アステロイド家族




春色ピクニック



 山頂に着いたのは、それから約二時間後のことである。
 全く持って歯応えのない山なので、山と称するべきではない気もするのだが、コロニーの設計図では山なのだ。
故に、山と呼ばなくてはならない。塩分のないただの水溜まりのことも、海と称さなければならないのと同じだ。
 山の頂上からは、コロニー全体が見渡せた。ミイムは尾を盛大に振りながら、目を輝かせて全景を見ていた。
ハルも、何度となく見ているはずの景色に見入っている。マサヨシは、そんな二人の姿を眺めて頬を緩めていた。

「あれが海だよ、ママ」

 ハルはミイムの手を引き、家族の住む家が建っている平地の先にある、ブーメラン型の水溜まりを指した。

「でね、あれが畑と、おじちゃんが作ってくれた公園」

 ハルの指先は下がり、広場を指した。そこには、こぢんまりとした畑とイグニス手製の遊具が並ぶ公園がある。

「で、あれが川」

 今度は、山の北西側を指す。そこからは細い川が流れ出しており、海へと続いている。

「んで、あっちが森」

 そして、家のある平地とは反対側の山の斜面を指した。ごちゃごちゃに生えた木々が、密集している森だった。
ミイムはうんうんと頷きながら、ハルの示したものを見ていた。高いところから見ると、初めて解ることが多かった。
 この廃棄コロニーは、全体的に卵形をしていた。緩やかな曲線を描いている楕円で、山の部分が膨らんでいる。
平地にいる時は見えなかったが、目を凝らせば空を映し出しているスクリーンパネルの繋ぎ目もうっすら見える。
スクリーンパネルの中心に当たる部分には、太陽と月を兼ねた巨大なライトがあり、今も燦々と光を注いでいる。
風を造り出す空調装置はスクリーンパネルの隙間に上手く隠されており、雨を造り出すスプリンクラーも同様だ。

「みゅうみゅう、良く出来たコロニーですねぇ」

 ミイムが感心していると、サチコが近付いてきた。

〈このコロニーの土台と外壁を成している小惑星の全幅は約五十キロ、全項は約三十キロと、小惑星型のコロニーとしては小型から中型の間ぐらいのサイズね。私達がこのコロニーを発見した際には、データバンクからは主要なデータやメモリーが削除されていたから、建造したのが誰かは解らないけど寸分も隙のない完全循環型コロニーね。さっき、マサヨシが言ったように、植物は成長が早いけどその代わり枯れるのも早いんだけど、それにもきちんと理由があるわ。枯れた植物は風で巻き上げられて川や海に落ちると、循環装置に取り込まれて酵素で分解され、燃料や肥料となって植物プラントを活性させているわ。そして、堆肥となって土に混ざるようになっているから、どこで畑を作っても栄養価の高い野菜が採れるようになっているの。水はたまに氷塊を運んできて補充しなければならないけど、ほとんどは濾過されて循環しているわ。その水も、定期的に雨となって降り注ぐようになっているし、春が終われば夏が始まって、秋が訪れれば冬が来るの。あのちっぽけな海にも、種類と数は少ないけどプランクトンや魚類が生息しているのよ〉

「ふみゅん、サチコさん、よくご存じですねぇ」

 ミイムが笑顔を向けるも、サチコは淡々と返した。

〈それが私の仕事だもの。情報収集と分析はナビゲートコンピューターの本領なんだから、当然よ〉

「うみゅう…」

 ミイムはちょっと臆し、顔を伏せた。すると、ハルが割り込んできた。

「お姉ちゃん、ママ、あっちに行こう!」

〈わっ、ちょっと!〉

 ハルにスパイマシンを奪われ、サチコは戸惑った。

「いーからいーから!」

 ハルはサチコを脇に抱えてミイムの手を引っ張って、あまり広くない山頂を駆けていき、南西側へと向かった。
そこは木がまばらで、日差しが多く差し込んでいた。そのため、小振りながらも彩りの良い花が咲き誇っていた。
ハルはサチコのスパイマシンを手狭な花畑の中に置いてから、ミイムを座らせると、二人と向かい合って座った。

「お姉ちゃん」

 ハルは背負っていた小さなリュックを下ろすと、その中から袋を取り出してサチコに差し出した。

「はい、あげる」

〈でも、これは〉

 サチコはレンズを上向け、ハルの差し出した袋を見上げた。それは、ミイムがおやつに作ったクッキーだった。

「ママが作ったお料理もお菓子も、とってもおいしいんだ。だから、お姉ちゃんにも食べてほしいの」

〈だけど、私は〉

「だって、私ばっかりがママを独り占めしちゃいけないでしょ?」

 にこにこと笑うハルに、ミイムは笑みを返した。

「みぃ、ボクは別に気にしてませんけどぉ」

〈いいのよ、ハルちゃん。私はナビゲートコンピューターだから、ママは必要ないのよ〉

「でも、お姉ちゃん、寂しそうだったよ」

 ハルは花畑に這い蹲り、サチコのスパイマシンと目線を合わせた。

「私が寂しいなって思うのは、ママがいなかったからだもん。パパもおじちゃんもお姉ちゃんもいたけど、ママだけがいなかったから、そう思ったんだ。だから、お姉ちゃんにもママがいれば寂しくないでしょ? それに、ママは私だけのママじゃないんだもん」

