だって、オンナノコだもん。


　初秋が訪れても、残暑は厳しい。
　ヤブキはカゴ一杯に詰め込んだナスとキュウリを抱え、同じくカゴを抱えるアウトゥムヌスと家路を辿っていた。
コロニー内部のスクリーンパネルの中心に設置されている人工太陽は傾かないが、日差しの方向は傾いている。
西日に相応しい赤みを帯びたぎらついた日光を浴びた二人の影は長く伸びて、土が剥き出しの道に落ちていた。
　ヤブキはちらりとアウトゥムヌスの様子を窺うが、曲がったキュウリを黙々と囓っていて頬を丸く膨らませている。
以前、トニルトスに投げ飛ばされたイグニスに破壊された畑から救助し、植え替えた苗がなんとか育ってくれた。
カボチャは全滅だったが、キュウリはまだ余力が残っていたらしく、植え替えた後もツルを伸ばして花を咲かせた。
予定よりも大幅に収穫量が減ってしまったが、育ってくれただけでもありがたいので、夏の間は充分堪能した。
　だが、そのキュウリもそろそろ終わりが近かった。花は咲くものの、真夏に比べると小さな実しか出来なかった。
けれど、味には問題はないので、ヤブキはアウトゥムヌスを伴って夏野菜の畑に赴き、他の野菜と共に収穫した。
収穫の途中、彼女は何度も食べたいと申し出てきた。その度に、質には問題ないが形の悪いものを与えている。
だが、彼女が満足したようには思えない。これまでで、トマトを十個、キュウリを十二本も食べているはずなのに。
そんなに食べたら腹を下さないだろうか、とヤブキは冷や冷やしながら十三本目のキュウリを囓る彼女を眺めた。
喉を鳴らしてキュウリを嚥下したアウトゥムヌスは、口の周りに付いたキュウリの汁を舐め取り、小さく息を吐いた。

「美味」

「むーちゃん、よく食べるっすねぇ」

　ヤブキが不安半分関心半分で言うと、アウトゥムヌスは人差し指を下げて己の胃を示した。

「無限」

「そうっすか…」

　それが冗談なのか本気なのか解らず、ヤブキは曖昧な反応をした。アウトゥムヌスは、ヤブキの隣に添った。

「故に、不足」

「いやでも、あんなにトマトとキュウリを一度に喰ったら腹が冷えちゃうっすよ？　夏野菜ってのはどれも体を冷やす効果があるんすから、食べ過ぎたら良くないっすよ。むーちゃんは女の子だから、尚更っすよ」

「なぜ」

「なぜってそりゃあ、女の子は男に比べて繊細っすから。あんまり体を冷やしちゃうと、血行だけじゃなくて女性ホルモンの調子も悪くなっちゃって生理不順とか冷え性とか、まあ色々と面倒なことになるんすよ」

「大丈夫。問題はない」

「オイラはむーちゃんのことが心配なんすよ。一杯食べるってのには特に文句はないっすし、作り手としては嬉しいっすけど、むーちゃんはオイラの未来の嫁っすから気掛かりなんすよ」

「女の子？」

　アウトゥムヌスが自分を示したので、ヤブキは頷いた。

「そうっすよ。女の子っすよ。可愛くて小さくて柔らかくて良い匂いがしてデリケートな、とっても大事なものっすよ」

　アウトゥムヌスはヤブキの並べた言葉を理解するべく、しばし考え込んでいたが、硬質な視線をすっと動かした。
ヤブキがアウトゥムヌスの視線を辿っていくと、イグニスと下らないことで言い争っているであろうトニルトスがいた。
　二人の足元では不満げに膨れたハルが突っ立っていて、ハルの背後にはおままごとの道具が散らばっている。
状況から察するに、ハルはイグニスとトニルトスとおままごとをしたかったのだろうが、トニルトスがごねたのだろう。
　この家族ではよくあるシチュエーションだ。トニルトスは機械生命体だが愛玩犬なので、愛玩されるのが仕事だ。
だが、トニルトスは愛玩犬の自覚がない上に天よりも高いプライドの持ち主なので、ハルとあまり遊んでくれない。
散歩やキャッチボールや空中遊泳などには割と素直に付き合うくせに、女の子らしい遊びとなると途端に嫌がる。
どう見てもハルと遊ぶことに慣れつつあるのだが、トニルトス自身はそれを認めたくないのか事ある事に反発する。
だが、珍しいことでもない。ヤブキはアウトゥムヌスの真意を掴みかねたが、詮索するだけ無駄だと知っていた。
アウトゥムヌスは変わっている。それが彼女の魅力なのだが、掴み所が皆無なのでその思考が解るはずもない。
　だからヤブキは、家路を急ぐことにした。




