非武装田園地帯




第一話 サイボーグ・ミーツ・ガール



 最初に見たのは、蛍光灯だった。
 寝て起きたばかりなのに、いやに視界がクリアだった。大分眠っていた気がするが、目は涙で潤んでいない。
血の巡りが悪いから頭も鈍いはずなのに、妙に冴え冴えとしていて、気持ち良く目覚めた時に似ていた。
だが、気分はそれほど優れていなかった。テスト期間最中のような、頭を使った後の重たい疲労感がある。
そんなに集中することなんかあったかな、と思いながら、頭に手を当てた。視界に入ってきたのは、銀色だった。
 視界を塞ぎ、蛍光灯と白い天井の隙間に入っているものを見つめ、それが己の手であると辛うじて認識した。
だが、それは自分の手とは似ても似つかない、奇妙なものだった。銀色で、分厚くて、大きくて、機械だ。
見知った自分の手は、投球練習と農作業の手伝いのせいで皮が厚くなっていて、マメの潰れた痕があるはずだ。
 しかし、これは違う。誰の手だ、何の間違いだ。思考を巡らせようとして頭を押さえると、その手が動いた。
思った通りの位置に、側頭部を押さえ込んだ。見知らぬロボットの手なのに、自分の意志に添った動きをした。

「…う」

 戸惑いから声が漏れたが、その声は自分の声ではなかった。どこの誰とも付かない、知らない男の声だった。
まさかまさか、なんでどうして、いや、そんなはずはない、オレはオレなんだ、きっとこれは悪い夢なんだ。
そうだ、夢だ。目を閉じれば覚めてくれる、と瞼を下げようとしたが瞼はなく、視界を塞ぐものはなかった。
代わりに、視界が更に明確になった。蛍光灯の端に付いている銀色の部分に、何かの姿が映り込んでいる。
 手と同じく、銀色の固まりだった。頭部があり、肩があり、首がある。顔を逸らすと、ぎちっ、と首が軋む。
頭を動かすと、首の根元に差し込まれたケーブルが伸びた。それに指を伸ばすと、銀色の手が持ち上がった。

「嘘だ」

 違う声だが、それは間違いなく自分の言葉だった。

「嘘だろ、おい」

 有り得ない。理解出来ない。震えそうになっていると、しゃっとカーテンが引かれる音がし、光が入ってきた。
顔を起こして正面に向くと、看護婦が立っていた。彼女は枕元まで来ると、ケーブルの先にある機械を覗いた。
黒くて四角いモニターボックスで、黒い画面に緑の線のグラフが波打っている。その波が、激しく揺らいでいる。

「大丈夫ですよ、心配しないで下さいね。すぐに良くなりますからね」

 看護婦は優しく微笑むと、掛け布団を掛け直してきてくれた。

「黒鉄さん」

「オレは」

 鋼太郎が身を起こそうとすると、ケーブルが突っ張った。首だけでなく、腕にも繋がれていた。

「一体、何がどうなって」

「今、先生をお呼びしますね。横になっていて下さい」

 看護婦にベッドへ押し戻されて、鋼太郎は横たわった。だが、落ち着くはずもなく、激しく動揺していた。
その動揺に合わせて、モニターのグラフが歪む。心電図とは違うみたいだ、とは思うが、何なのかは解らない。
 モニターをじっと見ていると、蛍光灯の光による反射で映り込んでいるものが見えた。それは、ロボットだった。
人間のそれとは全く違う、金属だけの顔。目も鼻も口もなく、あるのはゴーグル状のものと、角張ったマスク。
両の耳元からはアンテナじみたものが伸び、枕に突き刺さっている。これは誰だ、何だ、何がどうしたんだ。
 オレのはずがない。手を伸ばして自分の顔に触れてみるも、硬い指先に触れたのは顔でなくマスクだった。
指に訪れるはずの冷たい感触はなく、滑らかなものを伝った感覚だけが指と手首に伝わり、枕元に落ちた。


