アステロイド家族




鏡の中の世界



 そして、真実に至る。


 愛機の操縦席の寝心地は、今一つだった。
 背中と腰が痛く、おまけに寝不足で頭の動きが鈍い。以前ならなんでもなかったはずだが、近頃では体に来る。
年齢を重ねたことを実感しつつ、マサヨシは体を起こした。体の下で、リクライニングを全て倒した操縦席が軋む。
念のためにコクピットの機能を落とさずにいたため、やたらと眩しかったせいもあり、いつもより眠りは浅かった。
 我が家のベッドを恋しく思いながら、マサヨシは体を伸ばした。メインモニターに広がる光景を見、一瞬戸惑った。
だが、すぐに思い出した。ここはコルリス帝国軍の有する強襲戦艦インクルシオ号の格納庫内だ、という事実を。
メインモニターの左右、つまりHAL号の左右には、同じく格納庫に収用されたイグニスとトニルトスが座っている。
武器を抱いて俯いている二人の表情は窺えないが、気を緩めている様子はない。それは、マサヨシも同じだった。
 マサヨシら三人はミイムとHAL号を奪還するために強襲戦艦インクルシオ号に向かったが、事態が急変した。
ミイムは自分の正体はレギーナ皇太子の側近、ルルススだと言っていたが、実はミイムこそがレギーナであった。
そして、本物のルルススはリリアンヌ号にいた方なのだが、フォルテはどちらがレギーナなのか判別出来なかった。
そこで、リリアンヌ号からルルススを回収したフォルテはミイムと名乗るもう一人の兄と接触したが激しく抵抗した。
ミイムは並外れた身体能力と生まれ持ったサイコキネシスを操って、兵士を大量に殺し、フォルテを殺そうとした。
 そこへマサヨシらは介入したのだが、事態を収められないまま、ルルススは兵士の熱線銃を使って自殺した。
傍目に見ていても訳が解らない展開だが、当事者達はそれ以上に混乱しており、マサヨシらは何も出来なかった。
ルルススの検死とレギーナの治療が終わり次第始まると思われた事情聴取も始まらず、格納庫に止まっていた。
 フォルテは船室を用意すると申し出たが、万が一暗殺でもされたら困るので、マサヨシはそれを丁重に断った。
コルリス帝国にとって、非常に都合の悪いことを知っている人物になってしまったので、そうならないとも限らない。
フォルテは、まだ信用に値する人物ではない。レギーナもだ。彼は、自分のことをルルススだと思い込んでいた。
本物のルルススが目の前で死んだことで自分がレギーナだと思い出したようだが、どうも妙な点が多すぎるのだ。
 なぜレギーナがルルススだと思い込むに至ったのか。尾が短くなっていたのか。高度な戦闘能力を持ったのか。
他にもまだまだあるが、情報が少なすぎるために結論が出るわけもなく、マサヨシは悶々と思考するだけだった。

『マサヨシ、起きてるか?』

 船外から相棒に声を掛けられ、マサヨシは応答した。

「さっき起きた。だが、どうにも解らないことだらけだ」

『そいつは同感だ。昨日の夜にお前から聞かされた話をまとめて考えてみたが、辻褄が合わない部分が多すぎる』

 メインモニターの右側で、ビームバルカンを抱いて胡座を掻いているイグニスが肩を竦めた。

『情報を総合的に判断したが、やはりレギーナが皇帝を殺したと考える他はなさそうだ』

 左側で片膝を立てて座っているトニルトスは、HAL号に顔を向けた。

「その理由は?」

 マサヨシが問うと、トニルトスは答えた。

『ルルススが死んだからだ。あれは、我ら機械生命体の間でも使われる作戦だ。いかにもそれらしい言動をして敵の注意を惹き付けておき、その間に行動を取るのだ。陽動に近いが、根本的に違うのは命を惜しまぬことだ。偽りを誠へと塗り替えるために己の命を張り、貫き通す。余程の忠誠心がない限り、出来ぬ行動だ』

