アステロイド家族




狂おしき聖戦



 だが、戦い抜けなかった。
 所詮、ルルススは側近でしかなかった。主は謀られたのだと何度主張しても、誰にも聞き入れてもらえなかった。
それどころか、牢にやってきた兵士に打ち据えられ、主と共謀して皇帝を暗殺したことを認めるように強要された。
このままではフォルテの思い通りになると思ったが、どうにも出来なかった。抗いたくても、抗う力すらなかった。
レギーナとだけは通じ合えるテレパシーはあっても、まともに超能力が発現していなかったので戦う術もなかった。
 そして、翌日には死刑に処された。せめてもの救いは、民衆の前での斬首ではなく薬物投与をされることだった。
そこに至るまでの間、レギーナは心を決めたらしく、今までにないほど澄んだ瞳で厳しく表情を強張らせていた。
罪から逃れることよりも、皇族としての誇りを保つことを重んじたのである。その姿は、場違いなほど凛々しかった。
 フォルテは一度も地下牢を訪れることはなく、レギーナの最期を見届けることもせず、早々に軍務へと出発した。
だが、それはルルススには好都合だった。フォルテがいなければ守りは手薄になり、テレパシーも使いやすくなる。
ルルススは未発達の超能力を限界まで引き出し、レギーナのシンパである者達に指示し、その時を待ち侘びた。
民衆の間にも、レギーナを慕う者はいる。男でありながら最高司令官に登り詰めた彼は、男性に信奉されていた。
彼らは若干女性に対して差別的な考えを持っている部分はあったが、レギーナに対しては極めて誠実だった。
彼らが動いてくれることを心の底から願いながら、ルルススは死刑が執行される寸前まで、限界まで祈り続けた。
 そして、抵抗しないようにとレギーナに睡眠薬を投下され、回り始めた頃、皇居目掛けて一斉攻撃が始まった。
ルルススは主の罪を思い知らせるために、ということで睡眠薬は投薬されていなかったので、素早く主を守った。
深い眠りに落ちた主を守りながら、処刑役を任された兵士達を薙ぎ倒し、拘束具を破壊し、地下室から脱出した。
外へ出る前に、レギーナと服を入れ換えた。主はああ言ったが、代わりに殺されるなら自分の方が良いと思った。
 地下室から地上に出ると、皇居の三分の一は爆撃で吹き飛ばされ、フォルテ側とレギーナ側の兵が戦っていた。
だが、圧倒的にフォルテ側の方が多く、強かった。あまり持ち堪えられない、と判断したルルススは、決断した。
フォルテ側の軍勢が地上戦に気を取られている間に宇宙に脱出し、この星系外に出るしか生き延びる道はない。
そのためには、フォルテを欺かなければならない。ルルススには彼女を欺ける自信はないが、やるしかなかった。
そこで取るべき手段は、一つしかなかった。レギーナの恰好をしているルルススが、レギーナとして動くことだった。
 レギーナ側の戦闘部隊と合流したルルススは、自分自身も銃を取って兵士達を打ち倒し、戦闘艇に乗り込んだ。
本物のレギーナは他の戦闘艇に搭乗させ、宇宙へ脱したことを確認してから、ルルススは皇居上空で旋回した。
その間、ルルススはレギーナとして指揮を執った。しかし、やはり、フォルテの鍛え上げた兵士には敵わなかった。
ルルススは兵士達の決死の行動によって宇宙へと脱することが出来たが、戦闘艇は破損し、航行は不能だった。
フォルテの捜索部隊に発見されるか、或いは飢えで死ぬかのどちらかしかなかったが、全く別の存在が現れた。
 破損した戦闘艇で宇宙を漂うルルススの傍に、名前だけは聞き覚えのある犯罪組織の宇宙船が通りかかった。
彼らはジャンク目当てに戦闘艇を回収したが、ルルススを見つけ出すと、有無を言わさずコールドスリープさせた。
外見の美しいクニクルス族の男は、裏の世界では高値で取引される商品だと言うことは、ルルススも知っていた。
死体も同然の状態に陥りながら、凍り付いた意識の底でルルススは生きることだけをひたすらに強く願っていた。
 その強い願いが神に通じたのか、何度か転売され、慰み者にされることはあったが命までは取られずに済んだ。
主のためなら、どんな苦しみも耐えられた。獣同然に扱われようと、観賞用として飾られようと、何も感じなかった。
 皇居の戦いで別離してからというもの、レギーナの生死に関わる情報は得られなかったが、生きていると信じた。
クニクルス族なら誰もが持ち得ている第六感が、感じ取っていたからだ。宇宙の片隅で煌めく、主の気高き魂を。
 そして、今こそ、主を救い出す時だ。