 瞬間、理解した。



「う、わぁああああああああっ!」



 弾かれるように飛び上がった鋼太郎は、ケーブルが引っこ抜けてしまうのも構わず、ベッドから飛び降りた。

「なんなんだ、なんなんだよ、どうしたんだよ、これ!」

 震える両手で、力一杯顔を掴む。ぎちっ、と金属同士が擦れ合う。

「オレはどこだ、オレを返せぇっ、なんでこんなことになっちまってんだぁあああっ!」

 背中に触れたカーテンを払い除け、混乱のまま絶叫するも、喉は痛まない。

「嫌だあっ!」

 泣きたい。だが、涙が出ない。

「どうしてなんだぁあっ!」

 恐ろしい、おぞましい、信じたくない。鋼太郎はその場に崩れ落ちると、頭を掻き抱いて背を丸め、唸った。

「いやだぁ…」

 頭を丸めた下に見えるのは、太い足。これもまた金属で出来ていて、自分のものではなく知らないものだった。
眠っている間に、何が起きたんだ。鋼太郎は必死に頭を働かせて、思い出して、思い出して、やっと思い出した。
 車に吹っ飛ばされたんだ。体に訪れた激しい衝撃と痛みと、宙を舞う浮遊感、落下した先のアスファルトの硬さ。
その際に大量の血が流れ出して、口の中に溜まった血の味まで思い出して吐き気を感じたが、出てこなかった。
口元に手を当てても、口はなかった。鋼太郎はマスクに当てていた手を外すと、両腕を掴み、きつく抱き締めた。

「なんでだよ…」

 足音が近付いてきて、鋼太郎の前で止まった。顔を上げると、白衣を着た医師が身を屈めてきた。

「大丈夫だ。心配いらない。君は生きているんだ、黒鉄さん」

「こんなの、生きてるなんて言わねぇよ! オレの体、元に戻してくれよ!」

 鋼太郎は医師に詰め寄ったが、医師は首を横に振った。

「残念ながら、君の体は手の施しようがなかったんだ」

「だからっつって、脳みそだけ引き摺り出してこんなロボットに押し込めることねぇだろ!」

「状況が飲み込めないのも、無理はない。だが、君は生きているんだ。それは、確かなことだ」

「こんなんで生きたって、どうしようもねぇよ! 死んだ方がマシだああああ!」

 うぁあああ、と鋼太郎は頭を抱えて泣き喚いた。鎮静剤を、と医師が指示を出す声が、絶叫の向こうで聞こえた。
怖い。怖い。怖い。鋼太郎はがくがくと震えていたが、首の後ろに何かを刺され、投与された。鎮静剤だった。
間を置かずして、視界が薄らいだ。震えも恐怖も収まっていなかったが、眠気が膨らみ、意識を包み込んでいく。
 そのまま床に倒れ込んだが痛みは訪れず、衝撃だけがやってきた。鋼太郎は、涙を出そうと力を込めた。
 だが、やはり、涙は一滴も出なかった。




 鎮静剤の眠りから目覚めた鋼太郎は、担当の医師と両親から、事の次第を説明された。
 十日前の午後五時半過ぎに乗用車に撥ねられ、両手両足の複雑骨折と多数の内臓破裂、出血多量に陥った。
幸いなことに頭部だけは、ジャージを入れていたスポーツバッグが下に入り、クッションになったので無事だった。
鋼太郎の命を救うにはサイボーグ化しかない、と判断され、両親は鋼太郎に生きていてほしいと願い、承諾した。
人工神経と脳神経の結合、神経と電子回路の結合、人工体液に対するアレルギーの有無、全てが上手く行った。
ボディも、間に合った。県内の自衛隊駐屯地に確保してあったものを譲ってもらい、現在はそれを使っている。
 どれか一つでも欠けていたら、鋼太郎は死んでいた。鋼太郎はその話を聞きながら、ただ、呆然としていた。
両親が帰り、鎮静剤が抜けてくると、この状況が実感出来た。目覚めたばかりの時には、解らなかったことも。
あの時は何も解らず錯乱してしまっていたが、改めて鏡を見てみると、確かにこのボディは軍事用サイボーグだ。
 テレビか新聞で見たことのある、ロボットの顔をしている。飾りっ気がまるでなく、いかにも軍隊という感じだ。
容態が安定したので病室も移され、集中治療室から個室になった。入院なんて、したのはこれが初めてだった。
今まで、重い病気など一度もしたことがなかった。元々が丈夫だったので、高い熱が出てもすぐに下がった。
病気と言えば風邪程度で、大したことはなかった。野球の練習でケガはしたが、骨折はしたことがなかった。
せいぜい捻挫か肉離れ、擦り傷程度だ。野球に打ち込んだ証拠である傷痕まで、肉体と共に失われてしまった。
 視界の中にある手は、大きい。この頑丈なロボットの手なら、メジャーリーグ級の剛速球だって投げられそうだ。
だが、嬉しくない。自分の実力ではないからだ。鋼太郎はため息を吐いた、ような気持ちで、声を漏らした。

