アステロイド家族




紫電一閃



 宇宙空間を漂う機械油の一粒さえも、凍り付いたかのようだった。
 過熱する戦闘衝動を全身から放っていた赤き戦士は、今正に振り下ろさんとしていた刃を寸前で止めていた。
伏せられた顔の表情は窺えない。だが、先程まで荒々しく迸らせていた戦意は、暗黒の宇宙に吸い込まれていた。
誰もが、最後の一撃で勝負が付くと思っていた。マサヨシも、トニルトスでさえも、イグニスの勝利を確信していた。
だが、彼の刃はトニルトスを貫かなかった。レーザーブレードの赤い閃光が青き装甲を照らし、紫に染めていた。

「貴様の感情回路には、変調警報と電圧異常シグナルが走り続けている」

 赤く輝く刃を見据えながら、トニルトスはオイルの伝う顔を上げ、センサーが感知した異常を読み上げた。

「過熱による冷却不全で各部に過負荷が掛かり、警報も鳴っている」

 無機質で冷淡ながらも、同情に似た感情を湛えた眼差しが赤き装甲の同族を見つめる。

「なぜ怯える、イグニス」

 トニルトスの胸元に向けた刃の先が、僅かに震えているのが解った。それが信じられなくて、イグニスは嗤った。

「怖いことなんて何もありゃしねぇよ、あるわけがねぇだろうが!」

「ならば、なぜ私を殺さん」

「ああ、殺すよ、殺してやるよ、そのつもりで俺は!」

 レーザーブレードの柄を握る手が、空しく軋んだ。トニルトスの胸部装甲を貫こうとしても、力が入らなかった。
なぜ殺せない。何に怯える。どうして迷う。イグニスはトニルトスと睨み合いながら、心中の歯痒さと戦っていた。
トニルトスは戦うことを諦めていない。両腕を砕かれようとも、その足は動き、推進装置は生きているのだから。
早々に決着を付けなければ、後が面倒だ。早く動力機関を破壊して、首を落とし、武器を奪い、粉々にするのだ。
これまでもそうしてきた。これからもそうするはずだった。なのに、高ぶった戦意と本能が縮み上がり、消えていく。

「ならば、私が貴様を殺そう!」

 トニルトスの足が上がり、イグニスの腕が弾かれる。

「ぐっ!」

 右腕からレーザーブレードを弾き飛ばされ、上体が大きく反れる。トニルトスの足は、左腕も蹴り付けてきた。
彼の所有物である長剣までもを弾かれ、イグニスは武器を失った。トニルトスは加速し、イグニスに向かってくる。
膝を曲げ、そのままイグニスの顔面に叩き込む。イグニスは反射的に逆噴射をしたが、勢いを殺し切れなかった。
首関節が鈍く軋み、メインシャフトのジョイントがずれてしまいそうだった。姿勢を戻すよりも先に、追撃が加わる。
 トニルトスの足が、イグニスの背中を抉る。厚い装甲の下に隠されたスラスターを、装甲ごと歪めて押し潰した。
その傷口を深めてから、トニルトスはイグニスの肩を蹴って急上昇し、宇宙空間に放り出された愛剣に接近した。

「返してもらうぞ、我が剣を!」

 トニルトスは右腕の肘から先を自切すると、露わになった関節のジョイントに直接長剣の柄を接続した。

「ルブルミオンの罪を償いたければ、その穢れた命を差し出すがいい!」

 白銀の刃を携えた青き戦士が、高速で迫ってくる。イグニスはマサヨシから通信を受けたが、聞こえなかった。
怯えていた理由を思い出したからだ。本能に負けて戦いに溺れそうになったとしても、忘れられないことはある。
 HAL。マサヨシの愛機の尾翼に付けられたマーキングを目にして、イグニスは彼を殺せなかった理由を悟った。
トニルトスを殺せば、ハルを通じて得た人並みの心が再びどす黒い殺意に塗り潰されてしまい、居場所も失う。
何のために生きてきたのか解らなかった。何のために生き延びたのか解らなかった。だが、ハルは教えてくれた。
戦いしか知らなかったイグニスの知覚回路に愛情を教えてくれ、また、愛される喜びも初めて知ることが出来た。
目が覚めた途端に、体が本能的に動いていた。ここで死ぬわけにはいかない、ということも思い出せたからだ。

「ほう…」

 トニルトスが、少々感心した。イグニスは右腕でトニルトスの剣を受け止め、スラスターを強めて踏ん張った。

「まだ戦意は残っていたようだな」

「当たり前だろうがあ!」

 イグニスはトニルトスの右腕を剣ごと押しやり、左腕の外装を開いてレーザーブレードジェネレーターを出した。
トニルトスが身を下げるよりも先にレーザーブレードを長く伸ばし、トニルトスの左肩のジョイントに突き刺した。
赤く光る刃が飲み込まれ、関節を繋ぐ太いシャフトが溶け、ケーブルも千切れていく。そして、刃は押し切られた。
トニルトスの左肩から先は切り落とされ、落下する。オイルと電流を散らしながら、トニルトスは左肩を下げた。

