非武装田園地帯




最終話 ボーイ・ミーツ・ガール



 昼休みになると、サイボーグ同好会の四人は校舎裏に集まる。
 サイボーグ同好会のその習慣は、場所を鮎野中学校から一ヶ谷市立高校に移しただけで、変わっていない。
校舎裏といっても実質的に裏庭なので、ベンチがあることと、めいめいに昼食を持ってくることだけは変化した。
校舎内には学生食堂もあるのだが、四人のうちの三人がフルサイボーグであるため、それほど量は摂らない。
ただ一人のセミサイボーグである透も相変わらず食が細いので、学生食堂の定食では量が多すぎるのだ。
よって、四人はいつも校舎裏の花壇の傍にあるベンチに集まり、どうでもいいことを話題にして喋っていた。

「そりゃ、大変だな」

 百合子から練習試合の話を聞き、正弘が笑った。

「他のナインが、だ。鋼のプレーのフォローをしなきゃならないからな」

「あ、ひどいっすね」

 鋼太郎は紙パックの牛乳を右手に持ってマスクを開きながら、正弘に向いた。

「レギュラー連中の足を引っ張らないように気ぃ付けますって」

「どうせなら甲子園まで連れてってほしいけど、県大会はとっくに終わっちゃったからなぁ」

 百合子はストローを銜え、紙パックのオレンジジュースを啜る。透は膝に載せている弁当箱に、箸を置く。

「どこが、優勝、したんでしたっけ?」

「明訓だよ。県下じゃ強豪だもん」

 強いんだよねぇ、と百合子は羨んだ。鋼太郎は飲用チューブをパックの穴に差し込み、牛乳を啜る。

「一高は郡大会で二回戦負けだからな、県大会なんて行けるわけがねぇんだよ」

「お兄ちゃんのいた二高は、今年も、県大会の準々決勝まで、行けたんですけどね。どこが、違うんでしょう?」

 透が不思議そうにすると、百合子は手を横に振る。

「二高は最初から違うもん。設備もコーチも選手も監督も」

「五月に二高と試合やったけど、ありゃ本当に別物だったよな。どいつもこいつも鍛え方が違う、って感じがしてよ。あっちは私立だから、金があるんだよな」

 いいよなぁ、と鋼太郎は嘆息する。その隣に座る百合子は、鋼太郎の肩を叩いた。

「ま、うちらはうちらで頑張るしかないじゃんよ」

「たとえ結果が見えていようともな」

 正弘が茶化すと、鋼太郎は中身を飲み終えた牛乳のパックを握り潰した。

「ま、そうっすけどね。やれるだけ、やるしかないんすよ」

「そうそう。一杯練習すれば、ちょっとはノーコンじゃなくなるかもしんないしね!」

 百合子が笑ったので、透も釣られて笑う。

「そうですね。努力すれば、その分、結果が出るはずですから」

「はず、なぁ…。なーんか引っ掛かる言い方するなぁ、透」

 鋼太郎は紙パックを小さく丸め、ベンチの傍のゴミ箱に放り込んだ。

「他意は、ありませんよ」

 透は、意味深な微笑みを浮かべた。弁当箱の上に横たえていた箸を取り、半分ほど残った中身を食べ始めた。
彼女は元から背は高い方だったが、中学生時代の後半から背が伸び始め、今では百六十七センチになった。
胸の大きさは控えめなままで、百合子のようなはっきりとした減り張りはないものの、その分足が長かった。
 それなりに人目を引く外見に成長したが、透自身の性格は以前のような引っ込み思案のままで、前には出ない。
メガネの奧の目は相変わらず彷徨うし、言葉もぶつ切りだが、表情を変えることは多くなって良く笑っている。
百合子と同じベージュのベストを着ているが、その上にはカーディガンを羽織っておらず、左腕を曝している。
 その腕は、銀色ではない。透の肌と全く同じ肌色をしていて、手の大きさと腕の長さも右腕とまるで同じだ。
華奢で長い指を持った左手で、弁当箱を支えている。何も知らなければ、透がサイボーグだとは解らないだろう。
透は中学校を卒業する前に、機械そのものの左腕を人間そっくりのものに換装するための手術を受けたのだ。
百合子が完全人間型のフルサイボーグと化してからほぼ一年後に、完全人間型は一般患者に普及し始めた。
換装には保険が利かない、ということだけがネックであったが、左腕一本なら全身疑似人体ほど値段は張らない。
透は換装の話を父親と兄には言い出せずにいたが、二人から先に言われてしまい、最後は押し切られた。
最初は遠慮していたが、人間そのもののような外見の腕に換装してしまうと、もう前のものには戻れなかった。
 まず、軽い。以前の機械式は、外骨格強化型フルサイボーグと同様の構造をしていたので外装が厚かった。
戦闘が行えるほどの強度を持った外装なので、当然ながら重量があり、それが肩と背筋に負担を掛けていた。
なので、透は慢性的な肩凝りと疲労に悩まされていたのだが、最新型の義腕の重量は従来の三分の一だ。
芯である骨格だけは金属製だが、外装は生身の肌にそっくりな人工人皮だけとなり、中身は疑似脂肪だ。
それでいて、最大出力は前のものとそれほど変わらないというのだから、科学技術の進歩とは素晴らしい。
義腕換装手術の後に、手術痕を消すための整形手術も受け、左肩と胸部に残っていた抜糸の痕を消した。
 これにより、透が心の内に抱えていた肉体的なコンプレックスの大半が解消されたのでストレスも大分減った。
気の弱い性格まで治ったというわけではないが、少しずつだが積極的になれるようになり、新たな友人も得た。
透は弁当を食べ終え、蓋を閉じた。箸箱に箸を入れて弁当箱と重ね、巾着袋に入れてきゅっと口を絞った。

