アステロイド家族




マリッジ・リング



 永遠の契りを。


 あれから、四日が経過していた。
 ヤブキはアウトゥムヌスの横たわるベッドの傍らで、延々とニュースを繰り返すニュースチャンネルを見ていた。
ホログラフィーモニターに浮かぶアナウンサーは淀みなくニュースを読み上げていて、まるでロボットのようだった。
 近頃ではアンドロイドをアナウンサーに使っているチャンネルも多いが、このチャンネルは生身の人間のはずだ。
だが、昨今のアンドロイドは気色悪いほど精巧に出来ているので、たまに見分けが付かなくなってしまう時もある。
生身だと思えばそう思えるし、アンドロイドだと思えばそう思えてしまう。人間と機械の境界は、随分曖昧になった。
そして、現実と虚構の境界も薄くなった。氾濫する情報が膨大だからこそ、偽装してしまえば誰も疑問を抱かない。
 四日前、火星で起きた出来事は事故とされた。事実、グリーン・ラボラトリーにコロニーの外装が落下していた。
どうやら、ヤブキとアウトゥムヌスがマサヨシに連れられて火星を離脱した後、本当に外装を落下させたようだった。
 死者二名、負傷者多数。その死者とは、ヤブキの戸籍上の両親であるタケル・ヤブキとシンシア・ヤブキだった。
二人はコロニーの外壁の落下地点である地下の研究施設に偶然居合わせ、落下の衝撃で死亡した、とのことだ。
だが、事実は違う。ヤブキの操るインテゲル号で、タケルの胴体を切り裂き、シンシアの体を真っ二つにしたのだ。
 その映像や音声はヤブキの補助AIと脳にはこびり付いていて、手には未だに二人を殺した手応えも残っている。
イオステーションのパーキングに留めてあるインテゲル号のコンピューターにも、同じ映像が残っているはずだ。
だから、四日前の出来事は決して夢でもなければ妄想でも何でもなく、紛れもなくヤブキの手で起こしたことだ。
 あの後、インテゲル号に乗ったヤブキはマサヨシの操るHAL号に導かれ、木星のイオステーションにやってきた。
ダイアナに頸動脈を切り裂かれたアウトゥムヌスをクリニックに担ぎ込んだヤブキは、彼女に付き添うことにした。
マサヨシは、適当に取り繕っておいてやるから今はゆっくり休んでおけ、と言い残して、家族の元に帰っていった。
 傷口の縫合と輸血は終わり、アウトゥムヌスの意識も回復したが、生きている方が不思議だと医師に言われた。
ヤブキも、その点については若干疑問を抱いている。頸動脈を切り裂かれて生きている人間など、人間ではない。
頸動脈を切り裂かれた際に噴出した血液量も、常識的に考えても、致死量を超えているようにしか思えなかった。
インテゲル号の操縦席に連れ込んだ後も出血が続いており、足元には大きな血溜まりが出来てしまうほどだった。
だが、アウトゥムヌスは生きている。人間一人分はあろうかという大量の血液を、二日以上掛けて輸血されたが。
その他は体力を回復させるための栄養剤の点滴と縫合した傷口の消毒ぐらいで、数日後には退院出来るそうだ。
きっと、彼女は生存能力を強化改造した生体改造体なのだろう。そう考えておけば、大抵の疑問は解消される。
 ヤブキは壁に預けていた背を上げ、白い入院着を着て栄養剤入りの点滴を受けているアウトゥムヌスに向いた。
ヤブキの動きに合わせて銀色の瞳が動くが、首は動かなかった。抜糸も済んでいないので、包帯も取れていない。
少しでも首を動かすと傷口が引きつって痛むのだろう。ヤブキは椅子から立ち上がり、ベッドの端に腰を下ろした。

