アステロイド家族




星屑の粒子



 異変の発生源は、袋小路だった。
 メインストリートと裏通りの間に挟まれた、建物と建物の隙間に出来たエアポケットのような空間が歪んでいた。
吹き溜まりなのか、埃や細かなゴミが堆積している。周囲の建物に日差しは遮られ、空気も重たく、薄暗かった。
有機的な生臭さが立ち込め、三人は吸い込んだ息を止めた。自然と背中を合わせて立ち、感覚を研ぎ澄ませた。
 目視しただけでは解らないが、空間自体が不自然にずれていた。この袋小路の半径二メートル程度だけだ。
それからして、まずおかしかった。空間の歪みとずれは、最低でも半径十メートル単位から発生するものなのだ。
だが、この次元の技術力では、ピンポイントでありながら目視出来ないほど安定した空間の歪みは生成出来ない。
ならば、一体誰が。何が。あらゆる知識を引き出してアエスタスが思考していると、すぐ背後の空間が湾曲した。

「ごきげんよう!」

 湾曲空間の中から伸びてきた腕がアエスタスの首に絡まり、ぐいっと顎を持ち上げた。

「お揃いだな、お嬢さん方」

 空間に空いた穴から上半身だけ出した男が、アエスタスの顎を掴み、引き寄せていた。

「グレン・ルー」

 ゴーグルと灰色のコートを着た男の名をアウトゥムヌスが呟くと、グレンはにたにたと笑った。

「しっかし、あんたらって頭がねぇなぁ。ちょーっと空間をいじくっただけで、見事に誘い込まれてくれたんだもんなぁ。次元をどうこうするのには慣れてても、戦うのはさっぱりってところか」

「馬鹿にしないで頂けます?」

 ヒエムスは上半身だけが浮かんでいる状態のグレンを見据え、手を差し伸べた。

「おっと」

 グレンはすかさず空間の歪みから下半身も脱すると、アエスタスの喉を力一杯握り締めた。

「空間ごと体をぶった切られちまったら、再生するのが面倒になっちまうからな」

「この…」

 アエスタスは喘ぎながらグレンの手首を掴んだが、彼の握力には勝てず、反対に頸動脈を押さえられてしまった。

「あんたらの正体が何なのか、さすがの俺様でも掴み切れてねぇ」

 グレンは脳貧血で気を失う寸前のアエスタスの首から手を外すと、膝を折って倒れ込んできた彼女を抱えた。

「だから、情報が欲しい」

 グレンはアエスタスの頭を支えて上向けさせ、躊躇いもなく唇を塞いだ。意識が戻った時には、手遅れだった。
グレンは顎を押してアエスタスの歯をこじ開けて、強引に舌をねじ込みながら、上の歯を下唇に突き立てていた。
粘膜と皮膚が切られ、血が流れ出す。グレンはアエスタスの粘液と血液を口に含むと、アエスタスを放り投げた。

「アエスタスお姉様!」

 ヒエムスは地面に転がったアエスタスに駆け寄り、グレンを射抜かんばかりに睨み付けた。 

「よくもアエスタスお姉様を穢しましたわね!」

「別にいいじゃんかよ、キスの一つや二つ」

 グレンは灰色のコートのポケットから試験管を取り出すと、口に含んでいた粘液と血液をその中に流し込んだ。
グレン自身の唾液が混じったアエスタスの粘液と血液は、試験管の底を濡らす程度しか採取出来ていなかった。
だが、それでも充分すぎた。粘液と血液に混じった細胞から核を取り出し、DNAを解析すれば生体情報は奪える。
 アエスタスはサイコキネシスを放とうとグレンの手中の試験管を見据えたが、脳貧血の影響か力が出なかった。
すると、グレンの手中から試験管が消失した。アウトゥムヌスはテレポートで奪った試験管を握り、グレンを睨む。

