非武装田園地帯




第六話 アウト・フィールダー



 人生の、外野手。


 いつも通りの、朝が来た。
 電子的な刺激ではなく、自然に目を覚ました正弘は、ボディに内蔵されている補助AIで簡易チェックを行った。
これといった不調はなく、至って快調だった。どのセンサーの感度も充分で、体液などのバランスも丁度良かった。
 掛け布団を捲り上げて起き上がり、体を伸ばす。背部の関節と腰が軽く軋み、ジョイントが体の内側で動いた。
関節も、どの部分も正常だ。正弘は布団の中から出ると、長袖のパジャマを脱ぎ、機械で出来た体を晒した。
着ている意味はないのだろうが、着ていないと恥ずかしくてたまらないので、下着はきちんと着込んでいる。
 紺色無地のパジャマを丁寧に畳んでタンスの中に戻し、寝る前に準備しておいた着替えの服を広げて着た。
体格に合わせた大きなサイズのジーンズを履き、水色のシャツの前のボタンを襟まできっちりと留める。
袖のボタンも留めようと思ったが、外しておいた。家の中にいるのだから、別にそこまでしなくても良い。
 布団も畳んで押し入れにしまい、夜の間に籠もってしまった空気を循環させるべく、部屋の窓を全開にさせた。
部屋のドアも半開きにしてからリビングに出ると、テーブルからリモコンを取り、ホロビジョンテレビを付けた。
 壁に造り付けられたコンセントの傍に座り、シャツの腹部のボタンを外して外装を開き、ケーブルを伸ばす。
充電用ケーブルをコンセントに差し込み、充電を開始した。昨日の夜、うっかり充電するのを忘れていたのだ。
視界の隅に表示されている充電状態を示すパラメーターは、順調に電気が注ぎ込まれていることを知らせていた。
 なんとなく付けたテレビは、朝のニュース番組をやっている。連休とはいえ、番組編成は平日と変わらない。
いつもこの時間は、中学校に登校しているので、普段は見ることはない番組だ。だから、少し物珍しかった。
リビングに丁度良い大きさの二十九型ホロビジョンテレビの隣にメタルラックがあり、電話機が置いてある。
 メタルラックの後ろの壁に下げたホワイトホードには、同居している人物からの連絡というか走り書きがあった。
昨夜は帰ってきたようだが、またすぐに仕事に向かったらしい。それで良く身が持つものだ、と正弘は感心する。
 充電率が百二十パーセントを超え、必要量がバッテリーに充電されたので、正弘はケーブルを抜いて戻した。
外装を閉めてシャツのボタンを留め、胡座にしていた足を伸ばして立った。電圧が戻ったので、動きが良い。
肩も軽く回しながら、リビングに併設している対面型キッチンに向かい、シンクの中を覗き込んでみた。

「…またか」

 夜中に帰ってきて、食べるだけ食べて、そのまま放置していったらしい。汚れた食器がいくつも重なっている。
仕方なく、正弘は袖を捲り上げた。シンクの脇にいくつも転がしてあった、発泡酒の空き缶をゴミ箱に放った。
 どうしてあんなに自堕落なんだろう、と正弘は同居人に呆れつつも、常日頃の習慣で洗い物を始めていた。
ゴム手袋を填めて洗剤を付けたスポンジを取り、油汚れの付いた皿を洗いながら、正弘は独り言を呟いた。

「これが終わったら洗濯だな」

 洗い終えた皿を布巾で拭き、水切りカゴに重ねる。

「その次はざっと掃除機でも掛けて、ああ、でも布団も干すべきだな。天気も良いし」

 冷蔵庫を横目に見、その中に何が残っているか思い出しながらも、正弘は手を休まずに動かしていた。

「食料品も買い足しておかないと、あの人、飢えるしなぁ」

 面倒だ、と思ってはいるがどれもこれも自分がやらなければ誰もやらない。正弘の、義務に近い仕事である。
何を買っておこうか、と考えながらマグカップを洗い終えて正弘は手を止めた。今日は、自分にも用事がある。

