アステロイド家族




アフター・ザ・ウォー




 戦い、終えて。


 戦士達の凱旋に、華々しさはなかった。
 全長五メートル、直径三メートルもある見上げるほど大きな再生治療用カプセルの中で、二人は眠っていた。
円柱の中には、人間に使う生体再生培養液とは色の違う、機械生命体用生体再生培養液が充ち満ちていた。
左側の円柱ではイグニスが眠り、右側の円柱ではトニルトスが眠り、計器の電子音だけが巨大な空間に響く。
ごぶりと粘ついた泡が浮かび、爆ぜる。辛うじて残っている部分を生かすために、太いケーブルが刺さっている。
二人の瞳からは光が失せており、全ての回路も沈黙していた。痛々しい姿だが、二人はどこか誇らしげに見えた。
 イグニスは両腕と胸から下を失い、胸部からは背骨に似たシャフトと太いケーブルだけがだらりと伸びていた。
トニルトスもまたイグニスと同様に下半身を失っていたが、こちらは更にひどく、背面部の装甲も全て失っていた。
外骨格のような外装の内側はぽっかりとした空間が生まれ、数本の千切れたケーブルがゆらゆらと揺れていた。
マサヨシはイグニスとトニルトスが眠るカプセルに歩み寄ると、激戦を戦い抜いた戦士への礼儀として敬礼した。

「しっかしまあ、よーくこんな状態で生きてたもんねー。ますます惚れ直しちゃう」

 マサヨシの背後に近付いてきた女性は、三角形の耳をぴんと立てた。

「機械生命体はタフで有名な種族だけど、ここまで負傷したら普通は死んじゃうわ。自己認識回路とか記憶回路とか感情回路とか、人格を支えるための回路だけは無事だったけど、それ以外は全部交換しないとダメね。幸い、お二人さんの部品は地球上にほぼ全て転がっていたから必要な分は回収出来たし、放射能除去処理さえ終われば修復作業も開始出来るわ」

「ありがとうございます、フローラ先生」

 マサヨシが礼を言うと、フローラは白衣の裾から伸びた長い尾を機嫌良く振った。

「いいのいいの。太陽系には一度来てみたかったから、丁度良かったわ」

「二人の意識はいつ頃戻りますか?」

「んー、そうねー。アウルム・マーテルとやらのエネルギーが二人の体内に少しばかり残留しているから、それが二人の自己修復能力を促しているのね。だから、通常よりも1.5倍ぐらい修復が速まっているのよ。早ければ明日、遅くても明後日には起きるはずよ。意識レベルは低いけど、思念は感じるもの」

 フローラはイグニスのカプセルを撫でてから、トニルトスのカプセルも撫でた。

「あたしに任せてちょうだい。綺麗に治してあげるんだから」

 フローラの自信ありげな横顔に、マサヨシは安堵した。地球での戦闘後、マサヨシは次元艦隊に通信を入れた。
派手に破損したHAL号の回収を求めるよりも先に、死線を乗り越えたが死にかけている二人の回収を要請した。
次元艦隊はエネルギー不足で動けず終いだったが、早々に手を回しており、月面基地へ救助要請を行っていた。
 月面艦隊の救助のおかげで、マサヨシとイグニスとトニルトスは回収され、設備の整っている火星に移送された。
だが、太陽系の技術では八割以上が破壊された機械生命体を治す術はなく、応急処置程度しか行えなかった。
そこで亜空間通信でリリアンヌ号に連絡を取って、イグニスの主治医であるフローラ・フェルムを呼び出したのだ。
当初、彼女はこちらが作ったカルテを見て火星に診断を送る予定だったが、それでは手遅れになると判断した。
なので、フローラは必要機材を満載したリリアンヌ号のシャトルに操り、この火星へやってきたというわけである。
 次元艦隊がアウルム・マーテルと交戦する際に統一政府から譲渡された全ての権限は、まだ力を残していた。
無論、それは事後処理を行うためである。次元管理局局長ステラ・プレアデスは、その力で治療設備を造らせた。
火星基地の中でも最も規模が大きく最も高レベルな研究機関、グリーン・ラボラトリーの巨大地下空間に、である。
 その空間には、マサヨシにも見覚えがあった。数ヶ月前、ジョニー・ヤブキが両親を殺した場所だからであった。
だが、以前にマサヨシが目にした壁一面のダイアナの姿は一切なく、地下空間の内部は綺麗に改装されていた。
代わりに、二人を生かすための生命維持装置が組み上げられ、大量のケーブルがカプセル下部に繋がっていた。

