アステロイド家族




レイニー・ブルー



 雨は、止みそうにない。
 リビングの窓から外を眺めながら、マサヨシはぼんやりしていた。こうも薄暗いと、なんとなく頭が冴えなかった。
コロニーの湿度を保つために降る雨は、空を映すスクリーンパネルの間のスプリンクラーから吐き出されている。
雨と言っても、極めて清潔な雨だった。フィルターで濾過してあるので、そのまま飲んでも支障がないほど綺麗だ。
地面に満遍なく降り注いだ水が地中の鉄分と反応して醸し出す匂いが、窓の隙間から家にも流れ込んでいた。
雨に濡れるのは好きではなかったが、この匂いは好きだった。人工物では出せない、生の匂いだからなのだろう。

「お帰り、ハル」

 ソファーに座ったマサヨシは、外から帰ってきた娘に向いた。ハルの髪には、雨粒がビーズのように付いていた。

「ただいま。おじちゃん、お外で特訓してくるんだって」

「そうか」

 マサヨシはハルを招くと、タオルを取り、ツインテールに結われた金髪に付いた雨粒を拭き取った。

「外へ出る時は傘を差していけって言ったじゃないか」

「だって、おじちゃんちはすぐなんだもん。別にいらないと思って」

 ハルは髪を拭かれながら、返した。マサヨシはハルの髪を拭き終えてから、身を屈めて目線を合わせる。

「だが、あまり濡れると、せっかく可愛くしてもらった髪が台無しになるぞ?」

「みぃみぃ、そうですよぉ」

 キッチンでボウルを抱えて生クリームを泡立てていたミイムは、一旦その手を止めた。

「それに、具合を悪くしちゃったら大変ですぅ。そんなことになったら、ボクもそうですけど皆が心配しますよぉ」

「そうっすよそうっすよー。だから、雨の日は良い子にしてるのが一番っす」

 リビングテーブルの前で胡座を掻いているヤブキは、太い指で器用に折り紙を折っていた。

「んで、オイラはあとどれぐらいツルを実演販売しなきゃならないんすか? もう百は折った気がするんすけど」

「もうちょっと折りやがれですぅ。ボクが覚えるまでやりやがれですぅ」

 ミイムは泡立て器で生クリームを持ち上げ、泡立ち具合を確かめた。

「でも、そっちで仕事してたら覚えようにも覚えられないんじゃないっすか?」

 ヤブキは百数体目のツルを折り終えると、リビングテーブルの端に押しやり、もう一枚折り紙を取った。

「サイコキネシスの精密訓練がしたいって言うから、オイラが折り紙を教えてやろうってのに、肝心要のミイムが何かやっていたんじゃどうにもならないじゃないっすか」

「みゅふーん。ボクを甘く見ないでおきやがれですよぉ」

「だったら、後で折り方を教えてくれとか言わないでほしいっす。ぶっちゃけた話、オイラもツルばっかりじゃ飽き飽きしてきたんすけど。そろそろ別なものを折りたいんすけどねぇ」