「そういえばさ、透君」

 百合子は購買で買ってきたサンドイッチを食べながら、透に向いた。

「亘さんとは相変わらず?」

「あ、はい」

 透はほんのりと頬を染め、大振りなメガネの下で目を細めた。

「でも、ちょっとだけ、変わった、かもしれません」

 透は、義理の兄の亘と兄妹以上の関係に至っているということをサイボーグ同好会の三人にだけは話した。
このことは二人だけの秘密にしようと思っていたのだが、いつのまにか感付かれ、それとなく聞かれたからだ。
なので、三人には他には絶対話さないと約束してもらい、亘との協議の結果、話せることだけを話すことにした。
二人が両思いだとは解っていたようだが、その先に至っているとは思っていなかったそうでかなり驚かれた。
話せなかったうちは、三人に対して気後れしてしまっていたのだが、話してしまうとそれはすっかりなくなった。
なので今では、ごくたまにだが三人に相談をすることもある。といっても、当たり障りのないことだけだが。

「何がどう変わったの?」

 興味津々の百合子が、身を乗り出してくる。透は、少しだけ身を引いた。

「えっと、あの、私が高校を出たら、名前で、呼んでもいいよって、お兄ちゃんが」

「つまり、就学年齢の間は手を出さないってことか」

 真面目だなぁ亘さんは、と正弘は感心している。鋼太郎は、正弘に向く。

「で、ムラマサ先輩はどうなんすか?」

「どうって、どうなんだろうなぁ」

 正弘は半笑いになりながら、背を丸めて頬杖を付いた。百合子は、正弘の前にも顔を出す。

「どうなんですかー?」

「でも、ムラマサ先輩の場合って、大いに、犯罪ですよね」

 人のことは言えませんけど、と透はにこにこしている。正弘は、マスクを押さえる。

「それなんだよなぁ…。それがあるから、静香さんももう一歩を踏み込んでこようとしないんだよ。意外だけどさ」

「でも、ムラマサ先輩も踏み込もうとしないですよね? なんでですか?」

 百合子が首をかしげると、正弘は少し笑った。

「さぁな。きっと、まだそういう時期じゃないってことなんだろう」

 正弘と静香の関係が少しずつだが変わりつつあることは、彼の傍にいる三人は、当然ながら把握していた。
けれど、誰も深く聞いてきたりはしない。透と亘のことを必要以上に言及しないのと、同じことなのだ。
友達だが、友達であるからこそ距離を空けるところは空けておく。そうでなければ、息苦しくなってしまう。

