アステロイド家族




フリージング・ビューティー



 小さな寝息は、穏やかだった。
 マサヨシの腕の中で眠るハルの丸い頬には涙の筋がいくつも付いていて、枕にもたっぷりと染み込んでいた。
あの後、昼寝をさせて夕食を摂らせたら機嫌は治ったが、また寂しくなったのかマサヨシにべったりと甘えてきた。
近頃は一人でもちゃんと眠れるようになっていたのだが、今日は我慢出来なかったのか、ベッドに潜り込んできた。
寝入るまでの間、ハルはマサヨシに謝りながら泣いていた。強がってはみたものの、やはり母親が恋しいのだろう。
マサヨシはハルの傍にいてやり、優しい言葉を掛けて宥めてやった。それぐらいしか、出来ることがなかったのだ。
図らずもハルに嘘を吐いてしまったことがやるせなく、また、許せなかった。もっと、他に言い方があっただろうに。
 マサヨシはいつになく慎重にハルから腕を外し、体を起こした。ずれてしまった布団を、少女の肩に掛け直した。
ハルは小さく声を漏らしたが、眠り込んだままだった。マサヨシは僅かに頬を緩めたが、罪悪感は消えなかった。

「ごめんな、ハル」

 マサヨシは、すっかり眠気が消えていた。元々眠りが深い方ではないが、今日はまた一段と寝付きが悪かった。
だからといってハルの傍で酒を引っかける気にもなれないし、かといって、薬に頼って眠りたいほどでもなかった。
ガレージを窺うと、イグニスも休眠しているようだった。どこまでも人間臭い彼は、習慣までもが人間臭いのである。
ベッドサイドにはサチコの端末である球体のスパイマシンがあったが、サチコもまたスタンバイモードのようだった。
彼女はコンピューターだが、負荷が掛かれば疲労も生じる。戦っていない時ぐらいは、ゆっくり休ませてやりたい。
仕方ないので、マサヨシはサチコのスパイマシンに触れないように気を付けながら手を伸ばし、情報端末を取った。
だが、それを手の中に入れなかった。代わりに枕の下に入れておいた熱線銃を取り出すと、引き金に指を掛けた。
 廊下に人の気配がある。足音こそ殺しているようだったが、かすかな衣擦れの音と床の軋みが聞こえてきた。
マサヨシはベッドから降りると扉の脇に回り込み、壁に背を当てた。足音は近付いてくると、ドアノブに手を掛けた。
ドアノブは慎重に回され、蝶番が滑らかに滑り、ドアが開いた。その瞬間にマサヨシは銃を突き出し、押し当てた。

「動くなよ」

 銃口が抉ったのは、柔らかな喉だった。暗がりの中では一際白さが際立つ喉が、ひくっと引きつった。

「み、みぃ…」

 驚愕と恐怖に震える瞳は、金色だった。目尻に涙を滲ませながら後退った人影は、長いピンクの髪を揺らした。

「言葉は通じるか?」

 マサヨシの淡々とした問いに、その人影は何度も頷いた。華奢な両手を挙げて、壁に背を貼り付けた。

「だ、第一公用語なら、ボクも喋れますぅ…」

「サチコを起こす手間が省けたな」

 マサヨシは自室から出ると、背中で扉を閉めてから鍵を掛けた。

「騒ぐなよ。ハルが起きたらどうしてくれる」

「みぃー…」

 怯えきった仕草で、その人影は何度も頷いた。マサヨシが廊下の明かりを付けると、その姿が照らし出された。
それは、あのポッドの中で眠っていたはずの人物だった。だが、衣服は違い、少女趣味じみたドレスを着ている。

「悪いが、俺に子供を抱く趣味はないんだが」

 マサヨシが嫌悪感を露わにすると、コンテナの主はたっぷりとフリルが付いた白いドレスを押さえ、耳を下げた。

「ボクだって、好きでこんなのを着ているんじゃないですぅ。まともな形の服はぁ、これしかなかったからぁ…」

 マサヨシは一歩間を詰めて、銃口を真っ平らな胸元に押し当てた。

「まず最初に聞こう。お前はどこの誰なんだ?」

「ぼっ、ボクは、惑星プラトゥムのクニクルス族の出身で、えっと、ミイムって言いますぅ」

 冷たい銃口の感触に、ミイムと名乗った者は身震いした。

「う、撃たないで下さいっ! 見ての通りボクは丸腰ですしぃ、お兄さんと戦って勝てる気はしないしぃ、そもそも戦うつもりなんてありませんしぃ…。だから、お願いしますぅ、攻撃しないでぇ…」

