アステロイド家族




嫁、襲来



 それは幸いか、或いは災いか。


 幼馴染みから結婚を申し込まれたヤブキは、全力で呆けていた。
 その傍らの座席に腰掛けている小柄ながらも整った容貌の少女、アウトゥムヌスは硬質な無表情を保っていた。
火星基地随一の観光名所であるグリーンプラントに向かっているリニアラインの車内は、いつになく穏やかだった。
 ミイムはハルと共に窓の外を流れる景色を眺め、マサヨシはサチコの手を借りて目的地の概要を把握していた。
そして、いつもは人一倍騒々しいヤブキは、プロポーズだけでなくキスまでされたショックからか魂が抜けていた。
なのでヤブキは、バッテリー切れを起こしたロボットのように太い両手足を投げ出し、車内の天井を見つめている。
当のアウトゥムヌスは、最初に現れた時と同じく、何事もなかったかのように無表情でじっと前を見ているだけだ。
 とてもではないが、プロポーズをした人間には見えない。むしろ、アウトゥムヌスが本当に人間なのかすら怪しい。
ミイムの放ったサイコキネシスで吹っ飛ばされそうになったヤブキを、無表情なまま片手で受け止めていたのだ。
多少は手加減されていたとはいえ、フルサイボーグであるヤブキを呆気なく押した力を片手で止めるのは無理だ。
増して、アウトゥムヌスの腕は頼りないほど細い。あんな腕では、ヤブキを受け止めた途端に折れてしまいそうだ。
 マサヨシは様々な疑念を抱きながら、アウトゥムヌスを観察していたが、彼女の目線はマサヨシに向かなかった。
というより、誰にも向いていない。マサヨシの向かい側の席に座っているはずなのに、一度も目が合わなかった。

「ヤブキ、大丈夫か?」

 マサヨシはアウトゥムヌスの実体を察することを諦め、ひとまずヤブキに声を掛けた。

「うへへへへへへへ」

 すると、ヤブキが奇声を発したので、ミイムは反射的にハルを抱き上げて身を引いた。

「うわキモっ!」

「大丈夫。異常はない」

 アウトゥムヌスは薄い唇を開いたが、その声色は鈴を転がすというよりも単調な金属音に近かった。

「うしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ!」

 ヤブキは上体を反らし、ますます気色悪い笑い声を放った。その様に、マサヨシもさすがに引いてしまった。

「本当に大丈夫か、ヤブキ…」

「お兄ちゃーん?」

 ハルがおずおずとヤブキに問い掛けると、ヤブキは笑いを噛み殺しながら姿勢を戻した。

「いやぁこれが喜ばすにいられるかっていうか、ビバ三次元っていうか、フラグ立ちまくりっていうか、ハッピーエンドまっしぐらっていうか、なんかもう訳解んねぇっすよ!」

「安心しろ、それは皆同じだ」

 マサヨシが平坦に言うと、ヤブキとアウトゥムヌスを除いた全員が頷いた。

「ていうか、こんなのの嫁になったっていいこと皆無ですよぉ、むーちゃん? それはボクが保証しますぅ」

 ミイムはハルを膝の上に載せて座り直すと、へっと嘲笑った。

「農作業以外の取り柄なんてないしぃ、見ての通りのキモオタだしぃ、ネトゲ廃人だしぃ、二次元画像を腐るほど集めてるしぃ、食べ物の趣味は最悪だしぃ、言動はいちいちウゼェしぃ、男としての価値はゼロを通り越してるんですぅ」

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスが機械的に返すと、ミイムは首を横に振る。

「ヤブキとむーちゃんとなんて、ぜえーったいに釣り合わないですぅ。ていうかぁ、むーちゃんくらい可愛い子だったらボクぐらい可愛い相手じゃないとダメですぅ。それが宇宙の真理ですぅ」