「お姉様の生体情報は渡さない」

「あ、そう」

 グレンは一笑し、アウトゥムヌスに飛び出した。

「だったらお前から奪うまでだ!」

 一瞬の出来事だった。グレンはアウトゥムヌスに接近すると同時に足を払い、胸を突き、試験管を弾き飛ばした。
試験管に気を取られて視線を泳がせたアウトゥムヌスに、グレンは容赦なく蹴りを放ち、ビルの壁に衝突させた。
滑り落ちて倒れたアウトゥムヌスの首に靴底を抉り込ませたグレンは、頭上に落ちてきた試験管を難なく取った。

「笑っちゃうぜ、この弱さ」

 グレンの足の下で、アウトゥムヌスが小さく呻いた。

「返して…」

「悪いが、それは無理な相談だ」

 グレンは指先で試験管を弄びながら、涙を浮かべてグレンを睨んでいるヒエムスに向いた。

「それ以上抵抗するんだったら、本当に首根っこ引っこ抜いちまうぜ? 俺、本気で強いぜ?」

「あなたのこと、絶対に許しませんわ!」

 ヒエムスは声が掠れるほど強く叫び、空間を揺らがせた。正攻法が通じない相手に通じる手段は、これだけだ。
グレンに踏み躙られていたアウトゥムヌスの背の下で、ぐにゃりと地面が波打ち、水面のように柔らかく変化した。
だが、それは地面そのものが変質したわけではなく、空間の物理的法則を変化させたために起きた現象だった。
 悔しさと恐怖でぼろぼろと涙を落としたヒエムスは、手を振り翳し、異空間を引きずり出して円錐形に尖らせた。
それを、グレンへと突き立てる。上から、下から、右から、左から、内から、外から、あらゆる方向から突き刺した。
異空間の槍自体は、物質に触れなければ何の影響もない。だが、グレンの肉体に触れた途端、損傷が始まった。
破損した空間が通常空間と接触した直後、炸裂した。異空間の槍にとって、グレンの肉体は反物質だからである。

「げっ」

 初めて焦ったグレンは、異空間との接触によって吹き飛んだ右腕を押さえたが、追撃は止まらなかった。

「私達に牙を剥いたことを、全力で後悔なさい!」

 ヒエムスが怒りのままに成した異空間の槍が、全て通常空間と接触し、炸裂し、グレンの全身を吹き飛ばした。
首が飛び、内臓と体液が散らばり、骨が砕け、筋肉が千切れ、皮膚が裂け、生臭い血溜まりが出来上がった。
両の拳をきつく握り締めていたヒエムスは、浅い呼吸を繰り返していたが、すぐに二人の姉の元へと駆け寄った。

「アエスタスお姉様! アウトゥムヌスお姉様!」

 ヒエムスはアウトゥムヌスを抱き起こし、アエスタスに声を掛けた。

「お二人共、ご無事ですの?」

「…右手がない」

 アエスタスは咳き込みながら、グレンの残骸が散らばる血溜まりを見下ろした。左手はあるが、右手はなかった。
頭蓋骨が砕けて脳漿が流れ出している頭部や、潰れた心臓や、肋骨などはあるが、試験管を握った右手はない。
じわじわと広がる生温い血液と体液の混合物に触れてみるが、体温もない。蛋白質ではあるが、質感が妙だった。

「もしかして…」

 ヒエムスはアウトゥムヌスの頭を膝の上に載せてから、グレンの残骸に触れた。

「先程のグレン・ルーは、蛋白質が主構成物であるナノマシンで出来ていたのかもしれませんわ」

「グレン・ルーの生体反応を確認」

 アウトゥムヌスは弱々しく呟き、銀色の瞳を動かした。路地を囲む建物の壁をなぞっていたが、一点で止まった。
二人もまた、三女の視線を辿った。人工の空から注ぐ逆光の中、屋上に灰色のコートを翻した男が立っていた。

