アステロイド家族




滅びを識る者



 今は亡き、母星の記憶。


 空気の重たい夜だった。
 この空間にも、雨期が訪れたからだ。体にまとわりつく湿気が鬱陶しく、排気に混じる水蒸気が煩わしかった。
金属で成された肉体を持つ者としては、あまり気分は良くない。だが、これもまた必要なことなのだと認識している。
このコロニーは元々、炭素で構成された細胞組織を持つ二足歩行型知的生命体、人間のために作られたものだ。
彼らは機械生命体に比べて体内に含有する水分量が遥かに多く、七割を超えており、よって水分が欠かせない。
なので、高温多湿の世界にしか生きることが出来ず、機械生命体のように生身で宇宙空間へは出られないのだ。
宇宙に出た彼らは、宇宙船に搭乗するか、身動きの取りづらそうな宇宙服を着て生命を維持しなければならない。
呼吸するための気体も複雑で、窒素と酸素を適度に混合させたものでなければならず、煩わしいことこの上ない。
脆弱であるだけでなくデリケートな人間は、宇宙には向いていないとつくづく思うが、それでも彼らは適応している。
適応能力の柔軟さが、宇宙規模で見ればかなり脆弱な生命体の新人類が宇宙で繁栄出来た最大の理由だろう。
 ガレージから外に出ると、外装にかすかに雨粒が降り注いだ。夜気で凝固した水蒸気、夜露ともまた違うものだ。
粒子の細かい雨、つまり霧雨だ。スプリンクラーで造り上げている擬似的な気象現象だが、実に良く出来ている。
霧雨を浴びた目で、背後に振り返る。ガレージの中で武器を抱いて座り込んでいる敵兵は、身動きもしなかった。
連日のようにハルに引っ張り回されているせいで、さすがにトニルトスも疲れたらしく、意識レベルは低下している。
だが、完全に落としているわけではない。何かを感知すれば、すぐに意識を回復出来るレベルに止めてあった。
彼もまた、戦いが魂の奥底に染み着いている。イグニスは同情にも似た共感を抱きながら、ガレージから離れた。
全身を柔らかく包み込む霧雨は、故郷のどす黒いタールの雨とは比重そのものが違うので、優しい感触だった。
タールの雨はもとい、水の雨も好きにはなれない。ようやく傷が治った体を痛めるだけでなく、記憶を掻き乱す。
 それでも、ガレージに戻る気にはなれなかった。気を抜いてしまえば、今度こそトニルトスを殺してしまうだろう。
トニルトスも、イグニスを殺す隙を窺っていた。他の面々には悟られぬようにしているが、機械生命体同士は別だ。
音声にすら変換していないパルスの端々に敵意を込め、殺意を滾らせて、再び戦い合える時を待ち侘びている。
それに耐えきれなくなったわけではない。むしろ、回路がひりつくほどの敵意を注がれることは、心地良かった。
 それでこそ機械生命体。それでこそ戦士。戦い続けなければ己を保てない、自分達の危うさすら愉快だった。
しかし、トニルトスを殺すことは出来なかった。彼は、プライドを守るために愛玩動物になることを選んだからだ。
おかげで、この数日間、彼の傍にはハルがべったりとくっついている。ハルがいるだけで、戦意は薄らいでいく。
ハルはイグニスの本心を知っているわけでもなければ、トニルトスを守りたいわけでもなく、ただ遊びたいだけだ。
だから尚のこと、戦意が失われてしまう。この家に戦いを持ち込むのは良くないことだと、充分解っているからだ。
けれど、本能は消去出来ない。イグニスは悩むことに気疲れしてしまい、首を横に振りながらのろのろと歩いた。

「ん」

 感知し慣れた生体反応をセンサーに感知して顔を上げると、濡れた遊具の並んだ公園に相棒が立っていた。
彼もまた、こちらに気付いたようだった。マサヨシは霧雨に濡れた髪を拭うこともせずに、イグニスに歩み寄った。

