アステロイド家族




救護戦艦リリアンヌ



 朝食を終えて二時間後。リリアンヌ号のシャトルが、廃棄コロニーを訪れた。
 シャトルのパイロットはまだ若い青年医師で、濃緑の長い髪と二本のツノが特徴的な竜人族の異星人だった。
目はきつく吊り上がっているが顔立ちは端正で、肌の色は不健康に思えるほど白く、特徴的なのは赤い瞳だ。
彼はケーシー・ドラグリオンと名乗った。リリアンヌ号に長年搭乗している姉に続いて、去年乗船したそうである。
 ケーシーの操縦で、サチコを除く家族全員を乗せた連絡用シャトルは、救護戦艦リリアンヌ号へと飛び立った。
ワープドライブを行って移動距離を短縮したため、一時間程度の所要時間でエウロパステーションに到着した。
 救護戦艦リリアンヌ号は、全長一万五千メートル、全幅五千メートルで、戦艦というよりも移動コロニーである。
白い船体の四十パーセントは発電用ソーラーパネルに覆われ、病棟である居住スペースはリング状になっている。
その直径五キロメートルの巨大なリングの中央を貫いている流線型の船腹のほぼ全てが、診察室なのである。
 元々は末期患者のために作られた宇宙を往くサナトリウムだったが、この百年で大幅な改修と方向転換をした。
統一政府の管理下にあるコロニーのみならず、様々な惑星やコロニーを巡って患者を受け入れ、治療している。
それに従って病棟を大幅に増設し、研究施設も増やしたため、五千メートルの船体は成長して更に巨大になった。
今では、宇宙軍のギガント級戦艦にも劣らぬ大きさになったが、それ故に犯罪者から狙われる可能性も出てきた。
警備が割と手薄で船員が軍人ではないために、宇宙海賊に乗っ取られることも考えられるので、武装も強化した。
超々長距離狙撃も可能な超大型レールキャノンからスペースファイター、専用機動歩兵まで備えるようになった。
なので、リリアンヌ号の呼称は救護艦から救護戦艦に変わった。だが、リリアンヌ号は未だに個人所有船である。
ありとあらゆる種族や民族の患者を助けるために、造船した当初からどの政府にも組織にも所属していないのだ。
 マサヨシらが乗ったシャトルは、リリアンヌ号の船腹から伸びてきたリニアカタパルトに導かれ、ドッキングした。
そして、格納庫に入り、格納庫全体に空気を充満させて人工重力の調節を終えると、ようやくハッチが開かれた。
シャトルのハッチが開くと同時に格納庫の扉も開き、ケーシーとよく似た外見の小柄な異星人女性が入ってきた。
一見すれば、少女と見紛うほど背が低く、体格も華奢だった。だが、その眼差しは揺るぎなく、表情は硬かった。
ケーシーも美形の部類に入る男だったが、彼女はそれに輪を掛けて整った外見で、全てが研ぎ澄まされていた。
一言で現せば、硬質な美しさだった。濃緑の髪と赤い瞳は白い肌を一層引き立て、薄い唇だけに血の気がある。

「姉さん、迎えに来てくれたの?」

 彼女の姿を見た途端にケーシーははしゃいで駆け出したが、彼女はケーシーを鬱陶しげに睨んだ。

「私が出迎えに来たのは貴様ではない、患者だ。それぐらい解るだろうが」

「えっと、ごめんなさい」

 ケーシーは立ち止まって苦笑いしたが、彼女はそれに目もくれず、格納庫に降りたマサヨシらに近付いてきた。

「愚弟が失礼した。私の本業は医師ではなく薬学なのだが、生憎、他の医師の手が空いておらんのでな。エウロパステーションに寄港した際に、新人類の重症患者を数十人搭乗させたからだ。だから、貴様らにとっても不本意だろうが、貴様らの検診は私が監督することになった。リリアンヌ・ドラグリオンだ。一通りの医師免許は持っておるが、医師ではない。薬学者だ」