『俺もそう思うぜ。ルルススは、レギーナの皇帝殺しの罪を被って死んだとしか考えられねぇぜ。大体、あの状況でルルススが死ぬ理由っつったらそれ以外あるかよ』

 なあ、とイグニスに同意を求められたが、マサヨシは言葉を濁した。

「そう、なんだが」

『なんだよ、その排気管が目詰まりしたみてぇな言い方は』

「俺は、やはりルルススが皇帝を殺したんじゃないかと思うんだ」

『それは、尚のこと説明が付けられんぞ。ルルススが皇帝を殺したのなら、なぜレギーナの尾が短いのだ? 貴様らの寄越した情報に寄れば、クニクルス族という種族は尾の長さが皇族であることを示す証だと言うではないか。ならば、レギーナは身分を偽るために尾を切断したということだ。すなわち、生き別れたルルススを使ってコルリス帝国の追っ手を攪乱させるために違いない。或いは、ルルススを身代わりにしてレギーナとして処刑させるためなのだ』

 トニルトスはもっともらしく己の考えを説明したが、マサヨシにはどうしても受け入れがたかった。

「そう考えるのが自然だろうが、しかしな…」

『おいおい、お人好しにも程があるぜ? まさか、レギーナには非はないとか言うんじゃねぇだろうな?』

「俺には、レギーナが、というか、ミイムが皇帝を殺したとは思えない。いや、思いたくないんだ。お前ら二人の推理はなかなか筋も通っているが、どうも、なぁ…」

『貴様は甘い』

 トニルトスは立ち上がり、HAL号のコクピットに詰め寄った。

『船だけならまだしも、貴様を裏切ったあの小動物も奪還しようと考えることからしてまず間違っている。裏切り者は、即刻切り捨てるべきだ。そして、処分すべきだ。それに、我らがこの戦艦に留まる理由はどこにある? 我らはあの小動物に振り回された挙げ句に拘束されているのだぞ?』

「お前が俺達に掛けた迷惑と大して変わらんぞ」

 マサヨシの皮肉に、トニルトスは一秒と立たずに怒った。

『私とあの小動物を比較するな! 屈辱だ!』

〈でも、状況を見守った方がいいのは確かね。インクルシオ号の異変を感じ取って統一政府軍も動き出しているようだし、下手なことは出来ないわ。ただでさえ堅気じゃない仕事をしているし、マサヨシも何人か兵士を殺しちゃったし、あんた達はインクルシオ号に結構な損害を与えたし、フォルテ皇女殿下の機嫌を損ねちゃったりしたら全ての罪を被せられてしまうかもしれないわ。いいえ、そうならない確率の方が断然低いわ!〉

 モニターの隅で、サチコの電子合成音声に合わせてグラフが波打った。

「サチコの言う通りだ。俺達が無罪放免で釈放される方が異常だと思え」

 マサヨシは腕を組み、リクライニングを起こした操縦席の背もたれに身を預けた。

「だから、今は大人しくしておけ。その方が、少しは心証も良くなるかもしれないしな」

『その前に殺されるかもな』

 お前が、とイグニスにコクピットを指され、マサヨシは苦笑いを零した。そうなったら、戦って逃げ延びるだけだ。
けれど、出来れば戦いたくなかった。ミイムはルルススであり、そしてレギーナだったが、やはりミイムはミイムだ。
 家には、帰りを待ち侘びている家族がいる。ミイムを連れ帰るために出てきたのだから、連れて帰るのが筋だ。
しかし、ミイムにはレギーナとしての過去があり、兄妹がいる。本当の家族がいるのなら、そちらに渡すのも筋だ。
所詮、偽物の家族なのだ。マサヨシは情報端末を開いてホログラフィーを出し、ハルの笑顔を見ながら葛藤した。
 正しい結論は、いくつもあった。




 ぼやけた天井が目に入り、消毒液の匂いが鼻を突いた。
 熱線で皮膚と筋肉組織を破壊された右腕は感覚が鈍く、神経にも損傷があるのだと淡い意識の中で悟った。
二つめの弾痕も、ずきずきと疼いている。兵士に撃ち込まれた超能力抑制弾の効果は、まだ切れていなかった。
 インクルシオ号の医務室には、レギーナの体に繋げられた医療機器から発する電子音が絶え間なく響いていた。
瞬きして目を動かすと、軍医がこちらに気付いた。彼女はレギーナに簡単な診察をしてから、医務室を後にした。
程なくして、フォルテがトリアを伴って入ってきた。レギーナは妹の屈強な姿を見上げて、乾き切った唇を開いた。