「どうした、イグニス」

「お前こそ」

 イグニスはマサヨシに近付くと、身を屈めて目線を合わせた。

「こんな夜中に、何してんだよ。とっとと帰って寝てろよ、風邪引くぜ」

「それはお前も同じだろうが。傷に障るぞ」

「心配無用だ、そっちの方はかなりいい。今週中には、俺も仕事に戻れる」

「そうか、それは良かった。いい加減に稼ぎに行かないと、厳しくなってきたからな」

 小さく笑顔を見せたマサヨシに、イグニスは手を差し伸べた。

「ほらよ」

「なんだ、その手は」

「まあ、いいじゃねぇかよ」

 イグニスはマサヨシを手に載せ、肩装甲の上に座らせた。多少照れくさいのか、マサヨシは顔を背けた。

「こういうことはハルだけにしてくれ」

「いいじゃねぇか、俺とお前の仲だ」

 イグニスはマサヨシを落とさぬように気を付けながら公園に入ると、広場に腰を下ろした。

「んで、酔い覚ましかなんかか?」

「当たらずとも遠からずだ」

 マサヨシは相棒の肩の上で足を組み、湿った夜空を見上げた。

「考え疲れたんだ。お前とトニルトスの過去について詮索するべきか、否かを。お前は大事な相棒で、あいつはお前以上に厄介で面倒な男だが家族として受け入れた。俺は、出来ることなら余計な詮索をしたくない。この狭い世界の中に出来た、微妙な均衡を崩しかねないからだ。だが、お前達を放っておくのももっと怖い。お前達二人は生き物である以前に、生まれながらの戦士だ。どんな切っ掛けで、戦いを再開するか解らない。二人共本気になっちまったら、今度こそ俺は止められないだろうからな」

「嫌んなるほど正論だぜ」

「だが、お前にも話したくないことがあることぐらい、承知している。だから、無理強いはしたくない」

「けど、心ん中じゃ聞きたくてたまんねぇんだろ?」

「それこそ、嫌になるほど正論だ。俺もそんなに潔癖な人間じゃないからな、隠されたら余計に気になっちまうんだ」

「まあ、隠し続けるのも良くねぇしな」

 イグニスは相棒を見やり、声色を落とした。

「だが、決していいもんじゃねぇ。俺自身にとっても、機械生命体にとってもな」

「だったら、無理はしなくてもいい」

「馬鹿言え。ちょっと心が痛むからって、昔話の一つも出来ないほど根性のねぇ男になったつもりはないぜ」

 イグニスが一笑すると、マサヨシは真摯な眼差しを向けてきた。

「だったら、聞かせてもらおうか。お前とトニルトスが、この宇宙へ来るまでの経緯を」

「その代わり、最後まで付き合えよ。相棒」

 イグニスが強く言うと、マサヨシは応える。

「ああ」

 ごく短い言葉でも解るほど、覚悟が据わっていた。イグニスはそれを嬉しく思った反面、躊躇いを抱いていた。
だが、もう引き下がれないのだ。記憶回路の奥底に錆のようにこびり付いた過去を、音声変換しなくてはならない。
ただの記憶を言葉に変えて発することは、その記憶と改めて向き合うこととなり、回路がぎしぎしと軋みを上げた。
しかし、どう足掻いても逃げられないのだ。過去と真正面から向き合い、戦ってこそ、戦士は戦士たり得るのだ。
 そして、赤き戦士は過去を語り始めた。




