アステロイド家族




トラブル・ショッピング



 十数分後。マサヨシは、ハルとサチコと合流した。
 ハルとサチコはランジェリーショップの一角からそれほど離れていない子供服の店で、新しい服を選んでいた。
マサヨシが到着すると、丁度会計を終えた頃だった。上機嫌なハルは、買い物袋を引きずるようにして持っていた。
サチコは、その傍で浮遊していた。マサヨシはハルの荷物を持ってやり、二人に事の次第を掻い摘んで話した。
だが、パンツを投げつけられたくだりだけは省いた。色々な意味で情けなさすぎたので、話したくなかったのだ。
ハルはマサヨシに買ってもらったイチゴミルク味のソフトクリームを舐めていたが、話を聞き終えると口を開いた。

「パパ、ママのこと怒っちゃったの?」

「怒った、というか、まあ強く出たのは確かだな」

 マサヨシは身を屈めると、ソフトクリームでピンク色に汚れたハルの口の周りを拭いてやった。

「そうでもしないと、俺の言うことを聞いてくれそうにないと思ったんだ」

「パパ、ママのこと、怒っちゃダメだよ」

 ハルは指に付いたソフトクリームを舐めつつ、マサヨシを見上げた。

「だって、パパ、おっきい声を出すと怖いんだもん」

〈マサヨシは優しくて頼り甲斐があって格好良くて強くてとっても素敵なんだけど、怒ると結構怖いのよねぇ〉

 サチコは、マサヨシの肩の上に浮かんだ。マサヨシは、横目にサチコを見やる。

「そうか? 俺はそうは思わないんだが」

「ママ、どこに行ったのかなぁ」

 ハルはソフトクリームを舐めるのを止め、不安げに周囲を見回した。マサヨシは、ハルを撫でる。

「大丈夫だ。サチコがいるんだ、すぐに見つけ出せる」

〈だけど、見つけ出したとしても、ミイムちゃんとマサヨシはもっとこじれちゃうかもしれないわね〉

 サチコの言葉に、マサヨシは困りながらも返した。

「だが、俺は間違っていないぞ。それが最良だと思ったからだけであってだな」

「ママ、一人で寂しくないかな」

 ハルは、不安げに呟いた。サチコは宇宙ステーション内をサーチし、マサヨシに報告する。

〈マサヨシ。ミイムちゃんの居所が解ったわ。ここから三ブロック離れた第二十七ブロック内を、徒歩で移動しているみたいね。エアカーを飛ばせば十五分以内に接触出来るわ〉

「そうか。だが、俺は悪くない。だから、謝る理由もない」

 マサヨシがぼやくと、ハルはソフトクリームのコーンを囓りながら言った。

「パパ、ママのことが嫌いなの?」

「いや、そうじゃない。それに、俺の主張は間違っていないんだ。適応しようとしないミイムが我が侭なだけで」

 マサヨシが苦笑いしていると、ハルは首を傾げた。

「パパ、ママは我が侭じゃないよ。ママはね、毎日おいしいごはんを作ってくれるし、お姉ちゃんがいない時は一緒にお昼寝してくれるし、私が泣いても怒らないでいい子いい子ってしてくれるもん」

