アステロイド家族




愛玩か死か



 屈辱極まりない状況だった。
 トニルトスはハルとヤブキが掛けてくるつまらない指示には一切従わずに、青々とした芝生に座り込んでいた。
装甲に触れる草の感触だけでも気色悪く、苛立ちが増す。耳障りな少女の声が、傷付いた回路を逆撫でする。
両腕がないことが、心底残念だった。片腕でも付いていたら、一瞬でこの二人を叩き潰して殺してやったものを。
ハルとヤブキのやり取りから愛玩動物の概念は理解出来たが、トニルトスが愛玩される意味が全く解らなかった。
イヌと呼ばれる四足歩行型動物についてもヤブキから説明されたが、それは機械生命体とは似ても似つかない。
 第一、トニルトスは四つ足で歩かない。耳は生えていない。尾も生えていない。愚直に人間に従うわけがない。
そんなものと機械生命体を同列に扱うことからして、馬鹿にしている。あの雑兵ならともかく、こちらは将校なのだ。
機械生命体の中でも高等な知能と性能を持ち、幼い頃から英才教育を施され、従軍時代は大部隊を任された。
重要な作戦にも何度も参戦し、どんな時も勝利を収めてきた。部下達も、トニルトスに忠義を誓ってくれていた。
それが、今はどうだ。あの雑兵の下らない一言のせいで、誇り高きカエルレウミオンの戦士は愛玩動物扱いだ。
この状況が面白いと思う者は、思考回路が焼き切れているに違いない。これなら、死んだ方が余程マシだった。

「下らん」

 トニルトスは立ち上がり、二人に背を向けた。

「貴様らに付き合うだけ、時間の無駄だ。私は帰らせてもらう」

「帰るってどこへ?」

 ハルは悲しげに眉を下げ、トニルトスに駆け寄った。

「無論、私が存在していた宇宙に決まっている。それ以外のどこがあろうものか」

「でも、トニーちゃん、腕がないよ? お姉ちゃんが腕を治してくれるまではいてくれるよね?」

「あれほど低レベルな人工知能に我が肉体の治療を任せるくらいなら、両腕が戻らなくとも構わん」

「トニーちゃん、お姉ちゃんのことが嫌いなの?」

「あれを好けという方が無理な話なのだ。簡易を遥かに通り越して単純な人工知能しか持ち合わせていないコンピューターに、我が身が治せるとは到底思えん。貴様らを統括している男も気に喰わん。ルブルミオンの雑兵だが、下等種族の分際で機械生命体を配下に従えていることもおこがましい。増して、この私を回収し、屈辱極まる生き恥を曝させている。屈辱以外の何物でもない」

「パパのことも嫌いなの?」

「その表現についての認識は多少不足しているが、まあ、恐らくはそれだ。貴様らはあの男に対して盲目的な信頼を抱いているようだが、それは大きな誤りだ。この状況を生み出していることからして、統率者としての資格はない。腕がなければ安全だと踏んで私を貴様らの元に置いたのだろうが、私にはまだ二本の足がある。耐久力の欠片もない貴様らを殺すためには、腕も銃も必要ないからだ」

 トニルトスは右足を挙げ、ハルへと向けた。ヤブキはぎょっとしてハルを抱き上げ、遠ざける。

「いきなり何をするっすか、トニー兄貴! ていうか色々とヤバいこと言ってないっすか!」

「早速牙を剥くな、愛玩動物め」

 その声に、トニルトスは右足を下げて振り返った。そこには、不愉快げに腕を組んでいるマサヨシが立っていた。

「マサ兄貴ぃ!」

 ヤブキはマサヨシの元に駆け寄り、彼の傍にハルを下ろした。

「パパぁ…」

 マサヨシの傍に下ろされたハルは、不安げに父親に縋った。マサヨシはハルを撫で、青い戦士を見上げた。

「少しは自分の立場を弁えろ、トニルトス」

「それは私が言うべき言葉だ、下等種族」

 トニルトスはマサヨシに向き直り、威圧感を込めた視線を向けた。マサヨシは、娘を抱き上げる。

「いくら機械生命体でも、腕がない状態で外に出たら、軍のアステロイド遊撃隊に密航者扱いされて撃墜されちまうぞ。その方が、愛玩動物でいるよりも余程情けないと思うがな」

