非武装田園地帯




第六話 アウト・フィールダー



 正弘の診察とメンテナンスは、一時間半ほどで終了した。
 ボディ全体を測定器に掛けて作動不良箇所をチェックし、補助AIのデバッグを行い、人工体液を交換した。
生きている上で出てしまう老廃物の類も除去し、各関節に注油して動きを良くし、バッテリーも新品にした。
老朽化していたケーブルや、体液を循環させるチューブも全て交換して、生命維持装置もしっかり整備した。
 残るは、脳髄の栄養源である錠剤や他の薬を調剤薬局から貰うだけとなった。百合子は、とっくに終えている。
百合子は正弘とは違ってサイボーグメンテナンス室には行かなかったが、その代わりレントゲンを撮った。
 百合子の使っている体内内蔵式の人造心臓は精密機械なので、内部にはかなり細かな部品が使用されている。
それが血液中に流れてしまっていないか、調べるためだ。もしも流れてしまったら、命に関わるからである。
他にも、血液を循環させるためのポンプの動作回数やバッテリーの機能、生体部品の消耗などを確かめた。
 正弘がメンテナンスを終えて待合室に戻ってくると、百合子は待ちくたびれたのか眠たそうにしていた。

「終わったぞ」

 調剤薬局に出す処方箋を振りながら、正弘は長椅子に座っている百合子に近付いた。百合子は、目元を擦る。

「あー、はいー」

 億劫そうに立ち上がった百合子は、スカートのシワを直してトートバッグを肩に担いだ。

「じゃ、薬局に行かないと」

「もう、いい時間になっちゃったな」

 正弘は、視界の隅を見て呟いた。病院はとにかく時間を喰う場所だ、いつのまにか午後三時を過ぎている。
病院にやってきたのは、診察開始時間より少し遅れた午前九時半頃だったのだが、待ち時間が長かった。
それに、サイボーグの診察やメンテナンスは通常の診察に比べれば、かなり時間も手間も喰ってしまう。
慣れているとはいえ、気疲れする。正弘は肩から力を抜きつつ、百合子を伴ってエレベーターに向かった。
 一階のロビーまで降りた二人は、調剤薬局に処方箋を渡した。その際に、番号の書かれた札を渡された。
調剤薬局の傍の電光掲示板には、三桁の番号がいくつも表示されている。二人の番号は、まだ遠かった。
薬が出来上がるのを待っている患者は多く、二人の薬が出来上がるまではしばらく掛かりそうだった。
 正弘と百合子は、ロビーに並べられた椅子に座った。百合子は売店を窺っていたが、一度正弘を見やった。

「ムラマサ先輩、何が好きですか?」

「何って」

 正弘が聞き返すと、百合子はぴょんと立ち上がった。

「ジュースですよ。嫌いなの、あります?」

「カフェインが強いのは得意じゃないけど」

「じゃ、適当なの買ってきまーす」

 百合子はワンピースの裾を翻しながら、売店に駆け出した。正弘はその背に手を伸ばそうとしたが、下げた。
しばらくすると、百合子は帰ってきた。五百ミリリットルのペットボトルを二つ、小さな両手に抱えていた。
 百合子は正弘の前に戻ってくると、片方を差し出した。正弘は、目の前のスポーツドリンクと彼女を見比べた。

「いや…でも」

「実のところを言えば、私が飲みたかっただけなんですけどねぇ」

 百合子はそう言いながら、正弘の隣に座った。百合子はリンゴジュースのキャップを開けると、少し飲んだ。
正弘は、手渡されたスポーツドリンクのボトルを見ながら、戸惑っていた。受け取ってもいいのだろうか。

