眩しくて目を細めていたが、気付いた。
窓の外に、見覚えのある山が見えた。全体的に青味を帯びていて、頂きに雪の冠を被った、大きな山だった。
それは、紛うことなき富士山だった。その下に見える広大な樹海は鬱蒼としていて、そこだけまだ暗かった。
大型ヘリは、徐々に富士山に近付いていく。距離が狭まるに連れて、巨大な富士山が迫ってくるように感じた。
私は、富士山に見取れていた。今までにも見たことはあったけど、新幹線や車の車窓からばかりだった。
無意識に身を乗り出していると、隣に座っていた神田隊員が微笑ましげにした。彼は、ヘリの下を指す。

「さすがに今回ばかりは、礼子ちゃんに演習場の所在地を隠すことは出来ないね。一度ぐらいは聞いたことがあるだろう、富士山麓演習場、っていう名前は」

「まぁ、よくテレビとかに出てますからね」

私は身を引くと、座席に座り直した。神田隊員は、窓の先に見える富士山を眺めた。

「今日の特殊演習は、最初は米軍の駐屯地でやろうっていう話だったんだけど、あちらの都合が付かなくなってね。それで、場所をこっちに移したというわけさ」

「はぁ」

私はやる気なく返事をしてから、再び富士山を眺めた。朝焼けの空を背負い、白い朝靄の中に身を沈めている。
東側、丁度大型ヘリの真後ろから昇ってきた朝日に半身を照らされていて、雪の積もった頂が輝いていた。
あの麓で、戦うのか。戦っている最中は景色なんて見られないだろうから、今のうちに存分に見ておこう。
それに、北斗と南斗と合流してしまえば、あの二人の相手をしなければならなくなるから、余裕なんてなくなる。
しばらく見ていると、朝日の眩しさで目が痛くなってしまった。富士山から目を外し、神田隊員に向けてみた。
神田隊員は、いつになく、表情が強張っていた。いつもであれば、穏やかに笑って話し掛けてくるはずなのに。
今日に限って、神田隊員は口数が少なかった。昨日のお母さんの態度といい、北斗の言葉といい、少し変だ。
私はそれが引っ掛かっていたけど、気にしないことにした。任務の内容を隠されるのは、いつものことだ。
だから、別に、気にすることもないだろう。




富士山麓演習場に着いた私と神田隊員は、すぐに営舎に向かった。
ロッカールームで私服から礼服に着替えると、朱鷺田隊長と同じくらいの年齢であろう自衛官に、案内された。
神田隊員と連れ立って歩き、三階まで進んだ先には、会議室があった。その前には、朱鷺田隊長が待っていた。
朱鷺田隊長も神田隊員も礼服を着ているのだが、二人の戦闘服姿を見慣れているので、多少違和感があった。
隊長は私の姿を見るなり、変な顔をした。私はそのリアクションが面白くなかったが、もっともだとも思った。

「鈴木。お前、そういうの、面白いぐらい似合わないな」

「それぐらい、自覚しています。下手なコスプレみたいなんですもん」

私が自分の恰好を見下ろしてぼやくと、神田隊員は笑んだ。

「そうかな。オレは、そんなに変だとは思わないけど?」

「それで、北斗と南斗はどこですか?」

私が問うと、朱鷺田隊長は会議室を示した。

「この中にいる。お前らが戦う相手も一緒にいる」

「え、でも、あのロボットって下半身が戦車みたいになっていませんでしたか?」

資料の写真でも、テレビの映像でも、グラント・Gの足はキャタピラだった。あんなのが、階段を上れるのか。
朱鷺田隊長は私の疑問を察したらしく、今し方昇ってきた階段を指した。その先を見ると、床に傷が付いていた。

