アステロイド家族




火星より愛を込めて



 帰路は、二人とも言葉少なだった。
 ヤブキは窓の外を流れる夜景をぼんやりと見つめたままで、マサヨシは前を向いて運転だけに集中していた。
そんな二人の間に、サチコが浮かんでいたが、どちらからも話し掛けられないのでサチコもまた沈黙していた。
エアカーの室内灯とバイパスの街灯に照らされているヤブキの横顔は、サイボーグらしい角張った厳つい顔だ。
いつもは明るい言動のおかげで多彩な表情を浮かべているように見えるが、言葉を失うと途端に色褪せてしまう。
だが、今の方が余程しっくりくるとマサヨシは思った。どれほど明るく振る舞ったところで、心中の闇は消えない。

「ハルを可愛がれば、ダイアナのことは紛れると思っていたんすけどね」

 独り言のように、ヤブキは話し始めた。

「でも、そうじゃないんす。ハルはハルで、やっぱりダイアナはダイアナなんす。ハルをダイアナだと思おうとしても、ダイアナとは違うな、って思っちゃうから、ハルは絶対にダイアナにはならないんすよ。それに、そんなことを思うのはハルに悪いっすからね」

「そうだな」

 これもまた思い当たる節が多すぎて、マサヨシは無難な言葉を返した。

「でも、マサ兄貴のリアクションからすると、こういう話をするのはオイラが最初じゃないみたいっすね」

「そういうところだけは鋭いな」

 マサヨシが平坦に返すと、ヤブキは後頭部の後ろで手を組み、上体を反らした。

「オイラ達は結構まともに暮らしているつもりっすけど、今の状況が異常なのは火を見るよりも明らかっすよ。訳ありなのがオイラだけって方がおかしいっすよ。そういうマサ兄貴だって、色々あるんすよね?」

「それに付いては否定しないが、聞かないでくれ。答えるつもりもない」

「解っているっすよ。誰にだって、突かれたら痛い部分があるっすからね」

 ヤブキの声色は、徐々に普段のテンションを取り戻していた。

「でも、人間ってそういうもんっすよね。皆が毎日毎日同じことを繰り返しているように見えるけど、その裏じゃどんなことを抱えているか解らないんすから。オイラや皆だって、別に例外じゃないっすよ。むしろ、過去になーんにもない人間の方が変っす。大なり小なり辛いことがあっても、明日が来るから踏ん張って生きなきゃって思うんす」

〈私には、今一つ理解出来ないわ〉

 寂しげに漏らしたサチコに、ヤブキは視線を向ける。

「無理もないっすよ。サチコ姉さんはコンピューターなんすから」

「だが、やはり生きることは辛いんだ。いっそ折れた方が楽だと思う時なんて、いくらでもある」

 マサヨシが呟くと、ヤブキは目線を落とした。

「そうっすね。それはオイラも同じっすよ」

 それきり、二人は言葉を交わさなかった。日常を捨て去り、激情の中に身を浸し、全てを投げ打ってしまえれば。
だが、そんなことは出来ないと思ってしまうからこそ踏み止まり、どっちつかずの中途半端な立ち位置に立つのだ。
その曖昧さが我ながら疎ましいと思うも、平凡ながらも暖かい日常が愛おしいと思う心もまた、決して嘘ではない。
 しかし、嘘は嘘だとも思う。そうやって嘘と真実の境界線を彷徨っている間に、嘘は日々大きく膨れ上がっていく。
だから、尚更ヤブキが羨ましくなった。嘘ではない現実に戻る術を持っている上に、憎しみをぶつける相手がいる。
残酷な現実は心にも体にも耐え難い痛みをもたらすが、生温い嘘に溺れてしまった心身には、最も良く効く薬だ。
 それが残っているだけ、ヤブキは幸せなのだ。




