アステロイド家族




たった一人の戦争



 稲の刈り終わった田んぼは、どこか寂しい。
 ミイムは、木の間に張られたロープに引っ掛けられている金色に光る稲束を見上げながら、ぼんやりとしていた。
辺りには藁の匂いが立ち込め、空気は若干埃っぽい。土が剥き出しになっている田んぼは、乾くのを待っている。
田んぼの背後では、夏が終わると同時に勢いを失い始めた木々が風を受けて揺れ、ざわざわと騒ぎ立てていた。
 秋は寂しい季節だ。夏の間は何もかもが煌めいていたが、秋に移り変わった途端全てが色褪せてしまうからだ。
それは、母星でもこのコロニーでも同じことだった。収穫が終わってしまうと、後は長く辛い冬を耐えるだけだった。
どれほど文明が進んでも、それは永遠に変わらない。生き物なのだから、季節の変動に合わせて生きるしかない。
 さわさわと擦れる稲穂を見つめていると、言い表しようのない不安が込み上げる。超能力が、何かを告げている。
テレパスでもなければプレコグでもないが、何かを感じる。神経を逆撫でするような不気味な違和感が迫ってくる。
 妹の墓参りだと彼は言った。火星にある妹の墓を参る、とそれだけだと思おうとしても、どうしても嚥下出来ない。
納得出来ない。いや、したくない。心中に生まれた違和感は不安を呼び起こし、彼への疑念が一気に大きくなる。
恐らく、ヤブキは家族に嘘を吐いている。その根拠はどこにもなかったが、ヤブキは何かを隠しているに違いない。