「んふふふふふふ」

 怪しく含み笑ったフローラは、手早くホログラフィーキーボードを叩いた。

「さぁーて、これからがあたしの腕の見せ所よぉ。テレパスってのは超便利な超能力でね、あたしの場合は人間相手だけじゃなくて大抵の生命体の意識と接続することが出来るのよ。だっかっらぁ、ちょーっと二人の思考回路の電流を調節して、あたしのサイキックアンプリファーをいじって、コンピューターに接続してやればぁー」

 フローラの爪の長い指先がエンターキーを叩くと、ホログラフィーモニターに二つのグラフが表示された。

「おはよ、イギー。会いたかったぁーん。初めまして、トニー。あんたってば素敵、超セクシーよ」

『起こすんじゃねぇよ…。すっげぇ眠ぃんだから…』

 フローラの浮かれた呼び掛けの後、左側のグラフが上下し、不機嫌極まりないイグニスの声が返ってきた。

『貴様のような甲高い女の声を回路に走らせただけで痛みが走る…。それ以上妄言を吐くならば、叩き潰す』

 そして、疲労困憊しているがために殺気の漲るトニルトスの声に合わせ、右側のグラフが波打った。

「何よぉ、冷たいわねぇ」

 フローラは不満げにむくれたが、マサヨシに振り返った。

「二人の入院期間は、短くて一ヶ月、長くて三ヶ月ってところね。これから手術も嫌になるほどするし、場合によっては投薬もするし、ちょっとは回路に手を加えるかもしれないから、諸々の承諾書を書いてくれます? 中佐が二人の身元引受人なんですから」