「じゃあ、僕はこれから回診があるから、病棟に行くね」

 ケーシーは出入り口に向かうも、名残惜しげに姉に振り返った。だが、リリアンヌは冷淡だった。

「さっさと行け。仕事は仕事と割り切れと言っておるだろうが。それと、仕事の間は姉と呼ぶな」

「解ったよ。じゃ、姉さんも頑張ってね!」

 ケーシーは幼子のような笑顔を見せると、格納庫から出ていった。リリアンヌは、かすかに眉根を歪める。

「言った傍から忘れおって。頭の弱い男だ」

 リリアンヌはマサヨシに向き直ると、脇に抱えていた白衣を羽織って袖を通し、一括りにした長い髪を払った。

「して。貴様らのナビゲートコンピューターが送信してきた注文の通り、通常の身体検診と治療で良いのだな?」

「そうだ。フルサイボーグと機械生命体もいるが、そっちも普通にやってくれ」

 マサヨシが返すと、リリアンヌは白衣のポケットから情報端末を取り出し、入力した。

「了解した。各科の医師に伝えた」

「あのぉ」

 マサヨシの陰に隠れ、ミイムが恐る恐る尋ねた。リリアンヌは、瞳孔が縦長の赤い瞳を上げる。

「なんだ」

「ボク、どこも悪くないんですけどぉ、やっぱり検査をするんですかぁ?」

「この船はそのための船だ。他の用途があると思うのか?」

「いえ…」

 ミイムは表情を曇らせ、引き下がった。

「なんすか、ミイムは病院が怖いんすか?」

 ヤブキが近寄ると、ミイムはすぐさま身を引いた。

「そんなんじゃないですぅ!」

「にしちゃあ元気ないっすよ」

「ボクに興味を持つんじゃねぇですぅ! それだけでも不快ですぅ!」

 ミイムはヤブキから更に距離を置いてから、ハルの手を引いた。

「さあ行きましょう、ハルちゃん。ボク達とサイボーグは、行く場所からして違いますぅ」

「どうしたんだ、急に」

 マサヨシも気になって尋ねるも、ミイムは顔を背けた。

「なんでもないったらないんですぅ」

「そうは見えないけど…」

 ハルが不安げに呟くと、ミイムは吊り上げていた眉を下げてハルと目線を合わせた。

「本当に大丈夫ですってば。ハルちゃんこそ、お医者さん、怖くないですか?」

「うぅ…」

 するとハルは身を縮め、今にも泣きそうな顔をする。ミイムは、ハルをそっと抱き締める。

「今日一日、いい子にしていればいいんですよ。おうちに帰ったら、ボクがおいしいご飯を作ってあげますから」

「そんなに痛い目に遭うわけじゃないんだから、そう心配するな」

 マサヨシはハルの頭を撫でてやり、微笑みかけた。ハルは、涙を溜めた目で父親を見上げる。

「でもぉ…」

「さあて、命の洗濯に行くとするか」

 イグニスは身を屈め、ハルに手を差し伸べる。

「来いよ、ハル。途中までだが、俺が担いでやる」

「おじちゃんは、お医者さんは怖くないの? だって、お医者さんって痛いことするんだよ?」

「そりゃ、俺にも怖いものはあるが、医者は怖いもんでもなんでもねぇよ。外装を剥がされて手足も外されちまうのはちょっと頂けないが、だが、それは必要なことなんだ。俺は見ての通りの体だから頑丈だが、それでも疲れは溜まるし負傷もする。だが、そいつは俺の手じゃ治せないし、マサヨシにもサチコにも無理なんだ。だから、その道のプロに任せるんだよ。どこか悪いところがあったら、それこそ一大事だからな」

