非武装田園地帯




第二話 鋼鉄の先輩



 捻った腰から肩に力を動かし、力一杯、球を放る。
 真っ直ぐに空間を進んだ白球は勢い良くグリーンのネットに突っ込み、弛んでいるネットを大きく揺らした。
ネットの下に転がってきた野球ボールを拾った鋼太郎は、マウンドを蹴るようなつもりで右足を下げた。
鋼太郎が、カーブになり損ねたストレートを叩き込んでいるネットは、中学校の敷地と道路を隔てるものだ。
 鮎野中学校は、鮎野川の土手沿いに広がる平地に造られていて、学校の周囲には田んぼだけしかない。
その田んぼの間を通る道路とグラウンドは隣接していて、距離など無きに等しいほど間近に存在していた。
本当はフェンスでも張るのだろうが、グリーンのネットを掛けている。だが緩んでいるので、隙間が空いている。
色々な意味で隙だらけだ。昔からある学校で、しかも田舎なので、気が緩んでいるのは当然かもしれないが。
 鋼太郎は土に汚れたボールを手で拭ってから、内心で顔をしかめた。ネットが相手では、少し雰囲気に欠ける。
校舎の壁を相手に練習してもいいのだが、うっかり力を入れすぎた場合にヒビが入ってしまう危険があるのだ。
 入院していた時、混乱と怒りに任せて壁を破壊してしまったことがあって、医療費と共に補修費も要求された。
そんなことがあったので両親からは、壊すのは自分のものだけにしろ、と嫌になるほど言い聞かされている。
 鋼太郎は振りかぶろうとして、視線に気付き、手を下ろした。校舎に振り向くと、こちらを見ている影があった。
意識して、その影をズームする。僅かなタイムラグの後、その影が十倍に拡大され、鋼太郎の視界に広がった。
 それは、サイボーグだった。鋼太郎よりも僅かに身長が高めだったが、体格はあまり変わらず同じくらいだ。
フェイスパターンは鋼太郎と似たマスクフェイスだが、ゴーグルの色は青緑で、マスクも形状が違っている。
鋼太郎は彼の名を思い出した。一学年上のサイボーグ、村田正弘だ。鋼太郎は、ボールを手の中で弄ぶ。

「あの、なんすか?」

「お互い、この時間は暇だな」

 正弘は、体格に見合った低い声を発した。鋼太郎は少々戸惑い、曖昧な返事をした。

「まぁ、そうっすね」

 正弘は、鋼太郎を見ていた。あちらも、鋼太郎と同じようにズームしているのだろう。

「半年前、だったか?」

「え、あ、はい。まぁ、それぐらい前にこうなっちまったんす」

 サイボーグになった時期を尋ねられたのだと察し、鋼太郎は頷いた。正弘の声が、少し柔らかくなった。

「まだ慣れないだろ、色々と」

「そうっすね。身長もそうなんすけど、勝手が違いすぎて」

 鋼太郎が苦笑気味に返すと、正弘は左手を握って右手に叩き付けた。

「肩慣らしが済んだなら、投げてみてくれないか」

「投げるって…これっすか?」

 鋼太郎がボールを挙げてみせると、正弘は頷く。

「それしかないだろう?」

「でも、オレ、普通に投げてもとんでもない球速が出ちまうんすけど…。手ぇ、壊れちまうっすよ」

「大丈夫だ。壊れない。だから、投げてみてくれないか」

「…もし壊れても、賠償請求しないで下さいね」

 本当にいいのかよ、と思いながら鋼太郎は直線上にいる正弘に向き直り、左手のグローブにボールを収める。
視界に表示される照準を正弘に合わせて、手の中のボールを握る。ただ、一直線に投げてやればいいだろう。
左足を前に踏み出して体を捻り、右腕を伸ばし切って肩からの力を手に全て伝え、思い切りボールを投げた。
 白球は迷わず正弘の元に向かい、グラウンドを横切った。球速は全く落ちず、真っ直ぐに駆け抜けていった。
それが正弘の目の前に訪れた直後、ずどん、と重たい衝撃音が響いた。やはり、かなりの速度が出ていたようだ。
 鋼太郎は、恐る恐る正弘の様子を窺った。やばかったかな、とグローブで顔の下半分を隠しつつ、凝視する。
正弘は、右手を前に伸ばしていた。その手の中には鋼太郎が力一杯放ったボールが、がっちりと握られていた。

「へぇ、凄いな。外野でも守ってたのか?」

「レフトを」

 鋼太郎が答えると、正弘はボールの感触を確かめていたが、振りかぶった。

「道理で!」

 フォームこそ乱暴だったが、正弘の放った球はちゃんと鋼太郎に向かってきた。鋼太郎は、グローブを挙げる。
鋼太郎の球と同じく、直線に飛んできたボールがグローブに叩き込まれた。腕と手首に、激しい衝撃が訪れた。
肩まで揺れ、ぎちっ、と関節が軋む。生身で受け止めていたら、手どころか肩までいかれてしまっていただろう。
 半身を下げていた鋼太郎は、身を戻した。痺れに似た感覚が手に残っていて、今になって怖くなってきた。