「まあ…そうだな。というか、それが母親の仕事だからな」

 マサヨシが言葉を濁すと、ハルは穢れのない青い瞳で父親を見つめた。

「でも、ハルのママになる前は、ママはママじゃなかったんだよね?」

「それは、そうだが」

 マサヨシはハルの視線から、目を逸らした。言われてみれば、ミイムの過去についてマサヨシは一切知らない。
ミイムと初めて顔を合わせた時にその断片を僅かに聞いたぐらいで、過去について問い詰めたことはなかった。
必要とあれば聞き出すが、今のところはその必要がないと判断したので、その過去については問い詰めていない。
だが、ミイムは確かに言った。皆に見せる明るく溌剌とした笑顔とは懸け離れた、全てを諦めた顔で言ったのだ。
ボクの居場所は宇宙のどこにもない。だから、帰りたくないし、帰ってはいけない、という、重たい言葉だった。
 だから、ミイムは過去を捨ててすっかり開き直ったので、廃棄コロニーでの家族ごっこに早く慣れたのだろう。
だが、彼はれっきとした異星人であり、全く違う文化の社会で暮らしていたのだ。些細な相違や摩擦は発生する。
ミイムもミイムなりに、悩んでいたのかもしれない。その摩擦が膨らんで、今回のような事態が起きたのだろう。
クニクルス族と新人類の価値観の相違点がパンツだというのは少々頂けないが、そればかりは仕方ないだろう。
はっきりとした過去を知らないのは、イグニスも同じだった。だが、お互いに譲歩しているので上手くやれている。
それは付き合いが長いからこそ出来上がった関係であり、ミイムとの付き合いが浅いのでそこまで至っていない。
 となれば、この場合はどちらかが折れるしかない。だが、マサヨシもマサヨシなりに譲れないので折れなかった。
ミイムもミイムで自星の文化と習慣が抜けていないので、地球人の文化を受け入れるのは難しいから折れない。
けれど、このままでは埒が明かない。マサヨシが考え込んでいると、ハルは両手を拭ってから父親の袖を引いた。

「パパ、ママも一緒じゃなきゃやだ! お買い物だって、ママがいた方が楽しいもん!」

「しかし」

 マサヨシは少々躊躇ったが、ハルの悲しげな顔を見ていると、躊躇う余地はなくなってしまった。

「…そうだな。とりあえず、今はミイムを探す方が先決だ」

〈そうと決まれば、行動は早い方がいいわね。マサヨシ、パーキングまでの最短距離を案内するわ〉

 サチコはマサヨシの前に出ると、細い路地に入っていった。マサヨシはハルを肩車し、その後を追う。

「さあ、行こうか」

 マサヨシはサチコを追って歩きながら、考えていた。ミイムの心境を捉えるため、その状況を思い出していた。
宇宙のどこにも居場所がないと言い切るほどの過去の末、犯罪組織に誘拐され、商品として売られそうになった。
コールドスリープで眠らされ、コンテナに詰め込まれ、ただの物に成り下がり、知らない星系まで連れてこられた。
それが、心細くないわけがない。明るく笑うのも、マサヨシらに嫌われたくない一心での行動だったのかもしれない。
今更ながら、マサヨシは罪悪感に駆られていた。マサヨシにパンツを投げつけたミイムの表情は、痛々しかった。
 男であろうと何であろうと、ミイムは家族であり母親なのだ。




 どこをどう歩いたのか、解らなかった。
 ミイムは様々な人種が行き交う歩行用通路をふらふらと当てもなく歩きながら、必死に流れる涙を堪えていた。
だが、堪えきれなかった。泣くまいと決めていたはずなのに、いつのまにか心が緩んでいたらしく泣いてしまった。
自分でも、あれぐらいのことで泣くとは思わなかった。もっと辛い目に遭った時には、泣かなかったというのに。
泣いたら惨めになるだけだ、泣いたところで何にもならない、と思うが、一度決壊してしまった堰は直らなかった。
 大通りと言える太い通路から引っ込んだ細い道に入り、ミイムは壁にもたれると、バッグからハンカチを出した。
頬を伝う涙を拭ってから、ハンカチを噛んで声を殺す。あんなに些細なことで怒ってしまった自分が、情けない。
 マサヨシの言うことも理解出来る。子供ではないのだから、郷には入れば郷に従え、ということぐらい知っている。
だが、こんなに優しくしてくれるのだから、自分の言い分を聞いてくれるのかもしれないと思って、調子に乗った。
心を開けることが嬉しかったから、気を許せる相手が見つかったのが幸せすぎたから、過ぎたことをしてしまった。
マサヨシにもひどいことを言ってしまった。自分の身元を引き受けてくれた恩人なのに、なんてことをしたのだろう。