「おい、小動物」

 頭上から掛けられた声に、ミイムは意識を戻した。

「みぃ?」

「大気中の湿度含有量に変化が見られる。いずれ、雨が降る」

 いかにも、散歩の途中に見掛けたから立ち寄った、という雰囲気を出しながら、トニルトスは報告した。

「早々に帰らねば、貴様の干した洗濯物が濡れてしまうぞ」

「ふみゅう、トニーさん、ありがとうございますぅ」

 ミイムは笑顔を見せたが、トニルトスは鬱陶しげに顔を背けた。

「ふん」

「ねえ、トニーさん」

「私に気安く話し掛けるな」

 トニルトスは口ではそう言いながらも、ミイムを見下ろした。

「ボクは、皆に嘘を吐いています」

 ミイムは甘ったるく緩めていた語尾を強張らせ、言い切った。

「トニーさんは、それを知りたいですか?」

「貴様に対して興味を抱く理由もなければ意味もない」

 トニルトスは冷淡に言い捨てたが、僅かに視線を動かした。

「だが、貴様の嘘が露見することであの小娘が悲しむというのなら、知る必要などどこにもない」

「ふみゅうん、トニーさんってやっぱり優しいですぅ」

 途端に態度を戻したミイムに、トニルトスは背を向けた。

「いいか、今し方の私の発言は口外法度だ! ルブルミオンにでもばらしてみろ、貴様を粉砕してくれる!」

 トニルトスは歩き出したが、数歩進んだだけで足を止めた。

「少なくとも、私は貴様の嘘には0.1バイトも興味はない。だから、これ以上の会話は無用だ」

「優しいお言葉を掛けて頂いて、どうもありがとうございますぅ」

「下らんことで私を呼び止めるな」

「ボクに話し掛けてきたのはトニーさんの方ですぅ」

「詭弁を」

 トニルトスは苦々しげに言い捨てて、足早に立ち去った。ミイムはその背に手を振っていたが、笑みを消した。
ヤブキは嘘を吐いているかもしれないが、ミイムにはヤブキの嘘を言及出来るような権利もなければ立場もない。
 嘘なら、こちらの方が大きい。素性どころか身分も過去も偽り、在りもしない人物像を造り上げて同居している。
だから、ヤブキの嘘については何も言えない。言ってはいけない。彼をひどく傷付けてしまうことが怖いからだ。
細かい部分は好きになれない青年だが、いい友人だ。あれほど深く付き合った相手は、彼が最初で最後だろう。
今更、彼に好かれるように努力するつもりは欠片もない。だが、せめて嫌われないように努力するつもりでいる。
 正直言って、ミイムは友人の作り方が解らない。皇太子であった時代から、他人と距離を測るのが下手だった。
だから、妹のフォルテともあまり上手く接することが出来ずに、フォルテの話をよく聞いて機嫌を取るしかなかった。
ミイムに代わってレギーナとして死したルルススは、側近であるが故に距離が近すぎたため、家族以上の存在だ。
 まともに友人と呼べる相手は、全宇宙でヤブキ一人だ。大切にしたいと思っても、そのやり方がよく解らない。
きつい言葉を浴びせてしまうのも、すぐに手や足が出てしまうのも、同性相手への好意の示し方を知らないからだ。
 ヤブキの嘘の真相は、知らない方が良い。その方が、今の関係が壊れなくて済む。ずっと、このままでいたい。
そう判断したミイムはサイコキネシスを放ってするりと浮かび上がると、薄曇りの空の下、家へと向かって飛んだ。
 雨が降る前に、洗濯物を取り込まなければ。




 久々に会った友人は、相変わらずだった。
 ギルディーン・ヴァーグナーは主治医であるダグラス・フォードの手で調整を受けた腕を動かし、確かめていた。
内蔵された超合金製のブレードを出してみたり、滅多に使わないビームガンの銃身を伸ばしてみたりと、忙しい。
時折空中に向けて蹴りや拳を放ち、巨体とは思えぬ敏捷さで飛び跳ねて、見えない敵と戦っているようだった。
 その様を視界の片隅に入れたまま、リリアンヌ・ドラグリオンは勤務の合間に書き記した論文を読み直していた。
ホログラフィーモニターに並ぶ無数の活字を追いながら、もう一方の手では新薬の臨床試験結果も確認していた。
救護戦艦リリアンヌ号に搭乗している薬剤師は多いが薬学者はリリアンヌ一人だけなので、仕事は常に山積みだ。
カイル・ストレイフとの新婚旅行は数年振りの長期休暇で、リリアンヌ号に搭乗してからはろくに休んだことはない。
もっとも、リリアンヌは仕事が趣味にも等しく、内容はどうあれ活字を追いかけることが最も心地良い娯楽なのだ。
宇宙医学会に発表する論文も、手慰みに書いたものである。リリアンヌは冷めた紅茶を飲み干し、眉根を曲げた。

