非武装田園地帯




星の欠片



 今はまだ、小さくても。


 視る。そして、得る。
 それが当面の任務だ。授業後の束の間の休み時間を利用して、女子生徒達は一塊になってお喋りしている。
大したことのない日常の出来事や、テレビの中に映し出される芸能人やアーティストのことを話題にしている。
的確な言語とは言い難い省略された単語や、彼女達の間でしか通用しない隠語のようなものが飛び交っている。
そういった単語のやり取りの合間に、彼女達は笑う。何が楽しいのかは解らないが、甲高い声を上げている。
 ペレイナは自分の席に座って、クラス中の生徒達の様子を眺めていた。男子生徒達もまた、騒ぎ立てている。
それらの輪に入らない、というより、入ることの出来ない数人の生徒はそれぞれで休み時間を消費していた。
山下透も、そんな一人だった。次の授業で使う教科書やノートを取り出して、それらをぱらぱらとめくっている。
予習した部分と復習した部分を、確かめているようだった。そうしなければ気が済まない、と前に言っていた。
教室の窓から差し込む初夏の日差しが、色素の薄い肌をじりじりと痛め付ける。この星の日光は、少々厳しい。
 ペレイナのベースであるクローン体、ペレネらの母星のある星系は太陽が遠く、惑星の気温もかなり低かった。
ペレネに統一される以前の母星の生命体は、進化の過程で、日光に対する耐性を作る必要がないと判断した。
よって、色素の量はかなり少なく、体内時計も地球人類ほど強くはない。視力も、それほど高いわけではない。
だが、支障はなかった。視力も日光への耐性も、宇宙全体の生命体を見渡してみれば取り立てて低くはない。
ただ、地球上には不的確だというだけだ。今後生まれるハイブリットヒューマノイドは、更に改良されるだろう。
日差しへの耐性を作る色素の色も量も、ペレイナとは違ったものになる。ペレイナ達は、日々進化をしている。
 以前は、ペレネと呼ばれる同一遺伝子のクローン体を、統合意識体なる生体コンピューターが支配していた。
それが母星の全てであり、また、母星の要だった。統一された、平坦で平和で平常な世界が、三百年も続いた。
だが、それは母星での単位であって、この星での単位ではない。母星の自転周期は、地球よりも遥かに遅いのだ。
地球では十五年の時間を掛けて、母星は一回転する。短い期間に、凍り付いた地表のごく一部が僅かに溶ける。
その微かで儚い春が終われば、永遠にも似た冬がやってくる。地球の気温は高すぎて、少し恐ろしいくらいだ。
季節の変動は激しいが、統合意識体の名残である内臓生体コンピューターのおかげで体調は崩れることはない。
内臓生体コンピューターは、生命体にとっての免疫であり、また、ペレイナがペレイナたる存在意義でもある。
自分が自分であることを認識し、自分で自分を律し、自分で自分の成長を確認するために必要なものなのだ。
行く行くは、全てのハイブリットヒューマノイドに搭載される予定だ。そのためには、データを揃える必要がある。
あらゆる状況下でいかなる動作を行うべきか、研究に研究を重ね、改良に改良を加え、そして最良のものを造る。
 ペレイナが搭載しているタイプは、いわゆるプロトタイプだ。ペレイナ自体もそうなので、部品も発展途上だ。
新たな進化を遂げようとしている自種族の、進化のための足掛かり。歴史の一部に組み込まれる、大事な役目。
ペレイナの視界の隅で、透が席から立った。教科書とノートを抱えた透は、ペレイナに近付き、かすかに笑った。

「次、物理、ですから」

「移動、デスネ」

 ペレイナが立ち上がると、透は弱く頷いた。

「はい」

 六月に入ったので衣替えになり、制服も夏服に替わった。透の半袖ブラウスの袖からは、細い腕が伸びている。
その左側は義腕、すなわち機械の腕なのだが、昨今はサイボーグ技術が向上したので生身の腕にしか見えない。