「負けウサギの戯れ言っすねー」

 ヤブキがにたにたしたので、ミイムは不愉快げに眉を吊り上げた。

「ちったぁ遠慮しやがれってんだよアホンダラですぅ! むーちゃんのためを思うなら、潔く拒むべきだろうがスットコドッコイですぅ!」

「据え膳は喰ってこそ男ってもんっすよ! いや、据えられる前に喰う!」

 力一杯意気込んだヤブキに、マサヨシは口元を歪めた。

「お前って奴は…」

「大丈夫。問題はない」

 同じ音声データを再生するかのように、アウトゥムヌスは先程と変わらない声色で同じ言葉を繰り返した。

「ねぇねぇパパ、お兄ちゃんとむーちゃんはケッコンするの?」

 ハルが興味津々で身を乗り出してきたが、マサヨシは言葉を濁した。

「俺からは何とも言えないな」

〈そうねぇ。こういうことは、当人同士で決めるべきことだものね。でも、どちらにも躊躇いはないようだけど…〉

 マサヨシの傍らに浮かぶサチコはとてつもなく不安げに漏らしながら、ヤブキとアウトゥムヌスを視界に入れた。
ヤブキは混乱から抜け出したはいいが、異様なほどハイテンションになって、緩み切った笑い声を漏らしている。
対するアウトゥムヌスは、アンドロイドの方が人間的だと思えるほどに冷淡な表情で、ヤブキをじっと眺めていた。

「ジョニー君」

「なんすかぁ、むーちゃーん?」

 この上なく弛緩したヤブキがアウトゥムヌスに聞き返すと、アウトゥムヌスは小首を傾げた。

「何が好き?」

「バニーガール!」

 ヤブキは即答したが、その答えは間違っているとしか思えなかった。通常の思考では趣味などを答えるだろう。
アウトゥムヌスのプロポーズとキスで、でろでろに崩れたヤブキの脳髄では、脊髄反射しか出来ないようだった。
これにはさすがのアウトゥムヌスも困惑するか、と思いきや、アウトゥムヌスは一度瞬きしてからまた前を向いた。

「了解」

 一体、何が解ったというのだ。マサヨシは無性に問い詰めたくなったが、アウトゥムヌスはやはり表情を変えない。
 アウトゥムヌス。通称むーちゃん。ヤブキの幼馴染み。マサヨシが得ている情報はそれだけで、それ以外はない。
そして、掴み所もない。見た目こそ美少女だが、無機質で機械的で単調で無表情で、想像の余地すらなかった。
そんな女性が、なぜヤブキのような騒々しさの固まりのような男と幼馴染みなのか、そこからしてまず疑問に思う。
最大の疑問は、なぜアウトゥムヌスがヤブキにプロポーズしたか、だが、彼女からは恋愛感情は欠片も窺えない。
謎が謎を呼び、疑問が深まるばかりだ。マサヨシは、相変わらず弛緩した笑い声を放つヤブキを眺め、苦笑した。
 気持ちは解らないでもないが、無駄に喜びすぎだ。




 その後。アウトゥムヌスの発言の意味が理解出来た。
 マサヨシらの目の前には、立派なウサ耳を付けてハイレグのレオタードを着て網タイツを履いたヤブキがいた。
ご丁寧に、十センチはありそうなハイヒールも履いている。当の本人は、ハイテンションから一気に転落していた。
隣に立つアウトゥムヌスも、きっちりとバニーガールの恰好をしているが、こちらは体型が平たいので魅力がない。
マサヨシはもとい、全員がヤブキを正視出来なかった。ヤブキもまた、皆の視線から逃れようと顔を背けていた。
 リニアラインを乗り継いでグリーンプラントに到着したのだが、アウトゥムヌスはヤブキをどこかに連れていった。
それから数分後に再び合流したのだが、その時既にヤブキは寸分の隙もないバニーガールにされていたのだ。
首と両手首にカーラーを巻き、赤いレオタードとウサ耳を身に付けたヤブキは、不気味以外の何物でもなかった。

