アステロイド家族




ミラクル・クッキング




 精一杯の、思いを込めて。


 静かな昼下がりだった。
 ミイムはリビングで洗濯物を畳みながら、鼻歌を零していた。ハルが昼寝をしている間に、済ませておきたい。
窓から差し込む日差しは焼け付くようだが、天井に設置された空調ファンから流れ出す空気は心地良く冷たい。
炎天下の庭先では二体の機械生命体が向かい合い、輪のように結び合わせたケーブルを行き来させていた。
 いわゆる、あやとりである。先日の出来事でサーフィンが禁止されてしまったので、新たに見つけた遊びだった。
情報の出所は、当然ヤブキだ。最初は二人とも馬鹿にしていたが、いざ始めてみると思いの外熱くなるらしい。
相当集中しているらしく、どちらも黙り込んで睨み合い、お互いの手の間に広げたケーブルを掴んで取っている。
時折口論はしているようだが、どちらも両手が塞がっているおかげで手を出すこともないので静かなものである。
 玄関先に咲き揃ったヒマワリが風を受けて揺れ、眩しい日差しが黄色い花弁を輝かせて、暑さを際立たせる。
BGM代わりに付けているホロビジョンテレビには、まるで興味をそそられない芸能ニュースが延々と流れている。
退屈な時間だが、だからこそ気分が良かった。ミイムは畳み終えた洗濯物の山を、サイコキネシスで浮かばせた。
洗濯物をそれぞれの部屋に置いたら、今度は布団を取り込もう。今日は湿度も低いので、良く乾いているだろう。
 マサヨシの部屋に彼の服を置いてからハルの部屋を覗いたが、ハルはベッドで微動だにせずに眠っていた。
蹴り飛ばしてしまったタオルケットを掛け直して、子供用の小さなタンスに服を置いてから、そっと部屋から出た。
その後に自分の部屋とヤブキの部屋を周り、ヤブキの部屋の相変わらずの汚さに呆れ返ってため息を吐いた。
だが、本人がいないのでは文句の言いようがなかった。ミイムは軽く足を浮かばせて、足音を立てずに移動した。
 一ヶ月前、ミイムが破壊したカタパルトは、二日前に修理が完了した。その経費の全額は、フォルテが出した。
レギーナの右腕の切断とルルススの右腕移植手術を受ける前に交わした約束だそうだが、妹らしいと思った。
 カタパルトの修理費用の内訳もコルリス帝国の資産ではなく、フォルテが受け取った給料から出された金だった。
その方が、コルリス帝国側にもミイム側にもしこりが出来ないで済むだろうとの判断の下、決定されたことだった。
 ミイムの正体であるコルリス帝国第一皇太子のレギーナは、本国では死んだことになり、皇族の地位も捨てた。
そして、あの事件ではフォルテに多大な迷惑を掛けてしまったので、己を戒める意味でもフォルテとの縁を切った。
ミイムもそれで良かったのだと思っているが、肝心な時に礼も言えなくなってしまったのは少しばかり寂しかった。
しかし、それにも慣れなければならないのだ。全てはミイム自身が選び、望んだ末に辿り着いた人生なのだから。
 リビングに戻ったミイムはサイコキネシスで己を浮かばせ、ふわりとソファーに降りて、人工の青空を仰ぎ見た。
買い出しに出掛けたマサヨシとヤブキは、今頃どうしているのだろうか。余計な物を買っていなければいいのだが。
 いつもなら買い出しにはミイムも一緒に行くのだが、コルリス帝国の件があるのであまり表立って動けなかった。
あの後、コルリス帝国は太陽系の開拓植民船を敵船扱いしたことを全面的に謝罪したが、双方の空気は険悪だ。
特に、開拓植民船の搭乗員の八割を占めている火星圏からの抗議が激しく、フォルテの訪問を拒否したほどだ。
そんな空気の中、ミイムが他の宇宙ステーションを出歩いたら荒事が起きてしまうかもしれないとの懸念もあった。
 ただでさえ、クニクルス族は目立つ外見だ。そして、万が一、サイコキネシスが暴発したら取り返しが付かない。
この状況でミイムが誰かを殺したら、フォルテがやろうとしていることは水泡に帰し、星間戦争が始まりかねない。
コルリス帝国と太陽系との関係は生まれたばかりであり、不安定だ。些細なことでも、何がどうなるか解らない。
それらの危険を回避するためにも、星間情勢が落ち着くまでの間は廃棄コロニーで大人しくしているしかなかった。
けれど、それこそがレギーナが、ルルススが、ミイムが望んでいたことだ。それ以上、求めるものがあろうものか。