「買い物は後だな」

 だが、用事に向かう前にやるだけのことはやっておこう。そうすれば、帰ってきた時には面倒事が少なくて済む。
正弘は冷蔵庫の側面に貼り付けてある電車の時刻表を確かめてから、洗濯物が溢れた洗濯カゴを持ち上げた。
ぞんざいに放り込まれているブラジャーに内心で顔をしかめつつ、正弘は洗濯機のある洗面所へと向かった。
 最初の頃は多少動揺したが、こんな生活が何年も続いていれば同居人の生活態度にもいい加減に慣れる。
洗濯機に入れる前に、生地が傷みやすい下着やシャツなどをネットに入れながら、正弘は半笑いになった。

「鋼が見たら笑うな、この光景」

 鋼太郎は良くも悪くも、正弘を過大評価しているように思う。だから、きっと、面白いくらいに驚いてくれそうだ。
百合子は普通に凄いねー凄いねーと褒めてきそうだが、透は言葉に迷って狼狽えて、どもってしまうことだろう。
その様を想像しながら、正弘は笑いを噛み殺した。洗濯機に洗濯物を入れ、洗剤も入れ、スイッチを入れた。
 連休は、まだ先が長い。四月二十九日から五月五日まであるので、その間、学校に行けないことが残念だった。
以前は休みが来るたびに安堵して、学校に行かないことを嬉しく思っていたが、友人が出来た今はその逆だ。
登校するのが、楽しいと感じるようになった。三人と一緒に、校舎裏で会話に興じている時間は素晴らしい。
そのためだけに、登校しているようなものだ。気の合う人間がいるというだけで、日常生活に張り合いが出る。
 今日は五月四日。明日が終われば、また学校だ。正弘はほんの少し浮かれながら、掃除機を取り出しに行った。
 掃除を終えたら、次は布団を干そう。




 家事の大半を終えた正弘は、ショルダーバッグを提げ、鮎野駅に向かった。
 服はシャツ一枚だけでも別に問題はないのだが、見た目に寒そうなので、その上にパーカーを着てから出た。
用事というのは、月に一度の診察だ。サイボーグ化手術を受けた者は、必ず受けなければならないものだ。
人工体液の交換や消耗部品のチェックなどを行い、脳の状態も調べて、異常がないか確認しなくてはならない。
 正直面倒だが、診察をしなければ異常が発見出来ないし、異常が発見出来なければ命に関わる可能性がある。
なので、嫌でも行かなければならない。正弘は、休日であっても閑散としている鮎野駅に入り、切符を買った。
 券売機に一ヶ谷駅までの料金を入れて、出てきた切符を抜いてから振り返ると、そこに見慣れた人物がいた。
春らしい淡い緑の裾の広がったワンピースに身を包み、野球帽を被った髪の長い小柄な少女。百合子だ。
百合子は駅前に留まっていた車が発進するのを見送っていたが、正弘に振り返ると、親しげな笑みを見せた。

「おはようございます、ムラマサ先輩」

「ああ、うん。おはよう、ゆっこ」

 意外なことに、正弘は戸惑い気味に返した。百合子は肩から提げたトートバッグを探り、財布を取り出す。

「先輩も診察ですか?」

 そう言いながら、百合子は券売機に百円玉を四枚入れた。正弘はなぜ解るのかと問おうとしたが、止めた。
恐らく、百合子も診察に行くのだろう。それに、程度の度合いは違えど百合子も正弘と同じサイボーグだ。
そして、鮎野町の近隣でサイボーグを扱う特殊外科がある病院は一ヶ谷市にあり、次の電車は一ヶ谷行きだ。
実に単純な推理だ。百合子でなくても、サイボーグの事情を知っている人間なら正弘の目的など簡単に察せる。
 切符を買い終えた百合子は、ワンピースの上に羽織っている白いカーディガンのポケットに切符を入れた。
細すぎる手首に填めた腕時計を見て、時間を確かめている。次の一ヶ谷行きの電車が来るまで、後少しある。
改札を通るには、まだ少し早い。百合子もそう思ったようで、腕時計を下ろしてから正弘を見上げてきた。