 遠き昔。イグニスは、何も知らずに生きていた。
 イグニスの母星であり全ての機械生命体の故郷である惑星フラーテルは、地表の全てが機械に覆われていた。
惑星のデータベースに残された記録に寄れば、かつては有機物の植物や海もあったとされるが、影も形もない。
海と呼ばれる地域はあっても、水はなかった。大地と呼ばれる地域はあっても、土を見たことは一度もなかった。
惑星フラーテルで戦いが始まったのも、いつの頃かは解らない。気付いたら、皆が皆、戦い合っていたのだから。
 イグニスは赤い装甲を持って生まれたが、物心が付いた時には、惑星の地表から遠い下層地区で生きていた。
惑星の地表から深くなればなるほど街は古くなり、貧しい者達が集う。イグニスは、騒がしくも穢れた世界に居た。
 下層地区は、戦闘能力を失って遺棄された機械生命体や戦闘能力の乏しい機械生命体の吹き溜まりだった。
イグニスもまた、まともな戦闘能力を持っていなかった。機械生命体は戦うために生まれるが、力は別物だった。
優れた生まれの者は最初から強大な攻撃力を身に付けているが、そうでない者達は武器や改造に頼るしかない。
だが、下層地区はエネルギーも乏しければ技師も乏しいので、武器製造どころか改造もまともに出来なかった。
下手な改造を施して命を落とすものも少なくなかったが、機械生命体の世界では、攻撃力がそのまま地位になる。
だから、無茶な改造をしては毎日誰かが死んでいた。死んだ者は定期巡回する回収船に入れられ、熔解された。
 イグニスは、そんな世界で這いずっていた。エネルギーもなければ武器もなかったが、腕力だけは優れていた。
だから、ケンカだけは強かった。自分よりも遥かに巨体の機械生命体にも勝てたが、それだけに過ぎなかった。
下層だからこそ通用するのであって、上層に出れば何の意味も成さないと、イグニスだけでなく皆が知っていた。
 上と下では別世界だ。下層地区で力を誇った者が上層に引き抜かれても、三日と持たずにスクラップになった。
あまりにも戦いが激しい時は、階層を隔てる金属の大地が破れ、上層から下層の世界へと落ちてくる兵士もいた。
しかし、兵士のほとんどは死んでいた。たまに生きている者がいても、治療の甲斐無く死んでしまうばかりだった。
だから、たまに兵士が落ちてきても気に留めないのが常識だった。関わるだけ面倒だと、皆が思っていたのだ。
 その日も、兵士が落ちてきた。イグニスが、その日のエネルギー代にするべく集めた鉄屑の真上に振ってきた。
イグニスはあまりのことに唖然としていたが、怒りが込み上がってきた。丸一日の苦労を台無しにされたのだから。
既に死んでいるだろうが、痛め付けなければ気が済まない。イグニスは大穴の開いた合金の地面に、近付いた。

「この野郎…」

 合金の地面は深く抉れ、中心からは煙が立ち上っている。苛立ちながら見下ろしたが、即座に身を退いた。

「おい、嘘だろ?」

 信じられない思いを抱きながら、イグニスは再度穴を覗き込んだ。画像でしか見たことのない男が、そこにいた。
分厚い真紅の装甲。武器の詰まった両肩から伸びる砲身。背面部に印されている機体識別番号は、一桁だった。
左目を覆うライムイエローのゴーグルの下で、瞳の光が失せていた。イグニスは怯えながら、彼の頭上を仰いだ。
彼が落下してきた際に造り出した穴が何者かの機影によって陰り、その者は青白い閃光を全身に纏わせていた。

「ソニック!」

 高らかに叫ばれた声は、イグニスの聴覚回路が痺れるほど鋭かった。

「サンダァアアアアアアッ!」

 一瞬を感じる暇はなかった。青白い光を帯びた機影は光速で下層に落下しながら、荒ぶる電流を撃ち込んだ。
イグニスは反射的に回避したが、それでも防ぎきれなかった。雷光を纏った機影は、穴の中心へと突っ込んだ。
その際に発生した衝撃波に吹き飛ばされて壁に衝突してしまい、衝撃と過電流を浴びたせいで全身が痺れた。
穴の中心から上る煙は黒くなり、増している。この分ではあの男は生きてはいまい、とイグニスは諦めを感じた。

「…相変わらず、攻め方が青臭ぇんだよ」

 ゆらり、と煙が陽炎に揺らぐ。穴の周囲が赤らみ、中に転げ落ちた金属片が一瞬にして溶け、蒸発してしまった。
イグニスのセンサーが感じ取れる範囲を超えそうなほど凄まじい勢いで、穴の底の温度が爆発的に上昇していく。
一千度、二千度と上がるに連れて空気中に帯電していた雷光が打ち消されていき、強烈な熱波が駆け抜けた。

「フレイムッ!」

 その怒声と共に生み出された熱を伴った衝撃は、全てを焼け焦がした。

「ボンバァーッ!」

 膨大なエネルギー量を持つ巨大な炎が、穴の底から噴き上がる。その中心で、青い装甲の戦士が焼かれる。
長い翼を背に持ち、顔面はレモンイエローのゴーグルとマスクに覆われている。左肩の機体識別番号は、一桁。

