アステロイド家族




ライフ・イズ・ドッグ



 だが、既に手遅れだった。
 マサヨシがハルと共にガレージに向かうと、そこにはレーザーバインドで首を拘束されたトニルトスが待っていた。
レーザーバインドに結合させたレーザーロープジェネレーターを握っているのは、意気揚々としているイグニスだ。
マサヨシは本格的に頭痛を感じ、呻いた。ハルも呆気に取られており、ぽかんと口を開けて二人を見上げている。

「これは何プレイっすか?」

 関わりたくはないが興味はあるヤブキが離れた場所から尋ねてきたので、マサヨシは顔をしかめた。

「俺が知るか」

「さぁーハルぅー、お散歩に行くぞぉー」

 やけに弾んでいるイグニスは、トニルトスの首に付けたレーザーロープをぐいっと引っ張った。

「貴様あっ!」

 トニルトスはレーザーバインドを千切ろうとしたが、修理したばかりの腕では出力が足りなかった。

「ずーるーいー! おじちゃんばっかりトニーちゃんの紐を持つなんて、私が持つんだからぁー!」

 ハルはぴょんぴょんと跳ねて、イグニスの手からレーザーロープジェネレーターを奪おうとする。

「いや、それは物理的に無理だ。というか、まずこの状況に疑問を持て」

 マサヨシは苦笑いしながら、ハルを押さえた。ハルは、不満げにむくれる。

「だって、トニーちゃんは私のワンちゃんなんだもん! 私がお世話するの! 私がジュウリンするのぉー!」

「わお女王様」

 にやけたヤブキがおかしな言葉を口走ったので、マサヨシはヤブキを睨んだ。

「お前はとっとと畑にでも行っちまえ」

「はいっすー了解っすー」

 ヤブキは気持ち悪いほど素直に従い、足早に畑に向かっていった。マサヨシは辟易しつつ、娘を見下ろした。
大方、朝食の席でミイムが言った言葉をなぞったのだろうが、意味も解っていないとはいえあの言い方はまずい。
ヤブキの言う通り、あれでは飼い主ではなくSMプレイの女王様だ。マサヨシは身を屈め、娘と目線を合わせた。

「いいか、ハル。蹂躙なんて言い方はするもんじゃない。この場合は、躾けるっていうんだ」

「シツケ?」

 ハルはきょとんとしていたが、理解したのか頷いた。

「うん、解った! トニーちゃんをジュウリンさせるためにはシツケしなきゃいけないんだね!」

「だからなぁ…」

 マサヨシはまたも頭痛を感じたが、笑顔は保った。すると、頭上で雷鳴のような怒声が轟いた。

「貴っ様らぁあああああ!」

 トニルトスだった。彼はイグニスを頭上に高々と担ぎ上げ、不完全な肩関節を軋ませながら怒りに震えている。

「先程から黙っていれば言いたい放題言いおって! 蹂躙など、されてたまるかぁああっ!」

 どあっ、とトニルトスはイグニスを力任せに放り投げたが、その直線上にはヤブキが造成した畑が広がっていた。
投げ飛ばされた拍子にレーザーロープジェネレーターを手から落としながら、イグニスは畑へと突っ込んでいった。
落下の直前と瞬間にヤブキの死にそうな悲鳴が聞こえたが、トニルトスは全く気にせずにジェネレーターを拾った。

「私を拘束するなど一千万年早い」

 トニルトスがレーザーロープジェネレーターをへし折ると、レーザーバインドの首輪とロープが掻き消えた。

「めっ!」

 聴覚センサーを貫いた甲高い声に、トニルトスが振り返ると、ハルが膨れている。

「おじちゃんに意地悪しちゃダメ! 悪い子! トニーちゃんの悪い子! パパにお仕置きしてもらうんだから!」

「…え?」

 ハルの言葉に、マサヨシは頬を歪めた。ハルは、小さな手でマサヨシを引っ張る。

「パパ、お願い!」

「ハル、お前はトニルトスと散歩に行くんじゃなかったのか?」

 マサヨシは半ば諦めながら言ってみたが、ハルは機嫌を損ねていて聞く耳を持たなかった。

「悪い子はお散歩に連れて行ってあげません! その前にパパにお仕置きしてもらわなきゃダメなんだから!」

「ほう。貴様、私と戦う気か」

 トニルトスは嘲りの眼差しで、マサヨシを射抜いた。マサヨシは、複雑な気持ちになる。

「俺にはそんなつもりは毛頭ないんだが。というより、お前もいきなりイグニスを投げ飛ばすんじゃない。ついでに、ヤブキの畑を破壊するんじゃない。確かにあれはイグニスが悪いが、実力行使に及ぶことはないんじゃないか」