「自力で昇ってきたんだそうだ、階段を。器用なもんだ」

「うーわー…」

私は、そんな気の抜けた反応しか出来なかった。床と階段に付いているキャタピラの足跡を、まじまじと眺めた。
あんなのがどうやって階段を昇ったのかなんて、想像も付かない。下手をしたら、北南よりも高性能なのでは。
神田隊員は、私のように感心するでもなく、渋い顔をしていた。礼服のネクタイを直してから、扉に向いた。

「早く挨拶をしましょう、隊長。あちらもお待ち兼ねなんですから」

「ああ、そうだな」

朱鷺田隊長は、神田隊員の後ろに付いた。神田隊員は扉を数回叩いてから、失礼します、と中に声を掛けた。
そして扉を開け、朱鷺田隊長、神田隊員、私の順番で中に入った。会議室は広く、円形の机と椅子が並んでいる。
会議室の奧には、防衛庁の官僚と思しきスーツ姿の人達と、米軍の関係者と思しき軍服姿の人間が数人いた。
彼らから少し離れた位置に、いつもの戦闘服姿の北斗と南斗、そして、重厚なロボット、グラント・Gがいた。
朱鷺田隊長が敬礼したので、私と神田隊員も揃って敬礼する。朱鷺田隊長は張りのある声を上げ、名乗った。

「陸上自衛隊東部方面隊第一師団特殊機動部隊隊長、朱鷺田一等陸尉であります」

「同じく、神田三等陸曹であります」

神田隊員が、朱鷺田隊長と同じように名乗った。なので私も、多少緊張しつつも同じように名乗った。

「同じく、鈴木一等陸士であります」

私達の自己紹介が終わると、防衛庁の官僚が米軍の軍人を示した。一際体格の良い、白人の男を指す。

「こちらは、米軍のクラーク・カーネル大佐だ。今日、君達が戦う相手、チーム・グラントの所属部隊である機動歩兵部隊の隊長をなされている」

「カーネル大佐。我々、特殊機動部隊との特殊演習を引き受けて下さったことを、ありがたく存じます」

朱鷺田隊長が言うと、カーネル大佐の傍に付いていた軍服の男が通訳したらしく、英語で何かを喋っている。
カーネル大佐は、彫りの深い強面の顔を僅かに緩ませた。ブルーの瞳が私を捉えたので、私は少し戸惑った。
すると、大佐は何事か喋った。通訳の男はそれを聞いてから、私に目線を向けると、表情を変えずに言った。

「こちらこそ、姫君を守るサムライロボットと戦えて光栄だ、と仰っています」

その言い回しに、朱鷺田隊長がほんの少しだけだけど、不愉快そうに眉根を歪めたのを、私は見逃さなかった。
私達は、根本から馬鹿にされている。北南兄弟は子供を守ることしか出来ない、というのと同等なのだから。
グラント・Gの言い回しと同じであるところを見ると、恐らく、米軍の中ではよく使われている皮肉なのだろう。
すると唐突に、Hahahahaha、とイントネーションが英語の笑い声が響き、キャタピラの回る重たい音がした。
カーネル大佐の背後に控えていた、ダークレッドのボディカラーのロボット、グラント・Gが進み出てきた。

my neme is,Grant.G!オレの名はグラント・Gだ! To be possible,よろしくなthe girl Japanese SAMURAI日本のサムライガール!」

