手の中の戦争




コンバット・クリスマス



 更に翌日。十二月二十五日。
 昨日の馬鹿騒ぎの余韻と昨夜の家庭内クリスマスパーティーで飲んだワインが残り、私は頭痛を感じていた。 元々、それほど酒に強い方ではない。社会人の嗜みとして飲む程度だが、ワイン三杯は調子に乗りすぎた。 ついでに言えば、お母さんの手の込んだ料理が予想以上においしくて、ケーキもまた絶品で、食べ過ぎた。 二日酔いと胃もたれのダブルパンチで、私は気分が悪かった。吐くほどではないが、あまり動きたくない。 でも、動かなければならない。使命感にも似た感情に突き動かされて、私は布団をめくり、起き上がった。

「ぐぇ」

 でも、やっぱり胃が重い。ていうか気分が悪い。朝ご飯を食べる前に、胃薬を飲まなきゃダメだぞこれは。 この分だと、顔色も悪いだろう。私は目元を歪めながら枕元に置いておいた携帯電話を取ると、フリップを開いた。 夜の間に来たメールはない。但し着信はある。北斗と南斗である。二人して、交互に掛けてきたらしい。 着信した時間は、午前一時過ぎ。確かその頃は、お母さんと一緒に遅くまで話し込んでいた記憶がある。 携帯電話は二階の自室に起きっぱなしだったので、気付かなかったのだ。緊急の用事でなかったのが幸いだ。 グラント・Gからの着信はない。だが、もうしばらくしたら、彼女にも携帯電話の機能が搭載されるらしい。 兄二人は相当な電話魔でありメール魔なので、その妹であるグラント・Gがどうなるのか、不安で仕方ない。
 それはそれとして、今日の用事だ。私はベッドから出ると、暖房を付けて冷え切った部屋を暖めた。 暖房で部屋の空気が充分暖まってから、私服に着替える。ちょっと迷ったが、せっかくだからとスカートを履いた。 昨日のサンタガールほどではないが、それなりに短いものだった。タイツは敢えて履かないことにした。 精一杯のミニスカートに合わせた色合いのセーターを着てから、再び携帯電話を開き、ベッドに腰掛けて 彼に電話を掛けた。数回コール音が繰り返された後、早朝とは思えないほどテンションの高い声が耳を貫いた。

『おお、礼子君ではないか! どうしたのだね、こんな朝から!』

「…ちょっと静かにして、響く、ていうか気持ち悪い」

 大したことないと思っていたが、予想以上に二日酔いは手強かった。途端に、北斗の声が萎えた。

『そうか、気持ち悪いのか、自分は…』

「違う、そうじゃない。あー、こんなことになるんだったら飲酒なんかするんじゃなかったー」

 私が後悔の念を吐き出すと、北斗はころっと機嫌を直した。

『なんだ、そうであるならそうであると早く言えば良いではないか!』

 私は具合の悪さを堪えつつ、再度尋ねた。

「うん、それでさ、あんたって今どこにいるの? 本社?」

『外装交換と簡易メンテナンスを終えてからは、移動しておらん。任務が入れば別なのだが、この際だからと 所長に言われて高宮重工のお偉方と接見していたのだ。小一時間ほど舐め回すように眺められた後、 次回のプレゼンで使おうかという話をお偉方が始めたところで所長に救出されたのだ』

「へー」

『なんだね、その興味どころかやる気も皆無な反応は! まぁ、自分もあまり楽しくはなかったがな。 して、礼子君、今日は一体何の用事なのだね? 要請さえ行えば、十五分で礼子君の元へ飛んで行くぞ!  いや、高宮重工本社から礼子君の自宅までの直線距離から計算すれば、九分四十一秒程度でそちらに 到着することが可能だぞ』

「無駄なことにジェット燃料使わない」

『無駄ではないぞ、礼子君の元へ飛んで行くのだから! これほど有意義な活用方法もあるまい!』

 きっと、電話の向こうでは北斗は胸を張っているのだろう。必要事項を確認したので、私は通話を切った。

「じゃ、本社にいるんだね。じゃあね」

 切る寸前に何か叫んでいるように聞こえたが、無視した。あまり電話を長引かせると胃薬が飲めなくなる。 私は携帯電話をバッグの中に放り込み、部屋を出た。北斗にプレゼントを返せるチャンスは今日だけしかない。 明日からは、また忙しい日々が始まる。二人きりになれる時間があるうちに、返しておかなければならない。 それに、クリスマスを口実にしなければ、こんなことは出来ない。だから、クリスマスが終わってしまう前に。
 言いたいことを言っておこう。