「ムラマサ先輩って、連休、どこかに行きました?」

「いや。オレは別に。ゆっこは?」

 正弘の答えに、百合子は苦笑した。

「私もそんなもんですよ。お母さんは仕事が忙しいし、私も無理は出来ないから」

「鋼は一緒じゃないのか?」

「鋼ちゃんは私とは違って、月末に予約を入れているんです。それに、今の時期は農繁期だから」

 百合子は自分の肩越しに、鋼太郎の住んでいる集落の方向を指した。正弘は、すぐに納得した。

「そういうことか」

 鮎野町は、というより、この地方は農業が盛んだ。水量が豊富で土壌も良いので、良い作物が採れる。
農業一本でやっている人間も多いが、それ以上に半農半業も多い。鋼太郎の家も、そうなのだと彼から聞いた。
父親は勤めに出ている傍らで米作を行っていて、それなりに量が出来るので、出荷もしているのだそうだ。
 鋼太郎は長男だということもあり、幼い頃から手伝わされ、サイボーグになった後は仕事量も増えたらしい。
そのことをぼやいてはいたが、決して嫌そうではなかった。家族扱いされている、と実感が出来るからだ。
正弘が絶対に味わえない、とても羨ましい感覚だ。内心で鋼太郎を羨んでいると、百合子は言葉を続けた。

「で、透君はお父さんとお兄さんとでお出掛けなんだそうです。ダム湖に行くとかで」

「透には兄貴がいるのか」

 それは、初めて知ることだった。正弘の呟きに、はい、と百合子は頷いた。

「三つ年上で、一ヶ谷高校に通ってて、野球部に入っているんだそうですよ」

「野球部? 透とは、大分違う感じがするな」

「透君もそう言ってました。でも、気が合う人だって」

「ふうん」

 正弘は、視界の隅の時刻表示を確かめた。あと五分ほどで、電車が到着する。

「ゆっこ、そろそろ行くか」

「そうですね、いっきましょー」

 百合子は駅員に切符を渡してスタンプを押してもらい、改札を通る。長い髪の乗った背が、薄暗い通路を進む。
正弘は百合子に続いて改札を通り、一ヶ谷行きの電車がやってくる二番ホームに向けて、通路を歩き出した。
 百合子はさっさと階段を昇っていったので、見えなくなった。体重の軽い足音が、意識せずとも聴覚に入る。
半地下になっているホームへの連絡通路を通り、幅が狭いわりに傾斜がきつい階段を昇り、ホームへと出る。
ホームには、百合子の他に数人が電車を待っていた。百合子は、ワンピースに不釣り合いな野球帽を直す。