「ありがとうゴザイマス」

 ペレイナが返すと、透は肩を縮めてしまう。

「いえ、別に」

 透は照れくさそうに、目を伏せている。ペレイナは、なぜそこで透が照れるのか未だに理解に苦しんでいた。
連絡事項を連絡した。連絡事項を受理した。それに答えた。それだけなのに、どうして感情が揺れるのだろう。
以前に透にその理由を尋ねたことがあったが、透はますます照れてしまって、ろくな返答をしてもらえなかった。
ペレイナが準備を終えるのを待ってから、透は歩き出した。他の生徒達も教科書やノートを持ち、教室から出る。
 クラスメイトの一団から少し離れた位置を、二人は歩いた。その間、透は辿々しい口調でペレイナと話した。
その話題は大したものではなく、物理の教室に着いたらお互いに忘れてしまうくらいに、印象が薄いものだった。
それでも、透は懸命だった。他の生徒達の足音に紛れてしまいそうなほどのか弱い声で、色々と喋ってくれた。
 もっとも、その話題の大半は理解出来なかったが。




 本来、ペレイナらの種族には自宅という概念がない。
 同一の遺伝子を持つクローン体で組織された統一軍として生活してきたため、平らな暮らししか知らない。
ペレイナらの前身のペレネは、全て女性だった。ペレネの素体の遺伝子情報を持つ者が、女性だったからだ。
そして、統合意識体は、オスを不要とした。あらゆる生命体の基礎はメスであり、メスこそ生命だとしたのだ。
ペレネらは、結婚もしなければ性交もしなかった。生殖活動をしなくても、同族はクローニングで増えていくからだ。
よって、異性と暮らすための巣と言える自宅も必要がなかった。帰るべき場所は、リペアカプセルだったからだ。
 なので、ペレイナは、未だに自宅に帰ることに疑問を持っていた。高校からの家路を辿ることも、不可解だった。
午後六時半を過ぎ、辺りは薄暗い。宇宙開発連盟から与えられたマンションまでの道には、街灯が点いている。
マンションの玄関に設置されているテンキーにパスワードを入れ、自動ドアを開けてエレベーターホールに入った。
そこで、ペレイナは不意に足を止めた。かん、とローファーのかかとを強く叩き合わせて、背筋をぴんと伸ばした。

「ペレイナ」

 ペレイナよりも若干低めだが、同じ響きの声がエレベーターホールを満たした。

「地球内任務活動規則第十二条三項目を、忘れたのデスカ?」

「地球内において、統一軍階級を誇示してはナラナイ、デスカ」

 ペレイナは敬礼の形にしそうになった手を、下げた。ペレイナの視線の先では、ペレネアが微笑んでいた。

「デスカラ、ここではアナタと私は同一の地位です。アナタが少尉でなければ、私も大尉ではアリマセン」

「何のご用デスカ」

 大尉、とペレネアの階級を口に出そうとして、ペレイナは飲み込んだ。ペレネアは、ペレイナに歩み寄る。

「出張の帰りに寄ったノデス。この近くには彼女もいますカラ、彼女の観察を行っていたノデス」

 彼女、とは白金百合子のことだ。ペレイナらの素体である地球人で、統合意識体を滅ぼしたガン細胞の主だ。
ペレイナの任務には、末期ガンに侵された肉体を捨てフルサイボーグとなった白金百合子の観察も入っている。

「報告は常時行っているハズデスガ」

 ペレイナが尋ねると、ペレネアは血の気のない唇の端を上向けた。

「そして、アナタの観察も兼ねてイマス」

「私の、デスカ?」

 ペレイナは、その言葉を聞いて感情がぶれた。不慣れな感覚に数秒間思考してから、驚いたのだと認識した。

「私の状況は、常に月面の母艦に送信してイマス。大尉、イエ、個体識別名称・ペレネアによる観察を受けなくても、私の状況は把握されているハズデス。任務遂行中の不必要な行動は、慎むのが軍規のハズデスガ」