　翌朝。その時が来るまでは、至って平穏だった。
　今日はヤブキが朝食当番だったので、自作の野菜をたっぷり使った寸分の隙もない和食を作り、並べていた。
定番の卵焼きにナスの煮浸し、キュウリのぬか漬け、真っ赤に熟れたトマト、刻んだオクラを入れた納豆、など。
昨夜から丁寧にダシを取って作った味噌汁も出来て、白飯も艶やかに炊けて、後は皆が起きるのを待つだけだ。
だが、まだ少し時間がある。ヤブキは、他に何か作れるものがないか、と冷蔵庫を覗いているとサチコが現れた。

「おはようっす、サチコ姉さん」

　キッチンに入ってきた球体のスパイマシンにヤブキが挨拶すると、サチコはくるりとレンズを向けてきた。

〈おはよう、ヤブキ君。その様子だと、電磁調理器には異常は見当たらないみたいね〉

「まあ、特に異常はなかったっすよ。何かあったんすか？」

〈そうなのよ。侵入経路は不明だけど、新手のコンピューターウィルスが私を経由してコロニー内に侵入した形跡があるの。セキュリティシステムに引っ掛かったからプログラム言語は太陽系内のそれに近いってことは解っているんだけど、正体が解らないから対処のしようがないのよ。とりあえず、応急処置として一通りのワクチンプログラムは流しているんだけど、あまり期待出来ないわね〉

「ははぁ、そりゃ大変っすね。下手したら、オイラの補助ＡＩもやられちゃうかもしれないっすからね」

〈そうなのよ。スペースファイターや機動歩兵のコンピューターは完全に独立しているから平気なんだけど、ヤブキ君やあの木偶の坊共はちょくちょくコロニーの管理コンピューターに接続しているから、万が一感染したら…〉

　いつになく不安げなサチコの言葉が、ガレージから放たれた絹を裂くような絶叫で掻き消された。

「きゃああああああっ！」

　聞いたことがあるような、だが、聞いたことのない声だった。ヤブキとサチコは、思わず顔を見合わせてしまった。

「嫌あっ、離れなさいよ変態！　やだっ、どこ見てんのよぉ、もう最低！」

「なんすか、この寸止めエロコメ漫画みたいなセリフ回しは」

　ヒステリックな女性の叫声にヤブキが困惑していると、まだ眠気を残した顔のマサヨシがリビングに入ってきた。

「なんだ、この声は。というか、誰だ？」

「オイラにも解らないっす。でも、少なくともミイムよりは不自然じゃないっすよね」

　ヤブキが首を傾げると、廊下を飛び抜けてきたスリッパがヤブキの側頭部に衝突した。

「ボクのどこが不自然だってんだよアホンダラですぅ！」

　当然、スリッパの主はミイムだった。ヤブキはネグリジェ姿の彼にスリッパを投げ返してから、外を指した。

「とりあえず、まずは状況を確認するべきっすね」

「それもそうだな」

　マサヨシが外に出ようと玄関に向かうと、一番最後に起きてきたハルがアウトゥムヌスと連れ立ってやってきた。
消えなさいよ変態っ、との羞恥に上擦った叫びがまた上がり、ガレージのシャッターが轟音と共に吹き飛ばされた。
砕けた金属片が混じった爆風に押されて転がり出たのは、朝っぱらから至近距離で発砲されたイグニスだった。
真っ赤な装甲は黒ずみ、塗装が焼けて煙が薄く漂っている。イグニスは呻きながら起き上がったが、首を捻った。

「何がどうしたんだ、イグニス」

　玄関から出たマサヨシが相棒に問うと、イグニスはぽかんとしていた。

「さあ…？」

　当事者にも理解出来ないのか、イグニスはその場に座り込んでいた。余程のことが、ガレージで起きたのだろう。
マサヨシは困惑しながらも分厚いシャッターに大穴が開いたガレージの中を覗いたが、やはり理解出来なかった。
ガレージ内では、トニルトスが内股で身を捩っていた。胸を隠すかのように、武装の付いた両腕で胸を覆っている。

「何よ、何よぉっ！」

　先程と聞いた女性の声と同じ声を発したトニルトスは、赤面したかのように顔を背けた。

「お願いだから見ないでよ、死ぬほど恥ずかしいんだから！」

「すまん」

　平謝りしたマサヨシは身を引いてから、呆けている相棒を見上げた。

「どうしたんだ、あいつは」

「いや、な…」

　イグニスはがりがりとマスクを引っ掻いていたが、語り出した。

「昨日の夜はまともじゃないがいつも通りだったんだが、朝起きたらああなってたんだ。俺が起きたら、いきなりぶん殴ってきてな。それもまあそんなに珍しいことじゃないんだが、声が変なんだよ。女の声になっちまってたんだ。俺がそれを指摘しようとしたら、もう一度引っぱたかれて、オンナノコのハダカ見るなんて最低、とかなんとか…」