「鬱陶しい」

 リリアンヌが横目にギルディーンを見やると、ギルディーンは空中に突き出した足を止め、肩を竦めた。

「いいじゃねぇかよ、どうせお前はそっちを読んでんだから」

「ろくに挨拶もせずに他人の部屋で訓練を始めるとは、貴様は無礼の固まりだな」

「俺が話し掛けても反応しねぇくせに、よく言うぜ」

「貴様の吐き出す話題は低俗すぎる。興味を向けるに値せんのだ」

「その割にはすんなり部屋に入れるよな」

「入れなかったら入れなかったでやかましいからだ。そうでなければ、貴様など宇宙に捨てておるわ」

 リリアンヌに毒突かれ、ギルディーンは訓練を中断して手近な椅子に腰を下ろした。

「んで、何の用だ? ダグラスんとこに定期検診に来ただけの俺を引き留めるんだ、用事があるんだろ?」

「別に貴様でなくとも良かったのだが、目に付いただけだ」

 リリアンヌはモニターを切り替え、データディスクが隙間なく詰まった本棚の間のモニターに映し出した。

「ん、火星か?」

 ホログラフィーモニターから浮かび上がった太陽系第四惑星の映像に、ギルディーンは身を乗り出した。

「カイルとの太陽系旅行の際に、地球に立ち寄った後に月面基地を経由して火星にも立ち寄ったのだが、その際に少しばかり引っ掛かる点を見つけてしまってな」

 リリアンヌは軽く背もたれを軋ませ、艶やかなストッキングに包まれた細い足を組んだ。

「貴様も新人類の端くれならば、月面基地の中枢に旧人類と動植物のDNAを網羅したデータが保管されていることぐらいは知っているだろう」

「まぁな。学術的な価値を重視して、って言う割には、データバンクに入っているデータはDNAの塩基配列ぐらいで、DNA本体のサンプルがないっていう中途半端なシロモノだろ?」

「旧人類もさることながら、動植物の数が膨大であるからな。あの星の月程度の物理的規模なら、無理もあるまい」

「で、それがどうかしたってのかよ?」

「うむ。その月面基地に保管されている旧人類のDNAのデータが何かしらの情報媒体にコピーされ、基地外に持ち出された形跡があるのだ」

「そりゃちょいとまずいな」

 ギルディーンはゆったりと回転する火星を見上げ、屈強な腕を組んだ。

「ああいうデータの類は、原則的に持ち出し厳禁だからな。俺達新人類は遺伝子自体を旧人類に改良されて生み出された種族だから、雑で低レベルな旧人類のDNAが混じっちまうと一大事だぜ。もしも、その旧人類のDNAを元にしたデータが医療機関なんかにばらまかれたりしたら、千年単位で遺伝子浄化した新人類に、また旧人類みたいな出来損ないが生まれちまう」

 だがな、とギルディーンはリリアンヌに顔を向けた。

「一つ、馬鹿でかい疑問があるぜ。なんで、統一政府はそれについて何も言わねぇんだ? 普通だったら、持ち出した奴を逮捕して辺境宇宙の超重力刑務所にでもぶち込むはずだぜ?」

「そこなのだ」

 リリアンヌは椅子から立ち上がると、ドリンクディスペンサーのボタンを押し、二杯目の紅茶を淹れた。

「しかも、旧人類の遺伝子情報が持ち出されたのは太陽系標準時刻で十年以上前と来ている。だが、統一政府はまともな諜報機関を所有しておるし、記録も私のような部外者でも発見出来るほど浅いレベルで取り扱われていたのだ。どう考えても、何かある」

「旧人類、なぁ…」

 ギルディーンは椅子の背もたれが折れるかと思うほど体重を掛け、上体を反らした。

「差し当たって、心当たりがねぇわけじゃねぇけどさ」

「あるのか」

 意外そうなリリアンヌに、ギルディーンは少々むっとした。

「俺は傭兵だぜ? 仕事を探し回ってる間に、色んな方面から情報が入ってくるんだよ」

「それで、どんな心当たりだ」

「二十年ぐらい前だったかねぇ。火星の研究施設出の技術者崩れとちょいと関わったことがあってな、まあそいつはすぐに撃たれて死んだんだが、そいつが話してたんだよ。火星にあるグリーンプラントは、生命の循環を確立させるために植物だけじゃなくて動物も生み出しているんだが、人間もいるんだとさ」

「その程度のこと、今更珍しい話でもあるまい」

「俺もそう思ったんだけどな、なんか覚えてんだよ。覚えてるってことは、変なことがあるからなんだよ」

 ギルディーンはほの明るく光る天井を睨んでいたが、ああ、と頷いて上体を戻した。

「ダイアナだ」

「新しい女の名か?」

「馬鹿、違ぇよ。俺の女はメリンダだけだ、それ以外はただの女だ」

 ギルディーンは笑ってから、口調を改めた。

「そいつが連れてたんだよ、五歳ぐらいのちっちゃい女の子をな。最初はロリコン向けのセクサロイドかと思ったんだが、よぉく見ると生身なんだよ。黒髪で青い瞳の可愛い娘で、その娘の名前がダイアナってんだ。まあ、その研究者崩れが死んだ時にダイアナって娘も死んだらしいけどな」