「そうかもシレマセン」

 ペレネアは、緩いパーマを掛けた藍色の髪を掻き上げた。ふわりと、柑橘系の香水の匂いが漂う。

「デスガ、私はアナタの様子を見たかったノデス。それだけでは、イケマセンカ?」

「理由になってイマセン」

 ペレイナが平坦に返すと、ペレネアはちょっと肩を竦めてみせた。

「その調子デハ、アナタはアナタの職務を全う出来ませんヨ、ペレイナ。こういう場合は、私に付き合うノデス」

「付き合う? ペレネアの行動に従うというコトデスカ?」

「話すよりも、行動した方が手っ取り早いデス」

 ペレネアは片手に提げていた、ケーキ箱を掲げてみせた。箱には、近所の洋菓子店の店名が印刷されていた。
ますます、ペレイナは訳が解らなくなった。ペレネアが何を考えているのか、把握出来ないまま彼女に促された。
ペレネアに言われるがままにエレベーターに乗り、自宅へと向かった。その間、彼女の思考を読み取ろうとした。
だが、ペレネの時代にあった、テレパシーにも似た相互間思考共有能力は失われているので読み取れなかった。
 エレベーターは、静かに上昇していった。


 ペレイナの住む部屋は、最上階にある。
 ペレイナが選んだわけではない。この部屋が空き部屋になっていたからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
家具のほとんどない部屋に入ると、ペレネアはまずキッチンに入った。何の遠慮もなく、冷蔵庫や戸棚を開ける。
ペレネアは、その中の物のなさを見ても驚きもしなかった。当然だ。ペレネの時代には、食事の必要もなかった。
 ペレネの時代では、一週間ほど活動した後にリペアカプセルに入り、その中で必要なことを全て終えていた。
消耗した肉体の補修、摩耗した精神の再充填、生命活動に必要な栄養分、などのことを三日間で行っていた。
その間、機能は停止せざるを得ないが、リペアを行っている間は他のペレネが自分の役割を努めてくれていた。
その名残で、ペレイナは食事の習慣を持っていなかった。三日周期で、栄養剤を補充する程度で良かったからだ。
だから、高校に弁当を持っていったり、学生食堂で食べることもない。こまめに補給するのは、水分ぐらいだ。
 朝から一度も使っていないのでからからに乾いているシンクに、ペレネアは水道の蛇口を捻って水を流し出した。
ステンレスが水に叩かれる鈍い音がした。しばらく流してから、ペレネアは水を止め、シンクの下の戸棚を開けた。
そこから、一応買い揃えたはいいが一度も使っていなかったホーローのヤカンを取り出すと、水を中に入れた。
それをコンロに載せて、火を点けた。これもまた一度も使っていなかったので、火の付きがあまり良くなかった。
水を沸騰させてから、ヤカンの中身をシンクに捨てた。そして、今度は多めに水を入れ、再びコンロに載せた。
ペレネアの一連の行動を、ペレイナは直立不動で見ていた。リビングの真ん中で待機していると、彼女は言った。

「私のカバンの中から、お茶の葉を出してくれマスカ。ついでに、お砂糖モ」

「ハイ」

 了解、と返しそうになって、ペレイナは修正した。ペレネアの持っていたバッグは、ソファーに置いてあった。
それを開けて、中から紅茶の茶葉が入った缶と、まだ封を切られていないスティックシュガーを取り出した。