「具合はどうっすか、むーちゃん」

「問題はない」

 アウトゥムヌスは上体を起こそうとしたが、首が痛むのか、僅かに眉根を歪めた。

「体内血液量、血圧、共に標準値。左頸部の裂傷もいずれ完治する」

「でも、もう少し大人しくしておいた方がいいっすよ。まだ体力は完全じゃないっすからね」

 ヤブキはアウトゥムヌスの背を支えて起こしてやり、座らせた。アウトゥムヌスは、少し目を伏せた。

「了解」

 血の気が戻りつつある頬に、かすかに赤みが差した。照れているのだろうか、とヤブキは彼女を覗き込んだ。
すると、アウトゥムヌスは勢い良く身を引いてヤブキとの間隔を開いて、表情を見せないためなのか顔を伏せた。
これは完全に照れている。そう悟ったヤブキは素直にアウトゥムヌスから離れたが、自分まで照れ臭くなってきた。
 今までは意識されたこともなかったのに、急に意識されると戸惑う。嬉しいのだが、嬉しすぎて困ってしまうのだ。
やはり、きっかけは稲刈りの出来事だろう。アウトゥムヌスが好意的になったのは、あの日を過ぎてからだからだ。

「むーちゃん」

 だが、どちらも照れていては話にならない。ヤブキは照れ臭さを堪え、身を縮めている彼女に声を掛けた。

「何か、欲しいものとかあるっすか? ここのコロニーも色んな店があるっすから、大抵のものは手に入るっすよ」

「ジョニー君の、ご飯」

「んじゃあ、ちょっと調べてくるっす。マサ兄貴のHAL号にはそういう設備はあったっすけど、インテゲル号にはないっすからね。これだけの規模のコロニーっすから、調理設備ぐらいはあると思うっすけどね。それと、むーちゃんの主治医の先生にも、病理食以外を食べても大丈夫かどうかを確認してくるっす。時間が掛かるっすから、その間はいい子にしてるんすよ」

「了解」

 アウトゥムヌスは平坦に返したが、ほんの少し語気が弱かった。ヤブキは、アウトゥムヌスの髪を優しく撫でた。

「大丈夫っすよ、ちゃんと帰ってくるっすから」

 ヤブキの手の下で、アウトゥムヌスは頷いた。ヤブキは、行ってくるっす、と言い残してから彼女の病室を出た。
廊下に出て歩き出したが、勝手に歩調が早くなる。アウトゥムヌスが垣間見せる甘えが、愛らしくて仕方なかった。
負傷したために気が弱ったからなのだろうが、些細なことでも反応し、ヤブキが傍にいないと不安げな顔をする。
相変わらず表情と言葉は乏しいが、行動には現れている。勢い余って抱き締めてしまいそうになったことも多い。
だが、今はそんなことをしてはならない。アウトゥムヌスを愛でるのは、無事に退院してあの家に帰ってからだ。
 にやけが止まらないので、ヤブキは声に出さないように発声機能を調節してからだらしない笑いを零していた。
表情が出ないマスクフェイスだからこそ、出来る芸当だ。あまりににやにやしすぎて、目的を忘れかけてしまった。
はたと我に返ったヤブキは手近な看護師を呼び止め、アウトゥムヌスの主治医に連絡を取ってもらい、確認した。
主治医によると常識的な範囲でなら食べてもいいとのことだったので、ヤブキは喜び勇んでクリニックを後にした。
 そうと解れば、行動は早い方がいい。




 それから、五時間後。
 ヤブキはイオステーションを駆けずり回り、食料品店で買い込んだ食材をレストランの厨房を借りて調理した。
レストランの数は多かったが、自動調理システムではない厨房を持つレストランが少なく、探すのに手間取った。
いくつかの店舗は見つけたが、休業日か繁盛しすぎて割り込む隙間がないかのどちらかで使うに使えなかった。
 ようやく貸してくれそうな店を見つけたのだが、事情を説明しても納得してもらえず、対価として働くことになった。
最も忙しい時間帯に三時間程度の労働を行い、ランチタイムが過ぎて店も暇になったので厨房を貸してもらえた。
 炊飯器がなかったので鍋で白飯を炊きながら、その傍らで卵焼きを焼き、簡単にダシを取って味噌汁も作った。
それらを作っている途中で店員が興味を示してきたので、貸してもらった御礼にと少し分けると、喜んでもらえた。
必ず返すと約束して、味噌汁の入った鍋とおにぎりと卵焼きを載せた皿を貸してもらい、ヤブキは病室へ急いだ。
 ヤブキが病室に到着すると、待ち惚けしていたのか、アウトゥムヌスはどことなく不満げな顔をして待っていた。
鍋と皿を抱えていたヤブキはアウトゥムヌスに平謝りしつつ、出来たての味噌汁が入った鍋をテーブルに置いた。