 はいどうぞ、とフローラは脇に抱えていたファイルからホログラフィーペーパーを抜き、マサヨシに差し出した。

「保険利きますかね?」

 マサヨシは二人に対するあらゆる医療行為を承諾する、という内容の書類に署名し、フローラに返した。

「ていうかまず、この二人って何かの保険に入ってるようには思えないんだけど」

 フローラはマサヨシの署名をチェックしてから、ホログラフィーペーパーをファイルに戻した。

「そういえば、記憶にないな」

 マサヨシがイグニスを見上げると、イグニスは素っ気なく返した。

『そんな生っちょろいシステムに加入するほど、腑抜けてねぇよ。馬鹿にしてんのか』

「だが、今度からは考えておかんとな。お前らの医療費を払うのはこの俺だ」

『厳密に言えば、貴様の口座に振り込まれた統一政府が保有していた政治資金のごく一部、だがな』

 トニルトスに切り返され、マサヨシは肩を竦めた。

「それだけ言い返せるなら、何も心配はいらないな。とにかく、今はゆっくり休むことだ」

『言われなくたって休むさ。こちとら数百万年分の疲れが溜まってんだよ、命の洗濯と洒落込むつもりさ』

 イグニスの軽口に、トニルトスが続ける。

『この胡乱な男と下らん口約束も交わしてしまったからな。それも果たさねばならん』

「そうか」

 マサヨシはその内容に想像を巡らせたが、敢えて明確な答えは出さずに、二人に背を向けて手を振った。

「俺は上に戻る。昨日から家に連絡を入れていないからな」

 二人からぞんざいな挨拶を掛けられながら、マサヨシは巨大な地下空間の出口から気温の低い通路に入った。
通路に入ってすぐに設置されている長距離高速エレベーターに乗ると、加速に応じた軽い圧が体に掛かってきた。
地球で感じた重力に比べれば、なんとも薄っぺらい。エレベーター内部の重力が、かなり軽減されているからだ。
空気抵抗を軽減するために円筒形に設計された室内は眩しいほど明るいが、マサヨシの心中は暗澹としていた。
 二人の前では態度を取り繕えたが、一人になると無理だ。愛妻に続き、コンピューターのサチコまで死なせた。
彼女の言葉通り、サチコの人格プログラムが削除された影響で関連ファイルも消滅し、音声ファイルすらなかった。
月面基地が所有する宇宙船で火星に移送される最中、マサヨシは徹底的に調べたが、何一つ残っていなかった。
 サチコが生きていた、という記憶は確かにある。十年前に組み上げた、戦闘仕様のナビゲートコンピューターだ。
軍を退役して傭兵に転身する際に買い付けたスペースファイターに搭載したが、当初はあまり息が合わなかった。
 サチコの疑似人格は設定した通りにしか働いてくれず、マサヨシが少しでも曖昧な語句を使うと訂正を求めた。
愛妻のサチコも真面目で誠実な女だったので、感情パラメータを振り分けたのだが、人間と機械では違っていた。
人間であれば理解出来る些細な言い回しや融通を聞き分けてくれず、戦闘に支障を来したこともあったほどだ。
 最初の頃は、マサヨシも彼女を制しようと必死だった。サチコもまた、マサヨシを管理しようとしていたようだった。
道具を扱うのは人間だが、道具にもプライドがあったようで、マサヨシの意見を頑として受け付けない時もあった。
だが、時が経つに連れて、お互いに譲歩する部分は譲歩するようになって、サチコの人格も徐々に完成された。
 マサヨシが考えていたように愛妻を複製することは不可能だったが、彼女もまた一人の人間には違いなかった。
言わば、もう一人の娘だ。しかし、もう一人の娘でありもう一人の妻であるサチコを甦らせることは、不可能だ。
サチコの人格プログラムのオリジナルは完璧に削除され、スパイマシンのコピープログラムも消滅してしまった。
戦士達の部品を回収するために地球に降りた兵士が気を遣ってくれたのか、スパイマシンも回収してきてくれた。
 回収されたスパイマシンは三基あったが、いずれも核爆発の衝撃波を浴びた瞬間に溶け、回路も溶けていた。
目にするだけで息が詰まり、自責で押し潰されそうになったが、表情を取り繕って兵士達に感謝の言葉を述べた。
今は、彼女の残骸も地下空間に設置された放射能除去装置の中に収められ、その身を清められている最中だ。
家に帰る時には、彼女の残骸も連れて行こうと思った。連れて帰ることだけが、マサヨシに出来る唯一の贖罪だ。
 電子合成音声のアナウンスが聞こえ、エレベーターが停止した。考え込んでいるうちに、地上に出たようだった。
マサヨシがエレベーターから出ると、ホールのソファーでは疲れ果てた表情のレイラがぼんやりと座り込んでいた。

「あ、中佐」

 レイラはパイロットスーツを脱ぐ暇すらなかったのか、HAL号から出ていった時と同じ服装だった。

「大分忙しかったみたいだな」

 マサヨシが声を掛けると、レイラは億劫そうに瞼を上げた。

「そりゃそうですよ。報告書と始末書の嵐が終わったと思ったら、今度は本部から査問委員会が来て搭乗員全員の事情聴取なんですよ? 次元艦隊の搭乗員だけでも何百人いると思ってんですかね。私は早めに事情聴取されたんで、ちょっとだけ暇が出来たから休んでいるわけですが」

「局長はどうした」

「艦長とか隊長クラスと一緒に火星の軍部に缶詰めです。当分は出てこられないと思いますよ」

「幹部連中の口を押さえて、情報の取捨と統制を行う気だな」

 マサヨシはレイラの隣に腰を下ろし、柔らかなクッションに体を預けた。

「んで、一通りのニュースとかウェブサイトとかも見てみましたけど、対応が早すぎて薄ら寒くなりましたよ」

 レイラはパイロットスーツのポケットから情報端末を取り出すと、手早く操作し、ニュースサイトを表示させた。

「火星艦隊と木星艦隊が全滅したのは金色の天使による攻撃なんかじゃなくって、演習中の事故なんだそうですよ。でもって、民間人がウェブにアップロードした金色の天使の画像とか映像もごっそり削除されて、それに対する反応の書き込みとかも削除されまくってて、正直やりすぎだと思いますよ」

「それが統一政府のやり方だ。サチコの時もそうだったからな」

 マサヨシが低く呟くと、レイラは情報端末を閉じた。

「そりゃ、今回の事件はちょっとは納得出来ますよ。全長百万メートルの異星体に侵略されかかっちゃいましたー、なんてことを公表すれば、途端に暴動が起きちゃいますよ。そうなったら、統一政府の威信にも関わってきますし、今の統一政府の政治形態に疑問を持つ人間も増えてきます。だけど、選挙みたいな非効率的な方法を取って議員を選出する時代に戻すわけにはいかないんですよね。真の平等をもたらすのは有識者でも経験者でもなくて、公平なる視点と広大な視野と多角的な価値観を持つを持つ生体改造体なんですから」