〈だけど…〉

「私ね、お姉ちゃんのことが大好きなんだ。パパはとっても強いし、おじちゃんはとってもでっかいし、ママはとってもお料理が上手だし、お姉ちゃんは色んなことをいーっぱい知っているから大好き。だから、お姉ちゃんが寂しそうにしてるのを見ると悲しくなるの」

「みぃ」

 ミイムは頷き、ハルと同じようにしてサチコと目線を合わせた。

「ボクは、このコロニーに来てから日が浅いですぅ。だから、知らないことだらけですぅ。だから、ボクに色々なことを教えてほしいですぅ。ハルちゃんのことも、パパさんのことも、イギーさんのことも、もちろんサチコさんのことも」

〈…そうね〉

 少々間を置いてから、サチコは答えた。

〈でも、その前に、解決しておくべき問題が一つあるわ〉

「うみゅ?」

 ミイムは、首をかしげた。サチコはするりと浮かび上がると、マサヨシに近付いた。

〈この一週間、私はこの問題を解決させようと自分なりに努力してきたわ。感情回路を使わなければ理解出来ない、処理出来ない事項だと判断して感情回路をフルに活用し、あらゆるデータバンクから情報を検索してダウンロードし、様々なパターンを構築してシミュレーションを行い、的確な判断を下そうと努めてきたわ。けれど、具体的な打開策が見つかることもなければ出来上がることもなかったから、私は処理に困っていたの。たまらなく不本意だけど、本当なら受け入れるのも嫌だけど、イグニスの提案が最も有効だと判断したからこそ、マサヨシに進言するわ〉

「なんだ、サチコ」

 サチコの仰々しい物言いに、マサヨシは若干動揺した。サチコは、ずいっとマサヨシの目前に迫った。

〈統一政府の法律では同性同士の婚姻は認められていないのよ!〉

「…は?」

 訳が解らず、マサヨシは後退った。それをサチコが追う。

〈ハルちゃんのことを本当に思うのなら、この辺りで身を固めるべきだと思うわ。あなたも今年で三十五歳になるし、傭兵としての稼ぎは大したことないけど比較的安定している部類に入るし、少しどころか重大な問題を抱えているけど戦力的には充分な仲間もいるけど、それだけじゃダメなのよ。やっぱり最終的には婚姻を果たさなければ、社会的地位はおろか統一政府からの援助も得られないわ。でも、あなたが選んだ相手は同性なのよ、同性! けれど、私はナビゲートコンピューターでしかないから、自分のマスターに法律違反を犯せとは言えないのよ! でも、ハルちゃんの幸せとマサヨシの幸せを望むのなら…〉

 次第にテンションが上がってきたサチコを、マサヨシは強引に押さえ付けた。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待てサチコ、今、お前はなんて言った?」

〈でも、ハルちゃんの幸せとマサヨシの幸せを望むのなら〉

「いや、その前だ、前」

〈けれど、私はナビゲートコンピューターでしかないから、自分のマスターに法律違反を犯せとは言えないのよ!〉

「いや、だから、最初だ、冒頭だ」

 取り乱しながらマサヨシが聞き返すと、サチコは会話の冒頭部分を全く同じ抑揚で繰り返した。

〈統一政府の法律では同性同士の婚姻は認められていないのよ!〉

「それは本当なのか、サチコ」

 マサヨシがやや声を上擦らせると、サチコではなくイグニスが答えた。

「あれ? 知らなかったのか、マサヨシ?」

「そうなのか、ミイム」

 マサヨシは否定されることを願いながら、事の中心人物に問うた。ミイムは、きょとんと目を丸くした。

「何を言っているんですか、パパさん」

 そうだよな、絶対に女だよな、とマサヨシが返そうとした時、ミイムは見惚れるほど美しい笑みを浮かべた。



「ボク、男の子ですよぉ?」



 え、とハルが唖然としたのが視界の隅に入った。青い瞳をまん丸に見開いて、小さな唇を半開きにしている。
マサヨシも、自分がそんな顔をしているのが解った。こんなに驚いたのは、ハルを見つけた時以来かもしれない。
イグニスは身を屈めてマサヨシの表情を覗き込んだが、マサヨシのあまりの驚きように、げたげたと笑い出した。

「なんだよマサヨシ、物を知らねぇんだな!」

「…そうなのか?」

「そうだよ。最初に見た時に解るだろうが、普通」

 あー腹が痛ぇ、と人間のようなことを言いながら、イグニスはミイムの髪を指した。

「クニクルス族ってのはな、男の髪がピンクで女の髪がブルーなんだよ。でもって容姿が綺麗なのが男で、そうでもないのが女なんだ。簡単に言っちまえば、新人類とは逆なんだよ」