「けど、オレは、別に」

「ダメですよー、人の好意を無下にしちゃ」

 百合子はペットボトルのキャップを持った手で、正弘を指した。

「もったいないオバケが出てきちゃいます!」

「なんだよ、それ」

「もったいないオバケはいいオバケなんですよ! 食べ物の好き嫌いをする子供のところに出てきて、もったいないって叱り付けてくれるオバケなんですよ!」

「へぇ、オバケにはそんなのがいるのか」

 正弘が半笑いになると、百合子はにんまりする。

「だから、もらっといて下さい。そうしないと、ムラマサ先輩はもったいないオバケに叱られますよ?」

 百合子の言いたいことは今一つ掴めなかったが、正弘はとりあえず彼女に従うことにした。

「じゃあ、もらっておくよ」

「それでいいんです」

 百合子は満足げに頷き、自分のジュースの続きを飲んだ。正弘はキャップを開け、口元のマスクも開けた。
サイボーグボディには人間より小さい消化器官はあるが、口腔はなく、胃に直結している口があるだけだ。
口を使わない時は、食道を隔壁で塞いであるのだが、異物が入って故障を起こさないように口も塞いでいる。
 フルサイボーグがマスクフェイスなのは、頭部の耐久性を上げるためと口を守るカバーがあるためだ。
サイボーグボディの中で最も重要なのは、当然ながら、最後の生身の部分である脳が入っている頭部だ。
胴体部に内蔵されている生命維持装置が万が一故障した場合のための、緊急用生命維持装置も入っている。
脳を覆っている特殊素材のケースも何重にもなっていて、特に強固なのが外装、すなわち頭部の装甲だ。
宇宙船にも使用されている、比重が軽く強度の高い合金を使用していて、滅多なことではそうそう壊れない。
 だが、口は別だ。生身の頃と同じとは行かないまでも、ある程度の味覚を感じるための感覚器官がある。
人工神経が集中していて補助AIに繋がるケーブルも多く、繊細だ。そこにダメージが訪れれば、被害は甚大だ。
 そういった事故を防ぐために、フルサイボーグはマスクフェイスとなっている。もっとも、評判は良くないが。
人間味の欠片もない顔であるため、サイボーグ化した者達が揃って嘆いているが、これも全ては安全のためだ。
 正弘はマスクの下の口を開くとその中から、液体を摂取する時に使用する注射針に似たチューブを出した。
それを伸ばし、ペットボトルの中に差し込む。この機能を使う時、昆虫に似ているな、といつも思っている。
一気に飲むと消化器官の処理能力が追い付かないので、時間を掛けてボトル半分を飲み、チューブを抜いた。
体液を補充する際にある程度の水も飲まされたので、あまり飲むと許容量を超えて、排泄しなければならない。
 生身の人間に比べれば、摂取量がかなり少ないので排泄物の量も少ないのだが、それでも出るものは出る。
いちいち外装を開いてしなければならず、割に面倒だ。その部分も洗浄したので、すぐに汚したくはない。
 正弘はペットボトルのキャップを締め、ショルダーバッグに突っ込んだ。百合子を見ると、まだ飲んでいる。
飲むのが遅い上に量が少ないので、三分の一も飲めていない。彼女の胃は、サイボーグよりも小さいようだ。
百合子は満足げに息を吐くと、キャップを締めてトートバッグの中に入れて、正弘を上目に見上げてきた。

「ムラマサ先輩」

 百合子は膝の上で両手を組み、椅子に深くもたれかかった。

「次の診察、いつ頃ですか?」

「来月の第一土曜だとさ」

 正弘が返すと、百合子は調剤薬局の傍に掛けてあるカレンダーを見、ああ、と落胆した。

「私は第一金曜日でしたぁ」

「仕方ないさ、ずれるのは。医者の先生も忙しいんだから」

 正弘は、野球帽を被った百合子の頭に手を置いた。百合子は、不満げに頬を張る。

「次もムラマサ先輩と一緒だったら、楽しいって思ったのになぁ」

「そう上手くは行かないさ」

「先輩は、私と一緒にいてどうでした?」

 百合子に問われ、正弘は少し躊躇ったが笑った。

「オレも、一人で来るよりは大分良かったな」

「鋼ちゃんは月末だしぃ、透君は一ヶ谷西にある大学病院が掛かり付けだから別だしぃー」

 ああ残念、と百合子は大袈裟に嘆いた。正弘は背を曲げると、頬杖を付く。

「オレ達の共通点はこの体だが、その辺も共通点だからな。病院とは切っても切れない、ってのがさ」

「お金も掛かるし時間も喰うし手間も掛かるから、あんまりいいもんじゃないですけど」

 でも、と百合子は言葉を切った。

「病室じゃないだけでも、いいか」

 幼い瞳に、あの大人びた光が宿る。

「病室で仲良くなる子って、先に退院しちゃうか、急にいなくなっちゃうかの、どっちかでしないけど、先輩達はいなくならないから。学校に行けば、会えるから」

 冷淡とも取れるほど落ち着いた眼差しは、遠くを見つめていた。百合子らしからぬ言葉の中には、重みがある。
百合子が鋼太郎を好く、というより執着する理由はそこにあるのだ。病院ではない、外にいる友人だからだ。
 正弘はなんとなく、百合子との共通項を見つけられた気がした。程度も意味も違うが、彼女も壁を知っている。
こちらの場合の壁は、孤独故に出来た世間からの疎外感だ。百合子の場合は、世間を知らないが故の距離感だ。
 どちらも、世間に近付きたいと思っているが上手く近付けない。百合子にとって鋼太郎は、世間との接点だ。
壁の外側にいる存在だからこそ、あんなにも慕う。正弘は、そんな相手がいるのが羨ましいと素直に思った。
 調剤薬局の傍の電光掲示板が点滅し、薬が出来た患者の番号を読み上げているが、二人の番号には遠い。
 もう少し、待つ必要がありそうだった。




