アステロイド家族




たった一人の戦争



 血の匂いがする。生臭く、息苦しい、死を招く匂いが。
 傍にいる彼女は、悲しいほど冷たかった。白かったはずのワンピースは血を吸い込んで、重たく、赤黒くなった。
それはジョニー自身の服にも染み着き、金属の肌に貼り付いている。吸気する空気は、彼女の血の匂いしかない。
 両手に握り締めた操縦桿は、強く握りすぎたために歪んでいた。全面モニターには無数の妹が表示されている。
何もかもが信じられず、信じたくなくない。だが、これは現実だ。現実だから、彼女の体温が下がりつつあるのだ。
 全面モニターの下部では両親が顔を引きつらせていて、その傍らで血塗れのダイアナがにこにこと笑っていた。
幼い頃と変わらないが成長した顔立ちで、笑っている。両親の命令を果たせたことを、無邪気に喜んでいるのだ。
 正気を保てているとは、自分でも思えなかった。ジョニーはインテゲル号の操縦席に入り、呼吸を荒らげていた。
十四歳のダイアナの手によってアウトゥムヌスの頸動脈が切り裂かれた直後、ジョニーは彼女の元に駆け出した。
お兄ちゃん、と飛び付いてこようとしたダイアナを突き飛ばしたジョニーは、倒れたアウトゥムヌスを抱き起こした。
そして、機体を呼んだ。渾身の怒りを込めた猛りに応えたインテゲル号は、大量の隔壁を貫き、地下に到達した。
スペースファイター形態から機動歩兵形態に変形させたインテゲル号に、息も絶え絶えの彼女を連れて搭乗した。
そこまでの動作は、まだ冷静だ。だが、ここから先は解らない。少しでも指を動かせば、皆殺しに出来るのだから。

『なんで、なんで、なんでなんだよぉおおおおおおっ!』

 なぜ、愛する者が傷付けられる。なぜ、愛する者が殺されてしまう。

『なんで、なんでだよ!』

 ジョニーは操縦桿を前に倒し、インテゲル号を踏み出させた。その先にいたダイアナは、満面の笑みを返す。

「だって、お兄ちゃんのためだもん」

『そんなわけがあるかああああっ! 十年前のダイアナも、さっきのダイアナも、オイラの弟も、なんで次から次へと殺すんだよ! 誰も死ななくても良かったじゃないか、どうして死ななきゃならないんだよ! むーちゃんは、何も関係ないじゃないか!』

 ジョニーは猛り、ダイアナへと迫る。だが、ダイアナはまだ微笑んでいる。

「だって、その変な子がいるから、お兄ちゃんはおうちに帰ってきてくれないんでしょ? だからね、いなくなってもらわなきゃならないの」

『馬鹿にしやがってえええええ!』

 ジョニーが力一杯咆哮すると、インテゲル号も呼応し、上体を反らして咆哮した。

『オイラの人生はオイラが決めてきたことだ! ダイアナを守れなかった自分が嫌で、誰よりも強くなりたくて、軍隊にも入ろうとした! 軍人にはなれなかったけど、強くなったのは体だけで心の方は全然だけど、全部自分で選んで決めてきたことだ! むーちゃんを好きになったことだってそうだ! 今更何を言うんだよ!』

「お前は戦わなくていい。お前は、生きているだけで充分なんだ」

 タケルは冷静さを保ちながら、ジョニーへと近寄ろうとした。

『だったら、なんで放っておいてくれなかったんだ! 捨てたままにしてくれなかったんだ! その方が、きっと!』

 ジョニーはインテゲル号のレーザーブレードを抜き、高出力の閃光を凝縮した切っ先を父親に突き付けた。

「お前は成人した。大人になったんだ。だから、自分の役割を知らなければならない」

 タケルに続き、シンシアも頷く。

「そうよ、ジョニー。あなたは」

『黙れ、黙れ、黙れ、黙れぇえええええええええ!』

 音割れするほど凄まじい怒声を撒き散らし、ジョニーはレーザーブレードを床に叩き付け、破片を散らした。

『だからって、誰も彼も殺していいわけがない!』

「お前は何か勘違いしているようだな、ジョニー」

 タケルは息子という名の実験体が乗る機動歩兵を仰ぎ、頬を歪めた。

「これは統一政府に認められた実験なんだ。私達は、統一政府の命令に従って実験を行っていたに過ぎない」

「そうでもなければ、私達があなたやダイアナを生み出せるわけがないじゃない。この施設だって、あなた達を造るための膨大な生体材料だって、皆、統一政府が下さったものなのよ」