グラント・Gにいきなり英語で話し掛けられたので、私は戸惑いながらも一応頭を下げた。

「どうも、初めまして」

「Hahahahahaha! You lovely are the girl!君は可愛い女の子だ

very very lovely、とグラント・Gは楽しげに笑ってから、キャタピラを軋ませながら私に寄ってきた。

Thereforeだけど,You are not the soldier君は、戦士などではない

It is different!違う

不意に、北斗の声がした。だが、英語だった。私が驚いて北斗に向くと、北斗は更に英語で喚いた。

Reiko is the nice soldier!礼子君は立派な戦士だ

「hahahahaha,This is jokeこれはただのジョークだ......」

グラント・Gは、ペンチ状の手を挙げ、左右に振っている。今度は、南斗が英語で喋った。

The joke which it is possible to say there is a bad joke!言っていい冗談と悪い冗談ってのがあるぜ

誰も彼も早口の英語なので、さっぱり意味が解らなかった。英語のリーディングは、あまり得意ではないのだ。
だが、明らかに北斗は怒っている。南斗も苛立っている。つまり、私は、グラント・Gに馬鹿にされたようだ。
どんな内容であったのかは解らないけど、北斗と南斗がいきなり怒るんだから、相当なものだったのだろう。
だけど、知らなかった。北斗と南斗が英語を喋れるとは。きっと、言語ソフトに英語も入っているのだろう。

「Grant!」

カーネル大佐が怒声を上げると、グラント・Gはびくっと肩を震わせたが、肩を竦めて後退していった。

They are the people who joke do not understandジョークの解らない奴らだぜ......」

神田隊員と朱鷺田隊長を窺うと、こちらもなんだか怒っている。表情は変わっていないけど、雰囲気が怖い。
私はいづらくて仕方なかったが、逃げ出すことも出来ないので、両手を固く握って突っ立っていることにした。
こういう時に、英語力が皆無であることが憎らしくなる。どうせなら、もっとちゃんと勉強しておくんだった。
グラント・Gは北斗と南斗よりも若干背は低かったが、その代わりに体格が大きく、幅と厚みがある体形だった。
北斗と南斗はグラント・Gと目線を交わらせていたが、お互いにちっとも友好的ではなく、敵意に漲っていた。
特殊演習が始まる前から、戦いは始まっているようだった。


お偉方との接見を終えた私は、再びロッカールームにやってきた。
ネクタイを外してジャケットを脱ぎ、ブラウスもタイトスカートも脱いでハンガーに掛け、ロッカーの中に掛けた。
あまり履き慣れないので気色悪かったストッキングも脱ぐと、縛って丸めてから、着替えを入れたカバンに入れる。
その代わりに、カバンの中から戦闘服を取り出して着込んだ。やっぱり、礼服よりも、こっちの方が楽な気がする。
サスペンダーを止めて上着を着込み、ジャングルブーツを履いた。靴紐を結びながら、先程の会話を思い出す。
聞いたばかりの時には意味が掴めなかったけど、よくよく思い出してみると、聞き覚えのある単語が混じっていた。
ソルジャー、だったっけか。グラント・Gは、ソルジャーの前に否定形を言っていたので、戦士ではない、かな。
そして北斗の方は、ソルジャー、の前に、ナイス、を付けていたので、良い戦士、だとかその辺の意味だろう。
つまり、グラント・Gは、私のことを、戦士なんかではないただの少女だ、と思い切り馬鹿にしていたのだ。
そして北斗と南斗は、それに対して怒ったのだ。だが、グラント・Gの言うことは、まんざら間違ってはいない。
だって、本当に、私は戦士などではないのだ。そりゃ、銃は持っているかもしれないが、あれは単なる飾りだ。
特殊演習の最中に撃つことなんて数えるぐらいしかないし、自分から進んで戦闘に参加するような意欲もない。
馬鹿にされることは、当然だけど面白くない。けれど、本当のことなんだから、言われても仕方ないと思う。
防弾ジャケットを着て前を締め、鉄製ヘルメット、通称テッパチを被っていると、ドアがノックされた。
もう少ししたら、着替え終わっていたのに。私は分厚い手袋を填めてからロッカーを閉め、ドアに向かった。

「はーい」

ドアを開けると、そこには装備を終えた北斗が立っていた。ただでさえでかいので、目の前にいると邪魔だ。
北斗の隣には、北斗の肩に腕を乗せた南斗がだらしなく立っている。だが、二人とも、口元をひん曲げている。