「ごめんっす、むーちゃん。ちょっと、色々あったんすよ」

「空腹」

 アウトゥムヌスは本当に空腹なのか、テーブルに置かれた鍋を注視した。

「もうちょっと待つっす」

 ヤブキは皿と一緒に借りてきたスープカップに、豆腐の味噌汁を注いだ。

「ほい、むーちゃん。お待たせしたっす」

 アウトゥムヌスのベッドサイドの小さなテーブルの上に、ヤブキはおにぎりと卵焼きと味噌汁を並べて箸を置いた。
アウトゥムヌスは以前ヤブキが教えた通りに手を合わせてから箸を取り、最初に湯気の上る味噌汁を口に含んだ。
浮かんでいる豆腐やネギを噛み締め、嚥下する。飲み込むと首筋が痛むのか、いつもより食べるペースは遅い。
次に、隙間なく海苔が巻かれた大きめのおにぎりを囓った。一口食べるごとに、彼女の表情が明るくなるようだ。
おにぎりの合間に卵焼きを食べて、味噌汁を飲み干した。アウトゥムヌスは唇を舐め、満足げにため息を吐いた。

「おいしかったっすか?」

 ヤブキが笑うと、アウトゥムヌスは小さく頷いた。

「ジョニー君だから」

「食べ終わったんなら、これも」

 ヤブキはジャケットのポケットから包装紙に包まれた薄べったいものを取り出し、彼女に渡した。

「何」

 それを受け取ったアウトゥムヌスは、瞬きをした。

「いいから開けるっす」

 ヤブキに促され、アウトゥムヌスはリボンを解いて包装紙を開いた。現れたのは、オレンジ色の薄い布だった。
広げてみると、長方形で細長い。だが、用途が解らない。アウトゥムヌスはその布を広げたまま、再び瞬きした。

「これは、何」

「スカーフっすよ。首んところのが目立つといけないと思って、むーちゃんに似合いそうな色を選んだんす」

 ちょっと貸して、とヤブキは彼女の手からスカーフを取ると、その首筋に柔らかく巻き付けてリボン結びにした。
スカーフの幅が元々広いので、結んだ後に顎の下近くまで布を広げてしまえば、痛々しい包帯は綺麗に隠れた。

「むーちゃん、髪の色が赤と茶色の中間ぐらいっすから、同系統の暖色が似合うと思ったんすよ」

 ヤブキは大きめに仕上がったリボンを傷口の位置に回してやってから、身を引いた。

「どうっすか、むーちゃん?」

 アウトゥムヌスは頼りない手触りのリボンに触れていたが、視線を動かし、洗面所に設置された鏡に目を向けた。
白い入院着を着て白い病室の白いベッドに座る白い肌の少女の首筋に、色鮮やかな花が咲いたかのようだった。
確かに傷口も包帯も隠れるが、少々派手だった。アウトゥムヌスはしばらく鏡を凝視していたが、口元を綻ばせた。

「嬉しい」

「マジっすか、むーちゃん!」

 ヤブキが歓喜すると、アウトゥムヌスはスカーフの布地を抓んだ。

「ご飯も、これも」

「そっかあ、なら良かったっす、オイラも頑張った甲斐があったってもんっすよ!」

 いよっしゃあ、と両の拳を突き上げたヤブキに、アウトゥムヌスは続けた。

「だって、ジョニー君だから」

「え、あ、そう、っすね…」

 ヤブキは途端に照れ、椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「まあ、オイラもむーちゃんのためだって思ったからこそ、こんなに頑張れたわけっすから」

「理解している」

「この間も、そうっすよ」

 ヤブキは皿に残っているおにぎりを取り、マスクを開いて囓った。

「むーちゃんが死ぬかもしれないって思ったから、あんなことが出来たわけで、そうじゃなかったら無理だったっす。あの二人を殺すこともそうだけど、ダイアナを殺さずに済んだのもむーちゃんのおかげっす。むーちゃんがオイラの傍にいてくれなかったら、オイラは助けたくても助けられなかったダイアナをまた死なせるところだったっす。下手をしたら、オイラの手でダイアナを殺していたかもしれないんすから。それほど、オイラは錯乱してたんすよ」