「ママ!」

 その声に、ミイムは顔を上げた。振り向くと、細い路地の先に三人が立っていた。

「ママ、ここにいたんだね!」

 ハルは頼りない足取りで、ミイムの元に駆け寄ってきた。ミイムは目元を拭ってから、三人に向き直った。

「みぃ…」

〈急にいなくなっちゃうんだもの、心配したんだから〉

 サチコは、ハルの傍にやってきた。ミイムは口からハンカチを落とすと、震える唇を歪めた。

「なんで、ボクなんか探したんですかぁ」

「そんなこと、決まっている。お前はうちの家族だからな」

 マサヨシはミイムの前に屈むと、ミイムの腕を取った。だが、ミイムはそれを振り払った。

「でも、ボクなんかぁ…」

「いいから」

 マサヨシはミイムを立ち上がらせると、その華奢な肩に手を置いた。

「今回は俺が悪かった。お前の気持ちも考えずに強く言いすぎた。だから、今日はミイムが欲しいものを買おう」

「でも、パンツは…」

「それについてだが、俺に考えがある」

「考えってなんですかぁ?」

「スカートを長くすればいいんじゃないのか? そうすれば、尻尾は自由に動かせるし、パンツを履かなくても中身は見えないと思うんだ。だから、パンツじゃなくてスカートを探しに行こう」

「ママ、一緒にお買い物しよう。お姉ちゃんと一緒でも楽しいけど、パパとママと一緒ならもっと楽しいもん」

 ハルはミイムの手を引いたが、ミイムは眉を下げる。

「でも、ボク、我が侭ばっかり言っちゃってぇ…」

「ハルの我が侭に比べたら、大したことはない」

 マサヨシの言葉に、ミイムは俯いて涙を落とした。

「パパさん、ボクを許してくれるんですかぁ? パパさんにあんなにひどいこと言ったのにぃ…」

「俺達は家族だが、まだ成り立てだ。行き違わない方がおかしいんだ。今回は、それがパンツだったってだけだ」

「パパさぁん…」

 ミイムは涙で濡れた顔を上げると、感極まってマサヨシにしがみついた。

「うみゃあん、ごめんなさいぃー!」

 マサヨシはよろけたが、踏み止まってミイムを支えた。

「時間はいくらでもある。だから、時間を掛けて家族になっていけばいいんだ」

「ふみゃああああん」

 動物の鳴き声に似た声を出して泣きじゃくるミイムを、マサヨシは子供をあやすような手付きで宥めてくれた。
それがまた嬉しくて、ミイムは泣いた。今までの心細さと申し訳なさが相まって、涙がなかなか止まらなかった。
この人は、優しいだけじゃなくて大きいのだ。そう思うと尚更嬉しくなって、ミイムはマサヨシに縋って泣き続けた。
泣いているミイムが心配なのか、ハルはミイムの短いスカートの裾を掴んで、ママはいい子だよ、と言ってくれた。
それもまた、とても嬉しくてたまらなかった。種族こそ違っているが、自分を必要としてくれる相手がいるのだから。
 そして、ミイムの心身を落ち着かせるために近くのカフェテリアで休憩を取ってから、四人は買い物を再開した。
今度は四人一緒になって、ミイムの新しい服を探して回った。パンツではなく、長いスカートを求めて歩き回った。
それが終わると、今度は食料品と生活用品を買いに行った。今日の買い物は、いつになく楽しく満ち足りていた。
 それは、皆が皆、同じだった。




 そして、その翌日。
 ミイムはキッチンで忙しく働いていた。エプロンの下に履いたスカートは、膝丈のフレアースカートになっていた。
これなら尻尾も邪魔にならず、中も見えない。もう少し長い丈のスカートも買ったが、足払いが良いのは膝丈だ。
スカートと一緒に買ったブラウスも着心地が良い。それまで借りていたマサヨシの服では、袖が余っていたのだ。
だが、今度は腕の長さも肩幅も体に合っているので邪魔にならず、家事も今まで以上に捗るようになっていた。
 鼻歌を漏らしながら、ミイムは昼食の準備をしていた。水耕栽培プラントから採ってきた野菜を、小さく切った。
先日の買い物で買い込んできた調味料を混ぜ合わせてドレッシングを作る傍ら、湯を沸かして茹でる準備をする。
ハルは生野菜のサラダを作ってもあまり手を付けないのだが、温野菜のサラダにするときちんと食べてくれる。

「おい、ミイム」

 窓越しに話しかけてきたのは、イグニスだった。ミイムは、ボウルの中のドレッシングを掻き回す手を止める。

「みぃ? なんですかぁ、イギーさん」

「金返せ!」

 急に怒鳴ったイグニスに、ミイムはぎょっとした。

「なっ、なんですかあ!」

「何もクソもあるか! 俺の有り金をほとんど使いやがって、残高は三桁もねぇじゃねぇかよ!」

「だって、パパさんもサチコさんも使っていいって言ったんですぅ! ボクは悪くありませんよぉ!」

「だが、限度ってもんがあるだろうが! 人の金だぞ、ちったぁ遠慮しやがれ!」

「でも、イギーさんのお金の使い道はほとんど無駄遣いだってサチコさんが言ってましたぁ。大して性能も変わらないのにビームバルカンの部品を細々と交換したり、レーザーブレードのジェネレーターを次から次へと買い込んだり、スペースデブリよりも質の悪いジャンク品を買ったり、って。だから、ボクが使った方が余程有意義だって」