「どれだけ力一杯、投げたんすか…」

「うーん…」

 正弘は首を曲げて、呟いた。

「二百…ぐらいか?」

「殺す気っすか!」

 鋼太郎はぎょっとして、思わず叫んでしまった。正弘は、手を横に振る。

「それぐらいじゃ死なないぞ、最近のサイボーグは。当たっても平気だ、心配するな」

「そういう問題じゃないと思うっすけど」

 鋼太郎が内心で渋い顔をすると、チャイムが鳴った。給食の時間が終わり、昼休みの始まりを告げる合図だ。
校舎の時計は、午後一時を示している。鋼太郎は腕に残る痺れで、久々に投げ合えたのだと、実感していた。
 中学生になってからは壁が相手だったし、サイボーグ化後は誰ともキャッチボールをしたことはなかった。
だから妙に嬉しくて、もっと投げ合いたいと思った。正弘に視線を戻すと、正弘は手を挙げ、背を向けていた。

「じゃあ、オレはこれで」

「え?」

 昼休みはこれから始まるのに、どこに行くのだ。鋼太郎が引き留めるよりも先に、正弘は校舎に向かった。
学ランを着た大きな背は校舎の中に消え、グラウンドには鋼太郎だけが残った。少々、腑に落ちない行動だ。
普通であれば、昼休みにこそ遊ぶものだ。今日は天気が良いし、グラウンドには生徒達が出てくるだろう。
 なのに、正弘は校舎に戻った。戻らずにいてくれれば、体育準備倉庫から適当なグローブでも持ってきたのに。
鋼太郎は正弘の行動の不可解さに悩みながら、グローブにボールを打ち付けていると、百合子の声が聞こえた。
 見ると、二年生の食堂のすぐ手前の廊下の窓から顔を出していて、鋼ちゃーん、と言いながら手を振っている。
恥ずかしい。とにかく、恥ずかしい。鋼太郎は逃げ出したかったが無視出来ないので、やる気なく手を振り返した。
 それだけなのに、百合子の声は増した。




 グラウンドから離れた校舎の影で、鋼太郎はぐったりしていた。
 その隣で、百合子は上機嫌だった。鋼太郎の使っていた大きなグローブを手に填めて、小さな拳で叩いていた。
鋼ちゃん。その呼び方は、幼い頃はまだ良かったのだが、中学生にもなると恥ずかしくてどうしようもない。
男なのにちゃん付けというのもそうなのだが、そう呼ぶのは百合子だけなので、変に照れくさく感じてしまう。
 大抵の場合は鋼太郎の名前を縮めた鋼か、もしくは名字の黒鉄なので、百合子の鋼ちゃんだけが浮いている。
小学生の頃は、この呼び名のせいでからかわれたこともあった。鋼ちゃん鋼ちゃん、と囃し立てられてしまった。
つまり、鋼ちゃん、というのは鋼太郎にとってあまり良い印象のない呼び方であり、自分も好きではなかった。
 それを、あんなに大きく叫ばれてしまうとやりづらい。照れくささと情けなさと共に、軽い苛立ちが起きてくる。
この分だと、全校生徒に知られてしまったに違いない。鋼太郎が項垂れていると、百合子が覗き込んできた。

「どしたの、鋼ちゃん?」

「なぁ、ゆっこ」

 鋼太郎は百合子の手からグローブを取り返すと、校舎の壁に寄り掛かった。

「その、鋼ちゃんての、もうやめてくんねぇ?」

「えぇー」

 百合子は、思い切りつまらなさそうにする。鋼太郎は、グローブを左手に填めた。

「オレら、もう中二だろ? そんな、ガキみたいな呼び方すんなよ」

「でも、鋼ちゃんも私のことをゆっこって呼んでくるじゃん」

 百合子は、鋼太郎の隣に寄り掛かった。身長差がありすぎるので、大人と子供のような構図だ。

「鋼ちゃんが小さい時、百合子のりが言えなくて詰まっちゃって、そう呼んできたんでしょーが。だから、鋼ちゃんが先だよ。鋼ちゃんがやめるって言うんなら、私も考えないでもないけどさー」

「そうだったか?」

「そうだよ。鋼ちゃん、ラ行がすっごく苦手だったから。覚えてないわけはないでしょー?」

 百合子がにんまりした。鋼太郎は、腕を組む。

「まぁ、なぁ。けど、オレのはまだセーフじゃねぇの? お前の名前の原型、止めてるし」

「だったら私の方もそうだよお。鋼太郎の鋼、ちゃーんと入ってるじゃんかー」

「だからってなぁ…」

「鋼ちゃんがやめてくれたら、私もやめるー。でも、鋼ちゃんがやめないんなら、私もやーめない」

 百合子は平たい胸を張り、鋼太郎を見上げてきた。

「おう、やめてやるさ。それぐらい、どうってことねぇ」

「じゃ、呼んでみて」

 百合子は、澄ました目付きで鋼太郎を見ている。鋼太郎は百合子と呼ぼうとして、言葉に詰まってしまった。
いざ名前を口に出そうとすると、なんだか気恥ずかしい。ゆっこ、だと気楽なのに、百合子、だとやりづらい。
思考で命じて音声回路で変換し、発生するだけなのに上手く出来ない。こんなに、面倒だとは思わなかった。
 考えてみれば、鋼太郎は女子を下の名前で呼んだことはない。クラスメイトの女子も、いつも名字で呼んでいる。
だから、慣れていないのだ。鋼太郎が彼女の名を呼べずにいると、百合子は得意げな表情になり、背伸びをした。