 アステロイドベルトを脱してから、五時間が過ぎていた。
 マサヨシの体格に合わせた操縦桿はミイムの手には若干余るほど大きく、操舵法も違うが操れないことはない。
あの家で暮らしている間に、様々な情報を掻き集めた。その中には、スペースファイターの操縦法も含まれていた。
仕組みと手順こそ違うが基本的な構造はコルリス帝国で操縦していた戦闘艇と変わらず、勘もすぐに戻ってきた。
マサヨシには悪いが、背に腹は代えられない。彼らを裏切ったことには心が痛むが、主のためには仕方ないのだ。
 モニター一杯に広がる暗黒の宇宙のどこかに、レギーナが生きている。それだけで、主への思いが込み上がる。
そのためだけに生きてきたのだから、迷う必要もなければ理由もない。なのに、涙が滲んできて胸が苦しかった。

「ごめんなさい…」

 謝る必要などないと思っているはずなのに、口を吐いて出てくる。

「ごめんなさいぃ…」

 操縦桿を握り締めながら肩を怒らせ、歯を食い縛る。目尻から溢れた涙の滴が、弱重力の船内を漂っていく。
今頃、皆はどうしているだろう。そろそろ、朝食の時間だ。今日はヤブキの当番だが、何を作るつもりなのだろう。
ハルは、ちゃんと起きて着替えたのだろうか。繊細な長い金髪は丁寧に梳いてやらなければ、絡まってしまう。
マサヨシはまともにコーヒーを淹れられるだろうか。あの人は一家の主としては優れているが、生活能力がない。
ヤブキは、無責任なミイムを怒っているだろうか。或いは、悲しんでいるだろうか。なんだかんだで一番の友人だ。
イグニスはマサヨシを裏切ったミイムを許さないだろう。それはサチコも同じだろう。二人はマサヨシを好いている。
トニルトスはどう思うだろう。彼だけはミイムの忠誠心を理解してくれるかもしれないが、してくれないかもしれない。
 もう、あそこには二度と戻れない。今度こそ帰れない。いや、元から、あのコロニーはミイムの居場所ではない。
地球人であるマサヨシとその娘のハル、そして他の皆が暮らす家だ。主も守れない側近のいるべき空間ではない。

「レギーナ様」

 だから、戦うしか道はない。

「今、参ります」

 そして、死のう。レギーナの名誉を守り、主の命を救うためなら、フォルテと差し違えてでも戦い抜いてやろう。
首から提げたペンダントを握り締め、超能力を増幅させる。サイコキネシスではない使い方をすると、苦しかった。
だが、レギーナの受けた苦しみはこんなものではない。そう思うと、頭が割れそうなほどの頭痛も我慢出来た。
 ミイムは出来る限り感覚を研ぎ澄まし、テレパスにも似た状態になると、レギーナの気配のある方向を探った。
そして、見つけた。太陽系に徐々に近付いている巨大な質量の物体と共に、主のかすかな気配が近付いてくる。
同時に、背筋に氷塊が滑り落ちた。レギーナの気配のすぐ傍に、憎むべき女、フォルテの気配も存在している。