「大正解。なかなか鋭いぜ」

 グレン・ルーだった。その右手には、残骸の中から消え失せた右手首ごと試験管が握られていた。

「さすがはー、別の次元の人達ですー」

 グレンの足元に腰掛けているメイド服姿の少女は、朗らかに笑っていた。

「じゃ、こいつは有効活用させてもらうぜ。またどこかで会うことがあったら、今度は仲良くしようや」

 試験官を振りながら馴れ馴れしく笑うグレンに、ヒエムスは金切り声を上げた。

「次は精神体ごと粉砕させてやりますわ! アエスタスお姉様の純潔を奪った罪は何よりも重くってよ!」

「そう怒るなよ。犯さなかっただけマシじゃん」

 グレンはひらひらと手を振りながら屋上の奥へ歩き出し、ベッキーも立ち上がって従順に主を追いかけていった。
だが、すぐに二人の生体反応は消失した。空間超越を行った残滓が空間に散らばり、かすかな歪みが広がった。
空間の自己修復能力で、その歪みは程なくして吸収された。ヒエムスは屋上を睨んでいたが、ぐいっと涙を拭った。

「ああもう、腹が立ちますわ!」

「今頃気持ち悪くなってきた…」

 アエスタスは口元を押さえ、背を丸めた。初めての相手が、初対面の、しかも異次元からの星間犯罪者だとは。
おまけに下唇まで噛まれ、粘液までも削ぎ取られた。無性に泣きたい気分になったが、妹達の手前、泣けない。
今まで食べたものは消化されて吸収し尽くされたので、胃の中には何もなかったが、胃液が戻ってきそうだった。
だが、堪えなくては。アエスタスが必死に気持ち悪さと戦っていると、肩を叩かれ、振り向くと三女が近付いてきた。

「消毒」

 膝立ちになって顔を寄せてきたアウトゥムヌスは、アエスタスの頬を両手で挟むと、有無を言わさずに口付けた。
唇を軽く合わせるだけの短いキスを終え、アウトゥムヌスが離れると、アエスタスは強烈な照れ臭さに襲われた。

「誰に何を仕込まれた、アウトゥムヌス」

 口元を拭いながらアエスタスが若干声を上擦らせると、アウトゥムヌスは平然と唇を舐めた。

「ジョニー君」

「まあ…」

 ヒエムスは頬を朱に染め、ため息を零した。

「どこまで何を仕込まれたのか、気になって気になって眠れなくなりそうですわ」

「大丈夫。問題はない。想像の範囲内」

 アウトゥムヌスは、至極平坦に言った。

「また想像を煽る言い回しだな」

 アエスタスは半笑いになったが、気分の悪さが消えていることに気付いた。これはアウトゥムヌスの仕業だろう。
キスをされた時にアエスタスの体内に混入した異物も消去しただけでなく、下唇の噛み傷も綺麗に塞がっていた。
突飛な行動で混乱した心理状態を更に掻き乱しただけかと思っていたが、アウトゥムヌスなりに気を遣ったらしい。
 アエスタスは妹の気遣いに感謝しつつ、立ち上がった。新品の服が砂埃に汚れ、滑らかな革に傷が付いている。
だが、これも後で修復すればいい。アエスタスはグレンの残骸と血溜まりを踏み、その部分の空間を湾曲させた。
空間と空間の狭間に吸い込まれた偽物のグレンの残骸は、ナノマシンを一つも残さずに通常空間から消失した。
後はこの袋小路周辺の監視カメラが記録した映像を削除し、前後数分間の何事もない映像に差し替えればいい。
そして、グレンが手を加えたために歪んだ空間と次元を復元すれば事後処理は完了し、何もなかったことになる。
 硬く舗装された地面が、靴底に叩かれた。反射的に三人が振り向くと、袋小路と裏道を繋ぐ場所に彼女がいた。
時間と共に弱まりつつある日差しに半身を縁取られながら、大きく見開いた二つの瞳で三人の妹を見据えていた。
 
「あなた達、何をしているの」

 長姉、ウェールだった。

「やっぱり、所詮は消耗品ね」

「ウェールお姉様…」

 アエスタスが身動ぐと、ウェールはつかつかと歩み寄り、アエスタスの顎を指先で持ち上げた。

「グレン・ルーに出し抜かれるなんて、それでもあなた達はお母様の娘なの? 確かにあの男は厄介な存在だけど、生体情報を奪われるなんて本当にどうしようもないわ。お母様が手を下す前に、私が処分してあげたいくらいよ」

