アステロイド家族




孵らぬ卵



 本物は、痛みを伴う。


 夏の暑さは、緩み始めていた。
 じりじりと照りつけていた日差しも弱まり、夕暮れ時に吹き付ける風は冷たさを含み、秋の気配が混じっていた。
毎日のように咲いていた朝顔も減り始めていて、枯れた花が落ちた部分からは乾いた種が零れるようになった。
鬱陶しいと思っていた暑さも、弱まってくると名残惜しくなる。設定通りに、コロニーの季節は移り変わっている。
 ヤブキは庭先で胡座を掻き、枯れてからからに乾いたヒマワリの花弁から、大量の種を黙々とむしり取っていた。
平たいザルの中には、他の花弁から取った種が山のように盛られていた。天日干しし、来年もまた植えるためだ。
もしくは、種の殻を剥いてミイムの作るお菓子の材料となる。どちらにせよ、ハルが喜んでくれるからいいのだが。
最初はハルもこの作業を手伝ってくれていたのだが、ヒマワリの花弁が大量にあるので途中で飽きてしまった。
今はミイムに寝かし付けられて、自室で昼寝をしている。そろそろヤブキも休みたかったが、残りは後少しだった。
残るヒマワリの花弁は二つなので、一気に終わらせてしまった方が後々面倒ではないので、手を動かし続けた。

「なんすか?」

 背後に近付いてきた足音に気付き、ヤブキは振り返った。リビングから、寝ぼけた顔のミイムが現れた。

「パパさんはまだですかぁ?」

「そうっすねー。まだ帰ってきてないっすねー」

 ヤブキはむしり取ったヒマワリの種を一掴みすると、ミイムに差し出した。

「喰うっすか?」

「誰が齧歯類だコノヤロウですぅ」

 そう言いながらも、ミイムはヤブキの手からヒマワリの種を取り、窓際に座った。

「ていうか、パパさんってば一体どこに行っちゃったんですかぁ。ヤブキはまぁ別にどうでもいいとして、ボクだけじゃなくてイギーさんにも行き先を伝えないなんて」

「まあ…そういうこともあるんじゃないっすか?」

 ヤブキは口を覆うマスクを開き、手の中に残ったヒマワリの種を押し込んだ。それを、がりぼりと強引に噛み砕く。

「マサ兄貴にも色々あるんすよ、色々と」

「せめて殻は割れやアホンダラですぅ」

 ミイムは種を口に放ると歯で噛んで殻を割り、殻だけを吐き出した。遠くでは、機械生命体達が逃げ惑っている。
先日の物体Xが完全に除去されていなかったため、サチコから浄水装置の整備を頼まれて作業に当たっていた。
だが、揃って物体Xに陵辱されてしまったせいか、未だに二人は粘液に対して尋常ではない恐怖心を抱いている。
今もまた、浄水装置から取り出した物体Xの入った容器を持ったトニルトスが、必死にイグニスを追い回している。
トニルトスは一刻も早く物体Xを捨てたいが、イグニスは受け取りたくないので、どちらも本気で逃げているのだ。
また大増殖してはいけないので全て焼却処分しろとも言われているのだが、二人にはそれどころではないらしい。
 野太い悲鳴を撒き散らしながら繰り広げられる無様な追いかけっこを、ヤブキとミイムはぼんやりと眺めていた。
だが、決して手は出さなかった。巡り巡って、物体Xの処分を押し付けられたくない。誰だって粘液は気持ち悪い。
 平和と言えば、平和な光景だ。