「まだ怒ってんの、あんたら?」

私が呆れると、北斗は腰に両手を当てた。

「当たり前だ! 出会い頭に、礼子君にあんなことを言い放つとは、不届き千万ではないか!」

「でも、事実だよ」

私はロッカールームから出ると、扉を閉めた。顎の下でテッパチのベルトを止め、北斗達の脇を抜ける。

「だって、私には戦闘能力なんてないじゃない。あんたらに守られているだけ、ってのも、本当のことだもの」

「しかしだな!」

振り返りながら、北斗は叫んだ。私はその声の大きさにうんざりしながら、返す。

「ていうか、戦闘前にいきり立ってどうするの。そんなんじゃ、すぐに撃たれて終わっちゃうよ」

「んーなん、有り得ねーって。逆にこっちの方から、あのアメリカ野郎のドタマを撃ち抜いてやろうじゃねーの」

北斗の肩から腕を外した南斗は、にやっと笑った。北斗は、深く頷く。

「そうだ。我々の実力を、思い知らせてやる!」

「あんまり怒ると、熱暴走するよ」

私は、二人が怒ってくれるのはありがたい気がしたが、正直なところ付いていけず、テンションは下がっていた。
それにしても、二人のテンションがやけに高いような。まぁ、この二人が元気すぎるのはいつものことだけど。
まだ何か喚いている二人を無視し、演習場に近い出口に向かった。その途中にある喫煙所に、隊長がいた。
朱鷺田隊長が立っているスタンド型の灰皿の周囲は、かなり煙たい。その匂いは、神田隊員のものよりきつい。
私は副流煙に辟易しつつ、朱鷺田隊長の前に立った。朱鷺田隊長は顔を上げ、吸っていたタバコを消した。

「鈴木、準備出来たか」

「はい。北斗と南斗も出来ているみたいです」

私は、中身が半分ほどになったセブンスターのケースとライターをポケットに押し込んでいる、隊長を見上げる。
朱鷺田隊長は、不安げだった。普段はあまり表情を表に出さない人なので、それが、やけに気になった。

「私の装備に不備でもありますか?」

私が訝しむと、朱鷺田隊長は思い切り渋い顔をした。

「アメリカさんは、正気じゃねぇな…」

「何がですか?」

「鈴木。お前、まだ何も聞いていないのか。神田からも、北南からも」

急に、朱鷺田隊長が尋ねてきた。私はその意味が解らなかったので、尋ね返した。

「何って、なんですか?」

「そうか。まぁ、先に言っちまったら、鈴木の戦意が削げるのは確かだからな」

朱鷺田隊長は言いづらそうにしていたが、真正面から私を見下ろしてきた。

「鈴木。今回の演習で使用する弾丸は、全て本物だ。通常の演習で用いる、マーカー弾などではない」

「本物って、それって、まさか実弾ですか?」

そんな馬鹿な。私がぎょっとすると、朱鷺田隊長はため息混じりに呟いた。

「その、まさかだ。俺も、聞いた時には耳を疑ったんだが、アメリカさんはどうしても譲らなくてな。なんでも、グラントシリーズの性能を最大限に発揮させて、その実力を日本政府と世界に知らしめるためには、不可欠なんだそうだ。言っていることは解らないでもないが、グラントの性能を示すのに、実弾を使う必要はないと思うんだがなぁ」

通りで、お母さんや神田隊員や北斗と南斗の態度がおかしかったわけだ。実弾となれば、死亡する危険が高まる。
防弾ジャケットを着ていても、ショックで骨が折れてしまうだろうし、直接命中しなくても跳弾するかもしれない。
さすがは米軍だ。日本の自衛隊では絶対にやらない無茶な注文を平気で持ち掛け、押し通してしまったのだから。
私は、血の気が引いてしまいそうになった。だが、それをなんとか我慢して、不愉快げな朱鷺田隊長を見上げる。