「みゅみゅうん!」

 両手で頬を押さえるミイムの仕草はとても愛らしかったが、男だと思うと途端に気色悪く見えた。

「ハルちゃんやパパさんのためにぃ、ボクは成人男子としての本分を果たしますぅ!」

「ってことは」

 マサヨシがげんなりしながらイグニスを見上げると、イグニスは上半身を反らすほど笑い転げていた。

「そうそう、立場もそっくり逆なんだよ! やっと気付いたのかよ、マサヨシ、お前って凄ぇ馬鹿じゃねぇのか!」

「他星系の事情に疎くて悪かったなあ!」

 笑われすぎて腹が立ってきたマサヨシは、イグニスに言い返した。イグニスは背を折り曲げ、笑い続けている。

「なんだよ、てっきり俺はお前が同性愛に目覚めたのかと思ったぜ」

「そんなわけがあるか!」

 マサヨシはむきになって、声を張り上げた。男を相手に、少しでも欲情しそうになった自分がたまらなく情けない。

「男だと知っていたら、ママになれなんて頼むか! スカートなんて履かせるか! というか、知っていたのなら指摘しろ! 相棒の間違いを正すのも相棒の仕事だろうが、イグニス!」

「ホモでも俺に無害なら問題ねぇよなーって思ったから、つい」

「放置したってのか?」

「うん」

「あのなぁ…。というか、俺は同性愛なんかじゃないからな。断じて違う。付き合いが長いから解るだろうが」

「長いからこそ知らない面もあるよなーって思ったから」

「思うなよ!」

 マサヨシはイグニスに強く言い返してから、肩を落としてため息を吐いた。

「そうか…男か…」

 道理でサチコの視線が冷たいわけだ。彼女はミイムが男だと知っていたからこそ、ああも素っ気なかったのだ。
当然、立場を奪われた寂しさもあったのだろうが、男が母親役をしている違和感を受け止めきれなかったのだ。
ミイムが家族に加わった当初のイグニスの歯切れの悪さも、そういった背景を考慮すればすんなりと納得出来る。

〈…知らなかったの?〉

 サチコにまでも言われ、マサヨシはこの場から逃げ出したくなったが意地で踏み止まっていた。

「悪いか」

〈いえ…悪いなんてことは…〉

 あら、そうだったのね、とサチコは態度を取り繕うが、非常にばつが悪そうだった。

「まずは事実を述べてくれ、サチコ。それが君の仕事じゃないか」

 マサヨシはサチコに強く命じてから、ほんのりと頬を染めているミイムに向き直った。それがまた、気色悪い。

「そしてパンツを履いてくれ、ミイム。男なら尚更履かなければ落ち着かないだろう」

「みぃ、そんなことはないですぅ。ボクのはですねぇ」

 ミイムはスカートを広げて生々しい説明を始めようとしたので、マサヨシは慌ててミイムを押さえた。

「それは今話すな! 家に帰ってから話してくれ!」

「うみゅう」

 ミイムは少し残念そうに、スカートの裾を下ろした。女だと思っていたからこそ許せた擬音語も、男だと許せない。
マサヨシは無知を馬鹿にされた恥ずかしさと男を相手に照れてしまった自分が許せなくなってきて、頬を歪めた。
男だと知っていたら、あんなに優しくしなかったのに。様々な後悔も迫り上がってくるが、今更取り消せなかった。

「でも、ママはママでしょ?」

 一人、状況に付いていけなかったのか、ハルはマイペースに笑っていた。

「…男だぞ?」

 マサヨシが聞き返すも、ハルは笑顔のままだった。

「ママはママでしょ?」

 どうやら、ハルは状況を理解することを諦めたらしい。マサヨシには、その気持ちも解らないこともなかった。
そして、その後、とりあえずピクニックは終わった。目論見通り、サチコとミイムの関係はぎこちなさが抜けた。
しかし、他の関係がぎくしゃくしてしまった。ミイムが男だと判明したため、マサヨシは大いに混乱してしまった。
それは家に帰ってからも続き、ピクニックを終えてからの一日は、マサヨシの態度がぎこちなくなってしまった。
パイロットの精神的不調は戦闘に著しく支障を来すので、当然ながら、傭兵の仕事も請け負えず終いだった。
 ママだと思っていた相手が男だと判明した当初、混乱するあまりに現実逃避をしたハルも、しばらく変だった。
だが、そこは子供なのでマサヨシよりも遙かに順応性が高く、三日も経てば男でもママだと思えるようになった。
ミイムも二人の戸惑いように若干遠慮していたが、ハルが再び心を開くと、これまで以上に立派なママになった。
最初から事の真相を知っていたイグニスとサチコは、マサヨシの性癖が普通だと知ると態度は元に戻してくれた。
しかし、絶好のからかいの種を得たイグニスは、悪戯を覚えた少年のようにマサヨシをからかっては怒らせた。
そんなイグニスを押さえ付けようとサチコが叱るも、サチコもまたからかわれて、やり込められる時すらあった。
最終的に取り残されてしまったマサヨシは、ミイムが男だと受け入れられるようになるまで一週間は掛かった。
 その一週間は、マサヨシの生涯で最も恥辱に満ちた一週間だった。







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