アステロイド家族




愛玩か死か



 予想外の物体の登場に、ヤブキは理解するのに時間が掛かった。
 庭先に座り込んでいる物体は両腕こそ付いてなかったが、金属で成した肉体を持つ機械生命体に他ならない。
外装はブルーを基調としており、背部には推進装置と長い翼が付いているので、機動力に長けているようだった。
足はイグニスとは違って線が細いが、しなやかに動きそうだ。両側頭部には、翼に似た形状のアンテナがある。
見ようによってはそれがイヌの耳にも見えないこともなかったが、何度見直しても、これは愛玩用のイヌではない。

「…えーと」

 ヤブキは上機嫌なハルに向き直り、青い機械生命体を指した。

「本当にこれがワンコなんすか?」

「うん、そうだよ。おじちゃんがグンのイヌだって言ったから、きっとおじちゃんの星のワンコなんだよ」

 ハルはヤブキの傍に立ち、青い機械生命体を見上げた。

「この子ね、トニルトスって言うんだけど、長いからトニーちゃんって呼ぶの。とってもお利口さんなんだよ。今は腕がないからお手もお代わりも出来ないけど、お座りとちんちんはきちんと出来るんだよ。でね、ホマレタカキショーコーなんだって」

「そうっすか…。ていうか、将校って…」

 ヤブキはリアクションに困り、曖昧な返事をした。

「ところで、トニー兄貴はイグ兄貴のお仲間っすか?」

「断じて違う。私は正義を貫いたカエルレウミオンの戦士であるが、イグニスは愚行の限りを尽くしたルブルミオンの雑兵に過ぎん。確かに私とあれは同じ機械生命体ではあるが、系列も違えば属していた軍も違う上に地位も才能も知能も段違いだ。同列に扱われることからして、不愉快極まりない」

「リアルツンデレってやりにくいっすねー。いや、まだデレ要素は皆無だからツンツンかな?」

「なんだその不可解な単語は」

「オイラは諸事情でこのコロニーに居候している、元二等兵のジョニー・ヤブキっす! ちなみに外骨格強化型武装フルサイボーグっす! トニー兄貴、今後ともよろしくお願いするっす!」

「二等兵如きが私に言葉を向けるだけでも不愉快だ、失せろ」

「いやいやいや、ここでは二等兵も将校もへったくれもないっすから」

「それが上官に対する態度か。訓練学校でその歪んだ回路を叩き直されてこい」

「いやいやいや、オイラはその訓練学校すら卒業出来なかったんすよ」

「では尚更だ、民間人は軍人を敬うのが常識だ」

「なんつー軍国主義っすか」

 ヤブキはなんだか面倒になってきたので、玄関の傍に建てかけておいた鍬を担いだ。

「じゃ、オイラは畑仕事に向かうんで、ハルはトニー兄貴のお世話を頑張って下さいっす」

「待ちやがれですぅ!」

 不意に、ヤブキの作業着の襟首が後方へ強く引っ張られたので、ヤブキは上体を大きく仰け反らせてしまった。
ヤブキは渋々振り返ると、庭の物干し場で洗濯物の入ったカゴを抱えているミイムがヤブキをじっと睨んでいた。