「もう少し、待って下さいネ」

 ペレネアはそう言ってから、戸棚を開けた。ヤカンで湯を沸かしている間に、ティーカップとポットを取り出した。
それを軽く洗って水を切ってから、ペレイナに紅茶の缶を持ってくるように言われてペレイナはそれに従った。
ペレネアは、手付きは危なっかしかったが、二つのティーカップに紅茶を淹れて、小さなケーキを皿に載せた。
それらを盆に載せ、リビングテーブルに運んだ。ペレネアがソファーに座ったので、ペレイナも向かいに座った。
 ケーキは、オレンジのムースのタルトだった。淡いオレンジ色のムースの上に、小さなミントの葉が乗せてある。
オレンジのソースも掛けられているが、味の想像など出来なかった。ただ、甘いのだろう、としか思えなかった。
ペレネアに勧められて、ペレイナはフォークでムースの先端を崩し、口に入れた。夏向きの味で、甘酸っぱい。

「おいしいデスカ?」

 ペレネアに尋ねられたが、ペレイナは答えに詰まった。生まれて二年経つが、ケーキを食べるのは初めてだ。
だから、味の善し悪しなど解るわけもない。経験がないのだから比較のしようがないので、ペレイナは黙っていた。

「私は、おいしいと思いマス。それに、見た目も綺麗デス」

 ペレネアの言葉に、ペレイナは不可解さを覚えて目を上げた。訝しげなペレイナの視線に、ペレネアは笑う。

「同僚の女性社員に、教えられたノデス。彼女は、こういうものに目がアリマセンカラ」

「ソウデスカ」

 自我を発展させるという任務を帯びているのは自分であるはずなのに、ペレネアに比べればかなり劣っている。
ペレイナは舌の上でとろけていくムースを味わいながら、言い表しようのない、濁りのようなものを感じていた。
感情の経験も足りないから、今の感情がどういうものかも解らない。無表情なペレイナに、ペレネアは言った。

「ペレイナ。アナタは、何を恐れているノデス」

「恐れる?」

「ソウデス。何も、怖いことなどないノデス」

 ペレネアはティーカップを持ち、紅茶を傾けた。

「この世界は、私達には未知の世界デス。個体で行動するようになった今は、ペレネという巨大な一個体であった頃とは、比べものにならないほど刺激も多いデス。経験も、格段に増えマシタ。デスガ、以前のように情報をただ受け取っているだけでは、それは知識でしかアリマセン。経験は経験として、感じ取る必要があるのデス。どれだけ知識を連ねても、それは仮想現実に過ぎマセン。肌に触れ、脳で感じ、そして自分自身の自我で判断を下すようにならなければ、アナタの自我は進化シマセン」

「疑問がありマス」

「何デスカ?」

 ペレイナに問われ、ペレネアは軽く首をかしげた。ペレイナは、薄い唇を開く。

「アナタの主任務は私のそれとは違いマス。アナタの主任務は、地球内の企業に就職し、その企業を通じて地球内の技術レベルや経済レベルや文化レベルを調査し、情報を相互間で交換するためのパイプラインとなることのハズデス。ダカラ、アナタにとっては、そのような意見も、こうして私に接触することも無用な行動のハズデス。利点がアリマセン。一体、何をしたいノデスカ」

「一緒にケーキを食べて、話をシタカッタ。それだけでは、イケマセンカ?」

 ペレネアは、目を細める。ペレイナは、やや身を乗り出した。

「いいとは思いマセン」

「なぜデスカ?」

「アナタの主任務とは大きく食い違ってイマス。それを行うべきは私であり、アナタではアリマセン」

「そう思うのデシタラ、アナタもアナタなりに頑張ってごらんナサイ。悔しいと思うなら、前に出てミナサイ」

 ペレネアの穏やかな言葉に、ペレイナは身を引いた。悔しい、だと。一体、何を悔しがっているというのだ。

「見ているダケデハ、何も変わりマセン。感じているだけでは、進化はシマセン。経験し、判断し、物事を自分の内で消化してこそ、血肉となって自我を生み出すノデス。そうして、人は人と成り得るノデス。地道に積み重ねていくからこそ、どんな出来事も受け入れられるような強さが作られるノダト」