 シンシアの声色が、べっとりとした執着を含んだ。

「スペレッセ号の件も、あなたを生み出したプロジェクトの一環に過ぎないのよ。私達が探していた惑星は、新人類ではなく進化した旧人類に適応した惑星だったのよ。惑星プラトゥムは今まで探した中では最も適応値が高い惑星だったけど、帝国のお姫様の抵抗が激しすぎたから諦めるしかなかったのよ。けれど、次は必ず見つけ出してみせるわ。スペレッセ号には、あなたほどの適応能力を持った者はいないけど、それなりの適応能力を持った旧人類が何十人も生まれているのよ。このプロジェクトが成功して、進化した旧人類が再び新人類を淘汰すれば、あなたは最初の進化した旧人類として…」

 旧人類。旧人類。旧人類。そんな単語ばかりが繰り返され、知りたくなかった情報の奔流が脳を浸食してくる。
聞きたかったのは、そんな言葉ではない。知りたかったのは、そんな情報ではない。ただ妹に謝ってほしかった。
 寂しい思いをさせてごめんね、すぐに帰れなくてごめんね。それだけ言ってくれれば、ジョニーの遺恨は解けた。
十年前に死んだダイアナを愛していたと示してくれれば、良かった。それなのに、両親はまたダイアナを殺した。
二人を殺さなければ、また別のダイアナが殺される。無数に造られた人工の妹であっても、妹はやはり妹なのだ。
 操縦桿を握り締めるジョニーの手に、冷え切った指先が添えられた。血の気を失っているアウトゥムヌスだった。
ジョニーはアウトゥムヌスを支えるが、アウトゥムヌスは焦点の揺れる銀色の瞳でジョニーをじっと見上げてきた。
華奢な首筋の左側には目を向けるのも憚られるほど深い傷口が作られ、筋肉の間に割れた動脈が見えている。
首を動かすための筋も覗いていて、出血は止まらない。こうしている間にも、足元には彼女の血溜まりが広がる。

「ジョニー君」

 弱々しいなどという表現では生易しいほど細い吐息が、薄い唇の間から零れた。

「あなたが戦う理由は、何」

 問われるまでもない。アウトゥムヌスの言葉は、ジョニーは錯乱でぐちゃぐちゃに乱れていた胸中を落ち着けた。
愛する者を守るためだ。そのために力を得た。そのためにここにいる。だが、このままでは彼女すら守れない。
そして、妹も守れない。ならば、答えは一つだけだ。ジョニーは操縦桿を起こし、インテゲル号を立ち上がらせた。
 両親は、まだ言葉を吐き出し続けている。旧人類が旧人類が旧人類が旧人類が旧人類が旧人類が旧人類が。
それさえ言えば、ジョニーが納得するとでも思っているのだろうか。その傍らで、ダイアナは笑顔を向けている。
だが、その笑顔は強張っていた。笑っていなければ殺されてしまう、との恐怖が、ダイアナの顔に滲み出ていた。
彼女はアウトゥムヌスを切り付けたが、それは生きるためだ。そうしなければ、姉妹のように処分されるからだ。
そう思うと、先程妹に感じた憤りが冷え込み、悲哀に変わった。きっと、十年前のダイアナもそうだったのだろう。
ジョニーが甘えてくれる妹を欲していたから、必死にジョニーに甘え、我が侭な子供らしく振る舞った末に死んだ。
 ごめんな、ダイアナ。兄ちゃんが悪かった。内心で呟きながら、ジョニーはレーザーブレードを高々と振り上げた。
機体の影の下から、両親が逃げ出していく。懸命にジョニーの名を呼んで、親であることを鼓舞しようとしている。
だが、もう手遅れだ。ジョニーはインテゲル号の膝を曲げて床を蹴り、跳躍して急上昇すると、両親の前に降りた。
回り込まれたことで畏怖したのか、シンシアが絶叫する。タケルはシンシアを突き飛ばすと、出口へと逃げ出した。
その様で確信した。この二人は両親などではなく、ただの研究者だ。だから、親の情を求める方が間違いなのだ。
 インテゲル号は赤く輝くレーザーブレードを重たい駆動音と共に振り下ろし、シンシアの体を真っ二つに切った。
そして、出口へと飛び込もうとしたタケルの胴体を両断した。即死だったらしく、二人の断末魔は聞こえなかった。
 出口の前で立ち止まったインテゲル号は、何が起きたのか解らずにきょとんとしているダイアナを見下ろした。