「なんで…?」

 意味が解らない。フォルテはレギーナを嵌め、皇帝暗殺の罪を負わせ、死刑寸前にまで追い込んだ悪女だ。
まさか、レギーナはミイムが動くよりも先に捕らえられているのか。だとしたら、特攻し、主を救う他はなかった。
ミイムは操縦桿を握り締めて前に倒し、最加速した。エネルギー残量を確かめてから、ワープ空間を発生させた。
ワープドライブを行いながら、レギーナの気配があった宙域を目指した。たとえ何であろうと、戦うしかないのだ。
フォルテの罠である可能性は非常に高い。レギーナと顔を合わせた途端に、レギーナ共々殺害されるのだろう。
それでも、助けられる可能性はある。フォルテの手勢の力は解らないが、ミイムにはサイコキネシスの力がある。
この力があれば、多少の無理は通せる。ミイムは目元の涙を拭うと、ワープ空間から脱し、通常空間へ戻った。
 アステロイドベルト付近の宇宙から見える星々とはまた違った星々が散らばっているが、惑星は見当たらない。
レーダーの端に多少の小惑星が感知されるぐらいで、大したものはない。太陽系の外れの、空虚な宙域だった。
ミイムが感覚を研ぎ澄ませていると、HAL号が緊急警報を発した。レーダーを確認するまでもなく、目視出来た。
 漆黒の宇宙を切り裂く、全長四千メートル級の宇宙戦艦。艦の両脇に備わっているのは、巨大なレールガン。
ブリッジからそびえる塔に似たアンテナはサイエネルギー増幅装置であり、超能力の作用を数万倍にする兵器だ。
リリアンヌ号のような美しさはない、戦闘のためだけに生み出された巨体は、音もなくHAL号に接近しつつあった。
 フォルテの操る第二宇宙軍の旗艦である、強襲戦艦インクルシオ号。数々の星間戦争を勝ち抜けた猛者だ。
HAL号のレーダーは、インクルシオ号のレールガンの射程範囲と、照準に入っていることを甲高く告げている。
スペースファイター程度のシールドでは、あのレールガンは防げない。出方を考えていると、通信が入ってきた。

『応答せよ、応答せよ。こちらは惑星プラトゥム、コルリス帝国軍所属の軍艦である。貴船の所属を乞う』

 操縦席脇のスピーカーから、若い通信兵の声が響いた。ミイムは口調を落ち着けてから、答えた。

「我が名はルルスス・スペクルム・コルリス。レギーナ・ウーヌム・ウィル・コルリス皇太子直属の側近である。諸事情により、太陽系統一政府船籍の宇宙船を使用している。本船の収容を乞う。貴艦の司令官に話がある」

『了解。収容申請を司令官に伝える。司令官の判断の後、再度通信を行う。貴船はこのまま回線は開いておけ』

「了解」

 ミイム、いや、ルルススは努めて平坦な声色を保つが、心中は穏やかではなかった。だが、これは良い機会だ。
敵の懐に入りさえすれば、後はどうにでもなる。レギーナを救い出し、惑星プラトゥムにさえ送り届けられればいい。
それ以外は、どうなってもいい。フォルテも他の兵士も何もかも殺してしまえば、レギーナを阻む者は全て消える。
 きっと、この戦いが最後の戦いになる。これまでルルススを捕らえられずにいた分、フォルテも強く出るだろう。
だから、わざわざ強襲戦艦インクルシオ号を駆って出撃したのだ。ルルススを確実に追い詰めて、殺すために。
太陽系に戦争を仕掛けに来た、とは考えにくい。太陽系は惑星プラトゥムから遠い上、大した利点もない星系だ。
外交をするためなら、そんな船は選ばない。いくらフォルテが過激な女でも、最低限の節度は弁えているはずだ。
あちらも本気だ。だが、それぐらいが丁度良い。ルルススはインクルシオ号からの収容許可を受け、唇を歪めた。
 レギーナの味わった悪夢と、等しい悪夢を見せてやる。




 これは悪夢だ、と思いたかった。
 マサヨシはリビングのホログラフィーモニターに映し出されたカタパルトの惨状に、開いた口の塞ぎ方を忘れた。
内側から主砲で撃ち抜かれ、使用不可能なほどに破壊されている。開かなかったから、強引に開けたのだろう。
長い間慣れ親しんできた丁度良い長さのリニアカタパルトも、愛機を固定していたビンディングも壊し尽くされた。
格納庫の肥やしになっている機動歩兵、HAL2号は無事なようだが、肝心の愛機がなければ何の意味もない。
カタパルト内で主を待ち侘びているはずのスペースファイター、HAL号は影も形もなく、マサヨシは肩を落とした。