「ですけど、そうなれば、当然こっちも実弾を使うわけですよね?」

「使う。だが、桁が違うんだよ、桁が」

朱鷺田隊長は苛立ってきたのか、ポケットからセブンスターを取り出して一本抜くと、火を点けた。

「こちらの使用する機体が北斗と南斗の二体に対し、米軍が使用するグラントシリーズは総勢二十六機。リーダー機であるグラント・Gを筆頭にした、文字通りの機械化兵士、マシンソルジャー部隊だ。グラントシリーズの標準装備は、重機関銃、もしくはカールグスタフを小型化した無反動砲。そんなもん、どっちも一発でも当たれば、鈴木みたいなのは簡単に吹っ飛んじまう。北斗と南斗も、直撃したら無事じゃいられないだろうさ」

朱鷺田隊長は、短く刈り込んである髪をぐしゃりと乱した。

「対するこちらの武装といったら、北南専用の軍用バイクと二人の標準装備である89式小銃が一挺ずつとソーコムが二挺ずつ、そして、鈴木が持たされるMP5Kと、いつものグロック26だけだ。頼りないなんて話じゃない、歩兵で戦車隊に突っ込んでいくようなものだ。防衛庁のお偉いさんは、よくもまぁ、こんな条件で許可を下したと思うよ。俺だったら、迫撃砲でも戦車でもなんでも後ろに付けさせてからじゃないと許可なんざ下さん。それに、北南のバイクは通常と同じで偵察用に過ぎないんだがなぁ。釣り合いが取れてないどころじゃないぞ、これは」

そこまで聞いて、再び血の気が引いた。なんだ、この武装の違いは。隊長の比喩は、大袈裟なんかじゃない。
重機関銃と無反動砲が、合わせて二十六。しかもそれには、戦車よりも小回りの効く、階段も上れる足がある。
なのに、こっちにはバイクが二台にロボットが二人にただの人間が一人だ。こんなの、おかしすぎやしないか。
これはもう、訓練じゃない。立派な戦争だ。私は、そのロボットまみれの戦争に、行かなければならないのか。
私は、手袋を填めた手をぎゅっと握り締めた。背後に足音がやってきたので、振り返ると、神田隊員がいた。
いつになく怖い顔をした神田隊員は、武装していた。自動小銃を担いでいて、各種装備も身に付けている。

「オレが行きましょうか。今度ばかりは、さすがに受け入れがたいです」

「俺も出来ればそうしたい。だがあちらは、うちのマドンナを戦地に送り込むことも注文に入れてきた」

朱鷺田隊長は半分ほど吸ったセブンスターを、ざりっ、と灰皿に押し付けて火を消した。

「鈴木がいれば、北斗と南斗の性能は普段以上に引き出されるんだ。アメリカさんは、その状態の北南とご自慢の将軍閣下を戦わせたいんだよ。そして、示したいのさ。シュヴァルツ製品の性能の高さをな」

「それは間違いないでしょう。北斗と南斗の性能は、エモーショナルによって制御されていますから」

神田隊員は、私を見下ろした。その眼差しからは、あの柔らかさが失せていて、鋭利だった。

「北斗と南斗は、礼子ちゃんに対して、過剰なくらいに好意を抱いています。だから、礼子ちゃんを守らせれば、それだけで北斗と南斗のテンションは上がり、性能は上がります。オレ達も、それを知っていて、礼子ちゃんを守らせていなかったわけではありません。ですが、限度があります」

「アメリカさんは、恐らく、勘違いしているんだろう。グラントシリーズも北南も白兵戦用ロボットであることには代わりはないが、目的が違いすぎている。北南の戦うべき相手はあくまでも人間であって、戦車や装甲車じゃない。ここは中東じゃないんだ、戦い方も違えば使う兵器も違うってのになぁ」

朱鷺田隊長は、そこで言葉を切った。目線を上げたので、それを辿ると、北斗と南斗がこちらにやってきた。
薄暗い廊下を抜けてきた北斗と南斗は、やはり、怖い顔をしている。私は、それにちょっと臆してしまった。
北斗は腰を曲げて、私と目線を合わせた。思わず、私が半歩ほど後退してしまうと、北斗は己の胸を指す。