『もういいっすよ、ダイアナ。オイラはダイアナの兄ちゃんになる資格がないっすから、ダイアナも無理をしてオイラの妹になることなんかないんす。他のダイアナと一緒に、ここから出て好きなところに行くっす。兄ちゃんが許すっす』

 インテゲル号はタケルの死体を投げ捨ててから、出口を指した。

「お兄ちゃんは?」

 目を丸くしているダイアナに、ジョニーは努めて穏やかに言った。

『兄ちゃんには、まだやることがあるっす。だから、ダイアナ。兄ちゃんの言った通りにするっす』

「うん、解った! ダイアナ、お兄ちゃんの言う通りにするね!」

 ダイアナの笑顔は、今までの笑顔とは違っていた。笑みの下に隠された緊張が解けた、柔らかな表情だった。
父親だった人間の血溜まりを蹴散らして、ダイアナは駆けていった。しばらく、ジョニーはその背を見送っていた。
これで、事態が快方に向かうとは思えない。統一政府が関わっているのなら、全ては覆い隠されてしまうはずだ。
 両親が死んだことも、無数のダイアナも、自分の存在も、この出来事も。統一政府には、それだけの力がある。
けれど、何もしなかったことを後悔するよりは良いはずだ。ジョニーは操縦桿から手を外し、ゆっくり肩を落とした。
時間にすれば、十数分にも満たない出来事だろう。だが、ジョニーにとっては永遠にも等しい地獄の時間だった。

「むーちゃん…」

 ジョニーは力を入れすぎたために軋む手を伸ばし、アウトゥムヌスの肩を起こしてやった。

「大丈夫」

 アウトゥムヌスは呟いたが、それは最早言葉にすらならず、吐息の強弱と唇の動きでなんとか把握出来た。

「これで、良かったんすか?」

 ジョニーは指先でアウトゥムヌスの傷口を塞いでやりながら、柔らかく抱き締めた。

「そう。これでいい」

「むーちゃん。もう、喋らなくてもいいっすよ」

 ジョニーはアウトゥムヌスの頬に手を添え、支えた。

「もう、いいっすから…」

 これが全て悪い夢だったら、どんなに幸せか。だが、腕の中の彼女は冷え切り、両親だった者は死体と化した。
いや、今までの生活が夢だったのだ。マサヨシの住むコロニーに墜落したのに、家族の一員になれたのだから。
 居場所もなく、自分の価値も見出せず、過去にばかり縛られていたが、彼らと暮らすうちに現実へと戻れた。
現実に戻れたから、ダイアナのことが話せた。両親と向き合おうと思った。だが、結末は最悪を容易に通り越した。
だが、それも自分自身で決めたことだ。両親と会うことも、二人を殺すことも、ジョニーが強く決意したことなのだ。
だから、誰も責められない。アウトゥムヌスが重傷を負ってしまったのも、彼女を同行させてしまった自分が悪い。

「ジョニー君に、言っておくべきことがある」

 アウトゥムヌスは手を伸ばしてジョニーのマスクに触れたが、力が入らないのか、ずるりと滑り落ちた。

「なんすか、むーちゃん?」

 ジョニーはその手を握り、語り掛けた。

「私は、あなたに恋をしている」

 アウトゥムヌスの瞼が、重たく下がり始める。

「少し、眠る…」

 ジョニーの手の中で、アウトゥムヌスの細い指先がだらりと脱力した。薄い瞼の下に、銀色の瞳が閉ざされていく。
弱々しかった呼吸が、途切れていく。ジョニーはアウトゥムヌスの名を呼んだが、アウトゥムヌスは反応しなかった。
ジョニーはアウトゥムヌスの両手を腹の上で組ませてやってから操縦席に身を預け、レーダー画面に目を向けた。
接近警報が、けたたましく鳴り響いていた。インテゲル号の直線上には、一機のスペースファイターが浮いている。
コンピューターはその機体の照準内だと何度となく告げるが、ジョニーの聴覚センサーには何一つ届かなかった。
 その機体の主は解っている。マサヨシだ。約束を果たしに来てくれたのだろう、とジョニーはこの上なく安堵した。
どうか、裁いてくれ。死なせてくれ。もう、生きる意味などない。ジョニーは意識レベルを落とし、静かに死を待った。
 誰も守れない命など、捨てるべきだ。