「下等なルブルミオンに私の言葉は通じない」

「まあ、あいつは人の話を聞かないタチではあるが…」

 トニルトスの発言を一概に否定出来ず、マサヨシは語尾を弱めたが、ハルはマサヨシを引っ張り続けている。

「パァーパー!」

「だから、俺とトニルトスが戦ったところで何の解決にもならないんだが」

「だって、私じゃトニーちゃんにお仕置き出来ないんだもん。おじちゃんかパパじゃないと無理なんだもん」

 ハルは唇を尖らせ、拗ねる。マサヨシはほとほと困り果てたが、ハルを抱き上げた。

「お前なぁ。自分のペットなんだから、もうちょっと大事にしてやらないか」

「誰が愛玩動物だ」

「ほら、見てみろ。ハルが最初に主従関係をきっちりさせておかないから、付け上がっているじゃないか」

「貴様もルブルミオンの同類か! 私の話を聞け!」

「ハル。トニルトスはこの家に来たばかりで、まだ状況を理解していないんだ。だから、ゆっくり時間を掛けて噛んで含めるように躾けてやらないとだな…」

「矮小な炭素生物に躾けられるほど脆弱な理性回路は持ち合わせてはおらん」

「そういえば、まだおトイレの場所、教えてなかった。ちゃんと教えてあげないと、トニーちゃんがお漏らししちゃう!」

「誰も漏らさん!」

 ハルの言い草に、トニルトスは憤激した。意味は良く解らなかったが、屈辱的なことだとは直感的に理解した。

「そうだ、お風呂にも入れてあげなきゃ! ご飯は食べさせてあげたしー、お散歩はこれから行くんだしー、おうちはおじちゃんのがあるしー、おもちゃはまたおじちゃんにでも作ってもらえばいいしー、後は何があるかなぁ」

 ハルはマサヨシの腕の中で、くりんと首を曲げる。

「うーん、何があるかなぁ」

 ハルはお仕置きから興味が逸れたのか、悩み始めた。マサヨシはそれにほっとしていたが、同時に困りもした。
結局のところ、トニルトスを躾ける方法などないのだ。実力行使に及んだとしても、マサヨシに勝ち目はないのだ。
元々愛玩犬ではないのだから、それと同じ躾をしても意味はない。だが、軍人として扱うわけにもいかないだろう。
マサヨシも軍隊時代には中佐まで登り詰めたのだが、トニルトスはそれよりも上の地位であった可能性が高い。
それに、お互いに元軍人だとはいえ、種族も違えば存在していた宇宙も違うのだから権威が同等とは思えない。
マサヨシとしても、軍隊の絶対的な上下関係は息苦しくて好きではないので、そんな手段を使いたくはなかった。
完全に行き詰まってしまった。マサヨシはハルとトニルトスを見比べながら、脳髄と胃に広がる鈍痛を堪えていた。
 いずれにせよ、機械生命体はペットとして相応しくない。




 昼食の席で、ヤブキは恐ろしく暗かった。
 いつもなら、あっという間に自分の分の昼食を終えてお代わりを繰り返すところだが、お代わりすらしなかった。
それもこれも、トニルトスのせいだ。トニルトスが投げ飛ばしたイグニスが、ヤブキの畑の三分の一は破壊した。
その中にはもう少しで収穫出来るという段階の夏野菜の混じっていたので、さすがのヤブキも無口になっていた。
これにはミイムも多少は同情したらしく、ヤブキの皿に余った料理を載せてやると、ヤブキは機械的に食べていた。
気力はなくても、差し出されたら食べられるらしい。マサヨシも同情していたが、その現金さに少々呆れてもいた。

「大丈夫か、ヤブキ」

 マサヨシはヤブキを覗き込むと、ヤブキはスクランブルエッグを食べる手を止めて俯いた。

「大丈夫なわけないっす…。あの駄犬のせいで、オイラの育てたトマトとキュウリとカボチャが全部潰されて…」

「そりゃ深刻ですぅ」

 ヤブキの畑の収穫状況はそのまま一家の食糧事情に響くので、今度ばかりはミイムもヤブキを責めなかった。

「しっかりしろ、ヤブキ。まだ他の野菜が残っているじゃないか」

 マサヨシはヤブキの肩を叩くが、ヤブキは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

「いっそ、あんな駄犬は保健所送りにすればいいっすー…。ていうか機械生命体の保健所ってどこっすかー…」

「それは俺も知りたいが」

「あー…。オイラ、もうダメっすー…」

 ヤブキは声を詰まらせ、大きな背中を震わせる。

「パパさん、今回の家族のチョイスはちょっとだけ後悔しちゃったりなんかしてますぅ?」

 ミイムは口元に手を添えて声を潜め、マサヨシに尋ねてきた。マサヨシは、思わず視線を逸らした。

「お前らも相当デタラメな連中だとは思っていたが、それより上がいるとは思ってなかったんだ」

「さらっとひどいこと言ってますぅ」

 ミイムは自分の椅子に座り直し、ハムとチーズのサンドイッチを囓った。

「それで、ヤブキの畑に投げ飛ばされちゃったイギーさんはどうなっちゃったんですぅ? ヤブキがネガティブブラックホールを発生しちゃいそうな勢いだから、うっかり忘却の彼方だったですぅ」