「行く場所はどうせ同じなんですから、一緒に行きましょー」

 白地に黒の縦縞で、TとHを組み合わせたエンブレムのワッペンが付いている。鋼太郎の好きな球団のものだ。

「それ、どうしたんだ?」

 正弘が百合子の帽子を指すと、百合子は野球帽の鍔を持ち上げた。

「鋼ちゃんが、もう自分は被れないからってくれたんです。せっかくだからって思って」

「ゆっこ。正直に言って良いか?」

「はい?」

 百合子が目を丸くすると、正弘は少々声を上擦らせた。

「その恰好でタイガースってのは、かなり変だぞ」

「あっ、笑いましたね、絶対に笑ったー!」

 百合子はむっとしながら、眉を吊り上げる。正弘はパーカーのポケットに、両手を入れる。

「オレから見ても変だって思うんだから、相当おかしいぞ、それは」

「いいじゃんよー、タイガース! ナニワのトラー!」

 百合子は丸っこい頬を張り、腰に両手を当てて平たい胸を張る。正弘は、彼女から顔を背ける。

「そういうのは、見るからに野球少年って解る奴とかが被るのが似合うのであってさぁ…」

「そっ、そりゃ確かにそうだけど! でも、いいじゃないっすかー! 個人の自由でしょー!」

 むきになった百合子に、正弘は目を戻した。

「悪い、言い過ぎた」

「ムラマサ先輩って、案外意地悪だ」

 百合子は拗ねてしまったらしく、つんと顔を逸らした。正弘は、百合子の頭を野球帽ごと押さえる。

「だから、悪かったって」

「まぁ、いいか」

 百合子はむくれていたが、表情を戻し、上目に正弘を見上げてきた。

「鋼ちゃんは謝らないけど、先輩は謝ってくれたから」

「そうなのか?」

 正弘の問いに、百合子は少し腹立たしげにする。

「そうなんですよう。鋼ちゃん、意固地だから」

 二番ホームの右手から、電車がやってきた。レールを踏み締めながら、三両編成の車両がホームに横付ける。
三両目のドアは、二人から少し離れた位置で開いた。傾斜があるせいで、ホームとドアの間の隙間が広い。
正弘は簡単に入ったが、百合子はちょっと苦労しながら乗り込んだ。乗客の数は程々で、席も多少空いていた。
 百合子はドアのすぐ傍の二人掛けの席に座ると、正弘を手招いた。正弘は拒むわけにもいかず、座った。
正弘は体が大きいので手狭だったが、百合子の体格が小さいので、釣り合いが取れて普通に座れていた。
ドアが閉まり、車輪とレールが軋み合いながら発車した。少し進むと、慣性制御が働き始め、揺れが減った。
 都市部の鉄道にはリニア技術が使われているが、地方の片田舎を走る鉄道は、未だに旧時代のままだった。
車両は都市部の鉄道で使っていた中古を持ってきているので、車両はそれなりに新しいがレールは古びている。
 リニア走行を行うには、車両だけでなくレールも新しくしなければならないが、地方にまでは届いていない。
いつか届く、と言われているのだがそれは何年も先の話だ。下手をすれば、十何年も先になることだろう。
 窓の外には、広大な鮎野川の流れが見える。空の色を映し、さざ波の立った水面が眩しく光を撥ねている。
鮎野川の両端の河川敷には、大きな田が整然と並び、その傍には苗床を積んだ軽トラックや田植機がある。
今頃、鋼太郎も田植えを行っているのだろう。正弘はその光景を見たことはあるが、やったことはない。
正弘は鮎野町に生まれたわけではないし、家も農業はやっておらず、近所の家々も農業とは縁遠かった。
だから、何をどうすれば稲が育って米になるのか知らない。見ているだけでは、何一つ解らないのだ。
 ふと、百合子に目をやった。年齢に比べて幼い顔には、それに見合わない、大人びた表情が浮かんでいた。
正弘が、今まで見たことのない類のものだった。正弘が百合子を見ていると、百合子は正弘を見上げた。

「診察が始まるの、どっちが先でしょうかね?」

「予約の順番にもよるし、患者の数にもよるからなぁ」

 正弘が答えあぐねると、百合子は白いスニーカーを履いた足をぶらぶらさせた。

「ムラマサ先輩。診察が始まるまでの間、話でもしてましょうか」

「ああ、そうだな」

 正弘の言葉に、百合子はにんまりした。

「じゃ、そうしましょー」

 百合子は、先程の表情とは打って変わった子供のような屈託のない笑みを見せる。毎度、移り変わりが激しい。
背もたれに体重を預けた百合子は、どうでもいいことを話し始めた。校舎裏の時と同じ、明るい口調だった。
 正弘は、それに適当に相槌を打ちながらも、百合子の先程の表情が消えなかった。彼女にしては冷めている。
何かを達観したような目を、遠くに向けていた。いつもは快活な表情を見せているのに、感情が引いていた。
あれは、一体何だったのだろう。正弘は頭の隅で考えながら、百合子の陰りのない笑顔に視線を据えていた。
 他愛もないお喋りは、一ヶ谷駅に着くまで続いた。





 


06 10/25