「俺の商売道具が…」

「大丈夫か、おい?」

 マサヨシのあまりの落胆ぶりに、リビングの窓越しにイグニスが心配げに尋ねてきた。

「あんまり…」

 頭を抱えて背を丸めているマサヨシに、ヤブキは少々場違いな言葉を掛けた。

「ていうか、あの女装ウサギって操船出来たんすね。マジ意外っす」

「だが、肝心な問題は、船が奪われたことよりも奪った理由だ。それを突き止め、厳重な処罰を下さねば」

 トニルトスはイグニスの肩越しに、リビング内を見下ろした。

「あれがなければ貴様は戦えない。そして、貴様が傭兵として戦わなければ私もその仕事が出来ず、金が稼げないので弁償出来ない。弁償出来ないと言うことは、私の有能さを示すことが出来なくなってしまう。故に、早急に事態を解決しなければならん」

「物凄い三段論法っすけど、結論は真っ当だから別に突っ込まないっす」

 ヤブキはキッチンに戻り、朝食の準備を再開した。

「で、サチコ姉さんは大丈夫っすか?」

〈まだダメよ。私の本体が物理的に接続を切られているせいで、機能が不完全だから…〉

 サチコは球体のスパイマシンを浮かばせ、絶望の淵に沈んでいるマサヨシに近付いた。

〈ごめんなさい、マサヨシ。まさか、ミイムちゃんが私の制御を物理的に解除して船を奪うなんて思ってもみなかったから。私、ナビゲートコンピューター失格ね〉

「いや、お前だけの責任じゃない。俺達全員の責任だ」

 マサヨシは全身から負の感情を抜くように息を吐いてから、重たい動作で顔を上げた。

「この際、機動歩兵でもなんでも構わない。トニルトスの言う通り、一刻も早くミイムを発見して船を奪還するんだ」

 朝起きたら、ミイムの姿が消えていた。そして、カタパルトが破壊されてスペースファイターまでも消えていた。
それだけで、状況証拠は充分だった。マサヨシには、ミイムがそんな過激な行動に出る理由は思い当たっていた。
だが、それがこんなに早く訪れるとは予想外だった。それに、レギーナが生きているという確証は得ていなかった。
なのに、ミイムがルルススとして行動を開始する意味が掴めない。何の情報もないのに動く方が危険ではないか。
しかし、相手は異星人なのだ。マサヨシの想像の範疇を超えた手段で情報を得たのかもしれない、と結論付けた。