 イグニスは、自分の大きな手に乗ってきたハルを持ち上げ、肩装甲の上に座らせた。

「そうっすよ。何事も元気が一番っすけど、何が起こるか解らないのが人生なんすよ!」

 と、イグニスの足元でヤブキが同調する。ハルはイグニスの分厚い肩装甲に掴まると、二人を見比べた。

「今日一日だけだよね? 明日は皆で遊べるよね?」

「おう、遊べる遊べる。今日はリリアンヌ号が来ちまったから頓挫したが、明日こそ皆で遊ぼうな」

「だったら、頑張る。いい子にしてる。遊びたいもん」

 ハルは小さな唇を引き締め、ぎゅっとイグニスの肩装甲にしがみついた。その様に、イグニスは笑う。

「その意気だ。今日一日だけの辛抱だ、ハル」

 イグニスに励まされたことで、ハルの胸中の不安が少し緩んだ。怖いものは怖いが、今は我慢するしかない。
それも皆が同じだというのなら、もっと我慢するしかない。ハルは表情を硬くしていたが、顔を上げて前を向いた。
イグニスが通路を歩き出しているので、視界は大きく上下に揺れていた。だが、重力が軽いので揺れ幅が小さい。
リリアンヌ号内部に施されている人工重力は廃棄コロニーよりも軽い0.8Gなので、イグニスの着地も柔らかい。
それが、今はありがたかった。イグニスの肩に乗るのは好きだが、長く乗っていると目が回って気持ち悪くなる。
そうなってしまっては、ただでさえ滅入った気分が更に滅入ってしまい、皆から励まされた意味がなくなってしまう。
大丈夫。今日一日我慢していればいいだけなんだ。自分に言い聞かせながら、ハルはじっと前を見つめていた。
 リリアンヌ号と同じ名を持つ薬学者、リリアンヌ・ドラグリオンの案内で、皆は受付のあるロビーへと連れられた。
そこで手続きをしてから、皆は別れた。イグニスは機械生命体専門の異星人科へ、ヤブキはサイボーグ科へと。
マサヨシとハルはヒューマノイド専門の内科と小児科へ、ミイムも標準サイズの異星人専門の科へと案内された。
移動の際は、イグニスも搭乗出来るほど大きな船内移動用トラムに乗り、ブロック別で乗り換えながら進んだ。
トラムはエアカーとは違い、電磁レールの上を僅かに浮いて走るので、旧時代の路面電車に近い乗り物だった。
船内移動用なので速度はそれほど速くないが、乗り心地は滑らかで、医療機関内の設備に相応しい性能だった。
 途中までマサヨシも同じトラムに乗っていたが、途中でマサヨシは降り、ヒューマノイド専門の内科に向かった。
ハルはそれが寂しいのと、リリアンヌが怖いのとで、また不安が蘇ってきた。車内では、彼女は黙り込んでいた。
先程の情報端末を使ってホログラフィーをいくつも投影し、ホログラフィーキーボードを叩いて何かを入力していた。
恐らく、何かの仕事をしているのだろう。ハルは医者に行くのも怖かったが、リリアンヌといるのもまた怖かった。
ハルが目を伏せていると、リリアンヌは全てのホログラフィーウィンドウを消して、情報端末をポケットに入れた。

「すまん」

 リリアンヌの声に反応してハルが目を上げると、リリアンヌは目線を彷徨わせた。

「その、子供自体は嫌いではないのだが、何分扱いが解らんのだ」

 リリアンヌはハルの視線に気付くと、悩ましげに眉根を歪めた。

「居心地が悪いとすれば、それは私が原因だ」

「ん…」

 ハルは言葉を返しづらく、俯いた。リリアンヌは視線を動かしていたが、ようやくハルに定めた。

「だが、私達を信用しろ。痛い思いをするとしても、それは採血と薬剤投与のために注射する場合のみであり、それ以外では苦痛を与える方法を使わんようにしておる。特に、子供が相手の小児科なら尚更だ。小児科の医師は私とは違って子供の扱いにも慣れておるし、このような思いをすることはない」

「ごめんなさい」

「なぜ謝る」

 リリアンヌに聞き返され、ハルは口ごもりながらも答えた。

「だって…なんか、悪いもん。先生と会うの、初めてなのに。でも、やっぱり、ちょっと怖いから…」

「そう思えるだけ、貴様はまだまともだ。まともではないのは私の方だ」

 リリアンヌは頬杖を付くと、闇のように黒いワンピースの深いスリットを白い太股で割り、足を組んだ。

「私が恐れられるのは今に始まったことではない。この口調と外見のおかげで、患者はもとい職員からも避けられておる。愚弟が余計な気を回すせいで、私は表の仕事に引きずり出されてしまうが、本来は裏方の存在なのだ。薬学というものは重要な割に地味な学問でな、恐ろしく目立った功績を挙げなければ評価もされん。稼ぎも少ない。私がこの船に乗っておるのも、人助けが目的ではなく、高頻度で臨床試験を行えるからに過ぎん。どんな薬剤でも、臨床試験を行わねば使い物にならんからな。この船の所有者であり院長である男が私を認めているからこそ、私は臨床試験を行えておるが、そうでなかったら道を違えていたことだろうて」