 カエデさんの受け売りですが、とペレネアは少し照れた。カエデ、というのは、彼女の同僚の名だろう。

「カエデさんは、この国の平均的な家庭環境レベルと比較スレバ、不遇と言える状況の女性ナノデス。ご家族は全て鬼籍に入り、カエデさん自身もセミサイボーグにならなければ生き長らえることが出来ないノデス。デスガ、彼女は前を見てイマス。イエ、前を見なければイケナイと言ってイマシタ。カエデさんの過去にどのような出来事があったのかは、調査済みデスガ、口外はシマセン。彼女は、私の友人デスカラ」

 何が悔しい。なぜ、悔しいのだ。ペレイナは、先端だけを食べたケーキを見下ろして、必死に思考を巡らせた。
状況から判断すれば、ペレイナはペレネアの自我の成長ぶりに悔しさを覚えたと言うことになるが、それはなぜだ。
ペレネアは、ペレイナとはほぼ同一の存在だ。地位が違うのは彼女が年上だからで、それ以外の理由はない。
任務が違うのは、ペレネアの知能の方が大人だったからだ。これもまた、広義に捉えればほんの少しだけだが。
そのペレネアが自我を発展させたことが、なぜ悔しいとなる。そして、なぜ、素直にペレネアを羨めないのだ。
 ペレイナは判断を下そうとしたが、出来なかった。そのうちに時間が過ぎ、ペレネアは名残惜しげに去った。
なぜ名残惜しむのか、それすらも解らない。ペレイナは食べかけで放置したケーキと、冷めた紅茶を見つめた。
ペレネアが帰ると、部屋が一層寒々しくなった。とりあえず、使った食器は洗っておこうと、キッチンに向かった。
だが、ケーキから目を離せなかった。ペレイナは自分のケーキ皿を取ると、脇に添えてあるフォークを握った。
三分の一ほどを断ち切って、口の中に押し込んでみた。情報としての味しか認識出来ない自分が、空しくなった。
 なぜ、空しいのだろう。




 翌日。ペレイナは、透に誘われて校舎裏にやってきた。
 そこには、母星の最重要機密であるハイブリットヒューマノイドの素体の地球人、白金百合子が待っていた。
そして、ペレネらの人体実験の失敗によって幼少時に肉体と家族を失ってしまった人間、村田正弘もそこにいた。
白金百合子にとって最大の支えであり人生の伴侶とも言える黒鉄鋼太郎もおり、ペレイナは足を止めてしまった。
 彼らは、ペレイナらにとっては重要な意味を持つ者達だ。そして、ペレイナ個人にとっても、大きなものだった。
透が毎日のように話してくれる、彼ら三人のことは気になっていた。任務の延長線上で、という意味ではあったが。

「やっはー!」

 百合子は真っ先に立ち上がると、ペレイナの元に駆け寄ってきた。ペレイナに、機嫌良く笑いかける。

「一年生のペレイナちゃんだね! 透君からは色々と聞いてるよ、すっごいね、宇宙人なんだってね!」

「あの、良かったら、一緒に、お弁当、食べませんか」

 透は両手に抱えていた二つの弁当箱を、ペレイナにおずおずと差し出した。

「ペレイナさんの、分も、作ってきたので」

 ペレイナは、目を丸めた。

「私もデスカ?」

「いいよね、鋼ちゃん、ムラマサ先輩?」

 百合子は長い髪を揺らしながら、ベンチに座る二人のフルサイボーグに振り返る。鋼太郎は、片手を挙げる。

「一人二人増えたって、別に何も変わりゃしねぇからな」

「透の友達なら、オレ達の友達だからな」

 正弘は、頷いた。百合子はペレイナの後ろに回ると、その背を軽く押した。

「じゃ、決まりってことで」

 ペレイナは状況を判断しかねていたが、百合子に押されるがままに進み、花壇の傍のベンチまで歩かされた。
視界の隅で、透が嬉しそうにしているのが見える。何がそんなに嬉しいのだろう、との疑問が湧いてしまう。
百合子に両肩を押さえ込まれたペレイナは、ベンチに座らされた。その膝の上に、透の弁当箱が置かれる。