「あ」

 そう言われて、ヤブキは少しだけ顔を上げた。

「そういえば、絶望ゲージがMAXだったせいで、天空の城からロボット兵が降ってきた的な状態のまま帰ってきちゃったっす…」

「ということは、もしかして、イグニスは畑の中に未だに埋まっているのか?」

 マサヨシは確信を得るために、リビングテーブルの上の充電スタンドに載っているサチコに向いた。

〈ええ、その通りだけど? あの馬鹿はトニルトスに放り投げられた勢いと自重で加速したおかげで、ヤブキ君の畑の地中十メートル近くまで埋まっているわよ〉

「それを早く言え!」

 マサヨシは椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がったが、サチコはしれっとしている。

〈だって、マサヨシが聞かなかったんだもの〉

「十メートルって…じゅうめーとるってぇ…」

 ヤブキは再び気が滅入ったのか、ずどん、と頭部をテーブルに押し当てた。

「それで、イグニスはどうしている?」

 マサヨシは椅子に座り直して昼食の残りを押し込んでから、コーヒーで胃に流し入れ、もう一度立ち上がった。

〈意識はあるみたいだけど、反応は弱いわ。トニルトスに投げられた拍子にまたどこかの回路が故障したのかしら〉

 サチコは充電スタンドから浮き上がると、マサヨシの傍にやってきた。

〈マサヨシの機動歩兵ならいつでも出せるわよ。今回は場所が場所だから、土木作業用のツールに換装するわね〉

「いや」

 マサヨシはサチコを制し、少し間を置いてから口を開いた。

「その作業は、トニルトスにやらせよう。あいつの両腕は不完全だが、土木作業に耐えられないほどじゃない」

 マサヨシの放った言葉にサチコだけでなく家族全員が面食らってしまい、食卓は水を打ったように静まり返った。
マサヨシも言ってしまってから少々後悔したが、これ以上トニルトスを持て余すぐらいなら使った方が余程いい。
良い結果が出るとは思っていない。だが、イグニスを放っておけない。マサヨシも、すっかり自棄になっていた。

「家訓その一。自分のことは自分でやれ」

 マサヨシは自分自身の躊躇いや迷いを吹き飛ばすため、勢い良く言い放った。

「つまり、そういうことだ!」

「いやだからどういうことなんすか」

 ヤブキはマサヨシの思考がさっぱり理解出来ないらしく、困惑している。

「安心しろ! 俺も自分が解らない!」

 マサヨシは在りもしない自信を奮い立てるため、声を張った。

「でも、家族の方針としては正しいですぅ」

 ミイムも戸惑い気味だったが、愛想笑いを浮かべた。

「じゃ、パパがトニーちゃんをジュウリンしてシツケするんだね?」

 ハルは小さな手を挙げ、ひらひらと振る。

「いってらっしゃーい」

「いや」

 マサヨシは振り向き、家族全員を見渡した。

「ここは全員で行こう。そうでないと、トニルトスに勝てる気がしないんでな」

「まあ…そうっすね…」

 ヤブキはサラダボウルに残っていたサラダを綺麗に平らげてから、立ち上がった。

「これ以上宇宙駄犬をのさばらせておいたら、オイラの畑だけじゃなくて家族全体の危機っすよ、危機」

「ふみゅうん、そうですねぇ。いざとなったら、ボクがトニーさんの中枢回路をへし折ってぶち殺しますぅ」

 ミイムは可愛げな仕草で身を捩るが、言っていることは欠片も可愛くない。

「うん。そうだね。私がトニーちゃんのジョオウサマだもんね」

 ハルは頷き、子供用の椅子の上で立ち上がった。マサヨシは苦笑しつつ、娘を抱き上げる。

「だから、そうじゃない。そういう時は、飼い主って言うんだ」

〈マサヨシの命令とあっちゃ、仕方ないわね〉

 サチコはマサヨシの傍に付き、くるりと回った。マサヨシは家族を見渡したが、士気は中途半端で決して良くない。
ヤブキは落ち込みから浮上したのはいいが相変わらず暗い雰囲気を漂わせ、ミイムの笑みもどことなく黒かった。
サチコはサチコで、言葉とは裏腹に全くやる気がない。まともに意気込んでいるのは、ハルぐらいなものである。
マサヨシも、本音を言えば未だに手詰まりだった。だが、このまま何もしなければ、トニルトスの態度は悪化する。
もちろん、イグニスも放っておけない。マサヨシは家族全員を伴って、気位の高い愛玩犬を躾けるべく、家を出た。
 勝算はない。だが、やるしかない。





 


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