「意味が、よく解りません」

 難しい単語の連続にハルが戸惑うと、リリアンヌは薄い唇の端をほんの少し持ち上げた。

「戦争で敵を殺せば英雄だ。日常で人を殺せば罪人だ。そういう類の話だ」

「ますますわかんないよぉ」

 ハルが眉を下げると、リリアンヌは目元を細めた。だが、笑みとは程遠い冷ややかな表情だった。

「覚えていたければ覚えておけ。だが、忘れたければ忘れるがいい」

「うーん…」

 ハルはまたも解りかねて、首を捻った。リリアンヌはハルが思い悩む様を見て、少し申し訳なさそうに言った。

「話題を変えるか? 貴様が赴く小児科までは、もうしばらくあるのでな」

「えっと、じゃあ」

 ハルは捻っていた首を戻すと、小さく手を挙げた。

「どうして先生にはツノが生えているんですか? ママにもウサギさんの耳が生えているけど、それと同じですか?」

「大雑把な表現をすれば、同列と言える。だが、厳密に説明すると長くなるから割愛する」

「どうして、先生は変な喋り方をするんですか?」

「一種の性癖とでも思え。直す気は毛頭ない」

「先生の家族って、ケーシー先生の他にいるんですか?」

「誇り高き父上と愚劣なる母上ならおる。他には、まあ、遠からず増える」

「それってどんな人ですか? パパですか、ママですか、お姉ちゃんですか、お兄ちゃんですか?」

「その中にはおらん」

「じゃあ、おじちゃん? それとも、おばちゃん?」

「それとも違う」

「じゃあ、何?」

 好奇心の固まりと化したハルに、リリアンヌは高圧的だった表情を僅かに緩めた。

「伴侶、というか、夫だ」

「オット?」

「貴様の視点で言えば、父親に当たる存在だ」

「じゃあ、先生はママになるの?」

「出来るものならそうなりたいところだが、私と奴は種族が違うのでな。交わっても子は成せんのだ」

「そっかぁ。じゃ、先生は赤ちゃんがどこから来るかも知っているの?」

「当然だ」

「でもね、パパに聞いてもママに聞いても教えてくれないの。先生、教えて!」

「貴様らのような哺乳類の繁殖方法は知らんわけではないが、まだ知るには早いと思うぞ?」

「なんで?」

「俗な言い回しをすれば、大人の事情だな」

 リリアンヌにはぐらかされてしまい、ハルはむくれた。

「先生の意地悪ぅ」

「私はあくまでも他人だからな。貴様らの家庭の事情には口を挟めんのだ」

 リリアンヌはやりづらそうに口元を曲げていたが、トラムの移動速度が緩んだことに気付き、立ち上がった。

「小児科に到着するぞ。降りる準備をしろ」

「はーい」

 誤魔化された気がしたが、ハルは立ち上がった。速度を落としたトラムは、穏やかに診察室の前で止まった。
リリアンヌに連れられて降りると、診察室の前では若い男の小児科医と女性の看護士がハル達を待っていた。
 青年医師は、茶色の髪に青い瞳に白い肌をしており、これといった身体的特徴もないので新人類かもしれない。
顔付きは整ってはいるが優しく、纏っている雰囲気も柔らかい。眼差しだけで、子供に対する愛情の深さが解る。
女性の看護士は美しい銀髪と緑混じりの青い瞳が特徴的な若い女性で、こちらは異星人である可能性もある。
医師はリリアンヌに微笑ましげに表情を緩めると、リリアンヌは正反対の表情になり、不愉快げに眉根を曲げた。

「何が可笑しい」

「僕の患者を相手に奮戦するリリアンヌさんを見られなくて残念です」

 医師が笑うと、リリアンヌは顔を背けた。

「どうとでも言え。元はと言えば、ケーシーがこんな仕事を回してくるのが悪いのだ」

「そんなに嫌だったら、断ればいいじゃないですか。リリアンヌさんも仕事が詰まっているんですから」

「それは…貴様も同じだろうが」

 リリアンヌは慎重に顔を戻したが、すぐに目を逸らした。その様に医師は笑っていたが、ハルと目線を合わせた。

「あんまり気にしなくて良いよ。彼女、ただの意地っ張りだから」

 医師は床に膝を付いてハルと目線を合わせると、手を差し伸べた。

「君がハルちゃんだね。今日一日、君の検査をする小児科医のカイル・ストレイフだ。どうぞよろしく」

 カイルの笑顔は柔らかく、また優しかった。ハルは不安が解けていくのを感じながら、彼の手を取った。

「こんにちは、カイル先生」

「では、ハルちゃん。診察室へどうぞ」

 カイルの傍に立っていた看護士は、ハルを診察室へと促した。

「私は看護士のヒエムスと申しますわ。よろしくお願いしますわね、ハルちゃん」

「はい」

 ハルはヒエムスに従い、小児科の診察室へ向かった。だが、カイルは続かなかったので、ハルは振り向いた。
カイルはリリアンヌの肩に手を置き、彼女の耳元に口を寄せて囁いた。途端に、リリアンヌは真っ赤になった。
何を言ったのか解らないが、きっと凄いことを言ったのだろう。ハルは、照れるリリアンヌを見ながらそう思った。
カイルは先程の優しい表情とは違う、若干意地悪な笑みを浮かべていた。それが何を意味するのかは解らない。
だが、二人が特別な関係だというのはハルにも解った。恐らく、カイルがリリアンヌの夫になる男性なのだろう。
 素敵だな、と思う反面、不思議だな、とも思っていた。リリアンヌとカイルの性格は、どう見ても合わなさそうだ。
なのに、家族になるのだから、不思議でたまらない。だが、ハルの家族も、性格が近い者は誰一人としていない。
ヤブキが家族に加わった際にマサヨシは言った。違う存在だからこそ共存するべきだ、と。意味はまだ解らない。
 ヤブキがハルのお兄ちゃんになってからは、毎日がとても楽しい。前も楽しかったが、もっともっと楽しくなった。
マサヨシの言いたいことは、きっとそういうことなのだろう。ハルは自分なりの答えを出して、一人で頷いていた。
だが、赤ちゃんがどこから来るかはまだ解らなかった。家に帰ったら今度こそパパに教えてもらおう、と思った。
 答えが出ないと、すっきりしないからだ。





 


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