「貴様らの持ち得る兵器などでは、私に傷も付けられん」

「だったら、なぜここから出ていかないんだ」

「私は穢らわしきルブルミオンを駆逐せねばならん」 

「だが、イグニスはお前と同じ機械生命体だ」

「それが何の価値を持つ。我らの戦いに口を出すな。私は誉れ高きカエルレウミオンの戦士だ! 正義の元に戦うことこそが私の最大の任務であり、意義なのだ!」

 トニルトスはマサヨシを射抜かんばかりに睨み、叫ぶ。

「こういうの、近親憎悪って言うんすかね?」

 マサヨシの背後に隠れながら、ヤブキが言った。トニルトスは、すかさず言い返す。

「あれと私は近しい者ではない! あれこそが我らが母星を滅ぼした元凶であり、宇宙の害悪なのだ!」

「サチコ姉さんが喜びそうなことを…」

 ヤブキはそろそろと後退してトニルトスから距離を開けようとしたが、マサヨシに襟首を掴まれた。

「これくらいのことで逃げるな」

「だって、この人って、なんかキてるじゃないっすか」

 と、ヤブキは指先で自身の頭部を示した。マサヨシはヤブキの腕にハルを預けてから、トニルトスに近付いた。
トニルトスはヤブキの言わんとすることを理解したが、低俗な者に言い返すことも屈辱的だったので黙っていた。
おかしいのはどちらだ。機械生命体を愛玩動物扱いする方こそ、正気の沙汰ではない。思考回路が狂っている。

「まあ、それはそれとしてだ」

 マサヨシは、トニルトスと真正面から向き合った。

「少なくとも、俺達はお前を攻撃するつもりはない。それだけは覚えておいてくれ」

「ならば、なぜ私に過電流を加えた。あれは攻撃ではないとでも言うのか」

「それはお前がいつまでもタヌキ寝入りをしていたからじゃないか。さっさと起きてもらわないと困るんでな」

「それは私の勝手だ。貴様には何の関係もない」

「いや、大いにある。お前には聞きたい話が色々とあるし、聞かせたい話も多少あるんでな」

「貴様の吐き出す音声に向けるセンサーはない」

「聞きたくなくても聞かせてやるさ。俺はお前達が会話に使用する高周波電波の周波数を知っている」

「ならば受信装置を全て落とし、拒絶するまでだ」

「扱いづらい奴だな」

 トニルトスの態度の硬さに、マサヨシは辟易した。頑固そうな男だとは思っていたが、ここまでとは。

「これ以上私を苛立たせるな。次はない」

「だが、お前には行く当てもない。違うか?」

「私が生きるべき場所は私が決める。貴様如きに決められる筋合いはない」

 これ以上、相手をするだけエネルギーの無駄だ。トニルトスは背部の翼を広げ、三基のブースターを作動させた。
だが、ブースターは燻るだけで火は入らなかった。イグニスと交戦した際に消耗したエネルギーが、戻っていない。
原因は何かと考え、思い当たった。イグニスの気配を感じたこの星系まで渡航するために、代金に使ったからだ。
あの固形エネルギーはトニルトスが所有していた最後のエネルギーであり、命を繋ぐためには必要なものだった。
だが、それを補給せずに戦闘を行い、更には両腕が破損するほど負傷したため、エネルギーが底を突いたのだ。

