アステロイド家族




謎の物体X



 昼食の冷やし中華を食べ終えたマサヨシは、呆気に取られていた。
 海の方向から、何かがやってくる。恐ろしく膨大な質量を持った物体が、蠢きながらこちらに迫ってきている。
マサヨシはアイスコーヒーの入ったグラスを取り落としそうになったが、冷静になろうとリビングテーブルに置いた。
そして、再び海の方向を見るが、その物体は消えていない。それどころか、徐々にこちらに近付いているらしい。
マサヨシはアイスコーヒーをブラックのままで飲んで胃に刺激を与えてみたが、目に映るものは変わらなかった。
デザートのフルーツゼリーを食べていたハルも、接近しつつある物体に気付いて、マサヨシの傍にやってきた。

「パパぁ、あれなーに?」

「…俺にも解らん」

 マサヨシが呟くと、窓の外に座っていたイグニスが立ち上がった。

「よおし、ここは一つ俺がぶっ飛ばしてやらぁ!」

「貴様如きに倒せる相手だと思うのか! 誉れ高きカエルレウミオンである私こそが相応しい!」

 負けじと身構えたトニルトスは、左腕の外装を開いてパルスビームガンの銃身を伸ばした。

「あー、物理攻撃は効かないっすよ」

 冷やし中華の替え玉の麺をずるずると啜っていたヤブキは、器を持ったままリビングにやってきた。

「行儀が悪いぞ」

 マサヨシが咎めると、ヤブキは冷やし中華の酢醤油までも飲み干してから器を下ろした。

「いいじゃないっすか、非常事態なんすから」

「それにしては落ち着きすぎだがな。そういえば、お前はべたべたに汚れて帰ってきたが、あれが原因だったのか」

「そうっすよ。でも、あんなやつのことを思い出すのも嫌だったんで言うのも嫌だったんす」

「気持ちは解らないでもないが…」

 マサヨシは、津波の如く迫り上がりながら家へと向かって押し寄せてくる赤紫色の粘液を見上げ、顔を歪めた。
その色といい動きといい、嫌悪感を掻き立ててくる。液体でありながらもどこか力強い動きが、尚更不気味だった。

〈スキャニングを掛けてみたら、生体反応を感知したわ。でも、あんな気持ち悪い物体をこのコロニーの中に入れた覚えはないから、スペースファイターに付着して侵入した宇宙生物の一種かもしれないわ。これは排除するべきね〉

「だったら遠慮はいらん、焼き払っちまえ!」

 マサヨシはリビングの掃き出し窓を開け、イグニスとトニルトスに命じた。

「言われなくてもやってやるぜ! ハルを守るためなんだからな!」

 イグニスはビームバルカンとレーザーブレードを両手に持ち、反重力装置とスラスターを作動させ、飛び出した。

「貴様一人に手柄を渡してなるものか!」

 すかさずトニルトスも飛び出し、イグニスを追った。マサヨシはリビングの窓を閉めると、ソファーに腰を下ろした。
後は、二人に任せておけばなんとかなるだろう。マサヨシはよく冷えたアイスコーヒーを啜って、苦みを味わった。
ミイムは目も向けたくないらしく、黙々と昼食の後片付けをしている。ヤブキも、デザートのゼリーに集中している。
だが、自分だけは事を見ておいた方がいいだろうと思い、マサヨシはハルを隣に座らせてから外の様子を窺った。
 イグニスとトニルトスは競い合いながら謎の粘液に砲撃を加えているが、質量が多すぎて吸い込まれている。
苛立ったトニルトスが長剣で切り裂こうとするが粘液なので物理攻撃は効かず、逆に長剣が飲み込まれてしまう。
イグニスが荒っぽく振り回しているレーザーブレードでなら傷は付けられるようだが、ダメージは与えられていない。
これは、どう見ても非効率的だ。だったら出た方がいいな、とマサヨシはアイスコーヒーを飲み干し、立ち上がった。

「サチコ、俺が外に出てから家の周囲にシールド展開。格納庫の第五ガレージのロックを解除し、機動歩兵の出撃準備だ。あのままじゃ、夕飯が出来る頃になっても終わりそうにないからな」