「裸？」

　マサヨシが頬を引きつらせると、イグニスも首を捻った。

「オンナノコ？」

「もしかして、さっき言ってたコンピューターウィルスが原因だったりしちゃったりするんじゃないっすか？」

　マサヨシに続いて外に出たヤブキがサチコに向くと、サチコはそろりと視線を逸らした。

〈そうね、可能性は非常に高いわ。ああ、でも、そんなことを想像するだけでも気持ち悪くて回路が飛びそうだわ！〉

「トニーさんが女の子ですかぁ、ふみゅうん」

　ミイムは、興味深げにトニルトスを見つめた。ハルは妙に喜び、飛び跳ねている。

「わーい、トニーちゃんがお姉ちゃんになったー！　これでトニーちゃんとおままごとが出来るぅー！」

「女の子」

　いつのまにかヤブキの背後に立っていたアウトゥムヌスは、サンダルをぺたぺたと鳴らしてガレージに近付いた。

「あ、むーちゃん。まだ危険っすよ」

　ヤブキが引き留めるが、アウトゥムヌスはガレージの中を覗き込んだ。すると、トニルトスはびくっと身震いした。

「な、何よぉ…」

　その弱々しい声色と口調で、ヤブキの脳裏には涙目になって頬を染めている美少女が過ぎったが現実は違う。
現実には、全長４．２メートルの機械生命体が長い手足を縮めて懸命に胸を覆い隠し、視線を彷徨わせていた。

「女の子？」

　アウトゥムヌスがトニルトスを指すと、トニルトスは自棄になった。

「私のどこが女の子じゃないってのよぉ！　そ、そりゃ、ちょっと胸は平たいし、上背もあるし、色も青いけど、どこをどう見たって女の子じゃないのよ！　ああもう、そんなに見ないでよ！　だって、まだ下着も着てないんだから！」

「って、何を着るつもりっすか？」

　ヤブキが苦笑いすると、トニルトスの右腕が上がり、青白いパルスビームが頭上を突き抜けた。

「失礼ね、女の子が着るものって言ったら決まってんじゃないのよ！　さっさと消えなさいよね底辺サイボーグ！」

「底辺」

　アウトゥムヌスの視線が向いたので、ヤブキは大袈裟に嘆いた。

「ああっ、むーちゃんまで言うっすかあ！」

「どいつもこいつも最低、ひどい屈辱だわ」

　拗ねてしまったトニルトスは、シャッターの大穴に背を向けた。

「決めたわ。この私に屈辱を味わわせたあんた達を、ネジ一本残さずに焼き尽くしてやるんだから」

「屈辱も何も、俺らは生まれた時からこの恰好じゃねぇか」

　イグニスの指摘に、トニルトスは恐らくは赤面しているであろう声で喚き立てた。

「うるさいわね、あんたなんか別にどうでもいいのよ！　私が恥ずかしいのよ！　だから死になさいよね！」

「一秒ごとに悪化してるぜ」

　イグニスがマサヨシを見下ろして肩を竦めると、トニルトスは金切り声を上げる。

「ちょっと、何無視してんのよ！　今、あんたが話してたのは私でしょうが！」

「見たら見たで喚くくせに」

　イグニスがため息を零すと、トニルトスは慌てて飛び退いたが壁一面に詰め込まれたガラクタに阻まれた。

「それは、その、あんたがいけないのよ！　人の裸を見ておいて、謝りもしないんだから！」

「謝ってほしいのはこっちだぜ。特に何もしてねぇのにぽんぽん殴られて、挙げ句に撃たれてよ」

「それは、ちょっと驚きすぎちゃったからよ。でも、別に悪いなんて思ってないんだからね。正当防衛よ」

「何の？」

「あんた馬鹿じゃないの、乙女の貞操に決まってんでしょ！」

「誰がてめぇなんか襲うかよ」

　動揺しきりのトニルトスに対して、イグニスの反応は冷淡だった。トニルトスは、つんと顔を背ける。

「何よ、つまらない男ね」

「イグ兄貴、なんかトニー兄貴とフラグ立ってないっすか？」

　ヤブキがにやけたので、イグニスはげんなりした。

「しょうもない冗談言うんじゃねぇ、万が一それが現実になったらどうする。この世の終わりだ」

「そっ、そうよ！　こんな奴、宇宙一大嫌いなんだからっ！」

　シャッターの大穴から身を乗り出して反論したトニルトスの言葉は、ツンデレキャラにありがちなセリフだった。
それを聞いて、ヤブキは確信した。トニルトスはイグニスを突き飛ばしてから、ガレージ内に引き籠もってしまった。
　イグニスの反応はやはり冷淡で、付き合ってらんねぇ、とガレージから離れたがトニルトスは名残惜しそうだった。
イグニスの後ろ姿をちらちらと窺っているが、イグニスの視線が向きそうになると、慌てて死角に身を隠してしまう。
人格が女性化したせいで感情的になってしまったトニルトスは、普段は押さえ込んでいる感情が出ているのだろう。
確かにトニルトスは以前からその気があったが、こうして目の当たりにすると非常に面白かったが鬱陶しかった。
　ツンデレは、二次元だけで充分だ。





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08 8/3