 ヤブキは折り紙を半分に折って三角形にすると、それを更に半分に折り、縦に開いて袋状にした。

「お兄ちゃん、ツルの他にはどんなのが折れるの?」

 ハルは、ヤブキの隣にちょこんと座る。ヤブキは、んー、と少し唸った。

「つっても、そんなに難しいのは折れないっすけどね。やっこさんとか、手裏剣とか、そういうのっすよ」

「シュリケンって、もしかしてあのシュリケン?」

 身を乗り出してきたハルに、ヤブキは頷く。

「そうっすよ。なんだったら、一杯作ってムラサメごっこでもするっすか?」

「するするー!」

「じゃ、オイラは誰をやるかなーっと」

 ヤブキは折り紙を入れていた箱からハサミを出すと、折り紙を半分に折り、切った。

「私はユリカちゃんやるぅー!」

 ハルは浮かれ、ぴょんぴょんと跳ねている。ヤブキは手際良く、半分に切った折り紙を折っていく。 

「ではオイラは四天王の鉄砲のカズマでもやるっすかねー。ごっこ遊びは悪役がいないと締まらないっすからね」

「じゃ、ボクはトオリちゃんでもやりますか」

 ミイムは冷蔵庫から果物を取り出すと、水で軽く洗い、まな板に載せて細かく切り分けていく。

「えぇー。ミイムなんかじゃトオリの絶妙な魅力は到底表現出来ないっすよー」

 不満を露わにするヤブキに、ミイムは包丁を向けて目を据わらせる。

「ボクもムラサメごっこに混ぜないと、三時のおやつのクレープを食べさせてあげませんからねっ! ていうかボクはトオリちゃんが好きなんですぅ!」

「最初はムラサメ自体にドン引きしていたくせに、ハマっちゃうとマジ現金っすねー、現金」

 だが、ヤブキはしれっとして手裏剣を折っている。ミイムは包丁を下げ、気恥ずかしげに顔を背ける。

「トオリちゃんが可愛いのがいけないんですぅ! 大体、あんなに儚げなのに戦闘能力が凶悪って反則ですぅ!」

「じゃ、今日はどのエピソードを見るっすか? トオリ編はもう三回も見返したっすから、オイラとしてはコウノスケ編でも見返したいっすよ。いや、マスター・シズナ編も捨てがたいっすねぇ。あれは良いエロ強化月間だったっす」

 そういうマサ兄貴は、とヤブキはマサヨシに急に話を振った。マサヨシは少し考えてから、答えた。

「そうだな。これから訪れる最終話に向けた復習も兼ねて、巷ではもっぱら伏線消化編と言われているムラサメ編でも見返すべきじゃないのか? 脚本家がいくつか伏線を取りこぼしている気もするが」

「あー、それもいいっすねー。ムラサメ編は話が面倒っすけど、その分歯応えがあるっすからねー」

 決定っす決定、とヤブキは頷いた。

〈でも、家の中でごっこ遊びなんてちょっと難しいんじゃないかしら? ハルちゃんには充分な広さだろうけど、あなた達にとっては狭いと思うんだけど〉

 マサヨシの傍に浮かんでいたサチコが、皆を見渡した。ヤブキは二つの部品を合わせ、手裏剣を作った。

「それは大丈夫っすよ。皆の部屋を使った陣取りゲームみたいにしちゃえば、無駄な被害も出ないっす。ていうか、まともな戦闘状況さえ作らなきゃ立ち回る必要もないっすからね」