「あーれー? どうしたのかなぁー?」

「どうもしねぇよ」

 鋼太郎は百合子から顔を逸らし、その視線から逃れようとした。百合子は、可笑しげに笑い声を零す。

「鋼ちゃんってば、女の子を下の名前で呼べないんだよねー?」

「…るせぇ」

 理由を言い当てられてしまい、鋼太郎は小さく言い返した。どうしてこう、百合子に翻弄されてばかりいるのだ。
鋼太郎が百合子のあしらい方を知っているように、百合子も鋼太郎の扱い方を知っているのが、その主な原因だ。
隙を見せると、ここぞとばかりにからかってくる。ネコのじゃれあいに似た、決して本気ではないからかいだが。
鬱陶しい時が多いが、嫌というわけではない。百合子は悪い人間ではないし、性格は子供だが馬鹿ではない。
 だが、こうして傍にいられると面倒な相手だ。気心は知れているが、知れているからこそ遠慮というものがない。
鋼太郎は左手のグローブを握りながら、先程受けた正弘のボールの力強さと、腕が痺れた感覚を思い出した。
なかなか心地良かった。生身で受けたら痛いだけだっただろうが、サイボーグボディの痛覚はかなり鈍い。
だから、ボールを受けた感触だけがあった。グローブを震わせ、左手の中央にめり込んだ、重たく強い球。
 半身を下げてしまうほどの威力があり、迫力もあった。あれを打ち返したら、大きなホームランになるだろう。
鋼太郎がそんなことを考えていると、百合子は上げていたかかとを戻し、鋼太郎のグローブを見つめた。

「鋼ちゃん。さっきの先輩と、何してたの?」

「キャッチボール、だと思う」

 鋼太郎は、左手のグローブに右手を叩き込んだ。百合子は、その微妙な言い方に首をかしげる。

「思う、って何?」

「相手はグローブしてなかったし、一球しか投げ合わなかったから」

 鋼太郎は、もう一度グローブを叩いた。百合子は、昼休みなので騒がしい校舎を見上げる。

「さっきの先輩、校舎に戻って行っちゃったよね。昼休みなのに」

「ああ、そうだな。昼休みなのにな」

 鋼太郎も百合子と同じように、校舎を仰ぎ見た。

「鋼ちゃん、今、何時?」

「午後一時十二分四十八秒」

 百合子に尋ねられ、鋼太郎は視界の隅に表示されている時刻を読み上げた。百合子は、ぱっと明るく笑う。

「じゃ、まだ時間あるね! 昼休みが終わるのは、午後一時四十分だから! どこにいるか解る?」

「解るわけねぇだろ。オレはあの先輩と初めて話したんだから、どういう人なのか知るわけがねぇ」

 鋼太郎は、百合子に背を向けた。百合子は、仕方なさそうにする。

「まぁ、そうだよね。当たり前だよね」

 残念そうな百合子を横目に、鋼太郎は視覚を強めていた。だが、やろうと思えば見つけられるかもしれない。
解像度を上げてグラウンド側を見渡してみるも、あの大柄な姿はなかった。他の生徒達が、遊んでいるだけだ。
薄暗い校舎の裏側も同じで、こちらにいるのは鋼太郎と百合子だけだ。他に人影はなく、ひっそりとしている。
 だが、なぜ見つけようとする。第一、見つけ出してどうする。キャッチボールの続きでも頼もうというのか。
クラスメイトならまだしも、上級生だ。それも、話したのは先程が最初なのだから、知り合いですらないだろう。
 そんな相手を。鋼太郎は視覚に集めていた集中力を緩め、元に戻した。あまり続けると、さすがに疲れてしまう。

「鋼ちゃん」

 鋼太郎を見る百合子の瞳は、どこか悲しげだった。

「さっきの先輩、一人なのかな」

「そうだと思うぜ」

 鋼太郎は、小学校時代の正弘の様子を思い起こした。サイボーグだということで、彼はやたらと目に付いた。
始業式でも、終業式でも、全校集会でも、運動会でも。人間らしさのない銀色のボディは、常に目立っていた。
小学生なので、年齢に見合った体格のボディを操っていたが、それでも同年代の子供に比べれば大きかった。
 彼には、友達がいないようだった。誰かと遊んでいる姿など見たことないし、部活動にも参加していなかった。
鋼太郎は、正弘のことを知っていると言うだけで全く解ってはいない。だが、これだけは間違いなく解る。
 彼は、孤独だ。





 


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