 そして。私は高宮重工本社を訪れ、北斗に会った。
 の、はずなのだが。地上三百メートルの超高層ビルの屋上で、暴れる潮風にスカートをめくられているのは なぜだろう。この寒さは、バイクの二人乗りの非ではない。風も強い。踏ん張っていても、吹っ飛ばれてしまいそうだ。 絶景だろうが、景色なんて見られない。寒いのと風が強いのとで目がろくに開けないので、半開きにするのが精一杯だ。 そんな私の様子を知ってか知らずか、いつもの戦闘服に身を包んでいる北斗は清々しげな笑みを浮かべていた。 やはり、私の言い方が悪かったに違いない。私は風で今にも千切れそうなスカートの裾を、目一杯押さえた。

「あんたさぁ、誰もいない場所って、誰も来られない場所のことじゃないんだけど」

「しかし、自分が考え得る中で最も他者との遭遇率が低い場所はここなのだぞ。話したいことがあるから 誰もいない場所に連れていけ、と自分に命じたのは礼子君ではないか」

 北斗は不思議がったが、私は必死に北斗の戦闘服の裾を掴んだ。

「そりゃ、そうだけどさ…」

 確かにここなら誰も来ない。足の下にある展望フロアや他のフロアには、大量の人間がひしめいているが。 あまりの寒さで、二日酔いなど吹っ飛んでしまった。いや、吹っ飛ばされた、と表現する方が正しいかもしれない。 寒すぎることを言い訳にして、私は北斗に近付いた。北斗はここぞとばかりに腕を伸ばし、私の肩を抱いてきた。 すると頭上で、ざっ、と機械的なノイズが走った。北斗は途端に不愉快げに顔をしかめ、高宮重工本社ビルを指した。

「南斗が見ている。文句を言われた。北北東に直線距離で六百十五メートル七十八センチの地点にいる」

「見せるな、って言えば? グラントに。どうせ、南斗の近くにいるだろうから」

「おお、そうか! よおし、グラント・G、我が愚兄の撤去を命ずる! 兄弟命令だ!」

 北斗が快活に声を上げた。私も、自分の耳に差し込んでいる無線のイヤホンから聞こえる声に耳を澄ませた。 やけに張り切っているグラント・Gの声と、何やら必死に言い訳している南斗の声が、遠くから聞こえてくる。 それが聞こえなくなってから、私は北斗との距離を更に縮めた。二日ばかり離れていたから、ちょっと寂しかった。 本当に、本当に少しだけなのだが、騒がしくなくて静かだったけどそれが静かすぎたとか、思わずにはいられなかった。
 自衛隊にいる間はそうでもないのだが、自分の部屋で一人になっていると静寂を感じる瞬間が訪れる。 その静けさが、いやに切ないとか、五年目にして北斗の存在感の大きさを改めて痛感してしまった、とか。 いつもいつも一緒にいるから、離れてしまう時間の方が少なくて、会わない日の方が珍しいほどなのだ。 昔の私は、遊ぶことよりも、一人でいることが好きだった。誰にも気を遣わなくていいから、気楽だった。 これからもずっとそうなのだと、誰かとずっと一緒にいることなどないのだと、一人でも生きていけるのだ、と。
 でも、そうではない。それは中学生時代の甘ったれて青臭い考えであって、現実はそんなに簡単じゃない。 一人で生きていくのは、物理的にも精神的にも無理だ。増して、戦うのが仕事なら、一人でなんて有り得ない。 肩を抱いていた腕が前に回され、背中から抱き締められる。戦闘服の内側から、北斗の体温が滲み出てくる。

「礼子君」

 先程までの口調とは違う、落ち着いた穏やかな声で呼ばれる。私がそういうのに弱いのを知っているからだ。 思い掛けず、胸が締め付けられる。北斗を適当にあしらうことで誤魔化しているけど、やっぱりこいつが好きだ。 意地を張るのは治らないけど、ストレートに表されるのは未だに苦手だけど、こいつのことが好きで仕方ない。 いっそ幻滅してしまった方が楽なんじゃないか、と思えるくらいに、他人を好きになっていくのは息苦しい。 でも、嫌な苦しさじゃない。私はアーミーグリーンの手袋を填めている北斗の手に、自分の手を柔らかく重ねた。

「そんなに寂しかった? たった三日なのに」

 違う。それは私だ。他人事にして誤魔化してしまった。

「ああ、寂しかったとも。礼子君になじられない日々が、こうも空虚なのかと思ってしまったぞ」

 北斗がいやに大人びた表情で笑ったので、私も笑い返す。

「うん」

 北斗が身を屈め、私は背伸びをする。唇に、冷え切っているけどほんの少し温かいものが軽く接した。 離れるのは惜しかったけど、離れた。私は北斗の硬くて熱くて頑丈な胸にもたれ、体重を預けた。なんでだろうか、 南斗やグラント・Gが一緒ならなんとも思わないのに、二人だけになると心が切り替わるかのようだ。