 そして、夜が明けた。
 長いようでいて短い夜が明けると、ヤブキは元通りになっていたので、マサヨシも引き摺らないように気を付けた。
ハルやミイムの手前、自分を取り繕って平静を装うことには慣れていたので今更難しいことでもなんでもなかった。
遊び疲れて一晩中熟睡していたミイムはすっかり元気を取り戻して、マサヨシらよりも早く目を覚ますほどだった。
 火星には、後二日は滞在するつもりだ。目的のニンジャファイター・ムラサメのショー以外にも、見所は沢山ある。
ヤブキもいつもような勢いで、イクウェーターエリアに存在している観光に適したエリアを次から次へと挙げていた。
朝食の時間は、次はどこへ行くか、という話題で占められたが、最終的には火星基地の目玉の施設に決定した。
それは、ヤブキが幼い頃に暮らしていたエリアであり、ダイアナとの思い出が残留する、グリーンプラントだった。
だが、ヤブキは家族のことは一欠片も話さなかった。あくまでも、自分一人だけで暮らしていたかのように話した。
 朝食を終えて休息を取った後、一家はホテルを出た。玄関前では、既にイグニスとトニルトスが待ち構えていた。
イグニスは真っ先にハルに近寄ったが、トニルトスは相変わらずで、皆に背を向けているが関心だけは強かった。

「とりあえず、グリーンプラントにはどう行けばいいんだ?」

 マサヨシがヤブキに問うと、ヤブキは情報端末からリニアラインの路線図のホログラフィーを投影した。

「そうっすねー。リニアラインの第三居住区線を上手く乗り継いでいけば最短距離で行けることは行けるんすけど、それだと地下に潜るラインを使うことになるんすよ。そしたら、上空から追いかけてくるイグ兄貴とトニー兄貴が車両を見失っちゃうかもしれないんす。グリーンプラントだけでも何千ヤードも広さがあるんで、一度でもはぐれると色々と面倒なんすよ。だから、ここはちょっと時間は掛かるっすけど地上の路線を使って行く方がいいっすね」

「失敬な。貴様らのような目立つ物体を見失うほど、私の視覚センサーは低能ではない」

 トニルトスが言い返すが、ヤブキはそれを聞き流していた。

「グリーンプラントは観光用エリアと研究用エリアに別れているんすけど、その境界線がちょっと解りづらいんで、間違って研究用エリアに入らないように気を付けるっす。大した罪には問われないっすけど、拘束されたら時間を喰われちゃうっすから。それと、場所柄、大気汚染とか土壌汚染とか水質汚染にめっちゃめちゃうるさいんで、イグ兄貴とトニー兄貴は下手に飛んだり跳ねたりしない方がいいっすね。研究用も観光用も、環境循環システムは共同っすから、観光用が汚染されたら研究用も汚染されちゃうんす。でも、その辺だけ気を付けていれば大丈夫っすよ」