「パパぁ…」

 寝起きのハルが、目を擦りながらリビングに入ってきた。

「ママ、どこにいるの? お部屋にもお風呂にもいなかったよ?」

 ハルはぼんやりした目で皆を見回していたが、不安げに眉を下げた。

「ママ、いなくなっちゃったの?」

 一瞬、皆が言葉に詰まった。すると、ヤブキはすかさずキッチンから出てきて、ハルを抱き上げた。

「違うっすよ、ちょっと隠れんぼしてるだけっすよ! 宇宙規模のっすけどね!」

「隠れんぼ?」

 ヤブキの腕の中で、ハルは目を丸めた。ヤブキは、ハルの寝乱れた髪を撫で付ける。

「そうっすよ。んで、マサ兄貴達は全員鬼だから、ミイムを見つけなきゃなんないんすよ」

「そうなの?」

 ハルは訝しげだったが、マサヨシらを見渡した。

「それは」

 事実と異なる、と言おうとしたトニルトスをねじ伏せたイグニスは大きく頷いた。

「そうだ、そうなんだぞハル! だから、俺達はこれからちょっくら宇宙隠れんぼに行かなきゃならねぇ! ヤブキと一緒に、良い子で留守番してんだぞ、な!」

〈え、ええ、そうよ! ね、マサヨシ!〉

 サチコは少々慌てながら、マサヨシにレンズを向けた。マサヨシは若干ぎこちなかったが、笑顔を作った。

「だから、しばらく家を出ることになるが、すぐに戻ってくるから心配するな。必ず、ミイムを見つけて連れ戻す」

「うん、解った」

 ハルは少し疑問を残していたようだったが、聞き入れてくれた。

「そうと決まりゃ、早速宇宙隠れんぼの支度をしなきゃならねぇな」

 イグニスは立ち上がると、頭を押さえ込んでいたトニルトスの首を掴み、ガレージへと引き摺った。

「ほうら行くぞ愛玩犬!」

「誰が愛玩犬だ!」

 トニルトスはイグニスを振り払い、駆け出した。マサヨシもリビングから出ようとしたが、呼び止められた。

「あ、ちょっと待って下さいっす!」

 ヤブキはキッチンで手早く何かを包むと、マサヨシに渡した。

「具は適当っすけど、味の方はなかなか自信があるっすよ。今日の朝ご飯にするつもりだったんすけどね」

 それは、まだ暖かなおにぎりの包みだった。マサヨシは、ヤブキに礼を言う。

「ありがたく頂いておくよ」

「それと、今晩はすき焼きにするっすからね! オイラ、この間からずっと喰いたかったんすよ!」

「夏場に鍋物をやるのか、お前は?」

「旨いもんはどんな季節に喰っても旨いんすよ!」

「まあ、楽しみにしておくさ」

 マサヨシはヤブキとハルに見送られながら、リビングから出た。サチコも、マサヨシの後にぴったりと付いてきた。
ガレージは、いつもより大人しかった。二人の赤と青の機械生命体は、慣れた手付きで戦闘準備を整えていた。
出来れば戦闘には持ち込みたくないが、場合によっては仕方ない。マサヨシは、急いでカタパルトに向かった。
 カタパルトに通じるエレベーターは無事だが、それ以外はダメだった。内部からの砲撃で回路が焼き切れている。
機動歩兵の格納庫に入ろうにも、自動ドアは動かなかった。仕方ないので、マサヨシはバールを使ってこじ開けた。
真っ暗な格納庫の内部を照らすために予備電源を入れると、白い閃光が頭上から降り注ぎ、機体を照らし出した。
マサヨシは梯子を使って機動歩兵のコクピットに入ると、その中でヤブキのおにぎりを囓りながら、作業を始めた。
ミイムが物理的にサチコのメインコンピューターをHAL号から外したせいで、機動歩兵のシステムも落ちていた。
スペースファイターのHAL号と機動歩兵のHAL2号は、スペースファイターのコンピューターで一括管理していた。
当然、HAL2号も独立稼動出来るようにしてあるが、スペースファイターには劣る。それを補わなければならない。

「なんだ、昆布か」

 マサヨシは口の中に広がる甘辛い味と歯応えのある触感で、おにぎりの具を察した。

〈嫌いなの?〉

 サチコは驚異的な速度でHAL2号にプログラムをインストールしながら、マサヨシに尋ねた。

「いや、そうじゃない。タラコとか明太子とか筋子とか、ああいう魚卵の方が好きなんだ」

〈あら、そうだったの。知らなかったわ〉

「言う機会がなかっただけだ」

 マサヨシは昆布のおにぎりの残り半分を押し込むように食べると、サチコと共に制御システムの調整を続けた。
調整作業に集中していても味が解るほど、ヤブキのおにぎりは旨かった。少々喉は渇くが、塩気が丁度良かった。
握られた白米の硬さも丁度良く、隙間なく巻かれた海苔からは濃い磯の香りが広がり、日本茶が欲しくなる味だ。
だが、今はそうも言っていられない。マサヨシは二個目のおにぎりに手を付けたが、その中身は梅干しだった。
しかし、具に気を回せるほどの余裕もなくなり、機体の調整に集中した。一刻も早く、ミイムの後を追わなければ。
 HAL号を奪還することも大事だが、彼を一人で戦わせたくなかった。仮初めだとはいえ、今は家族なのだから。
レギーナを救い出したとしても、それから先、生き残れるとは思えなかった。そのまま、死なせてしまいたくない。
 ミイムは最初の外来者だ。マサヨシとイグニスが作り上げていた淡い幸せに、新たな色を加えてくれた少年だ。
彼を失うことでこの微妙な均衡が崩れることを恐れているが、それ以上に彼自身を失うことが恐ろしかったのだ。
作り物の家族の主としての体面を超えた、マサヨシ個人の強い情念だった。彼は、最早友人を超越した存在だ。
 ミイムは間違いなく死ぬ気だ。あの明るく美しい笑顔は、全てに絶望していたからこそ浮かべられる表情だ。
顧みるものを失った従者は過去の自分を捨て、主を守れなかった罪を背負って新たな人生を歩み始めていた。
だが、ミイムは過去に繋がる糸を見つけ出した。そして、名と心を偽っても捨てきれなかった忠誠心を蘇らせた。
けれど、その忠誠心を果たした先にあるものは死だけだ。泥臭くても偽りでもいい、ただ生き続けていてほしい。
 大切な家族だからだ。







08 6/13