「そりゃ電卓女の基準で俺の基準じゃねぇ! 俺はな、自己投資してんだよ!」

「ふみゅ、そうなんですかぁ?」

「そうに決まってんだろうが! ビームバルカンの部品交換だって、レーザーブレードのジェネレーターの改造だって、必要だと思うからこそ金を注ぎ込むんじゃねぇか! マサヨシもスペースファイターのカスタマイズには大分金を使ってるくせして、そっちには何も言わねぇなんて理不尽にも程がある!」

「部品とジェネレーターって、あれですか、あのイギーさんのお部屋の壁にみっちりと詰まっている…」

「そう、それだ!」

 大きく頷いたイグニスに、ミイムは冷めた目を向けた。

「てっきり、あれは粗大ゴミだとばかり思っていましたぁ」

「おっ、お前までそんなことを言うのかぁ!」

 イグニスは憤慨し、声を張り上げた。ミイムは、つんと顔を逸らす。

「埃だらけで油まみれなんですからぁ、ゴミに決まっているじゃないですかぁ」

「あれは俺の大事な財産でありコレクションなんだぞ! それをお前らはゴミだゴミだと…」

「みゅーん。大事なものだったら、もっと綺麗にしておくものですよぉ」

 ミイムはイグニスをあしらいながら、湯の沸いた鍋の中に一口大に切った野菜を入れて茹で始めた。

「俺はあれでも大事にしているんだ! それはそれとして、とにかく金返せよな!」

 いきり立つイグニスに、ミイムは眉を下げて悩ましげに身を捩った。

「みぃ…。悪い人に誘拐されて売り飛ばされそうになっていたボクに、そんなお金があるわけないじゃないですかぁ。でも、どうしてもって言うなら、ボクの体でお支払いしますけどぉ…」

「やべぇ、本気で気色悪い」

 媚びを振りまくミイムがおぞましくなり、イグニスは後退った。ミイムはイグニスに背を向け、舌を出した。

「じゃ、ボクはイギーさんにお金を返さなくていいんですねぇ?」

「なんでそうなるんだっ!」

 イグニスが喚くと、ミイムは首を左右に振りながら甘えた声色を作った。

「みぃーん、イギーさんがボクをいじめますぅー」

「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇっ! つうか、なよなよしててキモいんだよお前って野郎は!」

「ふみゃあーん、怖いですぅー」

「だぁからっ!」

 窓ガラスが震えるほどの怒声を上げたイグニスに、ミイムは悪戯っぽく微笑んだ。

「みぃ、冗談ですぅ。いつかお金が出来たらぁ、ちゃーんとイギーさんにお返ししますぅ」

「だったら、いいんだけどよ」

 イグニスは拍子抜けして、引き下がった。ミイムは笑顔のまま、程良く茹で上がった野菜をザルの中に入れた。
湯切りをしてから皿に並べて、その上に作ったばかりのドレッシングを掛けてやり、ダイニングテーブルに運んだ。
既に出来上がっていたオムレツにもトマトソースを掛け、今朝焼いたばかりのパンが入ったバスケットも並べた。
三人分のスープ皿を出して、その中に出来上がったばかりの野菜スープを注ぎながら、ミイムは頬を緩めていた。
食後のデザートにと作ったチョコレートプリンも冷蔵庫で冷えているし、コーヒー豆は挽き立てで味も香りも良い。
マサヨシとハルが喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。ミイムはうきうきしながら、三人分のスープ皿を食卓に並べた。
 捨てられた時、宇宙のどこにも居場所はないと思っていた。だが、思い掛けない偶然でこの家に辿り着いた。
必要としてくれる人がいて、大事に思ってくれる子がいて、気が強いが憎めない同居人達がいる、温かな家だ。
 この居場所を、守らなければ。







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