「ヤブキにしては考えたな」

 マサヨシが言うと、ヤブキは出来上がったばかりの手裏剣を構えた。

「じゃ、マサ兄貴は鉄輪のナデシコをやるっす! 四天王のお色気担当っすから頑張らなきゃっすよ!」

「…へ?」

 マサヨシが目を丸めると、サチコはマサヨシの傍に寄ってきた。

〈鉄輪のナデシコは私も好きよ。品が良くてお淑やかなのに冷酷非道、っていうギャップが素敵よね〉

「だが、それを俺がやるというのは…」

 マサヨシが渋ると、サチコは更に間を詰めてくる。

〈あら。鉄輪のナデシコはムラサメの登場キャラクターの中でも一番の知性派よ。マサヨシにぴったりだわ〉

「だが、女だぞ?」

〈でも、知将なのよ? 他の四天王なんて力馬鹿ばかりじゃないの。マサヨシには似合わないわ〉

「だがな…」 

 マサヨシは辟易し、やや身を引いた。すると、ハルがマサヨシの足元に駆け寄ってきた。

「パパも一緒がいい! ナデシコでも誰でもいいから、皆で一緒に遊ぶの!」

「そう言われると弱いんですよねぇ、誰だって」

 ふみゅうん、とミイムは得意げに笑んだ。ハルは目を輝かせながら、マサヨシを見上げてくる。

「パパぁ」

「解った。だが、次は俺が鉄砲のカズマだ。四天王の中ではカズマが一番好きなんだ、渋いからな」

 マサヨシは立ち上がると、笑った。

「そんじゃ、オイラは手裏剣を量産するっす。この分だとどっさり入り用っすからねー」

 ヤブキは浮かれながら、手裏剣にするために折り紙を次々に半分に折り、それをまとめて切っていった。

「だったら、ボクはその間にクレープの生地を焼きますぅ。クリームもフルーツもたっぷり入れますよぉ」

 みゅふふふ、とミイムもまた楽しげだった。二人の仲は多少ぎこちない部分もあるが、今のところは平穏だった。
マサヨシが二人に与えた処罰にも等しい荒療治が効いたらしく、ミイムはヤブキに対する態度を随分軟化させた。
それまでは、ミイムは殺意すら感じるほどの敵意と嫌悪を剥き出しにし、ヤブキも攻撃的に応酬するようになった。
言い争いも激化する一方で、このままでは家族関係に深い溝が出来てしまう可能性もあったので対応策を取った。
 それは、手錠で二人を拘束するという手段だった。だが、それは賭に近いもので良い結果になるとは限らない。
下手をすれば、更に仲が悪くなってしまうかもしれない。お互いの良心が働くことに懸けた、無謀な作戦だった。
だが、連日の言い争いと様々な騒動で頭に血が上っていたマサヨシにはそれ以外の作戦が思い付かなかった。
今にして思えば、上手く行く方がおかしい素っ頓狂な作戦だったが、結果には良かったので良しとしておくべきだ。
 手段はどうあれ、結果は結果だ。二人がニンジャマスター・ムラサメという共通の話題を持ったのも、良いことだ。
その話題が特撮ヒーロー番組だと言うことは少しばかり引っ掛かったが、マサヨシも好きなので文句は言えない。
 ミイムはハルからリクエストされたクリームとフルーツがたっぷり入ったクレープを作るべく、下拵えをしている。
ヤブキはハルに作り方を教えてやりながら、手裏剣を量産している。サチコはマサヨシと共に、皆を見守っている。
この場にイグニスがいないのは残念だが、彼も今頃は宇宙でレーザーブレードを振り回して暴れていることだろう。
 雨の日の午後は、とても平和だ。




 異文明の成した巨大な物体が、惑星を巡っていた。
 それは見るからに脆弱な外装に覆われているコロニーで、攻撃を受ければすぐに粉々に砕け散りそうだった。
あまりの文明の低さに、苛立ちさえ感じていた。この星系に住まう生命体は、構成物質からして劣っているようだ。
同族の反応さえなければ、目も向けなかった星系だ。銀河系の端にある時点で、レベルが低いことは解っていた。
星系に入った際に様々なデータベースにアクセスし、ありとあらゆる情報を調べ回ったが、予想通りの文明だった。
 二足歩行型哺乳類が発達させた文明。汚染された母星を捨てて宇宙に進出したのが、たったの一千年前だ。
そんな文明が、優れているわけもない。興味を持つことすら愚行だ。同族の反応があったから、訪れただけだ。
それを感じたからこそ、数万光年もの距離を飛んできたのだ。反応さえなければ、近付きもしなかっただろうが。
だが、あちらはこちらの反応に気付いてないようだ。それはそれで好都合だ、奇襲を掛けるに最適ではないか。
同族と言えど、相手は機械生命体随一の劣等種族なのだ。気を遣うには値しないのだから、潔さも必要なかった。

『んで、ここでいいわけ?』

 すると、通信に女の声が入ったので、トニルトスは第一公用語に変換した合成音声を返信する。

「貴様に感謝することなど愚劣極まる」

〈では、お客様。ここでよろしいのですね〉

 宇宙船の格納庫から出てきた大型の人型兵器が、トニルトスの傍までやってきた。

〈太陽系第五惑星、木星衛星軌道上までお届け致しましたので、付きましては諸経費をお支払い下さいませ〉

「なんだと?」

 トニルトスは、六メートル大の身長の人型兵器を睨んだ。人型兵器はうやうやしく胸に手を当て、礼をする。

〈それが私とマスターの仕事でございますので、どうぞお支払い下さいませ〉

『ていうか、宇宙船のタダ乗りなんて出来るわけないでしょうが。なんでもいいから支払ってよ、換金するから』

〈と、マスターも仰っておりますので〉

 どうかお支払い下さいませ、と再度頭を下げられた。トニルトスは背部から長剣を抜きかけたが、ぐっと堪えた。
ここでこの低俗なロボットを薙ぎ払うのは簡単だったが、それではカエルレウミオンの将校としての名が廃る。
運賃を踏み倒すことなど、誇り高きカエルレウミオンの将校として、戦士として決して褒められる行為ではない。