 ミイムは両手を重ねて頬の横に添え、ほうっとため息を吐いた。

「昨日はいっぱいいぃーっぱい遊びましたから、今日はゆっくりするんですぅ」

「ていうか、絶叫系コースターを十五連続で乗るのは、さすがのオイラでもドン引きっすよ、ドン引き。普通なら、五回乗ったぐらいでリバースするっすよ、リバース」

 ヤブキが内心で顔をしかめると、ミイムは頬を張って拗ねた。

「だってぇ、どれもこれも面白そうだったんですぅ。それにぃ、可愛いボクはリバースなんてしないんですぅ」

「夜中に起きてトイレに籠もっていたくせにか?」

 マサヨシが言うと、ミイムは赤面して後退った。

「なんで知っているんですかぁ!」

「あれだけ派手にゲロゲロやられたんじゃ、誰だって気付くに決まっているさ」

「そうっすよそうっすよ。あんなに派手なアトラクションを十五回も続けて乗っちゃ、三半規管のないオイラだって結構来るんすから、何もない方が異常なんすよ」

 マサヨシとヤブキに頷かれ、ミイムはぶんぶんと首を横に振った。

「知りませんっ、ボクは可愛いからリバースなんてしないんですぅ! しちゃいけないんですぅ!」

「本当なのか、ハル?」

 イグニスがハルに問うと、ハルはきょとんと目を丸めた。

「ううん、私は知らないよ。一度も起きなかったもん」

「では、貴様は知っているのか」

 トニルトスがサチコに尋ねると、サチコは言葉を濁した。

〈知ってはいるけど…こういうことはあまり他人に言わないべきことじゃないかしら〉

「みゅうーん…」

 ミイムは居心地が悪いのか、身を縮めて眉を下げている。

「これに懲りたら、次からは限度を弁えて遊ぶことだな」

 マサヨシがミイムを窘めると、ミイムは不満げだったが従った。

「パパさんがそう言うなら仕方ないですぅ」

「だが、そもそもリバースとはなんだ?」

 話の主旨が掴めていなかったトニルトスが首を捻ったので、ヤブキは説明しようとした。

「ああ、それの意味はっすね」

「話を混ぜっ返すなタクランケですぅ!」

 ミイムはサイコキネシスを放ち、ヤブキを吹き飛ばそうとした。が、ヤブキの体は数メートル後退っただけだった。
辺りには巻き上げられた砂埃が白く漂っていたが、ヤブキの体は背後に何か遮蔽物でもあるかのように止まった。
そのことに驚いたのは、サイコキネシスを放った張本人であるミイムだけでなく、ヤブキ本人も同様に驚いていた。
砂埃が落ち着くと、ヤブキは恐る恐る背後を窺った。そこには、ヤブキの服の裾を掴んでいる少女が立っていた。

「ジョニー君」

 ヤブキの背後から現れた小柄な少女は、澄んだ銀色の瞳でヤブキを見上げた。

「えっと…」

 ヤブキはしばらく間を置いてから、ああ、と手を打った。

「むーちゃん!」

「むーちゃん…?」

 ミイムは訝しげに眉を曲げたが、マサヨシも差し当たって心当たりがなかった。だが、彼女には既視感がある。
その外見だった。腰近くまで伸びた赤銅色の髪。無機質に思えるほど白い肌。そして、金属的な輝きを帯びた瞳。
 そうだ、あの異物によく似ている。顔も背格好も目の色も髪の色も肌の色も、何もかもが異物と酷似している。
いや、むしろ異物そのものだ。少女の外見をした世界の異物は、マサヨシと目が合ったが、異物は動じなかった。
それどころか、あの時に感じた違和感は覚えず、その代わりに寸分の隙もない少女の美しさに見入りそうだった。
強襲戦艦インクルシオ号で出会ったのは、これと良く似た別物なのだろうか。それにしては、似すぎていないか。

「そこの娘はお前の知り合いか、ヤブキ?」

 イグニスが少女を指すと、ヤブキは少女を示した。

「そうっすよ。オイラの幼馴染みで、アウトゥムヌスっていうんす。でも、ちょっと長いからむーちゃんなんす」

「そう」

 アウトゥムヌスという名らしい少女は、小さく頷いた。

「でも、いきなりどうしたんすか、むーちゃん。来るなら来るって連絡してほしかったっすよ」

 ヤブキが身を屈めてアウトゥムヌスと目線を合わせると、アウトゥムヌスはヤブキの顔を両手で挟んだ。

「ジョニー君」

「なんすか?」

「結婚して」

 アウトゥムヌスのかかとが上がり、ヤブキのマスクに薄紅色の花びらのような艶やかな唇が軽く押し当てられた。
驚愕と混乱の声を最初に上げたのは、誰だったのだろうか。ヤブキは動揺を通り越したのか、硬直してしまった。
 ミイムは大きな目が零れ落ちてしまいそうなほどに目を剥いていて、ハルは小さな耳まで真っ赤に染めている。
イグニスは顔を覆って背け、トニルトスは唖然としてヤブキとアウトゥムヌスを見つめ、サチコは黙り込んでいる。
何がどうなっているのか解らないのは、皆、同じだった。また厄介なことになりそうだな、とマサヨシは頬を歪めた。
 一難去って、また一難。







08 7/16