「…屈辱だ」

 トニルトスは自虐し、歩き出した。

「トニーちゃーん!」

 ハルから愛称で呼び掛けられたが、反応することすらうんざりしていたので振り返りもしなかった。

「暗くなったらおじちゃんのガレージに戻ってくるんだよー!」

「誰が帰るものか」

 トニルトスは毒突き、歩調を早めた。だが、飛行能力が失われている今、コロニーから脱することも出来ない。
歩いてみて解ったが、このコロニーは手狭だ。人間には大きく感じられても、機械生命体には息苦しいほど狭い。
山もあり、海らしき水の溜まった場所もあるが、どちらも小さい。ぐるりと巡れば、元の場所に戻るしかないだろう。
これは牢獄に他ならない。死ぬことも出来なければ、壊すことも出来ず、逃げ出すことすらも出来ないのだから。
 苛立ちばかりが、膨張していく。




 この狭い世界にも、夜は訪れた。
 偽物の星空が広がり、紛い物の月が青白い光を放っている人工の夜だ。それ故に闇も薄く、夜気も生温い。
エネルギーの消耗が激しすぎたためか、本格的な睡眠を摂ってしまったらしく、思考回路のパルスが鈍かった。
それもまた情けなく思えてしまい、自尊心が痛んだ。戦士が惰眠を貪ることなど、あってはならないことだからだ。
深い眠りは死を意味する。痛みを伴わない目覚めに安堵するよりも先に、生温い馴れ合いに吐き気がしてきた。
なぜ殺し合わない。なぜ戦い合わない。自分のことを気に入らないと思うのなら、武器を振り上げ、殺せばいい。
なのに、この体は傷一つ付いていない。トニルトスは小さな山の手狭な森の中から立ち上がり、かぶりを振った。

「下劣な」

 そして、自分はどこへ行こうとしたのだ。思考回路を掠めた考えを思い出すのも嫌で、再びその場に座り直した。
あんな雑兵のいる場所に戻り、同じ空気を吸気すると思っただけで回路が軋む。だが、それ以外の場所はない。
自己修復機能が働いているために浅い傷が消え始めた装甲には夜露が帯び、月明かりを浴びて薄く輝いていた。
あまり夜露を浴びるのは良くない。両腕のない肩から露出しているケーブルが錆びたりしたら、後が面倒になる。
傷を深めないためだ。だが、それは言い訳でもなんでもない本当のことだからこそ、あの場所に行くしかないのだ。
 トニルトスは嫌悪感を堪え、歩き出した。視覚センサーの光度を引き上げると、人間達が住む家がすぐ見えた。
だが、窓の明かりは消えていた。恐らく、寝入っているのだろう。細かく休眠しなければ活動出来ないとは不便だ。
その脆弱さが、ますます鬱陶しかった。トニルトスはエネルギー不足による不機嫌に煽られて、不快感が増した。
 ガレージに到着すると、シャッターが自動的に開いた。中からは照明の光が零れ、トニルトスの外装を舐めた。
シャッターが上がりきると、ジャンクが詰まっている壁に背を預けて何かの作業をしているイグニスの姿が現れた。

「おう、帰ってきたか」

 イグニスは修理しているものから目を離さずに、出迎えた。手元には、トニルトスの破損した腕が置かれていた。
歪んだ装甲が開かれ、部品という部品がばらされ、ルブルミオンに弄ばれている。途端にトニルトスは激昂した。

「貴様、私の腕に触れるな!」

「うっせぇな、触らなきゃ治せねぇだろうが」

 イグニスは詰め寄ってきたトニルトスを押しやると、派手に破損しているトニルトスの右腕を掲げた。

「俺だって、好きでてめぇの腕なんか治してるわけじゃねぇよ。電卓女に任せたら、今度こそ修理不能になっちまいそうだと思ったから手ぇ出しちまっただけなんだよ。ついでに言えば、暇だったから手慰みが欲しかったんだよ」

「生憎だが、ルブルミオンの技術で治せるような単純な機構は持ち合わせておらん」

「それが治せちまうんだよ。この星系にはろくな技術者がいねぇもんだから、治せるところは自分で治すようになったおかげで、大体のことは出来るんだよ。もっとも、技術兵には足元も及ばないがな」