「これで良いか」

 渋々、トニルトスは背部の収納部分を開くと、固形エネルギーを取り出して人型兵器に手渡した。

〈私の査定に寄りますと、これがもう三個ございましたら諸経費の七千クレジットに到達いたします〉

 人型兵器は淡い光を放つ固形エネルギーを眺め回していたが、トニルトスに左手を出した。

「…ふん」

 トニルトスは同じサイズの固形エネルギーを三個取り出すと、人型兵器の手に叩き付けた。

「ならば、これで良いだろう! 今後、私と貴様らが出会うことはない!」

〈ありがとうございました。ジェファーソン運送のまたのご利用をお待ちしております〉

 アステロイドベルト方面に向かって飛び立つトニルトスに向けて、人型兵器、セバスチャンは深々と頭を下げた。

〈マスター。それでは、私達は次の仕事に参りましょう〉

『それがいいね。機械生命体ってのは、どいつもこいつも気難しくて参るわ』

 セバスチャンの通信に、主であるジェニファーの声が入った。

〈そうですね。イグニスさんも、私には到底理解しがたい思考パターンをお持ちです〉

『セバスチャン、戻っておいで。補給しにいくよ』

〈了解しました、マスター〉

 セバスチャンは主のいるブリッジに向けて深々と礼をしてから、セバスチャン専用カタパルトに降下していった。
ブリッジの艦長席に座っているジェニファーはセバスチャンを艦内に回収しながら、次の仕事のことを考えていた。
目の前に広げたホログラフィーに書かれた依頼内容は、報酬こそ立派だったが、その内容はあまり良くなかった。
今し方運んできたトニルトスという輩に絡んだもので、ジェニファーがトニルトスと接触することを前提にしていた。
それ自体がまず気味が悪かったが、報酬だけは良い。嘘の情報を流すだけで五十万クレジットなどかなり法外だ。
ますます怪しいが、ここのところジェニファーも困窮している。セバスチャンの改造に手を掛けすぎてしまったのだ。
先日のイグニスのゴミを売り捌いたおかげで若干潤っていた懐も寒くなってしまい、エネルギー代も削っている。
だが、それでは運び屋稼業が成り立たなくなる。ジェニファーはホログラフィーを見つめていたが、にやりと笑んだ。

「悪く思わないでよね」

 ジェニファーはホログラフィーペンを取ると、依頼書の下に署名し、契約した。

「マサヨシ」

 こちらも商売だ。仲良く馴れ合うのも結構だが、時に利用し、そして騙す。この世界に、裏のない者などいない。
心は欠片も痛まない。傭兵と運び屋は近しい立場だが、商売敵でもある。だから、充分利用させてもらうだけだ。
マサヨシは相当人が良いのでジェニファーを友人だと思っているようだが、ジェニファーにとってはそうでもない。
所詮、食い扶持を稼ぐためのカモに過ぎない。イグニスの掻き集めたスペースデブリも、契約よりも多めに取った。
この広い宇宙で、信じられるのは愛すべきセバスチャンと自分自身だけだ。それ以外は決して信じたことはない。
 トニルトスの目的はイグニスの抹殺だ。太陽系外から輸送する間、トニルトスはイグニスの情報を求めてきた。
もちろん、トニルトスには有償で情報を与えた。その結果、何がどうなろうともジェニファーの知ったことではない。
金がなければ生きていけない。生きていけなければ馴れ合っても意味はない。あんな家族ごっこには虫酸が走る。
 誰が死んでも、どうでもいい。







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