「俺、今から他人の振りしてもいいか?」

 イグニスが顔を背けると、トニルトスはえづいた。

「見ているだけでも屈辱的だ…」

「これは可愛い可愛いボクに対する挑戦状ですか? もしくは最大限の侮辱ですかアンチクショウこの野郎?」

 呆れも怒りも通り越してしまったミイムは、真顔で妙な罵倒を言い放った。

「いいなー、お兄ちゃんもむーちゃんもお耳付けて。私も欲しいなぁ、お耳」

 羨ましげにウサ耳を見つめるハルに、マサヨシは引きつった笑みを作った。

「あれは大人用だから、ハルは付けられないと思うぞ」

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスは自分の頭に付けていたウサ耳を外すと、ハルの頭に被せた。

「フリーサイズ」

 すると、アウトゥムヌスの頭に合っていたカチューシャのサイズがハルに頭に合わせて縮み、丁度良くなった。

「わーい、ママとお揃いだぁー!」

 カチューシャを付けたハルがぴょんぴょんと跳ねると、それに合わせてウサ耳が揺れた。

「究極に可愛いぜハルぅ!」

 瞬時にイグニスが両の拳を握って吼えたので、トニルトスは冷凍光線のような視線を送った。

「滅べ、小児性愛者め」

「まぁ、ハルちゃんならいいんですよぉ、ハルちゃんなら」

 ミイムは目の浄化とばかりにウサ耳のハルに頬を緩めたが、ヤブキを見た途端に凶相に変わった。

「でも、ヤブキは宇宙どころか全ての次元から滅びろやですぅ」

「オイラだっていきなりむーちゃんに物陰に連れ込まれたと思ったら、いきなり脱がされて着せられたんすよ!」

 ヤブキは悲痛な叫びを上げるが、マサヨシは斜めに視線をずらしながら返した。

「きっと、そのバニーガールの衣装もフリーサイズだったんだろう」

「明察」

 アウトゥムヌスが、小さく頷いた。ヤブキはハイレグが恥ずかしいらしく、内股で身を捩った。

「にしたって、レオタードの生地が伸びすぎじゃないっすか? そのせいで、その、股間がめっちゃきついっす…」

「大丈夫。問題はない」

「いや、オイラからしてみれば問題は無量大数っすよ。さっきからむーちゃんはそれしか言わないっすけど、さすがのオイラでもバニーコスで入場出来るとは到底思えないっすよ? どう見たってマジ不審者っすよ?」

「ペアルック」

 アウトゥムヌスが自分とヤブキを指して脈絡のない言葉を述べると、ヤブキは少しの間の後、なぜか納得した。

「それなら問題ないっすね!」

「その説明で納得出来るお前の方が問題だ」

 マサヨシは全力でヤブキの思考を疑ったが、あまり言及するとこちらまで巻き込まれそうなので言葉を切った。
他の者達もそんな気分らしく、ハルのウサ耳姿をべた褒めしているイグニスとミイム以外は、黙り込んでしまった。
 なぜペアルックで納得する。それ以前に疑問を抱かないのか。恋は盲目とは言うが、盲目にも程があるべきだ。
そもそも、なぜアウトゥムヌスはバニースーツを調達出来たのだろう。この付近には、そういった店はないはずだ。
テレポーターだろうか、とは思うが、エスパーに装着が義務付けられているサイキックリミッターが見当たらない。
だが、そう考えるのが一番無難だろう。そうでもなければ、フルサイボーグを一瞬で着せ替えることなど無理だ。
あまり余計なことを考えすぎて、深みに填りたくない。とは思うが、強烈な衣装のヤブキは嫌でも目に入ってくる。
ペアルックと聞いて再びあの異様なハイテンションを取り戻したらしく、またもやだらしない笑い声を上げていた。
 やはり、喜びすぎである。







08 7/18