「それでだな、礼子君。昨日の宣言は、自分は至って本気なのだぞ」

「それぐらい解ってるって。あんたは常に本気だから」

「それを、あんなにばっさり切り捨てられてしまったら、いくら自分とて堪えてしまうぞ」

 北斗が不機嫌そうに口元を曲げたので、私は手を伸ばして滑らかな金属製の頬に触れた。

「あんな状況で答えられるわけがないでしょ。ちったぁ考えろ」

「ならば、どういう状況なら平気なのだ」

「そりゃ、まぁ」

 私は北斗の頬から手を外し、言葉を濁した。

「今…みたいな?」

「なんだ、他者がおるといかんのか? そうならそうと早く言えば良いのだ」

「言う前にあんたが言っちゃったんでしょうが」

「では、礼子君。改めて」

 と、北斗が迫ろうとしたので、私は手を翳して制止する。

「ちょい待ち。あんたの気持ちも解らないでもないけど、結婚ばっかりは無理だから。物理的にも社会的にも」

「では、どうしろと言うのだね」

「うん。だからさ、ちょっとこっち来て」

 私は、北斗の襟元を掴んで引き寄せ、聴覚センサーの集中している耳元のアンテナに口を寄せた。

「好き」

 結局、北斗にあげるクリスマスプレゼントなんて思い付かなかった。アイディアなんてとっくに出尽くしている。 北斗が私へのプレゼントを模索していたように、私も毎年のように模索しては、下らない結果になってしまった。 クリスマスという行事に対する意欲は薄いが、それにかこつけて何かをしてやろう、とは思わないでもなかった。 だから、その衝動を持て余して、作ったことのないマフラーなんて編んでみたり、悩んでしまったりしていた。 けれど、深く考えることはなかったのだ。北斗が一番喜ぶことと言ったら、私がはっきりと好意を示すことだからだ。 北斗は嬉しすぎてたまらないらしく、喉の奥で唸りながら俯いていたが、顔を上げてにいっと笑った。

「ああ、自分もだ!」

「うん、それでさ、ちょっと考えたんだけどね」

 緊張のせいで、私の声色はやや高くなっていた。

「結婚出来ない代わりに、って言っちゃなんだけど、これからは、もっと好きだって言ってやるから」

「もしかしてとは思うが、それが礼子君の自分へのクリスマスプレゼントだったりするのかね?」

「悪い?」

「悪いなどと言うことがあるものか! これ以上のものはないぞ、礼子君!」

 北斗は私の両肩を持ち、向き直らせた。

「さあ、好きなだけ言うがよい!」

「さっき言っちゃったから、今日の分は終了」

「一日一回こっきりかね、もしかして」

「悪い?」

「わ、悪いかもしれんが、悪くはないような、しかし…」

 北斗は私の両肩を持ったまま、顔を逸らして悩んでいる。私は顔を傾け、北斗の手に頬を当てた。

「ごちゃごちゃ言ってると、撤回しちゃうよ?」

 ぐ、と北斗が詰まった。私は少し笑って身を乗り出すと、北斗の手が私の体をぐいっと引き寄せた。 いつもいつも、もらってばかりいる。戦闘時の自信も、過剰すぎる愛情も。だから、一つぐらいは返す必要がある。 私は北斗に返せるものなんて少ない。昔に比べたら大分強くなってきたとはいえ、まだまだ訓練が足りない。 物理的にも、精神的にも、返せるものはほとんどない。だから、せめて言葉だけでも返してやりたかった。
 そのせいもあり、本日二回目のキスはいつもより長めだった。




 休み明けの十二月二十六日、私は駐屯地に戻った。
 作るだけ作って所在を持て余したマフラーは、朱鷺田隊長に押し付けてしまったが意外に喜ばれた。 二十四日以外のクリスマスを家族だけで楽しんだ神田隊員は、妻子の惚気を延々と話していて、幸せそうだった。 そんな神田隊員に、二十三日に手慰みに作ったクッキーを渡した。一瞬苦い顔をされたが、受け取ってくれた。 南斗には、二十五日の帰りに本屋で買った仮面ライダーのテレビ絵本を五冊まとめて与えた。やたらと喜ばれた。 グラント・Gは、何をあげれば喜ぶのか全く解らなかったので、クレーンゲームで取ったぬいぐるみを与えた。 これもまた、異様に喜ばれた。彼女は外見は男そのものだが内面は女なので、その女らしさが現れたのだろう。 そして、私が北斗に突き出してやったとてつもなく恥ずかしいクリスマスプレゼントは、今現在も続行している。 北斗が突き返してきたりすれば、その瞬間にやめるつもりだが、相手が相手なのでそれは絶対に有り得ない。

 クリスマスって、そんなに悪いものじゃない。







06 12/5