「で?」

 正弘は上体を起こし、鋼太郎に顔を向けた。鋼太郎は、きょとんとする。

「なんすか?」

「メイドさんプレイの決行日はいつ頃なんだ、鋼?」

 正弘の言葉に、百合子は反射的に立ち上がった。その拍子に、オレンジジュースの紙パックが倒れた。

「なっ、なんなのさーそれはー!」

「違う、違う、そういうんじゃねぇよ!」

 鋼太郎は立ち上がると、百合子に近寄ろうとした。百合子はベンチの傍にある木の元まで、ずり下がる。

「違わないじゃんよ! 何度も言ってるじゃん、そういうのは嫌だって! 私は普通なのがいいんだい!」

「だから、誤解だっての! つうかムラマサ先輩、余計なこと言わないで下さいよ!」

 鋼太郎が正弘に文句を言うと、正弘は意地悪げな口調になる。

「オレの部屋に来た時に、資料のメイド服を一時間も手放さなかったのはどこの誰だ、うん?」

「あっ、あれは、ただ、なんつーか、いいなーって思って…」

 鋼太郎は途端に勢いを失い、口籠もってしまう。百合子は唇を曲げ、眉を吊り上げる。

「やだからね! 絶対にやだからね! 鋼ちゃんの趣味は理解してるけど、そこまで付き合えないもん!」

「私は、結構、平気、かな…」

 透は赤らんだ頬を押さえ、目を伏せる。正弘は、調子に乗っている。

「ナースもあればウェイトレスもあるぞ? ちなみに全部未使用だ、安心してくれ」

「どんな漫画描いてるんすか、ムラマサ先輩」

 鋼太郎がちょっと呆れると、正弘は笑った。

「それは完成するまでの秘密だ。ネタバレは良くない」

「絶好調っすね、伊集院かれん」

 鋼太郎は正弘の開き直りぶりに、いっそ尊敬すら覚えた。伊集院かれんというのは、正弘のペンネームである。
なんでも、昔から少女漫画が好きで、それが高じて漫画を描き始め、今では印刷して冊子にしているほどだ。
それをやり始めた頃は照れもあり、やたらと恥ずかしがっていたが、皆にいじられるうちに開き直ってしまった。
 現在では伊集院かれんというペンネームも描いている漫画の中身も大っぴらにし、感想を求めてくるほどだ。
鋼太郎も読ませてもらったが、絵柄が可愛い割にストーリーには容赦がなく、なかなか面白い作品を描いている。
ウェブサイトを立ち上げてネット上でイラストも公開しているらしいのだが、それなりにヒット数を稼いでいるという。
全く、人というものは解らない。真面目で堅い人間だとばかり思っていた正弘の趣味が、少女漫画なのだから。
鋼太郎は妙に得意げな正弘から目を外し、百合子に向いた。百合子はまだ怒っているらしく、膨れている。

「何がなんでも着ないからね!」

「だから、悪かったって」

 鋼太郎が平謝りしても、百合子の怒りは収まらない。

「鋼ちゃんのコスプレフェチ!」

「そこまで言うことねぇだろうが…」

 鋼太郎はぐったりしてしまい、肩を落とした。透は、声を殺して笑っている。

「黒鉄君、大変ですね」

「全くだ。いっそのこと制服に乗り換えれば楽だぞ、鋼」

 正弘に煽られ、鋼太郎はちょっとむっとした。

「そんなに安易な理由で方向転換したくないっす」

「制服も嫌ぁ! だって下着が普通なんだもん! どうせならびしっとばしっと勝負したいー!」

 百合子は髪を振り乱す勢いで、頭を横に振っている。鋼太郎は、内心で変な顔をする。

「勝負って…お前、何を勝負するつもりなんだよ」

「いいじゃんよ、勝負したって! 一戦交える時には、アダルトな武装をしたい乙女心が解らないのかあ!」

 百合子はむきになり、鋼太郎に喚いた。鋼太郎はやりづらくなってきて二人を見たが、笑っているだけだった。
自分でなんとかしろ、ということらしい。オレにどうしろっつーんだよ、と鋼太郎はげんなりしながらぼやいた。
要するに、勝負するタイミングは選ばせろ、ということか。確かに、彼女がメイドになれば理性は吹っ飛ぶ。
そうなれば、あちらの方向に雪崩れ込むのは必然的だ。未だに経験していないので、歯止めは聞かないだろう。
 鋼太郎としては、機会を掴めばさっさと前に進んでしまいたいのだが、百合子はちゃんと手順を踏みたいらしい。
正直、それが面倒だと思わないでもない。だが、それは贅沢な悩みなのだと、鋼太郎は身に染みて知っている。
 この騒々しくも下らない言い争いも、百合子が生きているからこそであり、鋼太郎が生きているからこそなのだ。
だが、やはり面倒だ。百合子が折れるのを待っていられないので、そのうち自分から強制するに違いない。
幼馴染みではなく、男女として付き合い始めてからもう三年目なのだから、いい加減に一線を越えてしまいたい。
木の前に仁王立ちしている百合子は両手を腰に当て、たっぷりとした胸を張って、鋼太郎を見据えている。
この様子では、すぐには許してくれないようだ。鋼太郎は辟易しながらも、唇を尖らせている百合子を眺めた。
 やっぱり、可愛い。





 


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