「そうなると、ますます十年前の件に疑問が出てくる。なぜ、あの程度の次元震を隠す必要があるんだ?」

「事故を隠したいんじゃなくて、サチコ自体を隠したいようにも思えますけどね」

 レイラは余程眠たいのか、欠伸を噛み殺した。

「でも、サチコはそんなに妙な感じはなかったけどなー。たまに神経質なところはあったけど、真面目を絵に描いたような人で、頭も良かったし、中佐と結婚するぐらいだから要領も良かったしなぁ。差し当たって思い出せないなぁ。今のサチコのことはもっと覚えてないや。中佐が出し惜しみしたせいで、どんな子か知ろうにも知れなかったし」

 ふと、言葉を切ったレイラは、申し訳なさげに顔を伏せた。

「すいません」

「いや、いいんだ。サチコをお前らに会わせようとしなかったのは俺だからな」

 マサヨシが弱く笑みを作ると、レイラは眉を下げた。

「本当に、すみません。十年前も、昨日も、何の役にも立てなくて」

「全ては俺の責任だ。責められるべきは俺だけだ」

「でも、それとこれとはまた違うと思いますけどね」

 レイラは小さく息を吐き、肩を落とした。

「中佐。頑張るのは良いですけど、あんまり頑張りすぎないで下さいね。弱った時は思い切り弱って下さいよ」

「俺は父親なんだぞ。そう簡単に弱るわけにはいかない」

「でも、中佐も人間ですよ」

「それが何の言い訳になる?」

 マサヨシは呻くように漏らし、額を押さえた。

「人間だから、簡単に折れてもいいのか? たったそれだけの理由付けで、サチコを二度も死なせた罪が償えるとでも思うのか? 本当に大事な女は守れないくせに、偽物の家族を作った俺を許せるのか? 友人だと思っていた二人の裏切りを正当化するために、地球で異星体と戦った挙げ句に大規模な破壊を行った事実を誇れるのか? サチコが俺を、許してくれるとでも言うのか?」

「別に私は、そんなつもりじゃ…」

 僅かに声を震わせたレイラに、マサヨシは声を荒げた。

「お前はお前の戦いをしろ! 俺の戦いに手を出すな!」

「すいません、中佐」

 レイラは項垂れ、力なく謝った。マサヨシは立ち上がり、レイラに背を向けた。

「何も解らないくせに解ったような態度を取るな。分を弁えろ。用がないのなら、俺と接触を図るな」

 マサヨシは足早に歩き出したが、振り返ることはなかった。レイラは彼の後ろ姿を見ていたが、ぐっと涙を堪えた。
レイラには、マサヨシを責めるつもりは一欠片もない。地球での戦果も、彼の腕でなければ成し得なかったほどだ。
二人の機械生命体と共に戦ったことも、水素爆弾の使用にしても、そうしなければ勝機が見出せなかったからだ。
彼の活躍がなかったら、現在の太陽系はないだろう。だが、マサヨシは少しも誇ることはなく、反対に責めている。
サチコが死んだことをすぐに許容出来ないのは無理もないだろうが、このまま気を張り続けたら彼は持たなくなる。
レイラはそれを案じていただけだ。かつての上官である以前に、一人の人間としてマサヨシを敬愛しているからだ。

「どうかなさいましたか?」

 俯くレイラの頭上に、透き通った声が掛けられた。顔を上げると、ナース姿の女性が立っていた。

「ヒエムスさん」

 レイラの前に立っていたのは、フローラの助手としてリリアンヌ号からやってきた女性看護師だった。

「私は平気です、けれど中佐が」

「でしたら、私がムラタさんのお相手をいたします。お話を聞くのは得意ですので」

「ありがとうございます」

「お気になさらず。それが私の仕事ですもの」

 ヒエムスはレイラに丁寧に礼をしてから、軽快に歩き出した。レイラはヒエムスの背を見送り、深く息を吐いた。
レイラには出来ないことにも、彼女には出来るだろう。それが少しだけ悔しかったが、仕方ないことだと思った。
 気持ちを切り替えよう、とレイラは立ち上がった。レイラが気に掛けるべき相手は、マサヨシだけではないのだ。
火星基地内のメンテナンスドッグで修理されているサザンクロスとポーラーベアの様子も、見に行かなければ。
サザンクロスのボディは破壊されたが、兄弟機であるポーラーベアのAIに人格プログラムのバックアップがあった。
二人の記憶は均等なので、それさえあればサザンクロスは復活する。そう思うと、レイラは自然と笑みが零れた。
だが、サチコは復活出来ないのだ。それを思い出した途端に笑みは消え、レイラの足取りも重たくなってしまった。
 戦いは、必ず誰かの命を奪う。







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