「う…」

 イグニスはトニルトスの剣を右腕から引き抜くと、トニルトスの胸元にレーザーブレードの先端を据えた。

「トニルトス。もう二度と、俺の前にスカした面を見せるんじゃねぇ」

「戯言を! 私は誉れ高きカエルレウミオンの戦士だ、たとえ両腕を失おうとも我が魂は挫けん!」

「死にたがるのもいい加減にしろよな!」

「貴様、何を言い出す」

「そんなのはただの言い訳に過ぎねぇだろうが! てめぇが俺を裁こうが煮ようが焼こうが何しようが、俺達の星が滅んだことには変わりねぇだろうが! 今はもうルブルミオンどころかてめぇのカエルレウミオンも存在していないんだぞ! てめぇが俺を殺したところで何が生まれる、俺がてめぇを殺したところで誰が喜ぶ! 知ってたら教えやがれってんだ!」

「私も貴様も戦うためだけに生きている! そのために生まれたのならば、そのために生きる他はない!」

「…そいつも言い訳だ」

 イグニスはレーザーブレードを消し、首を横に振る。

「だが、戦わなきゃ喰っていけねぇのも確かだ。この図体を支えるためのエネルギーもタダじゃねぇしな」

 イグニスはトニルトスに背を向け、語気を弱めた。

「いいから、とっとと消えやがれ。俺はもう、同族を殺したくねぇんだ」

「ならば、貴様が死ね!」

 トニルトスは急加速し、イグニスの背に膝を叩き込んだ。背面部の外装が大きく歪み、腹部にまで傷が及ぶ。
トニルトスの加速は続く。イグニスが抗わないため、トニルトスの膝はイグニスの背を抉り、遂には貫き通した。
燃料タンクが割れ、動力機関も破損した。イグニスは貫かれた腹部を押さえ、肩を震わせながら小さく笑った。

「俺は…馬鹿だな」

 動力機関が過熱を始めている。指の隙間から流れ落ちる機械油の筋は、太陽光を浴びて艶々と光っている。
死にたいわけがない。帰るべき場所があるからだ。だが、殺さないためには殺されるしかないのも事実だった。
解り切っていることだ。機械生命体は殺されないために殺し合っていたのだから、殺さなければ死ぬのが道理だ。
 腹部を貫いたトニルトスの足が、上向いた。このまま上半身を割かれるのだろう、とイグニスは覚悟を決めた。
だが、トニルトスの足の動きが止まった。イグニスは訝しみながら振り返ると、トニルトスの足がずるりと抜けた。
銀色の船体から照射されている四本のレーザーロープがトニルトスの上半身を拘束し、後方へと牽引していた。

「マサヨシ」

 イグニスは腹部に空いた穴を押さえながら、振り返った。

『お前が戦うのは勝手だが、死なれては困るんでな』

 マサヨシの口調は普段通りだったが、イグニスにとってはその素っ気なさがありがたかった。

「だったら、もっと早く動きやがれ」

「邪魔をするな、蛮族!」

 トニルトスは身を捩ってレーザーロープを振り払おうとするも、両腕がない状態では弾くことすら出来なかった。
すると、後頭部にパルスビームが撃ち込まれた。威力はそれほどでもなかったが、回路のパルスが阻害された。
トニルトスは非常用回路に切り替えようとするも、先程の戦闘で消耗しているためにエネルギーが回せなかった。

『これより本船は帰還する。以上だ』

 気を失ったトニルトスを引っ張り上げて船腹に固定したマサヨシは、淡々とイグニスに命じた。

「色々と聞かねぇのか?」

『今のお前では、聞いたところで話してくれるとも思えないからな』

「お優しいことだな」

 イグニスは上昇すると、トニルトスの両腕と長剣を回収し、自分自身のレーザーブレードも回収した。

「んで、そいつをどうする気だ? まさか連れて帰るとかほざいたらぶっ飛ばすぞ」

『たまには俺がゴミを拾うのもいいだろう』

「おいおい…」

 イグニスはガラクタも同然のトニルトスの両腕を抱えたまま、左翼の上に座り込んだ。

〈そうねぇ。この件に関しては私も意見を述べたいところだけど、前例があるから文句を付けても無駄でしょうね〉

 サチコですらも、マサヨシに意見することを諦めている。

『イグニスとは顔見知りのようだし、放り出してしまうのはあまり気分が良くないしな。それに、このまま宇宙に転がしておけば、どこの誰に見つけられて何をされるか解ったもんじゃない。こうしてこいつと関わってしまった以上は、うちでなんとかするべきだろう』