「久しいね、フォルテ」

「御加減はいかがですか、兄上」

 フォルテはレギーナの横たわるベッドに近寄ると、礼をした。

「止せよ、ボクはテロリストだぞ。未来の皇帝陛下がテロリストになんか頭を下げるなよ」

「鎮静剤が効いておられるんですね」

「ああ、おかげで大分頭が冷えてくれた。それと、ルルススがボクにしたことも解ってきた」

 レギーナが体を起こそうとすると、フォルテはそれを制した。

「そのままでよろしいです、兄上。どうかご無理をなさらずに」

「これくらい、どうってことないさ」

 レギーナは頭痛と右腕の痛みに顔を歪めながら上半身を起こし、壁に背を預けてフォルテと向き直った。

「パパさん、いや、マサヨシとイグニスとトニルトスには何もしていないだろうな?」

「皆、格納庫におられます。お呼びしましょうか」

「いや、いい。これ以上、あの人達を関わらせたくない」

 レギーナは深く呼吸してから、語気を強めた。

「結論から言おう。やはり、母上を殺したのはルルススだ」

「ルルススが最期に述べたあの言葉に、偽りはなかったのですね」

 トリアが言うと、レギーナは頷いた。

「ルルススは有能な側近だったよ。だが、有能すぎたんだ」

「やはり、兄上は母上に殺意を」

 フォルテが重たく呟くと、レギーナは乾いた笑いを零した。

「平たく言えばそうなるね。青二才の皇太子でしかなかったのに、皇帝とほぼ同等の権限を与えられて、政治も軍事も皇族内のゴタゴタも何から何まで押し付けられちゃっていたんだ。ボクも無理なものは断れば良かったんだけど、母上から期待されているんだと思うと無下に出来なくてさ。だから、何から何まで背負おうとしちゃったんだ」

「私の助力が足りず、申し訳ございませんでした」

 フォルテが心苦しげに謝ると、レギーナは首を横に振る。

「もういいよ。謝るべきはボクなんだから。フォンス王国軍との戦いだって、星間防衛の件だって、フォルテはボクの負担を減らそうとしてくれたんじゃないか。それに、ボクはフォルテが育てた大事な部下を何十人も殺してしまった。それこそ、許されることじゃない」

「それは…」

 フォルテは言葉を濁したが、レギーナの大きな瞳を見据えた。

「国へ帰り次第、彼女達は丁重に葬ることを約束します」

「うん。本当なら、それはボクがするべきことなんだけどね。ごめんね、フォルテ」

 レギーナは点滴が繋がれている左手を伸ばし、フォルテの厚い手に触れた。

「ルルススがボクに何をしたか、教えてあげるよ」

「はい」

 兄の華奢な手を両手で包み、フォルテは頷いた。レギーナは、薄い瞼を伏せる。

「ルルススは発情期を迎える前に超能力に目覚める、早熟なタイプだったらしい。ボクが知らないうちに、ルルススはテレパシー能力に目覚めていたんだ。ボクは一卵性双生児だからルルススといつも心が繋がり合っているんだ、と思っていたけど、そうじゃなかった。あれはテレパシーだったんだ。ルルススはボクの傍にいない時でもボクの心を覗くようになったんだけど、ボクは気にしていなかったし、それは側近として当たり前のことなんだと思ってしまった。でも、そんなのはまともじゃない。無意識のうちに、ボクはルルススの心に負の感情を流し込むようになってしまったんだ。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、嫌なことがあったら、ルルススに全て押し付けるようになったんだ。ずるいよな、そんなの。ルルススだって、辛いこともあったろうに」

 レギーナは目元を潤ませ、声を詰まらせる。

「ボクとルルススが入れ替わったのは、母上が殺された日の午後だ。疲れ果てているのに眠れなかったボクにルルススが薬湯を飲ませてくれて、寝入っている間に服を入れ換えて、テレパシーを使った強烈な催眠を掛けたんだと思う。尾もその時に切られたんだ。よくよく思い出してみれば、母上を殺した時のボクは裾の長い寝間着を着ていたし、ルルススもそんな感じの服装をしていた。ボクが持つルルススとしての記憶は鮮明だから、恐らく訓練して記憶を上書きする特殊技能も会得していたんだろう。ただの生っちょろいガキにしか過ぎないボクが、特殊部隊さながらに戦えていたのもルルススのおかげだ。あれも全て、本当はルルススが体に叩き込んでいた戦闘技術なんだから。そして、自分自身にボクの記憶を上書きしたルルススはボクに成り代わって母上を殺し、フォルテと仲違いし、何もかも捨てて宇宙に逃げ出した。ルルススはボクが出来なかったことを、やりたいと思っていてもしちゃいけないことを全部やってしまったんだ。大した忠誠心だよ」