「ふみゅう」

 ミイムはぐいっと伸びをしてから、多少筋が凝った肩を回した。

「ボクもちょっと寝ましょおかねぇー…」

 空調の温度が丁度良いのと、家の中と外が静かなので、気持ちが緩んで柔らかな眠気が込み上がってきた。
いつもは騒がしすぎて、昼寝をするタイミングすら掴めない。だが、今ならハルが起きるまでは眠れそうだった。
次に畳むつもりだったバスタオルを一枚取って体に掛けて、ソファーの上で身を丸め、ミイムは薄い瞼を閉ざした。
思いの外疲れが溜まっていたのか、分厚い眠気が意識に覆い被さり、緩やかながら確実に引き摺り込まれた。
 熟睡するまで、五分と掛からなかった。




 寝ぼけた頭を揺すり、ハルは起き上がった。
 何度か母親役の少年を呼んだが、返事がない。ぐちゃぐちゃに乱れた長い金髪を気にしつつ、ベッドから降りた。
そのまま部屋を出ようとしたが立ち止まり、タオルケットを引っ張って丸めて枕元に放り投げてから、部屋を出た。
起きたら畳めと教えられているが、今はそれよりもママが先決だ。寝起きは妙に寂しくて、他人が恋しくなるのだ。
 ハルは駆け足でリビングに入ったが、立ち止まった。三人掛けソファーで、ミイムがぐっすりと眠っていたからだ。
ピンクの長い髪がソファーから床に零れ落ち、白い毛に覆われた長い耳もだらりと垂れ下がり、熟睡している。
考えてみれば、ミイムが眠っているところを見るのは初めてだ。ハルは、家族の中で一番先に寝かされるからだ。
熟睡しているだけなのに、寝顔には儚げな美しさが漂っていた。伏せられた瞼から伸びる睫毛は、驚くほど長い。
 彼を起こしてはいけない気がしたハルは、足音を殺してキッチンに入り、背伸びをして冷蔵庫のドアを開けた。
一番近くにあったジュースのボトルを取ると、冷蔵庫を閉めてから踏み台に乗り、食器棚からコップを取り出した。
オレンジジュースをコップの八分目ほどに注いで、ボトルを冷蔵庫に戻してから、ハルはそのジュースを飲んだ。
良く冷えた甘酸っぱい味が滑り落ちていくのが勿体ない気もしたが、喉が渇いていたので一気に飲んでしまった。
コップをシンクに置いてから外を見やると、イグニスとトニルトスが物凄く真剣にあやとりをしている様子が見えた。
 ハルはサンダルを突っかけて玄関から外に出ると、むっとした熱気にちょっと顔をしかめたが二人に駆け寄った。

「おじちゃん、トニーちゃーん」

 ハルが呼び掛けると、二人は振り向いた。トニルトスの番らしく、巨大な手の間にはケーブルの糸が渡っている。

「何だ、幼女」

「おう、起きたかハル」

 イグニスは身を屈めると、ハルに顔を近寄せた。ハルは、首を傾げる。

「おじちゃん達、まだあやとりやってたの?」

「退屈凌ぎにな」

 イグニスが笑うと、トニルトスは両手の指の間で複雑に絡み合ったケーブルを誇らしげに掲げた。

「見よ、ギャラクシーだ!」

「だから、そりゃはしごだろうが」

 イグニスがすぐに否定するが、トニルトスは譲らない。

「だが、ヤブキは言っていたではないか! あやとりの究極はギャラクシーなのだと!」

「つうか、俺達がやってたのは二人あやとりじゃねぇか。勝手に一人でやるんじゃねぇよ」

「それは負け惜しみか、ルブルミオン」

「別に。俺、そこまであやとりに入れ込んでねぇし」

「ならば作ってみせよ、ギャラクシーを!」

 トニルトスは五段はしごを解き、ケーブルをイグニスに押し付けた。イグニスは、それを両手の間に広げる。

「だから、そりゃギャラクシーじゃねぇっつってんだろうが」

「ははははははははははは、ルブルミオンはカエルレウミオンには勝てぬ運命にあるのだ!」

 有頂天になって高笑いしたトニルトスを、ハルは叱り付けた。

「トニーちゃん、めっ!」

「は?」

 トニルトスが反らしていた上体を戻すと、ハルは唇の前で指を立てた。

「今、ママがねんねしてるんだもん。うるさくしちゃめ!」

「ほれ、ギャラクシー」

 イグニスは盃を作ってトニルトスに向けると、トニルトスはあからさまに不快感を示した。

「ギャラクシーは貴様如きに成せる技ではない、身の程を弁えろ」

「自分で作れって言ったくせに、そりゃねぇだろ」

 イグニスは彼の理不尽な反応に舌打ちしたが、トニルトスはそれを無視してハルを見下ろした。

「あのやかましい小動物が休眠状態にあるのは、私にとっては好都合だ。その状況を維持することは、貴様のみならず私の願望でもある。今回は利害が一致したが、貴様の命令を聞いたわけではないということを覚えておけ」