「畜生…」

 乗用車の運転手を憎もうにも、その運転手は既に死亡している。フロントガラスに突っ込んで、即死だそうだ。
恨み辛みをぶつける相手がいないと言うだけで、憤りが腹に溜まる。怒りと憎しみが、勝手に沸き上がってくる。
オレをこんな体にしやがって、いっそ死なせてくれたら良かったんだ、父さんも母さんも余計な手ぇ回しやがって。
 自分を撥ねた相手だけでなく、サイボーグ化手術を決断した両親に対しても、どす黒い感情が膨らんでしまう。
両親は自分を思ってサイボーグ化手術を決断したのだと、頭では解っているが心が現実に付いていけなかった。
 苦く重たいものを持て余していると、病室の扉がノックされた。鋼太郎が返事をするより先に、開けられた。
細い隙間から覗いたのは、黒目がちな丸い目だった。隙間が広がっていくと、少女が半身を部屋に入れてきた。

「なんだ、お前か」

 鋼太郎は、こちらを窺っている百合子から顔を背けた。セーラー服姿の百合子は病室に入り、扉を閉めた。

「私ね、診察の帰りなの」

「ああ、そういえばそうだったな」

 二人の住む町の近辺の病院で、特殊外科があるのはここだけだ。だから、百合子がいても不自然ではない。
鋼太郎はベッドから起き上がることもなく、天井を見つめていた。すると、視界に百合子の顔が入ってきた。
ベッドに膝を乗せて身を乗り出した百合子は、ちょっと首をかしげた。肩に乗った長い髪が、滑り落ちる。

「鋼ちゃん?」

「…なんとでも言え」

 鋼太郎は百合子の目から逃れたくて、枕に顔を埋めた。百合子はベッドから降りると、広い窓に歩み寄った。
背伸びをして錠を外して窓を開いた百合子は、両腕を伸ばして唸った。唸り終えると、はぁ、と腕を下ろす。