 マサヨシの言葉に、サチコはぎょっとして一回転した。

〈第五って、ナパーム弾とミサイルランチャーじゃないの! そんなの使ったらこの家が危ないわ、宇宙空間ならまだしもコロニー内なのよ!?〉

 マサヨシは、ぽんとサチコのスパイマシンに手を乗せた。

「だから、お前にはここを守ってもらうんだよ。あと、ヤブキの畑もな。ナパーム弾を使うと酸素量が大分減るから、その辺りの調整も頼む」

 マサヨシは散歩にでも出掛けるかのように、リビングから出た。その背を見送り、ヤブキは素直に感心した。

「やっぱり慣れてるっすね、マサ兄貴」

「それがパパのお仕事だもん」

 ハルはフルーツゼリーを食べ終えると、空になったガラスの器とスプーンをキッチンのミイムに渡した。

「ごちそうさま、ママ」

「みゅんみゅん、どういたしまして」

 ミイムは笑顔でそれを受け取ると、食器を洗っていたシンクの中に入れた。

「ところでサチコさん、アレの正体って何だと思いますぅ?」

 ミイムが泡まみれのスポンジを持った手で粘液の固まりを示すと、サチコはくるりとミイムに振り向いた。

〈ヤブキ君が作業着にくっつけてきた粘液を採取して分析機に掛けたから、もうしばらくすれば解ると思うわ〉

「無害だといいっすねー」

 ヤブキはあっという間にフルーツゼリーを食べ終え、すっかり戦場と化してしまったコロニー内に目線を投げた。
新造されたリニアカタパルトから出撃してきたマサヨシの機動歩兵、HAL2号はミサイルランチャーを担いでいる。
 HAL2号は両足を擦り付けて着陸すると、ミサイルランチャーの引き金を引き、一気に六発のミサイルを放った。
それらが粘液の固まりに着弾した直後に炎の柱が立ち上がり、延焼を促すオイルを伝って大規模な炎になった。
炎の海にイグニスとトニルトスが攻撃を加えたため、更に炎は勢いを増して、シールド越しでも熱が伝わりそうだ。
空を映し出すスクリーンパネルにまで及びそうなほど炎は高く昇り、己が造り出した上昇気流で酸素を巻き込む。
これにはさすがにハルは怖くなったのか、ヤブキに縋り付いた。ヤブキはハルを宥めつつ、外の様子を窺った。
 すると、異変が起きた。炎に焼き尽くされている表面が割れ、その内側から新たな粘液が溢れ出してきたのだ。
粘液はイソギンチャクのように細かく分裂すると、近くから攻撃を加えていたトニルトスを捕らえ、引き摺り込んだ。

「わお触手プレイ」

 ヤブキが実直な表現を口にすると、ミイムが浮かばせたスリッパで後頭部を殴られた。

「食後に下品なこと言うなですぅ」

「あっ、おじちゃんが!」

 事の行方を見守っていたハルが、不意に声を上げた。二人が注意を戻すと、今度はイグニスが取り込まれた。
そして、最後に奮戦していたHAL2号にも触手が及んだが、掴まれた瞬間にどこからかビームが飛んできた。
鋭い閃光はHAL2号の手足に絡み付いた赤紫色の触手を的確に切断し、HAL2号は寸でのところで逃げた。

〈いーやぁーっ! 私のマサヨシが穢されちゃうぅーっ!〉

 サチコが悲痛な悲鳴を上げると、ビームの連射速度も速くなった。どうやら、あれはサチコの操る武器らしい。
発信源を辿ると、空の間から突き出しているビームガンは、マサヨシにまとわりつく触手だけを撃ち抜いている。
機械生命体達のことは本当にどうでもいいらしく、二人が飲み込まれたと思しき場所にもビームを落としている。
 きゃーっ、いやーっ、だめぇーっ、とサチコが甲高い悲鳴を上げれば上げるほど、ビームの出力は上がっていく。
サチコの半狂乱ではあるが的確な援護のおかげで、マサヨシだけは触手から脱せたが、二人はそのままだった。
あまりの扱いの違いに、ヤブキとミイムは渋い顔をしたが、これは今に始まったことではないので放っておいた。
それに、下手なことを言って機械生命体達に本格的な攻撃が加えられてしまったら、それこそ大事になってしまう。
 サチコの錯乱ぶりとは反対に敵は落ち着いたもので、ビームを受けて断ち切れた部分も呆気なく再生させた。
それを見て、ようやくヤブキとミイムは危機感を抱いた。ひょっとしたら、あれはとんでもない物体なのではないか。
マサヨシの乗ったHAL2号は家を取り囲むシールドへと接近してくると、サチコを介してリビングに通信を入れた。