 潤んだ瞳にも相まって、震えを帯びて掠れた声は庇護欲を誘ってくる。

「みぃ…」

「なるほど、売られるわけだな」

 その脆弱ながらも愛らしい姿に、マサヨシは納得した。すると、ミイムはちょっとむっとした。

「売られたくて売られる人間なんていませんよぉ! ていうかぁ、さりげなくひどいこと言ってますぅ!」

「ああ、すまん」

「人の気配がするから、助けてくれたお礼でも言おうと思って来てみたら、銃を向けられるしぃ…」

「夜中に忍び込まれたら警戒しない方が珍しいと思うが」

「だからってぇ、いきなり熱線銃はないですぅ…」

「手元にあったんだ」

「それだけですかぁ?」

「いや、それ以外の理由はないと思うぞ」

「みぃ…」

 恐怖が緩んでいない上に困惑したため、ミイムは泣きそうになった。

「お兄さんって、いい人なんですかぁ? それとも悪い人なんですかぁ? ボクには、よく解らないですぅ」

「俺も判断を決めかねるところだ」

 マサヨシは一応熱線銃を下げたが、グリップを握る手は緩めなかった。

「あ、あのぅ」

「なんだ」

「起きたばかりだからだと思うんですけどぉ、ボク、お腹が空いて空いて死にそうなんですぅ」

「それで?」

「保存食でも合成食品でもなんでもいいですからぁ、食べさせて下さい。本当になんでもいいんですぅ」

 大きな金色の瞳に涙を浮かべ、ミイムはマサヨシを見上げてきた。マサヨシは、ミイムを見下ろす。

「さて、どうするかな」

「ボクのことを疑うんだったら、調べてもいいですよぉ。ボク、本当に丸腰なんですからぁ」

 拗ねたように唇を尖らせ、ミイムは白いドレスの裾を持ち上げた。

「それはもちろん調べるさ、お前の入っていたコンテナもな」

 マサヨシは余裕を示すように、笑みを浮かべた。

「取引と行こうじゃないか」

「とりひき?」

 きょとんと目を丸くしたミイムに、マサヨシは畳みかけた。

「そうだ。希望通り、お前に何か喰わせてやる。但しそれは、俺と約束をしてからだ」

「やくそくって、何の約束ですかぁ?」

「このコロニーには子供がいる。血は繋がっていないが、俺達の愛娘だ。だが、生憎母親役がいないんだ」

「じゃあ、ボクにその子にママになれってことですかぁ?」

「もちろん、無理には言わない。お前にもお前の事情があるだろうし、ダメならそれでいい。ハルが眠っているうちに宇宙軍にでも引き渡して、母星に強制送還させてやる。だが、俺の言うことを受け入れてくれるなら、ここの食料を喰わせてやるし、俺がお前の身元引受人になってやる。だが、その代わり、ハルのママになってやってくれ」

「少しどころか、かなり無茶苦茶な要求ですね。ふみゅうん」

「自分で言っていてもそう思うし、初対面の相手にこんなことを頼むのは恐ろしく非常識だと思うが、どうにもな」

 マサヨシは、自室の扉へ視線を投げた。

「だが、どうにかしてハルを幸せにしてやりたいんだ。あの子は、元々そんなに幸せじゃないからな」

「ボクがママになればぁ、ハルちゃんは幸せになるんですかぁ?」

「間違いなく。昨日だって、お前の眠っているポッドの前で、ママが来てくれたって喜んでいたぐらいだからな」

「でも、ボクはハルちゃんのママじゃありません。だって、ボクはぁ」

「解っている。だが、偽物でもなんでもいいんだ。あの子には、母親が必要なんだ」

「ふみゅ…」

 ミイムは顔を伏せ、悩ましげに視線を彷徨わせた。

「お前には帰るべき場所があるのなら、引き留めはしない。無理を言ってすまなかった」

 ミイムの困惑した表情にマサヨシが謝ると、ミイムは伏し目がちに呟いた。

「ボクの居場所なんて、もう、宇宙のどこにもないです。帰りたくもないし、帰ってはいけないんです」

「そうなのか?」

「だから、犯罪組織に攫われて売られちゃってからはぁ、全て諦めたんですぅ。でも、ボクはこうして生きているしぃ、お兄さんに拾われたのは、何かの運命かもしれません。だとしたら、ボクはそれを甘んじて受け止めなければいけないと思うんですぅ」

 ドレスの裾を広げたミイムは、深々と頭を下げた。

「ですので、こちらこそよろしくお願いしますぅ」

「本当にいいのか?」

 やけにすんなりと要求を受け入れたミイムにマサヨシが多少戸惑うと、ミイムは情けなく眉を下げた。

「だって、本当にお腹が空いて死にそうなんですよぉ。いくら無茶苦茶でもぉ、従うしかないじゃないですかぁ」

「少なくとも、お前は育ちだけは良さそうだな。俺だったら、適当に盗み出して喰うところなんだが」

「なんでもいいからぁ、食べさせて下さいよぉー…」

 消え入りそうな声で懇願したミイムは、ぺたっと床に座り込んでしまった。

「取引成立、だな」

 マサヨシが手を差し伸べると、ミイムは頷いた。

「みぃ」

「そういえばまだ名乗ってなかったな。マサヨシ・ムラタだ」

「改めて、よろしくお願いします。ボクがママになるんだったら、パパさんって呼んでいいですよね」

「…そういうことになるか」

 マサヨシは気恥ずかしさを覚えながらも、ミイムの腕を引いて立ち上がらせた。冷たいが、柔らかい手だった。
本当に腹が減っているのか、ミイムの足元はふらついていた。みぃ、と鳴きながら、マサヨシの胸に倒れ込んだ。
ふわりと舞い上がった長い髪の間から、久しく感じていなかった甘ったるい異性の匂いを感じ、息苦しくなった。
だが、ここで妙な気を起こせば全てが台無しになる。マサヨシはミイムを押し返してから、手を引いて歩き出した。
 とりあえず、何か喰わせなければ始まらない。