「礼子君。あの帝国主義者が礼子君を狙ったならば、迷わず自分か南斗を盾にしたまえ!」

「そうそうそう! オレらの装甲は、マグナム弾だって跳ね返すぐらいマジ強ぇんだから!」

北斗を押し退けた南斗は、私を安心させたいのか、笑っている。私は、その笑顔で尚のこと不安になった。

「跳ね返して、跳弾したらどうするわけ?」

「そんなもの、跳弾させなければいいのだ!」

北斗はぐっと拳を固めて上半身を起こすと、胸を反らした。

「敵が撃つ寸前にディバイディングアングルに入り、受け止めてしまえばいい! たとえこの体がスクラップと化そうとも、礼子君には一発たりとて掠らせはしないっ!」

表情を引き締めて意気込む北斗は、ほんの少しだけ、格好良かった。私は、それに釣られて頷いた。

「…うん」

「つうわけでぇ、カンダタ。お前は礼ちゃんのヒーローにはなれない」

にやにやしながら、南斗は神田隊員の肩を小突いた。神田隊員は不愉快げだったが、言い返さなかった。

「今回ばかりは仕方ない。だが、無茶だけはするな。礼子ちゃんも大事だが、お前達も充分大事なんだから」

「嘘でぇー」

信じられない、とでも言いたげな南斗に、神田隊員は少し笑った。

「嘘じゃない。オレがお前らをいちいち怒るのも、お前らが大事だからなんだぞ?」

ぱたぱたと、出口の方向から軽い足音がしてきた。全員でそちらに向くと、すばる隊員がこちらに駆けてきた。

「隊長はーん、トレーラー班の準備、完了しはりましたでー。そろそろ、戦いが始まりっせー」

「んじゃ、行くとしますか。見てろよカンダタ、オレの超イケてる勇姿を!」

南斗は神田隊員に手を振りながら、先に歩いていった。北斗は、すばる隊員が入ってきた出口を示す。

「自分達も行くぞ、礼子君。南斗などに後れを取ってなるものか!」

「皆はん、気張ってや。礼子ちゃんも、北斗も南斗も、アカン思うたら逃げたってええんやからね」

すばる隊員は笑顔だったが、どことなく不安げでもあった。やはり、心配なのだろう。

「あ、はい。頑張ってきます」

私はすばる隊員に返してから北斗と南斗に続き、営舎を出た。廊下に比べると日差しが眩しく、目に痛い。
目が慣れると、遠くに見える演習場が見えてきた。富士山を背負った平原に、不似合いなものがあった。
灰色のコンクリートが、規則性を持って並んでいる。遠くからでは解らないが、街を再現したもののようだ。
米軍のものと思しき、巨大なアーミーグリーンのテントがいくつかあり、その周辺では米兵達が忙しくしている。
テントの奧には、特殊機動部隊のそれと良く似た、やはりアーミーグリーンのトレーラーが十何台とあった。
トレーラーの側面には白抜きの文字で、team.Grant、と印してあった。グラントシリーズの輸送車なのだろう。
反対側には、特殊機動部隊のトレーラーが並んでいて、北南兄弟の整備班の人達が仕事に追われている。
私は、双方のトレーラーを眺めながら、ぼんやりしていた。これから、あの疑似市街地で戦争が始まるのか。
敵の装備は、思い出すだけで震えが来そうだ。重機関銃、カールグスタフ、なんて、戦車相手の武器じゃないか。
だけど、逃げ出しちゃいけない。私がいるだけで北斗と南斗が強くなるのなら、きっと、勝ち目もあるはずだ。
私は、戦士ではない。兵士にもなれていない。ただ、そこにいるだけの、人質役しか出来ない無力な人間だ。
だから、せめて、逃げ出さないでいよう。逃げてしまうのは簡単だけど、逃げたら、きっと後悔するだろう。
北斗と南斗と一緒に、戦わなかったことを。





 


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