「疲れたぁー」

「診察だけだろ?」

 鋼太郎が百合子の背に言うと、百合子は振り返ってむくれた。

「その診察に辿り着くのが長いんだよお。予約入れてても、ずうーっと待たされちゃうことあるんだから」

「そうなん?」

「そーなの」

 百合子は両手を腰に当て、胸を張った。白いヘアバンドで前髪を上げていて、広い額を露わにしている。

「なぁ、ゆっこ」

「ん、何?」

 鋼太郎に呼び掛けられ、百合子は少し嬉しくなった。鋼太郎は、百合子の額を指す。

「なんでデコ出すんだ、お前」

「別にいいじゃんかー、この方が楽なんだからぁ」

 百合子は幼い頃の出来事を思い出し、頬を膨らませた。

「ずっと前に、将来ハゲるだの目障りだの広すぎるだの言って、引っぱたいてきたよね。あれ、何したかったの?」

「オレ、そんなことしたか?」

 鋼太郎の記憶には、全くない出来事だった。余程、些細なことだったのだろう。百合子は、もっと膨れる。

「したー! 言ったぁー!」

「言ったっけかなぁー…」

 鋼太郎が首をかしげると、百合子は眉を吊り上げる。

「ホントに言ったぁー!」

「悪ぃ、覚えてねぇ。それ、いつのことだ?」

 悪びれずに鋼太郎が百合子に問うと、百合子は小さな唇を尖らせる。

「小学一年生の一学期ー! 下校する時ー! 私はきっちり覚えてるー!」

「オレは全然」

 本当に覚えていないので、鋼太郎は首を横に振った。百合子はじっと鋼太郎を睨んでいたが、顔を逸らした。
なぜ、こんなことを言っているのだろう。久々に、鋼太郎とまともに言葉を交わせたのに、どうしてこうなるんだ。
もっと、ちゃんとしたことを言うはずだったのに。百合子は情けなくなってきて目を伏せ、スカートを掴んだ。
 鋼太郎は、唇を噛んで足元を見つめている百合子を見ていたが、目線を外して仰向けになり再び天井を仰いだ。
百合子は、変わっていない。先日、新しい人造心臓の移植手術をしたそうだが、すっかり体力は回復したようだ。
体も小さいままだし、中身は幼児だった頃となんら違いはない。それが懐かしいようで、切ないような気がした。
 百合子は、鋼太郎の様子を窺った。ぼんやりと天井を見上げているが、表情が変わらないので解らない。
でも、鋼ちゃんは鋼ちゃんだ。声は違うけど、体はロボットだけど、口調は同じだし、態度も鋼太郎そのものだ。
最初に見た時は、鋼太郎だとは信じられなかった。自衛隊にいる、軍事汎用型サイボーグにしか見えなかった。
ほんの少しだけだが、病室に入ることを躊躇ってしまった自分が嫌だった。鋼太郎を支えると、決めたのに。
 表情が曇っていく百合子に、鋼太郎はやるせなくなってきた。やはり、この体の自分は受け入れがたいのだ。

「怖ぇんなら、出てけよ」

 百合子が顔を上げると、鋼太郎は起き上がって入院着の前をがばっと広げた。銀色の厚い胸板が、露わになる。

「オレだって、こんな体になったのが怖いんだ! だからゆっこ、お前も怖いんだろうが!」

「えっ、あっ」

 突然のことに戸惑い、百合子はたじろいだ。鋼太郎は爪を立てるような気持ちで、ぎりっ、と胸を引っ掻いた。

「ほとんど生身のお前になんか、オレの気持ちが解るか! いっそ、死んだ方が良かったんだ!」

「ダメだよお、鋼ちゃんは死んじゃいけないんだよ!」

 鋼太郎の怒気に圧倒されて、百合子は半泣きになった。鋼太郎は、思い切り壁を殴り付ける。

「オレはもう死んだんだ! こんなの、オレじゃねぇ! ただのロボットだ! 死んだも同然なんだ!」

「鋼ちゃあん…」

 百合子が声を震わせると、鋼太郎は壁に埋めた拳を固めた。

「もう、そんなんで呼ぶな。オレはもうガキじゃねぇし、人間でもねぇんだからよ!」

「鋼ちゃんは、鋼ちゃんだよう」

 鋼太郎の荒い態度に怯えてしまったのと、彼の傷の深さが哀れでならず、百合子はぼろぼろと涙を落とした。
だが、鋼太郎は、百合子を怯えさせた挙げ句に傷付けたのだと思った。そして、やはり怖いのだ、とも。
壁に埋まった拳を抜いた鋼太郎は、肩を落とした。病室には、百合子のしゃくり上げる声が響いている。

「お願いだから、出てってくれよ」

「やだぁ、鋼ちゃんと一緒にいるんだぁ」

 百合子が鋼太郎に近付こうとすると、鋼太郎は腕を振って彼女を遮った。

「来るな! オレなんか、もうどうでもいいんだ!」

「どうでもよくない!」

「出てけったら出てけ! 出ないんだったら、叩き出すぞ!」

 鋼太郎が再度壁を殴り付けると、百合子はびくっと肩を震わせた。しゃくり上げていたが、渋々扉に向かった。
百合子は泣きながら、廊下へ出ていった。幼い頃となんら変わらない泣き声が聞こえ始め、遠ざかっていった。
その声を聞きながら、鋼太郎は崩れ落ちた。壁を抉った拳には痛みも痺れもなく、あるのは震動の余韻だけだ。
 ここまでするつもりはなかったのに。外に出ていってくれ、とだけ言うつもりだったのに、怒鳴ってしまった。
そして、百合子を泣かせた。ぐるぐると胸中を渦巻いていた重苦しい感情の中に、更に鈍い痛みも加わった。
鋼太郎は、背中を丸めて頭を抱え、視覚も聴覚もオフにした。このまま、本当に死んでしまいたいと思った。
 そうなれば、どれほど楽だったことだろう。





 


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