「良い子良い子」

 ハルに笑みを向けられ、トニルトスは顔を背けた。

「ふん」

「静かに、なぁ」

 イグニスは盃を解いて、今度はホウキを作った。

「おら、ギャラクシー」

「くどい!」

 トニルトスはイグニスを叩きのめそうと拳を繰り出したが、イグニスは上体を下げてその手から逃れた。

「なんだよ、静かにするって言ったばっかりだろ?」

「ギャラクシーを極められるのは誉れ高きカエルレウミオンである私だけなのだ!」

「そうら、ギャラクシー」

 と、イグニスは最も簡単なあやとりの形である川を作ってにやにやと笑った。いいようにからかわれているのだ。

「この!」

 トニルトスはその川の内側の糸を抓んで外側に出し、取った。だが、イグニスもトニルトスの手から糸を取る。

「てめぇって本当に遊びやすい野郎だな」

「黙れ!」

 トニルトスはイグニスの手の中から再び糸を取るが、イグニスも糸を取った。結局、また二人あやとりになった。
ハルはしばらくその光景を見ていたが、どうやっても混ざれないし外はとても暑いので、家の中に戻ることにした。
 玄関に入った途端、冷たい空気が肌を舐めた。ハルは再びリビングを覗いたが、ミイムは起きていなかった。
ハルはミイムの眠り姫のような寝顔を見つめていたが、このまま一人でじっとしているのも面白くないな、と思った。
そして、考えた。いつも自分が昼寝から起きてくると、ミイムは何をしてくれただろう。また、何をしていただろうか。
 同じことをすれば、きっとママも喜んでくれるはずだ。




 買い出しを終えた頃には、荷物は予想以上の量になった。
 家族四人分の食糧と日用品だけでなくスペースファイターの部品もあるため、一人ではとても運びきれない。
フルサイボーグのヤブキがいなかったら、ここまで買えなかっただろう。エアカーを使っても、限界はあるのだ。
 マサヨシは予算よりも多少オーバーしてしまった出費に少々胃を痛めつつ、パーキングに向けて運転していた。
助手席に座るヤブキは、ガニメデステーションの動脈ともいえる役割のメインエアロードを物珍しげに見ていた。
最初はヤブキもエアカーを運転出来ると言ったのだが、マサヨシはそれを頑なに断り、ハンドルを譲らなかった。
ヤブキに操縦の腕がないのは、最初に出会った時から知っている。だから、きっとエアカーでも同じだと思った。
パーキングでレンタルしたエアカーの値段は宇宙船に比べれば安いかもしれないが、常識的には高い値段だ。
破壊活動を行われては、せっかくフォルテに金を出させたおかげで黒字になった家計簿がまた赤字に逆戻りだ。

「お?」

 不意にヤブキが何かに反応して顔を上げると、サチコが報告した。

〈マサヨシの情報端末にハルちゃんから通信が入ったけど、運転中だからヤブキ君の方に回したわよ〉

「ああ、すまん」

 マサヨシがヤブキに目をやると、ヤブキは今日新調したばかりの最新機種の情報端末を取り出した。

「いいっすよいいっすよ、どうせ暇だったんすから」

 ヤブキが手早く操作してホログラフィーを展開すると、ハルの姿が浮かび上がった。

『あ、お兄ちゃん? パパとお姉ちゃんは?』

「マサ兄貴は運転中でサチコ姉さんはそのナビゲートっす。だから、オイラが代わりに話を聞くっす」

『うん、あのね。今、ママがねんねしてるの』

「そうっすか。だったら、邪魔しないように良い子にしてるのが一番っすよ」

『うん、それでね。私、ママのためにおやつを作ってあげたいの』

「そりゃまたどうして」

『だって、ママはいつもそうしてくれるんだもん。ねえ、お兄ちゃんはホットケーキの作り方知ってるよね?』

「そりゃ知ってるっすけど、でも、それをやるんだったらミイムが起きてからの方が」

『それじゃ意味ないもん!』

 ハルは頬を張り、むくれる。ヤブキはマサヨシと顔を見合わせたが、マサヨシは笑うだけだった。

「やるだけやらせてみればいい。但し、危なくないように教えてやれよ、ヤブキ」

「オイラとしちゃあ不安がカンストしちゃう勢いなんすけどねー…」

 ヤブキは渋っていたが、ハルに押し切られる形で教え始めた。微笑ましいが、この場合は間違いなく失敗する。
ダイアナがそうだったからだ。ヤブキが傍について教えても勝手なことをして、簡単な料理ですら滅茶苦茶にした。
気持ちは嬉しいが、気持ちだけで充分だ。卵も割れないのに、いきなり飛躍したことをするから失敗して当然だ。
だが、こうなっては最早止める術はない。ヤブキは、被害者がミイムだけってのは救いかもなぁ、とも思っていた。
 家にいたら、ハルの初めての手料理を食べさせられてしまうだろう。それが、まともな食べ物であるはずがない。
だが、食べられないのはそれはそれで残念だ。マサヨシの横顔を窺うと、娘が気になるのかちらちらと目が合う。
不安だが楽しみでもあり、その上どうしようもなく期待している。ヤブキは彼の気持ちがよく解るので、にやけた。
 父親と兄の立場は、似通っているからだ。







08 7/1