「あなたの方こそ、温い炎ですね!」

 天まで届くほどの炎柱の中から飛び出した青い戦士はしなやかに身を躍らせ、穴の底へと雷撃を撃ち落とした。
炎の障壁を貫くほどの威力を帯びた雷光が爆ぜると同時に、炎の柱が急激に途切れ、鈍い地響きが発生した。
青い戦士は再び雷撃を放とうとしたが、穴の底から放たれた炎の弾丸に左肩を破壊されてしまい、腕が落ちた。

「その状態で僕の腕を落とすとは、やりますね」

 駆動部分が剥き出しになった左肩を押さえ、青い戦士は苦々しげに漏らした。

「残った右腕だけでもあなたを殺せる自信はありますが、本当に残念なことに、エネルギーが足りません」

「だが、俺はまだやれるぜ。てめぇの首根っこをへし折るくらい、指一本で充分だ」

「負け惜しみだけは立派ですね、あなたは」

 青い戦士は目元を覆うレモンイエローのゴーグルの下で、目を細めた。

「また会いましょう。ルベウス」

「んだよ、止めも刺さねぇで帰っちまいやがって。相変わらず、中途半端な野郎だぜ」

 青い影が穴の上へ飛び去る様に、穴の底から毒突かれた。イグニスが恐る恐る穴を覗き込むと、注意された。

「おっと、近付くなよ。並みの機械生命体じゃ、今の俺に触れたら溶けちまうからな」

「あ、ああ」

 一応、気配に気付かれていたらしい。イグニスは生返事をし、引き下がった。

「あいつがお前を殺さなかった理由は解らねぇが、まあ、生き延びただけでも良しとしとけ」

 穴の底から現れた分厚い手が、焼け焦げて崩れかけた地面を掴んだ。

「んで、お前、名前は」

 イグニスは答えようとしたが、圧倒されてしまった。上層の民の予想以上の戦闘能力に、そして、その威圧感に。
眼差しだけでも力強く、雄々しい。これまでにやり合ってきたどの機械生命体とも違い、言葉一つでも迫力がある。

「おい」

 覇王の如き男に急かされて、イグニスははっと気を戻し、答えた。

「…イグニス」

「解りやすくて結構だ」

 穴の底から這い上がって合金の地面に座り込んだ巨体の機械生命体は、関節から蒸気混じりの廃熱を噴いた。

「その様子だと、俺のことは知っているみてぇだな」

「あんたのことを知らない奴がいるとしたら、そりゃきっと外注のロボットだ」

「違いねぇや」

 先程の威圧感とは掛け離れた気さくな笑いを零し、赤き機械生命体の長であり司令官、ルベウスは言った。

「よく見てみりゃ、てめぇもなかなかいい色してんじゃねぇか。俺とあの野郎の戦いに巻き込まれて死ななかったのも珍しいってぇのもあるが、逃げ出さなかった度胸が気に入った。俺と一緒に上に来い、イグニス。そして、戦え」

 呆れるほど容易く、下層の日々は終わりを告げた。それから数時間後、ルブルミオンの回収部隊が到着した。
戦闘艇の兵士達はイグニスを見て警戒したが、ルベウスがこいつを上に連れていくと言うと彼らの警戒は解けた。
部下達はこういった事態に慣れているのか、戸惑ってばかりいるイグニスを取り押さえて、戦闘艇に押し込めた。
その戦闘艇にはイグニスと同じ赤い装甲の機械生命体が搭乗していたが、ルベウスの存在感は特に強烈だった。
外装の赤が強いだけではない。五軍の中でも特に強大な軍、ルブルミオンを率いるリーダーとしての強さだった。
 戦闘艇の中から上層に出た瞬間、視覚に広がった光景は忘れられない。鋼の大地は、黒く焼き尽くされていた。
下層の民なら誰も憧れ、誰もが畏怖する世界だった。だが、その世界は思い描いていた以上に、荒廃していた。
 イグニスが銃を取る前から、惑星フラーテルは滅びの道を歩んでいた。







08 5/24