「いきなり何するんすか」

 ヤブキが聞き返すと、ミイムはサイコキネシスを切ってヤブキの襟首を開放した。

「ヤブキがトニーさんのお世話をするですぅ。このままだと、ハルちゃんに何をするか解らないですぅ」

「そんなに心配だったらミイムがトニー兄貴を見張ればいいじゃないっすか」

「ボクには家事という立派な仕事がありますぅ」

「オイラにも畑仕事っつー皆の食生活を支えるための重大な任務が」

「でもハルちゃんの身の安全には変えられません」

「そりゃそうっすけど、だったら家族の中でも最弱のオイラじゃなくて戦闘力五十三万ぐらいのミイムの方が」

「だから尚更なんですぅ。たまには兄貴の甲斐性を見せやがれですぅ」

「とかなんとか言って、本音は機械生命体と関わるのが面倒だからじゃないっすか?」

「いいからつべこべ言わずにトニーさんを躾けるんですぅ!」

 痛いところを突かれたミイムは、誤魔化すためにサイコキネシスでヤブキの担いでいた鍬を叩き下ろした。

「どぉわっ!」

 ヤブキは素早く身を翻すと、足元に鍬が深々と突き刺り、抉れた土と芝生が飛び散った。

「では、ボクはお洗濯に戻りますぅ。みゅふふふーん」

 ミイムは慈愛に満ちた柔らかな微笑みを浮かべて、フリルの付いた白いエプロンをなびかせながら庭に戻った。

「お兄ちゃあん」

 ヤブキの作業着の裾を、ハルが引っ張っている。ヤブキもハルには逆らえず、承諾した。

「解ったっすよ。トニー兄貴を立派な下僕という名のペットにするために、オイラもお世話を手伝うっすよ」

「下僕は貴様らの方だ。機械生命体こそが尊い生命体であり、炭素生物など原始的で下等極まる存在で」

「さー、これから広いところに行って、一杯芸を覚えさせるっすよー」

 ヤブキはハルの手を取ると、歩き出した。ハルはトニルトスを手招きする。

「おいで、トニーちゃん。広場で遊ぼうよ」

「だから、人の話を聞かんか!」

 トニルトスは声を荒げるも、二人の足は止まらない。聴覚センサーが壊れているのではないか、と思ったほどだ。
ヤブキと名乗った疑似人体使用者の無線に周波数を合わせた電波で再度同じことを伝えるも、反応はなかった。
やりづらくて敵わない。トニルトスは仕方なしに腰を上げ、手を繋いで歩く二人が進む先へ向かって歩き出した。
両腕さえ壊れていなければ、こんなことにはならなかった。覚醒と同時にイグニスを殺し、破壊の限りを尽くした。
透視スキャンを掛けてコロニーの内部構造を調べてみたが、こんな柔な構造では五分足らずで破壊出来そうだ。
パルスビームガンを内側から照射すればすぐに吹き飛ぶし、長剣に電磁バリアを纏わせて切れば真っ二つだ。
 この中にいる者達にしてもそうだ。ハルと名乗った二足歩行型有機生命体の幼生は、指先だけで潰せてしまう。
マサヨシも同じだ。ミイムと呼ばれた者も殺すのは容易い。ヤブキは外骨格が少々硬そうだが、苦にもならない。
サチコと名付けられた人工知能搭載管理プログラムも、簡単なコンピューターウィルスを送るだけで破壊出来る。
 それなのに、なぜイグニスは誰も殺していない。彼の思考回路を巡るパルスには、サチコへの敵意があった。
だが、それだけだ。サチコを破壊しようというパルスは感じられず、他の者に対しても戦意は抱いていなかった。
特に、ハルに対する感情は不可解だ。本来、排除するべき有機生命体に強い保護欲を覚えているようだった。
 イグニスはこの星系に逗留して十年が経過しているらしいが、機械生命体にとっては一瞬にも等しい短さだ。
機械生命体にあるまじき思考をする彼に、苛立ちが募る。蛋白質と馴れ合ううちに、回路の芯まで腐り果てたか。
 相打ちになってでも、断罪するべきだった。




 激痛の奔流から解放されると、意識レベルも正常値に戻った。
 頭の奥に痛覚パルスが残留し、じんじんする。腹部の装甲に恐る恐る触れてみると、きちんと塞がれていた。
両手両脚を拘束していたレーザーロープも解除されたが、頸部のインターフェースにはケーブルが繋がっている。
背部の装甲はまだ外されたままで、エネルギーを注入する太いチューブが何本も差し込まれ、垂れ下がっていた。
右手を挙げて握り締めてみるも、パワーは不充分だった。イグニスは上半身を起こし、首をぐるりと大きく回した。
トニルトスに蹴られて折れてしまったシャフトも交換され、動作は完璧だ。潤滑油も差されたので、動きも良かった。

「どうだ、具合は」

 聞き慣れた声に、イグニスは足元に意識を向けた。

「なんだ、いたのかよ」

「まぁな」

 イグニスの足元で胡座を掻いているマサヨシは、分解した熱線銃のバレルを丁寧に磨いていた。

「全快とは言い難いが、それなりだな」

 どっこいせ、とイグニスは姿勢を戻して胡座を掻いたが、背中に鋭い痛みが走った。

「あでっ」

「無理はするな。あれだけの傷を負わされたんだ、すぐに治る方が異常だ」

 マサヨシは熱線銃の本体であるビームジェネレーターを情報端末に繋ぎ、設定を細かく調整している。

「今はさぞかしサチコを責め立ててやりたい気分だろうが、サチコは今、休眠している。というか、俺が船まで行って管理者権限で落としてきたんだがな。あいつはまだ大丈夫だと言い張っていたが、船のメインコンピューターもコロニーのサブコンピューターも冷却装置が効かないぐらいに過熱していたから、あのままじゃハードディスクはおろかマザーボードも割れると思ってな。そうなったら、今度こそ俺達は破産して路頭に迷っちまう。何せ、ナビゲートコンピューターを一機組み上げるためには十万クレジットは掛かるからな。だから、今、コロニーの管理は備え付けのコンピューターにやらせている」

「あいつ、そんなに来てたのか」

 イグニスは、マサヨシと向き直る。マサヨシは熱線銃のグリップを開け、汚れを拭き取った。

「ああ。それだけ、機械生命体の構造がでたらめに複雑だってことだ。俺もお前の腹の中を見てみたが、何が何だかさっぱりだった。サチコの処理能力はかなり上げたつもりだったが、それでも熱暴走寸前になっちまった。この分だと、次の稼ぎでサチコも処理能力を増強してやる必要があるな」