 翌朝。ハルは、父親のいないベッドで目覚めた。
 それがまず寂しくてぐずりそうになったが、なんとか我慢して自分の部屋に戻り、服を出して一人で着替えた。
お気に入りのジャンパースカートとシャツを取り出して着込み、靴下も履き、スリッパからスニーカーに履き替えた。
ぼさぼさになっている長い金髪を適当に梳かしてから、ハルは朝食を摂るべく、リビングに向かって歩き出した。
あのポッドの中に入っている人がママになってくれたらどれだけいいか、とは思うのだが、あの人は他人なのだ。
きっと、今日中にでもウチュウグンに引き渡してしまうのだろう。コンテナの中身も、一緒に持っていくのだろう。
 そう思うと、朝から気が滅入る。ママがいなくなるのも寂しいが、煌びやかなドレスや宝石がなくなるのも寂しい。
だけど、人の物を取ってはいけないとサチコからきつく言い聞かされているので、取ってしまうわけにはいかない。
でも、一つぐらいは欲しい。だけど、悪いことは悪いことなのだ。ハルは悶々と悩みながら、リビングに入った。

「おはよう、パパ、お姉ちゃん、おじちゃん」

 ハルが挨拶すると、可愛らしい声色の挨拶が返ってきた。

「おはようございますぅ、ハルちゃあん」

 そこには、ポッドの中で眠っているはずの者が立っていた。マサヨシのものと思しき、男物のシャツを着ている。
派手なドレスを改造して作られたスカートからはふさふさした真っ白い尾が伸びており、それがしなやかに動いた。
ふわふわしたピンク色の髪は人工日光を浴びて光り、澄んだ輝きを持つ金色の瞳は真っ直ぐハルを見下ろした。
身を屈めてハルと目線を合わせると、笑いかけてきた。花に似ているが、遙かに優しく甘い匂いが鼻先を掠めた。

「…ママ?」

 ハルがぽかんとしていると、その者は頷いた。

「みゅんみゅーん、そうですよぉ。今日からボクが、ハルちゃんのママになりますぅ。昨日の夜にぃ、ボクはパパさんとそういう約束をしたんですぅ。ふみゅうん」

〈もう知らないっ! マサヨシなんて勝手にすればいいんだからぁ!〉

 不機嫌を通り越して怒り出したサチコは、リビングテーブルに置かれた充電スタンドの上でぷりぷりしていた。

「まあ…いいんじゃねぇの? ハルがいいってんなら、うん…」

 窓の外からリビングの様子を窺っていたイグニスは、妙に歯切れの悪い言い方をした。

「お姉ちゃん、本当にハルのママになってくれるの?」

 ハルが期待に目を輝かせると、もう一度頷いてくれた。

「みゅう。ボクの名前はミイムっていいますぅ。これからよろしくお願いしますぅ、ハルちゃん」

「うわぁい、ママだ、ママだぁ!」

 ハルは飛び跳ねて喜び、ダイニングテーブルに座っていたマサヨシの元に駆け寄った。

「パパ大好き!」

「これからママと仲良くするんだぞ、ハル」

 マサヨシはハルを撫でると、ハルは大きく頷いた。

「うん!」

「それじゃ、朝ご飯にしましょうか! ボク、お料理はとっても得意なんですよぉ!」

 ミイムはエプロンの裾を翻しながら、キッチンに戻った。ハルはマサヨシの手を借りて、子供用の椅子に座った。
ミイムは慣れた手付きでスープの入った鍋を掻き回し、程良く焼けたソーセージや卵を皿の上に並べていった。
匂いからして、期待出来るものだった。マサヨシの料理はどれもこれもひどかったので、尚更素晴らしく思えた。
いつになく苛立っているサチコとなぜか困惑気味のイグニスのことも気になるが、今はそれどころではなかった。
マサヨシはどことなく照れくさそうな顔をして、手際良く三人分の朝食を作り上げていくミイムの姿を眺めていた。
 神様はいるんだ、とハルは確信した。きらきらしたドレスや宝石も欲しいが、ママはもっともっと欲しかったからだ。
ママがいてくれたらどんなに素敵か、ママが来てくれたらどんなに嬉しいか、ということを神様にお願いをしていた。
マサヨシやイグニスの話では、宇宙はとても広いのだという。だから、そのどこかに神様がいてもおかしくはない。
きっと、その神様がハルのことを見ていてくれて、いい子にしていたご褒美にママと巡り会わせてくれたのだろう。
だから、これからもいい子にしよう。ハルは情けないほど緩んだ笑顔を浮かべ、ミイムの後ろ姿を見つめていた。
 やっと出会えたママは、最高のママだった。







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