 死後の世界は、宇宙に似ていた。
 だが、すぐに違うと解った。電気刺激で強制的に覚醒させられた時に感じる、鈍痛が脳に広がっているからだ。
果てのない闇に散らばる無数の恒星と暗黒物質の詰まった膨大な空間を見ていると、吸い込まれてしまいそうだ。
いっそ、その方が楽だと思った。意識を宇宙空間に溶かし、肉体を捨て、何もない世界に消えてしまいたかった。
 だが、現実は戻ってきた。指先を動かすと、冷え切った岩が触れた。周囲の暗さから判断して、小惑星だろう。
身を起こすと、ある人物の姿を視覚センサーが取得した。戦闘に適した宇宙服を着込んでいる、マサヨシだった。
彼の背後には、二機の機体が控えていた。その一機は当然ながら、マサヨシの愛機のHAL号に違いなかった。
もう一機は、機動歩兵形態のインテゲル号だった。だが、視界には火星は見えず、空虚な闇と岩石しかなかった。

『インテゲル号を回収してすぐに火星から離脱して、ワープドライブを行ったんだよ』

 無線を通じて届いたマサヨシの音声が、ジョニーの補助AIに直接流し込まれた。

『アステロイドベルトの外れだ。ここなら、滅多なことでも起きない限り、誰にも邪魔されることはない』

『マサ兄貴』

 ジョニーは上体を起こし、マサヨシに向き直った。

『なんでもいいっすから、早くオイラを撃って下さいっす。そのためにここまで来たんすよね』

『生憎だが、俺は家族を撃つための銃は持ち合わせていない』

『なんでなんすか!? オイラはあの二人を殺したんすから、殺してもらわなきゃいけないっすよ!』

『事故死だそうだ』

『へ…』

 訳が解らず、ジョニーは言葉を失った。マサヨシは、淡々と続ける。

『お前とアウトゥムヌスが向かったグリーン・ラボラトリーに、スペースコロニーから剥離した外装の一部が墜落した。その衝撃で地下エリアまでが破壊され、死傷者も出ている。その中にいるんだよ、お前の両親とやらが。俺は一部始終を衛星軌道上から観察していたが、インテゲル号がグリーン・ラボラトリーに向けて落下した時点からあらゆる映像が差し替えられ、情報も偽造された。念のために全ての通信回線を切っていたおかげでサチコの映像は無事だったが、それ以外は全て偽物だ。薄々そうなるんじゃないかと思っていたが、案の定だったよ』

『てぇことは、オイラがしたことは、全部…』

『なかったことになったんだ。だから、俺にはお前を殺す理由がない』

『でも、マサ兄貴は覚えているんなら、それが充分理由になるっすよ!』

『口約束だけで自殺幇助が出来るほど、俺は冷血でもなければ殺人狂でもないんでな。お前はアウトゥムヌスと結婚するんだろう。だったら、尚更じゃないか』

『そうだ、むーちゃんは、むーちゃんの傷は!』

 慌てて立ち上がったジョニーを、マサヨシは制した。

『出血は恐ろしくひどいが、脳にも内臓にも損傷は見当たらなかった。だが、重篤だ。今のところは、サチコが生命維持装置を動かしているから保てているが、時間が経てばどうなるか解らない。一緒に来るか、ヤブキ』

『当たり前じゃないっすか! むーちゃんは、オイラのせいであんな目に遭ったんすから!』

『お前はインテゲル号で付いてこい。但し、今度も手加減しないからな』

 マサヨシは足元を蹴って浮かぶと、宇宙服の背面部に装備されたスラスターを開き、HAL号に向かっていった。
ジョニーも地面を力強く蹴り付け、腹部のコクピット部分を開け放ったままになっているインテゲル号へと向かった。
コクピットに入ると、ジョニーが宇宙空間に放り出されていた理由が解った。彼女の血溜まりが洗浄されたからだ。
その証拠に、インテゲル号の周囲には蛋白質を瞬時に分解する洗浄液の粒が漂い、ジョニーの服に張り付いた。
 インテゲル号に乗り込んだジョニーは、機体を可変させ、言葉通りにさっさと発進してしまったHAL号を追った。
HAL号がエンジンから吐き出すイオンエネルギーをもろに浴びてしまわないために、並走させ、速度も合わせた。
少々表面が歪んでしまった操縦桿を握っていると、指先に乾き切ったものが付着した。アウトゥムヌスの血だった。
 やはり、あれは悪夢でもなければ妄想でもなく、紛れもない現実だ。いくら情報が偽られても現実は変わらない。
これで決着が付いたとは思いたくないが、今は振り切っておこう。家に帰り、アウトゥムヌスとまた暮らすためにも。
 この手で誰かを守れるならば、未来の妻を守りたい。







08 8/22