 ウェールの瞳が動き、背後の妹達も睨めた。

「あなた達だってそうよ。何の役にも立たないだけじゃなく、お母様の命じたこともろくに出来ないじゃないの」

「な…」

 ヒエムスが絶句すると、アウトゥムヌスが長姉を睨み付け、一息に言い放った。

「そこまで言うのであれば、今からあなたがグレン・ルーを追跡し、処分すればいい。ただ、それだけの話」

「あら、言うじゃないの」

 ウェールはアエスタスの顎から指を離すと同時に突き飛ばすと、アウトゥムヌスに近寄り、その頬を張り飛ばした。
乾いた音が袋小路に残響し、ヒエムスが息を呑んだ。アウトゥムヌスは頬を押さえることもせずに、長姉を見返す。

「ウェールお姉様。寂しいの?」

 一瞬、ウェールは顔を歪ませた。だが、言い返すこともせずに、三人に背を向けた。

「妹のくせに失礼ね。今度、そんなことを言ったら、精神体ごと吹き飛ばしてあげるわ」

 歩き出したウェールの姿が消えるまで、一秒となかった。アウトゥムヌスは切れた唇に触れ、滲んだ血を拭った。
不安げなヒエムスがアウトゥムヌスに近付いてきたが、アウトゥムヌスは熱を持った頬を押さえて、平坦に返した。

「平気」

「今日の買い物は、ウェールお姉様も誘うべきだったかもしれないな」

 アエスタスは壁際に置いていた買い物袋を取ると、肩に掛けた。

「日も暮れてきたことだし、持ち場に帰還しなくてはな」

「そうですわね」

 ヒエムスは自身の戦利品を抱え、二人の姉を見やった。

「最後はちょっとアレでしたけど、今日一日、とっても楽しかったですわ」

 ごきげんよう、とヒエムスはフリルのたっぷり付いたスカートを広げて深々と礼をすると、袋小路から出ていった。
彼女の姿も、すぐに消えた。アウトゥムヌスは生体情報を操り、切れた唇を元に戻してから、アエスタスに向いた。

「有意義だった」

 アウトゥムヌスは、はにかみ混じりのかすかな笑みを見せてから、大量の荷物を担いで足早に袋小路を出た。
また、妹の姿は消え去った。一人残されたアエスタスは、訓練とは違う疲労感を感じながら、袋小路を後にした。
歩くうちに肩に掛けた紙袋の重さが変化し、膨らんだ。アウトゥムヌスに奪われた軍服が、手元に戻ってきたのだ。
木星基地の営舎に帰るまでにボンテージから軍服に着替えよう、と思いつつ、アエスタスは夕暮れた空を仰いだ。
 作り物の空に見下ろされた世界は狭く、その世界を包容する外の世界を知っていると、尚更狭く思えてしまう。
どこの誰が作ったのかは知らないが、宇宙は暗黒物質の詰まった箱庭だ。そして、全ての生物はその中の塵だ。
 原子に形作られた肉体に脆弱な精神体を宿し、生を謳歌する。どの次元でも、どの時代でも、本質は同じだ。
変化に耐えきれなかった世界は幾度も崩壊し、そして長い時を経て再生するが、またも変化に押し潰されていく。
数千万年、数百億年の時を永らえてきた母の元では、自分自身に起きた変化を受け入れることは難しいことだ。
しかし、変化の味は悪くない。母の胎内で感じていた人格とは大違いの、この次元での妹達を知ることが出来た。
変わることは容易くなく、平坦でもない。しかし、受け入れなければ後悔する。だから、今日は妹達を誘ったのだ。
 全てが終われば、母の胎内に還り、身も心も原始に戻る。大気圏で燃え尽きるデブリのように、一瞬で消える。
生きているわけではないから、死ぬことはない。しかし、何も残せない。生まれて初めて、それを空しいと思った。
 これが、違和感の正体なのだ。







08 10/19