 五光年も離れてしまうと、太陽は単なる恒星の一つでしかなかった。
 HAL号の操縦席に座るマサヨシは操縦桿のトリガーに掛けた指を緩めないまま、付近の宙域の様子を調べた。
あらゆるセンサーが感じ取ったデータがホログラフィーとして浮かび上がるが、どの数値も平均値を超えていない。
特に気になるのが、次元変動数値だった。太陽系から五光年離れている宙域は、次元が不安定な宙域だった。
 新人類がワープドライブの技術を得てからは、ワープ空間と称される異空間との接触回数が爆発的に増えた。
本来、通常空間とワープ空間は交わることのない次元に存在しており、ワープドライブは双方を強制接続させる。
緻密な計算と膨大なエネルギーで造り出す異空間の抜け道のおかげで、光年単位の距離を移動可能になった。
反面、本来ならば宇宙のずれによって生み出される通常空間とワープ空間の接点を造りすぎた弊害も出てきた。
 ワープ空間ではない全く別の異空間と接するワームホールが、前触れもなく通常空間に発生するようになった。
その異空間と通常空間、そしてワープ空間の三点が衝突する際に発生する次元の衝撃が次元震の正体なのだ。
そして、三つの次元の異変を常時調査して次元震の発生を予測し、阻止するための官庁が次元管理局である。
 前方には、次元管理局局舎である円筒のコロニーが浮かんでいたが、HAL号を感知して人工衛星が反応した。
意志のない機械は接近しながら各種センサーを瞬かせ、入念に機体を探査したが、異常なしと判断して退避した。
全長五千メートルを超える銀色の円筒の側面が滑らかに開いて、HAL号を収容するためのカタパルトが伸びた。
 マサヨシはHAL号を減速させてリニアカタパルトに接近し、機体に磁力を纏わせてリニアカタパルトに載った。
リニアカタパルトがコロニー内に収容されると同時に電磁力が切られたので、HAL号も機体から磁力を切った。
その後、船腹にビンディングが固定された。マサヨシはカタパルトに身を任せたまま、格納庫内を見渡していた。
毎年訪れるたびに、格納庫内の設備が変わっている。それは技術の進歩と同時に、時間の経過の証でもある。
 カタパルトが停止し、軽い衝撃を受けた。マサヨシは体を固定していたベルトを外し、操縦席から立ち上がった。
マサヨシがHAL号から格納庫内に出ると、待ち受けていた者達がいた。女性の軍人と、二体の機動歩兵だった。

「どーも」

 やる気のない表情で敬礼したのは、マサヨシの後輩の次元管理局担当兵士、レイラ・ベルナール少尉だった。

「お久っすねー中佐! 中佐のこと待ってたんすよ、俺らってばマジヤバいくらい暇だったわけだし?」

 その右隣で手を振っているのは、ミリタリーグリーンの外装を持つ自立型機動歩兵、サザンクロスだった。

「それはそうかもしれんが、もう少しまともに挨拶せんか! かつての上官に対して失礼ではないか!」

 レイラの左隣に立つ、同じくミリタリーグリーンの自立型機動歩兵、ポーラーベアはマサヨシに敬礼した。

「お待ちしておりました、ムラタ中佐」

「まあ、いいさ。俺は何も気にしていないからな」

 マサヨシはHAL号のハッチを蹴ると、ゆるやかに三人の前に降りた。コロニー内は弱重力なので、移動が楽だ。
レイラは例年通り変わっておらず、ただでさえ化粧気のない顔に少年のような印象を受けるショートカットだった。
レイラの部下であり道具である二体の機動歩兵は、武装にカスタマイズは加えられているものの変わっていない。
サザンクロスとポーラーベアは兄弟機で、AIが起動した順番で決められておりサザンクロスが双子の兄に当たる。
だが、サザンクロスの性格が軽薄なのに対し、ポーラーベアは職業軍人そのものなので、どちらが兄か解らない。

「また人が減ったのか?」

 マサヨシは無人次元探査機を組み立てている技術兵を数えたが、去年よりも明らかに少なくなっていた。

「その代わり、搬入される機材の数と性能は跳ね上がりましたよ」

 レイラは中途半端に被っていた軍帽を脱ぐと、指に引っ掛けてくるくると回転させた。

「このセクションは研究資金だけは存分に与えられているんですけど、人材はそうでもないんですよね。その理由は、まあ、解る気もしますけど」

「次元の管理っつっても、俺らが出来ることはマジ大したことねぇしー。せいぜい穴を塞ぐだけだし?」

 サザンクロスは、頭の後ろで両手を組んで上体を反らした。対するポーラーベアは、事務的に述べる。

「その辺りの技術については、中佐が勤務しておられた時代から大して進歩しておらんのです。次元の歪みが発生したら、せいぜいその歪みの中にワープドライブに用いるエネルギーを注ぎ込んで塞ぐぐらいなもので、未だに根本的な解決を図れる技術は確立されておりません」