「興味深いな」

 リリアンヌは湯気の昇る紅茶に口を付け、吊り上がった目を細めた。ギルディーンは顎をさすり、首を捻った。

「そうだとしたら、余計に訳が解らねぇな。時系列が合わねぇ」

「他に情報はないのか?」

「お前が言い出した話だろうが」

 ギルディーンは椅子を動かしてドリンクディスペンサーまで近付くと、ジンジャーエールを出した。

「いや、何もないわけじゃないな」

 マスクを開いて飲用チューブでジンジャーエールを啜りながら、ギルディーンは続けた。

「ヤブキだ。確か、そいつの主任だったか部長だったかの名前が、ヤブキってんだよ。まあ、それだけなんだがな」

「それの息子はジョニーではないのか?」

「そこまでは知らねぇが」

「それだけで充分だ。となると、少しまずいやもしれんな」

「何がだよ」

「下手をすると、これは新人類という種そのものに危機が及ぶかもしれんぞ」

「何でそうなるんだよ!」

 ぎょっとしたギルディーンに、リリアンヌは素っ気なく返した。

「現時点では推論に過ぎん。口外すれば無用な混乱を招く。故に貴様如きに与える情報は皆無だ」

「気ぃ持たせといてそりゃねぇだろ! ていうか、完璧に他人事だから楽しんでんだろ!」

「悪いか」

「あったりめぇだぁトカゲ女!」

 悪びれる様子もないリリアンヌにギルディーンは迫って声を荒らげたが、彼女の眼差しはどこまでも涼しかった。
グレン・ルーと同様、ギルディーンにとってリリアンヌとの関係も腐れ縁に近いが、あれよりはまだまともと言える。
 ギルディーンがリリアンヌと知り合ったのは、彼女がまだ惑星ドラコネムの大学の研究生だった六十年前である。
その当時の敵に宇宙船を撃墜されたギルディーンは命こそ落とさなかったものの、惑星ドラコネムへ不時着した。
傭兵という曖昧な身分と大量の武装を内蔵したフルサイボーグであったため、テロリストとして逮捕、拘留された。
だが、以前別の星系で起きた戦闘で、ギルディーンはリリアンヌの父親のロベルト・ドラグリオンと面識があった。
 ロベルトのおかげで早く保釈されたが、足がないのは変わらぬ事実だったので宇宙船を調達する必要があった。
そこで、ギルディーンは惑星ドラコネムに数年間逗留することとなり、ロベルトの娘であるリリアンヌらと知り合った。
弟であるケーシーとは親子にも似た関係になったが、リリアンヌは最初からギルディーンのことを舐め切っていた。
恐ろしく頭が良いこととプライドの高さも相まって、リリアンヌはギルディーンを顎で使うばかりで心を開かなかった。
 だが、ある時、リリアンヌは軍に反感を持つテロ組織によって誘拐され、死にはしなかったが痛め付けられた。
そこへ助けに行ったのが、ギルディーンである。ロベルトが身動き出来ない代わりに、彼の分まで暴れてやった。
それを境に、ようやくリリアンヌはギルディーンに対して態度を軟化させたのだが、口の悪さと尊大さは変わらない。
 ギルディーンは二杯目のジンジャーエールを飲みながら、リリアンヌの無表情な横顔を見据え、内心で罵倒した。
娘も同然の相手だが、こういう時は腹立たしかった。だが、それもまた意地だと知っているので微笑ましくもあった。
研究室に呼び付けたのも本当はカイルとの結婚を報告するためだと解っているし、その事実は既に知り得ている。
だが、彼女が言おうとしないので、言う気になるまで待つしかない。意地っ張りというのは、どんな時でも面倒だ。
 けれど、それが可愛らしさでもあるのだが。





 


08 8/19