 イグニスはトニルトスの右腕の外装を全て外すと、自身が剣で貫いて壊した腕を眺め回した。

「にしたって細い腕だな。まるで女だぜ」

「やかましい!」

 トニルトスは苛立ちに任せ、イグニスの肩を力一杯蹴った。

「うげぇっ」

 イグニスは肩を押さえ、呻いた。トニルトスはイグニスからなるべく距離を空けてから、腰を下ろした。

「その腕が治り次第、貴様の首をへし折ってくれる」

「みゅみゅうっ! 静かにするですぅ!」

 唐突に、諫める声が飛んだ。発信源を辿ると、ピンク色の長い髪を持つ小柄な者がガレージの隅に座っていた。
その膝にはハルが縋り、眠っている。トニルトスはその者の外見と名称を照合し、ミイムだということを認識した。
ミイムは細い眉を吊り上げて唇の前に人差し指を立てており、スカートの裾から出た白い尻尾をゆらりと振った。

「ハルちゃんが寝付いたところなんですから、うるさくしちゃダメですぅ」

「貴様、なぜここにいる」

 トニルトスが不審がると、ミイムはハルに掛けた上着を直した。

「みぃ、そんなことは決まっているじゃないですか。ハルちゃんはトニーさんのお帰りをずっと待っていたんですよぉ」

「つまらん真似を」

「でも、ちゃんとトニーさんは帰ってきてくれましたから、良かったですぅ」

「これ以上傷を深めないためだ。他意はない」

「良かったですねぇ、ハルちゃん。これでペットはトニーさんに決まりですぅ、決定事項ですぅ」

「…おい、貴様」

「ボクを食べちゃうような肉食獣なんかよりも、イギーさんをどつき回す機械生命体の方がまだマシですぅ」

「てめぇ…」

 二人の機械生命体から睨まれたが、ミイムはちろりと舌を出しただけだった。

「みゅふふふう、冗談を真に受けないでほしいですぅ」

「てめぇの冗談はろくでもねぇんだよ」

 イグニスは肩をぐるりと回してから、姿勢を戻し、トニルトスの腕の修理作業を再開した。

「ミイム、ハルが寝冷えする前に家に連れて帰れよな。風邪でも引かれたら大変だからな」

「みぃみぃ、それは当然ですぅ。だって、ボクはハルちゃんのママなんですからぁ」

 ミイムはハルを起こさないように気を付けながら抱き上げると、ガレージの外へ出てから振り返った。

「トニーさん。ボク達はみぃんな、パパさんに拾われたおかげで生き延びているんですぅ。だから、ボク達は皆、運命共同体なんですぅ。その運命は、素直に受け止めておくべきだと思いますぅ」

 お休みなさぁい、とミイムは朗らかな笑顔を二人に向け、立ち去った。そして、シャッターが自動的に閉まった。

「だとさ。いい加減に妥協しろよ、トニルトス」

 イグニスは小さく肩を竦めたが、トニルトスは視線も向けなかった。

「我が運命は、生を受けた瞬間からカエルレウミオンに全て捧げた。貴様らと共にするほど、余ってはいない」

 イグニスは呆れ果てたらしく、それ以上何も言うことはなく、トニルトスの破損した両腕の修理に専念していた。
トニルトスも何も言いたくなかった。運命など、当に尽きた。尽き果てたからこそ、同族を求めて宇宙を彷徨った。
母星が滅び、同胞が死に絶えたからこそ、戦いを求めずにはいられなかった。孤独を紛らわし、癒やすためにも。
だが、ようやく見つけ出したイグニスを殺せなかった。イグニスもまた躊躇い、トニルトスを殺してはくれなかった。
機械生命体は戦うためだけに生まれ、戦うためだけに栄えた。だから、戦いに勝利することだけが全てなのだ。
しかし、勝利すら得られずに無様に生き延びた。生き延びたところで、今更何が得られるというわけでもないのに。
 我ながら、つまらない結末を迎えたものだ。







08 5/2