『見ての通りの状況だ。ミイム、ヤブキ、なんでもいいからあの物体に関する情報を俺に寄越してくれ。物理攻撃もナパームも光学兵器も効かないとなると、対策を練る必要がある』

「なんかあったっすか?」

 ヤブキが問うと、ミイムは首を捻った。

「ふみゅうん、そうですねぇ。そういえば、あれって喋っていたような気がしますぅ」

『喋ったのか?』

 マサヨシに聞き返されたので、ヤブキは答えた。

「そうっすよ。でも、その内容がゆんゆんに電波入ってたもんすから、光の速さで忘却したかったんす」

『それを早く言え』

 マサヨシの声色が、あからさまに落胆に染まった。だが、二人にはなぜマサヨシが落胆したのか解らなかった。
ヤブキもミイムも、あれに関して興味を持ちたくない。持ちたくないから、家に帰ってきてから報告しなかったのだ。
普通の状態の二人であれば、全力で説明しただろう。粘液が喋ったことも、大袈裟なくらいの勢いで言っただろう。
だが、そんな気も起きないほど嫌だった。粘液に突っ込まされて粘液まみれになったヤブキはもとい、ミイムもだ。
 ただの粘液であっても多少不気味さは感じるのに、蠢き、触手を出し、反撃し、そして喋るのだから気持ち悪い。
二人はありとあらゆる生理的嫌悪感を掻き立てられてしまったので、嫌悪感を表に出さないようにしていたのだ。
増して、あれと遭遇したのは昼食前だったから、ハルやマサヨシの食欲を削がさないためにも必要な対処だった。
 ただ、それだけのことなのだ。




 HAL2号を降りたマサヨシは、呆れると同時に苛立ちも感じていた。
 ヤブキとミイムは、あの粘液が喋ったと言ってきた。となれば、あの正体は意志のある生命体ということになる。
そんな物体にむやみやたらに攻撃すれば、反抗されて取り込まれるのは当たり前だが、報告するのが遅すぎる。
だが、二人はその事実がそれほど重要だとは思っていなかったらしく、マサヨシに指摘されて気付いたほどだった。
 サチコは粘液の分析を終え、報告したが、多細胞型の原始的な不定形生物の一種だとしか検出されなかった。
一般常識として、そういった原始生物は意志を持たないのだが、意志を持っているのであれば話は変わってくる。
マサヨシも、当初はサチコの情報と二人の情報が噛み合わないと思ったのだが、宇宙は広いのだと思い直した。
これだけ広大な世界ならば、そんなこともあるかもしれない、と。それに、これ以上暴れられては対処出来ない。
大事な戦力であり家族である二人も返してもらわなければ、傭兵の仕事を請け負って戦うこともままならなくなる。
 マサヨシは現場に行くのを嫌がる二人を強引に引き摺って、ついでにハルとサチコも連れて戦闘現場に戻った。
表面が焼け焦げてひび割れた粘液からは、ぶすぶすと沸騰する音と共に、蛋白質が焼ける匂いが広がっていた。
生物、というのは本当らしい。マサヨシはきっちり着込んでいたパイロットスーツの襟を緩め、一つ、咳払いをした。

「調査の結果、お前が生き物だということは解った。ついでに、お前が喋れることも把握した」

 マサヨシは、さも可笑しげに口元を引きつらせた。

「機械生命体なんか喰って旨いか?」

 すると、ごぼりと焼け焦げた表面が泡立ち、そこから煤の混じった赤紫色の粘液がどろどろと溢れ出してきた。
水よりも重たい液体に押し出されて外界に戻ってきた二つの巨体は、ごろりと地面に転がったが、動かなかった。
粘液に全身を覆われたイグニスは、細かく震えながら身を縮めた。トニルトスは、頭を押さえて突っ伏している。