 鮎野駅で電車を降りて改札を出ると、百合子の母親が迎えに来ていた。
 正弘は初めて百合子の母親と会ったが、年若く、百合子に似た顔立ちをした優しげな雰囲気の女性だった。
いつも百合と仲良くしてくれてありがとう、と感謝されたが、正弘はこちらこそ感謝してもしきれないと思った。
だが、上手く言葉に表せず、曖昧に答えた。百合子はしきりに手を振りながら、母親の軽自動車に乗った。
 その車を見送ってから、正弘は鮎野駅傍の町営住宅に向かった。午後五時を過ぎており、辺りは既に暗かった。
正弘の住む部屋は、最上階の四階の角部屋だ。青白い蛍光灯の灯った階段を昇り、四階に向かっていった。
足取りは、軽かった。思い掛けず百合子と会えたことで、三人に会えない寂しさを払拭することが出来た。
これなら、後一日は凌げるだろう。部屋の鍵を取り出してドアノブに差し込もうとして、正弘は手を止めた。

「買い物、してこないと」

 うっかり忘れるところだった。一度帰ってからまた出るのは面倒だ、と思い、正弘は今来た廊下を引き返した。
階段を下りようとして、立ち止まった。三階の踊り場にいた相手も同じように足を止めて、正弘を見上げた。

「お」

 気の抜けた声を漏らした人影は、蛍光灯の下に出てきた。スーツに身を固めて髪をまとめた、若い女だった。
気怠そうに下がった瞼にはマスカラが付いていて、光沢のある口紅は端が剥がれ気味で仕事疲れが滲んでいた。
少々乱れた前髪の下から、目が上がる。正弘を捉えながら階段を昇ってきた女は、面倒そうに言い放った。

「マサ、あたし、カレーでいいわ」

「またですか」

正弘が呆れると、四階の廊下まで昇ってきた女はカバンを持ち直す。

「あれが一番手っ取り早いのよ」

「先週もカレーばっかりだった記憶があるんですけど。確か、週四日ぐらいカレーでしたよ?」

 正弘が言い返すと、女は不機嫌そうに眉を吊り上げた。

「いいじゃないの、食べるのはあたしだけなんだから」

「オレも少しは喰うんですけど」

「つべこべ言わない。あたしはカレーの気分なの。シチューは嫌だからね」

 女は強く言い切ると、足早に部屋に向かった。四○一号室の扉を荒っぽく開けると、やはり荒っぽく閉めた。
正弘は色々と言いたい気分だったが、何も言わずにため息を吐いた。付き合いは長いが、気が合わない人だ。
 名は、橘静香と言い、今年で二十六歳になる。医療器具会社の社員で、サイボーグ技術の開発をしている。
自衛隊から命じられて正弘と同居しているが、彼女自身は自衛隊との関係はなく、住所が近いことが理由だ。
 静香は、最初からあんな態度だった。正弘もあまり付き合いたくないタイプだが、仕方なく付き合っている。
静香がいなければ正弘の保護者もおらず、また住所もなくなってしまうので、通学出来なくなってしまう。
それに、今の状態で路頭に迷うことは死を意味する。自力で金を稼げないうちは、他人に養ってもらうしかない。
 正弘は階段を下りながら、カレーに入れる具を考えていた。静香の不精はかなりひどく、具が多いのも嫌う。
なんでも、食べるのが面倒だから、だそうだが、正弘からしてみればそれはただの我が侭だとしか思えない。
いい大人なのに好き嫌いも多く、正弘が料理を作っておかなければ、いい加減なものばかりを食べている。
それを見ていられないから、正弘は家事全般をやってしまう。潔癖の気があるためか、我慢出来ないのだ。
 正弘としては、カレー以外のものを作りたかったのだが、静香にああ言われては作らないわけにはいかない。
仕方ない、と思いながら、正弘は町営住宅を出て駅前通りにある規模の小さなスーパーに向かった。
街灯の下を歩きながら、正弘は百合子の言動を思い返していた。ショルダーバッグの中から、水音がする。
飲みかけのスポーツドリンクが、ちゃぽちゃぽと揺れている。帰りの電車でも飲んだが、まだ余っている。
 聴覚に意識を向けてその水音を聞きながら、正弘は考えていた。外野にいる人間は、内野には行けない。
外側に弾き出されてから、時間が経ちすぎている。戻ろうと思っても、どうやれば戻れるのか忘れてしまった。
 だが。戻る切っ掛けは、手にしている。百合子にしてみれば他愛もないことだろうが、正弘にとっては大きい。
少しは、得たいと求めてもいいかもしれない。正弘は内心で表情を緩めていたが、顔を上げて歩調を早めた。
 駅前通りに並ぶ街灯は、青白い明かりを放っていた。




 


06 10/27