 ヤブキはおにぎりを押し込み、梅干しの種ごと食べ終えた。

「オイラは、むーちゃんがただ者じゃないってことぐらい解っているっす。いきなりインテゲル号みたいな凄い機体を調達してくれるし、あんなに血が出てもピンピンしてるし、何よりオイラと結婚してくれるんすから」

 ヤブキはもう一つのスープカップに味噌汁を並々と注ぐと、お茶のように啜り、飲み干した。

「オイラと結婚してくれることだって、きっと何かしらの理由があるからっすよね。そうでもなきゃ、オイラと結婚なんてするわけがないじゃないっすか。それぐらい、オイラにだって」

「違う」

 アウトゥムヌスは表情は変えなかったが、両手でシーツをきつく握り締めていた。

「ジョニー君と添うことは、私の意志」

 大きく見開かれた銀色の瞳が、かすかに潤いを帯びていた。多少言い過ぎたな、とヤブキは後悔に苛まれた。
彼女はただの人間ではない。インテゲル号をパーキングで整備士に見せてみたところ、ひどく驚嘆されたからだ。
ヤブキもインテゲル号が優れた機体だとは思っていたが、インテゲル号は現在の機械技術を上回っているらしい。
どこで買った、誰が造った、と興奮気味の整備士から矢継ぎ早に問い詰められたが、適当にはぐらかしておいた。
彼女の正体についての疑問は尽きない。その真意も解らない。だから、少しだけだが、探りを入れてしまったのだ。
だが、言わないべきだった。知らないなら、知らないままの方がいい。これは、下手な興味を持った自分が悪い。

「ごめん、むーちゃん」

 苦々しい思いでヤブキが謝ると、アウトゥムヌスはいつになく長く瞬きをした。

「平気。ジョニー君の言うように、何もないわけではないから」

「でも、いいっすよ。何も言わなくて」

「解っている。それ以前に、情報の口外は禁じられている」

 アウトゥムヌスは傷口を隠しているスカーフに触れ、薄い唇を引き締めた。

「けれど、私は嘘を吐けない。それだけは、認識しておいてほしい」

「解ったっすよ。むーちゃんはむーちゃん。オイラには、それだけで充分っす」

「私も、そう認識する」

 ヤブキから視線を注がれたアウトゥムヌスも、硬質ながら熱を持った眼差しでヤブキを見据えてきた。

「あなたは進化した旧人類であり、新人類に更なる進化をもたらす可能性を持つ個体。けれど、それは単なる情報の羅列であり、あなたという人間を表現する言葉ではない。あなたの傍にいたから解る。ジョニー君は、ジョニー君でなければジョニー君ではない」

「ありがとう、むーちゃん」

「それは、私が言うべき言葉。あなたの傍では、私は私でいられる」

 それこそ、こちらが言うべき言葉だ。ヤブキはそれを言葉にする前に、アウトゥムヌスへと手を伸ばしていた。
アウトゥムヌスは少しだけ腰を上げたので、ヤブキはベッドに片膝を付き、彼女の負担にならない姿勢を取った。
普段以上に血の気が薄くなってしまった柔らかな頬を支えてやると、指先にスカーフの滑らかな生地が擦れた。

「好きです。結婚して下さい」

 結婚を申し込むのは、これで三度目になる。だが、彼女の反応は今までとは違い、感情が入っていた。

「喜んで」

 アウトゥムヌスはヤブキの手に自分の手を重ね、淡く微笑んだ。

「私も、あなたが好き」

 やっと気持ちが届いたことが嬉しくて、初めて彼女の笑顔を見られたのが嬉しすぎて、ヤブキは泣きそうだった。
同じ言葉でも、重ねれば意味は変わる。同じ行為でも、続けていくうちに理由は変わる。だから、関係も変化した。
 ヤブキは身を屈め、アウトゥムヌスの薄い唇にマスクを押し当てた。体には伝わらないが、心には伝わってくる。
自分が旧人類であろうとも、彼女が正体不明の人間であろうとも、互いが互いを好きである事実は揺らがない。
だから、結婚したいと思う。目を離してしまいたくないから、手放すことを考えただけで辛いから、彼女と添うのだ。
 アウトゥムヌスを、愛している。







08 8/24