「電卓女のくせに無茶しやがって。治せないなら治せないで、放っておいてくれりゃ良かったんだよ」

 イグニスは治されたばかりの背をさすり、外装の状態を確認した。

「俺もそう言ったんだがな。機械生命体には自己修復機能が備わっているから、一定出力のエネルギーを与えれば金属細胞が活性化して分裂増殖して、破損箇所を自己再生するってことも知っているはずなんだが、なんだかんだでお前のことが放っておけなかったんだろう。全く、随分と人間臭く成長したもんだよ、あいつも」

 マサヨシは言葉とは裏腹に、複雑な顔をしていた。

「なんだ、その顔は。あの女が成長したのがそんなに嬉しくねぇのか?」

 イグニスは身を屈め、マサヨシに顔を寄せた。マサヨシはバッテリーボックスをグリップの中に入れ、閉じる。

「嬉しいことには嬉しい。だが、あいつはコンピューターだろう。あまり期待を持つのもどうかと思ってな」

「期待って、何の期待だよ」

「お前には解るとは思ったんだが、そうじゃないのか?」

「言いたいことはなんとなーく解らないでもないんだが、な」

 イグニスは語尾を弱めながら、マサヨシの前から顔を引いて姿勢を戻した。

「だが、そんなに心配することもねぇんじゃねぇのか? あいつは理性的な女だ、分は弁えているはずだ」

「だといいんだがな」

 マサヨシはいつになく頼りない答えを返し、調整を終えたビームジェネレーターを銃身の中に填め込んだ。

「ところで、あの将校どのはどうしたんだ? 腕もねぇのに外に出ていっちまったのか?」

「なんだ、覚えていないのか?」

「ハルが来てくれたってところまでは覚えてんだが、そこから先の記憶は痛みがあんまりにも強すぎて飛んじまったんだ。俺、なんか拙いことでも言ったのか?」

「物凄く拙いことを言ったぞ」

「…え?」

「ここのところ、ハルがイヌを欲しがっていたんだ」

「イヌって、ああ、あれか。四足歩行型の愛玩動物か。それとこれがどんな関係が」

「大有りだ。お前、トニルトスのことを軍のイヌだと言ったんだよ」

「別に間違いじゃねぇだろ? あいつは下層地区出身の俺と違って生まれも育ちも軍属のエリート野郎で」

「そのせいで、ハルはあの野郎を大型犬だと思っちまったんだよ」

「へあ」

 予測回路の範疇を超えた有り得ない展開に、イグニスは一瞬理解力を失ったが、数秒後に回復した。

「てぇことは、あのスカした野郎はハルと一緒なのかぁー!?」

「一応、ヤブキも一緒だ」

「もっとそれを早く言えよ、不安が一気に百万倍だ!」

 こうしちゃいられねぇ、とイグニスは立ち上がってケーブルを引き抜こうとしたが、再度痛みが背中を走った。

「あ、げ、ぐぅ…」

 背中を腹部を押さえて震え、イグニスはその場に座り込んだ。マサヨシは、相棒を宥める。

「だから、まだ無理をするな。機能が回復するまでは動くな、これ以上負傷されたら俺の方も参っちまう」

「うぐぉおおお…」

「そんなに痛むんだったら、素直に痛覚回路を切ったらどうなんだ」

 マサヨシが忠告したが、イグニスは激しく首を横に振った。イグニスにはイグニスなりのプライドがあるらしい。 

「とにかく、俺が様子を見てくる。また俺と組みたかったら、二三日は大人しくしているんだぞ」

 マサヨシは熱線銃のパーツを組み立てて、小型の電動ドリルを使って全てのボルトを止めると、ベルトに差した。
イグニスは痛みを堪えながら、マサヨシの背を見送った。シャッターの傍にある扉が閉められると、一人になった。
マサヨシには申し訳ないが、彼の忠告は受け入れられなかった。痛みに負けることは、新たな敗北を意味する。
母星での戦いに敗れ、トニルトスに敗れ、挙げ句に己の役割を忘れて機械生命体の戦闘本能に負けてしまった。
今、イグニスがするべきことは生き残った同族を滅ぼすことではなく、愛するハルを守るために命を張ることだ。
それでなくても、情けない生き様だ。この上で痛みにさえも負けてしまったら、戦士と名乗ることすらおこがましい。

「お前の方こそ解ってくれるだろう、相棒よ」

 イグニスはファイヤーペイントを施した腕で腹部を押さえ、音声を絞り出した。

「ちったぁ、意地を張らせてくれよ」

 それぐらい、許されているはずだ。真に守るべきものを守れなかった男だとしても、愛する娘は守れるだろう。
そのためにも、強い男でいなくてはならない。機械故に父親には到底なれないからこそ、それくらいしか出来ない。
つくづく、マサヨシが羨ましい。ハルが最も愛しているのはマサヨシに他ならず、イグニスはその次か更に次だ。
 イグニスは誰にとっても一番の存在にはなれない。故郷でも、戦場でも、太陽系でも、そして家族の中でさえも。
だから、強く在る他の選択肢はない。しかし、痛いものはやはり痛いので、イグニスは拳を握って我慢していた。
 強さとは、辛い。





 


08 5/1