 レギーナは左手で顔を鷲掴みにし、唇を歪めて歯を食い縛った。

「それに比べて、ボクはなんて情けない主なんだ…」

「兄上」

 フォルテがレギーナに近寄ると、レギーナは荒っぽく目元を拭った。

「あまり、ボクに優しくしないでくれ。いっそのこと、殴ってくれた方が気が楽になるよ」

「フォルテ様!」

 不意に、トリアが声を上げた。と、同時にレギーナはびくんと震え、頭を抱えた。

「え…あ…?」

「兄上、どうなされましたか!」

 フォルテがレギーナを支えると、トリアが沈痛に述べた。

「今、医療班からテレパシーで連絡がありました。ルルススの脳が完全に沈黙したとのことです」

「だろうと思ったよ。今し方、ルルススの気配が消えたから」

 レギーナはフォルテの逞しい腕に支えられながら、顔を上げた。

「すまないが、ボクをルルススの傍に連れていってくれないか。お別れがしたい」

「了解しました。医療班に連絡をしてまいります」

 トリアは一礼して、足早に医務室を後にした。フォルテはレギーナをベッドに横たえ、太い眉を下げた。

「私は、常々兄上を敬っていました。軍務以外は得意ではない私とは違って、あらゆる才に秀でていた兄上は憧れであり、目標でした。ですが、兄上がそんなに苦しまれていたとは存じ上げませんでした。なんと謝れば良いか」

「だから、謝らなくてもいい。それと、ボクはそんなに凄い人物じゃない」

 レギーナは青ざめた頬を引きつらせ、笑みに似た痛々しい表情を作った。

「ボクは皇帝にはなれないし、将軍だって無理だ。母上が病気で倒れてからの二年間、いつもそう思っていた。なのに、誰にも言えなかった。ボクさえ我慢すれば大丈夫だ、なんて思い上がっちゃって、そのくせルルススに嫌なことを全部押し付けて、挙げ句の果てにはそのルルススを死なせてしまった。そんな根性なしが、凄いわけもないし、敬われるなんて以ての外だ。ボクは現実から逃げ出した、ただの臆病者なんだから」

「兄上…」

 兄の並べた言葉にフォルテは俯き、言葉を詰まらせた。医務室のドアが開き、衛生兵を伴ったトリアが現れた。
衛生兵は車椅子を運んでくると、レギーナに繋がれている点滴を外して車椅子に移動させて、本人も移動させた。

「私がお連れする」

 衛生兵とトリアを遮ったフォルテは、兄の車椅子に手を掛けた。レギーナは妹を見上げ、目を細めた。

「ちょっと見ない間に随分立派になったね、フォルテ」

「鍛えましたから」

 フォルテが小さく笑うと、レギーナは前を向いた。

「行こう。ルルススを待たせてはいけない」

 衛生兵の案内で、レギーナはルルススの元へ向かった。車椅子を押すフォルテは力強く、改めて成長を感じる。
たった半年、されど半年だ。その間に同い年のフォルテは成人を迎え、たった一人でコルリス帝国を支えてきた。
だが、レギーナには皇太子として母国に戻れる資格はない。国を捨て、側近を死なせ、友軍を殺戮したのだから。
そして、フォルテに出来ることも何一つとしてない。あんなことをしても優しくしてくれる妹の心の深さが、逆に辛い。
 レギーナに残ったものは、命だけだ。だが、それすらも疎ましく、出来ることならルルススと共に逝きたかった。
レギーナの苦しみを全て引き受けて、命まで失った側近にしてやれることと言えば、黄泉に付き合うことぐらいだ。
だが、それは許されそうにない。フォルテやトリアが傍にいる限り、レギーナが自害するような隙は出来ないだろう。
二人とも、感度の高いテレパスだ。今、こうしてレギーナが考えていることも、薄々だが感じ取っているに違いない。
死ぬ以外に行くべき道があろうものか。アステロイドベルトでの日々も、レギーナ自身が終止符を打ったのだから。
 後悔しないと決めたはずなのに、胸が痛かった。







08 6/20