「俺…もう…表を歩けない…」

「屈辱だ…陵辱だ…恥辱だ…」

 尋常ではない二人の様子に、マサヨシは訝った。

「お前ら、中で何をされたんだ?」

「いくら相棒だからって、そんなことが言えるかよ! ああ、いや、思い出させないでぇっ!」

 イグニスは、視線から逃れるように身を捩った。トニルトスは足腰が立たないのか、座った姿勢のまま後退った。

「き、貴様あっ! この私にあれほどの恥辱を味わわせるとは、ぶっ、無礼にも程があるぞぉ!」

「同人エロ漫画張りの汁だく触手プレイの挙げ句に後ろの処女でも奪われたんすかね?」

 ヤブキがにやけたので、マサヨシはその側頭部を拳で叩いた。

「もう少し言葉を選んでくれ。本当にそんな気がしてくるじゃないか」

「おじちゃん、トニーちゃん、だいじょーぶー?」

 ハルが心配げに二人を見上げると、二人は揃ってびくりと震えた。

「そんな…そんな澄んだ目で俺を見ないでくれぇえええ! おじちゃんは穢れちゃったんだぁあああ!」

 イグニスはわあっと泣き出して、ハルに背を向けた。トニルトスも顔を手で隠し、俯く。

「…屈辱だ」

〈別にあんた達が穢れようがくたばろうがどうでもいいのよ。とにかく、本題はこっちなのよ〉

 サチコは羞恥に苛まれる二人を完全に無視して、未だに膨大な質量を保っている粘液を見上げた。

「ていうかぁ、ボクとしてはこの変態粘液もどうなろうと知ったこっちゃないですぅ。世界平和を守るためにも、一刻も早く宇宙に捨てちまえやクソ野郎ですぅ」

 ミイムは粘液から目を逸らしながら、サイコキネシスを放つべく右手を挙げた。

「誰が変態であるか!」

 すると、粘液全体がぶるりと震え、良く通るが低い声が響き渡った。粘液は触手を伸ばし、機械生命体を示す。

「大体、こんな木偶の坊共は麗しき我が輩の趣味からは掛け離れているのであるからして、我が輩の美しくも繊細な肉体を傷付けてきおった復讐として体内に取り込み、陵辱しただけのことである!」

「したのか…」

 薄々感付いてはいたが、実際に言われるとおぞましい。マサヨシが半歩身を引くと、粘液は波打って激昂する。

「非常時だったのだ、仕方なかろうが! そうでもしなければ、全宇宙の財産である我が輩の命が危ぶまれたからなのである! この馬鹿者共ときたら、我が輩の愛らしき体内で暴れ回っていたのである! それを収めるには、恥辱の限りを味わわせて自尊心を打ち砕き、蹂躙させる他なかったのであるぞ!」

「いや、そういう時は普通に吐き出すべきだと思うぞ」

「あれほど激しく攻め立てられて、何もやりかえさぬ方がおかしいのである! そもそもはだね、貴君らが我が輩に攻撃を加えてきたから我が輩も抵抗したのであって、貴君らに全ての非はあるのであるぞ!」

 それは、確かに道理だ。マサヨシは次第に耳が痛くなったので、粘液のまくし立てる言葉の奔流を聞き流した。
考えてみれば、この粘液はなぜか大増殖していただけであって、その話を聞く前にとりあえず攻撃してしまった。
 こちら側も謝るべきだと思うが、粘液が言い放つ高飛車な物言いが癪に障るので、謝る気にはなれなかった。
それに、粘液から何をされたのかは解らないが恥辱に震えている二人の戦士を見ると、妙に腹が立ってきた。
粘液如きに、なぜここまで怒鳴られていなければならないのだろう。というより、なぜ粘液が偉そうなのだろう。
 不可解を通り越して、不愉快だ。





 


08 7/4