 レイラは軍帽を被り直し、格納庫の壁沿いに伸びるキャットウォークを歩いた。

「まあ、こんなところでお話しするのもなんですので、例の場所に行きましょうか」

「昔の職場なんだ、今更案内されるまでもないがな」

 マサヨシはレイラの後に続き、歩き出した。弱重力内での歩行は、通常重力に比べると微妙な力加減が難しい。
すかさず二体もレイラの後を追うが、身長が五メートル近い二人は歩幅がとてつもなく広いので歩調は遅かった。
ポーラーベアはレイラに手を伸ばして肩に乗らせようとしたが、レイラは鬱陶しげに一瞥し、きつい言葉を放った。
弟が振られたのでサザンクロスが挑むが、今度もまた同じだった。鋼の兄弟は、ひどく残念がりつつ身を引いた。
 三人の関係は、相変わらずだった。サザンクロスとポーラーベアはレイラに執心しているが、レイラは正反対だ。
この兄弟はレイラに対して種族と地位の壁を越えた感情を抱いているらしいが、レイラは今も昔も男っ気がない。
生活を顧みずに仕事に生きるタイプの女性であるレイラは、マサヨシの知る限り、一度も恋人を作ったことがない。
他人と仲を深めるぐらいなら訓練をするか趣味の読書に浸っている方が好きだ、と本人から聞いたこともあった。
だから、生身の異性に欠片も興味がないレイラにとっては、機械で出来た兄弟など興味の範疇にすら入らない。
この二人もそれが解っているはずなのだが、折れない相手だと余計にやる気が出るのか、諦めようとしないのだ。
傍目には微笑ましくとも本人は鬱陶しいだろうが、二人を外さないところを見るとまんざらでもないのかもしれない。
だが、レイラの表情と言えば、部下時代も無表情か怒り顔しか見たことがないので、真意が掴み取れなかった。
 部下としては扱いやすいが、女性としては扱いづらい人物だ。




 そして、マサヨシらはコロニーの最深部に至った。
 十二のブロックを過ぎ、複数の検査や審査を受けなければ決して入れない、十三番目のブロックに入っていた。
研究員や軍人の行き交う他のブロックとは違って、他者の姿はなく、鈍く唸る機械音だけが通路を満たしていた。
レイラのヒールの低いパンプスの足音とサザンクロスとポーラーベアの重々しい駆動音がそれに混じり、聞こえる。
 マサヨシは、皆の先頭を歩いていた。節電のために照明がまばらで薄暗いため、尚のこと空気が重たく感じた。
最初の隔壁を過ぎた後も、何枚もの厚い扉が現れた。それらを通り抜けていくたびに、外界から隔絶されていく。
レイラが局長から借りたカードキーを使用して七枚目の扉を通り抜けたが、奥には最後の扉が待ち構えていた。
宇宙戦艦の外装にも等しい厚さの扉を閉ざすカードリーダーにカードキーを刺したレイラは、マサヨシに振り返る。

「中佐、今回は私もお供しましょうか? この先には防護服も用意してありますし」

「いや、お前らはここで待機していろ。但し、扉は閉めるなよ。帰れなくなっちまうからな」

 マサヨシはレイラを追い越し、開き始めた扉の前に立った。レイラはカードキーを抜き、軍服のポケットに入れる。

「でも、前は閉めてくれって言いませんでしたっけ?」

「気が変わったんだ」

 マサヨシは三人に軽く手を振ってから、開ききった扉の奥に広がる分厚い闇の中へと足を進めた。

「じゃ、待ってますんで」

 レイラはマサヨシの背に声を掛けてから、身を引いた。マサヨシの姿が暗がりに没すると、分厚い扉が閉じた。
扉の内側で何本ものシリンダーが填り、扉と壁の隙間を埋めるためのクッション材が膨らみ、隙間が塞がれた。
レイラは落胆混じりの息を吐き、扉に寄り掛かった。その頭上に顔を出したサザンクロスは、へらへらと笑った。

「しっかし、相変わらず物好きだよなー中佐。俺らみたいな作業機械ならまだしも、防護服も着ないで生身でこの中に入ってくんだぜ? マジどっかイカれてねぇ?」

「イカれたから、中佐は軍を辞めたんでしょうが」

 レイラは腕を組むと、こん、と紺色のパンプスのヒールで分厚い扉を小突いた。

「でも、私としては中佐はまともだと思うけどね。あんた達に比べれば」

「レイラ君、それはどういう意味だね」

 心外だと言わんばかりに、ポーラーベアが身を乗り出してきた。レイラは、二人を冷ややかに見返す。

「言葉通りだよ。あんた達の中途半端なAIを何度フォーマットしようと思ったことか」

「あーひっでぇ。俺らはな、レイちゃんのためだったらどんなことだって出来るんだぜー!」

 不満げなサザンクロスは、超強化積層装甲が施された胸部を叩いた。ポーラーベアは大きく頷く。

「そうだともそうだとも! それなのに、なぜレイラ君はそこまで冷ややかなのだ! 自分の会得した情報に寄れば、女性とは尽くされることに快感を得るというではないか! 故に自分は、愛するレイラ君の願いであれば、どれほど過酷な願いであろうとも聞き届け、果たす覚悟が出来ているのだ!」