「簡単に言ってくれるけどよ…」

 イグニスは左翼の外装を開いてハンドルを出すと、その中に足を突っ込んで引っ掛けてから、胡座を掻いた。

『安心しろ、俺もそう安易な判断を下しているわけじゃないさ』

「とてもそうは思えねぇがな」

 イグニスはオイルの滴るトニルトスの両腕を胡座の間に突っ込むと、背を丸めて頬杖を付いた。

『とにかく、長話は帰ってからしようじゃないか。あまり仕事が長引くと、ハルが寂しがって泣くからな』

「道理だな」

 イグニスはその言葉に、少しだけ声色を緩めた。マサヨシはそれきり何も言わず、ワープドライブを開始した。
程なくして、スペースファイターはワープ空間に突入した。突入する際の気分の悪さは、やはり改善出来ない。
周囲の光景が歪み、引き延ばされていく。イグニスはワープ空間から出ないように気を付けつつ、身を屈めた。
スペースファイターの船腹に固定されている両腕を失ったトニルトスは、目を覚ましたらどんな反応をするだろう。
有機物にまみれ、矮小な炭素生物達が暮らす廃棄コロニーに匿われていると知ったら、まずは怒るに違いない。
だが、機械生命体としてはそれが健全な反応だ。むしろ、真っ向から順応されてしまってはその方がおかしい。
しかし、トニルトスがまともに家族になってくれるとは思えない。ミイムやヤブキほど、適応能力は高くないだろう。
 不安要素は増える一方だが、その反面安堵していた。数少ない同族を殺せなかったことが、少し嬉しかった。
機械生命体として生まれた以上、本能に勝てないことは解っている。だが、少なくとも理性は備わるようになった。
戦って誰が喜ぶのか、手を穢して誰が悲しむのかも充分解るようになった。それだけでも大きな進歩ではないか。
 戦いこそが使命だが、戦いだけが人生ではない。




 その頃。昼寝から起きたハルは、外に出ていた。
 眠る前に読んでもらった絵本の内容が忘れられなくて、わくわくしながら外に出てみたが、期待外れに終わった。
辺りを見回してみるも、それらしい影はない。家の裏手やイグニスのガレージを覗いてみるが、やはり何もない。
もっと探してみよう、とハルは意気込んだ。ヤブキの耕した畑に向かいながら辺りを見るが、やはり、何もいない。
これだけ広いんだから何かいてもいいのに、とハルは少々不機嫌になったが、ここで諦めては根性が足りない。

「どうしたんすかー、ハル?」

 畑の傍をハルがうろついていると、畑の中のヤブキから声を掛けられた。ハルは足を止め、ヤブキに返す。

「探してるの!」

「何をすか?」

 泥に汚れた軍手を払いながら、ヤブキはハルに近付いた。ハルは背伸びをし、両腕を広げる。

「でっかいワンちゃん!」

「そりゃまたどうして」

「だって、欲しいんだもん。お散歩したいもん、遊びたいもん!」

 ハルは目を輝かせながら、ヤブキに詰め寄る。

「お兄ちゃん、ワンちゃん知らない? おうちで飼うの!」

「あー…そう来たっすかー…」

 ヤブキは汚れた軍手を外して作業着のポケットに突っ込むと、身を屈めてハルと目線を合わせた。

「そういうことはマサ兄貴に相談するっすよ。オイラの一存じゃどうにもならないっすからね」

「そうなの?」

「そうっすよ」

「じゃ、パパが帰ってきたらお願いするね!」

 ハルは身を翻すと、頼りない足取りで駆けていった。ヤブキはその背を見送りつつ、苦笑した。

「ペットかぁ…そいつはまた面倒なことになりそうっすね」

 ヤブキにも覚えがある。といっても、ヤブキではなく、妹のダイアナが寂しさを紛らわすために欲しがったのだ。
だが、コロニー内でペットを飼うには様々な許可が必要で、子供に過ぎなかったヤブキでは許可が取れなかった。
そのため、ダイアナからひどく責められてしまった。最終的には許可が少なくて済む金魚で我慢してもらったが。
この廃棄コロニーではそういった規定はないので動物自体は飼えるかもしれないが、飼った後が問題なのである。
 マサヨシもハルには甘いので許してくれるかもしれないが、子供という生き物は熱しやすいが非常に冷めやすい。
ヤブキも、ダイアナがきちんと世話をすると言ったので金魚を飼い始めたが、ダイアナは一ヶ月もしないで飽きた。
その後はよくあるパターンでヤブキが世話をする羽目になってしまい、さすがにその時は妹を少なからず疎んだ。
 先が思い遣られる。ヤブキはペットを飼うべきではないと思いつつも、ハルのためには必要か、とも思っていた。
それに、また新しい家族が増えることは、悪いことでもなんでもない。ヤブキも、どちらかと言えば動物は好きだ。
 ペットを飼う日が来たら、存分に可愛がってやろう。







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