「大した、ものじゃ、ないですけど」

 ペレイナの隣に座った透は、身を縮めた。百合子は、隣のベンチにいる鋼太郎の隣に座る。

「透君のお弁当だもん、大したことあるよお」

「デハ」

 ペレイナは膝の上に乗せられた弁当箱を見下ろし、紺色の巾着袋を開き、二段重ねの弁当箱を取り出した。
いただきまーす、と百合子の元気の良い声が上がったので、ペレイナは弁当箱を開けて、中身を見つめた。
透のものと、全く同じものが入っていた。煮物、卵焼き、ごま和え、浅漬け。それらを、慎重に食べていった。
味としては、昨日のケーキの方が華やかだった。透の料理は、見た目にも、どちらかと言えば地味な部類だ。
だが、こちらの方が良いと思っていた、なぜだろう、とペレイナは思ったが、疑問の答えはやはり出なかった。
 百合子の、弾けるようなお喋りが続いている。鋼太郎は鬱陶しそうにしていながらも、妙に楽しそうだった。
その合間に、正弘と透が会話する。ペレイナも話し掛けられたので、当たり障りのない答えを返していた。
そうこうしている間に、昼休みは終わってしまった。またねー、と百合子は手を振りながら、校舎に戻った。
百合子と同じクラスである鋼太郎は百合子に伴って戻っていき、正弘は次の授業がある教室へ向かった。
 ペレイナは透と連れ立って、校舎に戻ることにした。校庭に出ていた生徒達も、会話しながら帰ってくる。
昇降口に入ってローファーを上履きに履き替えていると、透はほんのりと頬を染めながら、ペレイナに笑んだ。

「あの」

 ペレイナが顔を上げると、透は空になった二つの弁当箱を大事そうに抱き締めた。

「ペレイナさん。お弁当、おいしかった、ですか?」

 ペレイナはどう答えるか考えるよりも先に、言葉が出ていた。

「エエ。おいしかったデスヨ、山下サン」

 透は破顔すると、じゃ、私は先に行っていますから、と小さく頭を下げて生徒の行き交う廊下を歩いていった。
ペレイナはその背を見送っていたが、自分の答えの意味を考えた。手製の弁当を食べるのは、今日が初めてだ。
だから、善し悪しなど解らないはずだ。なのに、良いと思った。その感情は、疑問を押し退けるほど力強かった。
 見ているだけでは、何も変わらない。ペレネアの言葉の意味を何度も思い返しながら、ペレイナは歩き出した。
その意味が、朧気ながら理解出来たような気がする。だが、決して、その全てを理解出来たというわけではない。
だが、空しくはなかった。悔しくもなかった。ペレネアの経験した話ではなく、ペレイナの経験だからなのだろう。
透への愛着が、一層強くなった。そして、彼女の友人である三人への関心も、任務を越えたものになりつつあった。
 もっと、彼らのことを知りたい。任務の枠を越えて、個人として、彼ら四人に接してみたい欲求が次第に強くなる。
ペレイナは足を止めて、窓の外を見やった。雲一つない快晴だ。その眩しい色が、心の隅々まで染み通っていく。
梅雨はまだ終わっておらず、晴れるのも久々だ。真昼の強い日差しを全身に浴びた濡れた草木が、輝いている。
 自分が変わるだけで、世界はこんなにも色を得るというのか。ペレイナは素直に、そして正直に、驚いていた。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったので、ペレイナは教室に向かった。変化の兆しが、胸の内で輝いている。
それはとても目映く、美しいと感じた。明日も透と話そう。そしてまた、あの三人とも会話を交わしたいと思った。
言うならば、欠片だ。平坦だったペレイナの自我に割り込んだ異物も同然であり、輝きと共に違和感も強かった。
 けれど。もう、疑問は湧かなかった。






07 2/20