「鬱陶しいなぁ、もう」

 レイラは顔を背け、口元を歪めた。

「なんだって私は、こいつらをこんな性格に設定しちゃったんだろ」

「忠実な下僕が欲しかったと自分で言ったではないか」

 ポーラーベアが至極真面目に言ったので、レイラは頭痛を堪えるかのように額を押さえた。

「そうだけど、そうなんだけどさぁ…。あんた達のAIの成長が、私の予想の斜め上どころかツイストした挙げ句にドリフトスピンしちゃったせいで、どんどんろくでもない方向性になっちゃってんのよ…」

「でも、俺らってばレイちゃんの言う通りに育ってきたつもりだけど?」

 なー、とサザンクロスが同意を求めてきたので、ポーラーベアは胸を張る。

「そうだとも! 愛するレイラ君に命じられるがままに苛烈な訓練を乗り越え、過酷な環境に耐え抜き、無茶な注文を受け入れ、時には使いっ走りともなり、いついかなる時もレイラ君のために!」

「どこでエモーショナルパラメーターの振り分けを間違えたんだろうなぁ…」

 レイラはポーラーベアの語りを無視して自己嫌悪に陥っていたが、ポーラーベアの熱弁は続く。

「レイラ君が一言命じてくれるのならば、自分は燃え盛る太陽であろうとも硫酸の滾る金星であろうともガスの渦巻く木星であろうとも超重力に支配されたブラックホールであろうとも迷わず飛び込んでみせようぞ! そして、レイラ君が自分を受け入れてくれるのであれば、全てを投げ打ってその起伏の少ない胸の中に!」

「最後のは余計だ」

 レイラは熱線銃を抜き、発射した。それを頭部に受けたポーラーベアは仰け反ったが、そのまま上体を反らす。

「はははははははは、愛とは痛みを伴うものなのだな!」

「あーもうやっかましい!」

 二人の場違いな言動に溜まりかねたレイラは、珍しく声を荒げた。

「人がせっかくしんみりしようってのに、次から次へとぶっ壊してくれるな! 少しは感傷に浸らせろ!」

「カンショウ…?」

 鋼の兄弟は顔を見合わせたが、今一つ思い当たらなかったらしく、揃って首を傾げた。

「ああ、そうか」

 レイラは熱線銃のトリガーに掛けていた指を抜くと、軍服の下のホルスターに戻した。

「あんた達って、あの事故の後に作ったんだっけ。で、あのことは第一級重要機密だから教えてなかったっけ」

「うむ。故に、自分達はレイラ君の言うカンショウもだが、中佐がこの隔離区域に入る理由も解らんのだ」

 ポーラーベアが分厚い扉を指すと、サザンクロスは扉の奥を覗き込むように首を突き出した。

「ていうかさー、このブロックって、次元探査中に極めて毒性の強い放射性物質の汚染を受けちまった次元探査機とかを隔離して、研究資料として保管するための場所なんじゃねーの? それって違ぇの?」

「いや、それで間違いないんだけどね」

 レイラは扉に手を添え、切なげに目を伏せた。

「中佐にとっては、そうじゃないんだよ。私にとってもね」

「それはどういう意味だね、レイラ君」

 ポーラーベアに問われたが、レイラは答えず、それきり口を噤んで分厚く重たい扉を見上げているだけだった。
二人は訝しんでいたが、それ以上問わなかった。マスターが答えない場合は問い詰めないのが従者の基本だ。
 レイラは手のひらに伝わる扉の冷たさを味わいながら、十年前の出来事を思い出し、胸に痛みを覚えていた。
あの日の出来事が、彼とその家族の未来を変えてしまった。あの日さえなければ、こんなことにはならなかった。
 誰も悪くない。何にも非はない。しかし、運が良くなかった。たったそれだけのことで、マサヨシは未来を失った。
レイラがマサヨシの部下だった頃、彼女も彼の部下だった。誰もが似合いの二人だと思い、その未来を祝福した。
男女関係に疎いレイラでさえも、二人を祝った。彼女は立場こそ違うが、レイラと同期だったので親しかったのだ。
だが、あの日、全てが破壊された。この世に残されたものはマサヨシだけで、彼は守るべきものを守れなかった。
 だから、彼は現実から退いた。







08 7/8